ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
【訂正】0:28 ×祖谷(いや)川→◯貞光川 別の支流でした!
茂木先生のファンの在米老人です。以前久保有正さんの youtubeの日ユ同祖論のご講義を何度も拝聴しておりましたが茂木先生が確認検証中、若い人が更に興味を持ち始めているのでこれからの展開が非常にたのしみです。私も遠くから見守って死ぬ前に何か大きな展開や発見が有ったらいいなと期待しています。久保先生のお話にであってから日本を見る視点が変わりました。でも人にはまだ話せません、信じては貰えないので。
茂木先生の情熱が凄すぎて、元気もらえます❤ありがとうございます‼︎エラム王国→殷→倭国と忌部氏と賀茂氏(忌部中の忌部)は来たそうです。現代の私たちは、そうやって繋がれた命、大切にしなきゃいけませんね。
役小角系ですね。行ってみましょう。
私も昔バイクで登ったとき、剣山の駐車場にバスがいるからびっくりしました。あの細い道をどうやって登ってきたのか、ドライバーさん尊敬ですよね。
徳島の山の民 平家の落武者、山頂の平地の謎、高野山、伊勢神宮のライン天皇と繋がり深い徳島三種の神器があるとさえ噂される剣山上がるとじろう丘の綺麗な風景は最高
弘法大師?
次郎丘。リフトとは反対側ですね。
なんと!こんな悪天候時にアタックしていたとは💧・・山の神も視聴者も脱帽です。
織田信長は忌部氏の一族で織田劔神社の祭祀の家柄で古神道をわかっていたと思います。大化の改新で藤原氏によって政権から外されて以降、信長の時代には宮中の公家は藤原一族ばかり。そんな仕事をろくにしなくなって腐敗した藤原一族から政権を奪い取って天皇陛下の元でのかつての形を取り戻そうとしたのが信長だったのではないか。その辺りから公家や足利義昭らと反りが合わなくなっていって本能寺の変に繋がった可能性はあるなーと思います。古代の日本を知ると、ちゃんとその後の歴史にも色んなところで繋がって来るので面白いですね😊
どうなんでしょう。史料オタクの自分からすると信長って、公家にはただただ尊敬尊重しかなかった気がします。万里小路にはやりすぎなくらい平伏し、近衛からはその死を7年後も悲しまれ…ただ「500年前(清盛の時代)のごとく」なんて言う人なので、復古が好きな人物だったとは思いますが。本能寺は単に、皇室?なにそれの無法者が暴走しただけと思われます。
茂木先生最高です❤忌部氏の話が聞けて嬉しいです。1人で走ったあの不安いっぱいだった道路😅また見れるなんて✨✨✨途中、?こんな道通らなかったって思ったらやっぱり違ったんですね。本当にリフトまで辿り着けて良かった。祖谷の底なし話も聞きたいです。茂木先生が語ったらどんなにすごいことになるでしょう🤭この旅シリーズワクワクするネタてんこ盛り❣️ありがとうございます。2を見に行きます😊
どんなに感謝しても仕切れませぬ程感謝。若ーい頃、日本民踊の研究家になりたいと思っていました時期がございまして、その民踊の中にい祖谷の粉ひきといいます踊リがあり、勿論謡もございます、その民踊{謡}にかずら橋が出てきたりするのですが、謡も踊リも優雅で大好きな民踊の1つでしたけど、いつのまにか世界に目が向き、やめてしまいました。その四国の祖谷を思い出させてくださったのです。昔から不便とは聞いてはいましたが、四国も空海もユダヤ系と関係の様ですので,祖谷の民踊{民謡}もユダヤ系の様ですね。新しい発見ありがとうございました。
秘境への一人旅楽しそう
こういう痕跡はどのような扱いなのでしょうか。歴史から抹消されるような動きはなく、かといって積極的に教えられることもない。とりあえず庶民に教えられてない歴史が膨大にある事だけは分かりましたw
聴いた話では 世界中が密かに注目している ワザといじら無いといってました 何か変化有ると海外の要人がお忍びで来ている、、らしい
ドライブシーンを見ているだけでも険しさが伝わってきますね。今は道が整備されていて車で来れますが、近代以前の時代なら外界とは断絶した場所ですよね。政治や戦で敗れた人たちが逃げ込んでくる理由が分かります。
祖谷と検索したら、熊野とも出てて驚いています。いい感じで『つづく…』になってしまいました。次回楽しみです。四国はディープすぎますね。
阿波と紀伊、間違いなく繋がっています。
@@maomao96363 千葉の安房賀茂川も繋がります。
これぞ旅ですね!色んな困難を越えて目的地にたどり着いた時の達成感は格別です。
いつも楽しく拝見しています。四国の山奥に世界史がダイレクトにリンクしている壮大さがすごいですね。
先生、祖谷地方の旅、大変お疲れ様です!祖谷在住の者です。印部氏については最近興味があり、勉強になります。このシリーズ目が離せません!
忌部氏だと思います。漢字が違うのでは? そういう表記なんでしょうか?
@@sunsun2181 申し訳ございません。変換間違いでした!
リフトに乗ってる茂木先生なんかカワイ😊
水曜どうでしょうでよく見た景色がまさか茂木先生のナレーションと共に見れるとは…毎回楽しみにしてます!
祖谷をご紹介くださりありがとうございます。私は東京生まれですが、ご先祖様は阿波の鳴門。遠く遡れば祖谷に辿り着くそうです?母が住む家に大麻比古神社の掛け軸があります😊
おおっ!
臨場感たっぷり、一緒に行ってる感覚になりました。楽しい。
徳島は、色々な伝説がありますよね。一説には、解く島。米軍が大戦後に調査したとかないとか。それから阿波~安房に移り住んだ忌部氏もいて、それが千葉県の印旛沼の語源になったとか。
なるほど〜
印旛の大鷲神社のご祭神が天乃日鷲!
免許取りたての頃、国道の分かれ道で山道に入ってしまった時を思い出して😂手に汗握りました💦瀬戸内文化圏では地元のテレビのCMで「いやのかずらばしゃ〜♪」と民謡が流れていて唄で聞いて祖谷と覚えました。(お味噌のCMだったかな?)先生、ブラタモギでカッパ着て歩かれているように、今回も雨に降られる覚悟と思ったら意外とふらっと旅な感じで、「楽しい〜♪」と満面の笑顔が微笑ましいです😂批判理論の人たちの言語空間からは、速い乗り物で景色を後にして行く様に、歴史に没頭しているうちに意識から遠ざかっています。奇跡の様な日本の歴史は世界遺産級だと改めて気付かされます🗾🙏🏻
うおいーのー御膳みそ~🎶ですね
@@mkonvielspass 動画探したらありました。懐かしいです☺️
山頂のあのお写真の前にこんな冒険されてたのですね。崖っぷちにこちらまでハラハラしました😵。長篠合戦の六芒星紋付きの屏風には唖然。え、、どういうこと?疑問だらけで混乱してます。底なしの禁断日本史。リフトの先生ホントかわいい💙雨に濡れられたのにお風邪ひかれず良かったです。続きが待ちきれません〜
忌部氏を訪ねながらの山道。雨に濡れた山の匂いがするような動画でした!日本らしい景色ですね。狐の嫁入りに遭遇しそうでドキドキしました。麻の葉文様の紬の着物を持っています。鬼滅の禰󠄀豆子ちゃんが着ていますが、麻の葉は吉祥文様とされており、麻の成長の速さと真っ直ぐに伸びる様子から赤ちゃんの産衣に使われたり、魔除けともされたようですね。日本に古くから伝わる家紋や着物の文様、意匠。非常に奥が深く、しかも美しいと思います。特に、普段着とされている紬には、日本全国、実に多様な特徴があり意匠が凝らされており、その土地の文化と誇りを感じます。家紋もどなたが考えたのか?素晴らしいデザインですよね。続きが楽しみです!
茂木先生お疲れ様です!運転がお上手なので画面の揺れもなく、ゆっくりと旅の気分を味わうことが出来ました。このシリーズは毎回楽しみです。先生のお声も、とっても素敵でなごみます💖💕💕
こんな山中に平らな道路を作ってくれた、建設業のおじさんたちのおかげです。
懐かしい~。自分も2年前の同じ頃の早朝、幾分緊張しながら同じ道を運転してロープウェイ下の駐車場に車を停めて剣山に登りました。山間部の早朝は靄ったり霧が出たりしますが曇天で小雨の中の運転は何とも言えないざわざわした気持ちになりますね。
茂木先生お疲れさまです、何故リフトで傘禁止なんでしょう(笑)カッパ貸してくださいw自分も似たような和歌山県南紀地域の山奥に住んでいて、[熊野]と書いて[ゆや]と読みます。地元の人はゆや地区と読んでいます。川の名も[ゆやがわ]です。いわれはわかりませんが、[いや]とも言ったりします。不思議ですよね。
和歌山県と徳島県は似た名前の地域も多いですよね 不思議です
突風で飛ばされるからだそうです。元々、「ゆや/いや」が語源(何語か不明)で、漢字は当て字なのでしょう。紀伊にも行ってみたい。
茂木先生、めっちゃ面白いですね。1人で神社とか山いくと怖さというか恐さというか畏れというか。
待ってました剣山の回。祖谷の粉ひき唄と言う民謡があります。葛橋があるそうで秘境と聞いてました。難しい唄で習ってた時は苦手な曲でした。畑もないような秘境で、本当に稗の粉をひいていたのでしょうか……
森昌子さんが熱唱してました。th-cam.com/video/URfhMwnmUfc/w-d-xo.html
@@maomao96363 返信ありがとうございます。三大秘境の椎葉に程遠い五木も平家の里とされてますね。「五木の子守唄」「祖谷の粉ひき唄」は生活の苦しさを唄い、習う頃よく似た唄と感じてました。森昌子さん、感情が入って情を感じますね。
雨の中ご苦労様です。四国の山道は剣山も石鎚山も似たり寄ったりですね。私の故郷は石鎚山系仁淀川源流域辺りなので、道はこんなもんです。台風でもあると落木落石で通行止めになります。でも、剣山にリフトが付いているって知りませんでした。今度探訪してみます。楽しそうです。
伊勢神宮に寄進が多いのは織田家らしいですね。だから灯籠にダヴィデの星が付いていたのでしょうか。麻の葉紋は、あれですね。消防署の印のようにも見えます。
楽しい 見てても楽しい
② 宮崎椎葉村には以前旅行に行った事を思い出しました。❸大秘境とは知らずに何も山間の奥地ですね!ドキドキしながら今観てます❤❤❤
一緒にお供させて頂いている気分です。ありがとうございます。
あと一回で800回ですね。四国編でとうとう迎えるのですね。先生がご無事で良かったです。崖っぷちで見てるほうが怖かったです。私はたぶん落ちてるわ。少し年上の人に失礼かと思いましたが、リフトに乗ってる先生が無邪な幼子のようで、可愛かったです。すみません。
とても興味深い動画をありがとうございます。リフトの場面でふと思い出しましたが、天橋立に行ったときにリフトに乗りました。天橋立は元伊勢籠神社(このじんじゃ)の参道という説もあるようです。そして、籠神社が数年前に公開した裏紋が五芒星だと話題になりました。その他にも謎の多い神社で、前回はお参りできませんでしたので、次回、天橋立を訪れるときは籠神社にお参りしようと思っています。
籠神社の六芒星は、そのものですね。
久々の地元みれてよかった
先生お疲れさまです!何時も身体を張ってフォロアーに歴史の謎を解くヒントを与えてくださりありがとうございます、やはり徳島は真実はどうあれ外せ無い場所ですよね〜!
雨☔の剣山は無謀ですが〜想いが伝わったようですね~
一説にアークが埋められているという剣山。
徳島県〜紀伊半島〜東海地方〜伊豆〜房総半島と黒潮の流れに沿って「海部」「勝浦」「吉野」「祖谷」等の地名が点在するのは単なる偶然でしょうか?
こりゃまた古語拾遺を読み直さにゃならんな…😅忌部氏は天孫の意向で方々に派遣されては派遣先で色々開発してた記憶。なお椎葉では未だに縄文以来の焼畑やってたり、狩猟の際は現代人には意味不明な古代語で山の神に祈ってたりして、貴重な生きた化石村です👍
椎葉の伝承も知りたい。
剣山とユダヤの痕跡✨100名山でもあるし行かなきゃ。ダ・ヴィンチコードと秘境と山が一回で楽しめる素晴らしい旅ですね。しかもそこは中央構造帯上でバワースポットでもあります。私も先週、塩見岳に一人旅でしたがやはり同じ中央構造帯で車の運転めっちゃ怖かったです。何せ訳あって5月に免許取ったばかりなので(^^;
道路などのインフラ整備の始まりが遅かった四国。聞くところによれば、かつては瀬戸内で栄えた一部の地域以外では多くの人が標高が高い山中に住んでいて稜線付近を歩きながら縦横無尽に四国全域に足を延ばしていたらしく、それが人々の生活道路であり幹線道路でもあったようだ。それというのも海岸線を辿っての移動はとてつもなく距離が長くなり縦横無尽には程遠い。今では皆山から下りたために海岸線に町が広がりインフラも整備されたが、かつては標高の高い山中に集落が点在していたという。またいろんな人が四国に隠れ住んだといわれるが、もちろん中には壇之浦で敗れた平家の民もいたであろうという。ところで忌部氏の家紋は麻の葉だったがアサ繋がりで、、阿波の阿佐家と平家には緊密な関係があったとされたり、またそういった四国の山の民と空海はどんな関係だったのか興味深い。
私は旧)麻植郡忌部です。忌部族。麻生地を大嘗祭に献上いたしました。剣山はユダヤの秘宝があるようですよ。
こんな道有ったかな?と思ったらやっぱり間違えられてましたね。😅晴れていたら次郎笈をバックにした岩の映えスポットが最高です。☀
晴れた日に再チャレンジします。
父は祖谷の出身です 祖谷は東祖谷と西祖谷に分かれていて 源氏と平家の末裔が暮らしていました。以前叔母からヘブライ語が書かれた本を渡されました。ちゃんと読まなかったけれど
何と源氏も!
全く同じ菊の紋がイスラエルの old city の石の門に刻まれていた、驚いた、ある神社の神主さんが「はい、この神社はダビデ( king David ) を祀っている神社です」と言ったのにも驚いた、ドキュメンタリーだった、TH-cam で観れると思う、
ヘロデ門。
剣山のリフトに『水も滴るいい男』ありけり。徳島の探索シリーズ、茂木先生の解説付きで旅をしている気分です。マービン・トケイヤーさんの著者に群馬県の多胡碑の『羊太夫』という人物の紹介があり、羽が生えていたとか、景教、ユダヤ系、中臣、物部などの説が錯綜しております。当時は殷賑を極めた土地だったのでしょうが、今は一村落と仮し付近から僅かに出土した道鏡のニュースが侘びしく語られるのみです。多胡碑の『多胡』という表記や多胡碑付近から発見された石槨に「JNRI」という文字がある、また碑の下からは十字架も発見されたなど。日ユ同祖論に興味を抱く者にとっては謎が深まるばかりです。因みに群馬には多胡さんという名字の方もいるそうです。
群馬にも参ります!
とても興味深いお話を拝見しました。「忌部」と聞いて三重県の「いなべ市(員弁市)」を思い浮かべました。ひょっとして関係あるかも・・と思って調べてみたら、やはり関係があるようです。忌部氏がいた地域には「麻」という漢字を使った場所があったり、伊部(いんべ)、井辺(いんべ)、伊那部(いなべ)、伊奈(いな)という地名がついているようです。いなべ市で麻の漢字を使った場所が「麻績塚(おみつか)古墳」。その麻績塚古墳の真東に「多度大社」があります。多度大社の別宮に『筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖』である天目一箇命(あめのまひとつのみこと)(別名:天津麻羅)が祀られています。そういえば伊那市は諏訪大社も近いのでこちらも忌部氏との関係が気になります。先生、続きを楽しみにしています!!
諏訪大社の元宮は德島にありますよ
@@まろん-z5q さん そうなんですね!徳島が元々の場所なのでしょうね😲
@@mimichan3333 さんはい徳島の古代史研究科は四国が古代の都であり、後に奈良に都を移したと考えています。神社の本宮や古事記に出てくる神々を徳島の神社だけが祀っているなど面白いことが数多くあります。
コンメント皆さん色々 博学ですねコメントだけでも勉強になります
なんか素敵な場所✨ですね💕面白い💕❣️。
天候も良くなかったようですが道中ご無事で何よりです。大麻比古神社を少し降ると四国霊場八十八ヶ所の一番札所だし、弘法大師も寺社で囲んだ中にはなにか守りたかったものがあるんでしょうね。弘法大師は地質学には長けていたでしょうし、剣山から金とか銀とか、または有用資源が出てこないかなぁ。
もともと修験道の霊場だった場所を、弘法大師が組織化したようですね。
@@maomao96363 昔も今も人は旅好きなのかもしれませんね。小生も先週天橋立籠神社、伊吹山、養老の滝、伊勢神宮、那智の滝、熊野本宮、高野山を廻って、一昨日は和歌山県加太で淡路島と四国を眺めてきました。鳴門海峡の渦潮で泡スゴいから淡路とか阿波なんですかね??日本創世いろいろ想像するだけでも楽しいです。次回動画楽しみにしております。
私は徳島市〜国道438,439号線共用路線 通称"酷道ヨサク"で剣山 東祖谷方面に行く事が多いです。路面改修による通行止めの多い路線ですが、好きな路線です🚙
古いユダヤの言葉で職人を「あわ」阿波の人と言われていたとされてます。
9月の下旬に見ノ越の登山口から剣山の頂上まで登ってきました。頂上からの景色は最高でした。見ノ越までのすれ違い不可能な山道の運転お疲れ様でした。でも道中の秘境感にワクワクしませんでしたか?動画を拝見しながら色々と思い出しています。
忌部氏、きたぁーヽ(*´∀`)ノ信長は藤原氏ってウソついてたらしいですね。
今回もお疲れ様です。秀吉はルーツが秦氏だからあんな出世ができたとも言われます。秦氏、忌部氏とも古代イスラエル系渡来人ですね。日本では天下人にふさわしい家系なのでは。
麻の葉は七つに分かれていて、茎を入れると八つに分かれている。でも日本では、紋だけではなく着物などの麻の葉の模様は、すべて六つ。ダビデの星。
長篠合戦図屏風の「ダビデ紋トリオ」は、戦の前に占いをする呪術者のように見えますね。我々が覇王と思う信長ですら、神仏や魔法や占いにすがっていたんですね。
先生、奈良県の天河神社にもぜひおいでください。こんなかんじで、ぐねぐねです。でもたどり着いても、神社がきれいになっていて、まるで新築みたいでした。とほほ。お金がありすぎると改築しまくりだなあって思いました(笑) まあ、20年たったから、少し古びただろうか・・・。
岡山県の備前焼の産地の街は「伊部」「いんべ」です。そして備前市伊部にも忌部神社があります。忌部の職能集団がこの地で焼き物を作っていたのでしょうね。
出雲忌部氏、紀伊忌部氏、いろいろあるようです。
もぎせか史上最もアドベンチャー
🤣🤣🤣👍🏻
古代豪族の話は非常に興味をそそられました!先生、日本全国ブラタモギで、シリーズ化して下さい!また、個人的には私の地元福岡の志賀海神社に訪れて欲しいです。
志賀島行ったのに、気づかなかった...次回、チャレンジします!
先生綿津見三神を祀る志賀海神社と、住吉三神を祀る住吉神社(筑前一の宮)の雰囲気が違い過ぎて不思議に感じてます。。大阪の住吉大社も志賀海神社とは、何となく真逆の雰囲気でした。
大正時代に道路が通じる前は、いろんな人が逃げ込む…。とは凄いですね。交番・駐在所もなかったのでしょうか。藩政時代もどうなつていたか、興味津々です。
いつも面白く拝見させていただいております。貴重な情報、本当にありがとうございます。漢字の由来や意味について疑問がある場合、私は白川静先生の字典を参考にしております。「忌」については詳しくは原典に当たっていただきたいのですが、茂木先生のおっしゃる通り、本来「忌」には体を折り曲げひざまずいて神に仕える心情から「身を清め慎む事」を意味するそうです。私も40年以上前に駿台のお世話になりました。伊藤先生の英語はもとより、他で特に印象に残っているのは日本史の授業で、先生の名前は失念してしまいましたが、教科書には載っていない部分を掘り下げて、例えば川中島の合戦で鶴翼の陣と車懸かりの陣の対決の下りなど、黒板の前でダイナミックに動きながら講談師のように語る授業で、以来日本史に興味を持つきっかけになり、疑問に感じた事柄は自分で調べて考えるという習慣をこの頃に教わったように思います。六芒星について民間伝承として伝えられている国家は東南アジア以東では中国と日本だけなのでしょうか?タイには残っていないのでしょうか?星条旗の星は五芒星か・・・色々な疑問が出てきますね。
秦氏は「羽田」「秦野」「波多野」「和田」などの氏になったのではと言われてますね。万里の長城を建設したのもこの民で、秦の始皇帝があまりに人使いが粗くて、嫌になって日本に逃げてきた。という説も…
ふっひぇ~~、すごい道。こぇえええ。( ゚Д゚)
小雨の中お疲れ様でした。ミヨシ市には標識の設置お願いします。山頂では晴れていて良かったですね。次の動画を先に見ています。
ダビデの星、よりも“ヒランヤ”と先に覚えたっけ。三宅裕司のヤンパラで一時流行りましたね。ヒランヤパワーを体験したくて、シール付きの本を買いましたっけ。傷口が早く癒える、花が長持ちする、枕の下にしのばせて寝ると様々な体験が寄せられていました。私も個人的には劇的なスピリチュアル体験しましたよ😉また流行らせて、茂木先生!
籠目と麻の葉は両方とも日本の伝統文様の一つです。そして籠目は六芒星にもなります。そして二つとも魔除けの意味を持つようです。刺し子という刺繍でたまたまよくある文様で定番なので驚きました。
茂木先生❕私の見る限りこの道は剣山へ行く最短コースになります❗美馬郡つるぎ町の貞光(さだみつ)の貞光川(木綿麻)を坂遡ってます❗(祖谷)は三好郡の山城より祖谷川より登ります❗つるぎ町の端山(はばやま)に友内山(高千穂)との伝承があります!頂きには天日鷲命の小社がございます!👍️そして同じく端山の御所平の吉良には忌部神社があります!ルートの指摘😢⤵️⤵️すみませんでした☺️!✌️🆗⤴️!(*≧∇≦)ノ
出雲國松江にも揖屋(いや)神社があり、紀伊國御坊市の熊野(いや)神社はもう一つの出雲國一宮熊野大社から分祀されたさうです。越後國一宮彌彦(いやひこ)神社の天香山命は石見國一宮物部神社の兄弟だそうで石上神宮や宮中とともに新嘗祭前日頃鎭魂祭が行われる神社です。丹後國一宮籠神社の奥宮眞名井神社には六芒星紋(籠目紋)でしたが何故か今は三つ巴紋に何時の間にか代わっています。
徳島県西部の出身です。18歳まで過ごしましたが、知らない事ばかりです。地元に帰ったら行ってみようと思います。
ここ数年, 日ユ同祖論が気になっています!考えてみれば世界中にユダヤ人の祖先がいると思いますね!!剣山に「契約の箱」があるのも何かユダヤ人の先祖の方の思いがあるのでしょうね!!!
私も楽しくなってにっこり。旅いいな。
11分すぎの徳島弁なつかしくてよかったです。おりゃあいけんわ あっちやろ それはまちごうとるなありがとうございます 忌部氏が織田軍に参戦していたのは知りませんでした。
一緒に旅してる気分になりますね・・・楽しいです
先生と一緒に神社巡り⛩したいです😊
秦氏が始めたから機織りなんだ。勉強になります。
機織り、秦が織る、織田信長
日本人も色々雑多な人種が混じっているようです。ラオス、ベトナムなども少数民族がかなりいて、この動画見ていると人類の歴史的な動きとか流れが想像できて楽しいです。
中臣氏と忌部氏は、旧約聖書のレビ族のような立場になるんですかね?秦氏は、聖徳太子側について物部氏と戦っていることを考えると蘇我と物部の戦いは、仏教と神道の戦いという側面以外に、イエスを知るユダヤ人(秦氏)とイエス誕生の前に日本に渡ってきたユダヤ人との戦いにも見えますね。
この道路の感じ・・・まさに四国ですね。
家紋かどうかは知らないけど、六菱(むつびし)っていうマークを採用してる会社はあるね。三菱のあのマークを二重にした感じ。どっちかっていうと、麻の葉のマークはそれに近いかも。
大すきな茂木先生とドライブしてるみたい。最高!楽しい
先だって《七夕の起源》とか グーグルさんぽ していたら『服部半蔵』と果ては『諏訪』に 繋がってびっくり(繊維繋がり)ニンジャ “出て” 来ますね 国立天文台 が 『伝統的七夕の日』を(毎年)発表していた のにもびっくりしました
はっとり←機織り。秦氏とも関係しますね。
そーなんです《梶》も “繊維”?だったんです
地政学的に この周辺がどんな場所かってのを知りたいです。どんな民族が 何をしたかったからこの近辺が重要だったのか?淡路市含む関西四国地方は 縄文時代の交易が薄かったと思うのですが だからこそ 海流や当時の海運や気候や地形などを考察した地政学者先生の考察を 聞いてみたいです。
奈良県橿原市に、忌部氏の本家の方が住んでいます。忌部山という小さめの山がありますが、ちょっと怖いです。ぜひ、本家の忌部氏にも取材いただければと思います。わからないけど、橿原市市役所とかに相談したら、会わせてもらえるかもです。
徳島の忌部氏って、天皇の即位式で麻布の貢納するんですよねえ。四国新聞に掲載された徳島忌部氏の当主インタビュー面白かったですよ!! 現地の考古学研究家の方が「邪馬台国」について尋ねたら、「知らない、わからない」とおっしゃってました。だから、徳島忌部氏は、たぶん邪馬台国に関係ないってことですよね。
奈良の橿原市の出身ですが忌部町と言うのが有りますね。子供の頃、忌部行こか~とか言ってました。ネットで確認したら天太玉命神社というのがありますね。知りませんでした。寺社仏閣が多いので・・・曾我町(現在は曽我)もありました。ガンプラを買いに行ってました。忌部山、初めて知りました。里帰りしたら一度、見てきます。
@@心-q3b さん それです、それです。実家が近いんです。神社は知りませんでした。ありがとうございます。調べてみます。 だんご庄のだんご おいしいですよ(笑)
@@心-q3b さん ネットでみたら、そこ行ったことあります。写真でみたら、そんなかんじでした。小さいけど、すごいですよね!!
忌部かは知らないけど!織田軍のマークは織田神社の勢力と聞きました。
こんな事書くと失礼ですが… 日本の秘密は迦波羅の奥義を理解しなければ謎は解けません 四国は剣山だけではなく阿波国 讃岐 伊予 土佐この四つの地名の頭の字をとるとあさいと麻糸となる。何故四国が麻糸となるのか…四国に隠された秘密は剣山だけではない…書けないのが残念だが…
葉っぱが3枚ならメノラーが見え6枚ならば六芒星が見える人間の想像力…見たいものしか見えない不完全な動物なのかもこうやって口伝や伝承は内容が変化してゆくのかもしれない
リフト1人乗りワクワクしますね!高尾山で乗ったことありますが楽しかったです。ちょっと怖かったけど
機織りが服部(はっとり)に派生し、手先が器用で先端技術と知識を有していたため、交易のための移動をしながら諜報活動もしていく。「部」は職能による氏族分けだから、麻績部から、小見、尾美、等にも変わって行くが、「臣部」の文字があるのが面白い。
四国は一度も行ったことが有りません、剣山を掘って三種の神器とらを見つけたいとまたまた妄想😗
茂木先生、いつもとても楽しく先生の講義を聴かせていただいております。一つ質問があります。六芒星とダビデを同一視するというのは他のユーチューブでも散見するのですが、ダビデの星=六芒星が認識されるようになったのは14世紀以降のことで古代イスラエルではダビデの星は一般的ではなかったと聞いたことがあります。六芒星は古代の日本から元々あったものであるという考えに関する先生のお考えはいかがでしょうか?
聖書時代には、六芒星も五芒星も、イスラエルやユダ族、ダビデやソロモンを象徴するものとしては知られてなかったと言いますね。
遅くともローマ時代の末期(3世紀頃)にはシナゴーグで使われていますね。synagogues.kinneret.ac.il/synagogues/shura-2/14世紀に云々の話は、時の神聖ローマ皇帝カール4世が、六芒星をユダヤ人の軍旗として公認した、という意味だと思います。
茂木先生、ご返信ありがとうございます。まさか、お返事をいただけるとは思っておりませんでした。以前からひっかかるものがスッキリしました。これからも先生のご本とTH-camを楽しみにしております。
@@maomao96363 ただ、このデザインが当時はどんな意味があったかですよね。ユダヤ教のシンボルだったのか、それとも単なる装飾模様だったのか?ちなみに、ローマ時代のシナゴーグはかなりギリシャ文化や思想の影響を受けています。会堂の床には黄道十二宮や太陽神ヘリオスのモザイクが描かれていたりとか。また疑問なのは、六芒星がユダヤ人、ユダヤ教のアイデンティティを表わすものなら、どうしてもっと古代ユダヤの遺跡に残っていないのかという点。せめて伊勢神宮の石灯籠並みにですね。
知り合いで家紋が六芒星✡️の奴がいるんですけど、割と居るもんなんですかね?
有難うございます。非常に興味深い動画です。ダビデの子孫と言う人が徳之島にいますがどうなんでしょうね?
雨のリフト…ご愁傷様です。そうまでしてのご参拝。きっといいことありますよん(^-^)
今も忌部(きべ)さんという名前がある。東京の会社でご一緒したことがある。担当は偶然にも不織布の部門だった。
忌部氏の流れが織田家につながるのですね。物部氏が軍事をつかさどっていたとは。だから、ヤマタノオロチを退治した時の十束の剣を石上布都みたま神社に奉納したのでしょうか?石上布都みたま神社の宮司さんは物部氏…。
いやっほーかも?!
【訂正】0:28 ×祖谷(いや)川→◯貞光川 別の支流でした!
茂木先生のファンの在米老人です。以前久保有正さんの youtubeの日ユ同祖論のご講義を何度も拝聴しておりましたが茂木先生が確認検証中、若い人が更に興味を持ち始めているのでこれからの展開が非常にたのしみです。私も遠くから見守って死ぬ前に何か大きな展開や発見が有ったらいいなと期待しています。久保先生のお話にであってから日本を見る視点が変わりました。でも人にはまだ話せません、信じては貰えないので。
茂木先生の情熱が凄すぎて、元気もらえます❤ありがとうございます‼︎
エラム王国→殷→倭国と忌部氏と賀茂氏(忌部中の忌部)は来たそうです。
現代の私たちは、そうやって繋がれた命、大切にしなきゃいけませんね。
役小角系ですね。行ってみましょう。
私も昔バイクで登ったとき、剣山の駐車場にバスがいるからびっくりしました。
あの細い道をどうやって登ってきたのか、ドライバーさん尊敬ですよね。
徳島の山の民 平家の落武者、山頂の平地の謎、高野山、伊勢神宮のライン
天皇と繋がり深い徳島
三種の神器があるとさえ噂される剣山
上がるとじろう丘の綺麗な風景は最高
弘法大師?
次郎丘。リフトとは反対側ですね。
なんと!こんな悪天候時にアタックしていたとは💧・・山の神も視聴者も脱帽です。
織田信長は忌部氏の一族で織田劔神社の祭祀の家柄で古神道をわかっていたと思います。
大化の改新で藤原氏によって政権から外されて以降、信長の時代には宮中の公家は藤原一族ばかり。
そんな仕事をろくにしなくなって腐敗した藤原一族から政権を奪い取って天皇陛下の元でのかつての形を取り戻そうとしたのが信長だったのではないか。
その辺りから公家や足利義昭らと反りが合わなくなっていって本能寺の変に繋がった可能性はあるなーと思います。
古代の日本を知ると、ちゃんとその後の歴史にも色んなところで繋がって来るので面白いですね😊
どうなんでしょう。史料オタクの自分からすると信長って、公家にはただただ尊敬尊重しかなかった気がします。万里小路にはやりすぎなくらい平伏し、近衛からはその死を7年後も悲しまれ…
ただ「500年前(清盛の時代)のごとく」なんて言う人なので、復古が好きな人物だったとは思いますが。
本能寺は単に、皇室?なにそれの無法者が暴走しただけと思われます。
茂木先生最高です❤忌部氏の話が聞けて嬉しいです。1人で走ったあの不安いっぱいだった道路😅また見れるなんて✨✨✨途中、?こんな道通らなかったって思ったらやっぱり違ったんですね。本当にリフトまで辿り着けて良かった。祖谷の底なし話も聞きたいです。茂木先生が語ったらどんなにすごいことになるでしょう🤭この旅シリーズワクワクするネタてんこ盛り❣️ありがとうございます。2を見に行きます😊
どんなに感謝しても仕切れませぬ程感謝。若ーい頃、日本民踊の研究家になりたいと思っていました時期がございまして、その民踊の中にい祖谷の粉ひきといいます踊リがあり、勿論謡もございます、その民踊{謡}にかずら橋が出てきたりするのですが、謡も踊リも優雅で大好きな民踊の1つでしたけど、いつのまにか世界に目が向き、やめてしまいました。その四国の祖谷を思い出させてくださったのです。昔から不便とは聞いてはいましたが、四国も空海もユダヤ系と関係の様ですので,祖谷の民踊{民謡}もユダヤ系の様ですね。新しい発見ありがとうございました。
秘境への一人旅楽しそう
こういう痕跡はどのような扱いなのでしょうか。歴史から抹消されるような動きはなく、かといって積極的に教えられることもない。とりあえず庶民に教えられてない歴史が膨大にある事だけは分かりましたw
聴いた話では 世界中が密かに注目している ワザといじら無いといってました 何か変化有ると海外の要人がお忍びで来ている、、らしい
ドライブシーンを見ているだけでも険しさが伝わってきますね。
今は道が整備されていて車で来れますが、近代以前の時代なら外界とは断絶した場所ですよね。
政治や戦で敗れた人たちが逃げ込んでくる理由が分かります。
祖谷と検索したら、熊野とも出てて驚いています。
いい感じで『つづく…』になってしまいました。次回楽しみです。
四国はディープすぎますね。
阿波と紀伊、間違いなく繋がっています。
@@maomao96363
千葉の安房賀茂川も繋がります。
これぞ旅ですね!色んな困難を越えて目的地にたどり着いた時の達成感は格別です。
いつも楽しく拝見しています。
四国の山奥に世界史がダイレクトにリンクしている壮大さがすごいですね。
先生、祖谷地方の旅、大変お疲れ様です!
祖谷在住の者です。
印部氏については最近興味があり、勉強になります。
このシリーズ目が離せません!
忌部氏だと思います。漢字が違うのでは? そういう表記なんでしょうか?
@@sunsun2181 申し訳ございません。変換間違いでした!
リフトに乗ってる茂木先生なんかカワイ😊
水曜どうでしょうでよく見た景色がまさか茂木先生のナレーションと共に見れるとは…
毎回楽しみにしてます!
祖谷をご紹介くださりありがとうございます。私は東京生まれですが、ご先祖様は阿波の鳴門。遠く遡れば祖谷に辿り着くそうです?母が住む家に大麻比古神社の掛け軸があります😊
おおっ!
臨場感たっぷり、一緒に行ってる感覚になりました。楽しい。
徳島は、色々な伝説がありますよね。一説には、解く島。米軍が大戦後に調査したとかないとか。それから阿波~安房に移り住んだ忌部氏もいて、それが千葉県の印旛沼の語源になったとか。
なるほど〜
印旛の大鷲神社のご祭神が天乃日鷲!
免許取りたての頃、国道の分かれ道で山道に入ってしまった時を思い出して😂手に汗握りました💦
瀬戸内文化圏では地元のテレビのCMで「いやのかずらばしゃ〜♪」と民謡が流れていて唄で聞いて祖谷と覚えました。(お味噌のCMだったかな?)
先生、ブラタモギでカッパ着て歩かれているように、今回も雨に降られる覚悟と思ったら意外とふらっと旅な感じで、「楽しい〜♪」と満面の笑顔が微笑ましいです😂
批判理論の人たちの言語空間からは、速い乗り物で景色を後にして行く様に、歴史に没頭しているうちに意識から遠ざかっています。
奇跡の様な日本の歴史は世界遺産級だと改めて気付かされます🗾🙏🏻
うおいーのー御膳みそ~🎶ですね
@@mkonvielspass 動画探したらありました。懐かしいです☺️
山頂のあのお写真の前にこんな冒険されてたのですね。崖っぷちにこちらまでハラハラしました😵。長篠合戦の六芒星紋付きの屏風には唖然。え、、どういうこと?疑問だらけで混乱してます。底なしの禁断日本史。リフトの先生ホントかわいい💙雨に濡れられたのにお風邪ひかれず良かったです。続きが待ちきれません〜
忌部氏を訪ねながらの山道。雨に濡れた山の匂いがするような動画でした!
日本らしい景色ですね。
狐の嫁入りに遭遇しそうでドキドキしました。
麻の葉文様の紬の着物を持っています。鬼滅の禰󠄀豆子ちゃんが着ていますが、麻の葉は吉祥文様とされており、麻の成長の速さと真っ直ぐに伸びる様子から赤ちゃんの産衣に使われたり、魔除けともされたようですね。
日本に古くから伝わる家紋や着物の文様、意匠。非常に奥が深く、しかも美しいと思います。
特に、普段着とされている紬には、日本全国、実に多様な特徴があり意匠が凝らされており、その土地の文化と誇りを感じます。
家紋もどなたが考えたのか?素晴らしいデザインですよね。
続きが楽しみです!
茂木先生お疲れ様です!運転がお上手なので画面の揺れもなく、ゆっくりと旅の気分を味わうことが出来ました。このシリーズは毎回楽しみです。先生のお声も、とっても素敵でなごみます💖💕💕
こんな山中に平らな道路を作ってくれた、建設業のおじさんたちのおかげです。
懐かしい~。自分も2年前の同じ頃の早朝、幾分緊張しながら同じ道を運転してロープウェイ下の駐車場に車を停めて剣山に登りました。
山間部の早朝は靄ったり霧が出たりしますが曇天で小雨の中の運転は何とも言えないざわざわした気持ちになりますね。
茂木先生お疲れさまです、何故リフトで傘禁止なんでしょう(笑)カッパ貸してくださいw自分も似たような和歌山県南紀地域の山奥に住んでい
て、[熊野]と書いて[ゆや]と読みます。地元の人はゆや地区と読んでいます。川の名も[ゆやがわ]です。いわれはわかりませんが、[いや]とも言ったりします。不思議ですよね。
和歌山県と徳島県は似た名前の地域も多いですよね 不思議です
突風で飛ばされるからだそうです。
元々、「ゆや/いや」が語源(何語か不明)で、漢字は当て字なのでしょう。紀伊にも行ってみたい。
茂木先生、めっちゃ面白いですね。1人で神社とか山いくと怖さというか恐さというか畏れというか。
待ってました剣山の回。
祖谷の粉ひき唄と言う民謡があります。葛橋があるそうで秘境と聞いてました。難しい唄で習ってた時は苦手な曲でした。
畑もないような秘境で、本当に稗の粉をひいていたのでしょうか……
森昌子さんが熱唱してました。
th-cam.com/video/URfhMwnmUfc/w-d-xo.html
@@maomao96363
返信ありがとうございます。三大秘境の椎葉に程遠い五木も平家の里とされてますね。「五木の子守唄」「祖谷の粉ひき唄」は生活の苦しさを唄い、習う頃よく似た唄と感じてました。
森昌子さん、感情が入って情を感じますね。
雨の中ご苦労様です。四国の山道は剣山も石鎚山も似たり寄ったりですね。私の故郷は石鎚山系仁淀川源流域辺りなので、道はこんなもんです。台風でもあると落木落石で通行止めになります。でも、剣山にリフトが付いているって知りませんでした。今度探訪してみます。楽しそうです。
伊勢神宮に寄進が多いのは織田家らしいですね。だから灯籠にダヴィデの星が付いていたのでしょうか。麻の葉紋は、あれですね。消防署の印のようにも見えます。
楽しい 見てても楽しい
② 宮崎椎葉村には以前旅行に行った事を思い出しました。❸大秘境とは知らずに
何も山間の奥地ですね!
ドキドキしながら今観てます❤❤❤
一緒にお供させて頂いている気分です。
ありがとうございます。
あと一回で800回ですね。四国編でとうとう迎えるのですね。
先生がご無事で良かったです。崖っぷちで見てるほうが怖かったです。私はたぶん落ちてるわ。
少し年上の人に失礼かと思いましたが、リフトに乗ってる先生が無邪な幼子のようで、可愛かったです。すみません。
とても興味深い動画をありがとうございます。
リフトの場面でふと思い出しましたが、天橋立に行ったときにリフトに乗りました。天橋立は元伊勢籠神社(このじんじゃ)の参道という説もあるようです。そして、籠神社が数年前に公開した裏紋が五芒星だと話題になりました。その他にも謎の多い神社で、前回はお参りできませんでしたので、次回、天橋立を訪れるときは籠神社にお参りしようと思っています。
籠神社の六芒星は、そのものですね。
久々の地元みれてよかった
先生お疲れさまです!
何時も身体を張ってフォロアーに歴史の謎を解くヒントを与えてくださりありがとうございます、やはり徳島は真実はどうあれ外せ無い場所ですよね〜!
雨☔の剣山は無謀ですが〜想いが伝わったようですね~
一説にアークが埋められているという剣山。
徳島県〜紀伊半島〜東海地方〜伊豆〜房総半島と黒潮の流れに沿って「海部」「勝浦」「吉野」「祖谷」等の地名が点在するのは単なる偶然でしょうか?
こりゃまた古語拾遺を読み直さにゃならんな…😅
忌部氏は天孫の意向で方々に派遣されては派遣先で色々開発してた記憶。
なお椎葉では未だに縄文以来の焼畑やってたり、狩猟の際は現代人には意味不明な古代語で山の神に祈ってたりして、貴重な生きた化石村です👍
椎葉の伝承も知りたい。
剣山とユダヤの痕跡✨100名山でもあるし行かなきゃ。ダ・ヴィンチコードと秘境と山が一回で楽しめる素晴らしい旅ですね。しかもそこは中央構造帯上でバワースポットでもあります。私も先週、塩見岳に一人旅でしたがやはり同じ中央構造帯で車の運転めっちゃ怖かったです。何せ訳あって5月に免許取ったばかりなので(^^;
道路などのインフラ整備の始まりが遅かった四国。聞くところによれば、かつては瀬戸内で栄えた一部の地域以外では多くの人が標高が高い山中に住んでいて稜線付近を歩きながら縦横無尽に四国全域に足を延ばしていたらしく、それが人々の生活道路であり幹線道路でもあったようだ。それというのも海岸線を辿っての移動はとてつもなく距離が長くなり縦横無尽には程遠い。今では皆山から下りたために海岸線に町が広がりインフラも整備されたが、かつては標高の高い山中に集落が点在していたという。またいろんな人が四国に隠れ住んだといわれるが、もちろん中には壇之浦で敗れた平家の民もいたであろうという。ところで忌部氏の家紋は麻の葉だったがアサ繋がりで、、阿波の阿佐家と平家には緊密な関係があったとされたり、またそういった四国の山の民と空海はどんな関係だったのか興味深い。
私は旧)麻植郡忌部です。忌部族。麻生地を大嘗祭に献上いたしました。剣山はユダヤの秘宝があるようですよ。
おおっ!
こんな道有ったかな?と思ったらやっぱり間違えられてましたね。😅
晴れていたら次郎笈をバックにした岩の映えスポットが最高です。☀
晴れた日に再チャレンジします。
父は祖谷の出身です 祖谷は東祖谷と西祖谷に分かれていて 源氏と平家の末裔が暮らしていました。以前叔母からヘブライ語が書かれた本を渡されました。ちゃんと読まなかったけれど
何と源氏も!
全く同じ菊の紋がイスラエルの old city の石の門に刻まれていた、驚いた、ある神社の神主さんが「はい、この神社はダビデ( king David ) を祀っている神社です」と言ったのにも驚いた、ドキュメンタリーだった、TH-cam で観れると思う、
ヘロデ門。
剣山のリフトに『水も滴るいい男』ありけり。
徳島の探索シリーズ、茂木先生の解説付きで旅をしている気分です。
マービン・トケイヤーさんの著者に群馬県の多胡碑の『羊太夫』という人物の紹介があり、羽が生えていたとか、景教、ユダヤ系、中臣、物部などの説が錯綜しております。
当時は殷賑を極めた土地だったのでしょうが、今は一村落と仮し付近から僅かに出土した道鏡のニュースが侘びしく語られるのみです。
多胡碑の『多胡』という表記や多胡碑付近から発見された石槨に「JNRI」という文字がある、また碑の下からは十字架も発見されたなど。日ユ同祖論に興味を抱く者にとっては謎が深まるばかりです。
因みに群馬には多胡さんという名字の方もいるそうです。
群馬にも参ります!
とても興味深いお話を拝見しました。
「忌部」と聞いて三重県の「いなべ市(員弁市)」を思い浮かべました。
ひょっとして関係あるかも・・と思って調べてみたら、やはり関係があるようです。
忌部氏がいた地域には「麻」という漢字を使った場所があったり、伊部(いんべ)、井辺(いんべ)、伊那部(いなべ)、伊奈(いな)という地名がついているようです。
いなべ市で麻の漢字を使った場所が「麻績塚(おみつか)古墳」。
その麻績塚古墳の真東に「多度大社」があります。
多度大社の別宮に『筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖』である天目一箇命(あめのまひとつのみこと)(別名:天津麻羅)が祀られています。
そういえば伊那市は諏訪大社も近いのでこちらも忌部氏との関係が気になります。
先生、続きを楽しみにしています!!
諏訪大社の元宮は德島にありますよ
@@まろん-z5q さん そうなんですね!徳島が元々の場所なのでしょうね😲
@@mimichan3333 さん
はい
徳島の古代史研究科は四国が古代の都であり、後に奈良に都を移したと考えています。
神社の本宮や古事記に出てくる神々を徳島の神社だけが祀っているなど面白いことが数多くあります。
コンメント皆さん色々 博学ですね
コメントだけでも勉強になります
なんか素敵な場所✨ですね💕面白い💕❣️。
天候も良くなかったようですが道中ご無事で何よりです。大麻比古神社を少し降ると四国霊場八十八ヶ所の一番札所だし、弘法大師も寺社で囲んだ中にはなにか守りたかったものがあるんでしょうね。弘法大師は地質学には長けていたでしょうし、剣山から金とか銀とか、または有用資源が出てこないかなぁ。
もともと修験道の霊場だった場所を、弘法大師が組織化したようですね。
@@maomao96363 昔も今も人は旅好きなのかもしれませんね。小生も先週天橋立籠神社、伊吹山、養老の滝、伊勢神宮、那智の滝、熊野本宮、高野山を廻って、一昨日は和歌山県加太で淡路島と四国を眺めてきました。鳴門海峡の渦潮で泡スゴいから淡路とか阿波なんですかね??日本創世いろいろ想像するだけでも楽しいです。次回動画楽しみにしております。
私は徳島市〜国道438,439号線共用路線 通称"酷道ヨサク"で剣山 東祖谷方面に行く事が多いです。路面改修による通行止めの多い路線ですが、好きな路線です🚙
古いユダヤの言葉で職人を「あわ」阿波の人と言われていたとされてます。
9月の下旬に見ノ越の登山口から剣山の頂上まで登ってきました。頂上からの景色は最高でした。見ノ越までのすれ違い不可能な山道の運転お疲れ様でした。でも道中の秘境感にワクワクしませんでしたか?動画を拝見しながら色々と
思い出しています。
忌部氏、きたぁーヽ(*´∀`)ノ
信長は藤原氏ってウソついてたらしいですね。
今回もお疲れ様です。
秀吉はルーツが秦氏だからあんな出世ができたとも言われます。
秦氏、忌部氏とも古代イスラエル系渡来人ですね。
日本では天下人にふさわしい家系なのでは。
麻の葉は七つに分かれていて、茎を入れると八つに分かれている。でも日本では、紋だけではなく着物などの麻の葉の模様は、すべて六つ。ダビデの星。
長篠合戦図屏風の「ダビデ紋トリオ」は、戦の前に占いをする呪術者のように見えますね。我々が覇王と思う信長ですら、神仏や魔法や占いにすがっていたんですね。
先生、奈良県の天河神社にもぜひおいでください。こんなかんじで、ぐねぐねです。でもたどり着いても、神社がきれいになっていて、まるで新築みたいでした。とほほ。お金がありすぎると改築しまくりだなあって思いました(笑) まあ、20年たったから、少し古びただろうか・・・。
岡山県の備前焼の産地の街は「伊部」「いんべ」です。そして備前市伊部にも忌部神社があります。
忌部の職能集団がこの地で焼き物を作っていたのでしょうね。
出雲忌部氏、紀伊忌部氏、いろいろあるようです。
もぎせか史上最もアドベンチャー
🤣🤣🤣👍🏻
古代豪族の話は非常に興味をそそられました!
先生、日本全国ブラタモギで、シリーズ化して下さい!
また、個人的には私の地元福岡の志賀海神社に訪れて欲しいです。
志賀島行ったのに、気づかなかった...
次回、チャレンジします!
先生
綿津見三神を祀る志賀海神社と、住吉三神を祀る住吉神社(筑前一の宮)の雰囲気が違い過ぎて不思議に感じてます。。
大阪の住吉大社も志賀海神社とは、何となく真逆の雰囲気でした。
大正時代に道路が通じる前は、いろんな人が逃げ込む…。とは凄いですね。交番・駐在所もなかったのでしょうか。藩政時代もどうなつていたか、興味津々です。
いつも面白く拝見させていただいております。貴重な情報、本当にありがとうございます。
漢字の由来や意味について疑問がある場合、私は白川静先生の字典を参考にしております。
「忌」については詳しくは原典に当たっていただきたいのですが、茂木先生のおっしゃる通り、本来「忌」には体を折り曲げひざまずいて神に仕える心情から「身を清め慎む事」を意味するそうです。
私も40年以上前に駿台のお世話になりました。伊藤先生の英語はもとより、他で特に印象に残っているのは日本史の授業で、先生の名前は失念してしまいましたが、教科書には載っていない部分を掘り下げて、例えば川中島の合戦で鶴翼の陣と車懸かりの陣の対決の下りなど、黒板の前でダイナミックに動きながら講談師のように語る授業で、以来日本史に興味を持つきっかけになり、疑問に感じた事柄は自分で調べて考えるという習慣をこの頃に教わったように思います。
六芒星について民間伝承として伝えられている国家は東南アジア以東では中国と日本だけなのでしょうか?タイには残っていないのでしょうか?星条旗の星は五芒星か・・・色々な疑問が出てきますね。
秦氏は「羽田」「秦野」「波多野」「和田」などの氏になったのではと言われてますね。万里の長城を建設したのもこの民で、秦の始皇帝があまりに人使いが粗くて、嫌になって日本に逃げてきた。という説も…
ふっひぇ~~、すごい道。こぇえええ。( ゚Д゚)
小雨の中お疲れ様でした。ミヨシ市には標識の設置お願いします。山頂では晴れていて良かったですね。次の動画を先に見ています。
ダビデの星、よりも“ヒランヤ”と先に覚えたっけ。三宅裕司のヤンパラで一時流行りましたね。ヒランヤパワーを体験したくて、シール付きの本を買いましたっけ。傷口が早く癒える、花が長持ちする、枕の下にしのばせて寝ると様々な体験が寄せられていました。私も個人的には劇的なスピリチュアル体験しましたよ😉また流行らせて、茂木先生!
籠目と麻の葉は両方とも日本の伝統文様の一つです。そして籠目は六芒星にもなります。そして二つとも魔除けの意味を持つようです。
刺し子という刺繍でたまたまよくある文様で定番なので驚きました。
茂木先生❕私の見る限りこの道は剣山へ行く最短コースになります❗美馬郡つるぎ町の貞光(さだみつ)の貞光川(木綿麻)を坂遡ってます❗(祖谷)は三好郡の山城より祖谷川より登ります❗つるぎ町の端山(はばやま)に友内山(高千穂)との伝承があります!頂きには天日鷲命の小社がございます!👍️そして同じく端山の御所平の吉良には忌部神社があります!ルートの指摘😢⤵️⤵️すみませんでした☺️!✌️🆗⤴️!(*≧∇≦)ノ
出雲國松江にも揖屋(いや)神社があり、紀伊國御坊市の熊野(いや)神社はもう一つの出雲國一宮熊野大社から分祀されたさうです。越後國一宮彌彦(いやひこ)神社の天香山命は石見國一宮物部神社の兄弟だそうで石上神宮や宮中とともに新嘗祭前日頃鎭魂祭が行われる神社です。丹後國一宮籠神社の奥宮眞名井神社には六芒星紋(籠目紋)でしたが何故か今は三つ巴紋に何時の間にか代わっています。
徳島県西部の出身です。
18歳まで過ごしましたが、
知らない事ばかりです。
地元に帰ったら行ってみよう
と思います。
ここ数年, 日ユ同祖論が気になっています!考えてみれば世界中にユダヤ人の祖先がいると思いますね!!剣山に「契約の箱」があるのも何かユダヤ人の先祖の方の思いがあるのでしょうね!!!
私も楽しくなってにっこり。旅いいな。
11分すぎの徳島弁なつかしくてよかったです。おりゃあいけんわ あっちやろ それはまちごうとるな
ありがとうございます 忌部氏が織田軍に参戦していたのは知りませんでした。
一緒に旅してる気分になりますね・・・楽しいです
先生と一緒に神社巡り⛩したいです😊
秦氏が始めたから機織りなんだ。勉強になります。
機織り、秦が織る、織田信長
日本人も色々雑多な人種が混じっているようです。ラオス、ベトナムなども少数民族がかなりいて、この動画見ていると人類の歴史的な動きとか流れが想像できて楽しいです。
中臣氏と忌部氏は、旧約聖書のレビ族のような立場になるんですかね?秦氏は、聖徳太子側について物部氏と戦っていることを考えると蘇我と物部の戦いは、仏教と神道の戦いという側面以外に、イエスを知るユダヤ人(秦氏)とイエス誕生の前に日本に渡ってきたユダヤ人との戦いにも見えますね。
この道路の感じ・・・まさに四国ですね。
家紋かどうかは知らないけど、六菱(むつびし)っていうマークを採用してる会社はあるね。三菱のあのマークを二重にした感じ。
どっちかっていうと、麻の葉のマークはそれに近いかも。
大すきな
茂木先生とドライブしてるみたい。最高!楽しい
先だって
《七夕の起源》とか グーグルさんぽ していたら
『服部半蔵』と
果ては『諏訪』に 繋がって
びっくり(繊維繋がり)
ニンジャ “出て” 来ますね
国立天文台 が 『伝統的七夕の日』を
(毎年)発表していた のにも
びっくりしました
はっとり←機織り。秦氏とも関係しますね。
そーなんです
《梶》も “繊維”?
だったんです
地政学的に この周辺がどんな場所かってのを知りたいです。
どんな民族が 何をしたかったからこの近辺が重要だったのか?
淡路市含む関西四国地方は 縄文時代の交易が薄かったと思うのですが
だからこそ 海流や当時の海運や気候や地形などを考察した地政学者先生の考察を 聞いてみたいです。
奈良県橿原市に、忌部氏の本家の方が住んでいます。忌部山という小さめの山がありますが、ちょっと怖いです。ぜひ、本家の忌部氏にも取材いただければと思います。
わからないけど、橿原市市役所とかに相談したら、会わせてもらえるかもです。
徳島の忌部氏って、天皇の即位式で麻布の貢納するんですよねえ。四国新聞に掲載された徳島忌部氏の当主インタビュー面白かったですよ!! 現地の考古学研究家の方が
「邪馬台国」について尋ねたら、「知らない、わからない」とおっしゃってました。だから、徳島忌部氏は、たぶん邪馬台国に関係ないってことですよね。
奈良の橿原市の出身ですが忌部町と言うのが有りますね。子供の頃、忌部行こか~とか言ってました。ネットで確認したら天太玉命神社というのがありますね。
知りませんでした。寺社仏閣が多いので・・・曾我町(現在は曽我)もありました。ガンプラを買いに行ってました。
忌部山、初めて知りました。里帰りしたら一度、見てきます。
@@心-q3b さん それです、それです。
実家が近いんです。神社は知りませんでした。ありがとうございます。調べてみます。 だんご庄のだんご おいしいですよ(笑)
@@心-q3b さん ネットでみたら、そこ行ったことあります。写真でみたら、そんなかんじでした。小さいけど、すごいですよね!!
忌部かは知らないけど!織田軍のマークは織田神社の勢力と聞きました。
こんな事書くと失礼ですが… 日本の秘密は迦波羅の奥義を理解しなければ謎は解けません 四国は剣山だけではなく阿波国 讃岐 伊予 土佐この四つの地名の頭の字をとるとあさいと麻糸となる。
何故四国が麻糸となるのか…四国に隠された秘密は剣山だけではない…
書けないのが残念だが…
葉っぱが3枚ならメノラーが見え6枚ならば六芒星が見える人間の想像力…見たいものしか見えない不完全な動物なのかも
こうやって口伝や伝承は内容が変化してゆくのかもしれない
リフト1人乗りワクワクしますね!高尾山で乗ったことありますが楽しかったです。ちょっと怖かったけど
機織りが服部(はっとり)に派生し、手先が器用で先端技術と知識を有していたため、交易のための移動をしながら諜報活動もしていく。「部」は職能による氏族分けだから、麻績部から、小見、尾美、等にも変わって行くが、「臣部」の文字があるのが面白い。
四国は一度も行ったことが有りません、剣山を掘って三種の神器とらを見つけたいとまたまた妄想😗
茂木先生、いつもとても楽しく先生の講義を聴かせていただいております。一つ質問があります。六芒星とダビデを同一視するというのは他のユーチューブでも散見するのですが、ダビデの星=六芒星が認識されるようになったのは14世紀以降のことで古代イスラエルではダビデの星は一般的ではなかったと聞いたことがあります。六芒星は古代の日本から元々あったものであるという考えに関する先生のお考えはいかがでしょうか?
聖書時代には、六芒星も五芒星も、イスラエルやユダ族、ダビデやソロモンを象徴するものとしては知られてなかったと言いますね。
遅くともローマ時代の末期(3世紀頃)にはシナゴーグで使われていますね。
synagogues.kinneret.ac.il/synagogues/shura-2/
14世紀に云々の話は、時の神聖ローマ皇帝カール4世が、六芒星をユダヤ人の軍旗として公認した、という意味だと思います。
茂木先生、ご返信ありがとうございます。まさか、お返事をいただけるとは思っておりませんでした。以前からひっかかるものがスッキリしました。これからも先生のご本とTH-camを楽しみにしております。
@@maomao96363
ただ、このデザインが当時はどんな意味があったかですよね。ユダヤ教のシンボルだったのか、それとも単なる装飾模様だったのか?
ちなみに、ローマ時代のシナゴーグはかなりギリシャ文化や思想の影響を受けています。会堂の床には黄道十二宮や太陽神ヘリオスのモザイクが描かれていたりとか。
また疑問なのは、六芒星がユダヤ人、ユダヤ教のアイデンティティを表わすものなら、どうしてもっと古代ユダヤの遺跡に残っていないのかという点。せめて伊勢神宮の石灯籠並みにですね。
知り合いで家紋が六芒星✡️の奴がいるんですけど、割と居るもんなんですかね?
有難うございます。非常に興味深い動画です。ダビデの子孫と言う人が徳之島にいますがどうなんでしょうね?
雨のリフト…ご愁傷様です。
そうまでしてのご参拝。
きっといいことありますよん(^-^)
今も忌部(きべ)さんという名前がある。東京の会社でご一緒したことがある。担当は偶然にも不織布の部門だった。
忌部氏の流れが織田家につながるのですね。物部氏が軍事をつかさどっていたとは。だから、ヤマタノオロチを退治した時の十束の剣を石上布都みたま神社に奉納したのでしょうか?石上布都みたま神社の宮司さんは物部氏…。
いやっほーかも?!