ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
私もPC8001の試作品を持っていました、PC6001,PC8000.PC8001,PC9800そして現在のパソコン、まだ家にありますよ。
この頃はNEC元気あったんだなぁ、今は見る影無いけど
今はLEDシーリングライトくらいしかNECの名前聞かないわ
自衛隊の通信システムはNECが作っている。
NECプラットフォームズ/ホタルクス・・・
インテル8080は電源を3種類(+5V、-5V、+12V)必要だったから、とても使い難い。ザイログZ80は電源が+5Vだけで済み、DRAMのリフレッシュ回路も内蔵された8ビットCPUです。(*追記)PC-8001はロースペック品なのでパスし、PC-88801が発売されてディスプレイモニター込みで夏のボーナスで買い、パソコン雑誌のインベーダーゲームをモニター画面にしてマシン語で打ち込み、遊んでいた。勿論、プログラムの保存と読み出しはカセットテープの時代です。PC-88801は電磁波漏洩マシンなので、近くのテレビにPC-8801画面がノイズとして乗る事もあった。このEMI対策としてPC-8801本体のACインレットをEMIフィルター付きに交換、PC-8801本体とディスプレイモニター間のビデオケーブルを網シールドを使って自作して使用した。それからPC-8801にはハードバグがあり、リアルタイムクロックがバックアップされてなく、起動時に日時データを打ち込む必要があった。本来なら欠陥商品ですよ!(*追記)以上、約40年前の記憶です。
Z80は8086より高速かつ上位互換CPUだけでなく単一電源で済むメリットがあったのですね。
あと8080はアドレスバスとデータバスがおなじピンで構成されていたからそれを分岐するChipが必要でしたね。Z80は独立したすべてピンなので使いやすかった。Z80は8080に対してニーモニック表記は違ったけどマシンコードで上位互換、派生のCPUも沢山開発されたCPUでした。6502,6809,Z80 どれが良いかの論争で盛り上がっていました。
「コンピュータ事業からの撤退」松下幸之助最大の失敗。
松下幸之助の「水道哲学」が通用しなかった部門ですから。
とは言えメインフレーム事業に手を出さなかったのはそんなに失敗ともいえんです。それをやってた各社は手仕舞いに四苦八苦していましたからね。松下もマイコン〜PCはほそぼそとやってました。4bitのワンボードを出していましたし (MZ-40のことではないです)、JR-100とかをやってましたし、MSXもやっていました。決して完全に撤退していたわけではないのです。他社はメインフレームで培った技術をPCに転用は殆どなかったんじゃないですかね。PC程度のハードウェアならすぐにキャッチアップできましたし、BASIC→OSはほぼMSに牛耳られていたわけで。
松下は先が読めなかった、だけですだかに会社は低迷しているよ。
ドラマが動き出すって感じでカッコイイ!
TK-80の頃からの付き合いです。持ってはいませんでしたけど。8080系は“読学”しました。( ̄▽ ̄;)
面白いいいいい!
もう43年前か。。。
この前年に発売された日立のベーシックマスターは影響は及ぼさなかったか気になります。私はマーク3からしか知りませんが。
PC-8001のおよそ4年間の寿命の中で、音響カプラ繋げて使った人は100人もいなかったと思う。最初のFDDとか1Dで160KBもない容量なのに2ドライブで30万円以上しました。160×100 8色とあるけどアトリビュートの制限で色指定には制限があって絵を書くのは辛い。小林社長が米国に行った話でApple2のSummerGamesの背景は嬉しい。背景にレトロゲーム1000のカットが残ってるけどこれは?もしかして関連チャンネルですか、それとも編集ミス?
MUNT解除しないでFDD取り出したらデータ壊れるとか..マニアックすぎるか
音響カプラなつかしいです。従妹の家が裕福で受話器を乗せてやってました。凄く遅く、文字が出てました。60だったか66シリーズだったか覚えていませんが、グロブダーが奇麗だった。その後、自身パソ通を初めて24からクンロクに替えたときは感動しました。
@@すんさと REMOVE忘れて何度泣きを見たことか。
子供の頃マイコン電児ランという漫画を読んで興味を持ちました
PCシリーズが複数の事業部で競争であったことは知らなかったけど、上手に棲み分けられていたように感じていました。でも、初パソコン購入でPC-8801だったので、PC-8001、PC-6001は眼中になかった。ただ、PC-8001mkIIはおやっと感じる微妙な魅力があった。今思えば、買わなかったけど印象に残った機種はPC-9801FA 、PC-9821Xtかな。特にXtは超高性能に思えた。
love these awesome computers
PC8001は確かに良い機体と思いますが、スタッフが糞。横に80字表示できるカタログスペックなのに、実際には79字しか表示されなかった。これを直す為に「ニューバージョンROM」として当時5,000円もとったのだから。私はこれ以降NECとは決別した。
完璧主義者は企業にとっては一番お荷物になるのを象徴する事例。走り初めた流れにそういうメンタルで向かうと何も生み出すことができない。
当時PC-6001はゲームセンターあらしの作者であるすがやみつるさんがマンガで詳しくBASICプログラムの本を出して、それを買って勉強してました私としてはNECは8001より6001のほうが思い入れは強かったですね8801MkIISR以降は独壇場だった訳ですが
PC-6001もよく売れてましたよね。販売台数でいうとPC-6001の方が上かもしれませんね、ちょっと情報無いですけど。
うえやまとち(クッキングパパの作者)も出してましたよね。
こんにちはマイコンですね。自分も友達にそれを読ませてもらってコンピュータに憧れたもんです。
素朴な疑問だけど、PC88に限定して 日本ファルコムの ザナドゥ イース ソーサリアン どれが一番人気で売れたんだろう?
ザナドゥです。
最後にソーサリアンはずるいわ
レトロゲーム1000がw
私もPC8001の試作品を持っていました、PC6001,PC8000.PC8001,PC9800そして現在のパソコン、まだ家にありますよ。
この頃はNEC元気あったんだなぁ、今は見る影無いけど
今はLEDシーリングライトくらいしかNECの名前聞かないわ
自衛隊の通信システムはNECが作っている。
NECプラットフォームズ/ホタルクス・・・
インテル8080は電源を3種類(+5V、-5V、+12V)必要だったから、とても使い難い。
ザイログZ80は電源が+5Vだけで済み、DRAMのリフレッシュ回路も内蔵された8ビットCPUです。(*追記)
PC-8001はロースペック品なのでパスし、PC-88801が発売されてディスプレイモニター込みで夏のボーナスで買い、パソコン雑誌のインベーダーゲームをモニター画面にしてマシン語で打ち込み、遊んでいた。
勿論、プログラムの保存と読み出しはカセットテープの時代です。
PC-88801は電磁波漏洩マシンなので、近くのテレビにPC-8801画面がノイズとして乗る事もあった。
このEMI対策としてPC-8801本体のACインレットをEMIフィルター付きに交換、PC-8801本体とディスプレイモニター間のビデオケーブルを網シールドを使って自作して使用した。
それからPC-8801にはハードバグがあり、リアルタイムクロックがバックアップされてなく、起動時に日時データを打ち込む必要があった。本来なら欠陥商品ですよ!(*追記)
以上、約40年前の記憶です。
Z80は8086より高速かつ上位互換CPUだけでなく単一電源で済むメリットがあったのですね。
あと8080はアドレスバスとデータバスがおなじピンで構成されていたからそれを分岐するChipが必要でしたね。Z80は独立したすべてピンなので使いやすかった。
Z80は8080に対してニーモニック表記は違ったけどマシンコードで上位互換、派生のCPUも沢山開発されたCPUでした。
6502,6809,Z80 どれが良いかの論争で盛り上がっていました。
「コンピュータ事業からの撤退」松下幸之助最大の失敗。
松下幸之助の「水道哲学」が通用しなかった部門ですから。
とは言えメインフレーム事業に手を出さなかったのはそんなに失敗ともいえんです。それをやってた各社は手仕舞いに四苦八苦していましたからね。松下もマイコン〜PCはほそぼそとやってました。4bitのワンボードを出していましたし (MZ-40のことではないです)、JR-100とかをやってましたし、MSXもやっていました。決して完全に撤退していたわけではないのです。他社はメインフレームで培った技術をPCに転用は殆どなかったんじゃないですかね。PC程度のハードウェアならすぐにキャッチアップできましたし、BASIC→OSはほぼMSに牛耳られていたわけで。
松下は先が読めなかった、だけですだかに会社は低迷しているよ。
ドラマが動き出すって感じでカッコイイ!
TK-80の頃からの付き合いです。
持ってはいませんでしたけど。
8080系は“読学”しました。( ̄▽ ̄;)
面白いいいいい!
もう43年前か。。。
この前年に発売された日立のベーシックマスターは影響は及ぼさなかったか気になります。
私はマーク3からしか知りませんが。
PC-8001のおよそ4年間の寿命の中で、音響カプラ繋げて使った人は100人もいなかったと思う。
最初のFDDとか1Dで160KBもない容量なのに2ドライブで30万円以上しました。
160×100 8色とあるけどアトリビュートの制限で色指定には制限があって絵を書くのは辛い。
小林社長が米国に行った話でApple2のSummerGamesの背景は嬉しい。
背景にレトロゲーム1000のカットが残ってるけどこれは?もしかして関連チャンネルですか、それとも編集ミス?
MUNT解除しないでFDD取り出したらデータ壊れるとか..マニアックすぎるか
音響カプラなつかしいです。
従妹の家が裕福で受話器を乗せてやってました。
凄く遅く、文字が出てました。
60だったか66シリーズだったか覚えていませんが、
グロブダーが奇麗だった。
その後、自身パソ通を初めて24からクンロクに替えたときは感動しました。
@@すんさと REMOVE忘れて何度泣きを見たことか。
子供の頃マイコン電児ランという漫画を読んで興味を持ちました
PCシリーズが複数の事業部で競争であったことは知らなかったけど、上手に棲み分けられていたように感じていました。
でも、初パソコン購入でPC-8801だったので、PC-8001、PC-6001は眼中になかった。ただ、PC-8001mkIIはおやっと感じる微妙な魅力があった。
今思えば、買わなかったけど印象に残った機種はPC-9801FA 、PC-9821Xtかな。特にXtは超高性能に思えた。
love these awesome computers
PC8001は確かに良い機体と思いますが、スタッフが糞。
横に80字表示できるカタログスペックなのに、実際には79字しか表示されなかった。
これを直す為に「ニューバージョンROM」として当時5,000円もとったのだから。
私はこれ以降NECとは決別した。
完璧主義者は企業にとっては一番お荷物になるのを象徴する事例。
走り初めた流れにそういうメンタルで向かうと何も生み出すことができない。
当時PC-6001はゲームセンターあらしの作者であるすがやみつるさんが
マンガで詳しくBASICプログラムの本を出して、それを買って勉強してました
私としてはNECは8001より6001のほうが思い入れは強かったですね
8801MkIISR以降は独壇場だった訳ですが
PC-6001もよく売れてましたよね。販売台数でいうとPC-6001の方が上かもしれませんね、ちょっと情報無いですけど。
うえやまとち(クッキングパパの作者)も出してましたよね。
こんにちはマイコンですね。自分も友達にそれを読ませてもらってコンピュータに憧れたもんです。
素朴な疑問だけど、PC88に限定して 日本ファルコムの ザナドゥ イース ソーサリアン どれが一番人気で売れたんだろう?
ザナドゥです。
最後にソーサリアンはずるいわ
レトロゲーム1000がw