【追加注意】3:58から出てくる画面の中にOld Brown Shoeがあります。書かれているポールのところでPaul singsとなってますが、これはバッキングボーカルです。また、この曲は担当楽器がいまだ不明の所が多く、ピアノでもポール or ジョージ or ジョンの各説があり、ベースでもジョージかポールの説、ドラムもリンゴかポールの説などとなってます。メディアや解説者によってはわかった風に断定的に言う人もいますが、ポールかリンゴが語ってくれないと最終的にはわからないです。 またWhile My Guitar Gently Weepsのベースですが、ジャイルズマーチンはジョンレノンだけがベースを弾いていると最近になって言っているようです。しかし、ジョンだけが弾いているというのは大いなる疑問です。むしろ、ポールが弾いてるのは間違いないと思われます(べースメロディや演奏技術がポールと思えることと、ポール自身が映画McCartney 321で自分のプレーを説明している)。ただ、ジョンが部分的にベースを重ねているとする説もあります。 同様に、この曲でジョージがハモンドアルガンを弾いているとされますが、記載によってはジョンもオルガンを弾いているとする場合もあります。この曲もまだ完全決着はついていません。
個人的な意見ですが、ビ-トルズ後期にジョ-ジが一番出したかった歌は、ALL THINGS MUST PASSではないでしょうか。アウトテイクCDで一番ジョ-ジが歌っています。これを反対したのは、ポ-ルではないでしょうか。これを皮肉ってジョ-ジのファ-ストアルバムのタイトルがALL THINGS MUST PASSにしたのではないでしょうか。ポ-ルのファ-ストアルバムPAUL McARTNEY・ジョンはJOHN LENNON
Beatlesの枠の中ではharissonはいくら頑張ってもLennon&McCartneyには勝てなかったという事に尽きる 中途半端なインド楽器を使った曲作りなどでなんとかしてL&Pに対抗しようとしたけれど不発 L&Mのサイドマンとしてバンドを続ける事に嫌気がさしたんでしょうね All things Mast PassでBeatles 時代の鬱憤を晴らしたものの後が続かなかった L&Mが凄すぎたというしかないと思うけどBeatles解散当時はL&Pも20代後半だった 今考えると凄いね
【追加注意】3:58から出てくる画面の中にOld Brown Shoeがあります。書かれているポールのところでPaul singsとなってますが、これはバッキングボーカルです。また、この曲は担当楽器がいまだ不明の所が多く、ピアノでもポール or ジョージ or ジョンの各説があり、ベースでもジョージかポールの説、ドラムもリンゴかポールの説などとなってます。メディアや解説者によってはわかった風に断定的に言う人もいますが、ポールかリンゴが語ってくれないと最終的にはわからないです。
またWhile My Guitar Gently Weepsのベースですが、ジャイルズマーチンはジョンレノンだけがベースを弾いていると最近になって言っているようです。しかし、ジョンだけが弾いているというのは大いなる疑問です。むしろ、ポールが弾いてるのは間違いないと思われます(べースメロディや演奏技術がポールと思えることと、ポール自身が映画McCartney 321で自分のプレーを説明している)。ただ、ジョンが部分的にベースを重ねているとする説もあります。
同様に、この曲でジョージがハモンドアルガンを弾いているとされますが、記載によってはジョンもオルガンを弾いているとする場合もあります。この曲もまだ完全決着はついていません。
ポールはビートルズと音楽が大好きなので、ジョン、ジョージ、リンゴの曲をやる時も高いクオリティ(ビートルズの名前に恥じない作品)にするのにこだわった気がします。
ジョンは良くも悪くも自分中心なので他人の曲にはあまり関心がなかったのでしょうね。
とくにそんなに好きな曲じゃないとやる気をなくすのでしょう。
ジョンもポールを重んじるところがあったので、ポールの曲は嫌いでもまあまあ頑張るって感じかな?
ジョンはジョージを子供扱いしてたから軽く扱っているんでしょうね。
ポールは自分のアイデアを言い過ぎて他のメンバーに煙たがられると自嘲気味にいってましたね。しかしポールが意見、アイデアを言わないと纏まらない進まないから、結局意見を求められるようなことがあったとも言ってた気がします。人間関係って難しいですね。
ビートルズの後半はポールの才能が爆発した時期でもあるので、その巨大な影響の重荷から各自が逃れようとしたようにもみえます。
ジョージにとって、ジョンはビートルズのリーダー、カリスマといった感じなので別格だけど、ポールは一つ上の兄貴くらいの感覚だから文句を言いやすいのかなと思います。
サブに回ったときの、ポールのすばらしさ、器用さは、誰にも真似できないと思います。あのアイデア、ベース、コーラスは、ビートルズを、最強にしていると思います。
😊😊👍私はジョンの曲が一番すきですが、どう考えても音楽面で最高の才能を発揮したのはポールだと思ってます。作曲から演奏、アレンジ、プロデュースまでやはりビートルズでは最高だったから皆ポールに脅威を感じたんでしょうね。
ビートルズの中で1番付き合いの長いのがジョージとポールなんですよね。
ポール的には1つ違いの弟って感覚が強かったのかなぁ。
ジョージ的にはいつも自分の前にいる兄貴風を吹かせるポールが煙たかったのかと思います。
でもあくまでも仕事の部分だけだと思いますけどね。
ジョージも友達としては何の問題もないって言ってますしね。
それでも偉大なビートルズとしてジョージは欠かせないメンバーですよね。
このコメントに一番納得。ポールには2歳下の実弟がいますね。10代の写真みるとポとジに身長差があり、未成年の時から兄と弟って感覚が強いのかも。ジョンにひきあわせただけでもポールは優しい😊
ザッピーさんの仰るお話に全く同感です ジョンはジョージにとって10代からの永遠の兄貴で気おくれ気味だったので徹底的に反応出来なかったのかなと😅 ポールは歳も近くジョンに比べ協力的だった面もあり距離感も曲の作成絡みで近かった事も有って直接的に気に入らないと反応してしまったんですかねー😢デビュー前からマーティンはちょい足りないなーという印象が続きゆっくり発展するジョージを待ってあげられなかったのかと個人的には😅 しかし精神的支柱としてジョンが 曲作りにはポールがいなければ特に中盤以降のジョージの才能の開花は無かったんじゃないかなー 中和にはリンゴがと思うんですけどどうなんでしょうか🤔 にしてもフォー・ユー・ブルーのジョン楽しそう サムシングのポールのベース曲を盛り上げてると😊 ファンになってからの永遠の気がかりです 人間関係は複雑にムズイって事かな😅 今日も動画ありがとうございますm(_ _)m
4人ともビートルズじゃなかったら大成功はしてないと思います。その中で、リンゴとジョージはやはりジョンとポールのおかげで大成功になった恩恵は受けてますね。初期にジョンとポールが名曲連発しなかったら絶対今の状態はないですので。私だったら、ジョンとポールには永遠に感謝してしまいますけどね。よほど、ジョージはポールに対してだけは自尊心があったんだろうとも思います。
思うに、ポールとは直接、一緒にやっていたから、やり取りを通じて相当ストレスが溜まって、強烈な思いを抱くようになったではないかと感じました。あまり一緒にいなかったジョンに対しては文句もいいづらいというか、あまり言いようもなかったのかもしれないですね☺
実際、音楽的にはポールじゃないと当時リーダー役がつとまらなかったので・・・もう仕方ないですね。
ジョージはポールを信頼していたからこそ、自分の曲を取り上げてくれるのを待っていたんじゃないかなと思います。
自身の曲を仕上げるにはポールの力が必要だと感じていたのでしょう。
ポールがいなかったら本当に苦労してたと思いますね
ザッピーさんのおっしゃること、その通りだと思います。
やっぱりポールとジョージは生涯一番長い付き合いの友人としての確執があったのだと思います。
トップがジョンでその下で二人が付き合うのは大変だったかもしれませんね。
ジョージのソロアルバムにポールが参加していたら、もっと素晴らしいアルバムになっていたんじゃないかって、昔から思ってました
👍👍😊解散後の作品は特にそう感じますね
逆に言えばそれだけポールには甘えられたって事なんでしょうね😅 ジョンは厳しいですよね。認めたのはポールとヨーコだけですから。まぁレノン&マッカートニーの織り成す天才の輝きと、無駄なモノは足さないジョージ.マーティンの中で、実力で肩を並べるのはジョージには厳しいですよね。
ジョンとGマーチンはジョージには発言・反抗はさせなかったでしょうね。ギターにしても、ポールに弾き方を言われたら、その場で弾いてしまえばいいだけなんですがね・・・。ジョージは弾けないパターンが多かった。でも、それで指示を出すポールだけが悪役ってのも、逆にポールはどうすりゃいいのってなりますけどね。
ポールは良い曲いま一つの曲で判断して、良いものであれば誰の曲であろうがグループとして良いものを作りたいと思っていたのでしょうね。
ジョージにはどうしても出来ない事やアイデアを出せて良い曲にしてしまうポールに絶対的才能の違いを感じて嫉妬も含まれていたのではないでしょうか。
ソロも含めてジョージの曲はポールの作風にいつも近いので
憧れを持ちながらも
ワンマンなポールとポールを超えようとしたけど才能の差に妬みのような感情があったのでしょうか。
その面も大いにあったと思います。ジョージも曲を仕上げるには、ポールの力を借りないとできなかった事実はあると思います。ジョンのようにトンズラしてたらポールはこんなに嫌われなかったでしょうね。でも、ポールじゃないとあの時、Bの音楽はまとめられなかったのは映画を観ていても明白でした。
ジョージが初期ビートルズのようなシンプルなロックナンバーを作っていたらジョンもいい演奏をしたかもしれないなと。
ジョージの作曲が増えてきた中期以降は多様なジャンルを取り入れ始め、その時期のジョンは自作曲ですらアレンジ面で苦労している感があるので、ジョージの曲に対してもいいアイデアを出せなくなっていて、その結果消極的になったのかな、と想像します。
ひょっとするとジョージも演奏やアレンジ面ではジョンにそれほど期待してなかったのかも?
ポールはやる気も才能もあるからジョージも頼りにしていたでしょうけどポールの有り余る才能が自分の領域を侵食してくる恐れがあってポールへの拒否感に繋がったんじゃないかなと思います。
はい、その面はあったと思います。結局、どの曲もポールがまとめないと完成しなかったのは事実だと思います。実際、ジョンはやる気なし、リンゴじゃ無理、残念ですがジョージが全員を引っ張れない。ポールが明らかな音楽的なリーダーでした。でも、そのポールに何か言われるのは頭に来たってことでしょうから、これはトラブルしかなかったでしょうね。ギターもサラっと演奏しちゃえば問題ないんですが、ジョージはその場でスラスラ弾けないので逃げ道がなかったんだろうと思います。
Zapyyさん、そんなに気を使わなくていいですよw
ファンとしては全部ひっくるめてこのチャンネルを楽しんでいます。
これからも今まで通りで続けてくださいね!
そう!ジョージの曲はポールのおかげで輝いてると思いますね!名プレイばかりですからね。
私も爺様なのでだんだん面倒に巻き込まれるのも嫌になってきてまして・・・アドバイスありがとうございます。
お疲れ様です
正論ですねー、人は3人以上集まるともめるといいますもんね
いちばんしんどかったのは、リンゴだったのかな
リンゴもヘロヘロだったでしょうね
ポールとジョージの関係についての話を見聞きすると、何故かいつもタイガースのジュリーとトッポのことを思い出してしまいます。😉
ジュリーとトッポも同い年で、ジュリーをメンバーにしようって言いだしたのはトッポだったそうですね。
ぜんぜんBと関係ない話で失礼しました。
ジョージはジョンに憧れてポールには甘えて、嫉妬してたように感じますね。アビーロードからオール・シングス・マスト・パスの辺りで特にハリソングは世間からもかなり高い評価を受けたので人間だからどこか、自分の才能はポールに負けていない、なのにポールは、という思考になったのかなぁとも思います。その辺りから特にポールに辛辣ですよね。ロックの世界で、リードギタリストでありながらボーカル取りまくり、自作曲も生み出す人間が大人しいとか控えめとか全く当たらないと思います。ジョージもレノン=マッカートニー、特にジョンの様になりたかったんだと思いますね。
B時代、特にハードデイズナイトの頃は好きなんですが、解散後のジョージは私は結構苦手です。悪口、批判が多いので、どうも・・・😂😂
勘繰りすぎかもしれないけれど、ジョンがジョージを「ネグレクト」してるみたいな態度だったのは、もしかしたら一度録音に取り掛かると物凄く苦労してしまうところに自分が関わって(ぶっちゃけ大なり小なり破天荒な)手出し口出ししてしまったら、ジョージはもう何がなんだかわからなくなってしまうのがわかっていたから放っておくことにした、みたいなのはありませんかね?
結局、ジョージにしてみれば実際に一緒に音楽製作してないジョンに対しては具体的な文句が出て来なくて…
一方具体的に手出し口出ししてくるポールに対しては(本当は感謝すべきなのに)「具体的な」文句が言いやすかった、ということなのかもしれません。
ジョージの葛藤(人によってはそれは甘えだと言うかもしれませんが)も凄かっただろうな…とも感じます。
確かにジョージの曲のポールのベースは、ほとんどそれだけで芸術作品と言ってしまいたいほど素晴らしいフレーズに満ちているけれど、ジョージ自身にしてみれば「手伝ってくれたのはありがたいけどそこまでやってほしくはなかった…もう俺の曲じゃなくなっちゃったみたいだ」と感じてしまったのかも?
お門違いだ甘えだ、とわかってしまうから、余計にイラついてしまう、みたいな…
ジョージは難しいですね。私はジョンとポールは誉めるのも悪口もどんどん言えるのですが、ジョージの話になると、もう弱いものいじめのような感覚で怒られますし。なので、書きたいことはたくさんありますが・・・控えておきますね。
音楽の話とは別で恐縮ですが。
ポールが’42年6月生まれ、ジョージが’43年2月生まれ。
日本だったら同学年になるんだけど、イギリスの学校制度は9月入学なんでポールが1学年上となります。ほとんど歳の差がないポールに後輩扱いされてジョージもやりづらさがあったんですかね。😊
8か月差なんですが、ポールは今でもジョージとの歳の差を1年半の差と言ってますね。それくらい、ジョージを下に見てきた事実はあるのでしょう。当然、ジョージもそれを知ってるのでしょうけど・・怒るでしょうね。
なるほど、ジョージの心情は楽曲制作とは別のところにあるということですね。
リバプール時代からの人間関係の均衡が崩れ、リーダーたるジョンの気力が削がれ、バンドの結束が弱まった原因に
ポールの台頭とジョージマーティンの存在を見ているジョージがいるように思えました。
対外的な評価と身内の不和という、まさに齟齬の構図ですね。
ただのファンとしては是も非もないと思いつつ、やはり辛いような気持ちになります涙。
ポールも才能を開花させてどんどん曲を作って録音していきたいときに、結局3人がついていけなくて浮いてしまった面はあるでしょうね。みんなポールと同レベルかそれを超えるレベルで作曲や演奏できてればポールのほうがヘコンダでしょうからね。
@@zappychannel 笑へこんだポール、というのはあまり想像することがないですが、仮にへこんでも彼は元気に頑張りそうですね。ポジティブな「世界のビートルズ」と、ネガティブな「リバプールのビートルズ」がいて、結果的に我々の目には「ものすごく深みのあるバンド像」として映っていたり、親しみを覚えたりしてるのかもしれないですね。
@@brownbear0123 ま、へこむはずないですね。他のメンバーが競い合う位音楽的に優れていたら、ポールはバンドが最高の音楽環境だと理解して歓喜して最高潮になると思います。田舎のロックンロールバンドが世界の頂点に立ってしまったので確かに外から見てると2面性ありますね。パッと見ると万能バンドに見えますが、裏を見るとボロがたくさんあったのは事実でした。
ジョージは若い頃からジョンに憧れてたから、ジョンに認めてもらいたかったんじゃないかな
『コンサート・フォー・ジョージ』で一番オイしい所を持っていったのはやはりマッカ😘。 「ワー、ワー」演奏時は一寸だけシュン😏していたけれど、ラストにジョー・ブラウンの歌前に割り込んで、リヴァプール・ジョークを挟まずにはいられなかったマッカ😜。 こういう友人でいるよねぇ・・・でもそれがマッカ😄なんて超幸せなジョージ・ハリスン😎。 そんな4人は友だち🤩😇
😸😸🙀
ジョージとポール
の気持ちは本当の所わからない部分
もありますが
リスナーとしては
ジョージのボーカルにポールのハーモニーは最高だし
サムシング、オールドブラウンシューのポールのベースプレイは本当に
素晴らしいと
感じます。😂
素晴らしい考察。あのゲットバックでのジョージのイライラが少し理解できました
😊😊👍
ビートルズ時代、客観的に見てやはりジョン、ポールとジョージの曲を同等には扱えないでしょうね。
生演奏がメインだった初期はバンドメンバーとして4分の1存在感はあったでしょうけどね。
ジョンとポールがジョージが持ってくる曲を聴いて、レベルが低くコメントできずに黙ってしまったと(ジョンが)いってました。Gマーチンも最初にダメ出しした曲が多かったようですので、ジョージもポールだけが敵でもなかったとおもうのですが・・
ジョンはジョージにとってカリスマなんだと思います。
添削入れてくる先生よりもカリスマに加わってもらった時に起きる「何か」の方がジョージにとって期待値の高い物だったのかもしれません。
愛憎紙一重。ジョンは論外なんでしょうね。😂
楽しい考察♩
サムシングでは、ジョージの作品がポールのベースで
いじくるまわされた と感じていたのでしょうか?
でも、あのベースが好きな人も多いですけどね・・
始めからレノン&マッカートニーとして
コンビ活動していくこともできたわけです。ジョージの作品やギターを気に入らなければ、ピートベストのように閉め出せばよかったんです。ジョージの自伝にJ & Pの名前がないと憤慨する方がどうかしてます。
結局はジョンとポールのバンドだった・・という趣旨をジョン自身が晩年言ってましたね。解散後、物凄い勢いでジョージがジョンもポールもビートルズも大批判するので、幻滅した面もあるようにも思います。実際、ジョージを加入させて育てたという意識はジョンには強かったので。
結局ずっとジョンは憧れの兄貴、ポールは年の近いお兄ちゃんだった、ジョージにとって。ポールにとっても年の近い弟。傍から見てハラハラするような人間関係であっても人生の最後を静かに過ごせる場所の提供をポールが申し出、ジョージとオリビアが受け入れたのも肉親に近い関係と感情だったから…と感じられます。ポールはジョージのアメリカ公演をリンダと変装して見に行ったくらいだから、腫れ物には触らないけど遠くから見守ってたらしき雰囲気がありますよね。ポールはジョージを基本悪く言わないし。
最近1981年のヨーコのインタビューに触れる機会があり、ジョン以外の3人についても語っていてなるほどと思いました。やはり本人と当事者同士にしかわからないことってたくさんあるなと思いました。
以下一部ですが参照。
ヨーコ・・ポールをよく知っている人はポールがどういう風に自分を表すか知っている。でもよく知らないとポールがろくでもない冷血漢のように目に映る。それはポールが世間に見せる顔とジョンのような人に見せる顔がずいぶん違うからなのです。ジョージもジョージなりにそういうところがあるのです。とにかくわかって欲しいのは私たちの誰もがひどく過敏な人間だから普通の形では自分の気持ちを表現できないということなのです。だからみんな曲を書いているのではないかしら。人生と折り合いがつかないから。
仲間だけの話というのはアリでしょうね。私ができるのは、結局妄想なんですが・・。それも最近は楽しく思ってます😃👏😊
@@zappychannel
それも同感です。ジョンもポールもジョージもすべてを語ってくれた(くれる)訳ではないので、そこに私たちが妄想膨らませる楽しみがあるわけです😁それもファンにとって幸せであり、醍醐味です☝
👍👍
ジョンにジョージを紹介したのがポール。ジョージにとってポールはいわば恩人だと思うのに、そこまでボールを嫌うのにはよほどのことがあったのでは?と思っていました。積もり積もったというよりは、ドカンとした何かが。私の妄想ですけど。
執念というか怨念というか・・・解散後などは特に凄かったですね
Zappyさん、コメントありがとうございます。執念、怨念、解散後は特に凄かった・・・。そのあたりの話、いつか機会があれば発信していただけると嬉しいです。いつも貴重な情報、ありがとうございます。
ジョンは部活の先輩で、ポールは兄貴みたいな近さだったのかも
私が想像するに、ポールはジョージの高校時代の1年先輩(リバプールインスティトゥート)ですから、先輩風を吹かせることがあったのではないでしょうか?
すこしはあったでしょうね。でも、音楽に関してはジョージだけじゃなくジョンよりも優れてた時はありましたね。
zappyさん! ・・・ジョンは奇才!・・・ポールは天才!・・・ ジョージにとって彼の2人は、「制作パートナーになって欲しい相手」ですよね~!!!
😀👍😀
ジョンがいなくても困らず、最低限レコーディングはできたけど、ポールに断られたらセッションが成立しない、つまりポールのNOが持つ意味が重すぎたという事でしょうかね?さらに、ポールは当時明らかにジョージよりギターもうまいので、口出ししてきて気持ちよくレコーディングできたことが無かった。一方、ジョンの不参加はある意味放任・信任とも受け取れた。こんなところ?
ポールが口出してジョージが気分悪くなったというのも事実ですが、ジョージがちゃんとギター弾けてれば最初からポールも文句いわない・・・というポールファンの意見も多いですけどね。
『天賦の才を持ったジョン、研究熱心な天才肌のポール、努力して才能が芽生えたジョージ』と言い換えてもいいのかな?
ジョンの行動は、ジョージの才能を意識しはじめたが故のもののようにも思えます。ジョージ推しの私からみても、ジョージはポールの助言で成長できた事もあったろうし、そこは感謝すべきと思います。いずれにしても、ジョンを巡る三角関係にヨーコまで加わり、メンバー同士の緊張が高まった時期に、ジョージのはけ口がポールに向かったような気がします。
仕事をする中で、アドバイスを総論として捉え成長する人もいる反面、各論としての理解に留まり、何度も同じ注意を受ける人もいる。ポールはジョージに期待したが、若すぎたジョージはそれに十分応えられなかったかもしれません。😵😔
ジョージファンとしてはマイナス面を受け入れるのは勇気もいることですね。ジョージファンはジョージを包み込むように大事にしてるのはよくわかります。
私はジョンが一番好きですが、今までたくさんジョンのネガティブ動画を作ってしまいました。おそらく今後もどんどんジョンのマイナス情報もやる予定です。ジョンのファンからそれでもクレームほとんどないので、おそらくジョンのファンはネガキャンにもタフなんだろうと思います。でも、それを超えてジョンが素晴らしいと思えるわけなので、私自身本当のジョンファンなんだと変に自負してます。
個人的な意見ですが、ビ-トルズ後期にジョ-ジが一番出したかった歌は、ALL THINGS MUST PASSではないでしょうか。アウトテイクCDで一番ジョ-ジが歌っています。これを反対したのは、ポ-ルではないでしょうか。これを皮肉ってジョ-ジのファ-ストアルバムのタイトルがALL THINGS MUST PASSにしたのではないでしょうか。ポ-ルのファ-ストアルバムPAUL McARTNEY・ジョンはJOHN LENNON
なるほど・・
Beatlesの枠の中ではharissonはいくら頑張ってもLennon&McCartneyには勝てなかったという事に尽きる
中途半端なインド楽器を使った曲作りなどでなんとかしてL&Pに対抗しようとしたけれど不発
L&Mのサイドマンとしてバンドを続ける事に嫌気がさしたんでしょうね
All things Mast PassでBeatles 時代の鬱憤を晴らしたものの後が続かなかった
L&Mが凄すぎたというしかないと思うけどBeatles解散当時はL&Pも20代後半だった
今考えると凄いね
実際にファンの数でもジョン=ポール>ジョージ>リンゴの順だったですね。B時代は音楽才能と作品のレベルでは確かに超えられなかったという意見も多くあります。解散後はいいアルバムも出してましたね。
まず、今回の動画の内容とは関係のないコメントですみません。ビートルズはコンサートやテレビ番組でジョンがリードボーカルの時、ポールとジョージが一本のマイクに顔をすぐそばまで近づけて歌っている場面がよくありました。それを見ていてこんな会話が聞こえてきそうな感じがしました。「お前口臭いぞ!餃子食うたやろ!」それに対して「お前も口臭いぞ!歯周病ちゃうんか?」といった感じのが。最もあの時代は誰も彼もがタバコを吸っていたので、実際はタバコ臭かったでしょうね。
🤣🤣😱
両雄相立たず!全員が素晴らしい才能を持っていた事各自の個性が出て
しまった事コレが解散に繋がって行ったと思います。僕は4人あっての
ビートルズ、ビートルズあっての4人だと思う。73歳の爺い
ジョンに言われても仕方ないってなるけど、ポールにあれこれ言われるとなんかムカつくって所では
ブライアンエプスタインが亡くなってバンドの精神的支柱を失った。
ジョンがヤル気を失って、ポ―ルがリーダーシップをとるが結局は空回り。ジョ―ジやリンゴにこうやるんだとやり過ぎてウザかったんだよな。