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日韓歴史共同研究に参加した古田博司によると、意見が対立した時に、日本側が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって 「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と怒鳴り、日本側がもう一度「資料を見てくれ」と言うと、韓国側は、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と怒鳴る。このような韓国側研究者について古田は、「民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなので、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる」、「要するに『自分が正しい』というところからすべてが始まっており、その本質は何かといえば『自己絶対正義』にほかならず、したがって何をやろうと彼らの『正義』は揺らがない」等々、批判的に評している。
そういう状況なのに、「日韓で共同研究して統一教科書を作り、双方で子供達にそれを教えるのが望ましい」と野党や自称文化人が言っている。出来るわけが無い。日韓共同の教科書って、結局それは今の韓国の教科書になってしまうに決まっている!
チャイナの中原こそが、最高の文明であり、世界の中心と考える中華思想。それ自体が机上の空論。冷涼で麦作地域の黄河流域の文化と、湿潤で稲作地域の長江文化は別物。二つを一緒くたにして中華文明とするのが間違いでしょう。その中華文明の正統な後継者と信じる、朝鮮の小中華思想が朝鮮の歴史観を歪な物にしていますね。
削除覚悟でコメントすれば、己の感情で歴史を歪めるあの半島国には憎悪しかない。
まるで駄々っ子ですね。中国人にもそういう気質があって、自分の主張を感情的に繰り返すだけで、話し合いができない人がままいます。
ロシアと最近まで仲良しだったのもわかる。歴史の改竄好きなところが似てる。
私は78歳ですが、中学生の当時、任那日本府のことは歴史で学び誰でも知っていた。
私は今年還暦を迎えますが、小学校中学校では任邦日本府は学びました。でも高校から消えた記憶があります。そして従軍慰○婦を社会科の教師に教わりました。でも、P屋の話は昔の映画でも出てきてたし、違和感が凄かったですけど。祖父は従軍、祖母は挺身隊で工場、母は防空壕まで逃げ回ってましたので、色々当事の話を聞けましたし。
アラフィフです歴史好きだったので私は知ってましたが、学校で教わらないので周囲の級友は知りませんでしたね個人的には帰化人を渡来人と言い換えることも気になります
43歳ですが、30年前の学校教育学んでました。
上記のように私も小中学校で習いました。明治生まれの祖父は、天皇大元帥閣下の命で朝鮮は日本だった俺たちは朝鮮を守ったといってました。そして文部省の馬鹿どもが近隣国協定でおかしなことになった。
60歳くらいまでは任那日本府は習っているでしょうただ、名前と場所だけですねそれ以上に高句麗との戦い、朝鮮半島での勢力争い、百済との交流、百済の滅亡、百済人の渡来、隋唐との交流、新羅との席次争いを習いましたねどうして、朝鮮半島に倭人の勢力があったのかは習わなかったですね実際、漢書、後漢書、三國志を読むと朝鮮半島に倭人の勢力があったことは客観的にもわかりますものねあと、日本は鉄が採れない、製鉄技術がないというTH-camをよく見るようになりましたが、日本の製鉄は砂鉄を使った製鉄で十分な製鉄ができていますよ。炭の量により武器用、農作業用と分けることもでき、日本刀の基礎も既にできていますよ砂金や銅を使用したもの作りもこういうところに基礎がありませんかね青銅器と鉄器がほぼ同時に作られるようになったのが日本の特徴というのを忘れると朝鮮を失っても発展が止まらなかったことの意味がわからなくなるでしょう
えっ?任那って今の教科書に出てこないの?そいつはまずいな。
出るよ
この当時、大陸や半島には日本に無い技術があったかもしれないが、逆に大陸や半島に無い技術が日本にはあったので(航海技術や金属の加工技術、勾玉等の鉄より硬度のある翡翠を加工し形作ったり磨いたりする技術など)、一概に日本の技術が遅れていたわけではない。
パワーが凄がった。かつらぎ、そつひこなどが暴れまわってた。
逆に進んでいた〜戦後GHQが、何千冊焚書😢
一概に遅れていたどころか 遅れていたのは半島の方。
古墳時代に日本刀の基礎が完成
最近は知りませんが、1990年代後半で山川出版社の高校日本史Bには任那(伽耶、加羅)の記載がありました。在籍した高校の歴史教師陣は全員左翼でしたが、当時の教科担任も「任那は倭の勢力圏または影響下にあった」と説明してました。また、加羅(カラ)は北を意味する可能性があり、倭国の中核であった九州から見て北にある地帯だからか?という見解も言ってました。
オレ、四十代後半だけど中学校のとき任那を習った。ちなみに嫁、外国籍何だけど朝鮮南部は日本が当地してたと習ったらしい
稲の種類から考えて、稲の伝播は朝鮮→日本ではなく、日本→朝鮮の可能性が高いようですね。
漢字などの大陸文化も海路で大陸→日本→半島の可能もあるね、🧐
@@EEZ-i6v流石にないだろ
DNAの解析で、弥生人は長江流域から直接九州に来たのが科学的に確定した。DNAが全て一致した。
陸稲だとしても、寒冷地用への品種改良が進んでいない時代だろうしね。
漢が滅び三国時代の戦乱で鮮卑族の北魏が統一して、以後鮮卑族が漢民族を称してエセ漢民族になり今に続いている。本物漢民族は大陸南部から日本へ逃げ日本に同化、例えば秦氏は秦の始皇帝の子孫であり天皇の家来になっている。つまり、漢民族の正当を伝えているのは日本であり、今のエセ漢民族は漢字を発明した民族ではない。中国語で食べるは吃というが、これは鮮卑方言で、古代漢民族は日本と同じく食を使っていたそうだよ。
中国の史書に「任那」の地名が記されている。 倭国王が百済、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓等を支配していると名乗り、宋王朝が認めている。
@daisuke5755また根拠のないことを言う。朝鮮の方ですか ?広開土王碑の時も日本書紀の時も全く根拠のない憶測でいちゃもんつけてましたね。
@daisuke5755そんなわけない九州にも円墳や方墳などあるけど、その地域で一番大きな古墳はたいてい前方後円墳。前方後円墳は大和朝廷の支配のシンボル倭の五王の時代の古墳も大きなものはやはり前方後円墳。つまり九州は大和朝廷の勢力圏だったってこと
@@RK-py7lv 寧ろ朝鮮側の人にとって「歴史上、気に喰わない指摘」をなさっておられるのではないでしょうか?
宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部の軍事司令官に任命された。隋書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。三国史記「新羅本記」・・・・新羅は何回も王子を人質に差し出している。新羅王の4代目王は倭国からやって来たと書かれている。倭の勢力が頻繁に来襲し、何度も首都を包囲された記述が書かれている。三国史記「百済本記」・・・・百済は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。日本書紀・・・・・・・・・・391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある(三韓征伐)。梁職貢図・・・・・・・・新羅は倭の属国。
白村江の戦い唐vs日本
任那の歴史を消し去る方が歴史修正主義だと思います
安倍晋三みたいに朝鮮に従う連中からだ。
韓国も歴史学後進国。
30年前に中学校の授業で習いました。先生の説明としては伽耶、任那は朝鮮半島の日本支部と説明を受けました
1994年時点でまだ正常だったのですね。バブル崩壊後に徐々に日本が壊されていった感が...
てか、「任那日本府」ということで、倭人日本人による朝鮮半島南端部に存在した大和朝廷が運営していた足場ということで。
感情とか余計な忖度で、誤った歴史を教わる近年の若者が気の毒だ。
まったくですね。
悲しいかな😢
私もこの国を習いましたが当時の先生は「古代にあったこの国はよくわからない?」とまるで茶を濁すように言ったのを覚えています。🤔
前方後円墳を円墳二つに改造したりしてたね。
当時朝鮮の方が進んでいる前提で歴史を教えられていたけど、稲作に関しては朝鮮半島から伝わったと考えにくい。元々イネは熱帯起源の植物で、現在中国でも比較的温暖な華南地方でしか栽培されていない。華南地方に住んでいた人々が日本人の祖先とする説もあるから、直接このルートで渡ったとするほうが自然だ。日本でも北海道や東北で稲が栽培されるようになったのは江戸時代以降。元々熱帯の植物を、品種改良で日本の機構でも育てられるようにしたのだ。よって日本で改良されたイネはジャポニカ種という。日本より寒い朝鮮から、当時稲作が伝わりようがないのだ。
1970年代義務教育では小学校と中学校の教科書で、小学校では任那という国がかつて朝鮮半島南部にあったと掲載されていた。小学校の図書室の百科事典にも掲載されていたな。 「鉄の国キムスロ=伽耶の国(韓国ドラマ)」を見てた時に、友人から、今は「任那」は、教書に記載されていないといわれた時には、びっくりした。
任那って聖徳太子の漫画本にでていた。穴穂部皇子が任那について語るシーンがあった。伝記漫画には教科書に載せていないことが出てくるんだな。
半島に海外派兵が出来るほど、当時の日本には国力があった事には違いない
隣「当時は日本という名前では無かった。だから任那日本府は間違いだ!」日本「確かにそうだね。訂正しよう。」隣「日本が間違いを認めた!任那は日本じゃ無い!」日本「いや、そうは言って無い。」
任那日本府より任那大和府が正しいかも?😀大陸を中国と読んでいるのと同じかな?当時は中国とは言ってないからね、🧐
義務教育では小学校と中学校で歴史の教科があるが、小学校では任那という国がかつて朝鮮半島南部に存在し、日本と深い関係を持っていたと学びました。ところが中学校においては教科書に任那の国名が記載されているにも関わらず、教員が最近の歴史検証で任那の存在は無いものと思われると言われましたが、当時は日本の近代史について侵略を進出と書き替え文部省が検定を通したとされた「歴史教科書事件」があり、日本と朝鮮との関係に配慮して教えるべきものを教えず、ついには任那の国名が教科書から消滅する事態になりました。
「皇国史観」も極端だったのかも知れませんが、韓国に対する気兼ねから来る「忖度史観」も極端すぎて考え物ですね。
戦後日本の言論空間が如何に左翼に支配されていたか、若い世代も知るべき。
半島は無人だった歴史があり、そこに縄文人が移り住んで結構な範囲にいたこと、その延長で歴史時代に突入しても日本の強い地域だったのは至極当然なんだけどなぁ。
朝鮮より日本が劣っていたわけではないね。遺物を見ればわかる。かといえ、この動画は貴重。因みに一部の日本の歴史学者も仁藤敦史(国立歴史民俗博物館・教授)みたいな人がいるから、出自もハッキリさせた方が良いかもね?歴史の問題にさえもわからないように政治の問題を絡めてくるから。
豊富な砂鉄そして鉄の生産燃料となる再生可能な森林、製鉄には日本は圧倒的に有利。強敵高句麗と半島の覇権を争ったことでも分かる。
小学生のころは習ったからかれこれ40年ほど前かな。最近の研究では、北朝鮮と韓国、両国の道単位で別民族と考えられる説も出てきてる。思うところあるが、とりあえず政治的なコメントは止めました。
1万年前から5千年前まで朝鮮半島にほとんど人がいない時代があって、その頃縄文人が朝鮮半島南部に辿り着いて(漂着?)いたら当然その土地に入植したと思います。無人の地なのですから。箕子朝鮮や衛氏朝鮮の時代にその土地がどうだったか知りませんが、漂流民保護の観点から考えてもそこを手放すとは考えにくい。何らかの手段で維持したのではないでしょうか? 文字資料が残っていないので行政区分等どうだったかは分からないのが残念ですが‥。
たぶん人がいないのは理由があって縄文人が漂着しても定住することはなかったんじゃないかな。寒すぎて食べ物がなくて嫌になっただろう。日本や中国の江南の方が温暖な気候で食料も豊富に取れて大きな人口を養えるから、当時も中国が大国で日本も朝鮮よりは有力な国になったんだろう。日本統治時代に日本の米の品種改良で朝鮮のような寒冷地でも栽培できる品種を日本の研究者が教えてあげて収量が上がったから朝鮮の寿命が爆あがりして人口が増加て今の日本の半分の人口がある国になれた。
(´ー`)<半島南部には倭人が5000年以上前から入植しており、日本本土と民族的・言語的に近い存在でした。だから神功皇后の三韓征伐は史実であった事は明らかだろう…)
古代の歴史は、中国の歴史書を参考にするしかないし中国と日本が東アジアで独立の勢力だったと思うよ
まあ、中華秩序vsミカド(天皇)秩序による東アジアにおける覇権争いだったようで
魏志倭人伝にも書いてあるみたいですもんね。
昭和29年の生まれです。私が中学生の時日本史の授業で任那日本府を習いました只其の頃は半島南部に前方後円墳が在るとは習いませんでした、捏造国家なので古墳に手を加えられないか心配です。
発掘された考古学的資料に基づく見解ではなく、他国への配慮とか政治力学やらが優先されるやり口はせいぜい一時しのぎで、本当にいい未来を目指す為にはならんと思う。
縄文時代から朝鮮半島南部は倭人が住んでいたと考えると古代史の謎が簡単に説明できるとおもう
そもそも朝鮮半島に先に住んでたのは日本人だからね。縄文人がアフリカから極東にまでやって来たとき、そこで異なる遺伝子と交雑した形跡が無かった。つまり、縄文人が極東に来たときはそこに誰も住んでいなかったのであり、縄文人が実はアジア大陸最初の原住民である。そのだいぶん後に、北東アジアの寒冷地帯から今の朝鮮民族の先祖が南下してきた。日本人が朝鮮半島にいたというのはむしろ当たり前の話なのである。
「三世紀中旬」という表現は間違ってます。「旬」とは十日間のことで月に対して使うものです。
好太王「百済も新羅も日本の領土、ソースは俺」
還暦ですが…中学受験で「任那の日本府ゴロニャン」と覚えましたw
しまいには古墳は朝鮮発祥とかいう始末……。 新羅は何度も九州侵略に軍で攻めてきてるのに、「一度も日本には攻めたことなどない」とか嘘ばっかり言うなよ……。
任那は歴史で習いましたよ。隣国は認めないだろう。
認めようとしない韓国側が意固地で頑な。…少々気に喰わないようでも史実は史実として受け入れられないようでは韓国も後進国のまんま。
古墳や石碑といった研究者本人の目に見えて存在してしまうものを、自己暗示のように感情で以って否定してしまうと最終的に精神がおかしくなりそう。
562年任那日本府🗾当時📚教科書にあった👻詳しい記述は無かったが・・
任那日本府が滅びても、更に100年以上も後の「白村江の戦い」まで倭人大和人が大陸の半島部に根を下ろしていたことに思いを馳せて見ると、凄く驚く。
任那が倭人が多い国だったと考えた方がのちの白村江の戦いで日本が援軍だしてまで百済守ろうとしたつじつまがあうんですよね国名は変わっても倭人が沢山いた地域だったと百済と日本はイギリスとアメリカやカナダみたいな関係だったならそりゃ守るだろうと思いますし
そうですよ。
昭和40年代前半の小学校社会科には「任那」の記述がありました。教科書検定が政治に左右されている証拠ですね。
昭和40年代生まれですが、兄達(6,4歳上)の日本史の教科書、地図帳には載っていたのに私の教科書には載ってませんでした。
たばな国は丹波(その後に別れた丹後を含む)のことで、北九州にある倭国の東北1000里のところだと聞いてきたのですがどうですか?
朝鮮半島に縄文時代の人たちや、それ以前の3,4万年に日本列島に移動してきた人類が居たから、その流れで任那に当時の日本人がいるのは当然で、その地域を守るのは当然です。
歴史苦手だったので、教わったかどうか憶えておらず、目から鱗でした。アメリカ人の旦那にも内容をざっくり伝えたら、戦後のアメリカが理由で歴史が変えられているなんて、とショックを受け、ゴメン😢と言っていました。
大切なことは事実をもとに考えるということ。科学的思考の大前提です。それができない国民がノーベル賞と無縁なのは当然の結果。くわばらくわばら。
ノーベル賞と関係なくて草
この末尾jh1zの御仁、何やらようけたくさん反論を書き込んではりますなあ。ま、何をどう信じるかは個人の自由ですさかい、ご本人がそれで幸せゆうんなら、お好きにしたらよろし。
ライダンハンも李氏朝鮮の初代王の出自も最大のタブーって聞いたような。最大のタブーが多い国だな💦何か最近怒りや憎しみを越えてあの民族が好きになって来た😅
昭和41年生まれですが、任那はちゃんと載っていました。教科書はいい加減なもの、大人になってからわかったけど🤣
二十代ですが任那は普通に学校で習いました
任那日本府聞いた気がする
還暦過ぎの年代の者にとっては、任那日本府が存在していた史実が有るという認識で当たり前なんですよね。
任那を日本が掌握していた所が本当だとして、それが大和の政権だったのかという点がまた紛糾している話で........所謂九州王朝とかその辺の話
まあ「山門(やまと)王朝」とかのような?
歴史検証で、他国の願望的ファンタジーに付き合うのは、やってはいけない事。政治的配慮も歴史的事項に関しては厳禁!
任那は日本固有の領土です🤣
半島にあった技術とはなんですか?
まあ、当時ならば鉄器とか土器・陶器とか土師器のような。
どんな教え方だったかは覚えてないけど、任那っていうワードはあったと思う。10年前
任那、普通に教科書に載っとるやろ
平成6(1994)年生まれの30歳ですが、任那について習いましたよ〜
4:18 なぜ本の名前や販売年などを言わないのでしょうか…w引用元を掲載するのは当然ですよね
倭人とは、長江河口を源流に、東シナ海周辺に広がった漁労と交易の民族ですから。当然朝鮮半島にもいたと思いますよ。
任那、普通に習いましたよ
自分の時は任那日本府って教えられていましたよ。昭和50年代で。
『新羅に押されて、日本府、転ぶ(562年)』って年号も暗記したよ。韓国への配慮なんてなかったね。韓国からの様々な要求が厚かましくなるのって、ソウル五輪後に経済力・国力が増したこととセットでしたよ。
『くだらん百済と連携しながら101年後(663年)まで新羅に抵抗しながら半島の日本勢力を死守』…なんて言ったら、旧百済の系譜の人から怒られちゃうのかも。
新羅や高句麗はシルラやコグリョという朝鮮語で習わされましたし、伽耶の名で習いましたね何というか併合や自虐史観は関係ない闇がありそうですそれに…もし任那(伽耶)が倭国ではなく朝鮮の国だったとしても、朝鮮史を捏造したことになりません?
韓国が埋めた古墳は“それ”か?
欧米化どこかのレポートに蒙古から朝鮮に大和民族が流れて日本へ渡った、その過程で任那があったとかあった気がするけどどうなんだろう。
日本書紀に明記されている。高句麗、新羅、百済は日本に朝貢していた。
昭和50年代の公立中学の歴史で、任那の存在は教えられている筈。小学の社会でも触れる機会は有ったのでは。
昭和50年代の小学校の黒板の上に貼り出してある年表には「任那日本府滅亡(562年)」と記されておりましたね。
日本に否定的な意見をすべて「自虐史観」としてしまうのは客観性を失う
新羅も百済も日本人じゃないのか?😮
新羅はともかく、百済は日本人と源流が同じようです。
そういえば今以て韓国国内において「全羅道(および済州道)問題」という、まあ日本における同和問題に類似する地域差別が残っているようです。(要するに被征服民である旧百済の人々が今以て、征服民である旧新羅の人々から差別を受け続けているという地域差別問題)
任那日本府は新羅と高句麗に押されて撤退したので、百済と新羅ではありません。天智天皇が百済からの要請で軍を出したという事になっていますが、当時いくら仲が良くても27000の兵士を要請だけで出すとは思えず 任那日本府があったと考えるのが自然です。後 普通に考えて技術が劣っている国が先進的な国を制圧できるはずはありません。稲の水耕栽培は朝鮮から日本へという事も 今ではまず間違いなく日本から朝鮮半島への伝来と考えられて来ていますし 前方後円墳などの墳墓も日本から朝鮮半島への伝来は確実です。総合的に考えて 日本が朝鮮半島南部に日本の領土を持ち高句麗は中国からの力の形成で白村江の戦いが始まり 日本が負けて日本本土に領土縮小し 追手が来る事を案じて九州の太宰府政庁を守る為に水城の防塁をつくったと考えるのが自然です。ある意味 その時点から朝鮮半島は中国の支配下に置かれたのでしょう。
韓国語は日本語と文法が似ています。これは古代日本人が朝鮮半島に住みついていたからって事ですかね。 興味あります
まあ、共にアルタイ語系の言語であるという意味では共通ですね。
非常に面白いです。作成者さんには敬意を表します。でも、踏み込みが足らない点が有ります。2分57秒に「(日本の)歴史教科書の任那に関する記述は、昭和後期より消された」と出てまいりますが、昭和後期とは具体的に昭和何年ぐらいのあたりのことなんでしょうか。それから、どんな所からのどんな圧力を受け、どんな人がどんなふうに動いて(日本側が)自ら消すということになったんでしょうか。タイトルが「なぜ、教科書から消されたのか」なんですから、その辺りまで踏み込んで欲しいです。なお、誰も指摘していないことなんで、指摘させていただきますが、「任那」は唐の杜佑(735年~812年)の『通典』全200巻の中にも出てまいります。具体的な場所をお示しすれば、『通典』巻第185、辺防1、新羅の項(台北の新興書局本、中華民国52年10月刊、988頁)です。因みに『通典』同、同、倭の項(同、同、989頁)には「倭一名日本自云国在日辺故以為称」と有ります。これは「倭、一〈ある〉ひは日本と名づく。自ら「国、日辺に在り、故に以て称と為〈な〉す」と云へり。」と読めばよいと思われます。なお、これは「「倭」の国には「日本」という別名がある。」ということであります。『通典』が完成したのは唐の徳宗帝の貞元17年(801年)ですが、杜佑はその頃、「倭国」と「日本」を全く同じ国だと見なしていたということであります。
てかゆとりちゃん36-21の時に教科書がまともな世代から見たらドリルか?ってぐらいペラペラの薄さになった時に色々消えたのがあるとは聞いてたけど、実際はどうなんだ?
8:03 そら傭兵として駆り出された倭人の墓なんだから当然だろ😂
ずんだもんは?
任那って習ったよ おそらく隣国のクレームが入ったんだろうな
そんなことで屈するようでは日本政府も情けないし、自分らにとって気に喰わない史実だからと言ってクレームを出す隣国の政府の態度も大人げない。
日本とは知りませんでしたが、任那は教えられてましたね。時代かなあ?
「任那日本府」と言う単語は覚えがあるなぁ
私は、日本府任那を小学校で習いました。それ以後は出てきていません。
6:46 日本列島へ移動する際に造られたと考えるのが当然なんですが😅
朝鮮から技術が伝わったいう話はファジーでしかない。
「任意統治領」と曖昧な言葉で習ったなー。
実戦秀吉、意思あり中大兄皇子鎌足、信長、家康、実践寺内等一方的に日本側である?
そもそもこの時代に日本列島にいた人たちをまとめて倭人と呼んでいいのだろうか。日本の中にも小国だらけだったし、九州と東北は別民族だった可能性とか無いのだろうか。この辺ってどれくらい調べられているんだろう。動画を見ていてふと気になった。
蝦夷地・アイヌ・琉球・熊襲隼人なんかでは明らかに奈良県を中心とした人々とは大きく違いますよね?それとも日本列島に住む人々を総称して大陸諸国では「倭人」と一括りにしてしまっていたのでしょうか?ちなみに「倭」という言葉も「小さい島国」というニュアンスが込められていたわけなのでヤマト人としては不愉快この上ないのでヤマト人としては自らを「和」と称し、更に言えば小さい存在じゃなくて大きな存在なんだぞ、とアピールするべく大という文字を据えて「大和」と記し、その上で「やまと」と呼ぶようにしていったという経緯が有るんじゃないでしょうか?
朝鮮語の文法が中国語と違い、日本語の文法に近い事が琉球と同様の関係だったと思います。
まあ、中国語と違ってアルタイ語系なのですし。
結論的感想は歴史学者とは如何にいい加減なものかということ。最近でもあったバブルの頃に神の手が。学者は権威とやらで金儲けするがその権威を証明するものは結構アヤフヤだが素人を騙すのは簡単なこと。
と言う事は琉球王国も元は倭の国ですよね😊
3:00 そのような事を調べても出てきません😂
任那以前から、南朝鮮は出雲ですからな。今から7000千年前、半島がまだ無人の荒野だった頃に、縄文人が入植して始まったのですからなだがしかし日本も、紀元前後から倭(筑紫)、投馬(出雲)、邪馬台(大和)の三国鼎立の分裂状態ですがの。まず、投馬が邪馬台を統合し、その後倭が投馬を統一して大和になったのですな
すごくしっくりします。まだ統一国家ではなかったでしょうね。古代史に興味はありますが詳しくないんですが、四国との関係についてはどう思われますか?
みなま?みまな?どっちだっけ?
「みまな」です。
おくすり?おすくり?って舌の回らないちっちゃな子供が言ってましたね。
事実は一つです。宗主国に確認して下さい。騒げば騒ぐほど惨めになる。
高句麗や百済や高麗も日本人国家ですけどw
高句麗は違うのでは? 😁 まあ、満州・契丹・女真ツングース・渤海のような系統ではないかと。
7:11 「新羅や百済が倭人を傭兵として、傭兵である倭人が死んだ時に''前方後円墳''をつくり、埋葬する事を褒美として赦し与えた」だそうですがこれいかに😅
古墳って偉い人のお墓ですよね。
AIに歴史を解説させるのが良いと思います。
任那が政治的支配機能を持っていた都市国家的なものなのかがハッキリしてないんじゃなかったっけ?軍隊の駐屯地的な都市で都市国家連合体としては弁韓や加羅の方が国と呼べるものだったという説があった気がする。古墳群は大和朝廷の高官(軍人)の墓として作られる可能性もあるので影響力の範囲の目安にはなるけど支配とは別かもしれない。教科書から削除された理由は全てが自虐や忖度ではなく不明な点が多いというのもあるよ、たぶん。個人的には倭国と呼ばれる都市国家連合体が北九州から朝鮮半島南部に広がっていた流れでできた大和朝廷支配都市群だと思っている。
半島南部が倭国の勢力下にあったことは確かだと思います。神功皇后の話もありますし。由来の神社がいくつもありますから、作り話ではないでしょう。
リトル東京みたいなのがあっただけで別に日本の国があった訳では無いのでは?
まあ、倭人が運営する都市国家の連合体とか?もしくは弁韓を継承して、ここを倭人だか大和朝廷だかが大陸への足場として領有していたとか。
なんか最大のタブーが多過ぎて、黒い自国史になってるねw
2:33 のことはガン無視で 2:56 で解説始めるのね…やっぱネトウヨ商法かぁ
7:17 7:30 朝鮮諸国が日本列島のどこかを支配下においたかって質問してんのになんで前方後円墳の起源の話になるの?😅
朝鮮諸国は小国ばかりですから日本の何処かを支配においた事はないのではないでしょうか。天日槍のように一部が日本に来て土地を占拠したりはあるかもしれません。秦氏のように移民の形で来たのではないでしょうか。
日韓歴史共同研究に参加した古田博司によると、意見が対立した時に、日本側が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって 「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と怒鳴り、日本側がもう一度「資料を見てくれ」と言うと、韓国側は、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と怒鳴る。このような韓国側研究者について古田は、「民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなので、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる」、「要するに『自分が正しい』というところからすべてが始まっており、その本質は何かといえば『自己絶対正義』にほかならず、したがって何をやろうと彼らの『正義』は揺らがない」等々、批判的に評している。
そういう状況なのに、「日韓で共同研究して統一教科書を作り、双方で子供達にそれを教えるのが望ましい」と野党や自称文化人が言っている。出来るわけが無い。
日韓共同の教科書って、結局それは今の韓国の教科書になってしまうに決まっている!
チャイナの中原こそが、最高の文明であり、世界の中心と考える中華思想。それ自体が机上の空論。冷涼で麦作地域の黄河流域の文化と、湿潤で稲作地域の長江文化は別物。二つを一緒くたにして中華文明とするのが間違いでしょう。
その中華文明の正統な後継者と信じる、朝鮮の小中華思想が朝鮮の歴史観を歪な物にしていますね。
削除覚悟でコメントすれば、己の感情で歴史を歪めるあの半島国には憎悪しかない。
まるで駄々っ子ですね。中国人にもそういう気質があって、自分の主張を感情的に繰り返すだけで、話し合いができない人がままいます。
ロシアと最近まで仲良しだったのもわかる。歴史の改竄好きなところが似てる。
私は78歳ですが、中学生の当時、任那日本府のことは歴史で学び誰でも知っていた。
私は今年還暦を迎えますが、小学校中学校では任邦日本府は学びました。
でも高校から消えた記憶があります。そして従軍慰○婦を社会科の教師に教わりました。
でも、P屋の話は昔の映画でも出てきてたし、違和感が凄かったですけど。
祖父は従軍、祖母は挺身隊で工場、母は防空壕まで逃げ回ってましたので、色々当事の話を聞けましたし。
アラフィフです
歴史好きだったので私は知ってましたが、学校で教わらないので周囲の級友は知りませんでしたね
個人的には帰化人を渡来人と言い換えることも気になります
43歳ですが、30年前の学校教育学んでました。
上記のように私も小中学校で習いました。明治生まれの祖父は、天皇大元帥閣下の命で朝鮮は日本だった俺たちは朝鮮を守ったといってました。そして文部省の馬鹿どもが近隣国協定でおかしなことになった。
60歳くらいまでは任那日本府は習っているでしょう
ただ、名前と場所だけですね
それ以上に高句麗との戦い、朝鮮半島での勢力争い、百済との交流、百済の滅亡、百済人の渡来、隋唐との交流、新羅との席次争いを習いましたね
どうして、朝鮮半島に倭人の勢力があったのかは習わなかったですね
実際、漢書、後漢書、三國志を読むと朝鮮半島に倭人の勢力があったことは客観的にもわかりますものね
あと、日本は鉄が採れない、製鉄技術がないというTH-camをよく見るようになりましたが、日本の製鉄は砂鉄を使った製鉄で十分な製鉄ができていますよ。炭の量により武器用、農作業用と分けることもでき、日本刀の基礎も既にできていますよ
砂金や銅を使用したもの作りもこういうところに基礎がありませんかね
青銅器と鉄器がほぼ同時に作られるようになったのが日本の特徴というのを忘れると朝鮮を失っても発展が止まらなかったことの意味がわからなくなるでしょう
えっ?任那って今の教科書に出てこないの?
そいつはまずいな。
出るよ
この当時、大陸や半島には日本に無い技術があったかもしれないが、逆に大陸や半島に無い技術が日本にはあったので(航海技術や金属の加工技術、勾玉等の鉄より硬度のある翡翠を加工し形作ったり磨いたりする技術など)、一概に日本の技術が遅れていたわけではない。
パワーが凄がった。かつらぎ、そつひこなどが暴れまわってた。
逆に進んでいた〜戦後GHQが、何千冊焚書😢
一概に遅れていたどころか 遅れていたのは半島の方。
古墳時代に日本刀の基礎が完成
最近は知りませんが、1990年代後半で山川出版社の高校日本史Bには任那(伽耶、加羅)の記載がありました。在籍した高校の歴史教師陣は全員左翼でしたが、当時の教科担任も「任那は倭の勢力圏または影響下にあった」と説明してました。
また、加羅(カラ)は北を意味する可能性があり、倭国の中核であった九州から見て北にある地帯だからか?という見解も言ってました。
オレ、四十代後半だけど中学校のとき任那を習った。ちなみに嫁、外国籍何だけど朝鮮南部は日本が当地してたと習ったらしい
稲の種類から考えて、稲の伝播は朝鮮→日本ではなく、日本→朝鮮の可能性が高いようですね。
漢字などの大陸文化も海路で大陸→日本→半島の可能もあるね、🧐
@@EEZ-i6v流石にないだろ
DNAの解析で、弥生人は長江流域から直接九州に来たのが科学的に確定した。DNAが全て一致した。
陸稲だとしても、寒冷地用への品種改良が進んでいない時代だろうしね。
漢が滅び三国時代の戦乱で鮮卑族の北魏が統一して、以後鮮卑族が漢民族を称してエセ漢民族になり今に続いている。本物漢民族は大陸南部から日本へ逃げ日本に同化、例えば秦氏は秦の始皇帝の子孫であり天皇の家来になっている。つまり、漢民族の正当を伝えているのは日本であり、今のエセ漢民族は漢字を発明した民族ではない。中国語で食べるは吃というが、これは鮮卑方言で、古代漢民族は日本と同じく食を使っていたそうだよ。
中国の史書に「任那」の地名が記されている。
倭国王が百済、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓等を支配していると名乗り、宋王朝が認めている。
@daisuke5755
また根拠のないことを言う。
朝鮮の方ですか ?
広開土王碑の時も日本書紀の時も全く根拠のない憶測でいちゃもんつけてましたね。
@daisuke5755
そんなわけない
九州にも円墳や方墳などあるけど、その地域で一番大きな古墳はたいてい前方後円墳。
前方後円墳は大和朝廷の支配のシンボル
倭の五王の時代の古墳も大きなものはやはり前方後円墳。
つまり九州は大和朝廷の勢力圏だったってこと
@@RK-py7lv
寧ろ朝鮮側の人にとって「歴史上、気に喰わない指摘」をなさっておられるのではないでしょうか?
宋書・・・・・・・・・・・・倭国が朝鮮半島南部の軍事司令官に任命された。
隋書・・・・・・・・・・・・倭国は産物も豊かで鉄の鏃で武装した軍隊を持つ。百済と新羅は倭国を大国として敬ったと書いてある。
満州にある広開土王碑・・・倭国が海を渡って百済と新羅を臣下にしたと書いてある。
三国史記「新羅本記」・・・・新羅は何回も王子を人質に差し出している。新羅王の4代目王は倭国からやって来たと書かれている。倭の勢力が頻繁に来襲し、何度も首都を包囲された記述が書かれている。
三国史記「百済本記」・・・・百済は何回も王子を人質に差し出している。百済の武寧王は人質の子として日本で生まれた。
日本書紀・・・・・・・・・・391年に神功皇后が百済と新羅を征服したと書いてある(三韓征伐)。
梁職貢図・・・・・・・・新羅は倭の属国。
白村江の戦い
唐vs日本
任那の歴史を消し去る方が歴史修正主義だと思います
安倍晋三みたいに朝鮮に従う連中からだ。
韓国も歴史学後進国。
30年前に中学校の授業で習いました。先生の説明としては伽耶、任那は朝鮮半島の日本支部と説明を受けました
1994年時点でまだ正常だったのですね。バブル崩壊後に徐々に日本が壊されていった感が...
てか、「任那日本府」ということで、倭人日本人による朝鮮半島南端部に存在した大和朝廷が運営していた足場ということで。
感情とか余計な忖度で、誤った歴史を教わる近年の若者が気の毒だ。
まったくですね。
悲しいかな😢
私もこの国を習いましたが当時の先生は「古代にあったこの国はよくわからない?」とまるで茶を濁すように言ったのを覚えています。🤔
前方後円墳を円墳二つに改造したりしてたね。
当時朝鮮の方が進んでいる前提で歴史を教えられていたけど、稲作に関しては朝鮮半島から伝わったと考えにくい。
元々イネは熱帯起源の植物で、現在中国でも比較的温暖な華南地方でしか栽培されていない。
華南地方に住んでいた人々が日本人の祖先とする説もあるから、直接このルートで渡ったとするほうが自然だ。
日本でも北海道や東北で稲が栽培されるようになったのは江戸時代以降。元々熱帯の植物を、品種改良で日本の機構でも育てられるようにしたのだ。よって日本で改良されたイネはジャポニカ種という。
日本より寒い朝鮮から、当時稲作が伝わりようがないのだ。
1970年代義務教育では小学校と中学校の教科書で、小学校では任那という国がかつて朝鮮半島南部にあったと掲載されていた。小学校の図書室の百科事典にも掲載されていたな。
「鉄の国キムスロ=伽耶の国(韓国ドラマ)」を見てた時に、友人から、今は「任那」は、教書に記載されていないといわれた時には、びっくりした。
任那って聖徳太子の漫画本にでていた。穴穂部皇子が任那について語るシーンがあった。伝記漫画には教科書に載せていないことが出てくるんだな。
半島に海外派兵が出来るほど、当時の日本には国力があった事には違いない
隣「当時は日本という名前では無かった。だから任那日本府は間違いだ!」
日本「確かにそうだね。訂正しよう。」
隣「日本が間違いを認めた!任那は日本じゃ無い!」
日本「いや、そうは言って無い。」
任那日本府より任那大和府が正しいかも?😀
大陸を中国と読んでいるのと同じかな?
当時は中国とは言ってないからね、🧐
義務教育では小学校と中学校で歴史の教科があるが、小学校では任那という国がかつて朝鮮半島南部に存在し、日本と深い関係を持っていたと学びました。
ところが中学校においては教科書に任那の国名が記載されているにも関わらず、教員が最近の歴史検証で任那の存在は無いものと思われると言われましたが、当時は日本の近代史について侵略を進出と書き替え文部省が検定を通したとされた「歴史教科書事件」があり、日本と朝鮮との関係に配慮して教えるべきものを教えず、ついには任那の国名が教科書から消滅する事態になりました。
「皇国史観」も極端だったのかも知れませんが、韓国に対する気兼ねから来る「忖度史観」も極端すぎて考え物ですね。
戦後日本の言論空間が如何に左翼に支配されていたか、若い世代も知るべき。
半島は無人だった歴史があり、そこに縄文人が移り住んで結構な範囲にいたこと、その延長で歴史時代に突入しても日本の強い地域だったのは至極当然なんだけどなぁ。
朝鮮より日本が劣っていたわけではないね。遺物を見ればわかる。かといえ、この動画は貴重。因みに一部の日本の歴史学者も仁藤敦史(国立歴史民俗博物館・教授)みたいな人がいるから、出自もハッキリさせた方が良いかもね?歴史の問題にさえもわからないように政治の問題を絡めてくるから。
豊富な砂鉄そして鉄の生産燃料となる再生可能な森林、製鉄には日本は圧倒的に有利。強敵高句麗と半島の覇権を争ったことでも分かる。
小学生のころは習ったからかれこれ40年ほど前かな。最近の研究では、北朝鮮と韓国、両国の道単位で別民族と考えられる説も出てきてる。思うところあるが、とりあえず政治的なコメントは止めました。
1万年前から5千年前まで朝鮮半島にほとんど人がいない時代があって、その頃縄文人が朝鮮半島南部に辿り着いて(漂着?)いたら当然その土地に入植したと思います。無人の地なのですから。箕子朝鮮や衛氏朝鮮の時代にその土地がどうだったか知りませんが、漂流民保護の観点から考えてもそこを手放すとは考えにくい。何らかの手段で維持したのではないでしょうか? 文字資料が残っていないので行政区分等どうだったかは分からないのが残念ですが‥。
たぶん人がいないのは理由があって縄文人が漂着しても定住することはなかったんじゃないかな。
寒すぎて食べ物がなくて嫌になっただろう。
日本や中国の江南の方が温暖な気候で食料も豊富に取れて大きな人口を養えるから、当時も中国が大国で日本も朝鮮よりは有力な国になったんだろう。
日本統治時代に日本の米の品種改良で朝鮮のような寒冷地でも栽培できる品種を日本の研究者が教えてあげて収量が上がったから朝鮮の寿命が爆あがりして人口が増加て今の日本の半分の人口がある国になれた。
(´ー`)<半島南部には倭人が5000年以上前から入植しており、日本本土と民族的・言語的に近い存在でした。だから神功皇后の三韓征伐は史実であった事は明らかだろう…)
古代の歴史は、中国の歴史書を参考にするしかないし
中国と日本が東アジアで独立の勢力だったと思うよ
まあ、中華秩序vsミカド(天皇)秩序による東アジアにおける覇権争いだったようで
魏志倭人伝にも書いてあるみたいですもんね。
昭和29年の生まれです。私が中学生の時日本史の授業で任那日本府を習いました只其の頃は半島南部に前方後円墳が在るとは習いませんでした、捏造国家なので古墳に手を加えられないか心配です。
発掘された考古学的資料に基づく見解ではなく、他国への配慮とか政治力学やらが優先されるやり口はせいぜい一時しのぎで、本当にいい未来を目指す為にはならんと思う。
縄文時代から朝鮮半島南部は倭人が住んでいたと考えると
古代史の謎が簡単に説明できるとおもう
そもそも朝鮮半島に先に住んでたのは日本人だからね。
縄文人がアフリカから極東にまでやって来たとき、そこで異なる遺伝子と交雑した形跡が無かった。
つまり、縄文人が極東に来たときはそこに誰も住んでいなかったのであり、縄文人が実はアジア大陸最初の原住民である。
そのだいぶん後に、北東アジアの寒冷地帯から今の朝鮮民族の先祖が南下してきた。
日本人が朝鮮半島にいたというのはむしろ当たり前の話なのである。
「三世紀中旬」という表現は間違ってます。「旬」とは十日間のことで月に対して使うものです。
好太王「百済も新羅も日本の領土、ソースは俺」
還暦ですが…中学受験で「任那の日本府ゴロニャン」と覚えましたw
しまいには古墳は朝鮮発祥とかいう始末……。
新羅は何度も九州侵略に軍で攻めてきてるのに、「一度も日本には攻めたことなどない」とか嘘ばっかり言うなよ……。
任那は歴史で習いましたよ。隣国は認めないだろう。
認めようとしない韓国側が意固地で頑な。
…少々気に喰わないようでも史実は史実として受け入れられないようでは韓国も後進国のまんま。
古墳や石碑といった研究者本人の目に見えて存在してしまうものを、自己暗示のように感情で以って否定してしまうと最終的に精神がおかしくなりそう。
562年任那日本府🗾
当時📚教科書にあった👻
詳しい記述は無かったが・・
任那日本府が滅びても、更に100年以上も後の「白村江の戦い」まで倭人大和人が大陸の半島部に根を下ろしていたことに思いを馳せて見ると、凄く驚く。
任那が倭人が多い国だったと考えた方がのちの白村江の戦いで日本が援軍だしてまで百済守ろうとしたつじつまがあうんですよね
国名は変わっても倭人が沢山いた地域だったと
百済と日本はイギリスとアメリカやカナダみたいな関係だったならそりゃ守るだろうと思いますし
そうですよ。
昭和40年代前半の小学校社会科には「任那」の記述がありました。教科書検定が政治に左右されている証拠ですね。
昭和40年代生まれですが、兄達(6,4歳上)の日本史の教科書、地図帳には載っていたのに私の教科書には載ってませんでした。
たばな国は丹波(その後に別れた丹後を含む)のことで、北九州にある倭国の東北1000里のところだと聞いてきたのですがどうですか?
朝鮮半島に縄文時代の人たちや、それ以前の3,4万年に日本列島に移動してきた人類が居たから、その流れで任那に当時の日本人がいるのは当然で、その地域を守るのは当然です。
歴史苦手だったので、教わったかどうか憶えておらず、目から鱗でした。アメリカ人の旦那にも内容をざっくり伝えたら、戦後のアメリカが理由で歴史が変えられているなんて、とショックを受け、ゴメン😢と言っていました。
大切なことは事実をもとに考えるということ。科学的思考の大前提です。それができない国民がノーベル賞と無縁なのは当然の結果。くわばらくわばら。
ノーベル賞と関係なくて草
この末尾jh1zの御仁、何やらようけたくさん反論を書き込んではりますなあ。ま、何をどう信じるかは個人の自由ですさかい、ご本人がそれで幸せゆうんなら、お好きにしたらよろし。
ライダンハンも李氏朝鮮の初代王の出自も最大のタブーって聞いたような。
最大のタブーが多い国だな💦
何か最近怒りや憎しみを越えてあの民族が好きになって来た😅
昭和41年生まれですが、任那はちゃんと載っていました。
教科書はいい加減なもの、大人になってからわかったけど🤣
二十代ですが任那は普通に学校で習いました
任那日本府聞いた気がする
還暦過ぎの年代の者にとっては、任那日本府が存在していた史実が有るという認識で当たり前なんですよね。
任那を日本が掌握していた所が本当だとして、それが大和の政権だったのかという点がまた紛糾している話で........所謂九州王朝とかその辺の話
まあ「山門(やまと)王朝」とかのような?
歴史検証で、他国の願望的ファンタジーに付き合うのは、やってはいけない事。政治的配慮も歴史的事項に関しては厳禁!
任那は日本固有の領土です🤣
半島にあった技術とはなんですか?
まあ、当時ならば鉄器とか土器・陶器とか土師器のような。
どんな教え方だったかは覚えてないけど、任那っていうワードはあったと思う。10年前
任那、普通に教科書に載っとるやろ
平成6(1994)年生まれの30歳ですが、任那について習いましたよ〜
4:18 なぜ本の名前や販売年などを言わないのでしょうか…w
引用元を掲載するのは当然ですよね
倭人とは、長江河口を源流に、東シナ海周辺に広がった漁労と交易の民族ですから。当然朝鮮半島にもいたと思いますよ。
任那、普通に習いましたよ
自分の時は任那日本府って教えられていましたよ。昭和50年代で。
『新羅に押されて、日本府、転ぶ(562年)』って年号も暗記したよ。韓国への配慮なんてなかったね。
韓国からの様々な要求が厚かましくなるのって、ソウル五輪後に経済力・国力が増したこととセットでしたよ。
『くだらん百済と連携しながら101年後(663年)まで新羅に抵抗しながら半島の日本勢力を死守』…なんて言ったら、旧百済の系譜の人から怒られちゃうのかも。
新羅や高句麗はシルラやコグリョという朝鮮語で習わされましたし、伽耶の名で習いましたね
何というか併合や自虐史観は関係ない闇がありそうです
それに…もし任那(伽耶)が倭国ではなく朝鮮の国だったとしても、朝鮮史を捏造したことになりません?
韓国が埋めた古墳は“それ”か?
欧米化どこかのレポートに蒙古から朝鮮に大和民族が流れて日本へ渡った、その過程で任那があったとかあった気がするけどどうなんだろう。
日本書紀に明記されている。
高句麗、新羅、百済は日本に朝貢していた。
昭和50年代の公立中学の歴史で、任那の存在は教えられている筈。
小学の社会でも触れる機会は有ったのでは。
昭和50年代の小学校の黒板の上に貼り出してある年表には「任那日本府滅亡(562年)」と記されておりましたね。
日本に否定的な意見をすべて「自虐史観」としてしまうのは客観性を失う
新羅も百済も日本人じゃないのか?😮
新羅はともかく、百済は日本人と源流が同じようです。
そういえば今以て韓国国内において「全羅道(および済州道)問題」という、まあ日本における同和問題に類似する地域差別が残っているようです。
(要するに被征服民である旧百済の人々が今以て、征服民である旧新羅の人々から差別を受け続けているという地域差別問題)
任那日本府は新羅と高句麗に押されて撤退したので、百済と新羅ではありません。
天智天皇が百済からの要請で軍を出したという事になっていますが、当時いくら仲が良くても27000の兵士を要請だけで出すとは思えず 任那日本府があったと考えるのが自然です。
後 普通に考えて技術が劣っている国が先進的な国を制圧できるはずはありません。
稲の水耕栽培は朝鮮から日本へという事も 今ではまず間違いなく日本から朝鮮半島への伝来と考えられて来ていますし 前方後円墳などの墳墓も日本から朝鮮半島への伝来は確実です。
総合的に考えて 日本が朝鮮半島南部に日本の領土を持ち高句麗は中国からの力の形成で白村江の戦いが始まり 日本が負けて日本本土に領土縮小し 追手が来る事を案じて九州の太宰府政庁を守る為に水城の防塁をつくったと考えるのが自然です。
ある意味 その時点から朝鮮半島は中国の支配下に置かれたのでしょう。
韓国語は日本語と文法が似ています。これは古代日本人が朝鮮半島に住みついていたからって事ですかね。 興味あります
まあ、共にアルタイ語系の言語であるという意味では共通ですね。
非常に面白いです。作成者さんには敬意を表します。でも、踏み込みが足らない点が有ります。2分57秒に「(日本の)歴史教科書の任那に関する記述は、昭和後期より消された」と出てまいりますが、昭和後期とは具体的に昭和何年ぐらいのあたりのことなんでしょうか。それから、どんな所からのどんな圧力を受け、どんな人がどんなふうに動いて(日本側が)自ら消すということになったんでしょうか。タイトルが「なぜ、教科書から消されたのか」なんですから、その辺りまで踏み込んで欲しいです。なお、誰も指摘していないことなんで、指摘させていただきますが、「任那」は唐の杜佑(735年~812年)の『通典』全200巻の中にも出てまいります。具体的な場所をお示しすれば、『通典』巻第185、辺防1、新羅の項(台北の新興書局本、中華民国52年10月刊、988頁)です。因みに『通典』同、同、倭の項(同、同、989頁)には「倭一名日本自云国在日辺故以為称」と有ります。これは「倭、一〈ある〉ひは日本と名づく。自ら「国、日辺に在り、故に以て称と為〈な〉す」と云へり。」と読めばよいと思われます。なお、これは「「倭」の国には「日本」という別名がある。」ということであります。『通典』が完成したのは唐の徳宗帝の貞元17年(801年)ですが、杜佑はその頃、「倭国」と「日本」を全く同じ国だと見なしていたということであります。
てかゆとりちゃん36-21の時に教科書がまともな世代から見たらドリルか?ってぐらいペラペラの薄さになった時に色々消えたのがあるとは聞いてたけど、実際はどうなんだ?
8:03 そら傭兵として駆り出された倭人の墓なんだから当然だろ😂
ずんだもんは?
任那って習ったよ おそらく隣国の
クレームが入ったんだろうな
そんなことで屈するようでは日本政府も情けないし、自分らにとって気に喰わない史実だからと言ってクレームを出す隣国の政府の態度も大人げない。
日本とは知りませんでしたが、任那は教えられてましたね。時代かなあ?
「任那日本府」と言う単語は覚えがあるなぁ
私は、日本府任那を小学校で習いました。それ以後は出てきていません。
6:46 日本列島へ移動する際に造られたと考えるのが当然なんですが😅
朝鮮から技術が伝わったいう話はファジーでしかない。
「任意統治領」と曖昧な言葉で習ったなー。
実戦秀吉、意思あり中大兄皇子鎌足、信長、家康、実践寺内等一方的に日本側である?
そもそもこの時代に日本列島にいた人たちをまとめて倭人と呼んでいいのだろうか。
日本の中にも小国だらけだったし、九州と東北は別民族だった可能性とか無いのだろうか。
この辺ってどれくらい調べられているんだろう。
動画を見ていてふと気になった。
蝦夷地・アイヌ・琉球・熊襲隼人なんかでは明らかに奈良県を中心とした人々とは大きく違いますよね?
それとも日本列島に住む人々を総称して大陸諸国では「倭人」と一括りにしてしまっていたのでしょうか?
ちなみに「倭」という言葉も「小さい島国」というニュアンスが込められていたわけなのでヤマト人としては不愉快この上ないので
ヤマト人としては自らを「和」と称し、更に言えば小さい存在じゃなくて大きな存在なんだぞ、とアピールするべく大という文字を据えて「大和」と記し、その上で「やまと」と呼ぶようにしていったという経緯が有るんじゃないでしょうか?
朝鮮語の文法が中国語と違い、日本語の文法に近い事が琉球と同様の関係だったと思います。
まあ、中国語と違ってアルタイ語系なのですし。
結論的感想は歴史学者とは如何にいい加減なものかということ。最近でもあったバブルの頃に神の手が。学者は権威とやらで金儲けするがその権威を証明するものは結構アヤフヤだが素人を騙すのは簡単なこと。
と言う事は琉球王国も元は倭の国ですよね😊
3:00 そのような事を調べても出てきません😂
任那以前から、南朝鮮は出雲ですからな。今から7000千年前、半島がまだ無人の荒野だった頃に、縄文人が入植して始まったのですからな
だがしかし日本も、紀元前後から倭(筑紫)、投馬(出雲)、邪馬台(大和)の三国鼎立の分裂状態ですがの。まず、投馬が邪馬台を統合し、その後倭が投馬を統一して大和になったのですな
すごくしっくりします。まだ統一国家ではなかったでしょうね。古代史に興味はありますが詳しくないんですが、四国との関係についてはどう思われますか?
みなま?みまな?どっちだっけ?
「みまな」です。
おくすり?おすくり?って舌の回らないちっちゃな子供が言ってましたね。
事実は一つです。宗主国に確認して下さい。
騒げば騒ぐほど惨めになる。
高句麗や百済や高麗も日本人国家ですけどw
高句麗は違うのでは? 😁
まあ、満州・契丹・女真ツングース・渤海のような系統ではないかと。
7:11 「新羅や百済が倭人を傭兵として、傭兵である倭人が死んだ時に''前方後円墳''をつくり、埋葬する事を褒美として赦し与えた」だそうですがこれいかに😅
古墳って偉い人のお墓ですよね。
AIに歴史を解説させるのが良いと思います。
任那が政治的支配機能を持っていた都市国家的なものなのかがハッキリしてないんじゃなかったっけ?軍隊の駐屯地的な都市で都市国家連合体としては弁韓や加羅の方が国と呼べるものだったという説があった気がする。古墳群は大和朝廷の高官(軍人)の墓として作られる可能性もあるので影響力の範囲の目安にはなるけど支配とは別かもしれない。教科書から削除された理由は全てが自虐や忖度ではなく不明な点が多いというのもあるよ、たぶん。個人的には倭国と呼ばれる都市国家連合体が北九州から朝鮮半島南部に広がっていた流れでできた大和朝廷支配都市群だと思っている。
半島南部が倭国の勢力下にあったことは確かだと思います。神功皇后の話もありますし。由来の神社がいくつもありますから、作り話ではないでしょう。
リトル東京みたいなのがあっただけで別に日本の国があった訳では無いのでは?
まあ、倭人が運営する都市国家の連合体とか?
もしくは弁韓を継承して、ここを倭人だか大和朝廷だかが大陸への足場として領有していたとか。
なんか最大のタブーが多過ぎて、黒い自国史になってるねw
2:33 のことはガン無視で 2:56 で解説始めるのね…やっぱネトウヨ商法かぁ
7:17 7:30
朝鮮諸国が日本列島のどこかを支配下においたかって質問してんのになんで前方後円墳の起源の話になるの?😅
朝鮮諸国は小国ばかりですから日本の何処かを支配においた事はないのではないでしょうか。天日槍のように一部が日本に来て土地を占拠したりはあるかもしれません。秦氏のように移民の形で来たのではないでしょうか。