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もし秀頼がねねの実子だったら豊臣は滅亡しなかったと言われるほど家康のねねに対する信頼は高かった
ねねを大事に扱わなくなった頃から秀吉の暴走と(豊臣家の)凋落がはじまっているように感じます嫁さん大事にしないとダメですね😅
戦国無双ではおねね様推しでしたが、これ見てさらに好きになりましたありがとうございます!!
😊山崎和佳奈さん🤗
旦那の秀吉は勿論信長にも家康にもまた伊達政宗にも愛された人ですからね。
豊臣ねね✨前田まつ✨素晴らしい女性ですよね✨この親友で大河ドラマを見てみたいわ✨✨✨
個人的におねは長澤まさみまつは綾瀬はるかに演じてほしいです。利家は中村勘九郎に演じてほしいです。秀吉は阿部サダヲ
栗田さん、それ俺見てみたい。😊
史上まれにみる女性であるねねは、永遠の女性像を見事に映し出しきった戦国時代の女丈夫だといえる。ゆえに妻、母、人間の総合哲学を学びえたのだと思う。
まとめて下さり、ありがとうございます。号泣が止まりません。スピが苦手でしたら申し訳ありませんが、過去世の事を思い出させていただきました。懐かしさと共に、愛しさが溢れてきました。本当にありがとうございました。
大河ドラマ「おんな太閤記」は、ねねこと北政所が主人公でした。今もBSで日曜日早朝に再放送中です(もうすぐ終わるけど)。
「おかか」ですね
2000年の大河ドラマ「葵 徳川三代」では草笛光子さんがねね様を演じていたりとゴッドマザーですので。
ねねの甥の家は大阪夏の陣、豊臣滅亡後、豊臣姓を名乗ることが許されていた。ねねの血筋として豊臣は一応残ったしばらくしてから木下姓に改めたけど。
チャンネル登録しました。今度京都に行く時には高台寺に行ってねねさんに手をあわせてきます。
やっぱり凄いのは信長公。結局天下静謐の儀は全て信長公のプランの通りに動いてと言っても過言ではない。ねねを見いだしたのも決して偶然ではない。
すごい女性だったんですね、秀吉も頭が上がらないはずだ💦
酒井法子のねねは想像できて可愛かった。放送しされていた当時犬を飼ったのでねねと付けました。長生きしました。
ねねさん素敵ですが、それ以上にねねさんに対して大切に接する信長さんを見直しました。今まで余り好きではなかったのですが…
引退するように秀吉に言い渡されていたり、関ヶ原後に裸足で御所に逃げ込んだりというのを見るとイメージ変わってきたな高台院
えらい
葵徳川三代での北政所役草笛光子さんを思い出します。秀頼と家康の対面で家康の盃を秀頼が受けた際のほっとした顔を思い出します。豊臣秀吉の天下取りには欠かせない役です。
内戦して国が乱れている隙に西洋人の植民地になってしまった国が多い中で、ねねとまつがいてくれたから、織田、豊臣、徳川とバトンが受け継がれて、天下泰平、外的にもびくともしない国を造り得たのかもしれませんね。ねねが関ケ原合戦で東軍に 味方したのも、まつが自ら人質となって江戸に下ったのも、敵味方云々ではなく、天下泰平を願ったから。その意味では、淀君は、そこまでの器ではなかったから豊臣は滅びたということかな?むしろ、江のほうに、ねねやまつにも通じるような、見識の広いしっかり者女房らしさを感じます。
突出した能力と一歩下がる人望の持ち主である、秀長・ねねがあっての天下統一でしょうね、、、
現代のパッチワークみたいなものを作ったのは、一豊の妻の千代だったはず。今も現存していると聞いています。その千代の作った着物を、ねねが喜んだとか…。綺麗な千代紙の千代は、一豊の妻の千代が由来とか聞きましたけどね…
昔、師匠に聞いた話。前田利家も亡くなったのち、寺でねねとまつが話をしている内容を小坊主が書き留めた記録があるそうです。ねねは「ウチの人も憧れていた柴田勝家殿を討ったあとから少しずつ変になっていった」などとを話しているとか。さらに「淀が秀頼を産んでくれたので豊臣家としては助かった。本当の父親は大野治長だが、秀吉は知らなかったので問題ない」といった内容のことも話しているそうです。ここでねねは書記役の小坊主に向かって「これ、今のくだりは書き留めなくとも良いぞ」と言ったようです。小坊主は律儀に『今の話は書き記さなくてよいと高台院様がおっしゃった」と書き残しているそうな。この記録は活字化されておらず古文書のままなので、師匠はいつか現代語訳して出版したいと言っていました。
これはすごい話ですね。是非、出版してほしいものです。
出版されるなら、ぜひ購入したいです。
そう、思う、らしい、ばかり
日本史上、夫婦で大事業を成し遂げた例は数あれど、抜群のふたりは「秀吉とねね」だと思う。
実子はいなかったが浅野を始め沢山の甥たちがいてあの小早川秀秋もその一人であった事も彼女がキーパーソンであるかの証拠
農民の子供だった秀吉が公家でも最高位の関白太政大臣にまで出世したのだから、これほどの内助の功はないはず! 彼女も関白の正室として、北政所の称号と女性では最高位だった従一位の位まで手に入れたのだから。もし彼女に子供ができていれば、豊臣家が天下人として260年もの間、平和の世を築いたかもしれない。もしそうなっていたら、今の日本の首都は大阪だたかも知れないね。結局、秀吉の女好きが身を滅ぼしたってことになる。
寧々殿は仕事・妻として完璧すぎたのかもしれません。世継ぎが生まれなかった事もプレッシャーであり、世継ぎが大事だった戦国時代に於いて、側室を認めざるおえなかった現実に悩んだんだと思います。
もし、ねねと秀吉に子どもがいたら・・・と考えずにはいられません
ねねの影響はあったかも知れないけど、負けた場合に害が及ぶことを恐れずに関ケ原の戦場に秀頼公を出陣させていたら歴史は変わっていたと思います。勝てば良いのですから。豐家の大名達は徳川と戦をするだけの器ではなかったのでしょう。
ん?ねねと結婚する時点で藤吉郎はバツイチでしたか。別れた女性はどうなったんでしょう?
私は前田のおまつ様の方が強かでりこうな女性だと思います。ねね様はやはり子がいないので、淀君への嫉妬があったかと感じます。豊臣家滅亡の原因は、秀吉殿の晩年の醜態にあると思いますが、秀次事件の時、ねね様はそれを止められなかったのかなぁと思ったり…秀吉殿の血筋の甥子達が次々と死んでいく様をどのように見ていたのか… もっと言えば… 自分の血筋の甥子達(木下家)に跡を継がせたかったため、内心シメシメだったのかなぁ?とも私は感じます。秀次殿をはじめ、その兄弟達がいれば、天下は徳川に移ったとしても豊臣家が滅びることはなかったと思うのです。秀頼殿が産まれなければ秀次事件はなかったと思うので、秀頼殿は産まれなかった方が豊臣家にとってよかったとも言える。
秀吉は織田家を尊重しなかったから嫌いだったけど、ねねには優しかったから、いい一面もあると考えれるようになった。
ここまで強くて素敵なねねさまを超える女性は居たのかなぁ❓『素晴らしい』だけでは足りないですよね(⸝⸝›_‹⸝⸝)私もねねさまみたいな女性に生まれたかったな〜😂本当尊敬します(*´Д`*)♡
ねね様は、秀吉様と結婚して幸せだったのに・・・・。なぜか、秀吉様が側室・淀殿と結婚してしまうんですから・・・・。
大名になると側室を持つのが当然の時代ですからねぇ。ねね様と子供いないなら猶更。当時、生涯一人の妻を愛していた大名は、明智光秀ぐらいでしょう。
私も秀吉がした一番残念な判断だと思うし、やっぱり禿げねずみぃ😡😡😡😡😡ってなります。まだお江の方がはるかにましなんだよね。個人的に淀は好かないな。
200人側室いた秀吉からなぜ淀殿だけ子供ができたんでしょうかねぇ
@@maruchan6541 当時は男性不妊症は知られていなかったから仕方がないでしょう。
寧々は性格が良くて大らかな女性だったと思います。後、実は…俺の大好きな石田三成と仲が良かった。逆に正則清正と疎遠だった。
夫の浮気癖を怖い上司信長に訴える。下手をすると信長の機嫌を損ねるかもしれないイチかバチかの賭けです。光秀反乱直後の行動を見ても、機を見る能力や胆力など、秀吉以上に政治力があったと思う。
小袖は山内一豊の千代の案じゃないの?
功名が辻の大河ドラマでやっていましたね
わたしも千代が作ったものと聞いています。実際、千代が作ったものが残っていると聞いたことがあります。千代が作ったものをねねが送ったんでしょうかね…分かりませんが。
小説の話だものねぇ一次資料とかあるのかな。
北政所はもっと違う風だった気がします。こんな美談ではないと思います。秀吉は信長の妹お市の方に執着してたので、淀君を溺愛していたと思う、その分北政所は政に欲心があったのだと思いました。ま、色々な解釈本が出てるけど、その時代に生きてた人はいないからどれが本当かは判らない。
家康も秀吉もいつも誰かを恐れてるな
なるほどですm(_ _)m
秀吉と大坂城で対面したときに、2人とも尾張言葉で夫婦喧嘩したとか
人質に優しかったのはやはり子をなす事が出来なかったからなのかな?我が子としての育みならたまらないです。
秀吉の精子が腐って無かったら子供出来てたのに
ボロ畳の結婚式右大臣 織田信長公大納言 前田利家 まつ御夫妻関白太政大臣 豊臣秀吉従一位 北政所貧乏畳に偉人が大集合。
あのねねちゃんが怖いのか?確かに狂暴だしな(笑)
信長に浮気の手紙を出すくらい嫉妬深いから、淀殿と秀頼は嫌いだっただろう。
信長、勝家、利家が勧める結婚を浅野家が反対なんか出来るだろうか疑問
桶狭間(1560年)以前なら信長はうつけ者で、利家は小姓だったから反対もあるでしょう(あのうつけの信長の言う事聞けるかと言う感じで)。桶狭間で今川義元討った後は信長はうつけでないと感じ入り、それが影響して信長の勧めを受けて1561年に秀吉とねね様と結婚できたんでしょうね。
恩ある織田家裏切り浮気ばかりの秀吉ねねは最後は徳川家の味方しました加藤清正福島正則が徳川家の味方したのはねねの気持ちも大きい
ねねの一言が有ればどんなに石田三成と仲が悪くても西軍についたでしょうね?ねねが家康に騙されたのかほしちえさんの説が正しいのか解りませんが
高台院が東軍よりかは微妙なラインかも
実際問題は別にして関ヶ原は徳川vs豊臣じゃなく豊臣の内紛みたいな名目ですからねねもそれを信じたのかも知れませんね?
それなら子供出来そうなもんだけどね
現代で言えば社員負債へ社長からの手紙でト〇タや伊藤〇商事の社印が押された感じか?ほぼ命令書やんけ。
ウィキペディア?
ねね居なかったら天下取れてないからね
加来耕三先生曰く「寧々」ではなく「おね」
条件反射、と書きます。脊髄反射とは意味が全く違います
私か止めを刺した👌
継ぎ張りの小袖って高知の柳之内一豊の嫁さんの千代がやった話じゃないの?あの千代紙の語源にもなってる。
山内ですね。
ねねも信長と浮気してるじゃん
甘寧一番乗り!
秀吉様は浮気するような人じゃないと思いました・・・・。
男の運勢は、下げマンか上げマン女性の出会いで決まる!優秀な独身男性が、下げマン女性と結ばれ、運を落とした例を幾多見てきた!美人は絶対に駄目だぞ、遊ぶだけにせよ!しかし、女性の手練手管は男性人生の最大の敵である!!脳ある秀吉もこれに落ちた!!
サゲマンにもあげ万にも合う機会の無い弱男がある意味幸せだな
もし秀頼がねねの実子だったら豊臣は滅亡しなかったと言われるほど家康のねねに対する信頼は高かった
ねねを大事に扱わなくなった頃から秀吉の暴走と(豊臣家の)凋落がはじまっているように感じます
嫁さん大事にしないとダメですね😅
戦国無双ではおねね様推しでしたが、これ見てさらに好きになりましたありがとうございます!!
😊山崎和佳奈さん🤗
旦那の秀吉は勿論信長にも家康にもまた伊達政宗にも愛された人ですからね。
豊臣ねね✨前田まつ✨素晴らしい女性ですよね✨
この親友で大河ドラマを見てみたいわ✨✨✨
個人的におねは長澤まさみ
まつは綾瀬はるかに演じてほしいです。
利家は中村勘九郎に演じてほしいです。
秀吉は阿部サダヲ
栗田さん、それ俺見てみたい。😊
史上まれにみる女性であるねねは、永遠の女性像を見事に映し出しきった戦国時代の女丈夫だといえる。ゆえに妻、母、人間の総合哲学を学びえたのだと思う。
まとめて下さり、ありがとうございます。
号泣が止まりません。
スピが苦手でしたら申し訳ありませんが、過去世の事を思い出させていただきました。
懐かしさと共に、愛しさが溢れてきました。
本当にありがとうございました。
大河ドラマ「おんな太閤記」は、ねねこと北政所が主人公でした。今もBSで日曜日早朝に再放送中です(もうすぐ終わるけど)。
「おかか」ですね
2000年の大河ドラマ「葵 徳川三代」では草笛光子さんがねね様を演じていたりとゴッドマザーですので。
ねねの甥の家は大阪夏の陣、豊臣滅亡後、豊臣姓を名乗ることが許されていた。
ねねの血筋として豊臣は一応残った
しばらくしてから木下姓に改めたけど。
チャンネル登録しました。今度京都に行く時には高台寺に行ってねねさんに手をあわせてきます。
やっぱり凄いのは信長公。結局天下静謐の儀は全て信長公のプランの通りに動いてと言っても過言ではない。ねねを見いだしたのも決して偶然ではない。
すごい女性だったんですね、秀吉も頭が上がらないはずだ💦
酒井法子のねねは想像できて可愛かった。
放送しされていた当時犬を飼ったので
ねねと付けました。長生きしました。
ねねさん素敵ですが、それ以上にねねさんに対して大切に接する信長さんを見直しました。今まで余り好きではなかったのですが…
引退するように秀吉に言い渡されていたり、関ヶ原後に裸足で御所に逃げ込んだりというのを見るとイメージ変わってきたな高台院
えらい
葵徳川三代での北政所役草笛光子さんを思い出します。秀頼と家康の対面で家康の盃を秀頼が受けた際のほっとした顔を思い出します。豊臣秀吉の天下取りには欠かせない役です。
内戦して国が乱れている隙に西洋人の植民地になってしまった国が多い中で、ねねとまつがいてくれたから、織田、豊臣、徳川とバトンが受け継がれて、天下泰平、外的にもびくともしない国を造り得たのかもしれませんね。
ねねが関ケ原合戦で東軍に 味方したのも、まつが自ら人質となって江戸に下ったのも、敵味方云々ではなく、天下泰平を願ったから。
その意味では、淀君は、そこまでの器ではなかったから豊臣は滅びたということかな?
むしろ、江のほうに、ねねやまつにも通じるような、見識の広いしっかり者女房らしさを感じます。
突出した能力と一歩下がる人望の持ち主である、秀長・ねねがあっての天下統一でしょうね、、、
現代のパッチワークみたいなものを作ったのは、一豊の妻の千代だったはず。今も現存していると聞いています。その千代の作った着物を、ねねが喜んだとか…。綺麗な千代紙の千代は、一豊の妻の千代が由来とか聞きましたけどね…
昔、師匠に聞いた話。
前田利家も亡くなったのち、寺でねねとまつが話をしている内容を小坊主が書き留めた記録があるそうです。ねねは「ウチの人も憧れていた柴田勝家殿を討ったあとから少しずつ変になっていった」などとを話しているとか。さらに「淀が秀頼を産んでくれたので豊臣家としては助かった。本当の父親は大野治長だが、秀吉は知らなかったので問題ない」といった内容のことも話しているそうです。ここでねねは書記役の小坊主に向かって「これ、今のくだりは書き留めなくとも良いぞ」と言ったようです。小坊主は律儀に『今の話は書き記さなくてよいと高台院様がおっしゃった」と書き残しているそうな。
この記録は活字化されておらず古文書のままなので、師匠はいつか現代語訳して出版したいと言っていました。
これはすごい話ですね。是非、出版してほしいものです。
出版されるなら、ぜひ購入したいです。
そう、思う、らしい、ばかり
日本史上、夫婦で大事業を成し遂げた例は数あれど、抜群のふたりは「秀吉とねね」だと思う。
実子はいなかったが浅野を始め沢山の甥たちがいてあの小早川秀秋もその一人であった事も彼女がキーパーソンであるかの証拠
農民の子供だった秀吉が公家でも最高位の関白太政大臣にまで出世したのだから、これほどの内助の功はないはず! 彼女も関白の正室として、北政所の称号と女性では最高位だった従一位の位まで手に入れたのだから。もし彼女に子供ができていれば、豊臣家が天下人として260年もの間、平和の世を築いたかもしれない。もしそうなっていたら、今の日本の首都は大阪だたかも知れないね。結局、秀吉の女好きが身を滅ぼしたってことになる。
寧々殿は仕事・妻として完璧すぎたのかもしれません。世継ぎが生まれなかった事もプレッシャーであり、世継ぎが大事だった戦国時代に於いて、側室を認めざるおえなかった現実に悩んだんだと思います。
もし、ねねと秀吉に子どもがいたら・・・と考えずにはいられません
ねねの影響はあったかも知れないけど、負けた場合に害が及ぶことを恐れずに関ケ原の戦場に秀頼公を出陣させていたら歴史は変わっていたと思います。勝てば良いのですから。豐家の大名達は徳川と戦をするだけの器ではなかったのでしょう。
ん?ねねと結婚する時点で藤吉郎はバツイチでしたか。
別れた女性はどうなったんでしょう?
私は前田のおまつ様の方が強かでりこうな女性だと思います。
ねね様はやはり子がいないので、
淀君への嫉妬があったかと感じます。
豊臣家滅亡の原因は、秀吉殿の晩年の醜態にあると思いますが、
秀次事件の時、ねね様はそれを止められなかったのかなぁと思ったり…
秀吉殿の血筋の甥子達が次々と死んでいく様をどのように見ていたのか… もっと言えば…
自分の血筋の甥子達(木下家)に跡を継がせたかったため、内心シメシメだったのかなぁ?とも私は感じます。
秀次殿をはじめ、その兄弟達がいれば、天下は徳川に移ったとしても豊臣家が滅びることはなかったと思うのです。
秀頼殿が産まれなければ秀次事件はなかったと思うので、秀頼殿は産まれなかった方が豊臣家にとってよかったとも言える。
秀吉は織田家を尊重しなかったから嫌いだったけど、ねねには優しかったから、いい一面もあると考えれるようになった。
ここまで強くて素敵なねねさまを超える女性は居たのかなぁ❓
『素晴らしい』だけでは足りないですよね(⸝⸝›_‹⸝⸝)
私もねねさまみたいな女性に生まれたかったな〜😂
本当尊敬します(*´Д`*)♡
ねね様は、秀吉様と結婚して幸せだったのに・・・・。
なぜか、秀吉様が側室・淀殿と結婚してしまうんですから・・・・。
大名になると側室を持つのが当然の時代ですからねぇ。ねね様と子供いないなら猶更。当時、生涯一人の妻を愛していた大名は、明智光秀ぐらいでしょう。
私も秀吉がした一番残念な判断だと思うし、
やっぱり禿げねずみぃ😡😡😡😡😡ってなります。
まだお江の方がはるかにましなんだよね。
個人的に淀は好かないな。
200人側室いた秀吉からなぜ淀殿だけ子供ができたんでしょうかねぇ
@@maruchan6541
当時は男性不妊症は知られていなかったから仕方がないでしょう。
寧々は
性格が良くて大らかな女性だったと思います。
後、実は…
俺の大好きな石田三成と仲が良かった。
逆に正則清正と疎遠だった。
夫の浮気癖を怖い上司信長に訴える。下手をすると信長の機嫌を損ねるかもしれないイチかバチかの賭けです。光秀反乱直後の行動を見ても、機を見る能力や胆力など、秀吉以上に政治力があったと思う。
小袖は山内一豊の千代の案じゃないの?
功名が辻の大河ドラマでやっていましたね
わたしも千代が作ったものと聞いています。実際、千代が作ったものが残っていると聞いたことがあります。千代が作ったものをねねが送ったんでしょうかね…分かりませんが。
小説の話だものねぇ
一次資料とかあるのかな。
北政所はもっと違う風だった気がします。こんな美談ではないと思います。秀吉は信長の妹お市の方に執着してたので、淀君を溺愛していたと思う、その分北政所は政に欲心があったのだと思いました。ま、色々な解釈本が出てるけど、その時代に生きてた人はいないからどれが本当かは判らない。
家康も秀吉もいつも誰かを恐れてるな
なるほどですm(_ _)m
秀吉と大坂城で対面したときに、2人とも尾張言葉で夫婦喧嘩したとか
人質に優しかったのはやはり子をなす事が出来なかったからなのかな?我が子としての育みならたまらないです。
秀吉の精子が腐って無かったら子供出来てたのに
ボロ畳の結婚式
右大臣 織田信長公
大納言 前田利家 まつ御夫妻
関白太政大臣 豊臣秀吉
従一位 北政所
貧乏畳に偉人が大集合。
あのねねちゃんが怖いのか?
確かに狂暴だしな(笑)
信長に浮気の手紙を出すくらい嫉妬深いから、淀殿と秀頼は嫌いだっただろう。
信長、勝家、利家が勧める結婚を浅野家が反対なんか出来るだろうか疑問
桶狭間(1560年)以前なら信長はうつけ者で、利家は小姓だったから反対もあるでしょう(あのうつけの信長の言う事聞けるかと言う感じで)。桶狭間で今川義元討った後は信長はうつけでないと感じ入り、それが影響して信長の勧めを受けて1561年に秀吉とねね様と結婚できたんでしょうね。
恩ある織田家裏切り浮気ばかりの秀吉
ねねは最後は徳川家の味方しました
加藤清正福島正則が徳川家の味方したのはねねの気持ちも大きい
ねねの一言が有ればどんなに石田三成と仲が悪くても西軍についたでしょうね?
ねねが家康に騙されたのかほしちえさんの説が正しいのか解りませんが
高台院が東軍よりかは微妙なラインかも
実際問題は別にして関ヶ原は徳川vs豊臣じゃなく豊臣の内紛みたいな名目ですからねねもそれを信じたのかも知れませんね?
それなら子供出来そうなもんだけどね
現代で言えば社員負債へ社長からの手紙でト〇タや伊藤〇商事の社印が押された感じか?
ほぼ命令書やんけ。
ウィキペディア?
ねね居なかったら天下取れてないからね
加来耕三先生曰く
「寧々」ではなく「おね」
条件反射、と書きます。
脊髄反射とは意味が全く違います
私か止めを刺した👌
継ぎ張りの小袖って高知の柳之内一豊の嫁さんの千代がやった話じゃないの?あの千代紙の語源にもなってる。
山内ですね。
ねねも信長と浮気してるじゃん
甘寧一番乗り!
秀吉様は浮気するような人じゃないと思いました・・・・。
男の運勢は、下げマンか上げマン女性の出会いで決まる!
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美人は絶対に駄目だぞ、遊ぶだけにせよ!
しかし、女性の手練手管は男性人生の最大の敵である!!
脳ある秀吉もこれに落ちた!!
サゲマンにもあげ万にも合う機会の無い弱男がある意味幸せだな