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自然科学(数学、化学、物理学、生物学)ではなく人文科学(文学、哲学、宗教学、心理学)や社会科学(経済学、文化人類学)などで農耕を語れる人を探しています。あくまで「科学的に楽しく」であることはこのチャンネルのモットーですので、科学的に語れる方いらっしゃったら是非教えてください!
The Life of Plants: A Metaphysics of MixtureBook by Emanuele Cocciaの英語版を頂いたのでゆっくりながら読んでる途中です. 私自身は理解不足ですが哲学者でありボタニーを大学で専攻された著者の本です.自然、人文、社会科学、その他の多方面のアングルで書かれた内容だと思われました.既にお読みになられたのかもしれませんが参考迄にお知らせします. チャンネルいつも楽しみにしております.
お二人とも十分語れてると思う。今後生き残る農家さんは農副連携とかの公共事業で莫大な補助金を貰ってる人ばかりで、スピリチュアルだったり生産能力が高かったりするだけでは卸値はどんどん下がり資材はどんどん高くなる状況ではいずれ限界なはず。パトロンは必須。
研修中の新規就農希望者です!とても興味深いお話でワクワクしました。自分も農耕について哲学したいと思っています。我慢できないので一つ意見を述べさせてくださいm(_ _"m)東浩紀さんという哲学者の方が、「理系的な知と文系的な知」の対立構造は、「反復可能性と反復不可能性」の対立構造と重なると言っていて、その論理に農耕を重ねると、農耕は毎年の天候や土壌の状態など、常に状況が変化する反復不可能性の世界が地盤となっている場合が多いです。(植物工場などほぼ出来る物もありますが・・。)歴史的にサイエンスが農耕に対して非常に貢献してきた事は確かな事実ですが、現実的な農耕に反復不可能性の世界が存在する以上、農耕から得られる文系的な知(農家が経験的に得ている勘や作物に対する愛情など)が必要な部分があるのではないかと、文系の自分としては考える事があります。また、この事自体が自分が農耕を始めて得たい価値です。長文申し訳ありません、動画更新楽しみにしております!応援してます!
家庭菜園で自然農的な事をしています。私はいざという時に資材を一切使わずに野菜を育てるノウハウは知っていて損はないと思います。自分で作ってみると、スーパーで安く買えるありがたみも分かるようになりました。形の悪い野菜も全て売れる様になると良いなと思います。
自分は会社員をやりながら自然農を始めました。なんでかと言われると、子供のころの原体験を再体験したいと思ってやってます。宗教的でも哲学的的でもなく、子供の時、土と虫と草花と遊んでいたあの楽しかったことををもう一度体験したいと思ってやっています。慣行農法も自然農も科学的にも自然の仕組みも理解しながら、自分スタイルの農作業ができればハッピーです。つるちゃんの植物生理学の説明は私にとっては知識を得るためには役立ちますし、もっと大きな視点での話も面白く見ています。
自分の中では、慣行農法と自然農は連続的に繋がっていると思っています。外部から自然に得られるエネルギーは太陽光しかないという前提に立つとそれを最大に利用して最大の収穫量を得るために過去に蓄積された化石資材を最大限に投入して最大効率化を目指すという慣行農法があり、それを何も投入しないでエネルギーの最低限の循環の中で得られる収穫だけをもらうというのが自然農だと考えています。作物を収奪する以上、何かの資材追加する必要があり、それが「化成肥料」なのか「おぎない」と称する実は化石資材が含まれる有機資材なのかの違いでしかない。哲学的、宗教的、無理解な農薬嫌い、自然農を非化学と言う方、いろいろですが、そういったものでは無くて、連続する農業のスタイルの中で、自分が何を得るために、何を足枷として、何を許容して、自分が農作業をするか選択したいと思います。
62歳で専門学校に行き化学をくわしく勉強してきてからこの世の全ては化学でできていて説明ができることを知り、卒業直後から家庭菜園や園芸をつるちゃんのYou Tubeを拝見しながら3年ほどやっています。めちゃ楽しく生きがいになりました。すごくくわしくありがとうございます。
家庭菜園で自然農をやっているんですけど、単純に楽しいですよ外部から投入する資材を必要としないので、めんどうなお金の流通も少なくて済みますそれになかなか成功しないという、創意工夫でやり繰りする、無課金プレイみたいな楽しさもありますそして社会から、宇宙から、自然環境からの視点からではなく、個人の欲求から始発するのもいいですねただ他者に承認されるために、社会的な視点で正当性をもって語るとしたならば、慣行農法とは別の合理性を見出だす必要があるので、そこにスピリチュアル、宗教といった絶対性の介入でもって正当化するといったことが多々見受けられます
個人的には科学的とかではなく、単純に適当に庭に種まいて野菜が育つのが楽しい。
アクアリウムの世界では、循環する生態系を最初に作って以降、人が手を加えずにどれだけ維持できるか?という楽しみ方があります。自然農は究極的にはこれを屋外で畑サイズで行うことなのかなと思っています。屋内の閉じた環境でやるアクアリウムとは難易度は桁違いだと思いますので見当違いかもしれませんが、アクアリウムではこれを成立させるために、魚や水草だけでなくソイルや流木、デトリタス等々の環境内の全てに対する知識が必要で、その知識を得ること、バランスを取るための試行錯誤が楽しく、自然の神秘の様なものーーつまりスピリチュアルなーーを感じたりもします。自然農にスピリチュアル的な面があるのは、同じ様な理由があるのだろうか、と私の浅い理解で考えています。
多分、みんな食べれるなら無農薬野菜を食べたいと思ってる。だけど高いから、安いスーパーで買うしかない。自然農を家庭菜園で真似しようとしたけど、上手くいきませんでした笑ダンゴムシに、ウリハムシに、ナメクジに、だけどそれでも薬は使いたくなくて、化学肥料も使いたくなくて、それでも育ってくれて少ない収穫だけど、それでも嬉しくて、この気持ちは自然農支持する人達に共通理念のように感じます。そもそも、慣行農家さん達に対抗するつもりなんてなくて、慣行農家さんがいなかったら食べる物も無くなるし、感謝です。自然農に興味がある人達だけで、楽しみたいという感じで、あまり注目されて1部の厳しい人達に目を付けられてお互いに悲しい気持ちになるのも嫌だー!と思いますから、ほんと、ただこれが好きなだけでやってることなのでほっといてね♪というのが自然農好きの本音だと思います。
自分は化学出身・経済計算なんぞやってたにも関わらず😅、家では自然農やってます。17m2の軒先菜園で野菜は買わずに済んでます。立上げ時の手間はかかるけど、以後は省力でイケるし、家庭菜園としては充分です。なにより生産物が美味い(料理も好きなので)。自然農は、現代の生産農家としては不利・困難ですが、現代の慣行農法って土地生産性を上げることを指標にして進化したものなので、自家消費で省力化を目的に置けば、また別の解がある気がします。江戸時代迄は皆(今で言う)自然農ですしね。
自然農やってる人が批判されるというよりおかしな取り巻きや取り巻きになるような人たちをはじめから騙す?食い物にする?人たちが批判されてるだけのような気はしてます。個人的には自然農ってそれ自体は突き詰めていくととっても科学的というか広く良く観察して付き合っていくやり方だと思っています。仕事しないで暮らせるならやりたいですね〜
ド素人ですが、慣行農法→中央集権的社会構造自然農法→分散的社会構造認識や目指すことろの土台となる社会構造が異なり、そしてそれぞれの社会と食べ物が人にどのうな影響を及ぼすのか?といった広義の議題でないと議論は難しいのかなと感じました。ありがとうございます。
少し難しかったけど面白かったです。自然農実践者がディフェンスのために武装したくなる気持ちはよくわかります笑
つるちゃんの野菜の生態に基づいた解説をいつも楽しみに拝見しています。お2人が興味を持たれている方向は互いに少しだけ違うようですが、今回もとても興味深く拝見しました。私個人は、自家採取と連作により、土中環境(微生物)と種の両方が変化していき、年々生産性が上がっていくのが自然栽培の仕組みと理解しています。無肥料にするのは、種から成長する過程で植物として自力で栄養素を確保するための根張りの力を弱めないため。また、無肥料・無農薬にするのは、汚染させないためでもあると思いますが、やはり微生物と種の力を最大限発揮させ、病気や虫害に強い作物にしたいからでもあると理解しています。この方法で持続可能な社会の仕組みが作れるか、実践を通じて実験し実証していきたい、と自然農に従事されている方は思っていると、私は感じています。自然栽培は科学的だと思いますが、まだ科学的にわからないことが多く、これからの分野なのでしょう。植物は互いに情報をやりとりしていることもわかってきた昨今、宗教的な話にしてしまうのはもったいない、と感じました。
宗教は教えを覚えて守るもの。哲学は答えが無いことを考え続けること。って考えると、宗教的に自然農やってる人と哲学的に自然農やってる人がいるなぁと感じます。
この人たちがこの議題を話すことってかなりハードル高い(チャンネルのブランディング的に視聴者の中には否定的な人もいるだろうし)と思うけど、本当に意義深いことだと感じました。貴重なお話ありがとうございました!
いつも愉しく観させてもらっています。実は、宇野さんを伊那の高遠にお誘いして空き家などを紹介したのは私です。なので、宇野さんの話が出てきてびっくりしました(笑)私も自然農のスピリチュアルなところに違和感がずっとありました。でも、自然農の仕組みはとてもシンプルなのでロゴスで知ってしまうと面白みが少なくなってしまう、もっとロマンチックであってもらいたいと思うからわざわざスピリチュアルに解釈しているんじゃないかなと理解しています。個人的には潜在的な飽食の時代のアンチテーゼで生まれた考え方なんじゃないかなとも。今回の話題に少し絡むところがあるのでもし良かったら拙著の「地球再生型生活記」を読んでもらえたらと思います。
福津農園の松澤政光さんが理論編の動画を見ると、無茶苦茶科学的に感じました。ハンマーナイフモアで最低限の表土の掘り返しもされてるようでした。10~20年以上かけて山間傾斜地のそれぞれの場所の特性を調べ尽くして鶏糞等の肥料をまく時期と量を管理しながら栽培されてますね。私が今から同じことをしても、栽培方法を確立出来る頃には健康年齢を超えてしまいます。自然農、自然栽培されてる野菜(特に根菜)は一般市場では形で選外品に成ってしまうのが大半のように感じます。水膨れしてないから味が濃いのも納得できます。
大量にインプットして、大量にアウトプットする時代は、工業でも終わりつつあります。農家を含め農業関係の薬、資材、肥料やさんは、大量に取るためではない次の道を模索しなくてはならないでしょう。自然農家も言葉だけでなく数字でお互いの知識や経験を共有化しあえるコミュニティが必要かと思います。それによって外部へも発信して行けるのではないのでしょうか。つるちゃんには、果樹の剪定をはじめ、日本の未来を考えさせてもらい、感謝です。続けてくださいね。応援しています。
慣行、自然農法どっちというより、個々人で目的を達成出来る方法を選びましょうってことですね。
自然農は「無目的」と言う事で「なんだか人と違う」という「アイデンティティ」を得られるから。そんな人が少しばかり居ることを許容する社会。豊かになったよね、日本は。
弘前大学の杉山修一さんの「ここまで分かった自然栽培」などを読んで科学的に理解しながら、家庭菜園で自然栽培を部分的に楽しんでいます。動画の冒頭にもありましたが、場所にあった野菜を選ぶことはとても合理的だと思います。農薬も肥料も使わずに育てるには、その野菜の適地に植えることが一番の近道です。適地でないところで肥料などを入れて即席の「適地」を作ったところで、本当の適地ではないのでどうしても不健康に育ち、農薬が必要になります。
農業をしたいと思っています慣行農業の課題はどっちみち儲からないシステムだと思っています値段が高ければ数が売れない豊作なら赤字です契約農家なんて大変の極みです私は縄文スタイルを基本に経済システムを変えて、旬のものを食べるのが一番、粋で素敵な世界になればいいなと思っています。莫大なエネルギーを使い旬で無い時に野菜果物を作り、毎日御馳走を食べていれば人は幸せにはなれないと思います一年にこの時だけ食べれるものを心待ちにして生きるのが、仏陀の言う幸せなのだと思います。今あるものを有り難いと思うのが農業の本質なのかなと思います。あと独り占め、独り勝ちは自然界にはないので中道、中庸を大切に農業をしたいと思っています
シンプルで合理的で楽なのが一番。使える物は何でも使って一番効率が良くて安全な方法を探るのが目的だと思います。
西側資本主義的教育の常識のまま日本人目線コメント 興味深かったです言葉に当てはめたがって、野菜or雑草と名前をつけ、売れる売れないを重要視してサプリで作ったクローンのような野菜を見慣れ、結果や利益を目的にしてしまった現代の感覚では不思議な世界に見えるのでしょうね 現代人は料理も農業も仕事も流行りも趣味も、<今ここ>にない西側メディアが毎日造り続ける情報依存ですね
若い二人。頭が良いと思うし、自然農法家が何を最終目的にしたいのかを理解したいんだろうなとはおもうんだけど、それは、若い身体が無くなり、実際に色々な苦労や体験をして、ピークを越えたあたりから人間の質が変わるからソコで理解できると思う。もちろんお二人が理解しようとする姿勢はありがたい。本当に素晴らしい若者。簡単に言うならば、親が死んでない人に親が死ぬ苦しみが解らないのはあたりまえ。その気持ちは言語化できない。しても言語でしかない。体験しないと染み込まない言葉は沢山ある。でも、理解しようとしてくれる事は尊いし、そうあるべき。つるちゃんさんのファンです。世界を救える勇者の1人だと思いますよ。😊
気が付けば、先祖から受け継がれた農地に必死にしがみついている自分がいます。今、私は60歳を過ぎましたが機械が使えなくなった状況になっても野菜を作り続けられる(農地の維持管理)と確信したのが自然農法寄りの農業です。野菜も小粒で見た目がイマイチの物が多いし、美味しいのか美味しくないのかも分かりませんが紛れもなく自分が幼少の頃に食べた野菜の味です!
お二人ともとても真面目に真摯に学問として農的なものなどに向き合っておられるのはリスペクトしかないそう思った上でコメントさせてください「もっと“あなたたちらしい”哲学の話しが聞けると思った、少し残念」インプットや計算は頭を使いますが、考えること、ましてや哲学とは違うので、もっと身体的だったり懐疑的だったりするような“らしさ”のお話が聞けることを期待しています
人の存在自体が、自然のエコシステムの枠組みには組み込まれていない訳で、だから人が作物を栽培する事自体がどうであれ自然ではない。農業って極めて科学的であり、哲学的でもあると思いました。要は何処に価値を置くか、経済か他のモノかなのですね。なんか大学のゼミみたいで面白かったです。
自然農はロマン変に思っても害がないなら静かに見守ってあげてほしい平和に農業を楽しみましょ
面白い動画でした。自分は、日本の企業を信じているから農薬も化成肥料も使うし、家庭菜園でも苗の値段以上の収量があった方が楽しい派。大学は文学部なんだけど。農業は、地に植えて育てて(育って)それを取る。昔、鶴ちゃんの農耕の歴史が、一番的を得ているような気がする。多分、どっかで資本主義の介入があって分かれたのかなーと。
「永遠の法」第2章 魂の喜びを読むと農業をしている桃源郷のようなところが5次元善人界なので自然農は宗教的な感覚を味わえますので好きです。楽しく人々と分け合う喜びがありますね。
自然農をやっていると足りないものが自然界にちゃんとあり、時間は人間軸ではありませんが、タダで供給してくれます。この世界がすべてのいきものをすごくサポートとしてくれるよう作られているように感じます(日光、雨、雑草、虫、土壌微生物など)資本主義の枠組み(石油などを売るための作られた需要を自分たちが必要だと思い込んで生きている)は、人が作ったもので、無理がある世界で、一部の人の為に設計されたものだと思います。
果樹農家の嫁になり、いつも肥料が農薬が…と高騰する資材の話をする家族を見て、種と畑だけで野菜できたらどんなにいいだろうと作り始めました。基本もわからないところから始めました。今年で3年。ある程度の野菜は自分の畑からとれたものを食べれるようになったので、自分の楽しみにもなっている「ざっとこさ栽培」これからも継続していきます。
二人の言葉のやり取りを、なんかニヤニヤしながら凄く楽しめました。「共感」いや違う・・・「言わんとしていることがわかる」?いや・・・違う。この動画を見た感想を言語化したい(笑)みたいな。二人の言葉のキャッチボールの一節一節に対する感想を書こうとすれば、膨大な文章になってしまう自信があります。面白かったです。本当に。ありがとうございました。これからも期待しています。
自然農界隈はカオスなのが面白いです。経験と感覚を無理に論理化・言語化しようとするので元素転換だのガイアだのといった言葉を使いだして疑似科学やオカルトに思われる人が多く、その人自身は自然農で上手く出来てるんだから「うちの畑ではこうやって成功してる」とだけ言ってれば良いのになって思います。あと自然農実践者ではなく、その取り巻きの自然農崇拝者に至っては自然農と自然に優しい農業の区別がついておらず、「面積当たり収量の少ない自然農は自然破壊であり、植物工場の完全人工環境下で最大収量を目指して余った田畑は原野や原生林に戻すのが最も自然に優しい農業」などと言ったら狂人扱いされました(笑)
似たことを感じてました。コチラのチャンネルでオランダの農園に研修へ行かれててる動画を見て、コッチの方がよっぽど自然に優しくない?限られた区画で最大限の収穫量(人間が食べる必要量)を作れば他は自然のあるがままで言い訳だし、と。自然農の姿の理想ってどれなんだろう?と今思ってます。素人なのでどちらも興味深いです。
なかなか難しい話ですね。素人目ですが、自然農の美学は「自然との調和」な感じがしてます。なので、そのようなお話は人間と自然が切り離されるような感じがして狂気じみてると思われるのかな?と。私も今はどちらかと言えば自然農寄りの意見なのですが、色々勉強して知見広めたいですね。
農薬イヤ←わかる化成肥料イヤ←わからない有機の時点で無理があると思ってしまって…ある種趣味人的な自然農法はさらに別次元すぎて…
おそらく、話の中にもあったように、狭義の経済においては無理があるのではないかと僕も思いますね。
さすがっす。このチャンネルはいつも哲学的で良いです。ほんと農家のイメージが変わりました
家庭菜園を50年続けて来ました。その内3年は慣行農法で、あとは有機というか自然というかほったらかし農法(というのがあるのか知らないけど)を30年以上続けてきて、ここ4年自然栽培に目覚めました。引退して時間がとれたことも手伝って畑と向き合うことが楽しみになったせいとコロナの影響で情報収集する機会が増えてある意味様々なことがアルゴリズムによって繋がるように自然農という世界に入ってきたような気がします。そこからさらに導かれてきたところに物理学者の保江邦彦氏が現れました。氏の空間を表す量子力学的な領域、他者の空間領域と己の空間領域の関わり方で物事が成るというエネルギーの動き(交わり)みたいなもの(じゃないかなと思う)が恐らく自然農の中にも当てはまるんじゃないか、そこには全てのものに対する尊厳があるということと、それが作物やそれを取り巻く環境と調和して成果が出るとしたら、それをスピリチュアルとか宗教と囚わえがちなのかもしれないけれど、神道が「道」であり「宗教」とは呼ばないように個々人と神(自然)との交わりの中に宗教を超えた根源的なものが存在すると思います。今回はとても興味深い内容で楽しく拝聴させていただきました。アルゴリズムに感謝です。色々興味深い著書の紹介もありがとうございます。
こういう話は大好物!参考文献も概要欄に記載して欲しいです!
農業という産業は、かなり自由度が高い世界だと感じます。しかし、現実には慣行農業という縛りもできているように見えます。昔、仕事で付き合いのある慣行農業の専業農家さんに白菜をもらいました。「家で食べる分の畑で作ったから農薬使ってないよ」と言われ、穴凹のあいた美味しい白菜をもらいました。農家さんも農薬使いたくないんだなと思いました。スピリチュアルでも哲学でも科学理論でも良いです。その方が納得できる野菜を作って、知り合いに食べてみてと心から勧められるものであれば、美味しくいただけます。それぞれの思想を応援します。一生懸命に食を守っていくことは、とても重要です。
めっちゃおもろいです。近々カフェで苗の販売をするんですが、お客さんとの相性を考えると宗教学と心理学をしっかり考えないといけないなと思ってます
いつも動画みせてもらっています。分かりやすくて、とても楽しみにしてます。でも、私が一番好きなのは、島の自然農園です。つるちゃんが自然農だったら良いのにといつも思ってます。あと、塚原農園さんも自然農を知って欲しいな…って思ったりしてます。そしたら、すごいな…って。でも、そんなに大っぴらに宣伝しないのが本物の自然農だなぁとも思ってます。
島の自然農園と塚原農園見てるなら、瀬戸内まいふぁ~むさんとかどうですか?けっこう中間的な存在かなぁーと思ってます。
中山間とかのレベルではなく、もっと大きく取り残された土地で経済成長からも見放された場所、天災からも逃れられないような隔離された場所で農業をしていないと自然農や慣行栽培関係なく「自然」は理解出来ないのでは?と思います。恵まれた土地では農業も他の職でも関係なく遊びだと思えるようになれば良いと思います。厳しい土地でも農業を「遊びだ」と感じられるようになった時に初めてAIを含めて進化していく人間の道と重なってくると思います。今の時代、アカデミーと自然は重ならないのでは?という気がします。体験が弱すぎるような、、、
一緒に福津農園に行きました。僕は有機農業やってるけど、色々矛盾を感じる部分も多くてディフェンス張ってるな〜w松澤さんは世代を超えた持続性を守ること、それが福祉につながることが農業の本質と考えてると思います。単なる不耕起などの手法ではなく、農を通して人としての生き方を考えさせられました。
「ようこそ日本!自然栽培は世界を救う」 が面白かったです。完熟堆肥は4年以上必要。野菜に含まれる硝酸塩…。肥料は毒…農業は江戸期に完成してる!? 是非、高野誠鮮さんと対談してください。私は数年来続けてきた有機栽培すら罪を感じています…それだけ多くを学ばせていただきました。欧州や米国ですら自然栽培へオセロは一気に引っくり返っているのが現状です。わざわざ、不味く不健康な作物を造るために、大型機械で耕し、費用を掛けて肥料を入れる。虫が出れば殺虫剤に農薬、遺伝子組み換え。不耕起、無肥料こそ経済合理性が最も高い。それで出来た果実が一番美味しいのなら、他に選択肢などありません。ここでも明治以降のデカルト農業に世界中の民が騙されてきました。
ちょこっと自然農のカービーさんが一番話が通じるとおもいますので、是非対談して欲しいです。今度の岐阜のイベントにも参加するとおっしゃっていましたよ😊
生態学の知見を取り入れるのも、一つの科学だという気がしています。その視点で見ると、農業と自然の営みって、人がどんなコンセプトでアプローチしていくかによって、重なる部分が微妙に違うと思います。私は、のらりくらりと生態学や科学や自分のコンセプトに寄り添えそうなものをつまみ食いしています。私が今生きている意味:故愛犬マロンと約束をした「平和の希求&鎮魂」を目的として「祈り」をコンセプトに庭づくりを続けること。私は、このような視点で、農業を位置付けています。また、現象学や認知科学も視野に入れて生きています。若い二人の楽しい会話を聞いてよかったです。
大体の人は、それ商売になってるのって聞くと怒られたり、そういうことは気にしてないって返されるのよね。・・・それ、続けられるのって思っちゃう。
まだ、自分もそこまで勉強していないですが、二宮金次郎さんなんてどうでしょう?それと農業自体どんなに色んな事をしても自然の中の営みなので広げれば宇宙に繋がりますよね!😊
自然農は見える部分(どのように育てるか?出来た作物の大きさ、形)で判断するものではなく、見えないもの(微生物)の活動により育つものであり、ミネラルが多く含まれている。その違いは科学的な解析がされている。まずは、その作物を食べてみてどう思うのか?化学物質過敏症の人が食べることが出来ること。また、農薬や化学肥料を使用する畑が非常にくさいこと。など、人間の五感を使いエネルギーを感じることが重要であると思う。
お二人の対談を聞いて、つるちゃんは自然農法の農業部分に限らず社会との繋がりまで含めた思想体系に触れたいのかな、と思いました。パーマカルチャーセンターで話を聞いてみるのはどうでしょうか?
ロゴスとピュシス、いいねえ😊
慣行農法ー有機栽培ー自然農は1つの枠組みとして考えずにグラデーションで見た方が良いと思うんですよねその人の目的に合わせてちょうど良いやり方を選べば良いと思う資材入れたら自然農じゃない!みたいな原理主義的、宗教的な考え方は勿体ないですね
手塚作品でもありましたね、人が何かを支配する、おこがましいと思いませんか、って。福澤さんの動画以前見ましたけど、自然が持つ本来の力を活かす、ただそれだけの事、と。物事は複雑に考えずにシンプルに、これが大事、わかってはいるけどそれが難しい😢人はそんなに利口ではないからなおさらに。
福津農園のまつざわさん、現代農業3月号(剪定講座のもの)でも取り上げられてましたよー😄
毎回、学び。ありがとうございます。
自然農と自然農法や自然栽培、炭素循環農法や共生農法などなど、無農薬栽培にもいろいろありますが、あくまで”自然農”について知りたいという事ですか?私は〇〇農法に囚われず、無農薬で栽培したいと思い、いろいろな農法を参考にしながら試行錯誤しています。何といっても無農薬無肥料栽培では殆ど資材が要らないですし、自分や家族が口にするものは安心安全なものが良い。自給農には最適です。宗教同士だと対決するし、合理性とは別次元の話です。農薬に対してアレルギー体質だったり、もう少し歳を重ねて自分の子供が出来たら分かるかも?
自然農法の創始者、岡田茂吉さんの流れを汲む秀明自然農法は秀明会という宗教です。今の慣行農法が地球に負荷をかける事なくできるのであれば、今まで通りでも良いかなと思いますが、農薬ひとつとっても環境負荷は甚大です。本来、自然界の生態系のバランスは完璧で、それを乱している資本主義経済を即刻転換させないと自然界はもう元に戻せないでしょう。個人的には手遅れだと思いますが…
つるちゃんの好奇心を満たすには考案者じゃ無いと難しそうですね特に自称自然農 自然農法 自然栽培を現在やられてる方は真似事で盲信してそうなので考案者の本質的な所は理解して無い様に思います釈迦が辿り着いた境地は釈迦にしか分からないどころか派閥争い 権力争いをし都合良く折り合いをつける自然〜等も種まきや育苗 定植等不自然な所には目を瞑りますね私自身はど素人から趣味で無肥料 無農薬栽培を始めて二年目ですが何が自然で不自然かを考える様になり 人間も自然の一部なので人間がする事は全て自然と思う様になりました無目的の話しがありましたが営農であれ自家消費であれ野菜を育てて収穫すると言う目的が大前提としてあります無目的と言う言葉に惑わされ作物を犠牲にして虫を育てたり草を育てたりすると本末転倒な気がします収穫量が少ないからと値段を二倍三倍にして販売していては広がらないでしょうね自然系栽培こそ つるちゃんの動画で植物による特性を勉強し思考停止させる事なく収穫量を慣行農法並みにする事で広がっていくかと思います福岡正信さんが生きてたら 繰り返し自然が自然環境を破壊し多くの生命が絶滅し また再生して来た事について聞いてみたいですね自然放置🟰是なのか人間が手を加える事🟰非となるのか粘土団子は自然なのか 笑私は個々が満たされていれば何でも良いと思ってます
東京で社畜だった頃は、生ゴミコンポストを作って狭いベランダのプランターで野菜作っているときが癒しでした。会社でのモヤモヤイライラを土にアースとして放電するみたいな。土いじりしているときってなんか落ち着くんだよなーって言語化しないままでした。地方移住して、もうちょっと広い菜園で土いじりして思うのは、これは言語化しない方がいいんじゃないかなってことです。論理で説明しようとすると、レゴ遊びの何が面白いの?とか遊戯王カード集めて何になるの?とかもうAIには勝てないのになんでチェスやってんの?とかって聞かれたときと同じように自分の楽しいが潰されていってしまいそうで…むしろ言語化されないことを願っているのかもしれません…
仏教を勉強始めたら自然農に目覚めた。世界情勢を鑑みると答えが出る。人間は自然の一部であって抗えない事を知れば雑草に自然界の法則を学べるんじゃ。
お二人の話を聞きながら「島の自然農園」の山岡さんと若者の対談に深い意味があったので、皆さんと対談してみてほしいと思っていたら、ご存知だったのですね。
趣味としての家庭菜園って滅茶苦茶楽しいですが生業となるとそうもいかないんだろうなと 農業に限らず好きなことを仕事にすると嫌いになっちゃうなんて話を聞くこともありますしディフェンスの話は身につまされました 自分もガッチガチに固めていますが怖いんですよね何かを失うのが
生産性の高い慣行農法と自然農、もしくは、自然農の中でも8:2の2の内くらいはフロンティアスピリッツというかはみ出し者みたいな独立心旺盛なピュシス先行した人がいそうな気がします、思考としてインカムとアウトプットが少ない事で独立していて牛後より鶏口を選ぶタイプである思います 生物も過密になるほど群れから一定の個体を追い出して離れたところに集団を形成したりします これは大集団の病気などの壊滅的な危機に対してのある種の保険として機能が種の保存の本能として働いているように思われます そういう本能としてのシステム=ピュシスですとロゴスは合理的に納得するための後付けの位置になってしまうのではないかと思ったりします 自然農にロゴスを確立した教祖が誕生しても一本化するにはそういったタイプの人間が反発したりして排除する形になりそうですね 独立心が生来のものなのか後天的な学習で得たものか?と区別もできず科学的とは言い難い想像によるところが大きいですが臨済宗の僧侶が自給のための農作業も修行としてしていたり、家庭菜園が楽しかったり、食事を確保できる安心感だったりと農作業という行為の効果を見つけていくことも必要になりそうです(ドイツでは洗車やフォークリフトで倉庫整理、トラックの配達シミュレーターといった体験ゲームが流行っているそうですし)大規模農業が今後人社会を席巻するでしょうけど社会の効率化は人的資源の要求も減りそうで人口減少しそうに思えます、その後の社会は大規模農業組織すら必要なくなりそう、突き詰めれば1人当りに必要な食料を確保できる農地を割り出せるでしょうし どれくらい先の未来かは分かりませんが
釣りの世界では漁獲が目的でないグループがあり、仲間うちの体験を重視していて、それを「食を支える漁業」と比べて非効率などとみる人はいない。野菜つくりも同じで、自然農っていうジャンルの単なる趣味を「国防にまで話が及ぶような農業」と比べるから おかしな話になるんじゃないか
人類の探究心は在るものから選ぶ。探求心は無いものを探す。掛け合わせる事で美の幅は食べ物にも食べないものにも広がった。消えた種を求める人も沸点の熱いところで闘う人も心配事が減るともっと安定するのかな。
分かろうと思って聞いてみたけど、主語を見失うところもあり、、、。でも理解出来るようにありたい!しかし、コメント欄でもすごい学びになる!
自然農は福岡正信から始まったのですよ。実践して収穫量も上がることを著書の中で検証してます。ここからオーストリアでパーマカルチャーという運動が始まったり、等々。世界的には第一人者は福岡正信が有名です。
雑草は肥料や農薬やったわけでもないのに勝手に育つからね。生えてる雑草の種類を見て、アブラナ科の雑草が生えてたら、アブラナ科の栽培したら上手くいく。キク科の雑草が生えてたら、キク科の栽培したら上手くいく。そんな感じでしょ。
子育てに置き換えて考えたら違う視点で考えられそうな気がします。
出ました、デビッド・グレーバー❗️
自然と付ければ、かっこよく見えるが、すべて人工農である。
実際に農業を生業としていて人文・社会科学で農業(自然農)を語れる人はいないのでは?実生活がかかっていれば「楽しく語る」まえに眼の前の売上(収量)が優先するでしょう。学問(論文ネタ)にしたい人と売上(収量)アップを望む人では目指す方向が違いすぎる気がします。
理想は理想として生業としての農業、そして社会の分業化、人の営みの中での変化はある意味自然であたりまえなことだ。なるべくして現在に至ってるのだと思ってますよ
松澤さんは肉や魚はどうしとるんやろか?自然農の実践者は別に自給しなくていいのかね?自然と対話しつつ作物を栽培する喜び?みたいなこと?たぶん自分が楽しめればヨシなんだろうな。「変人」と見られる喜び?自然農というアイデンティティーってことだね、きっと。色んな人が居るのは良い事だけど、どれだけの人がそれで生きていけるかってことだね。
ひと家族がごはんを食べられるくらいの収量があれば・・・でもやる勇気はないなw
子育てに似てると思います土や太陽、野菜自体の生命力を信じていれば何も与えない野菜作りが可能で、信じて任せることができなければさまざまなものを与えます自然農法は時間はとにかくかかりますが 根は明らかに長いし多い自然農の根に無条件で惹かれます早く有能な科学者がこぞって自然農法を研究してくれる日がきますように
収量が少なくてできるならいいけど、化学肥料使うと毎年同じ収量が欲しいなら出来ん自然農法したら高く買ってくれるならいいが
藤原辰史さん、いいですよ😊
「自然と自我の同一性障害」の整合性を出来るだけとっていくのが自然農法なのかなと思っています。
自然農に経済合理性がないのではなく、経済合理性の計算範囲にまだ自然農が入っていないか、自然農は経済合理性の計算範囲を拡張させ得ると捉える方が好みかな。あとなぜ自然農と宇宙が結び付くかは、明確に言語化できるよ。鹿が角を落とす様子を想像していたら気付いてしまった。
こんばんは、お疲れ様です。こちら熊本も、昨日は、雨、降りました。晴れ☀ていました。また、私の住む地域も、中山間地域ですね、我が家の近所、自然農、浸透していませんね。我が家は、化成肥料や液肥使いますので、厳密には、自然農では、ありませんね。農薬、除草剤不使用で、直売所出しています。
栽培、農業の視点から気候変動を抑えるために出来ることの一つが、窒素肥料を使わない、不耕起、自然栽培、自然農法だと考えています。人の利益よりも地球環境を優先する栽培方法が粋だと感じています。
最近哲学を学び始めて、私の思想は 自然を観察して、そこに法則性を見つける感じの「自然主義」なんだなーと思いました。そこから見ると、人文科学も自然科学に内包できる気がするのですよね。参考図書「自然主義入門」植原亮「自由意志の向こう側」三島奏三「理不尽な進化」吉川浩満例えば、「粋である」を考えてみます。「粋」を(本能由来の)感情的に良いと感じる振る舞いだと仮定すると、そこに何らかしら(他者からの共感を増やして連帯を高めた結果、助けを得られやすくなるなど?)の生命維持の上での利点があった可能性が進化論的に考えられるのではないでしょうか。で、経済合理性を突き詰める事以上に、粋である事で生命維持の成功率が上昇する社会であれば、それが利己的遺伝子論的により良い選択だろうから 結果的に多数派になる。そーゆー社会でなければ少数派になる。ーみたいな?
「自然とは…」を調べたらすぐ詰んだ。
雑草無い状態で育てている前提でうまいこと育つ品種が開発されている…じゃないのかなぁ?自然農でどうしても納得いかないのがそこです。まあ、別の形で育つ、ということなのかもしれんのだけど。
お若い2人に頼もしさを感じます(^^)自然農法や自然栽培や、菌ちゃん農法、自分では名前を付けるつもりはなくて、直接口に入れられないものを野菜に入れるのかぁ...それを、口に入れるのに…と、農薬、化学肥料を使わなくなっただけです(∩´∀`@)⊃つるさんと対話してほしい方は、他の方も書いていらっしゃる島の自然農園の山岡さんと、瀬戸内マイファームの方、山岡さんのシンプルな言葉をお守りにしています。「自然界は、 ああすればこうなるが通用 しない世界」まだまだ上手にできない作物ではありますが、毎日ワクワクやってます(っ ॑꒳ ॑c)いろんなやり方があるし、いろんな農チューバーさんから学んでいます!いつもありがとうございます( ¨̮ )
垂直栽培が生まれた島で自然農をやってます。宗教、とりあえず嫌いです。ふたりとも思考過多な気がします。そして、西洋哲学の範疇で論じているからややこしくなるような。花の慶次の一節に以下の言葉があります。「虎はなにゆえ強いと思う?もともと強いからよ」科学的には骨格や筋肉量で説明つくのでしょうが、強いものは強いのです。そんな考えを自然農に当てはめると、自然界にあれだけ草木や山菜・果実がなっているのだから、野菜も自然に育たない道理はないとなるわけです。個人的な見解ですが。あと、自然農を語るには荘子がぴったりです。西洋の価値基準に当てはめるから混乱するのであって、無為自然に代表される荘子の思想なら理解しやすいと思いますよ。
ルーラの会の所の話、「食べ物を商品にしない」というのはとても共感しました
この動画すごく面白いんですが(失礼)、金融とかコンサルとかIT関係とか所謂儲かる業界で働いてる人らから見れば、現代で農業を選択してる時点で、自然農の人と変わらないですよ~。もっと儲かる業界農業、慣行農法自然農。慣行農法があるのに自然農を選んだ人は、もっと儲かる業界があるのに農業を選んだアナタと似たような気持ちでしょう。第一世代の人達は、土地の荒廃や子供のアトピーなどをキッカケに真剣に考えて、持続可能な営みとして自然農に行き着いた人達もいます。そういう方々が語る時に、体系的な科学を学んでいないと、イメージ先行で宗教やスピリチュアル寄りの印象を与えてしまうのだろうと思っています(そもそも、今の科学の水準で科学的に語れる人が、後世の水準や別の価値観の人から見て合理的とも限らないわけですし)。
宇宙、というより、森羅万象です。
必要なのは自然農を語れる人ではなく、数百人規模の小さな社会だと思う。感覚的な部分を言語化するのはややこしいしややこしくなった言葉を理解するのはもっとややこしいから、感覚的に理解できる環境を作るのが大事だと思う。
科学でなくて農業が旬だよ~
もしかしてロゴス(論理)=既知ピュシス(自然)=未知だとしたら・・・そりゃ「わからん!」となる
慣行農法は生産性が高いという解釈は間違いだと思うんだよね。生産性の評価を「人力のインプットに対するアウトプットの比」として見たら、慣行農法はそこら辺のふきのとうに負ける。ふきのとうは人が何もしなくても収穫できるから。この定義で慣行農法を再評価すると、高い作業性が利点。高い作業性は、虫や草や菌を殺して、作物以外の変数を限りなく0に固定することに起因する。もし、ヒト型ロボットの社会実装などで、作業性の超圧縮が可能になると、農業の分野は爆発的に広がる。個人的には、人間は既に高性能なロボットとしてふるまえるので、貨幣の収集が不要な人間(あるいは貨幣が十分にある)なら、作業性を度外視したリスクリワード比に全振りした農業分野を整備できるのではと。そしてこれは、資本主義が始まって以来、戦争以外では誰も止められなかった「悪魔の挽き臼」に対抗する構造を誕生させ、r>gを自動で修正する新しい時代を到来させる。
Don't think. Feel...
多分、自然濃、自然栽培の人は環境、人(健康)に対して奉公、貢献したいんだと思います!
手書きとパソコン、ワープロの違いが道具 書体が農法 古代は肥料がなかっただろう
十分の一も理解できてないんだろうけど、思想の話って面白いさすがにウチュウガーは俯瞰レベルが段違い過ぎて理解したいと思わないw面白かったとはいえ、一応の不満を述べさせてもらうと、現実(リアル)の観点から安全保障の概念も重視して欲しい有事になれば経済が止まる、電気・燃料・資材・人的機械的労働力などに頼った慣行農業は当然できなくなるロシア軍事専門家の小泉先生が「平和な現代でもロシアは国策として武器弾薬をせこせこ生産し続けている。一見、無駄で非合理的に見えても有事ではそれが成果をあげてくる」的なことを言っていたのを思い出すおそらくロシアのダーチャも同様の意味を持ち合わせているはずだからなのか自分は福津農園の松沢さんの農法が非合理的には見えていないむしろ中山間農地を最大限かつ最効率で利用しているようにすら見えている(やったことないので見えているだけですが・・・)あと、久松さんの意見には90%以上くらい同意できるんだけど、反骨精神の部分だけが理解不能・・・久松さんロック過ぎるんよ。。。
自然農は西洋的な分析や理論ではなく 東洋的な思想 全体の関係性(仏教で言う縁起なのかな?)を重要視する農業ではないかと今回の動画を見て思いました。論理で再現性を語る事は出来るが(ある程度 定数が決まってる) 関係性での再現性は言語化が難しいのでは?(変数しかわからない状態で結果がでてしまうので定理を証明できない) 自然農で全体の関係性を体験する事で(無分別智とか主客未分の様な体験)意識もスピリチュアルに向ってしまうのかなーなんて思いました。 あくまでも憶測です
私も家庭菜園レベルですが、自然農を目指してやってみています。結果。地球ってすごいな、と。全て与えられている。自家採種が出来るようになれば、お金が一切かからないシステム。農業。業がいらないのだと思います。農、でいいのではないですか。自給自足とまでは言わないけれど。各自が農を生活の中に取り込めば、それでいい。不得意なところと得意なところは交換すれば。
資本主義から外れていくのには宗教でも哲学でも良いので人間にたがを嵌める必要があって、それが今回の話にでている”粋”だったり”美”だったりするのでは。理ばかり追いかけた近代の結果、人間も環境も貧しくなってしまった反動が出てるように思う。
自然科学(数学、化学、物理学、生物学)ではなく
人文科学(文学、哲学、宗教学、心理学)や社会科学(経済学、文化人類学)などで農耕を語れる人を探しています。
あくまで「科学的に楽しく」であることはこのチャンネルのモットーですので、科学的に語れる方いらっしゃったら是非教えてください!
The Life of Plants: A Metaphysics of Mixture
Book by Emanuele Coccia
の英語版を頂いたのでゆっくりながら読んでる途中です. 私自身は理解不足ですが哲学者でありボタニーを大学で専攻された著者の本です.自然、人文、社会科学、その他の多方面のアングルで書かれた内容だと思われました.既にお読みになられたのかもしれませんが参考迄にお知らせします. チャンネルいつも楽しみにしております.
お二人とも十分語れてると思う。今後生き残る農家さんは農副連携とかの公共事業で莫大な補助金を貰ってる人ばかりで、スピリチュアルだったり生産能力が高かったりするだけでは卸値はどんどん下がり資材はどんどん高くなる状況ではいずれ限界なはず。パトロンは必須。
研修中の新規就農希望者です!
とても興味深いお話でワクワクしました。自分も農耕について哲学したいと思っています。
我慢できないので一つ意見を述べさせてくださいm(_ _"m)
東浩紀さんという哲学者の方が、「理系的な知と文系的な知」の対立構造は、「反復可能性と反復不可能性」の対立構造と重なると言っていて、その論理に農耕を重ねると、農耕は毎年の天候や土壌の状態など、常に状況が変化する反復不可能性の世界が地盤となっている場合が多いです。(植物工場などほぼ出来る物もありますが・・。)
歴史的にサイエンスが農耕に対して非常に貢献してきた事は確かな事実ですが、現実的な農耕に反復不可能性の世界が存在する以上、農耕から得られる文系的な知(農家が経験的に得ている勘や作物に対する愛情など)が必要な部分があるのではないかと、文系の自分としては考える事があります。また、この事自体が自分が農耕を始めて得たい価値です。
長文申し訳ありません、動画更新楽しみにしております!応援してます!
家庭菜園で自然農的な事をしています。
私はいざという時に資材を一切使わずに野菜を育てるノウハウは知っていて損はないと思います。
自分で作ってみると、スーパーで安く買えるありがたみも分かるようになりました。
形の悪い野菜も全て売れる様になると良いなと思います。
自分は会社員をやりながら自然農を始めました。
なんでかと言われると、子供のころの原体験を再体験したいと思ってやってます。
宗教的でも哲学的的でもなく、子供の時、土と虫と草花と遊んでいたあの楽しかったことををもう一度体験したいと思ってやっています。
慣行農法も自然農も科学的にも自然の仕組みも理解しながら、自分スタイルの農作業ができればハッピーです。
つるちゃんの植物生理学の説明は私にとっては知識を得るためには役立ちますし、もっと大きな視点での話も面白く見ています。
自分の中では、慣行農法と自然農は連続的に繋がっていると思っています。
外部から自然に得られるエネルギーは太陽光しかないという前提に立つと
それを最大に利用して最大の収穫量を得るために過去に蓄積された化石資材を最大限に投入して最大効率化を目指すという慣行農法があり、
それを何も投入しないでエネルギーの最低限の循環の中で得られる収穫だけをもらうというのが自然農だと考えています。
作物を収奪する以上、何かの資材追加する必要があり、それが「化成肥料」なのか「おぎない」と称する実は化石資材が含まれる有機資材なのかの
違いでしかない。
哲学的、宗教的、無理解な農薬嫌い、自然農を非化学と言う方、いろいろですが、
そういったものでは無くて、連続する農業のスタイルの中で、自分が何を得るために、何を足枷として、何を許容して、
自分が農作業をするか選択したいと思います。
62歳で専門学校に行き化学をくわしく勉強してきてからこの世の全ては化学でできていて説明ができることを知り、卒業直後から家庭菜園や園芸をつるちゃんのYou Tubeを拝見しながら3年ほどやっています。めちゃ楽しく生きがいになりました。
すごくくわしくありがとうございます。
家庭菜園で自然農をやっているんですけど、単純に楽しいですよ
外部から投入する資材を必要としないので、めんどうなお金の流通も少なくて済みます
それになかなか成功しないという、創意工夫でやり繰りする、無課金プレイみたいな楽しさもあります
そして社会から、宇宙から、自然環境からの視点からではなく、個人の欲求から始発するのもいいですね
ただ他者に承認されるために、社会的な視点で正当性をもって語るとしたならば、慣行農法とは別の合理性を見出だす必要があるので、そこにスピリチュアル、宗教といった絶対性の介入でもって正当化するといったことが多々見受けられます
個人的には科学的とかではなく、単純に適当に庭に種まいて野菜が育つのが楽しい。
アクアリウムの世界では、循環する生態系を最初に作って以降、人が手を加えずにどれだけ維持できるか?という楽しみ方があります。
自然農は究極的にはこれを屋外で畑サイズで行うことなのかなと思っています。
屋内の閉じた環境でやるアクアリウムとは難易度は桁違いだと思いますので見当違いかもしれませんが、アクアリウムではこれを成立させるために、魚や水草だけでなくソイルや流木、デトリタス等々の環境内の全てに対する知識が必要で、その知識を得ること、バランスを取るための試行錯誤が楽しく、自然の神秘の様なものーーつまりスピリチュアルなーーを感じたりもします。
自然農にスピリチュアル的な面があるのは、同じ様な理由があるのだろうか、と私の浅い理解で考えています。
多分、みんな食べれるなら無農薬野菜を食べたいと思ってる。
だけど高いから、安いスーパーで買うしかない。
自然農を家庭菜園で真似しようとしたけど、上手くいきませんでした笑
ダンゴムシに、ウリハムシに、ナメクジに、だけどそれでも薬は使いたくなくて、化学肥料も使いたくなくて、それでも育ってくれて少ない収穫だけど、それでも嬉しくて、
この気持ちは自然農支持する人達に共通理念のように感じます。
そもそも、慣行農家さん達に対抗するつもりなんてなくて、
慣行農家さんがいなかったら食べる物も無くなるし、感謝です。
自然農に興味がある人達だけで、楽しみたいという感じで、あまり注目されて1部の厳しい人達に目を付けられてお互いに悲しい気持ちになるのも嫌だー!と思いますから、
ほんと、ただこれが好きなだけでやってることなのでほっといてね♪
というのが自然農好きの本音だと思います。
自分は化学出身・経済計算なんぞやってたにも関わらず😅、家では自然農やってます。17m2の軒先菜園で野菜は買わずに済んでます。立上げ時の手間はかかるけど、以後は省力でイケるし、家庭菜園としては充分です。なにより生産物が美味い(料理も好きなので)。
自然農は、現代の生産農家としては不利・困難ですが、現代の慣行農法って土地生産性を上げることを指標にして進化したものなので、自家消費で省力化を目的に置けば、また別の解がある気がします。江戸時代迄は皆(今で言う)自然農ですしね。
自然農やってる人が批判されるというよりおかしな取り巻きや取り巻きになるような人たちをはじめから騙す?食い物にする?人たちが批判されてるだけのような気はしてます。個人的には自然農ってそれ自体は突き詰めていくととっても科学的というか広く良く観察して付き合っていくやり方だと思っています。
仕事しないで暮らせるならやりたいですね〜
ド素人ですが、
慣行農法→中央集権的社会構造
自然農法→分散的社会構造
認識や目指すことろの土台となる社会構造が異なり、そしてそれぞれの社会と食べ物が人にどのうな影響を及ぼすのか?といった広義の議題でないと議論は難しいのかなと感じました。ありがとうございます。
少し難しかったけど面白かったです。自然農実践者がディフェンスのために武装したくなる気持ちはよくわかります笑
つるちゃんの野菜の生態に基づいた解説をいつも楽しみに拝見しています。お2人が興味を持たれている方向は互いに少しだけ違うようですが、今回もとても興味深く拝見しました。私個人は、自家採取と連作により、土中環境(微生物)と種の両方が変化していき、年々生産性が上がっていくのが自然栽培の仕組みと理解しています。無肥料にするのは、種から成長する過程で植物として自力で栄養素を確保するための根張りの力を弱めないため。また、無肥料・無農薬にするのは、汚染させないためでもあると思いますが、やはり微生物と種の力を最大限発揮させ、病気や虫害に強い作物にしたいからでもあると理解しています。この方法で持続可能な社会の仕組みが作れるか、実践を通じて実験し実証していきたい、と自然農に従事されている方は思っていると、私は感じています。自然栽培は科学的だと思いますが、まだ科学的にわからないことが多く、これからの分野なのでしょう。植物は互いに情報をやりとりしていることもわかってきた昨今、宗教的な話にしてしまうのはもったいない、と感じました。
宗教は教えを覚えて守るもの。
哲学は答えが無いことを考え続けること。
って考えると、
宗教的に自然農やってる人と哲学的に自然農やってる人がいるなぁと感じます。
この人たちがこの議題を話すことってかなりハードル高い(チャンネルのブランディング的に視聴者の中には否定的な人もいるだろうし)と思うけど、本当に意義深いことだと感じました。
貴重なお話ありがとうございました!
いつも愉しく観させてもらっています。実は、宇野さんを伊那の高遠にお誘いして空き家などを紹介したのは私です。なので、宇野さんの話が出てきてびっくりしました(笑)私も自然農のスピリチュアルなところに違和感がずっとありました。でも、自然農の仕組みはとてもシンプルなのでロゴスで知ってしまうと面白みが少なくなってしまう、もっとロマンチックであってもらいたいと思うからわざわざスピリチュアルに解釈しているんじゃないかなと理解しています。個人的には潜在的な飽食の時代のアンチテーゼで生まれた考え方なんじゃないかなとも。今回の話題に少し絡むところがあるのでもし良かったら拙著の「地球再生型生活記」を読んでもらえたらと思います。
福津農園の松澤政光さんが理論編の動画を見ると、無茶苦茶科学的に感じました。
ハンマーナイフモアで最低限の表土の掘り返しもされてるようでした。
10~20年以上かけて山間傾斜地のそれぞれの場所の特性を調べ尽くして鶏糞等の肥料をまく時期と量を管理しながら栽培されてますね。
私が今から同じことをしても、栽培方法を確立出来る頃には健康年齢を超えてしまいます。
自然農、自然栽培されてる野菜(特に根菜)は一般市場では形で選外品に成ってしまうのが大半のように感じます。水膨れしてないから味が濃いのも納得できます。
大量にインプットして、大量にアウトプットする時代は、工業でも終わりつつあります。農家を含め農業関係の薬、資材、肥料やさんは、大量に取るためではない次の道を模索しなくてはならないでしょう。自然農家も言葉だけでなく数字でお互いの知識や経験を共有化しあえるコミュニティが必要かと思います。それによって外部へも発信して行けるのではないのでしょうか。つるちゃんには、果樹の剪定をはじめ、日本の未来を考えさせてもらい、感謝です。続けてくださいね。応援しています。
慣行、自然農法どっちというより、個々人で目的を達成出来る方法を選びましょうってことですね。
自然農は「無目的」と言う事で「なんだか人と違う」という「アイデンティティ」を得られるから。そんな人が少しばかり居ることを許容する社会。豊かになったよね、日本は。
弘前大学の杉山修一さんの「ここまで分かった自然栽培」などを読んで科学的に理解しながら、家庭菜園で自然栽培を部分的に楽しんでいます。動画の冒頭にもありましたが、場所にあった野菜を選ぶことはとても合理的だと思います。農薬も肥料も使わずに育てるには、その野菜の適地に植えることが一番の近道です。適地でないところで肥料などを入れて即席の「適地」を作ったところで、本当の適地ではないのでどうしても不健康に育ち、農薬が必要になります。
農業をしたいと思っています
慣行農業の課題はどっちみち儲からないシステムだと思っています
値段が高ければ数が売れない
豊作なら赤字です
契約農家なんて大変の極みです
私は縄文スタイルを基本に経済システムを変えて、旬のものを食べるのが一番、粋で素敵な世界になればいいなと思っています。莫大なエネルギーを使い旬で無い時に野菜果物を作り、
毎日御馳走を食べていれば人は幸せにはなれないと思います
一年にこの時だけ食べれるものを心待ちにして生きるのが、仏陀の言う幸せなのだと思います。今あるものを有り難いと思うのが農業の本質なのかなと
思います。あと独り占め、独り勝ちは
自然界にはないので中道、中庸を大切に農業をしたいと思っています
シンプルで合理的で楽なのが一番。
使える物は何でも使って一番効率が良くて安全な方法を探るのが目的だと思います。
西側資本主義的教育の常識のまま日本人目線コメント 興味深かったです
言葉に当てはめたがって、野菜or雑草と名前をつけ、売れる売れないを重要視して
サプリで作ったクローンのような野菜を見慣れ、結果や利益を目的にしてしまった現代の感覚では
不思議な世界に見えるのでしょうね
現代人は料理も農業も仕事も流行りも趣味も、<今ここ>にない西側メディアが毎日造り続ける情報依存ですね
若い二人。頭が良いと思うし、自然農法家が何を最終目的にしたいのかを理解したいんだろうなとはおもうんだけど、
それは、若い身体が無くなり、実際に色々な苦労や体験をして、ピークを越えたあたりから人間の質が変わるからソコで理解できると思う。
もちろんお二人が理解しようとする姿勢はありがたい。
本当に素晴らしい若者。
簡単に言うならば、親が死んでない人に親が死ぬ苦しみが解らないのはあたりまえ。その気持ちは言語化できない。しても言語でしかない。
体験しないと染み込まない言葉は沢山ある。
でも、理解しようとしてくれる事は尊いし、そうあるべき。
つるちゃんさんのファンです。世界を救える勇者の1人だと思いますよ。😊
気が付けば、先祖から受け継がれた農地に必死にしがみついている自分がいます。今、私は60歳を過ぎましたが機械が使えなくなった状況になっても野菜を作り続けられる(農地の維持管理)と確信したのが自然農法寄りの農業です。野菜も小粒で見た目がイマイチの物が多いし、美味しいのか美味しくないのかも分かりませんが紛れもなく自分が幼少の頃に食べた野菜の味です!
お二人ともとても真面目に真摯に学問として農的なものなどに向き合っておられるのはリスペクトしかない
そう思った上でコメントさせてください
「もっと“あなたたちらしい”哲学の話しが聞けると思った、少し残念」
インプットや計算は頭を使いますが、考えること、ましてや哲学とは違うので、もっと身体的だったり懐疑的だったりするような“らしさ”のお話が聞けることを期待しています
人の存在自体が、自然のエコシステムの枠組みには組み込まれていない訳で、だから人が作物を栽培する事自体がどうであれ自然ではない。農業って極めて科学的であり、哲学的でもあると思いました。要は何処に価値を置くか、経済か他のモノかなのですね。なんか大学のゼミみたいで面白かったです。
自然農はロマン
変に思っても害がないなら静かに見守ってあげてほしい
平和に農業を楽しみましょ
面白い動画でした。
自分は、日本の企業を信じているから農薬も化成肥料も使うし、家庭菜園でも苗の値段以上の収量があった方が楽しい派。
大学は文学部なんだけど。農業は、地に植えて育てて(育って)それを取る。昔、鶴ちゃんの農耕の歴史が、一番的を得ているような気がする。多分、どっかで資本主義の介入があって分かれたのかなーと。
「永遠の法」第2章 魂の喜び
を読むと農業をしている桃源郷のようなところが5次元善人界なので自然農は宗教的な感覚を味わえますので好きです。楽しく人々と分け合う喜びがありますね。
自然農をやっていると足りないものが自然界にちゃんとあり、時間は人間軸ではありませんが、タダで供給してくれます。この世界がすべてのいきものをすごくサポートとしてくれるよう作られているように感じます(日光、雨、雑草、虫、土壌微生物など)
資本主義の枠組み(石油などを売るための作られた需要を自分たちが必要だと思い込んで生きている)は、人が作ったもので、無理がある世界で、一部の人の為に設計されたものだと思います。
果樹農家の嫁になり、いつも肥料が農薬が…と高騰する資材の話をする家族を見て、種と畑だけで野菜できたらどんなにいいだろうと作り始めました。
基本もわからないところから始めました。今年で3年。
ある程度の野菜は自分の畑からとれたものを食べれるようになったので、自分の楽しみにもなっている「ざっとこさ栽培」これからも継続していきます。
二人の言葉のやり取りを、なんかニヤニヤしながら凄く楽しめました。
「共感」いや違う・・・「言わんとしていることがわかる」?いや・・・違う。
この動画を見た感想を言語化したい(笑)みたいな。
二人の言葉のキャッチボールの一節一節に対する感想を書こうとすれば、膨大な文章になってしまう自信があります。
面白かったです。本当に。
ありがとうございました。これからも期待しています。
自然農界隈はカオスなのが面白いです。
経験と感覚を無理に論理化・言語化しようとするので元素転換だのガイアだのといった言葉を使いだして疑似科学やオカルトに思われる人が多く、その人自身は自然農で上手く出来てるんだから「うちの畑ではこうやって成功してる」とだけ言ってれば良いのになって思います。
あと自然農実践者ではなく、その取り巻きの自然農崇拝者に至っては自然農と自然に優しい農業の区別がついておらず、「面積当たり収量の少ない自然農は自然破壊であり、植物工場の完全人工環境下で最大収量を目指して余った田畑は原野や原生林に戻すのが最も自然に優しい農業」などと言ったら狂人扱いされました(笑)
似たことを感じてました。コチラのチャンネルでオランダの農園に研修へ行かれててる動画を見て、コッチの方がよっぽど自然に優しくない?限られた区画で最大限の収穫量(人間が食べる必要量)を作れば他は自然のあるがままで言い訳だし、と。
自然農の姿の理想ってどれなんだろう?と今思ってます。素人なのでどちらも興味深いです。
なかなか難しい話ですね。
素人目ですが、自然農の美学は「自然との調和」な感じがしてます。
なので、そのようなお話は人間と自然が切り離されるような感じがして狂気じみてると思われるのかな?と。
私も今はどちらかと言えば自然農寄りの意見なのですが、色々勉強して知見広めたいですね。
農薬イヤ←わかる
化成肥料イヤ←わからない
有機の時点で無理があると思ってしまって…ある種趣味人的な自然農法はさらに別次元すぎて…
おそらく、話の中にもあったように、狭義の経済においては無理があるのではないかと僕も思いますね。
さすがっす。
このチャンネルはいつも哲学的で良いです。ほんと農家のイメージが変わりました
家庭菜園を50年続けて来ました。その内3年は慣行農法で、あとは有機というか自然というかほったらかし農法(というのがあるのか知らないけど)を30年以上続けてきて、ここ4年自然栽培に目覚めました。
引退して時間がとれたことも手伝って畑と向き合うことが楽しみになったせいとコロナの影響で情報収集する機会が増えてある意味様々なことがアルゴリズムによって繋がるように自然農という世界に入ってきたような気がします。
そこからさらに導かれてきたところに物理学者の保江邦彦氏が現れました。氏の空間を表す量子力学的な領域、他者の空間領域と己の空間領域の関わり方で物事が成るというエネルギーの動き(交わり)みたいなもの(じゃないかなと思う)が恐らく自然農の中にも当てはまるんじゃないか、そこには全てのものに対する尊厳があるということと、それが作物やそれを取り巻く環境と調和して成果が出るとしたら、それをスピリチュアルとか宗教と囚わえがちなのかもしれないけれど、神道が「道」であり「宗教」とは呼ばないように個々人と神(自然)との交わりの中に宗教を超えた根源的なものが存在すると思います。
今回はとても興味深い内容で楽しく拝聴させていただきました。アルゴリズムに感謝です。
色々興味深い著書の紹介もありがとうございます。
こういう話は大好物!
参考文献も概要欄に記載して欲しいです!
農業という産業は、かなり自由度が高い世界だと感じます。
しかし、現実には慣行農業という縛りもできているように見えます。
昔、仕事で付き合いのある慣行農業の専業農家さんに白菜をもらいました。
「家で食べる分の畑で作ったから農薬使ってないよ」と言われ、穴凹のあいた美味しい白菜をもらいました。
農家さんも農薬使いたくないんだなと思いました。
スピリチュアルでも哲学でも科学理論でも良いです。その方が納得できる野菜を作って、知り合いに食べてみてと心から勧められるものであれば、美味しくいただけます。
それぞれの思想を応援します。一生懸命に食を守っていくことは、とても重要です。
めっちゃおもろいです。近々カフェで苗の販売をするんですが、お客さんとの相性を考えると宗教学と心理学をしっかり考えないといけないなと思ってます
いつも動画みせてもらっています。
分かりやすくて、とても楽しみにしてます。
でも、私が一番好きなのは、島の自然農園です。
つるちゃんが自然農だったら良いのにといつも思ってます。
あと、塚原農園さんも自然農を知って欲しいな…って思ったりしてます。
そしたら、すごいな…って。
でも、そんなに大っぴらに宣伝しないのが本物の自然農だなぁとも思ってます。
島の自然農園と塚原農園見てるなら、瀬戸内まいふぁ~むさんとかどうですか?
けっこう中間的な存在かなぁーと思ってます。
中山間とかのレベルではなく、もっと大きく取り残された土地で経済成長からも見放された場所、天災からも逃れられないような隔離された場所で農業をしていないと自然農や慣行栽培関係なく「自然」は理解出来ないのでは?と思います。
恵まれた土地では農業も他の職でも関係なく遊びだと思えるようになれば良いと思います。
厳しい土地でも農業を「遊びだ」と感じられるようになった時に初めてAIを含めて進化していく人間の道と重なってくると思います。
今の時代、アカデミーと自然は重ならないのでは?という気がします。体験が弱すぎるような、、、
一緒に福津農園に行きました。
僕は有機農業やってるけど、色々矛盾を感じる部分も多くてディフェンス張ってるな〜w
松澤さんは世代を超えた持続性を守ること、それが福祉につながることが農業の本質と考えてると思います。
単なる不耕起などの手法ではなく、農を通して人としての生き方を考えさせられました。
「ようこそ日本!自然栽培は世界を救う」 が面白かったです。完熟堆肥は4年以上必要。野菜に含まれる硝酸塩…。肥料は毒…農業は江戸期に完成してる!? 是非、高野誠鮮さんと対談してください。私は数年来続けてきた有機栽培すら罪を感じています…それだけ多くを学ばせていただきました。欧州や米国ですら自然栽培へオセロは一気に引っくり返っているのが現状です。
わざわざ、不味く不健康な作物を造るために、大型機械で耕し、費用を掛けて肥料を入れる。虫が出れば殺虫剤に農薬、遺伝子組み換え。
不耕起、無肥料こそ経済合理性が最も高い。それで出来た果実が一番美味しいのなら、他に選択肢などありません。ここでも明治以降のデカルト農業に世界中の民が騙されてきました。
ちょこっと自然農のカービーさんが一番話が通じるとおもいますので、是非対談して欲しいです。
今度の岐阜のイベントにも参加するとおっしゃっていましたよ😊
生態学の知見を取り入れるのも、一つの科学だという気がしています。
その視点で見ると、農業と自然の営みって、人がどんなコンセプトでアプローチしていくかによって、重なる部分が微妙に違うと思います。
私は、のらりくらりと生態学や科学や自分のコンセプトに寄り添えそうなものをつまみ食いしています。
私が今生きている意味:故愛犬マロンと約束をした「平和の希求&鎮魂」を目的として「祈り」をコンセプトに庭づくりを続けること。
私は、このような視点で、農業を位置付けています。
また、現象学や認知科学も視野に入れて生きています。
若い二人の楽しい会話を聞いてよかったです。
大体の人は、それ商売になってるのって聞くと怒られたり、そういうことは気にしてないって返されるのよね。
・・・それ、続けられるのって思っちゃう。
まだ、自分もそこまで勉強していないですが、二宮金次郎さんなんてどうでしょう?それと農業自体どんなに色んな事をしても自然の中の営みなので広げれば宇宙に繋がりますよね!😊
自然農は見える部分(どのように育てるか?出来た作物の大きさ、形)で判断するものではなく、見えないもの(微生物)の活動により育つものであり、ミネラルが多く含まれている。
その違いは科学的な解析がされている。
まずは、その作物を食べてみてどう思うのか?
化学物質過敏症の人が食べることが出来ること。
また、農薬や化学肥料を使用する畑が非常にくさいこと。
など、人間の五感を使いエネルギーを感じることが重要であると思う。
お二人の対談を聞いて、つるちゃんは自然農法の農業部分に限らず社会との繋がりまで含めた思想体系に触れたいのかな、と思いました。
パーマカルチャーセンターで話を聞いてみるのはどうでしょうか?
ロゴスとピュシス、いいねえ😊
慣行農法ー有機栽培ー自然農は1つの枠組みとして考えずにグラデーションで見た方が良いと思うんですよね
その人の目的に合わせてちょうど良いやり方を選べば良いと思う
資材入れたら自然農じゃない!みたいな原理主義的、宗教的な考え方は勿体ないですね
手塚作品でもありましたね、人が何かを支配する、おこがましいと思いませんか、って。福澤さんの動画以前見ましたけど、自然が持つ本来の力を活かす、ただそれだけの事、と。物事は複雑に考えずにシンプルに、これが大事、わかってはいるけどそれが難しい😢
人はそんなに利口ではないからなおさらに。
福津農園のまつざわさん、現代農業3月号(剪定講座のもの)でも取り上げられてましたよー😄
毎回、学び。ありがとうございます。
自然農と自然農法や自然栽培、炭素循環農法や共生農法などなど、無農薬栽培にもいろいろありますが、あくまで”自然農”について知りたいという事ですか?私は〇〇農法に囚われず、無農薬で栽培したいと思い、いろいろな農法を参考にしながら試行錯誤しています。何といっても無農薬無肥料栽培では殆ど資材が要らないですし、自分や家族が口にするものは安心安全なものが良い。自給農には最適です。
宗教同士だと対決するし、合理性とは別次元の話です。農薬に対してアレルギー体質だったり、もう少し歳を重ねて自分の子供が出来たら分かるかも?
自然農法の創始者、岡田茂吉さんの流れを汲む秀明自然農法は秀明会という宗教です。
今の慣行農法が地球に負荷をかける事なくできるのであれば、今まで通りでも良いかなと思いますが、農薬ひとつとっても環境負荷は甚大です。
本来、自然界の生態系のバランスは完璧で、それを乱している資本主義経済を即刻転換させないと自然界はもう元に戻せないでしょう。
個人的には手遅れだと思いますが…
つるちゃんの好奇心を満たすには考案者じゃ無いと難しそうですね
特に自称自然農 自然農法 自然栽培を現在やられてる方は真似事で盲信してそうなので考案者の本質的な所は理解して無い様に思います
釈迦が辿り着いた境地は釈迦にしか分からないどころか派閥争い 権力争いをし都合良く折り合いをつける
自然〜等も種まきや育苗 定植等不自然な所には目を瞑りますね
私自身はど素人から趣味で無肥料 無農薬栽培を始めて二年目ですが何が自然で不自然かを考える様になり 人間も自然の一部なので人間がする事は全て自然と思う様になりました
無目的の話しがありましたが営農であれ自家消費であれ野菜を育てて収穫すると言う目的が大前提としてあります
無目的と言う言葉に惑わされ作物を犠牲にして虫を育てたり草を育てたりすると本末転倒な気がします
収穫量が少ないからと値段を二倍三倍にして販売していては広がらないでしょうね
自然系栽培こそ つるちゃんの動画で植物による特性を勉強し思考停止させる事なく収穫量を慣行農法並みにする事で広がっていくかと思います
福岡正信さんが生きてたら 繰り返し自然が自然環境を破壊し多くの生命が絶滅し また再生して来た事について聞いてみたいですね
自然放置🟰是なのか
人間が手を加える事🟰非となるのか
粘土団子は自然なのか 笑
私は個々が満たされていれば何でも良いと思ってます
東京で社畜だった頃は、生ゴミコンポストを作って狭いベランダのプランターで野菜作っているときが癒しでした。会社でのモヤモヤイライラを土にアースとして放電するみたいな。土いじりしているときってなんか落ち着くんだよなーって言語化しないままでした。
地方移住して、もうちょっと広い菜園で土いじりして思うのは、これは言語化しない方がいいんじゃないかなってことです。
論理で説明しようとすると、レゴ遊びの何が面白いの?とか遊戯王カード集めて何になるの?とかもうAIには勝てないのになんでチェスやってんの?とかって聞かれたときと同じように自分の楽しいが潰されていってしまいそうで…
むしろ言語化されないことを願っているのかもしれません…
仏教を勉強始めたら自然農に目覚めた。世界情勢を鑑みると答えが出る。人間は自然の一部であって抗えない事を知れば雑草に自然界の法則を学べるんじゃ。
お二人の話を聞きながら「島の自然農園」の山岡さんと若者の対談に深い意味があったので、皆さんと対談してみてほしいと思っていたら、ご存知だったのですね。
趣味としての家庭菜園って滅茶苦茶楽しいですが生業となるとそうもいかないんだろうなと 農業に限らず好きなことを仕事にすると嫌いになっちゃうなんて話を聞くこともありますし
ディフェンスの話は身につまされました 自分もガッチガチに固めていますが怖いんですよね何かを失うのが
生産性の高い慣行農法と自然農、もしくは、自然農の中でも8:2の2の内くらいはフロンティアスピリッツというかはみ出し者みたいな独立心旺盛なピュシス先行した人がいそうな気がします、思考としてインカムとアウトプットが少ない事で独立していて牛後より鶏口を選ぶタイプである思います 生物も過密になるほど群れから一定の個体を追い出して離れたところに集団を形成したりします これは大集団の病気などの壊滅的な危機に対してのある種の保険として機能が種の保存の本能として働いているように思われます そういう本能としてのシステム=ピュシスですとロゴスは合理的に納得するための後付けの位置になってしまうのではないかと思ったりします 自然農にロゴスを確立した教祖が誕生しても一本化するにはそういったタイプの人間が反発したりして排除する形になりそうですね 独立心が生来のものなのか後天的な学習で得たものか?と区別もできず科学的とは言い難い想像によるところが大きいですが
臨済宗の僧侶が自給のための農作業も修行としてしていたり、家庭菜園が楽しかったり、食事を確保できる安心感だったりと農作業という行為の効果を見つけていくことも必要になりそうです(ドイツでは洗車やフォークリフトで倉庫整理、トラックの配達シミュレーターといった体験ゲームが流行っているそうですし)
大規模農業が今後人社会を席巻するでしょうけど社会の効率化は人的資源の要求も減りそうで人口減少しそうに思えます、その後の社会は大規模農業組織すら必要なくなりそう、突き詰めれば1人当りに必要な食料を確保できる農地を割り出せるでしょうし どれくらい先の未来かは分かりませんが
釣りの世界では漁獲が目的でないグループがあり、仲間うちの体験を重視していて、それを「食を支える漁業」と比べて非効率などとみる人はいない。野菜つくりも同じで、自然農っていうジャンルの単なる趣味を「国防にまで話が及ぶような農業」と比べるから おかしな話になるんじゃないか
人類の探究心は在るものから選ぶ。探求心は無いものを探す。掛け合わせる事で美の幅は食べ物にも食べないものにも広がった。消えた種を求める人も沸点の熱いところで闘う人も心配事が減るともっと安定するのかな。
分かろうと思って聞いてみたけど、主語を見失うところもあり、、、。でも理解出来るようにありたい!
しかし、コメント欄でもすごい学びになる!
自然農は福岡正信から始まったのですよ。実践して収穫量も上がることを著書の中で検証してます。ここからオーストリアでパーマカルチャーという運動が始まったり、等々。世界的には第一人者は福岡正信が有名です。
雑草は肥料や農薬やったわけでもないのに勝手に育つからね。
生えてる雑草の種類を見て、
アブラナ科の雑草が生えてたら、アブラナ科の栽培したら上手くいく。
キク科の雑草が生えてたら、キク科の栽培したら上手くいく。
そんな感じでしょ。
子育てに置き換えて考えたら違う視点で考えられそうな気がします。
出ました、デビッド・グレーバー❗️
自然と付ければ、かっこよく見えるが、すべて人工農である。
実際に農業を生業としていて人文・社会科学で農業(自然農)を語れる人はいないのでは?
実生活がかかっていれば「楽しく語る」まえに眼の前の売上(収量)が優先するでしょう。
学問(論文ネタ)にしたい人と売上(収量)アップを望む人では目指す方向が違いすぎる気がします。
理想は理想として生業としての農業、そして社会の分業化、人の営みの中での変化はある意味自然であたりまえなことだ。
なるべくして現在に至ってるのだと思ってますよ
松澤さんは肉や魚はどうしとるんやろか?自然農の実践者は別に自給しなくていいのかね?自然と対話しつつ作物を栽培する喜び?みたいなこと?たぶん自分が楽しめればヨシなんだろうな。「変人」と見られる喜び?自然農というアイデンティティーってことだね、きっと。
色んな人が居るのは良い事だけど、どれだけの人がそれで生きていけるかってことだね。
ひと家族がごはんを食べられるくらいの収量があれば・・・でもやる勇気はないなw
子育てに似てると思います
土や太陽、野菜自体の生命力を信じていれば何も与えない野菜作りが可能で、信じて任せることができなければさまざまなものを与えます
自然農法は時間はとにかくかかりますが 根は明らかに長いし多い
自然農の根に無条件で惹かれます
早く有能な科学者がこぞって自然農法を研究してくれる日がきますように
収量が少なくてできるならいいけど、化学肥料使うと毎年同じ収量が欲しいなら出来ん
自然農法したら高く買ってくれるならいいが
藤原辰史さん、いいですよ😊
「自然と自我の同一性障害」の整合性を出来るだけとっていくのが自然農法なのかなと思っています。
自然農に経済合理性がないのではなく、経済合理性の計算範囲にまだ自然農が入っていないか、自然農は経済合理性の計算範囲を拡張させ得ると捉える方が好みかな。
あとなぜ自然農と宇宙が結び付くかは、明確に言語化できるよ。
鹿が角を落とす様子を想像していたら気付いてしまった。
こんばんは、お疲れ様です。こちら熊本も、昨日は、雨、降りました。晴れ☀ていました。また、私の住む地域も、中山間地域ですね、我が家の近所、自然農、浸透していませんね。我が家は、化成肥料や液肥使いますので、厳密には、自然農では、ありませんね。農薬、除草剤不使用で、直売所出しています。
栽培、農業の視点から気候変動を抑えるために出来ることの一つが、窒素肥料を使わない、不耕起、自然栽培、自然農法だと考えています。
人の利益よりも地球環境を優先する栽培方法が粋だと感じています。
最近哲学を学び始めて、私の思想は 自然を観察して、そこに法則性を見つける感じの「自然主義」なんだなーと思いました。そこから見ると、人文科学も自然科学に内包できる気がするのですよね。
参考図書
「自然主義入門」植原亮
「自由意志の向こう側」三島奏三
「理不尽な進化」吉川浩満
例えば、「粋である」を考えてみます。
「粋」を(本能由来の)感情的に良いと感じる振る舞いだと仮定すると、そこに何らかしら(他者からの共感を増やして連帯を高めた結果、助けを得られやすくなるなど?)の生命維持の上での利点があった可能性が進化論的に考えられるのではないでしょうか。で、経済合理性を突き詰める事以上に、粋である事で生命維持の成功率が上昇する社会であれば、それが利己的遺伝子論的により良い選択だろうから 結果的に多数派になる。そーゆー社会でなければ少数派になる。
ーみたいな?
「自然とは…」を調べたらすぐ詰んだ。
雑草無い状態で育てている前提でうまいこと育つ品種が開発されている…じゃないのかなぁ?
自然農でどうしても納得いかないのがそこです。
まあ、別の形で育つ、ということなのかもしれんのだけど。
お若い2人に頼もしさを感じます(^^)
自然農法や自然栽培や、菌ちゃん農法、
自分では名前を付けるつもりはなくて、
直接口に入れられないものを野菜に入れるのかぁ...
それを、口に入れるのに…
と、
農薬、化学肥料を使わなくなっただけです(∩´∀`@)⊃
つるさんと対話してほしい方は、
他の方も書いていらっしゃる
島の自然農園の山岡さんと、
瀬戸内マイファームの方、
山岡さんのシンプルな言葉をお守りにしています。
「自然界は、
ああすればこうなるが通用 しない世界」
まだまだ上手にできない作物ではありますが、毎日ワクワクやってます(っ ॑꒳ ॑c)
いろんなやり方があるし、
いろんな農チューバーさんから学んでいます!
いつもありがとうございます( ¨̮ )
垂直栽培が生まれた島で自然農をやってます。
宗教、とりあえず嫌いです。
ふたりとも思考過多な気がします。
そして、西洋哲学の範疇で論じているからややこしくなるような。
花の慶次の一節に以下の言葉があります。
「虎はなにゆえ強いと思う?もともと強いからよ」
科学的には骨格や筋肉量で説明つくのでしょうが、強いものは強いのです。
そんな考えを自然農に当てはめると、自然界にあれだけ草木や山菜・果実がなっているのだから、野菜も自然に育たない道理はないとなるわけです。
個人的な見解ですが。
あと、自然農を語るには荘子がぴったりです。
西洋の価値基準に当てはめるから混乱するのであって、無為自然に代表される荘子の思想なら理解しやすいと思いますよ。
ルーラの会の所の話、「食べ物を商品にしない」というのはとても共感しました
この動画すごく面白いんですが(失礼)、金融とかコンサルとかIT関係とか所謂儲かる業界で働いてる人らから見れば、現代で農業を選択してる時点で、自然農の人と変わらないですよ~。もっと儲かる業界農業、慣行農法自然農。慣行農法があるのに自然農を選んだ人は、もっと儲かる業界があるのに農業を選んだアナタと似たような気持ちでしょう。
第一世代の人達は、土地の荒廃や子供のアトピーなどをキッカケに真剣に考えて、持続可能な営みとして自然農に行き着いた人達もいます。そういう方々が語る時に、体系的な科学を学んでいないと、イメージ先行で宗教やスピリチュアル寄りの印象を与えてしまうのだろうと思っています(そもそも、今の科学の水準で科学的に語れる人が、後世の水準や別の価値観の人から見て合理的とも限らないわけですし)。
宇宙、というより、森羅万象です。
必要なのは自然農を語れる人ではなく、数百人規模の小さな社会だと思う。
感覚的な部分を言語化するのはややこしいしややこしくなった言葉を理解するのはもっとややこしいから、感覚的に理解できる環境を作るのが大事だと思う。
科学でなくて農業が旬だよ~
もしかして
ロゴス(論理)=既知
ピュシス(自然)=未知
だとしたら・・・そりゃ「わからん!」となる
慣行農法は生産性が高いという解釈は間違いだと思うんだよね。
生産性の評価を「人力のインプットに対するアウトプットの比」として見たら、慣行農法はそこら辺のふきのとうに負ける。
ふきのとうは人が何もしなくても収穫できるから。
この定義で慣行農法を再評価すると、高い作業性が利点。
高い作業性は、虫や草や菌を殺して、作物以外の変数を限りなく0に固定することに起因する。
もし、ヒト型ロボットの社会実装などで、作業性の超圧縮が可能になると、農業の分野は爆発的に広がる。
個人的には、人間は既に高性能なロボットとしてふるまえるので、貨幣の収集が不要な人間(あるいは貨幣が十分にある)なら、作業性を度外視したリスクリワード比に全振りした農業分野を整備できるのではと。
そしてこれは、資本主義が始まって以来、戦争以外では誰も止められなかった「悪魔の挽き臼」に対抗する構造を誕生させ、r>gを自動で修正する新しい時代を到来させる。
Don't think. Feel...
多分、自然濃、自然栽培の人は環境、人(健康)に対して奉公、貢献したいんだと思います!
手書きとパソコン、ワープロの違いが道具 書体が農法 古代は肥料がなかっただろう
十分の一も理解できてないんだろうけど、思想の話って面白い
さすがにウチュウガーは俯瞰レベルが段違い過ぎて理解したいと思わないw
面白かったとはいえ、一応の不満を述べさせてもらうと、現実(リアル)の観点から安全保障の概念も重視して欲しい
有事になれば経済が止まる、電気・燃料・資材・人的機械的労働力などに頼った慣行農業は当然できなくなる
ロシア軍事専門家の小泉先生が「平和な現代でもロシアは国策として武器弾薬をせこせこ生産し続けている。一見、無駄で非合理的に見えても有事ではそれが成果をあげてくる」的なことを言っていたのを思い出す
おそらくロシアのダーチャも同様の意味を持ち合わせているはず
だからなのか自分は福津農園の松沢さんの農法が非合理的には見えていない
むしろ中山間農地を最大限かつ最効率で利用しているようにすら見えている(やったことないので見えているだけですが・・・)
あと、久松さんの意見には90%以上くらい同意できるんだけど、反骨精神の部分だけが理解不能・・・久松さんロック過ぎるんよ。。。
自然農は西洋的な分析や理論ではなく 東洋的な思想 全体の関係性(仏教で言う縁起なのかな?)を重要視する農業ではないかと今回の動画を見て思いました。
論理で再現性を語る事は出来るが(ある程度 定数が決まってる)
関係性での再現性は言語化が難しいのでは?(変数しかわからない状態で結果がでてしまうので定理を証明できない)
自然農で全体の関係性を体験する事で(無分別智とか主客未分の様な体験)意識もスピリチュアルに向ってしまうのかなーなんて思いました。
あくまでも憶測です
私も家庭菜園レベルですが、自然農を目指してやってみています。
結果。
地球ってすごいな、と。全て与えられている。
自家採種が出来るようになれば、お金が一切かからないシステム。
農業。業がいらないのだと思います。農、でいいのではないですか。
自給自足とまでは言わないけれど。各自が農を生活の中に取り込めば、それでいい。
不得意なところと得意なところは交換すれば。
資本主義から外れていくのには宗教でも哲学でも良いので人間にたがを嵌める必要があって、それが今回の話にでている”粋”だったり”美”だったりするのでは。
理ばかり追いかけた近代の結果、人間も環境も貧しくなってしまった反動が出てるように思う。