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↓チャプター00:00 マロ読み00:30 躾と虐待の境界線06:13 虐待してしまう親の心理09:31 かなえ先生の母親のしつけ方法ご視聴ありがとうございました!↓元配信はこちらからどうぞ!th-cam.com/video/1B3X5kLTI-Q/w-d-xo.html
昔、学校の先生に「躾と言う字は身を美しくすると書く。だからいずれ自分を律することができるようにならなきゃ意味がない」と言われたのがやっと腑に落ちました。
文章が変
@@abcdefghijklmnopqrstubwxyz-28別に変では無くね?って書こうと思ってたけど【学校の先生"に”】のせいで繋ぎの文章がおかしくなってるって事か。繋ぎの文章変えない場合"が”が適当か。
誰々に何々と言われたはそんなに変か?俺にはわからん大学生なのに、、、大丈夫か俺
@@アストレアレン漢字の部首の説明+昔の先生の説明って形が1+α=3みたいな書き方でよくあるわかりやすい感想の1+2=3って文章の書き方してないからかも?動画の説明がここのコメントに反映されてるんじゃなくてコメントの感想をストレートに書いてるから???となってる。定義づけがないレポートみたいな文章に読めるかもしれんな。まぁ、もしかしたら普通に先生のコメント引用の挟み方があまり見かけなくて違和感感じた感想かもしれんけど。
@@野良人昏人 あーそこか、なるほど理解した昔のとかよく読まなくても理解できるところを自分がいかに読み飛ばしてるかがよくわかったわありがとう
「虐待」で「委縮」してしまった結果でも「セルフコントロール」を身に付けて自制的になったかのように見えるってのが難しいネ
将来社会に出て初めて、その答えが「本人の身に」降りかかってくる理不尽さよね
しかもそっからの支援なんてガキのころよりないわけでしょ?まあそんなのガキのころにわかったってそんな親なら 世間様の目 俺様の見栄 を気にして行かせてくれないよ。おまえがわるいんだ!!!!(俺の気分を何とかしてくれ!!!!)とかなんとかいってさ。病気だろこれ。
保育園でもそうなんだよね〜。怖い先生がいて子どもたちがピシッてしてるとできる先生みたいに言われる理不尽さ
萎縮しているだけの人とセルフコントロールできる人との違いは何かというと、いかに融通が効くか、いかに応用力が高いか、いかに臨機応変かという点、つまりはいかに「合理的」なのかという点に表れると思う。思考停止して、「これは駄目だから駄目」と頑固な意見を示すのか、「そもそも何のためにこれがあるのかというと、それはこのためだから、この場合に限っては良い」と柔軟な意見を示すのか、みたいな。
@@double_Yukipo虐待だけでなく他者からのいじめ、パワハラも同様に人を萎縮側に追い込む行為なのよね学生時代から社会に出ても20年以上いじめパワハラ漬けワイはすっかり萎縮側よ…どう考えてもわからんもん人が
薄々感じてはいましたけど、叱るって頭の良さが本当に必要ですよね相手のためにならなきゃただの八つ当たりだし
ADHDの兄は両親がいくら言葉で伝えてもストーブに手突っ込んだり窓ガラスに頭突っ込んだり出先でどっかいったりするのでよく父にぶん殴られて怒られてた今思うと暴力で恐怖を与えとかないと命に関わる場合が多すぎたんだと思うあれはどうしたら良かったのだろう
そういう言葉等での意思疎通が余りにも難しい限りお医者さんでも無い限りは体で多少覚えさせる手段取るのも致し方ない気はしますね
パワハラの判定は「相応かどうか」であるらしいから、そういう点で言えばよかったんちゃう?
同じことを思いました。ASD疑惑の娘のおかしな言動ににひたすら怒鳴りつけてる親を知ってるので…。
危険に対しては理解してもらうまで繰り返す、という手段がとれないんですよね。一発アウトなんで誰に対しても一度の説明で確実に理解してもらうことって多分不可能だと思うので、理解してもらえない場合かつ危険に近づけたくないって時はどこまでの手段が許されるんでしょうね
倫理(本人の意思の尊重)と生命(身の安全)のどちらを優先するかといえば生命優先ですよ。教育ではないけれど電線に触って感電している人は蹴り飛ばしてでも引きはがす。救急の現場ではろっ骨を折ってでも心臓マッサージを優先する。ただ、障害や病気で特異な行動をするというのは傍から見れば異常でも本人からすれば一定の法則があるんです。まずはよく観察して本人と対話をしてパターンを把握する。その上で安全な代替行為を提案して危険性を減少させるのが基本ですね。時代からしてしょうがないとは思いますが、今で言えば挙げられている一部の例は虐待判定になると思います。
元被虐児だけど、父親が家仕事で激務だったので恐らく締め切りに間に合わない時とかにゴン!スパン!てされてた けども一切会話はなく(元々喋らない人)はぇ〜こういうコミュニケーションなんや〜😮と学んでしまい、学校で挨拶がわりに殴りかかるモンスターと化してしまった…呼び出されみんなこうじゃないの?と聞くと学校は一変、親に出るのは怖かったらしく何だか守られて過ごした 先生たちの情操教育あって5年生くらいでようやく理解、お友達ごめんね😢となったが、それを理解したが故に父親の暴力を怖いと思い出しはじめて怯えるようになった… むずかしいね
生活してきた環境によって、常識って本当に変わるよね……
これホントに可哀想だね、今は治って良かった
親のはしっかり虐待だったけど先生は躾だったね
字面だけ見るとバキに出てくる家族関係みたいで草
「言ってもわからない子供には暴力ふるってもいい」って弟に言われた時に感じた不快感が一気にスッキリした気がします。
そもそも子供に対して暴力で叱るのはって本当の最終手段だと思う。犯罪レベルの場合とか。それを言ってもわからないからって理由で多用しちゃうと子供にとってはあまり良くないよな。
親が虐待と躾をめちゃくちゃ混合してくるタイプだったからこの説明すごい分かりやすかった
むかーし母親に往復ビンタ&ゲンコツ&めちゃくちゃ怒鳴られたことがあるけど理由が・テーマパークのプールに飾ってあった船の下に隙間があり、そこを通って遊んでた・車の修理?点検?してた人を見て自分も車の下に入ったっていう今考えたら死んでもおかしくないことをしてた時だったから、あれは今でも躾として感謝してる自分的に「言い聞かせてもわからない年頃及び性質」だったのもわかってるからあれは躾として感謝してる
多分貴方の事例では殴ったこと自体はどちらにとっても重要ではなくて本当に危険で本当に心配だったという感情の強度を伝える手段としてその場では妥当だったという非言語的な理解が両者の間でが共有されたから結果的に叶先生の定義での躾に収まったんだと思います
「怒る」と「叱る」の違いが分かってるかどうかの話に近いねぇ
自分の為に怒る、相手の為に叱る。相手の為の躾、自分の為の虐待…
正にそれそのもの。子どもの為子どもの為と口では言っていても、いざ、子どもがどういう時にその教えが役に立つのか訊いてみた時に理路整然ときちんとした理屈がある説明ができないのなら虐待。
うまく動かない機械をとりあえず叩くのと一緒ですね。子供はどんなことでも学習しますから良いものでも悪しきものでもそこから何かしらを学ぶわけです。私も親には「コイツは息子という存在があってそれが自分に従順であればいいと考えていて、自分という個人には興味がないのだ」ということを学習した結果、そんな親に人として興味がわかないことに気づき、分籍を済ませ家を出て早20年が経ちました。
多分あなたのご両親も、それが望みだったと思いますよ。うまく自立できて大成功ですね。
子の苦しみを何とも思わないやつは元から親じゃないよきっぱり別れられて良かった、よく頑張ったね
直接的な虐待という虐待はされてないけど、ウチの親は「時間が経てば勝手に自立する」と思い込んでた節がある思考してるな〜って。まともな躾もされてないし、というか理解できない人種に、放任主義というか放置というか、人間として必要な倫理や礼儀や言葉を受け取った試しが無い。自分も相手からの礼儀とかどうでもよく感じたり、自分もできない。
自分も母親から言葉の暴力を受け、かなり大人になるまで自分軸がなく周りの顔色を伺う人生でした(家庭内に「ありがとう」「頑張ったね」「大丈夫?」などいたわりの言葉やねぎらいの言葉はありませんでした)。幸いこれまでに尊敬できる方達とも出会い、また心理学も多少勉強したことで、今なら境界線をビシッと引き「それは、お母さんの課題ではないですか?」と言い返せるのですがw「躾」と「虐待」全く別のものではありますが、かなえ先生のように言語化するのはなかなか難しいですね。
お母さんがただただ凄い😂なかなかそこまで合理的に叱れる人はいないのではないかと思う。
サムネみた時点では、大雑把に『子供のために叱るのがしつけ』で、『自分が気持ちよくなるためにキレるのが虐待』って認識だったけどこの先生の切り抜き見たらめちゃくちゃ丁寧に言語化されてて、頭いい人って凄いんだなって改めて思った
親から虐待を受けた兄弟です。弟は親から敷かされたレールと虐待により 自己判断能力が欠如した結果 社会人になる直前に自ら……自分は小さい頃から 反面教師にして ナニクソと思い生きてきたので そのような結果にはなりませんでした。しかし 自分は30歳の時に結婚は絶対しないと心に決めました。虐待により大きな弊害は出ましたが 親は弟が自ら…… でさえ 反省しませんでした。怖いものです。
お辛かったですね。 悪人は自分のやった行いを開き直るし何が悪いのかすらも自分が世界の中心だって思ってますからね…
腑に落ちました 躾は身を美しくすると書きますセルフコントロールできるようになれば身を美しくできるのでしょう子どもはいずれ大人になって自力で生きていく一人の人間一時の感情に流されるのではなく未来を見据えて合理的に接する……難しいけど大事なことですよね…
かなえ先生の考えだと境界線を「目的から考えれる手段」だけど理解できない、困ってる人は「やることの程度」だと思ってるからなんだろうね。僕も正直これ見るまで困ってる側の人だったけど理解出来たし納得出来た
私の母親の場合、私は子供を叩いてもいいけれど他の人が虐待してるのは許せない!と言ってくる謎めいた人間で、私が算数の問題を解けなかったり、時計が午前と午後分からなかった時はお腹の大事な部分を蹴る踏んづける、髪の毛を引っ張るお酒をかける、なんてことはしょっちゅうでした。「確かにママは怒ってきてもなんで悪いか、どうしたらいいか提示せずに怒ってきたなぁ」とかなえ先生の動画を見て思いました。手を出したら虐待って考えはもっと世の中に広がるべきだと思います……!中には虐待されてるって気づけず、自分が悪い子だからと苦しんでる子供もいると思うので……
親に殴られて 喚き散らしてたら自分が悪いのだと思ってました。理由も分からない( ̄▽ ̄;)からどうしようもなく、ただ黙って言う事聞いて殴られるままに人形のように心を閉じてました。
そんなん絶縁じゃ!!!!大変でしたね…😢💦💦
ずいぶん御勝手なご母堂だね。もしかしたらご母堂はそんな教育をされてきてマですさんに変な対応(虐待)してきたかもですね。マですさんはとても優しくて偉くて賢い方だと思います。たくさんの矛盾に苦しまれてきたと思いますが、今は幸せだったら個人的に欲しいです。
@@野良人昏人 ありがとうございます!😭今は大学生になり一人暮らしをしているため、昔より虐待は減りましたが代わりに実家にいる妹が受けているみたいです…(私としては自分に容姿を侮蔑してくる妹は半分どうでもいいかなぁ、とは思ってる薄情者ですが)
@@マです そうなんですね!それはよかったです。p.s.妹さんが虐待を受けてるんですね。人のことを馬鹿にする馬鹿者は助けなくてもいいと思います。でももしその虐待に腹を立てているなら妹のためではなく虐待に対して怒るというのはいいことだと思います。妹が相当に精神がまいっておかしくなり始めたらご母堂からこう離れて自立するように助言とかアリだとおもいます(当然馬鹿にしたことを許さないし謝れと釘刺すのは大事です)
この定義だと、虐待者はなんでも躾と言い張るだろうなあ。
全く同じ事を考えてました定義の定規が躾する側にあるので自分に都合の良い認識をするためになんとでも言えてしまう
何やっても許してもらえる魔法の言葉「躾」
私の笑い声がうるさいと言って殴ったりそれで泣いたら泣き声がうるさいと家から締め出していた父親はお前のために怒ってると言っていたけどテレビで見る虐待の話にはこんなことする親がいるなんて信じられないと言っていたから正しく躾のつもりだったんだろうな
これは虐待を開き直ってやってる奴に対する提言じゃなくて虐待になるラインが分からない人のためのアドバイスだからね実際虐待認定される時は親の考えなんか関係ないわけだからこれが定義ではない
虐待者に定義なんて最初から無いよ。自分の為に八つ当たりしてるだけだけだから。人に迷惑かけてはいけない、犯罪に関しては殴ってでも殴られても止めなきゃいけない話なんで。
親目線で躾は理性的、虐待は感情的とも言える。
私の親の場合まず叩く蹴るの前に何故ダメなのか、やってはいけないのかを「言葉」で丁寧に教えて欲しかった。それでもダメなら仕方ないけど…大人になってからあれは教育という名の虐待をされてたんだなと理解した。
虐待は親側の依存なんですよね虐待によって築く関係は子供としか築くことの出来ない特別な関係性で、親はこれがないと生きていけません。かつて毒親論へのカウンターとして「子供はゆるす天才」というキーワードがありましたが、虐待を是認しているにも関わらず改善を目指さない姿勢が奇っ怪で記憶に残っています。
自分が親に求めた承認欲求を、逆に自分が親になって子供を持ったという支配的立場に置き換えて満たそうとしてるんすよね。親も子も物でしかない。
@はなしがつうじないオンボロ 虐待連鎖論というやつですね。どうだろうな……、自分は虐待されたから虐待するというのにはあんまり賛成していません。ここに書くのも気が重いですが、虐待は恐らくする側にとっては快楽なんです。楽しく心地良く、各種暴力で子供を傷つけることにかけがえのない絆を感じてしまう。いけないと分かっていてもやめられず、果てには子供に無限の許しを強いる訳です。この考えを否定する方は数多いましょうが、快楽虐待と呼べるものがあるのではないか?と自分は強く疑っています。
ああ、なるほど親がなんでダメなのかを子供に説明できなかったからうるさいって叩かれたのか
自分の未熟さを子供に悟られたくない↓自分の立場が崩れかねない↓💪( ᐛ)パワァァァァァァァァァァァ(虐待)
最後の家庭内税務調査の話めっちゃ驚いた。大声で騒いで蹴るのが親の怒り方じゃないなんてなんか別世界みたい。
私の母は根は良い人ではあると大人になって思うけど、ヒスして自傷行為止めたり叩かれたり物投げたりと毒親でした。親の精神的問題を当たられていたんだなと動画見てて思いました。中心は親であって躾ではなかったな…成人した頃には私が精神病になりましたが、自分の問題として人に当たらずにきちんと対応していきたいと思います。
それはしっかり悪い人だよ
やってスッキリしたら虐待、言った事を理解してくれてるか心配になったら躾でしょ多分
こういう話は、聞いてて「自分は親になっても絶対虐待なんかしない」と思って聞いちゃうものだから、こうやって顧みるためのヒントこそ大事なのかも
理性的な親でいいなぁ…
躾と虐待の違いは「躾と称した行動に納得のいく説明ができるかどうか」だと思ってる自分は親父に叩かれたことがあるけど、「自分がされて嫌なことをすると返ってくる」「道路への飛び出しは命に関わる危ないこと」って理由があったから、歳を重ねるごとにその理由に納得できたただ、理想としては「話して理解してもらう」がよくて、今回のマシュマロの人はまさにそれで、親が会話する人だったら暴力も締め出しも起きなかったと思うこれは「俺の子供の頃は〜」とかのやつだから、時代がね……
かなえママとパパのコンビ、やっぱ好きやわwそしてかなえママの説明の仕方分かりやすくていいわ、大人の自分もそういう風に説明してくれる上司だと助かる
かなえ先生の考え、とても同意です。そして「感情的に怒るのはしょうがない」と言って、自分の心を守るお母さんが本当ーーに多いです。私も親や教師から躾ではなく虐待を受けて育ちました。こんな不合理な見本を見せられながら育ったら子供は同じ大人になると思います。子供が親からみて「?」な行動をしたら、「何でこの行動をしたのか」を知ろうとして欲しいです。子供なりの理由がありますし、ストーリーがあります。それを頭から自分の考えを押し付けるのではなく、境界線を引いて、聞いて、子供と一緒に考えて欲しいと願います。経済的なのか精神的なのか、「私に余裕を持たせない旦那や子供や社会が悪い。感情的になるの分かるよ〜」とお母さん同士で慰め合うのも悪くないですが、それと同時に旦那や心理カウンセラーを頼ったり、一人で楽しめる趣味を見つけたり、自分を守る方法を自分でも探してみて欲しいです。こんな考えを持っている私は、かなえ先生とお母様と同じようなタイプの子育てで、感情的になって叱った事はありません。でもこれは本当にレアで、ママさん達からは「変わったお母さん」になってます。まぁ、いいですけど笑
9歳差の妹がいて月齢半年以降は母よりも関わってきたといっても過言では無いほどお世話をしてきて感情的に怒ることは滅多にないですが、お出かけの際に事故に繋がるような行動をした時はさすがに最初の一言は感情的に言ってしまうと思うんです…😅(自分がそうだったのでそうなる人が多いのではないかと思いました。)
@@あかさたなは-q9xとても素敵なお姉さんですね!子供の身の危険は感情的になって自然だと思います。過度に長時間ではなく、最初に「危ないでしょ!」と大声で言っても、後で、「あなたが車にぶつかったら悲しいし怖くて大声を出してしまった。ごめんね。危ないから車道には出ないで欲しい。いいかな?」と大声を出した理由を話したらOKだと私は思います。
すご〜いついね、生理前とかイライラしてるときとか強くあたっちゃうのよごめんねえ〜
めちゃくちゃ自分を誇ってほしい最高の保護者
あなたのように立派な方が「変わったお母さん」扱いになってしまうのはとても嘆かわしいですねあなたは「変わったお母さん」ではなく「手本にすべきお母さん」なのに
叱って育てるのも褒めて育てるのも見下しからくる行動で、そうやって育てられた子供は行動基準が怒られない為、褒められる為になって主体性を失うってアドラーがゆってた
昔見たさよなら絶望先生って漫画で子供が納得する暴力、それが躾だとあったなぁ
>>教育・躾は子どものセルフコントロールを身に付けさせるために行う事完全にその通りだと思うけど、これをやる親がセルフコントロール出来てないからダブスタを子どもに指摘されて結局怒鳴って支配しそう子は親を映す鏡というけど、親もまたそういう親に育てられてそうなっただけだったりするんだよね
これは親と子供だけでなく社会に出てからも一緒ですよねこの意識がないとパワハラの自覚がなく人を怒鳴り付ける
少し以前、体罰を良しと公言し実際にしている教育者がメディア出演されてて「なんでこの人はこんなにも胸を張って言えるんだろう」と感じて、ただその違和感を抽象化出来なかったんですが、この動画を見て腑に落ちましたありがとうございます
私の両親も凄いいい人で、真面目で優しくてだいすきなんだけどなにか気に入らないことがあるとイライラするのがすごい怖かった例えば母の宗教関係でお祈りしに行くよって言われてそれに対して嫌だ・めんどくさいなんて言ったらもうその日はずっと不機嫌。父も何かイライラすると大声出したり舌打ちしたりして、どうにか怒らせちゃいけないからずっと顔色伺ってた。別に殴られることもないし、ずっと叱責されることもないけど、ベランダに出されたことはある。でも憎めない。不思議だね
かなえ先生のお母さんのムーブが何処か、かなえ先生のムーブを連想させて、ちょっと笑ってしまった。
自律神経失調症や鬱病を親に「甘え」「根性が足りない」とネチネチ言われ続けたのが辛かったな。体罰ではないから本人は理性的で合理的な正しい躾だと思ってたんだろうけど。自分がしていることが躾ではなく虐待だと自覚できる虐待親は少ないと思う。虐待ではなく躾だと言い張るし、言い訳ではなく心からそうだと思ってるだろう。
境界線は合理性の有無だと言われていますが、そこが躾と虐待を簡単に区別できない理由です。合理性は目的と定義が定まってないと正しく機能しないものです。一方、人生は「人間万事塞翁が馬」という言葉にあるとおり、正解が分からず、人により価値観が異なります。つまり人生における目的と定義を教育段階で確定させることはできません。言い換えれば教育の合理性を論じる事はできないということです。なので教育課程において厳密には虐待と躾を区別することは不可能です。動画の途中にもありますが、すべては結果論になってしまいます。例えば殴られて結果良かった人がいれば、殴られて結果悪かった人もいます。前者にとって殴ることは躾。後者にとっては虐待です。例え、親が虐待の目的で暴力を振るっていても、それが子供にとってプラスに働けば躾になるということです。ではよく巷で話される躾や虐待とは根拠のないものなのかと言われるとそうでもありません。矛盾して感じるかもしれませんが、「現代日本における通説に基づいて人生における一般的な目的を定める」のであれば、なんとか躾と虐待を区別する事ができるからです。この動画で語られている内容は正にこれです。私達はあくまで「一般論でいうと虐待か躾か」を論じているのであり、それが1事例だけをみて、本当に当てはまるかどうかは、人生を歩んでみないと分からないのです。まとめると躾と虐待を区別することは、統計的には可能ですが、一人ひとりの個人を見たときには不可能ということになります。つまり世のすべて親は「一般的にはこれが正しい躾だ。でも、我が子にこれが当てはまるかは分からない」という状況で教育しているのです。これが躾と虐待を区別することが難しい所以です。
子供に伝える力が親には必要ですね。医療ではインフォームドコンセントに近いかな?子供のためだからと言って子供が分からないまま決定したり、嘘をついたりするのはダメだっていう話は小児看護で習うけど、親にも必須の能力だね
かなえ先生のお母様のお話めちゃくちゃ好きなんですけれども、このお叱り方法ってお父上が一般通過の感情的になってお母様がFBIの理性的であるからこそ成り立ってる感じがします家族内で役割分担が出来てて、例えば父親が厳しく叱ったら母親は優しく諭すとか、どちらも叱るのではなくて片方が寄り添うとか、そういうのが教育には理想的なんじゃないかなあとか思いました
そう言う事するとな怒った方の親が「良い格好しやがって!」とか言ってブチキレて夫婦喧嘩になるパターンもあるんよそれでも口先だけでは「恨まれても良い」だの「鬼にでも悪魔にでも…」とか言ってくるから正直怖かった
知り合いの虐待経験者はね、母親に包丁を突きつけられた上で酷いことをいろいろ言われたそうなんですでも本人はそれを「世の中の厳しさを教えてもらった、してもらってよかった」って言い張るんですだからかなえ先生の簡略化した方の定義(してもらってよかったと感じるのが躾)は全く意味をなしてないですね 虐待被害者はそういう風に脳内で認知を書き換えて、虐待でしかない行為すら美化することがありえるので
かなえ先生のお母さんみたいに一から十まできっちり論理的に説明してくれる親御さんってすごい新鮮だし羨ましいですねうちの両親はすべてではないけれども、半分以上は感情的になって理由をあんまり説明してくれなかったので結果としてどうして怒られているかわからなくて学習性無力感っていうんですかね、なにやっても嫌われる怒られるって感覚が強くて何もできない大人になっちゃいましたね
なるほど、だからパワハラ受けた時父親に叱られているのと区別が付かなかったのか(どっちも言葉での説明がなかった)
感情論ではなくて理論で子供が起こした問題に対して適切に怒る、躾けるを徹底されてるかなえ先生のご両親は良識のある素晴らしい方々なのだと感じました。
かなえさんの親御さん理知的すぎやろ……マジか…
母親せいで人の顔色伺って生きてきたけど母親○んで2年でやっと自分が戻ってきてるけど根っこは変われない……生きづらい……これ産婦人科で流して欲しい
人の顔色を伺うのは処世術だから無闇矢鱈に捨てるとか考えなくていいと思う。やばい・怪しい奴だと思ったら距離を取る、機嫌を伺えば少しでも長く生きられるし。辛いと思うけどその処世術をむしろ今後の人生に利用してやる!って意気込みでことに当たるといいと思う。これから少しずつ、ほんの少しずつ言いたいことや伝えいことを恐れず言えるようになるのは人を尊重する気持ちと自分を愛しているっていう自信が必要で、これらが両立していけば自ずと生きやすくなれると思う。もし辛かったら病院の先生とか専門家に相談してね。なりたい自分になれるよう、応援してます。
個人的には躾は必要性が他者に説明可能で理性によって行うもので、虐待は理由に対して過剰あるいは説明不能で感情に由来するものだと考えます。子供の為っていう匙加減もその人次第だし、虐待受けて育った人が他に躾け方が分からないからって振るう子供を思っての攻撃は虐待にはならないのかってなってしまいますから。それはそれとして先生の親御さんの怒り方素晴らしいな。特に全否定しない所と、説教する理由と自分の思う所を明快に認識させる所。
こどもの頃、父親にたびたび「歯ぁ食いしばれ」って言われてビンタされてたけど、『殴られた』『痛かった』『悲しかった』って事しか覚えていなくて、『何で怒られたのか』ってことはまったく思い出せない。だから暴力は躾になってないんだよなって腑に落ちます。自分が親になって今、我が子に同じことを繰り返してしまいそうで怖い。
虐待か躾か、自分の行いを自問自答出来る時点でその親御さんは少なくとも最低な虐待親では無いかな、とは思います。親も人なので100%正解の育児なんて出来ない。でも、あれこれ試行錯誤しながら子どもと一緒に育って親になっていくわけなので。あまり難しく考え過ぎず…将来的に私が死んだ時、子どもに「何だかんだあったけど良いオカンだったな」って思って貰えるように頑張ってる2歳男児母です笑
私も今2歳の娘を育てているのですが。かなえ先生の話を聴きながら、うわー、自分の言い方感情的になってる時もあるー💦感情的に怒るのって虐待では?!とか色々考えちゃってましたが、あなたのコメント見てそうだよね、初めて親になったのに、100点満点な育児は無理よね、と思いました。ありがとうございます、私も死ぬ時に何だかんだ良い母だった、と思えるような育児しようと思いました😢
大人だから口で説明できるとは限らないと思います。怠惰や悪意では無く、親の能力や特性によっては、言葉で説明する事が困難であるから、出てけ!帰ってくるな!と言ってしまう場合も有ります。それも親側の問題である事に変わりはないですが、親としての能力が不足していても、親になれてしまう世の中なので、こういったパターンも多く存在していると思います。
親に恵まれなかったと思い切れたらどれだけ良いだろう
ちょっと共感wそうならば自分の課題と向き合わず、さっさとこの世から消える事ができたのに。なんて昔思い詰めてたこと思い出したやw
初視聴です。なるほど納得です。私は小さい頃から親や姉の顔色を伺って、いろいろ選んでいたのですが。成人してから、自分が好きなものを選ぶという事がとても大変です。今、好きなものを選ぶ時も姉の顔がチラついて、本当に好きなものを欲しいものを選べません。
難しい問題よね時間かけて確り教えられる時間的な余裕があればそうなんだけど、人によっては仕事から帰って家事こなしてその合間に教育だからね金銭的にも精神的にも余裕が少なくなった現代人だと難しい人も多いと思う
毎日同じ事で叱り続けて言い続けてるとある日怒鳴ってしまう…自分でも駄目なのはわかってるんだけどやらなきゃいけないタスクがいっぱいでコップから溢れて怒ってしまうんだよねもっと良い親にならなきゃと思いつつ失敗の日々です。ちゃんと叱られて育てられてきた人は親御さんが素敵な人だってすごいことなんだよっていつかわかって欲しいなぁ
子供の頃親に結構ビンタされたりゲンコツされたりした覚えあるけど全然親を恨んでないのはそういうことなんだなぁ
俺も小学生のときに親に怒られて夜中に家の外に出されたけど、夜に一人で外出れるの初めてだったから家の前の公園で親が迎えに来るまで遊んでたよw今思うと神経図太すぎるw
以前、私がさせて頂いた質問です。切り抜いて頂きありがたいです。精神科や福祉のサービス等を利用するようになり、日常生活に安堵感を持てるようになりました。
躾のつもりで虐待ってのも多いと思いますね俺の親は「できないのは手抜き」が口癖だったので、何度やってもできないと吹っ飛ぶほど殴られりした結果却ってできなくなって、というループだったんだけど
躾って丁寧にその子の知能レベルで分かるように説得する必要が有るので時間も気力も結構かかるんですよね。我が家でも取り調べ方式で話し合いを行っているので、子供たちからは「母を怒らせると面倒臭い」と言われます😅なぜその行動をとる必要があったかを知るために言い聞かせる前に言い分を聞くことだけは忘れないように心掛けています。私自身は、ダメなものはダメだ!ウオラァァァ!!と殴られ真っ暗な廊下に正座させられ育ってきたので負の連鎖は食い止められたかな...などと安堵しています。成長しきってみないと正解かは分かりませんが、これからも理解度を深めて母業を頑張ろーと思える動画の内容で救われました。
いいね。うちはなんで怒られてるのか当てようゲームを多いときはほぼ毎週開催されてたわ。小学校で部活の先生もなんで怒られてるのか当てようゲームやりだしたときはまじでw
今回の先生はものすごく言葉選んでるなぁ…
親から受けた事のある暴力で今も印象に残っているのは父から受けた少年野球での指導と朝食を食べるのが遅くて残りの味噌汁を掛けられたこと前者はなぜ叩かれたのかはもう忘れてしまったけど後者は今もというか年齢を重ねるごとに「味噌汁を掛けられた」という記憶が強くなっていってる掛けられた理由は食事の後片付けが出勤までに間に合わなくなるからそれに腹が立ってやったと解釈してるけどぶっかけた後の片付けの方が時間掛かってたんよな食事という常日頃から行う行動の際に起こった出来事だから食事に関連づけられて覚えてるだけもしれんけど
1:34 ここの「これは後で買うんだよ」は必ず実行しましょう親からしたら場をおさめる言葉でも、子供からしたら約束です
そうですね。もちろんそうやって「躾けられて」きたのだから教えられた通りに親ににはお返ししないと目には目を歯には歯を毒には毒を暴力には暴力を
@@Espresso_Man-u8k 人に暴力を振るう事は、確実に人の何かを壊します。親にした事を自分の子供や友人、大切な人にしてしまうリスクも高いです。かなえ先生がよく言っていらっしゃる怒りに執着してしまう状態を長く続ける事にもなります。あなたの人生を大人になってからも親にめちゃくちゃにされないためにも、介護が必要になる前に離れる事をお勧めします。
@大沢透-b3k 既に家を出ている上に頭の中もめちゃくちゃにされているそれでも恨み怒りを忘れて生きろよ、と体験したこともない人は言う事が同じ話は理解出来るが前半の綺麗事は要りませぬ
@@Espresso_Man-u8k 名越先生のchで言ってたけど、恨み怒りにとらわれている方は、その自分を許してあげてくださいって言ってましたね私も同じ状況で、親に対して怨んでたし、復讐心に燃えてたけど、名越先生の『自分を許してあげてください…そして自分の時間を大切にして』(だったと思う 細かいニュアンスは忘れてしまいましたが…)で、救われた気になりました楽になりましたねま、気が向いたら探してみてくださいお体大切に、よい人生を
@@reifon9th 名越康文先生の動画はよく知ってます
素晴らしい✨感動しました。うちも同じ方針で育てています。私が下手なだけかもしれませんが、恐怖や苦痛で教える訳ではないので凄く時間がかかります。発達障がいがあり周りの子よりも幾段も心の発達がゆっくりで『これで良かったのかな…?』ってずっと悩んできましたが、今日『これで良かったんだ!』って思えました。かなえ先生、ありがとう。
まぁでもこれ、子供側にも一定の理解力があるのが前提だよなと
かなえ先生のお母さんめちゃくちゃ頭いいんだろうな何がダメなのかを分かりやすく指摘してるし、150円が欲しいならあげるっていう余裕と優しさもある
6:12 ここが虐待の本質だと思う
ですね虐待は親が子に依存しながらも利用する形で発生するストレス解消ですこれかなえ先生が言ってくれると思わなかったのでちょっと感激しました
11:48 「俺も動揺しました」って言い返すのクソガキムーブ過ぎるけど、なんとなく身に覚えあるわ笑笑
大抵は言葉で説明してくれてたけど、本当にどうしようもないぐらいの悪いことをした時に親にぶん殴られたのを思い出しました。もしかしたら自分が変わってるのかもしれないけど、あの時の拳は後からでもありがたかったと思ってしまう。将来の自分の子供には何が悪いのかを説明していこう!って思う良い動画!わかりやすい!
最近悩んでて、たまたま出てきたから見てみたけど自分の親は虐待してるんだ。って理解できて少し安心した。
子供の時には自分ではどうにもできないことを止める(食事を作らない・家から出す・習い事を辞めさせる・受験等親の名前が必要な時に名前を書かない)と言われて謝罪するように求めるのが親の「躾」だったように感じます。今思えば親自身もそういう育てられ方をしたのかそれ以外に方法が分からなかったんじゃないかなと思います。一方で、親になるには早かったのではないかとも思います。
すごく理想的で美しく素晴らしい考えだと思う。ただ子供に対して説得という行動で自制心に期待するのは現実的ではないと思う。そもそもその説得を理解できる合理性、世間体、暗黙の了解を解する力が育っていないから。
その通りですね。言われたことを素直に理解できる人ばっかりじゃないですから。だから好きにしたらいいんですよ親も子供も。自分がいいと思うようにやって、酷い目にあってやっと学習するんですよ。バカにつける薬はありませんから。
同じことを、自分の友達、もしくはその子供相手に出来るかどうか(するべきだと思うか)、だと思ってる。本当に相手のためを思っての行為なのであれば、相手が誰であっても同じように叱責すべきだし、逆に「いや流石にうちの子以外に同じことやったら怒られちゃうからダメだよ」って思うのであればその暴力に正当性はない。相手が自分に逆らえない弱い立場だからこそできる暴力は、100%虐待。
ろくに躾されてない親が子供に躾しようとして虐待してると思う
線引が凄くわかりやすい
なお、子供を支配したいという大人の感情は、大人本人にも無意識にある場合もあるかもしれない子供もまた親を育てるっていうのは、親自身の心にも自分で向き合って律しなければいけないっていう意味でもあるのかもね
私の親がしてたことは虐待だったのか、とずっと悶々としていたのですがやっぱり虐待だったな〜と気持ちを落とし込むことが出来ました。明らかな支配でした。今でこそ仲は良くなったけど、未だにフラッシュバックするのがしんどいです。おばあちゃんになったら治るのかな〜
結構叩かれたけど、当時も今も納得してる
うちはずっとやられてて、昔から今までずっと「絶対いつかぶっ潰す」とか考えてたのに、いつの間にか自分もでっかくなってしまって。いざ相対すると自分の親が人間的に弱いのがよく分かって失望したな。正直、頑張って一緒に住むために親としてここだけはって感じにいい所探して尊敬を少しはしてたんだけど、それもなくなると「こんな弱いやつに今までコケにされてきたんか」ってただただ悔しいというか、ここで復讐してもやってる事は過去に親のした弱いものいじめとおなじだなって感じて色々気持ちの行き場が無くなったな。元からあった復讐心(?)みたいなのもあってか、他の人にもこんな思いをさせないみたいなこと思ってても親みたいに自分もやってしまうのかなって不安はすこしあって怖いな。
報復を考えても実行に移さなかったなぁ怒りを飲み込むとかじゃなくやってもそれ以上に面倒臭そうだから小学生くらいのときかなぁ?中学辺りから多少減ったからそれを考える機会も減ったな
逆に、躾をきちんとされたから虐待っちゅーもんがよく分からんやはり子供が子供を産むと教育なんてままならんもんなんやなって
合理と不合理という回答、目から鱗でした。 自分自身の回答として、そこに愛を持っているかどうか、を基準にしています。私も軽くはない虐待を受け成長し、親にそのことを言うと、あれは教育だった、といわれますが、絶対にあれは虐待だったと今でも強く思っているからです。
痛い目にあわないとわからない子ってのも居るには居るけど、その痛い目が衝撃的すぎると、もう恐怖しか残らなくなるのよねよく言われるけど、「怒ると叱るは違う」何がダメなのか、なんでダメなのか、心に残らなきゃ何の意味も無い
親が痛い目に合わせなくても、本当にその子供が悪いパターンなら手を汚さなくても生きてるだけで痛い目に遭いますよ。どこかで必ずね。そうやって酷い目にあってバカは学習していくしかないと思います。頭の発達してない子供相手にわざわざ鼻息荒く手を上げて自分を汚す必要はないと思いますね。
まあ、子供の事情(躾)か自分の事情(虐待)かだよな。ってか、体罰が躾になるケースなんて相当レア。例えば留年積み重ねたとか、それこそTVに出るような事件しでかしたとか…💦
叱らない教育(笑)が優しい虐待になるのはこの合理性が無く親の都合でやってる私情でやってるからと言えるか。叱らない教育でもちゃんと学ばせる、諭すなり出来てれば問題無いけど大体が学ぶ機会を奪ってる、諭さない形になってるんだよなぁ。セルフコントロールを叱らないで学ばせるとかぶっちゃけ高等な教育方法だろうに誰もが叱らない教育(笑)をやってるのはマジでどうかと思うわ。虐待する親も優しい虐待する親も本質は変わらんのな。子どものためというのが建前で自分のためにやってるに過ぎない。
子供の頃って自分が悪いことにして家庭という社会に迎合するので、親のやったことが躾の度を越えた暴力と支配だったとしても、大人になってもずっと、自分が悪いのでは?と考え続けてしまうんですよね。自身の心と向き合って生きづらさが抜けてきても、その考え癖ってなかなか最後まで抜けないので、かなえ先生今回のコメント今後、とても役に立ちそうです!
要は虐待は大人が子どもを支配することだとしたら、躾は子どもに「子ども」を支配させることなのかな?自分自身で考えられるようにさせるのが躾なのかな?
動画内で最初の方にそう言われてますね
@チェレンの ありゃ
暴力による躾はいけないと思うけど、叱らないことも問題ですよね。
言葉の説明だけで理解させるのが1番だけど、自分が痛い目見ない限り絶対に反省しない人も普通にいるから難しいんだよねだから自分の子がそういうタイプだけど厳しくしたらそれはそれで耐えられない事とかを分かってる親だと逆にどうしたらいいのか分からなくて病んだりするパターンも見ますよね一時期テレビで取り沙汰されて肉体的身体的罰を介した躾が世間的に減ったのは良かったんだけど、痛い目見ない限り反省しないタイプの社会人本当に見るようになったので(まぁ自分の周り限定での話ですが)難しい話だなぁと思う道徳と社会性をかなり早い段階で身に付けさせる安定したカリキュラムとかが確立出来れば言葉のみでの躾の効果も上がりそうだけど個々の感性に依存するだろうし流石に理想論過ぎるか
今思い返すと私は躾じゃなくて虐待されてたんだなぁ…としみじみ思います。(私が悪い時も悪くない時もとりあえず叩いたり殴る、暴言や誰の金で生活させてもらってると思ってんねんと何も出来ない高学年までずっと言われて、締め出しなんて日常茶飯事、締め出された時にケガしてても病院に連れて行って貰えなくて自分でなんとか手当して自己回復頼み…思い出すだけで涙出てくる😂)高校生の3年間で病院に行ったのは5回以下、一方妹は病院も頻回・整体も毎週…言われた習い事10数年続けてて部活も力入れてて勉強も平均以上なのにケアのひとつもさせて貰えなかった学生時代😅
6:11 結論
躾は肉体、精神は教育、知識は学習(意思)と思ってる。幼少期から今に至るまでいじめにあってたから、歪みに歪んだ自分を矯正する為に色々と考えて行動するようになってた。その中で境界線が曖昧なところが多々あるなと感じても分けて考えたりまとめることが出来なかったりで、理解に苦しむことがあったけどこの動画で少しだけ理解が進みました。ありがとう、かなえ先生。
小学生のころ野球チームに入れさせられててストレスから帯状疱疹になったけど、先生の話を聞いて虐待だったと判断できた
これを聞いて納得してるのは詐欺とか引っかかりそう愛情持って合理的に虐待してる親がどれだけいるのか知らないんだろうね
すごく腑に落ちた
なるほど。いい分析です。
「毎回同じ調整をさせるようにする」が支配「時と場合において今回と真逆の出力も出来る様にする」がセルフコントロールと言う話かなと理解した次第
相手のことを考えている自分、が主体になっちゃうパターンよく見ますよねぇ。
友人が、テストで満点を取らないと家に入れてもらえないっていう子だった。国立の医大に行ったけど、頭のいい子じゃなかったら更に地獄だったと思う
↓チャプター
00:00 マロ読み
00:30 躾と虐待の境界線
06:13 虐待してしまう親の心理
09:31 かなえ先生の母親のしつけ方法
ご視聴ありがとうございました!
↓元配信はこちらからどうぞ!
th-cam.com/video/1B3X5kLTI-Q/w-d-xo.html
昔、学校の先生に「躾と言う字は身を美しくすると書く。だからいずれ自分を律することができるようにならなきゃ意味がない」と言われたのがやっと腑に落ちました。
文章が変
@@abcdefghijklmnopqrstubwxyz-28
別に変では無くね?って書こうと思ってたけど【学校の先生"に”】のせいで
繋ぎの文章がおかしくなってるって事か。
繋ぎの文章変えない場合"が”が適当か。
誰々に何々と言われたはそんなに変か?俺にはわからん
大学生なのに、、、大丈夫か俺
@@アストレアレン
漢字の部首の説明+昔の先生の説明って形が1+α=3みたいな書き方でよくあるわかりやすい感想の1+2=3って文章の書き方してないからかも?
動画の説明がここのコメントに反映されてるんじゃなくてコメントの感想をストレートに書いてるから???となってる。定義づけがないレポートみたいな文章に読めるかもしれんな。
まぁ、もしかしたら普通に先生のコメント引用の挟み方があまり見かけなくて違和感感じた感想かもしれんけど。
@@野良人昏人 あーそこか、なるほど理解した昔のとかよく読まなくても理解できるところを自分がいかに読み飛ばしてるかがよくわかったわありがとう
「虐待」で「委縮」してしまった結果でも「セルフコントロール」を身に付けて自制的になったかのように見えるってのが難しいネ
将来社会に出て初めて、その答えが「本人の身に」降りかかってくる理不尽さよね
しかもそっからの支援なんてガキのころよりないわけでしょ?
まあそんなのガキのころにわかったってそんな親なら 世間様の目 俺様の見栄 を気にして行かせてくれないよ。
おまえがわるいんだ!!!!(俺の気分を何とかしてくれ!!!!)とかなんとかいってさ。病気だろこれ。
保育園でもそうなんだよね〜。怖い先生がいて子どもたちがピシッてしてるとできる先生みたいに言われる理不尽さ
萎縮しているだけの人とセルフコントロールできる人との違いは何かというと、いかに融通が効くか、いかに応用力が高いか、いかに臨機応変かという点、つまりはいかに「合理的」なのかという点に表れると思う。
思考停止して、「これは駄目だから駄目」と頑固な意見を示すのか、「そもそも何のためにこれがあるのかというと、それはこのためだから、この場合に限っては良い」と柔軟な意見を示すのか、みたいな。
@@double_Yukipo虐待だけでなく
他者からのいじめ、パワハラも同様に
人を萎縮側に追い込む行為なのよね
学生時代から社会に出ても
20年以上いじめパワハラ漬けワイは
すっかり萎縮側よ…どう考えてもわからんもん人が
薄々感じてはいましたけど、叱るって頭の良さが本当に必要ですよね
相手のためにならなきゃただの八つ当たりだし
ADHDの兄は両親がいくら言葉で伝えてもストーブに手突っ込んだり窓ガラスに頭突っ込んだり出先でどっかいったりするのでよく父にぶん殴られて怒られてた
今思うと暴力で恐怖を与えとかないと命に関わる場合が多すぎたんだと思う
あれはどうしたら良かったのだろう
そういう言葉等での意思疎通が余りにも難しい限りお医者さんでも無い限りは体で多少覚えさせる手段取るのも致し方ない気はしますね
パワハラの判定は「相応かどうか」であるらしいから、そういう点で言えばよかったんちゃう?
同じことを思いました。ASD疑惑の娘のおかしな言動ににひたすら怒鳴りつけてる親を知ってるので…。
危険に対しては理解してもらうまで繰り返す、という手段がとれないんですよね。一発アウトなんで
誰に対しても一度の説明で確実に理解してもらうことって多分不可能だと思うので、理解してもらえない場合かつ危険に近づけたくないって時はどこまでの手段が許されるんでしょうね
倫理(本人の意思の尊重)と生命(身の安全)のどちらを優先するかといえば生命優先ですよ。
教育ではないけれど電線に触って感電している人は蹴り飛ばしてでも引きはがす。
救急の現場ではろっ骨を折ってでも心臓マッサージを優先する。
ただ、障害や病気で特異な行動をするというのは傍から見れば異常でも本人からすれば一定の法則があるんです。
まずはよく観察して本人と対話をしてパターンを把握する。
その上で安全な代替行為を提案して危険性を減少させるのが基本ですね。
時代からしてしょうがないとは思いますが、今で言えば挙げられている一部の例は虐待判定になると思います。
元被虐児だけど、父親が家仕事で激務だったので恐らく締め切りに間に合わない時とかにゴン!スパン!てされてた けども一切会話はなく(元々喋らない人)はぇ〜こういうコミュニケーションなんや〜😮と学んでしまい、学校で挨拶がわりに殴りかかるモンスターと化してしまった…
呼び出されみんなこうじゃないの?と聞くと学校は一変、親に出るのは怖かったらしく何だか守られて過ごした 先生たちの情操教育あって5年生くらいでようやく理解、お友達ごめんね😢となったが、それを理解したが故に父親の暴力を怖いと思い出しはじめて怯えるようになった… むずかしいね
生活してきた環境によって、常識って本当に変わるよね……
これホントに可哀想だね、今は治って良かった
親のはしっかり虐待だったけど先生は躾だったね
字面だけ見るとバキに出てくる家族関係みたいで草
「言ってもわからない子供には暴力ふるってもいい」って弟に言われた時に感じた不快感が一気にスッキリした気がします。
そもそも子供に対して暴力で叱るのはって本当の最終手段だと思う。犯罪レベルの場合とか。
それを言ってもわからないからって理由で多用しちゃうと子供にとってはあまり良くないよな。
親が虐待と躾をめちゃくちゃ混合してくるタイプだったからこの説明すごい分かりやすかった
むかーし母親に往復ビンタ&ゲンコツ&めちゃくちゃ怒鳴られたことがあるけど理由が
・テーマパークのプールに飾ってあった船の下に隙間があり、そこを通って遊んでた
・車の修理?点検?してた人を見て自分も車の下に入った
っていう今考えたら死んでもおかしくないことをしてた時だったから、あれは今でも躾として感謝してる
自分的に「言い聞かせてもわからない年頃及び性質」だったのもわかってるからあれは躾として感謝してる
多分貴方の事例では殴ったこと自体はどちらにとっても重要ではなくて
本当に危険で本当に心配だったという感情の強度を伝える手段としてその場では妥当だったという非言語的な理解が両者の間でが共有されたから結果的に叶先生の定義での躾に収まったんだと思います
「怒る」と「叱る」の違いが分かってるかどうかの話に近いねぇ
自分の為に怒る、相手の為に叱る。
相手の為の躾、自分の為の虐待…
正にそれそのもの。
子どもの為子どもの為と口では言っていても、いざ、子どもがどういう時にその教えが役に立つのか訊いてみた時に理路整然ときちんとした理屈がある説明ができないのなら虐待。
うまく動かない機械をとりあえず叩くのと一緒ですね。子供はどんなことでも学習しますから良いものでも悪しきものでもそこから何かしらを学ぶわけです。
私も親には「コイツは息子という存在があってそれが自分に従順であればいいと考えていて、自分という個人には興味がないのだ」ということを学習した結果、そんな親に人として興味がわかないことに気づき、分籍を済ませ家を出て早20年が経ちました。
多分あなたのご両親も、それが望みだったと思いますよ。うまく自立できて大成功ですね。
子の苦しみを何とも思わないやつは元から親じゃないよ
きっぱり別れられて良かった、よく頑張ったね
直接的な虐待という虐待はされてないけど、ウチの親は「時間が経てば勝手に自立する」と思い込んでた節がある思考してるな〜って。
まともな躾もされてないし、というか理解できない人種に、放任主義というか放置というか、人間として必要な倫理や礼儀や言葉を受け取った試しが無い。
自分も相手からの礼儀とかどうでもよく感じたり、自分もできない。
自分も母親から言葉の暴力を受け、かなり大人になるまで自分軸がなく周りの顔色を伺う人生でした(家庭内に「ありがとう」「頑張ったね」「大丈夫?」などいたわりの言葉やねぎらいの言葉はありませんでした)。
幸いこれまでに尊敬できる方達とも出会い、また心理学も多少勉強したことで、今なら境界線をビシッと引き「それは、お母さんの課題ではないですか?」と言い返せるのですがw
「躾」と「虐待」全く別のものではありますが、かなえ先生のように言語化するのはなかなか難しいですね。
お母さんがただただ凄い😂
なかなかそこまで合理的に叱れる人はいないのではないかと思う。
サムネみた時点では、大雑把に『子供のために叱るのがしつけ』で、『自分が気持ちよくなるためにキレるのが虐待』って認識だったけど
この先生の切り抜き見たらめちゃくちゃ丁寧に言語化されてて、頭いい人って凄いんだなって改めて思った
親から虐待を受けた兄弟です。
弟は親から敷かされたレールと虐待により 自己判断能力が欠如した結果 社会人になる直前に自ら……
自分は小さい頃から 反面教師にして ナニクソと思い生きてきたので そのような結果にはなりませんでした。
しかし 自分は30歳の時に結婚は絶対しないと心に決めました。
虐待により大きな弊害は出ましたが 親は弟が自ら…… でさえ 反省しませんでした。
怖いものです。
お辛かったですね。
悪人は自分のやった行いを開き直るし何が悪いのかすらも自分が世界の中心だって思ってますからね…
腑に落ちました
躾は身を美しくすると書きます
セルフコントロールできるようになれば身を美しくできるのでしょう
子どもはいずれ大人になって自力で生きていく一人の人間
一時の感情に流されるのではなく未来を見据えて合理的に接する……難しいけど大事なことですよね…
かなえ先生の考えだと境界線を「目的から考えれる手段」だけど理解できない、困ってる人は「やることの程度」だと思ってるからなんだろうね。僕も正直これ見るまで困ってる側の人だったけど理解出来たし納得出来た
私の母親の場合、私は子供を叩いてもいいけれど他の人が虐待してるのは許せない!と言ってくる謎めいた人間で、私が算数の問題を解けなかったり、時計が午前と午後分からなかった時はお腹の大事な部分を蹴る踏んづける、髪の毛を引っ張るお酒をかける、なんてことはしょっちゅうでした。「確かにママは怒ってきてもなんで悪いか、どうしたらいいか提示せずに怒ってきたなぁ」とかなえ先生の動画を見て思いました。手を出したら虐待って考えはもっと世の中に広がるべきだと思います……!中には虐待されてるって気づけず、自分が悪い子だからと苦しんでる子供もいると思うので……
親に殴られて 喚き散らしてたら
自分が悪いのだと思ってました。
理由も分からない( ̄▽ ̄;)から
どうしようもなく、ただ黙って言う事聞いて殴られるままに
人形のように心を閉じてました。
そんなん絶縁じゃ!!!!
大変でしたね…😢💦💦
ずいぶん御勝手なご母堂だね。
もしかしたらご母堂はそんな教育をされてきてマですさんに変な対応(虐待)してきたかもですね。マですさんはとても優しくて偉くて賢い方だと思います。たくさんの矛盾に苦しまれてきたと思いますが、今は幸せだったら個人的に欲しいです。
@@野良人昏人
ありがとうございます!😭
今は大学生になり一人暮らしをしているため、昔より虐待は減りましたが代わりに実家にいる妹が受けているみたいです…(私としては自分に容姿を侮蔑してくる妹は半分どうでもいいかなぁ、とは思ってる薄情者ですが)
@@マです そうなんですね!それはよかったです。
p.s.妹さんが虐待を受けてるんですね。人のことを馬鹿にする馬鹿者は助けなくてもいいと思います。
でももしその虐待に腹を立てているなら妹のためではなく虐待に対して怒るというのはいいことだと思います。妹が相当に精神がまいっておかしくなり始めたらご母堂からこう離れて自立するように助言とかアリだとおもいます(当然馬鹿にしたことを許さないし謝れと釘刺すのは大事です)
この定義だと、虐待者はなんでも躾と言い張るだろうなあ。
全く同じ事を考えてました
定義の定規が躾する側にあるので
自分に都合の良い認識をするためになんとでも言えてしまう
何やっても許してもらえる魔法の言葉「躾」
私の笑い声がうるさいと言って殴ったりそれで泣いたら泣き声がうるさいと家から締め出していた父親はお前のために怒ってると言っていたけどテレビで見る虐待の話にはこんなことする親がいるなんて信じられないと言っていたから正しく躾のつもりだったんだろうな
これは虐待を開き直ってやってる奴に対する提言じゃなくて虐待になるラインが分からない人のためのアドバイスだからね
実際虐待認定される時は親の考えなんか関係ないわけだからこれが定義ではない
虐待者に定義なんて最初から無いよ。
自分の為に八つ当たりしてるだけだけだから。
人に迷惑かけてはいけない、犯罪に関しては殴ってでも殴られても止めなきゃいけない話なんで。
親目線で躾は理性的、虐待は感情的とも言える。
私の親の場合まず叩く蹴るの前に何故ダメなのか、やってはいけないのかを「言葉」で丁寧に教えて欲しかった。
それでもダメなら仕方ないけど…
大人になってからあれは教育という名の虐待をされてたんだなと理解した。
虐待は親側の依存なんですよね
虐待によって築く関係は子供としか築くことの出来ない特別な関係性で、親はこれがないと生きていけません。
かつて毒親論へのカウンターとして「子供はゆるす天才」というキーワードがありましたが、虐待を是認しているにも関わらず改善を目指さない姿勢が奇っ怪で記憶に残っています。
自分が親に求めた承認欲求を、逆に自分が親になって子供を持ったという支配的立場に置き換えて満たそうとしてるんすよね。
親も子も物でしかない。
@はなしがつうじないオンボロ
虐待連鎖論というやつですね。
どうだろうな……、自分は虐待されたから虐待するというのにはあんまり賛成していません。
ここに書くのも気が重いですが、虐待は恐らくする側にとっては快楽なんです。
楽しく心地良く、各種暴力で子供を傷つけることにかけがえのない絆を感じてしまう。
いけないと分かっていてもやめられず、果てには子供に無限の許しを強いる訳です。
この考えを否定する方は数多いましょうが、快楽虐待と呼べるものがあるのではないか?と自分は強く疑っています。
ああ、なるほど親がなんでダメなのかを子供に説明できなかったからうるさいって叩かれたのか
自分の未熟さを子供に悟られたくない
↓
自分の立場が崩れかねない
↓
💪( ᐛ)パワァァァァァァァァァァァ(虐待)
最後の家庭内税務調査の話めっちゃ驚いた。大声で騒いで蹴るのが親の怒り方じゃないなんてなんか別世界みたい。
私の母は根は良い人ではあると大人になって思うけど、
ヒスして自傷行為止めたり叩かれたり物投げたりと毒親でした。
親の精神的問題を当たられていたんだなと動画見てて思いました。
中心は親であって躾ではなかったな…
成人した頃には私が精神病になりましたが、自分の問題として人に当たらずにきちんと対応していきたいと思います。
それはしっかり悪い人だよ
やってスッキリしたら虐待、言った事を理解してくれてるか心配になったら躾でしょ多分
こういう話は、聞いてて「自分は親になっても絶対虐待なんかしない」と思って聞いちゃうものだから、こうやって顧みるためのヒントこそ大事なのかも
理性的な親でいいなぁ…
躾と虐待の違いは
「躾と称した行動に納得のいく説明ができるかどうか」だと思ってる
自分は親父に叩かれたことがあるけど、「自分がされて嫌なことをすると返ってくる」「道路への飛び出しは命に関わる危ないこと」って理由があったから、歳を重ねるごとにその理由に納得できた
ただ、理想としては「話して理解してもらう」がよくて、
今回のマシュマロの人はまさにそれで、親が会話する人だったら暴力も締め出しも起きなかったと思う
これは「俺の子供の頃は〜」とかのやつだから、時代がね……
かなえママとパパのコンビ、やっぱ好きやわw
そしてかなえママの説明の仕方分かりやすくていいわ、大人の自分もそういう風に説明してくれる上司だと助かる
かなえ先生の考え、とても同意です。
そして「感情的に怒るのはしょうがない」と言って、自分の心を守るお母さんが本当ーーに多いです。
私も親や教師から躾ではなく虐待を受けて育ちました。こんな不合理な見本を見せられながら育ったら子供は同じ大人になると思います。
子供が親からみて「?」な行動をしたら、「何でこの行動をしたのか」を知ろうとして欲しいです。子供なりの理由がありますし、ストーリーがあります。それを頭から自分の考えを押し付けるのではなく、境界線を引いて、聞いて、子供と一緒に考えて欲しいと願います。
経済的なのか精神的なのか、「私に余裕を持たせない旦那や子供や社会が悪い。感情的になるの分かるよ〜」とお母さん同士で慰め合うのも悪くないですが、それと同時に旦那や心理カウンセラーを頼ったり、一人で楽しめる趣味を見つけたり、自分を守る方法を自分でも探してみて欲しいです。
こんな考えを持っている私は、かなえ先生とお母様と同じようなタイプの子育てで、感情的になって叱った事はありません。でもこれは本当にレアで、ママさん達からは「変わったお母さん」になってます。まぁ、いいですけど笑
9歳差の妹がいて月齢半年以降は母よりも関わってきたといっても過言では無いほどお世話をしてきて感情的に怒ることは滅多にないですが、お出かけの際に事故に繋がるような行動をした時はさすがに最初の一言は感情的に言ってしまうと思うんです…😅(自分がそうだったのでそうなる人が多いのではないかと思いました。)
@@あかさたなは-q9xとても素敵なお姉さんですね!
子供の身の危険は感情的になって自然だと思います。過度に長時間ではなく、最初に「危ないでしょ!」と大声で言っても、後で、「あなたが車にぶつかったら悲しいし怖くて大声を出してしまった。ごめんね。危ないから車道には出ないで欲しい。いいかな?」と大声を出した理由を話したらOKだと私は思います。
すご〜い
ついね、生理前とかイライラしてるときとか強くあたっちゃうのよ
ごめんねえ〜
めちゃくちゃ自分を誇ってほしい
最高の保護者
あなたのように立派な方が「変わったお母さん」扱いになってしまうのはとても嘆かわしいですね
あなたは「変わったお母さん」ではなく「手本にすべきお母さん」なのに
叱って育てるのも褒めて育てるのも見下しからくる行動で、そうやって育てられた子供は行動基準が怒られない為、褒められる為になって主体性を失うってアドラーがゆってた
昔見たさよなら絶望先生って漫画で子供が納得する暴力、それが躾だとあったなぁ
>>教育・躾は子どものセルフコントロールを身に付けさせるために行う事
完全にその通りだと思うけど、これをやる親がセルフコントロール出来てないからダブスタを子どもに指摘されて結局怒鳴って支配しそう
子は親を映す鏡というけど、親もまたそういう親に育てられてそうなっただけだったりするんだよね
これは親と子供だけでなく社会に出てからも一緒ですよね
この意識がないとパワハラの自覚がなく人を怒鳴り付ける
少し以前、体罰を良しと公言し実際にしている教育者がメディア出演されてて「なんでこの人はこんなにも胸を張って言えるんだろう」と感じて、ただその違和感を抽象化出来なかったんですが、この動画を見て腑に落ちました
ありがとうございます
私の両親も凄いいい人で、真面目で優しくてだいすきなんだけどなにか気に入らないことがあるとイライラするのがすごい怖かった
例えば母の宗教関係でお祈りしに行くよって言われてそれに対して嫌だ・めんどくさいなんて言ったらもうその日はずっと不機嫌。父も何かイライラすると大声出したり舌打ちしたりして、どうにか怒らせちゃいけないからずっと顔色伺ってた。別に殴られることもないし、ずっと叱責されることもないけど、ベランダに出されたことはある。
でも憎めない。不思議だね
かなえ先生のお母さんのムーブが何処か、かなえ先生のムーブを連想させて、ちょっと笑ってしまった。
自律神経失調症や鬱病を親に「甘え」「根性が足りない」とネチネチ言われ続けたのが辛かったな。
体罰ではないから本人は理性的で合理的な正しい躾だと思ってたんだろうけど。
自分がしていることが躾ではなく虐待だと自覚できる虐待親は少ないと思う。虐待ではなく躾だと言い張るし、言い訳ではなく心からそうだと思ってるだろう。
境界線は合理性の有無だと言われていますが、そこが躾と虐待を簡単に区別できない理由です。
合理性は目的と定義が定まってないと正しく機能しないものです。
一方、人生は「人間万事塞翁が馬」という言葉にあるとおり、正解が分からず、人により価値観が異なります。
つまり人生における目的と定義を教育段階で確定させることはできません。言い換えれば教育の合理性を論じる事はできないということです。
なので教育課程において厳密には虐待と躾を区別することは不可能です。
動画の途中にもありますが、すべては結果論になってしまいます。
例えば殴られて結果良かった人がいれば、殴られて結果悪かった人もいます。前者にとって殴ることは躾。後者にとっては虐待です。
例え、親が虐待の目的で暴力を振るっていても、それが子供にとってプラスに働けば躾になるということです。
ではよく巷で話される躾や虐待とは根拠のないものなのかと言われるとそうでもありません。
矛盾して感じるかもしれませんが、「現代日本における通説に基づいて人生における一般的な目的を定める」のであれば、なんとか躾と虐待を区別する事ができるからです。
この動画で語られている内容は正にこれです。
私達はあくまで「一般論でいうと虐待か躾か」を論じているのであり、それが1事例だけをみて、本当に当てはまるかどうかは、人生を歩んでみないと分からないのです。
まとめると躾と虐待を区別することは、統計的には可能ですが、一人ひとりの個人を見たときには不可能ということになります。
つまり世のすべて親は「一般的にはこれが正しい躾だ。でも、我が子にこれが当てはまるかは分からない」という状況で教育しているのです。
これが躾と虐待を区別することが難しい所以です。
子供に伝える力が親には必要ですね。医療ではインフォームドコンセントに近いかな?
子供のためだからと言って子供が分からないまま決定したり、嘘をついたりするのはダメだっていう話は小児看護で習うけど、親にも必須の能力だね
かなえ先生のお母様のお話めちゃくちゃ好きなんですけれども、このお叱り方法ってお父上が一般通過の感情的になってお母様がFBIの理性的であるからこそ成り立ってる感じがします
家族内で役割分担が出来てて、例えば父親が厳しく叱ったら母親は優しく諭すとか、どちらも叱るのではなくて片方が寄り添うとか、そういうのが教育には理想的なんじゃないかなあとか思いました
そう言う事するとな
怒った方の親が「良い格好しやがって!」とか言ってブチキレて夫婦喧嘩になるパターンもあるんよ
それでも口先だけでは「恨まれても良い」だの「鬼にでも悪魔にでも…」とか言ってくるから正直怖かった
知り合いの虐待経験者はね、母親に包丁を突きつけられた上で酷いことをいろいろ言われたそうなんです
でも本人はそれを「世の中の厳しさを教えてもらった、してもらってよかった」って言い張るんです
だからかなえ先生の簡略化した方の定義(してもらってよかったと感じるのが躾)は全く意味をなしてないですね 虐待被害者はそういう風に脳内で認知を書き換えて、虐待でしかない行為すら美化することがありえるので
かなえ先生のお母さんみたいに一から十まできっちり論理的に説明してくれる親御さんってすごい新鮮だし羨ましいですね
うちの両親はすべてではないけれども、半分以上は感情的になって理由をあんまり説明してくれなかったので
結果としてどうして怒られているかわからなくて学習性無力感っていうんですかね、なにやっても嫌われる怒られるって感覚が強くて何もできない大人になっちゃいましたね
なるほど、だからパワハラ受けた時父親に叱られているのと区別が付かなかったのか(どっちも言葉での説明がなかった)
感情論ではなくて理論で子供が起こした問題に対して適切に怒る、躾けるを徹底されてるかなえ先生のご両親は良識のある素晴らしい方々なのだと感じました。
かなえさんの親御さん理知的すぎやろ……マジか…
母親せいで人の顔色伺って生きてきたけど
母親○んで2年でやっと自分が戻ってきてるけど
根っこは変われない……生きづらい……
これ産婦人科で流して欲しい
人の顔色を伺うのは処世術だから無闇矢鱈に捨てるとか考えなくていいと思う。やばい・怪しい奴だと思ったら距離を取る、機嫌を伺えば少しでも長く生きられるし。
辛いと思うけどその処世術をむしろ今後の人生に利用してやる!って意気込みでことに当たるといいと思う。これから少しずつ、ほんの少しずつ言いたいことや伝えいことを恐れず言えるようになるのは人を尊重する気持ちと自分を愛しているっていう自信が必要で、これらが両立していけば自ずと生きやすくなれると思う。
もし辛かったら病院の先生とか専門家に相談してね。なりたい自分になれるよう、応援してます。
個人的には躾は必要性が他者に説明可能で理性によって行うもので、
虐待は理由に対して過剰あるいは説明不能で感情に由来するものだと考えます。
子供の為っていう匙加減もその人次第だし、
虐待受けて育った人が他に躾け方が分からないからって振るう
子供を思っての攻撃は虐待にはならないのかってなってしまいますから。
それはそれとして先生の親御さんの怒り方素晴らしいな。
特に全否定しない所と、説教する理由と自分の思う所を明快に認識させる所。
こどもの頃、父親にたびたび「歯ぁ食いしばれ」って言われて
ビンタされてたけど、『殴られた』『痛かった』『悲しかった』
って事しか覚えていなくて、『何で怒られたのか』ってことは
まったく思い出せない。
だから暴力は躾になってないんだよなって腑に落ちます。
自分が親になって今、我が子に同じことを繰り返してしまいそうで怖い。
虐待か躾か、自分の行いを自問自答出来る時点でその親御さんは少なくとも最低な虐待親では無いかな、とは思います。
親も人なので100%正解の育児なんて出来ない。でも、あれこれ試行錯誤しながら子どもと一緒に育って親になっていくわけなので。
あまり難しく考え過ぎず…
将来的に私が死んだ時、子どもに「何だかんだあったけど良いオカンだったな」って思って貰えるように頑張ってる2歳男児母です笑
私も今2歳の娘を育てているのですが。
かなえ先生の話を聴きながら、うわー、自分の言い方感情的になってる時もあるー💦感情的に怒るのって虐待では?!とか色々考えちゃってましたが、あなたのコメント見てそうだよね、初めて親になったのに、100点満点な育児は無理よね、と思いました。
ありがとうございます、私も死ぬ時に何だかんだ良い母だった、と思えるような育児しようと思いました😢
大人だから口で説明できるとは限らないと思います。
怠惰や悪意では無く、親の能力や特性によっては、言葉で説明する事が困難であるから、出てけ!帰ってくるな!と言ってしまう場合も有ります。
それも親側の問題である事に変わりはないですが、親としての能力が不足していても、親になれてしまう世の中なので、こういったパターンも多く存在していると思います。
親に恵まれなかったと思い切れたらどれだけ良いだろう
ちょっと共感w
そうならば自分の課題と向き合わず、さっさとこの世から消える事ができたのに。
なんて昔思い詰めてたこと思い出したやw
初視聴です。なるほど納得です。私は小さい頃から親や姉の顔色を伺って、いろいろ選んでいたのですが。成人してから、自分が好きなものを選ぶという事がとても大変です。今、好きなものを選ぶ時も姉の顔がチラついて、本当に好きなものを欲しいものを選べません。
難しい問題よね
時間かけて確り教えられる時間的な余裕があればそうなんだけど、人によっては仕事から帰って家事こなしてその合間に教育だからね
金銭的にも精神的にも余裕が少なくなった現代人だと難しい人も多いと思う
毎日同じ事で叱り続けて言い続けてると
ある日怒鳴ってしまう…
自分でも駄目なのはわかってるんだけど
やらなきゃいけないタスクがいっぱいでコップから溢れて怒ってしまうんだよね
もっと良い親にならなきゃと思いつつ失敗の日々です。
ちゃんと叱られて育てられてきた人は
親御さんが素敵な人だって
すごいことなんだよっていつかわかって欲しいなぁ
子供の頃親に結構ビンタされたりゲンコツされたりした覚えあるけど全然親を恨んでないのはそういうことなんだなぁ
俺も小学生のときに親に怒られて夜中に家の外に出されたけど、夜に一人で外出れるの初めてだったから家の前の公園で親が迎えに来るまで遊んでたよw
今思うと神経図太すぎるw
以前、私がさせて頂いた質問です。切り抜いて頂きありがたいです。
精神科や福祉のサービス等を利用するようになり、日常生活に安堵感を持てるようになりました。
躾のつもりで虐待ってのも多いと思いますね
俺の親は「できないのは手抜き」が口癖だったので、何度やってもできないと吹っ飛ぶほど殴られりした
結果却ってできなくなって、というループだったんだけど
躾って丁寧にその子の知能レベルで分かるように説得する必要が有るので時間も気力も結構かかるんですよね。
我が家でも取り調べ方式で話し合いを行っているので、子供たちからは「母を怒らせると面倒臭い」と言われます😅
なぜその行動をとる必要があったかを知るために言い聞かせる前に言い分を聞くことだけは忘れないように心掛けています。
私自身は、ダメなものはダメだ!ウオラァァァ!!と殴られ真っ暗な廊下に正座させられ育ってきたので負の連鎖は食い止められたかな...などと安堵しています。
成長しきってみないと正解かは分かりませんが、これからも理解度を深めて母業を頑張ろーと思える動画の内容で救われました。
いいね。うちはなんで怒られてるのか当てようゲームを多いときはほぼ毎週開催されてたわ。小学校で部活の先生もなんで怒られてるのか当てようゲームやりだしたときはまじでw
今回の先生はものすごく言葉選んでるなぁ…
親から受けた事のある暴力で今も印象に残っているのは
父から受けた少年野球での指導と朝食を食べるのが遅くて残りの味噌汁を掛けられたこと
前者はなぜ叩かれたのかはもう忘れてしまったけど後者は今もというか年齢を重ねるごとに「味噌汁を掛けられた」という記憶が強くなっていってる
掛けられた理由は食事の後片付けが出勤までに間に合わなくなるからそれに腹が立ってやったと解釈してるけどぶっかけた後の片付けの方が時間掛かってたんよな
食事という常日頃から行う行動の際に起こった出来事だから食事に関連づけられて覚えてるだけもしれんけど
1:34 ここの「これは後で買うんだよ」は必ず実行しましょう
親からしたら場をおさめる言葉でも、子供からしたら約束です
そうですね。もちろんそうやって「躾けられて」きたのだから教えられた通りに親ににはお返ししないと
目には目を
歯には歯を
毒には毒を
暴力には暴力を
@@Espresso_Man-u8k
人に暴力を振るう事は、確実に人の何かを壊します。親にした事を自分の子供や友人、大切な人にしてしまうリスクも高いです。かなえ先生がよく言っていらっしゃる怒りに執着してしまう状態を長く続ける事にもなります。
あなたの人生を大人になってからも親にめちゃくちゃにされないためにも、介護が必要になる前に離れる事をお勧めします。
@大沢透-b3k 既に家を出ている上に
頭の中もめちゃくちゃにされている
それでも恨み怒りを忘れて生きろよ、と
体験したこともない人は言う事が同じ
話は理解出来るが前半の綺麗事は要りませぬ
@@Espresso_Man-u8k
名越先生のchで言ってたけど、恨み怒りにとらわれている方は、その自分を許してあげてくださいって言ってましたね
私も同じ状況で、親に対して怨んでたし、復讐心に燃えてたけど、名越先生の
『自分を許してあげてください…そして自分の時間を大切にして』
(だったと思う 細かいニュアンスは忘れてしまいましたが…)
で、救われた気になりました
楽になりましたね
ま、気が向いたら探してみてください
お体大切に、よい人生を
@@reifon9th
名越康文先生の動画はよく知ってます
素晴らしい✨感動しました。
うちも同じ方針で育てています。私が下手なだけかもしれませんが、恐怖や苦痛で教える訳ではないので凄く時間がかかります。発達障がいがあり周りの子よりも幾段も心の発達がゆっくりで『これで良かったのかな…?』ってずっと悩んできましたが、今日『これで良かったんだ!』って思えました。
かなえ先生、ありがとう。
まぁでもこれ、子供側にも一定の理解力があるのが前提だよなと
かなえ先生のお母さんめちゃくちゃ頭いいんだろうな
何がダメなのかを分かりやすく指摘してるし、150円が欲しいならあげるっていう余裕と優しさもある
6:12
ここが虐待の本質だと思う
ですね
虐待は親が子に依存しながらも利用する形で発生するストレス解消です
これかなえ先生が言ってくれると思わなかったのでちょっと感激しました
11:48 「俺も動揺しました」って言い返すのクソガキムーブ過ぎるけど、なんとなく身に覚えあるわ笑笑
大抵は言葉で説明してくれてたけど、本当にどうしようもないぐらいの悪いことをした時に親にぶん殴られたのを思い出しました。
もしかしたら自分が変わってるのかもしれないけど、あの時の拳は後からでもありがたかったと思ってしまう。将来の自分の子供には何が悪いのかを説明していこう!って思う良い動画!わかりやすい!
最近悩んでて、たまたま出てきたから見てみたけど自分の親は虐待してるんだ。って理解できて少し安心した。
子供の時には自分ではどうにもできないことを止める(食事を作らない・家から出す・習い事を辞めさせる・受験等親の名前が必要な時に名前を書かない)と言われて謝罪するように求めるのが親の「躾」だったように感じます。今思えば親自身もそういう育てられ方をしたのかそれ以外に方法が分からなかったんじゃないかなと思います。一方で、親になるには早かったのではないかとも思います。
すごく理想的で美しく素晴らしい考えだと思う。
ただ子供に対して説得という行動で自制心に期待するのは現実的ではないと思う。
そもそもその説得を理解できる合理性、世間体、暗黙の了解を解する力が育っていないから。
その通りですね。言われたことを素直に理解できる人ばっかりじゃないですから。だから好きにしたらいいんですよ親も子供も。自分がいいと思うようにやって、酷い目にあってやっと学習するんですよ。バカにつける薬はありませんから。
同じことを、自分の友達、もしくはその子供相手に出来るかどうか(するべきだと思うか)、だと思ってる。本当に相手のためを思っての行為なのであれば、相手が誰であっても同じように叱責すべきだし、逆に「いや流石にうちの子以外に同じことやったら怒られちゃうからダメだよ」って思うのであればその暴力に正当性はない。相手が自分に逆らえない弱い立場だからこそできる暴力は、100%虐待。
ろくに躾されてない親が子供に躾しようとして虐待してると思う
線引が凄くわかりやすい
なお、子供を支配したいという大人の感情は、大人本人にも無意識にある場合もあるかもしれない
子供もまた親を育てるっていうのは、親自身の心にも自分で向き合って律しなければいけないっていう意味でもあるのかもね
私の親がしてたことは虐待だったのか、とずっと悶々としていたのですが
やっぱり虐待だったな〜と気持ちを落とし込むことが出来ました。
明らかな支配でした。
今でこそ仲は良くなったけど、未だにフラッシュバックするのがしんどいです。
おばあちゃんになったら治るのかな〜
結構叩かれたけど、当時も今も納得してる
うちはずっとやられてて、昔から今までずっと
「絶対いつかぶっ潰す」とか考えてたのに、いつの間にか自分もでっかくなってしまって。
いざ相対すると自分の親が人間的に弱いのがよく分かって失望したな。
正直、頑張って一緒に住むために親としてここだけはって感じにいい所探して尊敬を少しはしてたんだけど、それもなくなると
「こんな弱いやつに今までコケにされてきたんか」ってただただ悔しいというか、ここで復讐してもやってる事は過去に親のした弱いものいじめとおなじだなって感じて色々気持ちの行き場が無くなったな。
元からあった復讐心(?)みたいなのもあってか、他の人にもこんな思いをさせないみたいなこと思ってても親みたいに自分もやってしまうのかなって不安はすこしあって怖いな。
報復を考えても実行に移さなかったなぁ
怒りを飲み込むとかじゃなくやってもそれ以上に面倒臭そうだから
小学生くらいのときかなぁ?
中学辺りから多少減ったからそれを考える機会も減ったな
逆に、躾をきちんとされたから虐待っちゅーもんがよく分からん
やはり子供が子供を産むと教育なんてままならんもんなんやなって
合理と不合理という回答、目から鱗でした。 自分自身の回答として、そこに愛を持っているかどうか、を基準にしています。私も軽くはない虐待を受け成長し、親にそのことを言うと、あれは教育だった、といわれますが、絶対にあれは虐待だったと今でも強く思っているからです。
痛い目にあわないとわからない子ってのも居るには居るけど、その痛い目が衝撃的すぎると、もう恐怖しか残らなくなるのよね
よく言われるけど、「怒ると叱るは違う」
何がダメなのか、なんでダメなのか、心に残らなきゃ何の意味も無い
親が痛い目に合わせなくても、本当にその子供が悪いパターンなら手を汚さなくても生きてるだけで痛い目に遭いますよ。どこかで必ずね。そうやって酷い目にあってバカは学習していくしかないと思います。頭の発達してない子供相手にわざわざ鼻息荒く手を上げて自分を汚す必要はないと思いますね。
まあ、子供の事情(躾)か自分の事情(虐待)かだよな。
ってか、体罰が躾になるケースなんて相当レア。例えば留年積み重ねたとか、それこそTVに出るような事件しでかしたとか…💦
叱らない教育(笑)が優しい虐待になるのはこの合理性が無く親の都合でやってる私情でやってるからと言えるか。
叱らない教育でもちゃんと学ばせる、諭すなり出来てれば問題無いけど大体が学ぶ機会を奪ってる、諭さない形になってるんだよなぁ。
セルフコントロールを叱らないで学ばせるとかぶっちゃけ高等な教育方法だろうに誰もが叱らない教育(笑)をやってるのはマジでどうかと思うわ。
虐待する親も優しい虐待する親も本質は変わらんのな。子どものためというのが建前で自分のためにやってるに過ぎない。
子供の頃って自分が悪いことにして家庭という社会に迎合するので、親のやったことが躾の度を越えた暴力と支配だったとしても、大人になってもずっと、自分が悪いのでは?と考え続けてしまうんですよね。自身の心と向き合って生きづらさが抜けてきても、その考え癖ってなかなか最後まで抜けないので、かなえ先生今回のコメント今後、とても役に立ちそうです!
要は虐待は大人が子どもを支配することだとしたら、躾は子どもに「子ども」を支配させることなのかな?
自分自身で考えられるようにさせるのが躾なのかな?
動画内で最初の方にそう言われてますね
@チェレンの ありゃ
暴力による躾はいけないと思うけど、
叱らないことも問題ですよね。
言葉の説明だけで理解させるのが1番だけど、自分が痛い目見ない限り絶対に反省しない人も普通にいるから難しいんだよね
だから自分の子がそういうタイプだけど厳しくしたらそれはそれで耐えられない事とかを分かってる親だと逆にどうしたらいいのか分からなくて病んだりするパターンも見ますよね
一時期テレビで取り沙汰されて肉体的身体的罰を介した躾が世間的に減ったのは良かったんだけど、痛い目見ない限り反省しないタイプの社会人本当に見るようになったので(まぁ自分の周り限定での話ですが)難しい話だなぁと思う
道徳と社会性をかなり早い段階で身に付けさせる安定したカリキュラムとかが確立出来れば言葉のみでの躾の効果も上がりそうだけど個々の感性に依存するだろうし流石に理想論過ぎるか
今思い返すと私は躾じゃなくて虐待されてたんだなぁ…としみじみ思います。(私が悪い時も悪くない時もとりあえず叩いたり殴る、暴言や誰の金で生活させてもらってると思ってんねんと何も出来ない高学年までずっと言われて、締め出しなんて日常茶飯事、締め出された時にケガしてても病院に連れて行って貰えなくて自分でなんとか手当して自己回復頼み…思い出すだけで涙出てくる😂)
高校生の3年間で病院に行ったのは5回以下、一方妹は病院も頻回・整体も毎週…言われた習い事10数年続けてて部活も力入れてて勉強も平均以上なのにケアのひとつもさせて貰えなかった学生時代😅
6:11 結論
躾は肉体、精神は教育、知識は学習(意思)と思ってる。
幼少期から今に至るまでいじめにあってたから、歪みに歪んだ自分を矯正する為に色々と考えて行動するようになってた。
その中で境界線が曖昧なところが多々あるなと感じても分けて考えたりまとめることが出来なかったりで、理解に苦しむことがあったけど
この動画で少しだけ理解が進みました。
ありがとう、かなえ先生。
小学生のころ野球チームに入れさせられててストレスから帯状疱疹になったけど、先生の話を聞いて虐待だったと判断できた
これを聞いて納得してるのは詐欺とか引っかかりそう
愛情持って合理的に虐待してる親がどれだけいるのか知らないんだろうね
すごく腑に落ちた
なるほど。
いい分析です。
「毎回同じ調整をさせるようにする」が支配
「時と場合において今回と真逆の出力も出来る様にする」がセルフコントロール
と言う話かなと理解した次第
相手のことを考えている自分、が主体になっちゃうパターンよく見ますよねぇ。
友人が、テストで満点を取らないと家に入れてもらえないっていう子だった。国立の医大に行ったけど、頭のいい子じゃなかったら更に地獄だったと思う