【大阪グルメ】京橋でひとりで行ける焼肉屋5選が良店過ぎるぅ!

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  • เผยแพร่เมื่อ 16 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 14

  • @user-zk1ol8kb4r
    @user-zk1ol8kb4r 11 หลายเดือนก่อน +1

    個人焼き肉店はチェーン店と違って一人で気軽に入れる良さがありますよね

    • @gurumetabo
      @gurumetabo  11 หลายเดือนก่อน +1

      本当にそう思います。個人店の良さは自分好みのお店が探せるのと、人の目があまり気にならないとこにありますよね?🙌

  • @koone2814
    @koone2814 8 หลายเดือนก่อน

    最後のお店には行きたい

  • @munetika2
    @munetika2 ปีที่แล้ว +2

    ここではないですが、新京橋商店街の「じゅじゅ庵」さん美味しいです
    奥にカウンタ席あります

    • @gurumetabo
      @gurumetabo  ปีที่แล้ว +1

      コメントありがとうございます
      このお店は全然見落としてました
      今度行ってみようと思います。ありがとうございます

    • @munetika2
      @munetika2 ปีที่แล้ว +1

      こちらに行き順撮ってますので、参考にしていただければ :)
      th-cam.com/video/vUaW1AiPkDo/w-d-xo.html

  • @潤司福中
    @潤司福中 ปีที่แล้ว +2

    焼肉専門みたいですね😅グルメタボさんってシュールですね♪行ってみます❤

    • @gurumetabo
      @gurumetabo  ปีที่แล้ว

      コメントありがとうございます
      焼肉専門って訳じゃないんですが、焼肉が続いてる感じです。
      おじさんなので揚げ物をあんまり食べなくなったのも要因の一つかもです😮‍💨

  • @おらにゃん-t7c
    @おらにゃん-t7c 20 วันที่ผ่านมา

    先日2024.11月に行ってきましたがハラミステーキ1680円に値上げ?されてたし肉も動画よりかなり小さくなってました。厚切りタンもえ?ってレベルで立ち食いで質、コスパはかなり悪いと感じました。あっキモは美味かったです

  • @vertexlucky
    @vertexlucky 3 หลายเดือนก่อน

    はらみステーキ1,600円でした

  • @あっしはタダノ町人
    @あっしはタダノ町人 11 หลายเดือนก่อน +1

    徳一。この店は何回も店主が変わって居ます。今の店主になってからほぼ観光客しか居ません。丸長と味一は凄くオススメです。

    • @gurumetabo
      @gurumetabo  11 หลายเดือนก่อน

      何回も変わってるんですね😖

  • @r-pc8tw
    @r-pc8tw 5 หลายเดือนก่อน

    焼肉もホルモン焼も関西人は大阪発祥みたいに言うけど、全然違います
    モツ(ホルモン)のメッカは東京です。歴史も古いです。江戸の終りから明治にかけて盛んでした。ホルモン焼は大阪だけの呼び名です。大阪以外ではモツ煮込み、もつ焼き、モツの串焼きなど、モツと呼んでいます。
    大阪なら、どて煮、どて焼が大正時代から食べられています。
    焼肉の発祥は北海道です。焼肉の本場も北海道です。大昔から北海道は畜産業が発達してたのです
    韓国にホルモン焼と焼肉が伝わったのは朝鮮戦争後です。
    浅草のホッピー通り
     浅草の伝法院西側に、「ホッピー通り」というストリートがあります。
    昼間からホッピーを飲む人で混雑する飲兵衛の聖地。ズラリと並ぶ居酒屋の名物は、ホッピーと煮込みです。このストリート、別名「煮込み通り」ともいいます。
     この内臓肉の煮込みは、150年以上前から存在する東京の伝統食。記録に残る動物の内臓料理としてはかなり古い部類に入ります。
     古い資料ですと、坪井正五郎『工商技芸看板考』(1887年刊)に、明治維新の頃に富士山藤次郎という人が、品川で牛の煮込屋を開業したとあります。
     進斎年光『浮世繁昌穴さがし』(1871年刊)には、天秤棒で煮込みを売り歩く振り売りの姿が描かれています。
     これらの資料には煮込みの具体的な姿は描かれていません。煮込みの姿が明らかになるのは、1884年の服部誠一『東京新繁昌記初編』においてです。
     そこに描かれた煮込みは、「弁慶」のような串に刺さった煮込みでした。