風の夜話 第33話 21世紀、科学と宗教は、融合していく
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- เผยแพร่เมื่อ 25 ต.ค. 2024
- 「死後の世界」など存在しないと考える科学者でも、
なぜか、毎年、墓参りに行き、亡くなった両親に向けて祈る。
「神」など存在しないと主張する無神論者でも、
いざ、愛する家族が重篤な病気になったときには、「神」に祈る。
このように、我々は、「科学」と「宗教」の対立の中で、
「矛盾した行動」を余儀なくされている。
この状況を超えていく究極の道は、
「科学的知性」が、その狭い唯物論的枠組みを超え、
「宗教的叡智」と融合していくことであろう。
さらなる学びのために
『死は存在しない』(光文社新書)
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田坂先生、死は存在しない読ませて頂きました。10章で涙が溢れて心が温かくなりました。先生の科学と宗教の橋渡しという思いに感銘を受けました。私のバイブルに出会わせて頂きました。執筆して下さり本当にありがとうございました🙏✨
田坂先生のお声が大好きです!次にお顔も大好きです!お話しの内容も大好きです!
はやく科学と宗教が統合されてほしいです。そのような時代を見てみたい!!
ジョンレノンのイマジンを思い出し、世界中の人々が大いなる存在に心から手を合わせる日が来たら、どんな地球になるんだろうか、と思わされました。
大賛成でございます。🍒🌸
先日先生の本を買わせていただきました。
勉強させていただきます。
昨年末12月22日に母が他界しました。在宅介護〜緩和ケア入院を経て母が亡くなるまでの期間および通夜・葬儀を終えて四十九日までの供養を務めているこの年末年始、“死”や“宗教”について改めて深く考えつづけることになったわけですが、大晦日の深夜に田坂様のこのお話を拝聴できて幸いでした。自分の理解力では今のところ科学と宗教を無理なくつなげることは困難ですが、少なくとも折り合いをつけることはできそうです。
「宗教のない科学はかたわ、科学のない宗教は盲目」
by Albert Einstein
年が明けてから拝聴しました。私も科学と宗教はつながると思います。例えば、初期仏教でブッタは3法印を説いており、現在の量子科学、宇宙科学はそれを証明している様に見えます。そして祈ると言う行為は、デコヒーレンスにより存在している自分を、一瞬、量子真空に預ける行為に思えます。カールツワエル氏のシンギュラリティも、この量子真空には届けないと考えています。量子真空はゼロポイントフィールドなのかもしれませんが。
明けましておめでとうございます。昨年は、すばらしい御本はじめ、色いろありがとうございました。17日くらいまでに、感想文を、送りたいです。
「人間って意外と簡単に死んでしまう」「人間って意外と簡単には死なない」
この相反する2つの言葉を生きていると同じくらいの回数を耳にすることがあります。
私は20年前の◯◯系のBBSで知り合った人が(時には集団で)他界していくのを掲示板とテレビのニュースを通して見送りました。
私も工事中のビルからとかお薬とか数回の企図と実行をしましたが、資材置き場に落ちるなどして今も生きています。
そしてそういったときには必ず私を助けてくれる人が現れるし、ピンチのときになるとなぜか偶然の助けや情報が舞い込んできました。
なにか自分の中で「意識」がどこかとつながっているような感覚が人生で何度もありましたし、私が氏のうとするときは
「人間って意外と簡単には死なない」という意識と私はつながっていたのかもしれません。
視線も以心伝心も予感も運気も
全く感じたことはありませんが
どんでもない奇跡は頻発します
確率的に絶対ありえないことが度々起きます
その謎解きこそが人生だと思っております
先生色々教えていただきました。今回のお話ではなく、何かこの世に正しいというものがあるのでしょうか?導かれている、そう考える考えは、そう思った方が生きている幸せだろうと思えます。その事に意味があり、その事をどのように解釈するか。その通りと思います。私がお聞きしたい事は今を生きる、生ききる事、それは答えがなく、只ひたすらに私という生きている自分をする事。答えは自身ではないか、乱暴ですが、私の語彙のなさ、表現の貧しさかもと思うのですが、もどかしさの中、でもこれでいいと、生きる自分を使いきる、人と生きる、戦いのなか穏やかを追い求める、そのようなもだと思っています。1つの答えはない、それは一つづつその人が気がつき、生きて行く事が大半かと、もどかしい事を書いてしまいました。ありがとうございます。本当に答えはあるのでしょうか?
>何かこの世に正しいというものがあるのでしょうか?
あるでしょうね
あるorないで考えてみましょう
ある場合はある でいいですよね
ない場合は ないということが正しいんですよね つまり正しさはある
なかなかここに気付ける人は少ないですが
そういうことこそ生きるって意味なんですよ
神とか宗教的体験は集合的無意識にあるんでしょうね。
それを意識下で肯定否定しているから、否定派でも無意識下で宗教的行動をしてしまうのかな。
めっちゃ神秘的じゃないか。
私はよく月の視線を感じ空を見上げ、その美しさに暫し立ち止まります。その月から地球を見た二人の飛行士ガガーリンとアームストロングの対照的な名言をボンヤリ思い出すことがあります。人類の叡智を集結させたロケットで月に着いた時、科学の力を誇るのかそれをもそれを凌駕する天地創造の圧倒的な神の存在に畏敬の念を抱くのか…。今年もまた創世記の第1章を開き、神は昼と夜を司る光をおいたことに南に窓のある天然暖房の効いた部屋で改めて神の摂理を認識しました。師走のヨハネ伝の1章と共に深淵に触れる一時でした。私たちは科学が発達すればする程、その大いなる存在への畏敬の念に駆られる創造物の一つである事に気づくのではないでしょうか。
先生はご自身の信仰については公にされておられないかと思いますが、それには何か理由があるのでしょうか?
黙示録を読んでいたらこの戦争の終わりの始まりは、ウクライナの隣の聞いたこともない小さな国から始まるのではないかと…国旗の色から想像しました。
余談です。
月の視線を感じる。素晴らしい。
お釈迦様は、哲学者だと聞いたことがある