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ツッコミ所満載の「水戸黄門」ですが、あのゆるゆるの時代考証がいいんですよね😆
と言うよりは「時代考証した上であえて無視」と言うべきかも。
八兵衛「この店サービスいいすね!ご隠居!」いや、たしかにどこかで言ってたぞ(* >ω
設定をリアルにすればするほどドラマは面白くなくなる。
東野英治郎の「水戸黄門」にも格さんが「御隠居、国許より金子が届いていると思いますので取りに行ってまいります」、風車の弥七に「助さんは国許よりのお金を取りにってるところだ」というシーンが都度都度ありましたね。
大変 為になりました。本当に役に立つ話です 有難うございました
私は石坂浩二の水戸黄門が一番好きだった。史実では綱吉とは対立してたハズだけど石坂さんはリアルだった気がする。助さんはエリートで格さんは一段下な感じも新鮮だった。確か印籠出すのをやめたかったらしく、腰につけてる際にきずかれるみたいな感じだったが定番の印籠出す、ヒゲ、になって行ったんですよね。
確か、石坂黄門が、病気療養中に伸びたヒゲを「残してみるか」とそのままにしたという記憶が。
史実でも助さんが上司だったので、リアル黄門の配慮だったと思います。他のシリーズでは、格さんが年長のような扱いだったのは何故なのか気になりますね。現在だと「助」という名が「助平」を連想させてプレイボーイ的イメージになるからでしょうか?
今回も興味深いお話です、ありがとうございました❣
確か、「弥七」のモデルになった忍者もいましたわね。名前は「八郎兵衛」と言ったはずね。「八兵衛」さんの名前に似ています。この「水戸黄門」ですが、一度だけ、学生時代にエキストラのアルバイトをやったことがあります。朝6時に撮影場所に行ったのですが、すでに俳優さんたちは撮影中でした。夕方のシーンを早朝に撮影しているのですね~。それで私たちは土下座のシーンを日の入り前後に撮影して、それを後からフィルムを切って繋げているのですね~。
@@ジャコビ-v6u 茨城県と栃木県の県境近くにそのモデルになったという人(夫婦)の墓があります。そこでの名前は小八兵衛!うっかり八兵衛のモデルでもあるのか?!
一応、あくまでも地元の言い伝えレベルで証拠になる古文書等も無い話ですが、その忍者が活躍した話もあるらしいですよ。
水戸黄門、大岡越前、遠山の金さん世界中探しても日本だけのヒーローです。支配者や役人がヒーローにはなれない極悪の存在でしかない。日本は平和でしたね。
まあやってることは江戸時代とそれほど変わらないからねえ。越後屋と悪代官の関係は今も続いていますし。おぬしも悪よのう!
光圀といえば、辻斬りと重税とラーメンのイメージ😊
自分もそのイメージw
中学生の時に水戸黄門が権力を乱用して民百姓をイビるパロディ演劇を林間学園の余興でやったらウケてしまったのだが、大人になってから辻斬りの話を知るに至り、パロディでないことに気付いたw
確か水戸黄門ドラマ内でも、お金が無くなりそうなときは為替的な話があったように記憶してます。それにしても飛脚ってすごいですね。彼らのトレーニング法を復活出来たら、陸上競技総なめかも。
なんば走り
初代の御老公様は、悪を懲らしめたあと次の旅に出ようとすると御老公様を歓迎しようと追い掛けて来る役人がやって来て「こりゃいかん!、助さん格さん逃げますぞ!!」と言って逃げるシーンがあったのを覚えてますwちょっと一休みしようとして、そこにあった米俵に腰掛けたらそれまで優しかったお婆さんが豹変して「米になんてことするだ!」と御老公に殴りかかるシーンもw
その黄門様が米俵に腰掛けて怒られるのは、途中から若い娘さんに替わりましたね😊かつては森昌子さんや堀ちえみさんがその米俵に腰掛けた黄門様を叱る役を演じてました(笑)「黄門様を叱った娘」ってサブタイトルで…(^-^;😅
荷物も銭も送れる信頼性の高さと治安の良さにびっくり。先進国の社会インフラ。😀
TV「水戸黄門」が1話完結なのは、視聴者に高齢者が多く、「来週に続く」にすると「見ている自分が来週生きているかどうかわからないからやめてほしい」との要望があったからとか。
貴重な知見をありがとうございます。最近、東野さんの再放送を視て旅装の身軽さから「ふんどしと手ぬぐいくらいしか持たないのかなぁ」と思っていたところです。これで分かりました。
助さんの戦国時代の先祖はアルプス越えして越中から駿府まで援軍要請に来たんだよな。
なんだかんだ言っても、水戸黄門って一番有名な時代劇だと思う。
うちの親父が水戸黄門が大好きでよく観ていました。個人的には西村晃氏の黄門様が印象的でした。あと、ファミコンソフトの水戸黄門を友達が持っていました。そのファミコンソフトのパッケージに西村晃氏の推薦の言葉が書いていました。
2代目黄門の西村さんは、初代にくらべて一気に若返ったことから、シティーボーイ黄門と呼ばれていましたね。
自分61で、子供の頃から水戸黄門見てましたが西村黄門がやはり1番好きでした、若返ったしキレも良くて良かったです😅
西村晃さんが一番凛として上品だったと思います。
登録者数一万人超えおめでとうございます🎉いつも楽しく見ています江戸時代…テレビ等のイメージが強くて、意外な事ばかりですこのチャンネルがもっともっとたくさんの人達に見てもらえますように
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
中納言になったのは、晩年だったんですね。ドラマでは最初のころは「先の中納言」と言ってましたが、後は「先の副将軍」になりましたね。副将軍なんて無いんですけどね。
副将軍は水戸藩の自称じゃなかったかな。あと、水戸藩主は江戸に常に留まって将軍の補佐をする立ち回りなので、俗称としても副将軍と言われたらしい。まぁあくまで非公式なもの
@@TheHaimaniそうですね!それと、現将軍が逝去し、その公認の将軍が決まるまで将軍職を代行する決まりですから、御三家の内で尾張や紀州藩主のように将軍職に付くことが無かったですよね。
「先」ではなく、「前」ですね。「前」を「さき」と読んでます。青森県弘前市の「前」はさきと読みますね。
そうなんですよねぇ、副将軍の役職は存在してませんでした。解説の通り水戸黄門の黄門は中国では中納言だったので印籠を出す決め台詞が格さん「こちらにおわすは恐れ多くも前の中納言水戸光國公なるぞ」助さん「悪大官の名、御老公の御前であるぞ、頭が高い!!」等が第1部~第5部の終盤まで「前の中納言」がほとんどでもちろん「前の副将軍」の決め台詞も第3部辺り~第5部の終盤以降はありました。 本来の格さんのセリフなら「こちらにおわすお方を何方と心得る、恐れ多くも前の中納言水戸光國にあらせられるぞ。」が正解なんです。しかし第6部からが一部の「前の副将軍」と決め台詞が決まったのです。 第6部から徐々に決め台詞も固定し2代目の格さん大和田伸也さんが格さんの決め台詞が「え~い静まれ、静まれ、この紋所が目に入らんか。」「こちらにおわすお方を何方と心得る、恐れ多くも前の副将軍水戸光國公にあらせられるぞ。」が決まり助さんの決め台詞は2代目黄門さんの西村晃さんの第14部にて「一同、御老公の御前である、頭が高い控おろう」が決まったのです、この時の助さんはまだ里見浩太朗さんでした。おそらく「前の中納言」のセリフだとドラマでは馴染め辛かったのでしょう、私はそう思います。実は私28歳なんですが子供時代の時の水戸黄門の再放送で初代の水戸黄門の東野英治郎さん時代の水戸黄門が好きでした。とてつもない長文になりましたがBS-TBSで今でも見てます、現在水戸黄門第10部の中盤です。
古の水戸黄門の映画では、仕込杖で水戸黄門も剣の腕をふるったそうです。
だってあのメンバーで一番強いんだもの
死屍累々の中、旅立ったシーンがあった気がする。遥か昔の記憶だが。
ドラマはストーリーを進める為、原作者スタッフはあり得ないと思っても、おかしな江戸時代を演出したんだろう。でも、第一部から見返すと江戸武家の精神の高尚さに感慨深いものを感じます。
【着替え】 軽装で旅ができた理由の一つに賃貸しや古着の流通も寄与していたと聞きます。 下帯も賃貸しされていたようですし、旅の途中では借りたものを返すことはできないので、着ているものを売って古着を買って旅を続けるのです。古着屋では買い取ったものを洗って次の客へ売れば良いのです。
武家は知りませんが 着物は着たきりスズメですよ。 酷くなれば 宿場の古着屋で買っていました。 反対に地方から江戸に入る場合は 街道の最後の宿場 例えば 千住宿や品川宿などには 古着屋がいくつもあって そこで 身綺麗して江戸に入ります。 旅人とは違いますが 江戸でだって 町人は貧しいですから やはり着たきりスズメですね。 真冬だってタビを履くなんて お金のある人だけです。
伊達政宗も中納言なので『伊達黄門』だと瑞巌寺のガイドさんが言ってました(笑)
飛脚ネットワークすごいな
それな。これに限らず江戸時代の商業システムの完成度の高さは驚くばかり
@@TheHaimani先物取引きやローソク足など現代の経済の原型を発明しましたからね。
現在の科学力と当時の科学力を比較すれば、桁違いに当時の方が優れたシステムを構築していた。
飛脚、当時の世界でも最先端の通信網ですね。各地の詰所に対するネットワークの飛脚。今の宅配システムみたいなものかと。
裏街道や番所を閉じた夜間でなければ五街道は比較的に安全な交通手段だったのではないでしょうか。どちらかと言うと街道筋で宿場がいかに金落とさせるか客引きの方が多かったイメージ
草津宿本陣(滋賀県)が近い所に住んでいる。ドラマで草津が舞台になったときは妙にうれしかったことを覚えている。現在残っているのは宿本陣のみだが、黄門一行が泊まった旅籠のモデルの建物が残っていないのが残念。
本当の水戸黄門についてのドラマをいつかこしらえてほしいですね。若い頃の破天荒な振る舞いや藩主時代の有り様、引退後の大日本史を研究されるなかでの黄門さまの生き様なりを忠実に再現したドラマが見てみたいものです。
大河ドラマ水戸黄門 でいいよね。創作をかなりしそうだが。
徳川光圀は、諸国漫遊はいていませんが、『大日本史』編纂のため、諸藩に使いを出して情報を集めました。しかし、歴史番組、書籍でもこの『大日本史』が、参考文献になったのをあまり見た記憶が無いですが。
TV版の街道や宿場はどう見ても江戸時代後半以降のものだね。
水戸黄門は旅物だけど、基本的に移動中の街道とか人気の無い荒野をゆくシーンなどごく僅か、宿場町に入る所から始まって、物語は全部街の中で展開して終わる、次回は一瞬で次の街にワープする、個人的には昔の旅で一番大変なことは「渡河」だと思う、徒歩や自転車で長距離旅行をした人なら解るはず、
広重の浮世絵で馬に荷物を積んだ飛脚の姿が描かれている。江戸時代にはいまのトラベラーチェックもあったのは面白いね!
徳川光圀が中納言と言われればものすごい権力者のイメージがあるが、かつては藤原定家も権中納言で黄門と呼ばれていたのだから官位というのは不思議なものだ。
マァ、中納言と言えば、従三位の位を持つ立派の公卿ですからね!それに中納言は、今でいえば内閣の各国務大臣ですからね!これら閣僚クラスの定員は21名だったと言われています。現在の内閣も、国務大臣と閣僚の合計は大体21名位です。
>ものすごい権力者のイメージが権力というより権威でしょうね。
お疲れ様です。いつもいつも楽しみにしてます。😊ありがとサンキュー😉👍️🎶サンキューありがとうございます。m(._.)m
初期の頃は単純に名乗るだけで印籠を見せていませんでしたね。印籠を見せて名乗ったら評判が良かったので毎回印籠を出すようになりました。
印籠は薬入れ。水戸の博物館に本物があるらしい。葵の模様の線が細い
基本は京都の撮影所なんだろうけど、全国を旅しているという設定なので各地でロケもしていただろうと思います。今ではCGでごまかすこともできますが当時はそういうのも無く、いかに現在の設備が映らないようにするか撮影にも苦労していただろうなと思います。
飛脚の件は凄く為になりました
ドラマではうっかり八兵衛がご老公に軽口をたたいたり、陰で糞ジジイ呼ばわりしたのがご老公に耳に入ってしまうシーンがありましたが、現実にはさすがに町人が身分の高いお武家様にそのような態度を取るなどあり得なかったのでしょうね。
ドラマ初期では 八兵衛や弥七は 武士である老公佐さん格さんと同席はしませんでした 室内でも 廊下や庭から上がる事は無かったですね 佐さんは情け深く 八兵衛を自らの家来として扱っていて 同じものを食べたり飲んだりする描写がありましたね 格さんとはその様な事の描写は無かったと思います ちなみに弥七と八兵衛は江戸市民たる町人ではなく 士農工商の外の 身分無しのいわゆる賎民の位置です
風車の弥七は実在して墓もあるが、古着屋だったという。
長旅の道中で休憩するきっかけを作ってくれたり、食事や団子を出されたら真っ先に食らいつく姿を見てからご隠居も食べ始める、毒味役だから八兵衛は重宝されてるんですよね。
八兵衛は弥七の舎弟だから許されるのです。助さんも格さんも御隠居の悪口言って結構叱られてましたよ😄
遠野英二郎は、うちの爺さんに似ていたので、水戸黄門見ながら爺さん見ている様でした😅
むかし、「桃太郎侍」を見ていたら、桃さんが旅先で「桃から産まれた桃太郎」と悪人を成敗してました。旅先にも般若のお面、着物も持って行くんだ、と子供ながらに感心しました😄
桃太郎侍が般若の面で現れると、「こっちが鬼なのでは?」と誤解されそうですね。かと言って、桃太郎の面では、洒落にもなりませんねぇ。
実際の水戸黄門(徳川光圀)は一番の遠出は鎌倉だったとのこと
栃木県まで行って古墳発掘したり、馬頭町は水戸藩領内だったので帰りは那珂川を川下りした記録がある
佐川急便が以前使っていた飛脚のマークは合ってるんだ。
私も水戸黄門のドラマが大好きで、再放送をよく見ています。ストーリーの単純性と勧善懲悪なところが日本人に受け入れられる要因なのだと思います。ところで、いつも気になるのが「うっかり八兵衛」さんです。黄門様の旅の一行に加わるのですから、かなり身分の高い方だと思うのですが、食いしん坊なだけで特に役に立っているように思えません。あの方は一体何者なのでしょうか。ご存じの方いらっしゃいましたら、ぜひ教えていただけないでしょうか。
うっかり八兵衛でwiki参照
うっかり八兵衛はもともとはスリ(泥棒)、確か第2部だったかな?(間違っていたらすみません)助さんの懐を狙って失敗して助さんに捕まったけど八兵衛が勝手に風車の弥七を親分と慕っていて(当時弥七は八兵衛の事はなんとも思ってなかったようだけど)その縁で黄門様一行に参加することになりました。あと八兵衛の特技は名産の食べ物の知識以外に足がとても速かったみたいです。w
水戸黄門の基本設定で気になっていたのが「印籠は本当に身分証明書になるのか」と言う点。印籠とは要するに薬入れですから、いくら三つ葉葵のマーク入りとは言えそんなもので本当に身分を証明できるものなのかと。
家紋を見せればいいわけで、刀のつかや羽織にも家紋が入っていることがある。武田信玄とされてきた太った有名な肖像画に、刀に小さく他家の家紋が描かれてていたので他人の肖像画(の可能性大)と判明した例もあるね
本作でも印籠以外に紋が入ってるのをお侍が気づくシーンがあったはず
そこなんですよね。そもそも本当に「三つ葉葵のマーク」が身分証明書代わりになったのかと。
@@final-bento 更に時代が下ると、「ニセモノ」扱いして暗殺しようとしてるからなwww
葵の御紋を許しも無く使うと重罪になる。葵の御紋入りの印籠を下賜されたのでない限り持ってるだけで重罪。偽黄門の話も有ったが御免で済むことではなく本来極刑。
光圀公は、五代将軍徳川綱吉の生類憐みの令に反して、将軍に犬の毛皮を送ったとかそんな反骨精神が、庶民の喝采を受けたのかも数々の水戸黄門シリーズで、東野英治郎さんがいちばん好きです
そんな命知らずなことが平気で出来たのも家康公に従って戦場を駆け回り、幕府成立の一員として働いたからだろう。生きる伝説として皆の敬意を受けていた。実際三代目以降はいくさを知らない将軍だし。実際、どこの家中でもいくさを経験した長老は敬愛され、若者が話を聞きに集まったそうだし。
杉良太郎の助さん、やんちゃで短気さがしっかり表現できてるただ1人の演者横内正の角さん、大人しくて力持ちで奥さん思い二人のバランスが絶妙でした
東野英治郎さん、はまり役でしたね。うちのばあちゃんがよく見ていました。
茶坊主とか坊主衆って具体的にどんな人達なのか知りたいのでぜひ動画作ってください。よろしくお願いします
水戸黄門様が七人も居たのと、当時の人が長旅の割に手ぶらなのは時代考証的には正しいのは勉強になりました😊
水戸黄門様が七人居たというのは、昔、「トリビアの泉」というフジテレビの番組で取り上げられてましたね。
毎回毎回、「もう少し様子を見ましょう」といっている間にどんどん状況が悪くなっていく。
ビートたけし もネタにしてました
由美かおるさんの入浴の事で頭がいっぱいです。
宿屋での浴衣レンタルは、幕末になってからか‥‥。割と最近なのね‥‥。
佐々助三郎は佐々成政の姉の系統で武士というより文官として使えた人安積は代々水戸の武士だがやはり文官として活躍した人らしいね
時々、角さん、又は助さんが為替で旅費を補充(得る為)に行ってい場面が描かれているので旅費(費用)は天下の水戸徳川藩のご威光により調達していたのでは?因みに、史実では光國さまは諸国行脚はしていません
軽装で旅をできるシステムが江戸時代にはあったのですね。凄いなー('ω')th-cam.com/video/_db-K9kSVjw/w-d-xo.htmlこんなことを旅の先々でやってたのかと思ってました('ω')
飛脚が郵便、宅配便、だけでなく銀行の業務もしていたのですね、ご一行の荷物を先に宿屋に行き予約をして行く又次の宿屋に行くを繰り返しが江戸時代の旅だった様ですね一日平均30キロ歩いたらしいですから結構な体力ですね、車や電車、飛行機が無くても楽しい旅が安全に出来た様ですね
歴代水戸黄門の旅先で同じ顔をした悪代官(多分故川合伸旺氏)が頻繁に出てくる謎の究明も期待したいw
リアルな時代背景を知ると萎えちゃうけど😅東野さんが最高だった、創作ドラマだけど子供の頃再放送だけど楽しみにみてた、最後の頃の照明が明るすぎるブタ黄門様は見る気にもならなかったけど...
私は世代的に大友柳太朗さん主演が初見でしたねぇ、東野英治郎さんのは母親が視てました。
大友柳太朗さんが水戸黄門を演じた事があるのですか?私は大友柳太朗さんが大好きです。東野黄門様のシリーズにも度々ゲスト出演してましたね。
私も気になって調べたのですが、大友さんが水戸黄門を演じられた記録は見つかりませんでした。映画やドラマに他の役では多く出演はされています。もし、私の誤りならば失礼致しました。また、舞台での事までも、わかりませんので、そちらで演じられたなら、又、申し訳ありません。お母様が東野版を観ておられて、初見が・・・と云う事なら、もしかして里見浩太朗さんではないでしょうか?
月形龍之介さんが、水戸黄門役をよく演じられていましたね。それと、助さん、かく
@@kuu-chan それ、月形龍之介さんか長谷川一夫さんあたりを大友柳太朗さんと見間違えてるかもです。
大友柳太郎さんで水戸黄門と言うと、水戸の国家老(山野辺兵庫)役かな。
水戸黄門は実在の人物を元にしたテレビドラマであり、単なる娯楽だから時代考証云々と言った難しい話はしなくても良いと思う。もちろん興味ある人もいるので、このようなyoutubeなど、マイナーな動画アップするのは良いと思う。
遠くに電柱が映っていたとか、道にコカ・コーラの缶が捨ててあったとか、都市伝説に事欠かない(笑)
時代劇に電線映っていた。松の木がたくさん生えている上にほぼ水平な黒い線。
雑多な準備は全て隠れお付きの共らが手配してありますよ😊
旅費はちゃんとあるのかな🤔?徳川光圀公一行!食事代、宿代もかなりの額のはずです。
助さんのご子孫が初代内閣危機管理監の佐々淳行。
北海道は水戸黄門ヘビーローテーション放送してるが石坂浩二バージョンは再放送しないw
何か別の記事で、光圀が若い頃『辻斬り』をしていたとありました。
旗本奴と知り合い、誘われて江戸市中に御忍びで遊び歩きした際に旗本奴が浮浪者を辻斬りしてみようと光国をさそい、本気で切ろうとしたので、(浮浪者を助ける為に)光国が咄嗟に先に切りつけ、峰打したと言うエピソードが有ったとか、、、、。それが光国辻斬りエピソードだとなんかの本で読んだ。
辻斬りは、光圀自身が回顧して語った話。寺の床下にいる浮浪者を引きずり出して、前世に悪いことをした報いだと言い訳付けて殺害。自慢話みたいに語られている。のを他の人(助さん?)が聞いて書き残している。あと、緊縮引き締め財政を始めた家老を晩年に刺殺している。
@@千田尚 お返事ありがとうございます。
@@千田尚 お返事ありがとうございます。しかし、『忠臣蔵』のような脚色話の可能性は?
風車の弥七が出ていないのが残念。
江戸時代ファンタジー小説
初期は印籠はなかったんやこどな
今の日本に必要な政治家は黄門様のような人...いねえよな!
光圀公の若い頃は、戦国の荒っぽい気風が残っていて、彼もかぶき者としてグレていた。水戸黄門を筆頭に、遠山の金さん、暴れん坊将軍など、時代劇の主人公は幼少期の複雑な生い立ちから、少年期・青年期にグレていた奴が多い。
光圀は水戸藩の始祖(実際は別の殿だが早死)みたいな扱いをされて、過大に英雄化されてしまった
テレビシリーズの一つで岡山では八兵衛がいたのに次の回では一切出て来なく全員、八兵衛の事を口にせずその次の回にはいた。何してたんだ八兵衛。
キュウリの種の配列が葵の御紋に似てるから食べるのは恐れ多いとか?(これは自信ない)印籠は薬を入れるケース。水戸光圀は日本で初めてラーメンくった。1番遠出したのは神奈川県鎌倉市。
黄門様一行は無人の寺等等での野宿も度々ですが当時の旅人は野宿は当たり前だったのでしょうか?
由美かおるさんが演じたのはくノ一ですが、主人の光圀の命で動くこともある。光圀は 、中納言。尾張・紀州ではどうしたのか気になる
さすがに、風車の弥七・うっかり八兵衛についての考察は語られないですね………🤣
風車の弥七は確かモデルになった人物がいたはず。
@@straker1701松之草小八兵衛と言う人物で、元は水戸藩内を騒がせていた忍び崩れの盗賊だそうです。水戸藩の目付に捕らえられて、処刑される所を小八兵衛の隠密の腕を惜しんだ光國公が処刑を差し止め、身柄を預かるという形で釈放されました。以降、小八兵衛は光國公の護衛兼横廻り目付の長官として水戸藩に使える様になったそうです。ドラマでは小八兵衛の人物像が弥七に、名前が八兵衛にモデルとして使われている感じですね。又、八兵衛がご老公一行に加わる迄の経緯も小八兵衛のものをモデルにしていそうです。(光國公の居室に忍び込むが、お得意のうっかり炸裂で捕らえられる。しかも、そこには、曽てのボスだった弥七も居合わせる。メンツを潰された弥七に懲らしめられた後、彼の執りなしで西山荘の雑用係として雇われ、ご老公一行の旅路にも同行するようになる)
弥七は盗っ人のち古着屋を家業としたが、水戸黄門はこういう人が好きなタイプだったらしい。頭の良い不良?というか。
「光圀が生まれた時、藩主から堕胎を命じられた」とあるので、もしかすると「水戸黄門」は世に出なかったかも知れませんね。また、「光圀公とは呼ばない」とありますが、ではなんと呼ばれていたのでしょうか。
まぁ、官位については「判官は義経に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」といって、官位が知名度の高い人のあだ名みたいになってるパターン多いからね。つまり黄門は光圀に奪われた。ちなみに自分は判官というと佐々木道誉を思い出すのは、大河ドラマ太平記の陣内孝則の怪演のせいやね。
庶民は宿に泊まっても風呂は近所の銭湯にってヤケに合理的と言うかw
江戸時代は、みんなワープ出来たのだぞ。
時代劇は大体そんな物だだから良いのだ?水戸さんは地方に出向いたこと一度も無し、
サボる(フランス語のサボタージュが元)っていうセリフがあった回があるらしいが何代目のの何の回なのか分からない
裏でナショナルが😊すべてバックアップ
大好きな「八兵衛」への言及が無いのが残念。ま、それは置いておいて・・「水戸黄門諸国漫遊」は「松尾芭蕉」のそれにに重ねた物語・・と唱える人もいる。同時代に生きた偉人であり、TVドラマの中でも黄門様が「芭蕉殿」と声をかけたシーンがあった。
御三家でも水戸は将軍に成れない格式なので、代わりに参勤交代が無く、公儀に意見を言えた。と習いましたが。
最終回だったのかなぁ?、将来/未来の平和な世の中を夢見るシーンで、国鉄の特急電車モハ151系走行のシーンがあった記憶がある。
創作だから楽しければ有りでは。
ぶっちゃけ、水戸の副将軍様は、水戸と江戸の間を行き来しただけで、全国行脚なんぞ、していなかった。ただ、全国行脚していると云う噂を流して、各地の藩の引き締めをしていたらしい。😅
画面に映らないように後ろから荷物担ぎがいる。
荷物持ちは実際は必要で居ただろうね。家臣でなく単なる雇い人。桜田門外の変では、大名行列を襲撃時に逃げ出したのもいたが、荷物持ちの臨時雇いの人は逃げても無罪。逃げた家臣は切腹になった。
やぼを言っちゃあおしめえよ☺️
お前が野暮なんだよ。
史実の光圀公といえば、無理な高直しや七公三民という重税、若い頃は辻斬りを行っていたということを聞いたことがあります。どこまで事実なのかはわかりません🤔
天皇も 被災地に行くときは 手ぶらです。
そりゃー1時間以内に事件を解決する必要があるから身軽でないとね
黄門様は諸国漫遊はしていない?と言われていますが、、松尾芭蕉が全国を巡り譜を読んでいたが、この旅かなり裕福な旅だったと言われている?バックに大物スポンサーがついていたのではないか。との説が唱えられている。そのスポンサーこそ黄門様だったと!有力な説としては助けさん、格さんを旅させて諸国の様子を調べ伝え聞いて本にまとめたと言われています。
今風に言うと、助さんは全国を回る記者で格さんは編集者ですね。
助さんは薩摩(鹿児島)まで旅してますね
水戸黄門は決して単純な物語ではなく、悪党側の狡猾な法の逃げ道を利用した私腹の肥やし方とその証拠を掴む御老公一行の情報戦とかが非常に複雑に出来てる物語なんだけどね
銭湯は混浴
逃れ者おりんみたいにまったく時代考証を無視してなんとなく時代劇にみえるようなほうが面白いですねえ。
金あるから水筒と薬あれば宿場泊まるから手ぶらじゃ🎉
由美かおる専用風呂
水戸領内を回っただけが真実なのでお銀さんの入浴も無かった残念😂
荷物?四次元ポケットに入れてるんでしょ?
風車の弥七も゙実在の人物
越後のちりめん問屋のご隠居は 健在なら 新潟県のアパレル関係の問屋さんの会長でしょうな ハッハハハ・・・
ちりめんじゃこ(しらす干し)の問屋と勘違いしてる視聴者多数・・・
そもそも嘘しか無いドラマ
ツッコミ所満載の「水戸黄門」ですが、あのゆるゆるの時代考証がいいんですよね😆
と言うよりは「時代考証した上であえて無視」と言うべきかも。
八兵衛「この店サービスいいすね!ご隠居!」
いや、たしかにどこかで言ってたぞ(* >ω
設定をリアルにすればするほどドラマは面白くなくなる。
東野英治郎の「水戸黄門」にも格さんが「御隠居、国許より金子が届いていると思いますので取りに行ってまいります」、風車の弥七に「助さんは国許よりのお金を取りにってるところだ」というシーンが都度都度ありましたね。
大変 為になりました。本当に役に立つ話です 有難うございました
私は石坂浩二の水戸黄門が一番好きだった。
史実では綱吉とは対立してたハズだけど石坂さんはリアルだった気がする。
助さんはエリートで格さんは一段下な感じも新鮮だった。
確か印籠出すのをやめたかったらしく、腰につけてる際にきずかれるみたいな感じだったが
定番の印籠出す、ヒゲ、になって行ったんですよね。
確か、石坂黄門が、病気療養中に伸びたヒゲを「残してみるか」とそのままにしたという記憶が。
史実でも助さんが上司だったので、リアル黄門の配慮だったと思います。他のシリーズでは、格さんが年長のような扱いだったのは何故なのか気になりますね。現在だと「助」という名が「助平」を連想させてプレイボーイ的イメージになるからでしょうか?
今回も興味深いお話です、
ありがとうございました❣
確か、「弥七」のモデルになった忍者もいましたわね。名前は「八郎兵衛」と言ったはずね。「八兵衛」さんの名前に似ています。
この「水戸黄門」ですが、一度だけ、学生時代にエキストラのアルバイトをやったことがあります。朝6時に撮影場所に行ったのですが、すでに俳優さんたちは撮影中でした。夕方のシーンを早朝に撮影しているのですね~。それで私たちは土下座のシーンを日の入り前後に撮影して、それを後からフィルムを切って繋げているのですね~。
@@ジャコビ-v6u 茨城県と栃木県の県境近くにそのモデルになったという人(夫婦)の墓があります。そこでの名前は小八兵衛!うっかり八兵衛のモデルでもあるのか?!
一応、あくまでも地元の言い伝えレベルで証拠になる古文書等も無い話ですが、その忍者が活躍した話もあるらしいですよ。
水戸黄門、大岡越前、遠山の金さん世界中探しても日本だけのヒーローです。
支配者や役人がヒーローにはなれない極悪の存在でしかない。日本は平和でしたね。
まあやってることは江戸時代とそれほど変わらないからねえ。越後屋と悪代官の関係は今も続いていますし。おぬしも悪よのう!
光圀といえば、辻斬りと重税とラーメンのイメージ😊
自分もそのイメージw
中学生の時に水戸黄門が権力を乱用して民百姓をイビるパロディ演劇を林間学園の余興でやったらウケてしまったのだが、大人になってから辻斬りの話を知るに至り、パロディでないことに気付いたw
確か水戸黄門ドラマ内でも、お金が無くなりそうなときは為替的な話があったように記憶してます。
それにしても飛脚ってすごいですね。彼らのトレーニング法を復活出来たら、陸上競技総なめかも。
なんば走り
初代の御老公様は、悪を懲らしめたあと次の旅に出ようとすると
御老公様を歓迎しようと追い掛けて来る役人がやって来て
「こりゃいかん!、助さん格さん逃げますぞ!!」と言って逃げるシーンがあったのを覚えてますw
ちょっと一休みしようとして、そこにあった米俵に腰掛けたら
それまで優しかったお婆さんが豹変して「米になんてことするだ!」と御老公に殴りかかるシーンもw
その黄門様が米俵に腰掛けて怒られるのは、途中から若い娘さんに替わりましたね😊
かつては森昌子さんや堀ちえみさんがその米俵に腰掛けた黄門様を叱る役を演じてました(笑)
「黄門様を叱った娘」ってサブタイトルで…(^-^;😅
荷物も銭も送れる信頼性の高さと治安の良さにびっくり。先進国の社会インフラ。😀
TV「水戸黄門」が1話完結なのは、視聴者に高齢者が多く、「来週に続く」にすると「見ている自分が来週生きているかどうかわからないからやめてほしい」との要望があったからとか。
貴重な知見をありがとうございます。最近、東野さんの再放送を視て旅装の身軽さから「ふんどしと手ぬぐいくらいしか持たないのかなぁ」と思っていたところです。これで分かりました。
助さんの戦国時代の先祖はアルプス越えして越中から駿府まで援軍要請に来たんだよな。
なんだかんだ言っても、水戸黄門って一番有名な時代劇だと思う。
うちの親父が水戸黄門が大好きでよく観ていました。個人的には西村晃氏の黄門様が印象的でした。
あと、ファミコンソフトの水戸黄門を友達が持っていました。そのファミコンソフトのパッケージに西村晃氏の推薦の言葉が書いていました。
2代目黄門の西村さんは、初代にくらべて一気に若返ったことから、シティーボーイ黄門と呼ばれていましたね。
自分61で、子供の頃から水戸黄門見てましたが西村黄門がやはり1番好きでした、若返ったしキレも良くて良かったです😅
西村晃さんが一番凛として上品だったと思います。
登録者数一万人超えおめでとうございます🎉
いつも楽しく見ています
江戸時代…テレビ等のイメージが強くて、意外な事ばかりです
このチャンネルがもっともっとたくさんの人達に見てもらえますように
ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
中納言になったのは、晩年だったんですね。
ドラマでは最初のころは「先の中納言」と言ってましたが、後は
「先の副将軍」になりましたね。副将軍なんて無いんですけどね。
副将軍は水戸藩の自称じゃなかったかな。あと、水戸藩主は江戸に常に留まって将軍の補佐をする立ち回りなので、俗称としても副将軍と言われたらしい。
まぁあくまで非公式なもの
@@TheHaimaniそうですね!それと、現将軍が逝去し、その公認の将軍が決まるまで将軍職を代行する決まりですから、御三家の内で尾張や紀州藩主のように将軍職に付くことが無かったですよね。
「先」ではなく、「前」ですね。「前」を「さき」と読んでます。青森県弘前市の「前」はさきと読みますね。
そうなんですよねぇ、副将軍の役職は存在してませんでした。
解説の通り水戸黄門の黄門は中国では中納言だったので印籠を出す決め台詞が格さん「こちらにおわすは恐れ多くも前の中納言水戸光國公なるぞ」助さん「悪大官の名、御老公の御前であるぞ、頭が高い!!」等が第1部~第5部の終盤まで「前の中納言」がほとんどでもちろん「前の副将軍」の決め台詞も第3部辺り~第5部の終盤以降はありました。 本来の格さんのセリフなら「こちらにおわすお方を何方と心得る、恐れ多くも前の中納言水戸光國にあらせられるぞ。」が正解なんです。
しかし第6部からが一部の「前の副将軍」と決め台詞が決まったのです。 第6部から徐々に決め台詞も固定し2代目の格さん大和田伸也さんが格さんの決め台詞が「え~い静まれ、静まれ、この紋所が目に入らんか。」「こちらにおわすお方を何方と心得る、恐れ多くも前の副将軍水戸光國公にあらせられるぞ。」が決まり助さんの決め台詞は2代目黄門さんの西村晃さんの第14部にて「一同、御老公の御前である、頭が高い控おろう」が決まったのです、この時の助さんはまだ里見浩太朗さんでした。
おそらく「前の中納言」のセリフだとドラマでは馴染め辛かったのでしょう、私はそう思います。
実は私28歳なんですが子供時代の時の水戸黄門の再放送で初代の水戸黄門の東野英治郎さん時代の水戸黄門が好きでした。
とてつもない長文になりましたがBS-TBSで今でも見てます、現在水戸黄門第10部の中盤です。
古の水戸黄門の映画では、仕込杖で水戸黄門も剣の腕をふるったそうです。
だってあのメンバーで一番強いんだもの
死屍累々の中、旅立ったシーンがあった気がする。遥か昔の記憶だが。
ドラマはストーリーを進める為、原作者スタッフはあり得ないと思っても、おかしな江戸時代を演出したんだろう。でも、第一部から見返すと江戸武家の精神の高尚さに感慨深いものを感じます。
【着替え】
軽装で旅ができた理由の一つに賃貸しや古着の流通も寄与していたと聞きます。
下帯も賃貸しされていたようですし、旅の途中では借りたものを返すことはできないので、着ているものを売って古着を買って旅を続けるのです。古着屋では買い取ったものを洗って次の客へ売れば良いのです。
武家は知りませんが 着物は着たきりスズメですよ。
酷くなれば 宿場の古着屋で買っていました。
反対に地方から江戸に入る場合は 街道の最後の宿場 例えば 千住宿や品川宿などには 古着屋がいくつもあって そこで 身綺麗して江戸に入ります。
旅人とは違いますが 江戸でだって 町人は貧しいですから やはり着たきりスズメですね。
真冬だってタビを履くなんて お金のある人だけです。
伊達政宗も中納言なので『伊達黄門』だと瑞巌寺のガイドさんが言ってました(笑)
飛脚ネットワークすごいな
それな。これに限らず江戸時代の商業システムの完成度の高さは驚くばかり
@@TheHaimani先物取引きやローソク足など現代の経済の原型を発明しましたからね。
現在の科学力と当時の科学力を比較すれば、桁違いに当時の方が優れたシステムを構築していた。
飛脚、当時の世界でも最先端の通信網ですね。
各地の詰所に対するネットワークの飛脚。
今の宅配システムみたいなものかと。
裏街道や番所を閉じた夜間でなければ五街道は比較的に安全な交通手段だったのではないでしょうか。どちらかと言うと街道筋で宿場がいかに金落とさせるか客引きの方が多かったイメージ
草津宿本陣(滋賀県)が近い所に住んでいる。ドラマで草津が舞台になったときは妙にうれしかったことを覚えている。現在残っているのは宿本陣のみだが、黄門一行が泊まった旅籠のモデルの建物が残っていないのが残念。
本当の水戸黄門についてのドラマをいつかこしらえてほしいですね。若い頃の破天荒な振る舞いや藩主時代の有り様、引退後の大日本史を研究されるなかでの黄門さまの生き様なりを忠実に再現したドラマが見てみたいものです。
大河ドラマ水戸黄門 でいいよね。創作をかなりしそうだが。
徳川光圀は、諸国漫遊はいていませんが、『大日本史』編纂のため、諸藩に使いを出して情報を集めました。しかし、歴史番組、書籍でもこの『大日本史』が、参考文献になったのをあまり見た記憶が無いですが。
TV版の街道や宿場はどう見ても江戸時代後半以降のものだね。
水戸黄門は旅物だけど、基本的に移動中の街道とか人気の無い荒野をゆくシーンなどごく僅か、宿場町に入る所から始まって、物語は全部街の中で展開して終わる、次回は一瞬で次の街にワープする、個人的には昔の旅で一番大変なことは「渡河」だと思う、徒歩や自転車で長距離旅行をした人なら解るはず、
広重の浮世絵で馬に荷物を積んだ飛脚の姿が描かれている。江戸時代にはいまのトラベラーチェックもあったのは面白いね!
徳川光圀が中納言と言われればものすごい権力者のイメージがあるが、かつては藤原定家も権中納言で黄門と呼ばれていたのだから官位というのは不思議なものだ。
マァ、中納言と言えば、従三位の位を持つ立派の公卿ですからね!それに中納言は、今でいえば内閣の各国務大臣ですからね!これら閣僚クラスの定員は21名だったと言われています。
現在の内閣も、国務大臣と閣僚の合計は大体21名位です。
>ものすごい権力者のイメージが
権力というより権威でしょうね。
お疲れ様です。
いつもいつも楽しみにしてます。😊
ありがとサンキュー😉👍️🎶
サンキューありがとうございます。
m(._.)m
初期の頃は単純に名乗るだけで印籠を見せていませんでしたね。印籠を見せて名乗ったら評判が良かったので毎回印籠を出すようになりました。
印籠は薬入れ。水戸の博物館に本物があるらしい。葵の模様の線が細い
基本は京都の撮影所なんだろうけど、全国を旅しているという設定なので各地でロケもしていただろうと思います。
今ではCGでごまかすこともできますが当時はそういうのも無く、いかに現在の設備が映らないようにするか撮影にも苦労していただろうなと思います。
飛脚の件は凄く為になりました
ドラマではうっかり八兵衛がご老公に軽口をたたいたり、陰で糞ジジイ呼ばわりしたのがご老公に耳に入ってしまうシーンがありましたが、現実にはさすがに町人が身分の高いお武家様にそのような態度を取るなどあり得なかったのでしょうね。
ドラマ初期では 八兵衛や弥七は 武士である老公佐さん格さんと同席はしませんでした 室内でも 廊下や庭から上がる事は無かったですね 佐さんは
情け深く 八兵衛を自らの家来として扱っていて 同じものを食べたり飲んだりする描写がありましたね 格さんとはその様な事の描写は無かったと思います ちなみに弥七と八兵衛は江戸市民たる町人ではなく 士農工商の外の 身分無しのいわゆる賎民の位置です
風車の弥七は実在して墓もあるが、古着屋だったという。
長旅の道中で休憩するきっかけを作ってくれたり、食事や団子を出されたら真っ先に食らいつく姿を見てからご隠居も食べ始める、毒味役だから八兵衛は重宝されてるんですよね。
八兵衛は弥七の舎弟だから許されるのです。助さんも格さんも御隠居の悪口言って結構叱られてましたよ😄
遠野英二郎は、うちの爺さんに似ていたので、水戸黄門見ながら爺さん見ている様でした😅
むかし、「桃太郎侍」を見ていたら、桃さんが旅先で「桃から産まれた桃太郎」と悪人を成敗してました。旅先にも般若のお面、着物も持って行くんだ、と子供ながらに感心しました😄
桃太郎侍が般若の面で現れると、「こっちが鬼なのでは?」と誤解されそうですね。かと言って、桃太郎の面では、洒落にもなりませんねぇ。
実際の水戸黄門(徳川光圀)は
一番の遠出は鎌倉だったとのこと
栃木県まで行って古墳発掘したり、馬頭町は水戸藩領内だったので帰りは那珂川を川下りした記録がある
佐川急便が以前使っていた飛脚のマークは合ってるんだ。
私も水戸黄門のドラマが大好きで、再放送をよく見ています。ストーリーの単純性と勧善懲悪なところが日本人に受け入れられる要因なのだと思います。
ところで、いつも気になるのが「うっかり八兵衛」さんです。黄門様の旅の一行に加わるのですから、かなり身分の高い方だと思うのですが、食いしん坊なだけで特に役に立っているように思えません。あの方は一体何者なのでしょうか。
ご存じの方いらっしゃいましたら、ぜひ教えていただけないでしょうか。
うっかり八兵衛でwiki参照
うっかり八兵衛はもともとはスリ(泥棒)、確か第2部だったかな?(間違っていたらすみません)助さんの懐を狙って失敗して助さんに捕まったけど
八兵衛が勝手に風車の弥七を親分と慕っていて(当時弥七は八兵衛の事はなんとも思ってなかったようだけど)
その縁で黄門様一行に参加することになりました。
あと八兵衛の特技は名産の食べ物の知識以外に足がとても速かったみたいです。w
水戸黄門の基本設定で気になっていたのが「印籠は本当に身分証明書になるのか」と言う点。印籠とは要するに薬入れですから、いくら三つ葉葵のマーク入りとは言えそんなもので本当に身分を証明できるものなのかと。
家紋を見せればいいわけで、刀のつかや羽織にも家紋が入っていることがある。武田信玄とされてきた太った有名な肖像画に、刀に小さく他家の家紋が描かれてていたので他人の肖像画(の可能性大)と判明した例もあるね
本作でも印籠以外に紋が入ってるのをお侍が気づくシーンがあったはず
そこなんですよね。そもそも本当に「三つ葉葵のマーク」が身分証明書代わりになったのかと。
@@final-bento 更に時代が下ると、「ニセモノ」扱いして暗殺しようとしてるからなwww
葵の御紋を許しも無く使うと重罪になる。葵の御紋入りの印籠を下賜されたのでない限り持ってるだけで重罪。偽黄門の話も有ったが御免で済むことではなく本来極刑。
光圀公は、五代将軍徳川綱吉の生類憐みの令に反して、将軍に犬の毛皮を送ったとか
そんな反骨精神が、庶民の喝采を受けたのかも
数々の水戸黄門シリーズで、東野英治郎さんがいちばん好きです
そんな命知らずなことが平気で出来たのも
家康公に従って戦場を駆け回り、幕府成立の
一員として働いたからだろう。
生きる伝説として皆の敬意を受けていた。
実際三代目以降はいくさを知らない将軍だし。
実際、どこの家中でもいくさを経験した長老は
敬愛され、若者が話を聞きに集まったそうだし。
杉良太郎の助さん、やんちゃで短気さがしっかり表現できてるただ1人の演者
横内正の角さん、大人しくて力持ちで奥さん思い
二人のバランスが絶妙でした
東野英治郎さん、はまり役でしたね。うちのばあちゃんがよく見ていました。
茶坊主とか坊主衆って具体的にどんな人達なのか知りたいのでぜひ動画作ってください。よろしくお願いします
水戸黄門様が七人も居たのと、当時の人が長旅の割に手ぶらなのは時代考証的には正しいのは勉強になりました😊
水戸黄門様が七人居たというのは、昔、「トリビアの泉」というフジテレビの番組で取り上げられてましたね。
毎回毎回、「もう少し様子を見ましょう」といっている間にどんどん状況が悪くなっていく。
ビートたけし もネタにしてました
由美かおるさんの入浴の事で頭がいっぱいです。
宿屋での浴衣レンタルは、幕末になってからか‥‥。割と最近なのね‥‥。
佐々助三郎は佐々成政の姉の系統で武士というより文官として使えた人安積は代々水戸の武士だがやはり文官として活躍した人らしいね
時々、
角さん、又は
助さんが
為替で旅費を補充(得る為)に行ってい場面
が描かれているので
旅費(費用)は天下の水戸徳川藩のご威光により調達していたのでは?
因みに、史実では
光國さまは諸国行脚はしていません
軽装で旅をできるシステムが江戸時代にはあったのですね。凄いなー('ω')
th-cam.com/video/_db-K9kSVjw/w-d-xo.html
こんなことを旅の先々でやってたのかと思ってました('ω')
飛脚が郵便、宅配便、だけでなく銀行の業務もしていたのですね、ご一行の荷物を先に宿屋に行き予約をして行く又次の宿屋に行くを繰り返しが江戸時代の旅だった様ですね一日平均30キロ歩いたらしいですから結構な体力ですね、車や電車、飛行機が無くても楽しい旅が安全に出来た様ですね
歴代水戸黄門の旅先で同じ顔をした悪代官(多分故川合伸旺氏)が頻繁に出てくる謎の究明も期待したいw
リアルな時代背景を知ると萎えちゃうけど😅東野さんが最高だった、創作ドラマだけど子供の頃再放送だけど楽しみにみてた、最後の頃の照明が明るすぎるブタ黄門様は見る気にもならなかったけど...
私は世代的に大友柳太朗さん主演が初見でしたねぇ、
東野英治郎さんのは母親が視てました。
大友柳太朗さんが水戸黄門を演じた事があるのですか?
私は大友柳太朗さんが大好きです。東野黄門様のシリーズにも度々ゲスト出演してましたね。
私も気になって調べたのですが、大友さんが水戸黄門を演じられた記録は見つかりませんでした。映画やドラマに他の役では多く出演はされています。もし、私の誤りならば失礼致しました。また、舞台での事までも、わかりませんので、そちらで演じられたなら、又、申し訳ありません。お母様が東野版を観ておられて、初見が・・・と云う事なら、もしかして里見浩太朗さんではないでしょうか?
月形龍之介さんが、水戸黄門役をよく演じられていましたね。それと、助さん、かく
@@kuu-chan それ、月形龍之介さんか長谷川一夫さんあたりを大友柳太朗さんと見間違えてるかもです。
大友柳太郎さんで水戸黄門と言うと、水戸の国家老(山野辺兵庫)役かな。
水戸黄門は実在の人物を元にしたテレビドラマであり、単なる娯楽だから時代考証云々と言った難しい話はしなくても良いと思う。もちろん興味ある人もいるので、このようなyoutubeなど、マイナーな動画アップするのは良いと思う。
遠くに電柱が映っていたとか、道にコカ・コーラの缶が捨ててあったとか、都市伝説に事欠かない(笑)
時代劇に電線映っていた。
松の木がたくさん生えている上にほぼ水平な黒い線。
雑多な準備は全て隠れお付きの共らが手配してありますよ😊
旅費はちゃんとあるのかな🤔?徳川光圀公一行!食事代、宿代もかなりの額のはずです。
助さんのご子孫が初代内閣危機管理監の佐々淳行。
北海道は水戸黄門ヘビーローテーション放送してるが
石坂浩二バージョンは再放送しないw
何か別の記事で、光圀が若い頃『辻斬り』をしていたとありました。
旗本奴と知り合い、誘われて江戸市中に御忍びで遊び歩きした際に旗本奴が浮浪者を辻斬りしてみようと光国をさそい、本気で切ろうとしたので、(浮浪者を助ける為に)光国が咄嗟に先に切りつけ、峰打したと言うエピソードが有ったとか、、、、。
それが光国辻斬りエピソードだとなんかの本で読んだ。
辻斬りは、光圀自身が回顧して語った話。寺の床下にいる浮浪者を引きずり出して、前世に悪いことをした報いだと言い訳付けて殺害。自慢話みたいに語られている。のを他の人(助さん?)が聞いて書き残している。あと、緊縮引き締め財政を始めた家老を晩年に刺殺している。
@@千田尚 お返事ありがとうございます。
@@千田尚 お返事ありがとうございます。しかし、『忠臣蔵』のような脚色話の可能性は?
風車の弥七が出ていないのが残念。
江戸時代ファンタジー小説
初期は印籠はなかったんやこどな
今の日本に必要な政治家は黄門様のような人...いねえよな!
光圀公の若い頃は、戦国の荒っぽい気風が残っていて、彼もかぶき者としてグレていた。
水戸黄門を筆頭に、遠山の金さん、暴れん坊将軍など、時代劇の主人公は幼少期の複雑な生い立ちから、少年期・青年期にグレていた奴が多い。
光圀は水戸藩の始祖(実際は別の殿だが早死)みたいな扱いをされて、過大に英雄化されてしまった
テレビシリーズの一つで岡山では八兵衛がいたのに次の回では一切出て来なく全員、八兵衛の事を口にせずその次の回にはいた。何してたんだ八兵衛。
キュウリの種の配列が葵の御紋に似てるから食べるのは恐れ多いとか?(これは自信ない)
印籠は薬を入れるケース。
水戸光圀は日本で初めてラーメンくった。
1番遠出したのは神奈川県鎌倉市。
黄門様一行は無人の寺等等での野宿も度々ですが当時の旅人は野宿は当たり前だったのでしょうか?
由美かおるさんが演じたのはくノ一ですが、主人の光圀の命で動くこともある。光圀は 、中納言。尾張・紀州ではどうしたのか気になる
さすがに、風車の弥七・うっかり八兵衛についての考察は語られないですね………🤣
風車の弥七は確かモデルになった人物がいたはず。
@@straker1701松之草小八兵衛と言う人物で、元は水戸藩内を騒がせていた忍び崩れの盗賊だそうです。水戸藩の目付に捕らえられて、処刑される所を小八兵衛の隠密の腕を惜しんだ光國公が処刑を差し止め、身柄を預かるという形で釈放されました。以降、小八兵衛は光國公の護衛兼横廻り目付の長官として水戸藩に使える様になったそうです。ドラマでは小八兵衛の人物像が弥七に、名前が八兵衛にモデルとして使われている感じですね。又、八兵衛がご老公一行に加わる迄の経緯も小八兵衛のものをモデルにしていそうです。(光國公の居室に忍び込むが、お得意のうっかり炸裂で捕らえられる。しかも、そこには、曽てのボスだった弥七も居合わせる。メンツを潰された弥七に懲らしめられた後、彼の執りなしで西山荘の雑用係として雇われ、ご老公一行の旅路にも同行するようになる)
弥七は盗っ人のち古着屋を家業としたが、水戸黄門はこういう人が好きなタイプだったらしい。頭の良い不良?というか。
「光圀が生まれた時、藩主から堕胎を命じられた」とあるので、
もしかすると「水戸黄門」は世に出なかったかも知れませんね。
また、「光圀公とは呼ばない」とありますが、ではなんと呼ばれていたのでしょうか。
まぁ、官位については
「判官は義経に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」
といって、官位が知名度の高い人のあだ名みたいになってるパターン多いからね。
つまり黄門は光圀に奪われた。
ちなみに自分は判官というと佐々木道誉を思い出すのは、大河ドラマ太平記の陣内孝則の怪演のせいやね。
庶民は宿に泊まっても風呂は近所の銭湯にってヤケに合理的と言うかw
江戸時代は、みんなワープ出来たのだぞ。
時代劇は大体そんな物だだから良いのだ?水戸さんは地方に出向いたこと一度も無し、
サボる(フランス語のサボタージュが元)っていうセリフがあった回があるらしいが何代目のの何の回なのか分からない
裏でナショナルが😊すべてバックアップ
大好きな「八兵衛」への言及が無いのが残念。ま、それは置いておいて・・「水戸黄門諸国漫遊」は「松尾芭蕉」のそれにに重ねた物語・・と唱える人もいる。同時代に生きた偉人であり、TVドラマの中でも黄門様が「芭蕉殿」と声をかけたシーンがあった。
御三家でも水戸は将軍に成れない格式なので、代わりに参勤交代が無く、公儀に意見を言えた。と習いましたが。
最終回だったのかなぁ?、将来/未来の平和な世の中を夢見るシーンで、国鉄の特急電車モハ151系走行のシーンがあった記憶がある。
創作だから楽しければ有りでは。
ぶっちゃけ、水戸の副将軍様は、水戸と江戸の間を行き来しただけで、全国行脚なんぞ、していなかった。ただ、全国行脚していると云う噂を流して、各地の藩の引き締めをしていたらしい。😅
画面に映らないように後ろから荷物担ぎがいる。
荷物持ちは実際は必要で居ただろうね。家臣でなく単なる雇い人。桜田門外の変では、大名行列を襲撃時に逃げ出したのもいたが、荷物持ちの臨時雇いの人は逃げても無罪。逃げた家臣は切腹になった。
やぼを言っちゃあおしめえよ☺️
お前が野暮なんだよ。
史実の光圀公といえば、無理な高直しや七公三民という重税、若い頃は辻斬りを行っていたということを聞いたことがあります。どこまで事実なのかはわかりません🤔
天皇も 被災地に行くときは 手ぶらです。
そりゃー1時間以内に事件を解決する必要があるから身軽でないとね
黄門様は諸国漫遊はしていない?と言われていますが、、松尾芭蕉が全国を巡り譜を読んでいたが、この旅かなり裕福な旅だったと言われている?バックに大物スポンサーがついていたのではないか。との説が唱えられている。そのスポンサーこそ黄門様だったと!有力な説としては助けさん、格さんを旅させて諸国の様子を調べ伝え聞いて本にまとめたと言われています。
今風に言うと、助さんは全国を回る記者で格さんは編集者ですね。
助さんは薩摩(鹿児島)まで旅してますね
水戸黄門は決して単純な物語ではなく、悪党側の狡猾な法の逃げ道を利用した私腹の肥やし方とその証拠を掴む御老公一行の情報戦とかが非常に複雑に出来てる物語なんだけどね
銭湯は混浴
逃れ者おりんみたいにまったく時代考証を無視してなんとなく時代劇にみえるようなほうが面白いですねえ。
金あるから水筒と薬あれば宿場泊まるから手ぶらじゃ🎉
由美かおる専用風呂
水戸領内を回っただけが真実
なのでお銀さんの入浴も無かった残念😂
荷物?四次元ポケットに入れてるんでしょ?
風車の弥七も゙実在の人物
越後のちりめん問屋のご隠居は 健在なら 新潟県のアパレル関係の問屋さんの会長でしょうな ハッハハハ・・・
ちりめんじゃこ(しらす干し)の問屋と勘違いしてる視聴者多数・・・
そもそも嘘しか無いドラマ