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今の日本人には、清太がいっぱい居ると思う。人付き合いが煩わしいと避けて、でもそれ故に孤立し。プライドが邪魔して、周囲に助けを求められず。都合の悪い事から目を逸らすから、視野がどんどん狭くなり。それを咎めてくれる人が周囲には誰も居ない。やがて真綿で首を絞められるように身動きがとれなくなっていく。鬱による自殺とか、育児や介護疲れでの虐待とか、その辺はだいたいそんなパターン。今まではそれを何と言うのか分かってなかったけど。「貧困」という言葉の意味を、やっと理解した気がする。貧しいというのは、何も貨幣だけじゃないんだね。
すごいですこのコメント!!
だからといって清太を叩いて白い目で見れば豊かになるのかという問題にぶちあたって忌避するようになる。誰しも清太になるかもしれない事に目を逸らすと日本人は他人を慮る事ができない心の貧しい国になる。貧乏はあっても貧困はないという言葉は言い得て妙ですが、貧困は穢多非人というのがあったように許されなかった、排斥されてきた歴史があるのだろうなと考えますね。それを改める律する社会を作る方がより豊かになるのかなと。他者を無理矢理に変える事は不可能なのでまずは自分から、他人は国が責任持って指導するべきなんです。
つまり清太から搾取するおばはんみたいな奴も多いってことかぁw
なにかにつけてモヤモヤする、って不機嫌を正当化するのは心の貧困なんだよね。自分の機嫌は自分で取らないと自滅するよ。
@@grg78ijyq34あれってたしか、自分の子供達も家事手伝ったり働いたりして必死でお金を得たり食べ物を得たりして日々食いつないでいるのに、親戚とはいえ転がり込んできた居候である二人(おもにせいた)がそこそこいい家柄だったため孤児になってもプライドゆえに家事を手伝うでもなく働くでもなくただ家でだらけてて、持ってきたわずかな食べ物すら自分たちだけのものにしようとしたから、あの仕打ちになったんだよね?よくよく見ると二人がしいたげられるのがわかる気がする。それが正しいことではないにしても、戦争という非常事態にあって人様の家にお世話になるのになにもしなきゃ「なにかやれ!」ってなりますよね…自分の子供達すら毎日必死で生きてる中で親戚の子とはいえ身元引受てくれただけでも感謝なのに。
実際の事件で、年老いた姉妹が自宅で遺体で発見されたニュースを思い出しました。解剖の結果、2人の死因は餓死だったそうで、家の中に食べ物は全く残っておらず、2人の胃の中は空っぽだったそうです。自宅や土地を売却するとか、方法はあったのではないかと思うのですが。貧乏はそれを笑える心の余裕があり、貧困はただひたすらに俯いて耐え忍ぶというイメージがあります。貧しくともそれを笑い飛ばせるほどの、力を持ち続けたいと思います。
貧すれば鈍する。本当に貧しいと、そこまで頭が回らないでしょうし運が悪ければ誰かを頼った結果、搾取されるだけです
外国の方は貧しいなら犯罪も仕方ないと言っていました。日本人は唯耐え忍ぶ
妹さんが障害持ってて働けないけどお姉さんは面倒見なければいけなかった。でも養うのにも限界があって、行政を頼ったが断られた餓死したと。その話ですよね?貧すれば鈍すると言ってる人がいますが、鈍かったわけではないです。限界だったんです。頼るべき行政にも見捨てられどうにもできなかったんです。そんな人がいるんですよ、現代にはたくさん。決して彼女たちの責任ではないです。
社会福祉をもらうには 家なし生命保険なし 貯金なし ならすぐお金降りるが、あるなら それらを解約して使えと言われる それが嫌なら 生活保護は降りない 。 社協からお金借りるのもめったに貸してくれない、この老姉妹に ケアマネージャーついてないのが不思議だ、役所が老人福祉の方に繋げなかったミスだよね ケアマネージャー入っていたら、妹さんを施設に入れて お姉さんの生活費を、どうにか作っていたはず、まったく残念な話でした
@@asukag-4447本当にこれ。
私の中では「貧困」は心を鬱屈とさせ、病ませ、視野を狭くし、自虐や、ある時は恨みを持たせ、人間を狂わせるもののような気がします。
今頃になって言われてる天にも地にも人にも感謝するだとか自他ともに大切にするとかは昔の日本人の心には備わっていた豊かなものなのに、それが資本主義になることでなくなってしまい貧困は造られたんだと思います。資本主義の競争で奪い合う事で自分が富を得る。という考えは結果、争いに繋がりお互いをとことん焼き尽くす戦争を引き起こす事にもなった。心を疎かにする貧しい理想には心さえも打ち砕かれる貧しい暮らしが待っているのです。
@@市田明美-c3x 一部おっしゃる通り便利になればなるほど自然に対する感謝の心は忘れつつありますねただ、補足をするのであれば資本主義が存在する前から階級差による相対的な貧困(自身を豊かだと思うかどうかは別として)は存在しましたし、戦争もずーっと昔からあります。むしろ多数が富むことで絶対的な貧困という概念が生まれるわけですし、資本主義のおかげで損をした人間より得をした人間の方が圧倒的に多いのではないですかね?戦争なんて武器を使うかどうかの違いなだけで同種族の争いというのはどんな動物でも社会でも行われてきたはずです。今更資本主義にかこつけて生き物の醜さを見えなくしようとしても不可能です。つまり何が言いたいかというと資本主義が諸悪の根源というわけではなく、もっと人間という生き物自体の不完全さに目を向けることが豊かさにはつながるのではないかと思う次第ですね。
@@市田明美-c3x 数百年続いた戦国時代とは・・・?
面白い分析ですね縄文時代には食料は自然任せだったので、平均寿命が30才前後で餓死も普通にあったと思われますが、でも集落の全員が平等に短命なので、格差のような貧困は確かに無さそうです彼らはそれで卑屈になっていたわけではなく、あの縄文土器のようなエネルギッシュな文化で暮らしていたその後、弥生以降は食料は自ら生産する農耕になりますが、幸いにも日本の気候は米の収穫量が非常に多いので、一時的な飢饉はあっても、ご指摘の通り江戸時代の終わりまで格差的な貧困は殆ど無かったようですね。封建社会になって階層はできても、実際は農民の方が豊かだったり、社会全体で貧困は生んでいません「貧困は明治になって輸入された」は、確かに、その通りかも知れません
使えない奴は殺されてただけだろうしね。使えなくても貧困になるだけで生きていける優しさを理解できるかどうか
本来ならこの世から脱落していたであろう人を社会の発展によって貧困層としてとどめられるようになったのは幸か不幸か…
お金があっても貧困なひとがいるし、貧乏だけど豊かに生きてる人がいる。自分は後者になれるよう、頑張ります。
@user-og5uv9sb9x お金があるってことはゆとりがあるってことですよね。そのゆとりが自分よりも恵まれない人に届けば、(例えば、税金で生活保護の人、児童支援、医療支援、自然保護など、、、不正に使われるなんてイレギュラーは確かにあるけど、実際救われてる人もいるわけで)たとえそれで貧乏でも生きてくことに事欠かない収入を頂けてその中で豊かに生きられれば、少しくらいは生まれてきた意味が見出せるのではないでしょうか^_^
「火垂るの墓」は本当にあった話と同じです。戦後、イタリアのローマも同じ状況だったようです。私の母も、死骸をまたいで電車に乗ったと言っていました。ちなみに、父はごはん7粒のために兄という人と生涯憎み合っていました。
こう言う視点は岡田さんならではだと感じます。考え方見方で豊かになれるを気づかせてくれる貴重な意見だと思います。
やっと気づきました、岡田さんは、日本の宝です。これからも、日本人の心を正しく導いてください。😊
アメリカの貧困層については、「ヒルビリー・エレジー」という本が話題になりましたね。田舎町に住む貧しい白人たちを描いたものですが、トランプがどのような人々に支持されて大統領になったのか理解するのに役立つ作品とも言われました
僕も子供の頃これに似た体験をしました。うちは昔炭鉱の町で当時まだそういう街並みが残ってて、本当の「貧困」を見ました。三井の所有地でしたが、子供ながらにもなぜだか涙がでてきて、友人も泣いてました。生活感が残ってて、これは見てはいけなかったのかなあと思った記憶がある。あとは潜水艦の発着場もあって、そこがまた悲壮感が漂ってた。低学年でまだそういう授業もなかった時分なので事情もなにも知らないけどそこでも涙が止まらない。蝙蝠やら飛び回ってるしなにか見られてる感もあった。背筋がゾッとするっていうのかな?。まあ給料自体はよかったんだと後には知ったんだけどそれっきりそこにはいけなかった。足がとまっちゃうんですよ。視える体質でもあったんです。
よく読むとただ怖かっただけなの芸術点高い
岡田さんの着眼点は天才的でとても勉強になります。
私も貧乏だけど,心は豊かで幸せです🎉🎉🎉🎉🎉🐈6匹と穏やかに暮らしています🏠
火垂るの墓を観た後の、イヤな気持の理由がわかって、良かったです。
火垂るの墓は真実だがね。
その日暮らし、宵越しの金は持たないっていう生活ができるのは社会が豊かな証拠だもんな。今でも田舎なら近所同士色々融通しあってそこまで金を介さずに生活できるのかもしれないが、都市部はどう足掻いても貨幣経済から距離を置くことは不可能。
都市部のほうが日雇いバイトで稼いでネットカフェに泊まるその日暮らしはやりやすいですよ。女性なら風俗で稼いで豪遊することもできる。それが田舎から人が出ていく理由の一つ。
心が荒んで、視野が狭くなっていって、選択できるはずのことを選択できなくなっていくと人は逃避することができず、飛べば良いとか遠回りすれば良いとかの発想もなく目の前のことをひたすらにこなしていくにも関わらず落ちていく、ただただ蟻地獄に落ちていくっていうのを貧困という。
太宰治の人間失格を読んだ時その感覚を感じました最初の感想がまさにえ?なにこれ?だったんです。
昔は貧乏人の子供も金持ちの子供も一緒に遊んでて、子供もたくさんいたけど近所中で助け合ってたな。貧乏を貧困と言ってはいけない。貧困は食えないで死ぬ奴。
やっぱり岡田氏の話は面白いなー♪
火垂るの墓って子供の頃に見て、何一つ面白くなくて意味がわからない映画って記憶なんだけど、ある意味正しかったんだな。自分の短い経験でしか世の中の事を知らない子供が、世の中には素直に助けを求めることもできない人もいるなんてこと、身近にいなければ想像もできないもんな。今見たら面白いかもしれないので今度見てみよう
どうでした?
@@lenonbob363 すまん、まだ見てない
@@lenonbob363 おう見たぜ。岡田さんの解説もあって「全く意味のわからない無価値な映画」だったのが「最高に気持ち悪い大嫌いな映画」までランクアップしたぜ!
@@yappym2898 報告ありがとうございます!
岡田さんの切り抜きを配信してるところって、どこもチャンネル名がナイス!ですね。さすが、岡田さんファン。コメント欄も嫌味がなくて好き❤です。
江戸時代だったかな?日本に貧乏は存在するけど貧困は存在しないって言葉を残した外国人がいて誰か忘れました😿
バジル・ホール・チェンバレン、イザベラ・バード、おそらく前者の方かな🤔 素晴らしい‼︎
娘を苦界に売り、しのいでいた。時には息子も売られた。
@@檀良-g4u 丁稚奉公
いないよ!
貧困が存在しなかったら遊郭もなかったのでは…
貧困は笑えないが、貧乏は笑い飛ばせる。発想が貧困とは聞いたことがありますが、発想が貧乏とは聞いたことがありません。その辺りの違いに、発想というものがいかに大事なのかが込められている気がします。
人は追い込まれると簡単なことが出来なくなるって聴いたことがあるけど。そうか、なるほど。
それこそが「貧すれば鈍する」ということなのでしょう。この言葉は他人に対する情けないとか、負け犬とか、弱者とかのコンテキストで使ってはいけない言葉と強く感じます。自嘲だとしたら、更に分からない。分からないというか、たとえば「俺ってまさに『貧すれば鈍する』なんだよね」って、そんな言葉を安易に出してしまっていることに気づいていないことがまさに鈍じている事そのものであり、だったら素直に「助けてくれ」って言う方がまだ人間可愛げがあるってものですが、難しいのでしょうね。自分を見つめるツールとして心に持っておくに留めるのが正しい用法なんだと思います。
アフリカとか日本よりはるかに鉱物資源があり、すぐ北がヨーロッパ、北東にちょっと逸れても大油田という恵まれた土地・・でも、そこに住む人間は今だにあの調子っていうのはまさに貧困。貧乏から抜け出す、「豊かに暮らす方法がわからない」ってのが本質と理解しました。
確かに岡田さんの言う通り!それは海外から入ってきたものです!!いまだにその原因が分かってない日本の経営者は多いです。かつてのソニーの森田、トヨタやホンダ、そし日本石油、彼らの経営方針こそ日本的ですよ!アメリカの経営者や株主というと、自分の会社経営の悪化には全く興味がありません。そこからふんだくれるだけボーナスを取って、別な会社を探して見つけたり、その会社が沈没寸前に、もう一つ別な会社へ乗り代えればいいと本気で思ってます。前の会社が沈もうが全員失業しようが知った事ではなく彼らの興味は売り上げの帳簿だけです。ですから将来へ製品や開発には全く興味がなく、興味があるのは収益率、投資効率、帳簿上の数字だけです。もっと手っ取り早い方法をとる経営者もいて、自社の資産を切り売りしたり、子会社を売りに出したり。当面の利益があがり多額のボーナスが増えさえすればそれでいい、もっとひどい経営者は売上を銀行に預けて利子を稼ぐ事、それも極普通の発想です。だからアメリカでは、食品会社など別なカテゴリーにいた経営者が、突然、車や飛行機の会社の経営者になることはいたって普通ですね。これでは日本より良い製品が作れる訳がありませんし、社員の家族まで心配する会社はまさに日本くらいです。アメリカなどは失業が多くて当たり前です。実は明治初年、岩倉使節団がイギリスなどを視察してその悲惨な現状を知り愕然としています。
誰も幸せにしない焦土戦術(scorched earth tactics)。
今の日本に求められるのは、豊かな日本だと思う。
減税
@@bee5007 御意
国がお金にがめつい
サラリーマンが武士にみえるのはそういうことか。と納得しました。なるほど。
貧困とは、まさに自分の親の事だと思いました。勉強しなさい!と言われて育ちましたが、いざ高校進学の際に、女の子に学は要らないと言われて、進学を反対されました。平成の事です。そこから自力で進学しましたが、子の将来の進路について、知る気も無く、無学なままで平気な人なのだなと、親を疑うようになりましたが、結果、今、幸せに暮らせているので、それでよかったのだと思っています。
私も貧しいです。なんか視野が狭くなっていきます😊😊助けてって言う選択肢も見えなくなっっていくんです😢😢これは不思議です😮😮そっからスパイラルに入っていった気がします😊😊😊理解出来ました😊ありがとうございます😊😊大事なところでした😊😊
感動の話しでこんなエピソード出てくるの、聞いててほんとおもろい
ごくろうさんです。岡田さんは、人を幸せにする天才サイコパスですな
キャリコの岩の家の人が不幸せだったかどうかはわからなくて、それを無意識に不幸せだと決定付ける事が何かわかりませんでした貧困にしても貧乏にしても他人が見た時にこうはなりないなって思うかどうかなのかなぁと思いました貧困は困って助けを求めてるひと、貧乏は何はなんでも楽しくやっていける人くらいの違いかなぁとか思いました本当の感動の話はよくわかります面白い話しありがとうございました!
その辺が戦後生まれの「底の浅さ」だと思う。一瞬見ただけでくだらない想像力を逞しくして無意識に不幸せだと決めつける。おバカなニッキョーソの教育を受けてきてアタマおかしくなった。自分も戦後生まれだが、時折「戦前生まれじゃい!」とドヤ顔してみたくなる妄想を持つ。
それは君は現場で見てないからな。百聞は一見にしかずですよ。「なんで不幸せだと思ったのかわからない」→岡田斗司夫が間違えてる、じゃなくて「わからない」→実際に観に行こう。って考えを持ちましょう。
情のお話、とても良かったです。
今回動画を観させて頂いてホッとしました、ありがとうございます。漁村で暫く、子ども時代を過ごしたのが今活きています。暮らしの豊かさが食べ物と寝床だなと痛感した青年期。
知り合いに、94歳独居、力添えを申し出ても拒否する女性がいます。ケアマネのアドバイスにも耳を貸さず「一人でよい」と言うのだから、もう他人の出る幕はないかと…健康に不安もあり、介護保険制度の更新手続きもしないままだけど、本人の意志を尊重するしかない。どんな結果になっても、それは仕方のないこと。
火垂るの墓は本当に苦しくて苦しくてもう二度と見たくない。清太に腹が立つのと同時に、なぜたった4歳の子があんなに辛い思いをして死ななければならなかったのか。
わかる感動すると「唖然」とするし「呆然」とする。実際ある現代美術館に入って出てきた時、全身に小さな震えが走って「なんぞ不思議な世界に連れていかれた」って感想しかでなかったし、どことなく頭のどこかがぼーっとしたんだよな。後であれが感銘とか感動ってものだと気付いたわけだけど。確かに貧困とは金の問題じゃないんだよなぁ。心の問題であって確かに経済的なものでもあるんだけど、一番の原因は心だなと。
キャリコ行ったことある〜。 開拓者の生活って『こんなもん』っと言うことであって、『虚無感』がないとは言いませんけど。 一髪千金の夢があるから耐えられる世界だったと思う。 貧しいけど不幸じゃない。と言う世界もあるんだよねぇ。
「一髪千金」は、なかなか独創的な四字熟語だね。危機一髪と一攫千金を掛け合わせたという。
ドラクエⅣの勇者の幼馴染のシンシアを思い出しますよ。村が襲われた時に「あなたをタヒなせはしない ! モシャス ! 」って、勇者の身代わりになって散っていったんですよね。あの時は、コントローラーを握ったまま、しばらく放心状態でした。あれ、真の感動だったんですかねぇ。
泣けるのは「感涙」ですからね。感動は「心が動く」意味でのことではないかとおもっています。
江戸時代であろうが、現代であろうが、そこかしこに文化の匂いや粋みたいな感覚を感じることができる。それが、豊かさの源流なのかなと。
講談の『鋳掛松』は貧困者(草履を欲しがる子どもとその母親)を前に心が動かされて盗人になったのだろうか。義憤という言葉では言い表せないものを聞いていて感じたことがあります。講談は明治以降の作が多いから、貧困の輸入時期とも合いますし。ああ、貧困について語るのは難しい…。
ゴーストタウンの話、素晴らしい体験をされたんですね。真実に接した時の想いが良く語られていると思います。ただ、洞窟住居の中の描写をもう少しリアルに厳しく表現して欲しかったなぁ・・・って思いました。(小説の小池)
その状態を抜け出せるか抜け出せないか・・・その人の心持ちがカギになるんですね
逃げ場のない場所で働いている、黒人奴隷の映画を一ぺん見てみな。「心持ち次第」なんてことは、二度と言えなくなるはずだよ。
なるほどなあ…今現在でも子供を育てられないからか周囲に相談できないからか殺して遺棄してしまい逮捕される若い母親の事件がよくニュースで流れますよね。相談さえしてくれれば助けられる命なんだけど、相談するという選択肢を考えられない若い母親達が確かにいる。
めっちゃ面白い話だった、聞けて良かった
自分から選択して貧しい生活をする清貧という生き方があるが、プライドが邪魔して困っているのに清貧的な生き方をしてしまう人がいると思う
芸術家がmarketingをとるかプロダクツをとるかの悩みプライドでなくもろに生き方の問題プライドなんてものは人の目を気にしたもので自分の生き方とは違ったもの山下清のように自分に素直に生きるとそうなってしまった結果的なもの
人って世界の1割の事しか知らないと言いますね思うに、残りの9割は思いやりを持てるかどうかにかかっていると思います種族を超えて思いやるということは人間にしかできないそしてすべての人間にできること
「大改造ビフォーアフター」でも、リフォームの匠は風通しと日照を重要視しますよね。20世紀なのに石器時代みたいな穴倉(陽当りも風通しも悪く、湿気や臭いが籠もる)で暮らし、先の展望の無い貧困生活するのはどんな惨めな気分だったんだろうと想像すると、暗い気分になります。(長文駄文失礼しました)
カリフォルニア内陸部のめちゃくちゃ乾いた土地柄なので、湿気の籠った土中生活はむしろ理に適っている。現地の気候風土を無視して語っても無意味。
風通しと日刺しを重要視するのは日本の気候が夏は蒸し暑く冬は底冷えするからだぞ?逆にヨーロッパの気候は湿気が無く、夏は日差しを遮ればすごしやすいが冬はとても冷え込むから家は窓は狭く、熱を逃がさないように外気温をシャットアウトする実際ヨーロッパでも横穴を掘って作られた家はあるし、それがその土地の気候に適した家だってだけ
アメリカのバーでピーナツの殻を床に捨てるのは、踏んで油を出してそれをワックス代わりにしているのだそうです(11年アメリカ駐在していた姉夫婦談)
福岡ですが、昔やはり同じ理由で、床にピーナッツの殻だらけのバーがありましたねぇ。ちょっと思い出してしまいました😊
村上春樹の小説に出てくるバーもそんなだった
まさにその通り。だから床が木で出来てないと意味が無い。
40年前ですけど、仙台にも有りました。
貧困って3種類あって①経済的貧困②社会的貧困(社会とのつながり)③教育の機会の貧困(その人に会った教育を受けられる)これらから考えると②、③は既に貧困に陥ってるんじゃないかな?と思います。江戸時代は②、③が豊かだった。
私は、蛍の墓は、福祉の啓蒙って思ってました。反戦じゃないですよね。
確かラスベガス(だっけ?)の地下で住んでいた方(女性)は、大雨の排水でお亡くなりになってたはず
豊かだけど貧乏。まさにアフリカで幸せに暮らしてる人達のことだね。
「貧困である」と「奴隷である」ためにその不幸せに気づかない。ってことはあるんでしょうかね?ライトノベルなんかを読んでいるとよく「その作者さんの奴隷というものに対する考え」に注目してしまいがちなんですが、最初にあった「キャリコの町の独房の様な部屋」のようなものを見てしまった時の感動はその独房の様な部屋を打ち破ってくれるのでしょうか‥。飛躍にすぎますが。岡田さんの様な世界をよくわかっている人たちにもそこでなんらかの「目から鱗」的なものがあるのかもしれませんが、清太の様などこにも逃げ道のない人々にもそれが訪れるようなヒント、裏技、なんかはないものでしょうかね‥。
貧富に関わらない知識による感動は、義務教育の意義のひとつだろう。死刑囚になってから勉強して視野が拡がって文学賞を取った永山則夫のような例もある。知識は希望となって人生を変える。少し動けば助かることを知っていれば、人は簡単に学習性無力感を克服できる。今は貧困な地域でもスマホがあって英語さえ分かれば、たくさんの情報に触れられる。事体は好転しつつある
昔おばあさんが言ってたけど、家族が死んだときに、かわいそうで泣いていたら、お姑さんに、「本当に悲しい時には涙は出ません」といわれたそうです。お姑さんは一人息子を事故で亡くした人でした。(ちなみに、おばあさんは、その後お姑さんが迎えた養子の奥さんです)火垂るの墓は、清太が実に当たり前のように、人の家に忍び込んで盗みをしている姿が、印象に残ってます。そう、お金があるのに不思議だなあと思っていたんですよ。そういうことなんですね。彼には善悪の感覚がなくて、必要に迫られてできることをして、それが悪いことということも深く理解できなかったのですね。貧乏と貧困の違いはなるほどと思うところがあります。落語は貧乏がないと成立しない話がほとんどで、貧乏にはそこにおかしみも、豊かさもあるから、話になるわけで、貧困しかなければ、落語に使われることもなかったんだろうと思います。
黒澤明監督の件は笑ってしまいました😂でも巨匠も感動させるなんて凄いですね。貧乏暇なしという言葉もありますから確かに貧乏には未来を感じますが貧困には貧しいのにお金を稼ぐ能力さえ見出せない苦しさ、出口の見えない悲しみを感じますね。
可哀想とか思わなくても、涙は出るよ。。よく、分からないけど、、なんで涙が出るんだろ。。それから、涙の訳が、日にちすぎ、色々な事を体験するうちに、、そっだったか、、と自分の中で分かったりする。
すげぇこの話術
江戸時代にタイムスリップして見て観たい 当時の人達😊
物質的には豊かになっていますが、精神的には貧しくなっていますね。今の日本は。
アダムスミスの国富論だけ取り入れただけだからな〜
なお、日本はかなり貧乏国家に成り下がってるぞw部屋だとわかりにくいけど・・
江戸時代民おるやん
貧困と貧乏の違いと感動のところで感心してたけど黒澤明の誤解で全部吹っ飛んじゃったw
今日もありがとうございます
人は格差を知って貧しさを実感します。スラムで腹がへった病気で死ぬのが当たり前の世界でそれしか知らなければ貧しいという考えがない。子供のうちは貧しいとは思わないけど大人になって行動半径が広くなると自分が貧乏だという事を認識します。
心、知識、など、人の内側の貧しさ(乏しさ)、これが貧困なのですね。良い悪いは別として。
やっぱそうなんだ。本当の感動って泣かないんだ。昔、告発って映画見てしばらくボーーーっとなった。心が空っぽになったような感覚。あんな感情は後にも先にもあの時だけで今でも忘れられない。
やっぱそうやっぱそうなんだ。それは経験的に感じていたってことなんでしょう。それを岡田の話しを聞いて分析しだすとおかしくなってゆく分析したりせずうけた感動をそのまま受け止めれば良さそうだ。例えばけがをして出血すれば当初でてくるのは「うっ」とか「あっ」という言葉にならない言葉それを「痛い」といった瞬間すでに怪我をした瞬間から別の次元に入っている。
脳が情報を処理できない状態になってフリーズするみたいな?
友人三人と一緒にメルギブソン監督のパッションを観た時にそうなった。映画館からの帰り道車の中でずっと三人とも無言状態が続いたな、、
告発、私も観て、頭から離れなくなりました。
岡田斗司夫はいいこというな~ 最近、一日千円使わないチャレンジしているんだけど色んな野菜でキムチを作るのがとても楽しい。作るとめちゃくちゃ安いんだ。貧乏な国だった韓国の知恵なんだなあとか気づきました。遊びの誘いも一切断って生活が楽過ぎる(笑)
そんな安く済む?
@@crownclown205 刻んで小分けに作っています。生姜みたいな薬味が意外と高くつくので、安く買えた時にすりおろして砂糖漬けか冷凍しとくのがおススメです。野菜も値引きになっているもので十分です。後は、韓国食品店で魚醤さえ手に入れば、野菜の塩もみに味付けする様なものです。味付けは…生姜、ニンニク、魚醤、ごま油、胡椒、砂糖、レモン汁を少しで作っています。白菜だけじゃなくて、生食できる殆どの野菜で作れますので楽しいですよ~
@@crownclown205 あ、トウガラシを忘れていました。材料は業務スーパーが色々揃っていて安いのでおすすめです。魚醤(ナンプラー)も売っていたと思います。
@@youkaihunter 興味出てきました〜、ありがとうございます!
韓国が好きではありませんけど 美味しいキムチを作るのなら 梨や林檎 昆布も要るかと思います。昆布をハサミで細く切るのって結構大変でした。あと 人参もすりおろして入れてました。スルメイカの肝臓なんかも・・とか言ってると プラスチックの樽で大量に作る事になってしまいますけど。
江戸時代は男性なら3日働けば10日食べられる世界ですから、いまより「幸福度」が高かったんでしょうね。しかもそれでも本も読めるし二束三文でゴシップ誌は買えるし、まあ、ソレじゃ遊べないのは今と同じですが
水上勉さんの自伝を読んでいた自分からすると、違和感というか、認識の差異を感じてしまいます。岡田さんのお話が変だとか、おかしいというものではなくて、もっと掘り下げて学び直さないといけないと感じてしまう…。
見てと視覚を強調してるけど臭いと味覚と聴覚と触覚の不調和に三半規管と松果体とDNAの履歴が時を越えて反応をした体験。当時まだ水銀を使う精錬だから採掘関係者は特有の病気持ちで、水銀中毒者の隔離場を直観的に感じたのかも。
本当の貧乏を知らない人ばかりが増えて居るのですね、やはり全国民中流!って育ちなのね、アメリカの話で貧困だと極め付けるのは間違いですね、実際住んでいた人にとっては懐かしい家かもしれないですよ、アメリカ人は日本をうさぎ小屋🇯🇵🐰とか狭いとか馬鹿にして居たのを思い出します!今はどうでしょう、蛍の墓とは、世間知らずのおままごと兄妹の悲劇だと思います!兄に生活、ということを教えなかった親の責任です(裕福で家事は全て使用人任せで、日常生活を知らない馬鹿兄も可哀想だった!:
「アメリカ人は日本をうさぎ小屋とか馬鹿にして居た」って、1980年代に日本の自虐マスゴミがばら撒いたデマだよ。実際には当時のEC(現在のEU)のフランス語版報告書に由来するが、フランス語ではごく普通の「公営団地」のことを「ウサギ小屋」(仏 cabane[s] à lapins または cage[s] à lapins)と表現する。この報告書が英訳された際に、機械的に rabbit hutch[es] と誤訳された。英訳するなら当時の加盟国だったイギリスの言葉で council block[s] とすべきだった。百歩譲ってアメリカ英語にするなら、housing complex[es] だ。つまり誤訳が誤解を生んだという典型例。
Calico Ghost Townの岩の家の動画が他にあったから見てみたけど、近くに酒場もあるから仕事の後に食事や酒でワイワイやって、部屋では寝るだけって使い方がされていたと思う。それにトイレなんかも共用みたいだったから、他の住人とのコミュニケーションもあるだろうし、現代のような孤独感はほとんどなかったんじゃなかろうか。
すごい勉強に成りました!有難う御座います。
給付金をもらう際に手続きが必要だった時の貧困若年者の話を思い出しました。
軽度の知的障碍が入っちゃってる人いるけど、本人も周囲も自覚が無く自滅していく。
火垂るの墓で思い出しました最近、沖縄で上映されている映画「遠いところ」がまさにそれでした。貧困ゆえに、どうしたらいいのかわからない未成年の母親。華やかなイメージの裏側にある沖縄のもう一つの現状。けれど、沖縄だけじゃないだろう「貧困」の最中にいると思われる人は世界中にいる。まさに江戸時代の都市部と田舎の状況が混在する現代だと気がつきました。この映画を見てずっとモヤモヤしていたのが少しわかりました。それにしてもキャリコの町とモーの店に行きたいです。
いや、東京から見た場合に、沖縄に「華やかなイメージ」は欠片も無いがね。
宮崎駿監督が微妙な顔をしたと話す場面で心から愉しそうに笑う岡田先生大好きですwww
キャリコの岩窟住居、マインクラフトでの最初の夜を思わせるw ゾンビに外からドアをバンバン叩いてこられたあの絶望感。
何言ってんだこいつ
高校ぐらいの時、近所に住む職人さんは月末締めの10日払いで給料もらうと、飲んだり麻雀やったりで仕事に行かない毎月20日も過ぎると親方が「お~い遠ちゃん、そろそろ出てこいや」とダンプで迎えに来る、、、渋々仕事に行くそんな職人さんがまだまだ居たのは、職人さんの日当が良かったからなんですね
〉浮世絵で包むのが流行ってたそれは明治初期に錦絵を輸出用の茶の梱包材にしていた話。ただ錦絵は幕末の頃子供の小遣いでも手が届く値段だった。
0080の最終話を初めてみた時は確かに涙は出なかったな。頭が真っ白になった。
貧困=奴隷と言っても過言ではないかと。。貧乏はお金が無いだけで、一定の食い物が有り、笑いが有ることなのかな?
平安時代は相手の顔を見ずに和歌を遣り取りして相手の知的レベルとセンスを知る段階を経て、更に関係が進んでも会うのは夜、という恋愛でしたよね? これは貴族間のお話で庶民は単純に一目惚れだったかも知れませんが。
岡田さんは、ご自身をサイコパスとおっしゃっておられますが,、それは、戦略ですよね。言動には、ご配慮がありますし、利己的とも思えません。客観的に考える上で、非常に勉強になります。所で、私は、サイコパス的な人に利用されて、切り捨てられるという経験が多いです。今までは、協力したかったから、してきたので、後悔はありませんが、最後には、陥れられて、終了というケースが多かったので、そういう人生に疲れてしまいました。今後は、利用されて、陥れられるという結末を避けたいのですが、どうすれば良いでしょうか?娘に言わせると、私は人を見る目がないです。私もそう想います。
ホントのサイコパスは自分をサイコパスとは呼ばないから。
預金封鎖 が ありました インフレで また 配給制度でした 日本の敗戦時の こと もっと わかってほしいと おもいます蛍の墓 もっともっと かわいそうな背景が あります
みんながその日暮らしっていうかそもそも会社という概念が無かった時代だから城勤め以外は全員フリーなのは当然と言えば当然
黒澤明の勘違いのくだりで飲んでた紅茶、吹きました。あわわ.。o○
赤貧という言葉があり昭和世代に漢字に意味は理解できても感じられないだろうと明治生まれの祖母が語る文章がありましたが岡田さんムーミンと貧困を感じたのですね。赤貧とは米櫃の米が無くなり明日から食べる米が無い暮しだとか。アメリカ開拓時代に実らず飢えに耐えきれず斧で妻を殺し食べた記録があり他国の開拓時代に類のない事件だとか。2畳か山形県銀山に存在したかしらん。
岡田さんのこの動画見て思ったのは、岡田さん、『雪國』の島村にビッタリだなと思った。『〜無為徒食の私は自身に対する真面目さを取り戻すため1人で旅をしていた〜』という一文を連想させる笑体型といいなんといい、いやはやほんとビッタリ。原作通り(*´艸`)
「雪」の正字(舊漢字)もパソコンで打てるようになるといいんだが。
ホンと面白い話ですね いつも楽しんでます ただ火垂るの墓は 野坂もあんなの作り話っていってましたし 当時の軍の偉い人の息子だったら町ぐるみで救ったそうですね 野坂本人に問題があったとも思います(まだ子供だったが)が、すべて戦争が悪い、世間の冷たさ等を誇張しているあの映画が嫌いです
物質文明に毒された人が、物が無くなると貧困になるんじゃないかな?物が無い事を笑い飛ばせる人は貧乏になる。
「ひとめぼれ」は情ではなく瞬間的な感性では? ひとめぼれで夫婦は長年連れ添えない。あと、貧乏だったから富国強兵じゃない。欧米列強からの植民地支配を受けないための富国強兵。
火垂るの墓は公開当時、劇場で観ました。トトロと同時上映だったのかな幼稚園児だった時、親に連れて行かれて。トラウマです。怖がってギャン泣きしたと親に言われました。可哀想な話という着地点にも辿り着けず、今も怖くて観られないです。
貧困は日本では全く想像もできないですね毎日毎日昼食で食べもしないのに取ってそのまま食べ残して捨てる人が多すぎて見ていると悲しくなります食べ物なんだと思ってるんですかね?食べないなら”取るな”と言いたいですね自分が火垂るの墓を見たのは一度きりです20の頃に観て思ったのは悲しい話とか感動とかじゃないかな激しい怒り/憤り見終えて何故?しか感じませんでしたね有体に言えば「胸・糞!」でしたね今になってみても同じこと思うんだろうなーと、思ってみる気にならないかなセイタ君きみ意味わからないよ観ながら憤りすぎて涙出てきたのは最初で最後だったのを考えれば名作だったのかなーとも思いますが。。。自分の中では胸糞アニメというカテゴリーです
あのノサカとかいう作家もとんねるずの石橋と大喧嘩したり、大島渚監督から公開ビンタされたりで、なんだかなぁとは思った。アニメは観てないが、もしセイタ君として夭折していたら綺麗な思い出だけで済んだのに、汚い大人として生き残り、だからこそ「アメリカひじき」のような作品を残した。さすがにいくらビンボーでも紅茶の茶葉をヒジキと間違える田舎者は少なくとも既に戦前から関東には居なかったが、関西だとそんな人も居たのだろうか。
黒澤明さんが間違えて宮崎駿にメッセージしたなんて・・・大変興味深いお話を有難うございます、タケカワユキヒデさん!
富国強兵も輸入概念でしたね。
いやいや江戸時代は上司や親の命令で結婚するのが普通で惚れてないところから始まるのが普通の時代ですよ結婚式でお互いに初めて顔を確認しそこから男女の関係を始めろという正に無粋の極みだったのが江戸時代ただその反面、隠れて恋愛も行われていて、恋文の手引書なども残っており、そこには「直ぐに返事は書かない」などの駆け引きも書かれていて正に恋愛そのものつまり他者に男女関係を強制されるという一目惚れとは真逆の文化もあったし裏ではしっかり今の恋愛と遜色ないことがあったということ
人口が少ないと仕事の隙間産業がたくさんできると思うからその日暮らしでもどーにかなって心が豊かに保てたんじゃないかな人口増えたら隙間がないから貧困になってしまったんじゃないかな
江戸時代のお金は、文、朱、分、両、です。円、ドル、モンド…などが同時に流通しているようなモノと聞いた事があります。貨幣を作っている藩の状況で、価値を失ったりするし、同じ単位の硬貨でも種類が違ければ価値が違ったり、、貯めていても意味がない。茶碗など瀬戸物の価値の方が信用できる。物々交換でモノが買ていたり、、商人の蔵にはそんなのがいっぱい~!まだ貨幣が確立されていない。そんな時代だったのは大きな違いに思えてなりません???;;、、
モンド(仏 le monde; 伊 il mondo; 西 el mondo)=「世界」とかいう通貨が存在する異世界から来た人?
江戸時代は、まだ、「お金を持っていた者が偉い人」という価値観では無かった。かもしれませんね!!、現実として、その後の日本を変えた大物人物の中には(いや、ほとんど??;)明日の生活費も持たず,助けられ続けて、後に!大物に出世し大金持ちになっている人々のイメージがあります!、そもそも武士階級も、サラリーマンの分類かもしれませんね^^;;、でも;貧困ではないかもしれませんが;;、貧乏の度合は、おぞましいかった事は確かかもしれませんね;(えーじゃないか、えーじゃないか、えーじゃないか^^!)
おっと、×西 el mondo〇西 el mundo スマソ。
オカネが、今の貨幣(信用取引で成り立つ日本銀行が監視している安定しているモノ?;)では無かったですよ!!、この動画が参考になると思います→「【通史】経済から見る日本史【貨幣経済】」を検索してみてください。
おもしろかった!
物質だけでなく気持ちにも及び、考え方生き方に染みついてしまった貧しさは、取り巻く世界が変わらないと弱者には太刀打ちできないですね。
今の日本人には、清太がいっぱい居ると思う。
人付き合いが煩わしいと避けて、でもそれ故に孤立し。
プライドが邪魔して、周囲に助けを求められず。
都合の悪い事から目を逸らすから、視野がどんどん狭くなり。
それを咎めてくれる人が周囲には誰も居ない。
やがて真綿で首を絞められるように身動きがとれなくなっていく。
鬱による自殺とか、育児や介護疲れでの虐待とか、
その辺はだいたいそんなパターン。
今まではそれを何と言うのか分かってなかったけど。
「貧困」という言葉の意味を、やっと理解した気がする。
貧しいというのは、何も貨幣だけじゃないんだね。
すごいですこのコメント!!
だからといって清太を叩いて白い目で見れば豊かになるのかという問題にぶちあたって忌避するようになる。
誰しも清太になるかもしれない事に目を逸らすと日本人は他人を慮る事ができない心の貧しい国になる。
貧乏はあっても貧困はないという言葉は言い得て妙ですが、貧困は穢多非人というのがあったように許されなかった、排斥されてきた歴史があるのだろうなと考えますね。
それを改める律する社会を作る方がより豊かになるのかなと。
他者を無理矢理に変える事は不可能なのでまずは自分から、他人は国が責任持って指導するべきなんです。
つまり清太から搾取するおばはんみたいな奴も多いってことかぁw
なにかにつけてモヤモヤする、って不機嫌を正当化するのは心の貧困なんだよね。
自分の機嫌は自分で取らないと自滅するよ。
@@grg78ijyq34
あれってたしか、自分の子供達も家事手伝ったり働いたりして必死でお金を得たり食べ物を得たりして日々食いつないでいるのに、親戚とはいえ転がり込んできた居候である二人(おもにせいた)がそこそこいい家柄だったため孤児になってもプライドゆえに家事を手伝うでもなく働くでもなくただ家でだらけてて、持ってきたわずかな食べ物すら自分たちだけのものにしようとしたから、あの仕打ちになったんだよね?
よくよく見ると二人がしいたげられるのがわかる気がする。それが正しいことではないにしても、戦争という非常事態にあって人様の家にお世話になるのになにもしなきゃ「なにかやれ!」ってなりますよね…自分の子供達すら毎日必死で生きてる中で親戚の子とはいえ身元引受てくれただけでも感謝なのに。
実際の事件で、年老いた姉妹が自宅で遺体で発見されたニュースを思い出しました。
解剖の結果、2人の死因は餓死だったそうで、家の中に食べ物は全く残っておらず、2人の胃の中は空っぽだったそうです。自宅や土地を売却するとか、方法はあったのではないかと思うのですが。貧乏はそれを笑える心の余裕があり、貧困はただひたすらに俯いて耐え忍ぶというイメージがあります。
貧しくともそれを笑い飛ばせるほどの、力を持ち続けたいと思います。
貧すれば鈍する。本当に貧しいと、そこまで頭が回らないでしょうし
運が悪ければ誰かを頼った結果、搾取されるだけです
外国の方は貧しいなら犯罪も仕方ないと言っていました。
日本人は唯耐え忍ぶ
妹さんが障害持ってて働けないけどお姉さんは面倒見なければいけなかった。
でも養うのにも限界があって、行政を頼ったが断られた餓死したと。
その話ですよね?
貧すれば鈍すると言ってる人がいますが、鈍かったわけではないです。
限界だったんです。頼るべき行政にも見捨てられどうにもできなかったんです。
そんな人がいるんですよ、現代にはたくさん。
決して彼女たちの責任ではないです。
社会福祉をもらうには 家なし生命保険なし 貯金なし ならすぐお金降りるが、あるなら それらを解約して使えと言われる それが嫌なら 生活保護は降りない 。 社協からお金借りるのもめったに貸してくれない、この老姉妹に ケアマネージャーついてないのが不思議だ、役所が老人福祉の方に繋げなかったミスだよね ケアマネージャー入っていたら、妹さんを施設に入れて お姉さんの生活費を、どうにか作っていたはず、まったく残念な話でした
@@asukag-4447本当にこれ。
私の中では「貧困」は心を鬱屈とさせ、病ませ、視野を狭くし、自虐や、ある時は恨みを持たせ、
人間を狂わせるもののような気がします。
今頃になって言われてる天にも地にも人にも感謝するだとか自他ともに大切にするとかは昔の日本人の心には備わっていた豊かなものなのに、それが資本主義になることでなくなってしまい貧困は造られたんだと思います。資本主義の競争で
奪い合う事で自分が富を得る。という考えは結果、争いに繋がりお互いをとことん焼き尽くす戦争を引き起こす事にもなった。
心を疎かにする貧しい理想には心さえも打ち砕かれる貧しい暮らしが待っているのです。
@@市田明美-c3x
一部おっしゃる通り便利になればなるほど自然に対する感謝の心は忘れつつありますね
ただ、補足をするのであれば資本主義が存在する前から階級差による相対的な貧困(自身を豊かだと思うかどうかは別として)は存在しましたし、戦争もずーっと昔からあります。むしろ多数が富むことで絶対的な貧困という概念が生まれるわけですし、資本主義のおかげで損をした人間より得をした人間の方が圧倒的に多いのではないですかね?
戦争なんて武器を使うかどうかの違いなだけで同種族の争いというのはどんな動物でも社会でも行われてきたはずです。今更資本主義にかこつけて生き物の醜さを見えなくしようとしても不可能です。
つまり何が言いたいかというと資本主義が諸悪の根源というわけではなく、もっと人間という生き物自体の不完全さに目を向けることが豊かさにはつながるのではないかと思う次第ですね。
@@市田明美-c3x 数百年続いた戦国時代とは・・・?
面白い分析ですね
縄文時代には食料は自然任せだったので、平均寿命が30才前後で餓死も普通にあったと思われますが、でも集落の全員が平等に短命なので、格差のような貧困は確かに無さそうです
彼らはそれで卑屈になっていたわけではなく、あの縄文土器のようなエネルギッシュな文化で暮らしていた
その後、弥生以降は食料は自ら生産する農耕になりますが、幸いにも日本の気候は米の収穫量が非常に多いので、一時的な飢饉はあっても、ご指摘の通り江戸時代の終わりまで格差的な貧困は殆ど無かったようですね。封建社会になって階層はできても、実際は農民の方が豊かだったり、社会全体で貧困は生んでいません
「貧困は明治になって輸入された」は、確かに、その通りかも知れません
使えない奴は殺されてただけだろうしね。使えなくても貧困になるだけで生きていける優しさを理解できるかどうか
本来ならこの世から脱落していたであろう人を社会の発展によって貧困層としてとどめられるようになったのは幸か不幸か…
お金があっても貧困なひとがいるし、貧乏だけど豊かに生きてる人がいる。自分は後者になれるよう、頑張ります。
@user-og5uv9sb9x
お金があるってことはゆとりがあるってことですよね。そのゆとりが自分よりも恵まれない人に届けば、(例えば、税金で生活保護の人、児童支援、医療支援、自然保護など、、、不正に使われるなんてイレギュラーは確かにあるけど、実際救われてる人もいるわけで)たとえそれで貧乏でも生きてくことに事欠かない収入を頂けてその中で豊かに生きられれば、少しくらいは生まれてきた意味が見出せるのではないでしょうか^_^
「火垂るの墓」は本当にあった話と同じです。戦後、イタリアのローマも同じ状況だったようです。私の母も、死骸をまたいで電車に乗ったと言っていました。ちなみに、父はごはん7粒のために兄という人と生涯憎み合っていました。
こう言う視点は岡田さんならではだと感じます。考え方見方で豊かになれるを気づかせてくれる貴重な意見だと思います。
やっと気づきました、岡田さんは、日本の宝です。これからも、日本人の心を正しく導いてください。😊
アメリカの貧困層については、「ヒルビリー・エレジー」という本が話題になりましたね。田舎町に住む貧しい白人たちを描いたものですが、トランプがどのような人々に支持されて大統領になったのか理解するのに役立つ作品とも言われました
僕も子供の頃これに似た体験をしました。うちは昔炭鉱の町で当時まだそういう街並みが残ってて、本当の「貧困」を見ました。三井の所有地でしたが、子供ながらにもなぜだか涙がでてきて、友人も泣いてました。生活感が残ってて、これは見てはいけなかったのかなあと思った記憶がある。あとは潜水艦の発着場もあって、そこがまた悲壮感が漂ってた。低学年でまだそういう授業もなかった時分なので事情もなにも知らないけどそこでも涙が止まらない。蝙蝠やら飛び回ってるしなにか見られてる感もあった。背筋がゾッとするっていうのかな?。まあ給料自体はよかったんだと後には知ったんだけどそれっきりそこにはいけなかった。足がとまっちゃうんですよ。視える体質でもあったんです。
よく読むとただ怖かっただけなの芸術点高い
岡田さんの着眼点は天才的でとても勉強になります。
私も貧乏だけど,心は豊かで幸せです🎉🎉🎉🎉🎉🐈6匹と穏やかに暮らしています🏠
火垂るの墓を観た後の、イヤな気持の理由がわかって、良かったです。
火垂るの墓は真実だがね。
その日暮らし、宵越しの金は持たないっていう生活ができるのは社会が豊かな証拠だもんな。
今でも田舎なら近所同士色々融通しあってそこまで金を介さずに生活できるのかもしれないが、
都市部はどう足掻いても貨幣経済から距離を置くことは不可能。
都市部のほうが日雇いバイトで稼いでネットカフェに泊まるその日暮らしはやりやすいですよ。
女性なら風俗で稼いで豪遊することもできる。
それが田舎から人が出ていく理由の一つ。
心が荒んで、視野が狭くなっていって、選択できるはずのことを選択できなくなっていくと人は逃避することができず、飛べば良いとか遠回りすれば良いとかの発想もなく目の前のことをひたすらにこなしていくにも関わらず落ちていく、ただただ蟻地獄に落ちていくっていうのを貧困という。
太宰治の人間失格を読んだ時
その感覚を感じました
最初の感想がまさに
え?なにこれ?だったんです。
昔は貧乏人の子供も金持ちの子供も一緒に遊んでて、子供もたくさんいたけど近所中で助け合ってたな。
貧乏を貧困と言ってはいけない。貧困は食えないで死ぬ奴。
やっぱり岡田氏の話は面白いなー♪
火垂るの墓って子供の頃に見て、何一つ面白くなくて意味がわからない映画って記憶なんだけど、ある意味正しかったんだな。自分の短い経験でしか世の中の事を知らない子供が、世の中には素直に助けを求めることもできない人もいるなんてこと、身近にいなければ想像もできないもんな。今見たら面白いかもしれないので今度見てみよう
どうでした?
@@lenonbob363 すまん、まだ見てない
@@lenonbob363
おう見たぜ。岡田さんの解説もあって「全く意味のわからない無価値な映画」だったのが「最高に気持ち悪い大嫌いな映画」までランクアップしたぜ!
@@yappym2898
報告ありがとうございます!
岡田さんの切り抜きを配信してるところって、どこもチャンネル名がナイス!ですね。さすが、岡田さんファン。コメント欄も嫌味がなくて好き❤です。
江戸時代だったかな?日本に貧乏は存在するけど貧困は存在しないって言葉を残した外国人がいて誰か忘れました😿
バジル・ホール・チェンバレン、イザベラ・バード、おそらく前者の方かな🤔 素晴らしい‼︎
娘を苦界に売り、しのいでいた。
時には息子も売られた。
@@檀良-g4u 丁稚奉公
いないよ!
貧困が存在しなかったら遊郭もなかったのでは…
貧困は笑えないが、貧乏は笑い飛ばせる。
発想が貧困とは聞いたことがありますが、発想が貧乏とは聞いたことがありません。
その辺りの違いに、発想というものがいかに大事なのかが込められている気がします。
人は追い込まれると簡単なことが出来なくなるって聴いたことがあるけど。そうか、なるほど。
それこそが「貧すれば鈍する」ということなのでしょう。この言葉は他人に対する情けないとか、負け犬とか、弱者とかのコンテキストで使ってはいけない言葉と強く感じます。
自嘲だとしたら、更に分からない。分からないというか、たとえば「俺ってまさに『貧すれば鈍する』なんだよね」って、そんな言葉を安易に出してしまっていることに気づいていないことがまさに鈍じている事そのものであり、だったら素直に「助けてくれ」って言う方がまだ人間可愛げがあるってものですが、難しいのでしょうね。
自分を見つめるツールとして心に持っておくに留めるのが正しい用法なんだと思います。
アフリカとか日本よりはるかに鉱物資源があり、すぐ北がヨーロッパ、北東にちょっと逸れても大油田という恵まれた土地・・でも、そこに住む人間は今だにあの調子っていうのはまさに貧困。貧乏から抜け出す、「豊かに暮らす方法がわからない」ってのが本質と理解しました。
確かに岡田さんの言う通り!それは海外から入ってきたものです!!いまだにその原因が分かってない日本の経営者は多いです。かつてのソニーの森田、トヨタやホンダ、そし日本石油、彼らの経営方針こそ日本的ですよ!
アメリカの経営者や株主というと、自分の会社経営の悪化には全く興味がありません。そこからふんだくれるだけボーナスを取って、別な会社を探して見つけたり、その会社が沈没寸前に、もう一つ別な会社へ乗り代えればいいと本気で思ってます。前の会社が沈もうが全員失業しようが知った事ではなく彼らの興味は売り上げの帳簿だけです。
ですから将来へ製品や開発には全く興味がなく、興味があるのは収益率、投資効率、帳簿上の数字だけです。
もっと手っ取り早い方法をとる経営者もいて、自社の資産を切り売りしたり、子会社を売りに出したり。当面の利益があがり多額のボーナスが増えさえすればそれでいい、もっとひどい経営者は売上を銀行に預けて利子を稼ぐ事、それも極普通の発想です。だからアメリカでは、食品会社など別なカテゴリーにいた経営者が、突然、車や飛行機の会社の経営者になることはいたって普通ですね。これでは日本より良い製品が作れる訳がありませんし、社員の家族まで心配する会社はまさに日本くらいです。アメリカなどは失業が多くて当たり前です。
実は明治初年、岩倉使節団がイギリスなどを視察してその悲惨な現状を知り愕然としています。
誰も幸せにしない焦土戦術(scorched earth tactics)。
今の日本に求められるのは、豊かな日本だと思う。
減税
@@bee5007 御意
国がお金にがめつい
サラリーマンが武士にみえるのはそういうことか。と納得しました。
なるほど。
貧困とは、まさに自分の親の事だと思いました。
勉強しなさい!と言われて育ちましたが、いざ高校進学の際に、女の子に学は要らないと言われて、進学を反対されました。平成の事です。そこから自力で進学しましたが、子の将来の進路について、知る気も無く、無学なままで平気な人なのだなと、親を疑うようになりましたが、結果、今、幸せに暮らせているので、それでよかったのだと思っています。
私も貧しいです。なんか視野が狭くなっていきます😊😊助けてって言う選択肢も見えなくなっっていくんです😢😢これは不思議です😮😮そっからスパイラルに入っていった気がします😊😊😊理解出来ました😊ありがとうございます😊😊大事なところでした😊😊
感動の話しでこんなエピソード出てくるの、聞いててほんとおもろい
ごくろうさんです。岡田さんは、人を幸せにする天才サイコパスですな
キャリコの岩の家の人が不幸せだったかどうかはわからなくて、それを無意識に不幸せだと決定付ける事が何かわかりませんでした
貧困にしても貧乏にしても他人が見た時にこうはなりないなって思うかどうかなのかなぁと思いました
貧困は困って助けを求めてるひと、貧乏は何はなんでも楽しくやっていける人くらいの違いかなぁとか思いました
本当の感動の話はよくわかります
面白い話しありがとうございました!
その辺が戦後生まれの「底の浅さ」だと思う。一瞬見ただけでくだらない想像力を逞しくして無意識に不幸せだと決めつける。おバカなニッキョーソの教育を受けてきてアタマおかしくなった。自分も戦後生まれだが、時折「戦前生まれじゃい!」とドヤ顔してみたくなる妄想を持つ。
それは君は現場で見てないからな。
百聞は一見にしかずですよ。
「なんで不幸せだと思ったのかわからない」→岡田斗司夫が間違えてる、じゃなくて
「わからない」→実際に観に行こう。
って考えを持ちましょう。
情のお話、とても良かったです。
今回動画を観させて頂いてホッとしました、ありがとうございます。
漁村で暫く、子ども時代を過ごしたのが今活きています。
暮らしの豊かさが食べ物と寝床だなと痛感した青年期。
知り合いに、94歳独居、力添えを申し出ても拒否する女性がいます。ケアマネのアドバイスにも耳を貸さず「一人でよい」と言うのだから、もう他人の出る幕はないかと…健康に不安もあり、介護保険制度の更新手続きもしないままだけど、本人の意志を尊重するしかない。どんな結果になっても、それは仕方のないこと。
火垂るの墓は本当に苦しくて苦しくてもう二度と見たくない。
清太に腹が立つのと同時に、なぜたった4歳の子があんなに辛い思いをして死ななければならなかったのか。
わかる感動すると「唖然」とするし「呆然」とする。
実際ある現代美術館に入って出てきた時、全身に小さな震えが走って「なんぞ不思議な世界に連れていかれた」って感想しかでなかったし、どことなく頭のどこかがぼーっとしたんだよな。後であれが感銘とか感動ってものだと気付いたわけだけど。
確かに貧困とは金の問題じゃないんだよなぁ。心の問題であって確かに経済的なものでもあるんだけど、一番の原因は心だなと。
キャリコ行ったことある〜。 開拓者の生活って『こんなもん』っと言うことであって、『虚無感』がないとは言いませんけど。 一髪千金の夢があるから耐えられる世界だったと思う。 貧しいけど不幸じゃない。と言う世界もあるんだよねぇ。
「一髪千金」は、なかなか独創的な四字熟語だね。危機一髪と一攫千金を掛け合わせたという。
ドラクエⅣの勇者の幼馴染のシンシアを思い出しますよ。
村が襲われた時に「あなたをタヒなせはしない ! モシャス ! 」って、勇者の身代わりになって散っていったんですよね。
あの時は、コントローラーを握ったまま、しばらく放心状態でした。
あれ、真の感動だったんですかねぇ。
泣けるのは「感涙」ですからね。
感動は「心が動く」意味でのことではないかとおもっています。
江戸時代であろうが、現代であろうが、そこかしこに文化の匂いや粋みたいな感覚を感じることができる。それが、豊かさの源流なのかなと。
講談の『鋳掛松』は貧困者(草履を欲しがる子どもとその母親)を前に心が動かされて盗人になったのだろうか。義憤という言葉では言い表せないものを聞いていて感じたことがあります。講談は明治以降の作が多いから、貧困の輸入時期とも合いますし。
ああ、貧困について語るのは難しい…。
ゴーストタウンの話、素晴らしい体験をされたんですね。真実に接した時の想いが良く語られていると思います。
ただ、洞窟住居の中の描写をもう少しリアルに厳しく表現して欲しかったなぁ・・・って思いました。(小説の小池)
その状態を抜け出せるか抜け出せないか・・・その人の心持ちがカギになるんですね
逃げ場のない場所で働いている、黒人奴隷の映画を一ぺん見てみな。「心持ち次第」なんてことは、二度と言えなくなるはずだよ。
なるほどなあ…
今現在でも子供を育てられないからか周囲に相談できないからか殺して遺棄してしまい逮捕される若い母親の事件がよくニュースで流れますよね。
相談さえしてくれれば助けられる命なんだけど、相談するという選択肢を考えられない若い母親達が確かにいる。
めっちゃ面白い話だった、聞けて良かった
自分から選択して貧しい生活をする清貧という生き方があるが、
プライドが邪魔して困っているのに清貧的な生き方をしてしまう人がいると思う
芸術家がmarketingをとるかプロダクツをとるかの悩みプライドでなくもろに生き方の問題プライドなんてものは人の目を気にしたもので自分の生き方とは違ったもの山下清のように自分に素直に生きるとそうなってしまった結果的なもの
人って世界の1割の事しか知らないと言いますね
思うに、残りの9割は
思いやりを持てるかどうかにかかっていると思います
種族を超えて思いやるということは
人間にしかできない
そしてすべての人間にできること
「大改造ビフォーアフター」でも、リフォームの匠は風通しと日照を重要視しますよね。20世紀なのに石器時代みたいな穴倉(陽当りも風通しも悪く、湿気や臭いが籠もる)で暮らし、先の展望の無い貧困生活するのはどんな惨めな気分だったんだろうと想像すると、暗い気分になります。(長文駄文失礼しました)
カリフォルニア内陸部のめちゃくちゃ乾いた土地柄なので、湿気の籠った土中生活はむしろ理に適っている。現地の気候風土を無視して語っても無意味。
風通しと日刺しを重要視するのは日本の気候が夏は蒸し暑く冬は底冷えするからだぞ?
逆にヨーロッパの気候は湿気が無く、夏は日差しを遮ればすごしやすいが冬はとても冷え込むから家は窓は狭く、熱を逃がさないように外気温をシャットアウトする
実際ヨーロッパでも横穴を掘って作られた家はあるし、それがその土地の気候に適した家だってだけ
アメリカのバーでピーナツの殻を床に捨てるのは、踏んで油を出してそれをワックス代わりにしているのだそうです(11年アメリカ駐在していた姉夫婦談)
福岡ですが、昔やはり同じ理由で、床にピーナッツの殻だらけのバーがありましたねぇ。
ちょっと思い出してしまいました😊
村上春樹の小説に出てくるバーもそんなだった
まさにその通り。だから床が木で出来てないと意味が無い。
40年前ですけど、仙台にも有りました。
貧困って3種類あって
①経済的貧困
②社会的貧困(社会とのつながり)
③教育の機会の貧困(その人に会った教育を受けられる)
これらから考えると②、③は既に貧困に陥ってるんじゃないかな?と思います。
江戸時代は②、③が豊かだった。
私は、蛍の墓は、福祉の啓蒙って思ってました。反戦じゃないですよね。
確かラスベガス(だっけ?)の地下で住んでいた方(女性)は、大雨の排水でお亡くなりになってたはず
豊かだけど貧乏。まさにアフリカで幸せに暮らしてる人達のことだね。
「貧困である」と「奴隷である」ためにその不幸せに気づかない。ってことはあるんでしょうかね?
ライトノベルなんかを読んでいるとよく「その作者さんの奴隷というものに対する考え」に注目してしまいがちなんですが、最初にあった「キャリコの町の独房の様な部屋」のようなものを見てしまった時の感動はその独房の様な部屋を打ち破ってくれるのでしょうか‥。飛躍にすぎますが。
岡田さんの様な世界をよくわかっている人たちにもそこでなんらかの「目から鱗」的なものがあるのかもしれませんが、清太の様などこにも逃げ道のない人々にもそれが訪れるようなヒント、裏技、なんかはないものでしょうかね‥。
貧富に関わらない知識による感動は、義務教育の意義のひとつだろう。
死刑囚になってから勉強して視野が拡がって文学賞を取った永山則夫のような例もある。知識は希望となって人生を変える。少し動けば助かることを知っていれば、人は簡単に学習性無力感を克服できる。
今は貧困な地域でもスマホがあって英語さえ分かれば、たくさんの情報に触れられる。事体は好転しつつある
昔おばあさんが言ってたけど、家族が死んだときに、かわいそうで泣いていたら、お姑さんに、「本当に悲しい時には涙は出ません」といわれたそうです。お姑さんは一人息子を事故で亡くした人でした。(ちなみに、おばあさんは、その後お姑さんが迎えた養子の奥さんです)
火垂るの墓は、清太が実に当たり前のように、人の家に忍び込んで盗みをしている姿が、印象に残ってます。そう、お金があるのに不思議だなあと思っていたんですよ。そういうことなんですね。彼には善悪の感覚がなくて、必要に迫られてできることをして、それが悪いことということも深く理解できなかったのですね。
貧乏と貧困の違いはなるほどと思うところがあります。落語は貧乏がないと成立しない話がほとんどで、貧乏にはそこにおかしみも、豊かさもあるから、話になるわけで、貧困しかなければ、落語に使われることもなかったんだろうと思います。
黒澤明監督の件は笑ってしまいました😂
でも巨匠も感動させるなんて凄いですね。
貧乏暇なしという言葉もありますから確かに貧乏には未来を感じますが
貧困には貧しいのにお金を稼ぐ能力さえ見出せない苦しさ、出口の見えない悲しみを感じますね。
可哀想とか思わなくても、涙は出るよ。。よく、分からないけど、、なんで涙が出るんだろ。。それから、涙の訳が、日にちすぎ、色々な事を体験するうちに、、そっだったか、、と自分の中で分かったりする。
すげぇこの話術
江戸時代にタイムスリップして見て観たい 当時の人達😊
物質的には豊かになっていますが、精神的には貧しくなっていますね。今の日本は。
アダムスミスの国富論だけ取り入れただけだからな〜
なお、日本はかなり貧乏国家に成り下がってるぞw
部屋だとわかりにくいけど・・
江戸時代民おるやん
貧困と貧乏の違いと感動のところで感心してたけど黒澤明の誤解で全部吹っ飛んじゃったw
今日もありがとうございます
人は格差を知って貧しさを実感します。スラムで腹がへった病気で死ぬのが当たり前の世界でそれしか知らなければ貧しいという考えがない。子供のうちは貧しいとは思わないけど大人になって行動半径が広くなると自分が貧乏だという事を認識します。
心、知識、など、人の内側の貧しさ(乏しさ)、これが貧困なのですね。
良い悪いは別として。
やっぱそうなんだ。
本当の感動って泣かないんだ。
昔、告発って映画見てしばらくボーーーっとなった。
心が空っぽになったような感覚。
あんな感情は後にも先にもあの時だけで
今でも忘れられない。
やっぱそうやっぱそうなんだ。それは経験的に感じていたってことなんでしょう。それを岡田の話しを聞いて分析しだすとおかしくなってゆく分析したりせずうけた感動をそのまま受け止めれば良さそうだ。例えばけがをして出血すれば当初でてくるのは「うっ」とか「あっ」という言葉にならない言葉それを「痛い」といった瞬間すでに怪我をした瞬間から別の次元に入っている。
脳が情報を処理できない状態になってフリーズするみたいな?
友人三人と一緒にメルギブソン監督のパッションを観た時にそうなった。映画館からの帰り道車の中でずっと三人とも無言状態が続いたな、、
告発、私も観て、頭から離れなくなりました。
岡田斗司夫はいいこというな~ 最近、一日千円使わないチャレンジしているんだけど色んな野菜でキムチを作るのがとても楽しい。作るとめちゃくちゃ安いんだ。貧乏な国だった韓国の知恵なんだなあとか気づきました。遊びの誘いも一切断って生活が楽過ぎる(笑)
そんな安く済む?
@@crownclown205 刻んで小分けに作っています。生姜みたいな薬味が意外と高くつくので、安く買えた時にすりおろして砂糖漬けか冷凍しとくのがおススメです。野菜も値引きになっているもので十分です。後は、韓国食品店で魚醤さえ手に入れば、野菜の塩もみに味付けする様なものです。味付けは…生姜、ニンニク、魚醤、ごま油、胡椒、砂糖、レモン汁を少しで作っています。白菜だけじゃなくて、生食できる殆どの野菜で作れますので楽しいですよ~
@@crownclown205 あ、トウガラシを忘れていました。材料は業務スーパーが色々揃っていて安いのでおすすめです。魚醤(ナンプラー)も売っていたと思います。
@@youkaihunter 興味出てきました〜、ありがとうございます!
韓国が好きではありませんけど 美味しいキムチを作るのなら 梨や林檎 昆布も要るかと思います。
昆布をハサミで細く切るのって結構大変でした。あと 人参もすりおろして入れてました。
スルメイカの肝臓なんかも・・とか言ってると プラスチックの樽で大量に作る事になってしまいますけど。
江戸時代は男性なら3日働けば10日食べられる世界ですから、いまより「幸福度」が高かったんでしょうね。
しかもそれでも本も読めるし二束三文でゴシップ誌は買えるし、まあ、ソレじゃ遊べないのは今と同じですが
水上勉さんの自伝を読んでいた自分からすると、違和感というか、認識の差異を感じてしまいます。
岡田さんのお話が変だとか、おかしいというものではなくて、もっと掘り下げて学び直さないといけないと感じてしまう…。
見てと視覚を強調してるけど臭いと味覚と聴覚と触覚の不調和に三半規管と松果体とDNAの履歴が時を越えて反応をした体験。
当時まだ水銀を使う精錬だから採掘関係者は特有の病気持ちで、水銀中毒者の隔離場を直観的に感じたのかも。
本当の貧乏を知らない人ばかりが増えて居るのですね、やはり全国民中流!って育ちなのね、アメリカの話で貧困だと極め付けるのは間違いですね、実際住んでいた人にとっては懐かしい家かもしれないですよ、アメリカ人は日本をうさぎ小屋🇯🇵🐰とか狭いとか馬鹿にして居たのを思い出します!今はどうでしょう、蛍の墓とは、世間知らずのおままごと兄妹の悲劇だと思います!兄に生活、ということを教えなかった親の責任です(裕福で家事は全て使用人任せで、日常生活を知らない馬鹿兄も可哀想だった!:
「アメリカ人は日本をうさぎ小屋とか馬鹿にして居た」って、1980年代に日本の自虐マスゴミがばら撒いたデマだよ。実際には当時のEC(現在のEU)のフランス語版報告書に由来するが、フランス語ではごく普通の「公営団地」のことを「ウサギ小屋」(仏 cabane[s] à lapins または cage[s] à lapins)と表現する。この報告書が英訳された際に、機械的に rabbit hutch[es] と誤訳された。英訳するなら当時の加盟国だったイギリスの言葉で council block[s] とすべきだった。百歩譲ってアメリカ英語にするなら、housing complex[es] だ。つまり誤訳が誤解を生んだという典型例。
Calico Ghost Townの岩の家の動画が他にあったから見てみたけど、近くに酒場もあるから仕事の後に食事や酒でワイワイやって、部屋では寝るだけって使い方がされていたと思う。
それにトイレなんかも共用みたいだったから、他の住人とのコミュニケーションもあるだろうし、現代のような孤独感はほとんどなかったんじゃなかろうか。
すごい勉強に成りました!有難う御座います。
給付金をもらう際に手続きが必要だった時の貧困若年者の話を思い出しました。
軽度の知的障碍が入っちゃってる人いるけど、本人も周囲も自覚が無く自滅していく。
火垂るの墓で思い出しました最近、沖縄で上映されている映画「遠いところ」がまさにそれでした。貧困ゆえに、どうしたらいいのかわからない未成年の母親。華やかなイメージの裏側にある沖縄のもう一つの現状。けれど、沖縄だけじゃないだろう「貧困」の最中にいると思われる人は世界中にいる。まさに江戸時代の都市部と田舎の状況が混在する現代だと気がつきました。この映画を見てずっとモヤモヤしていたのが少しわかりました。それにしてもキャリコの町とモーの店に行きたいです。
いや、東京から見た場合に、沖縄に「華やかなイメージ」は欠片も無いがね。
宮崎駿監督が微妙な顔をしたと話す場面で心から愉しそうに笑う岡田先生大好きですwww
キャリコの岩窟住居、マインクラフトでの最初の夜を思わせるw ゾンビに外からドアをバンバン叩いてこられたあの絶望感。
何言ってんだこいつ
高校ぐらいの時、近所に住む職人さんは月末締めの10日払いで給料もらうと、飲んだり麻雀やったりで仕事に行かない
毎月20日も過ぎると親方が
「お~い遠ちゃん、そろそろ出てこいや」とダンプで迎えに来る、、、渋々仕事に行く
そんな職人さんがまだまだ居たのは、職人さんの日当が良かったからなんですね
〉浮世絵で包むのが流行ってた
それは明治初期に錦絵を輸出用の茶の梱包材にしていた話。
ただ錦絵は幕末の頃子供の小遣いでも手が届く値段だった。
0080の最終話を初めてみた時は確かに涙は出なかったな。
頭が真っ白になった。
貧困=奴隷と言っても過言ではないかと。。
貧乏はお金が無いだけで、一定の食い物が有り、笑いが有ることなのかな?
平安時代は相手の顔を見ずに和歌を遣り取りして相手の知的レベルとセンスを知る段階を経て、更に関係が進んでも会うのは夜、という恋愛でしたよね? これは貴族間のお話で庶民は単純に一目惚れだったかも知れませんが。
岡田さんは、ご自身をサイコパスとおっしゃっておられますが,、それは、戦略ですよね。
言動には、ご配慮がありますし、利己的とも思えません。
客観的に考える上で、非常に勉強になります。
所で、私は、サイコパス的な人に利用されて、切り捨てられるという経験が多いです。
今までは、協力したかったから、してきたので、後悔はありませんが、最後には、陥れられて、終了というケースが多かったので、そういう人生に疲れてしまいました。
今後は、利用されて、陥れられるという結末を避けたいのですが、どうすれば良いでしょうか?
娘に言わせると、私は人を見る目がないです。私もそう想います。
ホントのサイコパスは自分をサイコパスとは呼ばないから。
預金封鎖 が ありました インフレで また 配給制度
でした 日本の敗戦時の こと もっと わかってほしいと おもいます
蛍の墓 もっともっと かわいそうな背景が あります
みんながその日暮らしっていうかそもそも会社という概念が無かった時代だから城勤め以外は全員フリーなのは当然と言えば当然
黒澤明の勘違いのくだりで飲んでた紅茶、吹きました。あわわ.。o○
赤貧という言葉があり昭和世代に漢字に意味は理解できても感じられないだろうと明治生まれの祖母が語る文章がありましたが岡田さんムーミンと貧困を感じたのですね。赤貧とは米櫃の米が無くなり明日から食べる米が無い暮しだとか。アメリカ開拓時代に実らず飢えに耐えきれず斧で妻を殺し食べた記録があり他国の開拓時代に類のない事件だとか。2畳か山形県銀山に存在したかしらん。
岡田さんのこの動画見て思ったのは、岡田さん、『雪國』の島村にビッタリだなと思った。『〜無為徒食の私は自身に対する真面目さを取り戻すため1人で旅をしていた〜』という一文を連想させる笑
体型といいなんといい、いやはやほんとビッタリ。原作通り(*´艸`)
「雪」の正字(舊漢字)もパソコンで打てるようになるといいんだが。
ホンと面白い話ですね いつも楽しんでます ただ火垂るの墓は 野坂もあんなの作り話っていってましたし 当時の軍の偉い人の息子だったら町ぐるみで救ったそうですね 野坂本人に問題があったとも思います(まだ子供だったが)が、すべて戦争が悪い、世間の冷たさ等を誇張しているあの映画が嫌いです
物質文明に毒された人が、物が無くなると貧困になるんじゃないかな?物が無い事を笑い飛ばせる人は貧乏になる。
「ひとめぼれ」は情ではなく瞬間的な感性では? ひとめぼれで夫婦は長年連れ添えない。あと、貧乏だったから富国強兵じゃない。欧米列強からの植民地支配を受けないための富国強兵。
火垂るの墓は公開当時、劇場で観ました。トトロと同時上映だったのかな
幼稚園児だった時、親に連れて行かれて。トラウマです。怖がってギャン泣きしたと親に言われました。可哀想な話という着地点にも辿り着けず、今も怖くて観られないです。
貧困は日本では全く想像もできないですね
毎日毎日昼食で食べもしないのに取って
そのまま食べ残して捨てる人が多すぎて
見ていると悲しくなります
食べ物なんだと思ってるんですかね?
食べないなら”取るな”と言いたいですね
自分が火垂るの墓を見たのは一度きりです
20の頃に観て思ったのは悲しい話とか感動とかじゃないかな
激しい怒り/憤り見終えて何故?しか感じませんでしたね
有体に言えば「胸・糞!」でしたね
今になってみても同じこと思うんだろうなー
と、思ってみる気にならないかな
セイタ君きみ意味わからないよ
観ながら憤りすぎて涙出てきたのは
最初で最後だったのを考えれば名作だったのかなー
とも思いますが。。。
自分の中では胸糞アニメというカテゴリーです
あのノサカとかいう作家もとんねるずの石橋と大喧嘩したり、大島渚監督から公開ビンタされたりで、なんだかなぁとは思った。アニメは観てないが、もしセイタ君として夭折していたら綺麗な思い出だけで済んだのに、汚い大人として生き残り、だからこそ「アメリカひじき」のような作品を残した。さすがにいくらビンボーでも紅茶の茶葉をヒジキと間違える田舎者は少なくとも既に戦前から関東には居なかったが、関西だとそんな人も居たのだろうか。
黒澤明さんが間違えて宮崎駿にメッセージしたなんて・・・
大変興味深いお話を有難うございます、タケカワユキヒデさん!
富国強兵も輸入概念でしたね。
いやいや江戸時代は上司や親の命令で結婚するのが普通で
惚れてないところから始まるのが普通の時代ですよ
結婚式でお互いに初めて顔を確認しそこから男女の関係を
始めろという正に無粋の極みだったのが江戸時代
ただその反面、隠れて恋愛も行われていて、恋文の手引書なども残っており、
そこには「直ぐに返事は書かない」などの駆け引きも書かれていて正に恋愛そのもの
つまり他者に男女関係を強制されるという一目惚れとは真逆の文化もあったし
裏ではしっかり今の恋愛と遜色ないことがあったということ
人口が少ないと仕事の隙間産業がたくさんできると思うから
その日暮らしでもどーにかなって心が豊かに保てたんじゃないかな
人口増えたら隙間がないから
貧困になってしまったんじゃないかな
江戸時代のお金は、文、朱、分、両、です。円、ドル、モンド…などが同時に流通しているようなモノと聞いた事があります。
貨幣を作っている藩の状況で、価値を失ったりするし、同じ単位の硬貨でも種類が違ければ価値が違ったり、、貯めていても意味がない。
茶碗など瀬戸物の価値の方が信用できる。物々交換でモノが買ていたり、、商人の蔵にはそんなのがいっぱい~!
まだ貨幣が確立されていない。そんな時代だったのは大きな違いに思えてなりません???;;、、
モンド(仏 le monde; 伊 il mondo; 西 el mondo)=「世界」とかいう通貨が存在する異世界から来た人?
江戸時代は、まだ、「お金を持っていた者が偉い人」という価値観では無かった。かもしれませんね!!、
現実として、その後の日本を変えた大物人物の中には(いや、ほとんど??;)明日の生活費も持たず,助けられ続けて、
後に!大物に出世し大金持ちになっている人々のイメージがあります!、
そもそも武士階級も、サラリーマンの分類かもしれませんね^^;;、
でも;貧困ではないかもしれませんが;;、貧乏の度合は、おぞましいかった事は確かかもしれませんね;(えーじゃないか、えーじゃないか、えーじゃないか^^!)
おっと、
×西 el mondo
〇西 el mundo
スマソ。
オカネが、今の貨幣(信用取引で成り立つ日本銀行が監視している安定しているモノ?;)では無かったですよ!!、
この動画が参考になると思います→「【通史】経済から見る日本史【貨幣経済】」を検索してみてください。
おもしろかった!
物質だけでなく気持ちにも及び、考え方生き方に染みついてしまった貧しさは、取り巻く世界が変わらないと弱者には太刀打ちできないですね。