【寺社参詣】#46 亀山本徳寺(兵庫県姫路市/浄土真宗本願寺派)~亀山本坊 播州念仏の中心道場~ Kameyama-Hontokuji Temple
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- เผยแพร่เมื่อ 1 ธ.ค. 2024
- 神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」46回目は、兵庫県第二の都市で、播州地方の中心都市・姫路市の南部に位置する、浄土真宗本願寺派寺院 霊亀山本徳寺です。一般的には「亀山本徳寺」と呼ばれています。
浄土真宗中興の祖と呼ばれている蓮如上人の門弟であった空善が、播磨国飾磨郡英賀(現在の姫路市飾磨区)に、「東かりや道場」を開創したのが始まりです。後にこの「東かりや道場」に本尊が下付され、以後、本願寺の直轄寺として「本徳寺」と号されました。永正12(1515)年に本格的な本堂が建てられ、「英賀御堂」と呼ばれるようになりました。
戦国時代に、豊臣秀吉が英賀にあった英賀城を攻める際、戦火に巻き込まれる恐れがあったことから、秀吉が寺領を寄進、天正10(1582)年に現在の亀山の地へ遷りました。以降は、「亀山本徳寺」「亀山御堂」と呼ばれるようになりました。
江戸時代になって、本願寺が東西に分裂。本徳寺は西派(本願寺派)に属し、東派(大谷派)は姫路城近くの船場へ別立(轉亀山本徳寺、船場本徳寺)しました。在郷の人は、西派を「亀山御坊」、東派を「船場御坊」と呼んでいました。
明治時代になり、本願寺教団の改革によって「別格別院制」が制定され、本徳寺は「播磨別格別院」となり、播州地方の念仏の中心道場としての役割を担っていました。
第二次大戦後の宗教法人法制定により、制度上は包括法人「浄土真宗本願寺派」に属する独立した法人となり、宗門内では「由緒寺」とされて現在に至っています。
姫路城と飾磨津とを結ぶ飾磨街道に面しており、昔は人の往来が多かった場所でした。本徳寺の前を通る時は、大門の前で一旦下馬し、一礼してから通って行くという習慣があったため、人通りの多い時には、門前で渋滞するということもあったようです。このような渋滞を避ける意味や、格式の高い寺院であったことから、大門を入ってすぐの場所には「目隠し塀」が設けられ、外の通りから境内が見えないようになっています。
本徳寺の伽藍で特筆すべきものは本堂で、元々は京都・本願寺の北集会所だった建物を移築したものです。慶応4(1968)年に本堂が焼失。ちょうどその頃に来た集会所の建て替えのため解体していた本願寺から譲り受け、淀川を下り、大阪湾→明石海峡→播磨灘をおよそ2年の月日をかけて、全てを船で運んだそうです。
この北集会所移築は、本願寺に建っていた時は、幕末京都の治安維持にあたっていた新撰組が屯所として使っていた時があります。北集会所は、増築・改築が一切されずにそのまま移築されたため、現在も本堂北西角の柱には、新撰組が付けたものとされる刀痕が残されています。
また、このような経緯を持つ本堂や、境内の雰囲気から、映画やドラマのロケ地としても本徳寺が使われています。
今は、住宅地となった姫路市街地に伽藍を構える、播州念仏の中心道場。亀山本坊 霊亀山本徳寺の動画をご覧下さい。
機 材:GoPro HERO8
【リンク】
亀山本徳寺 公式Webサイト
k-hontokuji.com/
【使用BGM】
「秋色の丘」(甘茶の音楽工房)
amachamusic.ch...
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