東本願寺と西本願寺に分かれた意外な理由とは
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- เผยแพร่เมื่อ 30 ก.ย. 2024
- 浄土真宗にも数多くの派がありますが、その多くは東本願寺といわれる真宗大谷派か、西本願寺といわれる浄土真宗本願寺派です。
なぜ本願寺派東と西に分かれてしまったのか、その背景を語ります。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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【資格が法を説くのではない】
スッキリしました!
分かれたままって言う事は、対立しているか、権力掌握にこだわっている者が居るっていうことです。
その者にとっては親鸞聖人の教えより大事なもの(わがまま、自己利欲)があるって言う事で、どちらも正しくないのです。
ありがとうございました。
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★東本願寺と西本願寺に分かれた意外な理由とは
1.分れる前(蓮如上人・中興の祖、本願寺派に統一、石山合戦・織田信長)
2.分れた時(和戦派・顕如・秀吉、抗戦派・教如・家康)
3.分れた後(名号本尊⇒木造本尊、門徒の取り合い、東と西の違いあり、平成業成/浄土真宗)
菊谷さんは、親鸞会の信者なんですよね。ハッキリと、ご自身が信者であると明言された上でユーチューブで語られた方が良いと思うのですが?
菊谷先生、いつも為になるお話しありがとうございます。宗教の教えから、生きている時が、宗教の役目は大きいと、先生のお話から気付かされました。
要約すると「権力争い」であり、坊主は「教えよりも力が欲しい」ということですね
よくわかりました
私は、正しい、親鸞聖人の教え、平生業成を聞かせ頂いて、おります。尊い、お話し、誠に、ありがとうございました。
名刹(めいせつ、じゃなくて、めいさつ)😮
親鸞「こいつら俺の教えを10個に分けたあげくさらに2つに分裂しやがって・・・」
釈迦「こいつら俺の教え全然理解してねえ・・・親鸞って誰だよ」
実家が北海道の浄土真宗のお寺です。
いつも分かりやすい、解説ありがとうございます。
いつも有難うございます。戦国時代に命がけで親鸞聖人の教えを守ろうとした本願寺が、世間ごとで分かれてしまったのは残念に思いました。しかし、現代においても世間ごとに終始し、親鸞聖人の教えを正しく説く僧侶が少ないようにも思います。ありがとうございました。
凄く納得です。ありがとうございます。
私は仏教徒ではないので、正直なところ西でも東でも北でも南でも、どうでもいいですが、菊谷先生の説法は、生きる上での「指針」になっております。
仏法を広めるという本来の使命をないがしろにして、葬式仏教に明け暮れている僧侶さんたちにも、見習って欲しいです。🙂
今回も浄土真宗の歴史について、教えて頂きありがとうございます。
蓮如上人が再建された山科本願寺の本尊は、《木像》ですよね?
東西本願寺の教えを伝える寺院であることを表現するために、本山から影向された「方便法身尊形」の木像を安置するようになったのは、むしろ自然な流れだと思います。
また、蓮如上人は、本願寺の作法に則って「方便法身尊形」(または方便法身尊像)と裏書きをした《絵像》本尊を多数下付しています。
また、蓮如上人がお書きになった名号の多くは、「蓮台」がない、つまりは正式な本尊の体裁をもたないものです。
門徒の求めに応えて、ひたすら筆耕されたのでしょう。
(蓮台がなければ正式な本尊ではない事をご存じだからこそ、親鸞会の本尊にも、蓮台が描かれています。)
蓮如上人が「木像より絵像、絵像より名号」と仰ったのは、恐らく他宗から「真宗門徒は、木像ではなく、安い絵像や麁抹な名号を本尊としている」と揶揄された事に対して、門徒に向けて語られた言葉でしょう。「本尊は名号が正しい」というのであれば、真宗に合わない仏像や絵像をお焼きになった蓮如上人が、なぜ本山の本尊を木像にし、門末には本尊の体裁を整えた絵像を授与されたのでしょうか?
親鸞会が「名号を本尊とする」のは自由ですが、木像・絵像にも意味があるのですから、自分たちの正しさを主張するための真宗寺院批判は、いかがなものでしょうか。
名号本尊を掲げて、自分の信心が正しいことを、誰にアピールしているのでしょうか?
江戸時代より前は、一般的に、僧侶は葬式をしなかった、と聞いています。大衆の望みに応えて私度僧や毛坊主と呼ばれる人々、真宗の僧侶などがお葬式を執行するようになったのではなかったですか?
江戸時代になり、キリスト教徒でない事を僧侶が確認する役目を持った事もあり、その宗派も葬儀を執行するようになったと、理解しているのですが、間違いでしょうか?
「お葬式やお墓の事ばかりに頭を使って」と毒づくのは結構ですが、お葬式をご縁として、遺族に寄り添ったお話もできるのではないでしょうか。
東西本願寺の儀式や名称が異なるのも、独自性を示したくなる人間の性といえるでしょう。
両方が張り合うから、怠けてなんかいられず、教学が発展するという面もあります。
「だから本願寺は間違っている」という事にはならないですね。
「この世はどうにもならん。死んだら極楽、死んだら仏」とは、だれの主張でしょうか?
本願寺の一門の中に、そう言う言い方をする人が一人もいない、とは言いません。けれども、今回の動画では、それが本願寺の教えだと思わせるような展開になっているのが、気に掛かります。
親鸞聖人は道綽禅師の教えとして正信偈に「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」と詠われていますが、決して《死後の益》とは思っておられません。
文類偈に「三有生死之雲晴」とあるように、この世において闇が晴れる、一生造悪の身のまま、心が晴れ晴れと生きる歩みを「現生正定聚」、「即得往生」と語っておられます。
私のところまで往生の一道が続いている事に気づいた時、同時に我が身が「罪悪生死」「煩悩具足」と信知せられ、「出離の縁なき身」の私だからこそ「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」という聖人の実感が、理屈でなく実感できます。
《絶対の幸福》《平生業成》に至ったら、どのような気持ちがするのでしょうか?
《絶対の幸福》を求める心が消滅する。これが、私が実感している《往生》です。
真宗十派、中でも両本願寺が間違っている、と決めつけて聴衆に先入観を植え付け、相手を全否定する事で自己の正当性の証明に利用するような解説、ありがとうございます。
そうすれば、本願寺側もこちらに注目するし、何か反論してくるだろう、と期待しているのでしょう。
その意味では、私はその誘いに乗せられた事になります。親鸞会様の思うつぼですよね。
覚如上人は「聖教万差なり。機に相応すれば巨益あり」と述べておられます。
「相手が間違っていて自分は正しい」と言うのとは、姿勢が違います。
親鸞聖人は「愚身が信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなり」と言われた方です。
本願寺の信心は、木像・絵像・名号すべてに意味があり、衆生に呼び掛ける働きのかたちである、と考えます。
本願寺の木像本尊は、自分の信心の正しさをアピールするもの(自力)ではなく、阿弥陀の願い・働きが形をとって影向された尊像(他力)です。
木像・絵像をお捨てになるのも、どうぞご自由に。
山科本願寺の木像本尊の記録は蓮如上人が亡くなられた後のことと、豊原大成氏という学者が何かで書いていたと思います。
また親鸞聖人の教えは南無阿弥陀仏をいただいてこの世で救い摂られる教えなのですから、
名号を最も大切にするのは浄土真宗の皆さん、ご存じでしょうし、
本願寺の学者の最高位である元勧学寮頭・梅原真隆氏も名号本尊が適切であることを
「親鸞聖人が名号を本尊とせられたのは、木像絵像の本尊よりも、念仏往生の宗旨において適正であることを認められたことによるのである」
「蓮如上人は一宗再興の基調として親鸞聖人に還元することを企図され、名号本尊に還元しようと一生をささげて尽力されたのであった」
他いろいろ書かれてましたよ。
また蓮如上人は『聞書』に
「一つのたまわく「南无の字は聖人の御流義に限りてあそばしけり」南無阿弥陀仏を泥にて写させられてお座敷に掛けさせられて仰せられけるは「不可思議光仏 無礙光仏も、この南无阿弥陀仏を讃めたもう徳号なり。然れば南无阿弥陀仏を本とすべし」と仰せられ候なり」
とあります。逆にお聖教に「絵像を本尊にせよ」と勧められているところなどあるのでしょうか。
また本願寺が始まったのは覚如上人の時ですが、覚如上人は本願寺の本尊を名号とされましたし、
それを蓮如上人が裏書され「この本尊は覚如上人の時代より本願寺常住の本尊である」と書かれています。
@@byBuddhism
私の書き込みに ご丁寧にお答え下さり、恐縮です。どうもありがとうございました。
山科本願寺の木像本尊の記録は、蓮如上人の子息・実悟が『山科御坊事並其時代事』の最初に、蓮如上人の事として「(阿弥陀堂の)本尊木像 安阿作」と記しています。
(『山科御坊事並其時代事』は、『真宗史料集成』または『大系真宗史料13』で読む事ができます。)
その章の最後に「(御影堂の)猶南に一間の押板には、初は盧山恵遠禅師唐筆墨絵の像をかけられ、前にはこうたてをおかれ、花を立てられけり。後には蓮如の御筆の不可思議光如来の名号をかけられ、三具足を置かるる也、これは実如の御時の事なり」とあります。
豊原さんが蓮如上人が亡くなられた後の事、と書かれたのは、「蓮如筆の十字名号」の事でしょう。
梅原さんが紹介いただいた論を述べておられたとしても、やはり蓮如上人の行動の一面だけを見ての事でしょう。
どのように受け止めようとも、自由です。
東本願寺の相伝家であった本宗寺真詮の『禀承余草(ほんじょうよそう)』に、
「当流(真宗)に崇むるところの本尊阿弥陀如来は、久遠実成の弥陀を以て報身如来の本体とささめ、その果号を以て所帰の本尊とあがむ。故に三世善知識(覚如上人)曰わく「真宗の本尊は、尽十方無碍光如来なり。かの本尊所居の浄土は究竟如虚空の土なり」文。」
とあります。所帰の仏体は阿弥陀の尊号を以て本尊と崇め敬うことで不足はないのですが、同書には続きがあって、
「当流(真宗)の本尊は無碍光如来の覚号をあがむるにおいて不足を存ぜずといえども、いわゆる為凡を先とするの本意、なお遐代弘興の宗旨を開き利物偏増の真宗を伝えんがために、一天四海の本所たる道場をさだめて、ここにおいて始めて名体不二のことわりによりて像を彫りて方便法身の尊形をあらわし、本廟にこれを安置したまう。これ則ち『大無量寿経』の所説「身色紫金 相好殊特」の如来、還相回向の大悲利他の正意を示し、報身の仏体、報土より娑婆界に顕現し本廟に影向したまう姿なり。故に三世善知識曰わく「此土・他土一異(一致)に凡小不二なるべし。これによりて念仏修行の道場とて、あながちに局分しべきにあらざるか。しかれども廃立の初門にかえりて、いくたびも為凡を先として、道場となづけてこれをかまえ、本尊を安置し奉るにてこそあれ」文。」
と記されています。
「然れば南無阿弥陀仏を本とすべし」は、「(帰命)尽十方無碍光仏(如来)」も「(南無)不可思議光仏」も、インドの言葉に忠実な「南無阿弥陀仏」を教えるための尊号だ、と言われたのでしょう。元に「南無阿弥陀仏」があって、そこから十字名号・九字名号への展開がある、という事を教えておられるのであって、「六字名号だけを本尊として祀りなさい」(他は誤りである)という言葉には、私には聞こえません。
「名号は南無阿弥陀仏だ」というのは、漢字をベースにした文字文化の日本だからです。
「南無阿弥陀仏」は、デーヴァナーガリー文字では「नमोमिताभबुद्धाय」と表記されるそうですが、私には読めません。
つまり、「南無阿弥陀仏」でさえも、私たちに分かるように文字に姿を変えた名号なのです。
六字・八字・九字・十字にこだわることもないのです。
如来成仏の因果、弥陀成仏の願いをいただくことができれば、「本尊」という形も必要なくなるといえるでしょう。
けれども、これからの人のために、所帰の法体を知らせるために、親鸞聖人は弥陀の覚号を六字・八字・九字・十字の名号に表して門弟に与えられたのです。
「絵像を本尊にせよ」という聖人の言葉はありません。
けれども聖人が『教行信証』「証巻」で「弥陀如来は如より来生して、報・応化・種種の身を示し現じたまう」と記された文を根拠として、東本願寺の教えと儀式・荘厳が展開されています。
覚如上人は、東山の廟堂の親鸞聖人の御真影を傍らに移し、阿弥陀如来像を中央に祀ろうと画策した事が、高田派の専修寺文書に見えます。(『順証書札案』)
「大谷の坊主、御みえ(御影)をかたはらへうつし申し候て、本とう本堂には阿みた弥陀を立申候べきと候しを、定専さいさん(再三)御申候によってうちおかれ候に」
とあります。名号か絵像か木像かは明言されていないのですが、「本堂には阿弥陀を立て申し候べき」とあるので、掛軸を「立てる」とは表現しないように思います。
この件は、傍証となる文書を見ていないので、結論は保留します。
結局、覚如の時代には諸々の反対により実現できなかったのですが、次の綽如上人の時に金銅の阿弥陀如来像が安置されたそうです。覚如上人の意を汲んでの事だと思います。
また、覚如上人は、丹波の乗専(出雲路派毫摂寺)の望みに応えて絵像の阿弥陀如来像を許し、「方便法身尊形」と裏書きをなされたことが伝えられています。
「六字の名号こそが本尊として正しい」という事が阿弥陀如来の願いだ、とは、私には思えない、という事です。
六字名号には一理も二理もありますが、八字にも九字にも十字にも、絵像にも木像にも、一理も二理もある、という事です。
親鸞会様が六字名号を大切にされることを否定したい訳ではありません。
ただ、「木像本尊の本願寺は間違っている」と信じておられる方に、
本願寺もデタラメを行っている訳ではなく、阿弥陀如来が私たちに向けた願いを、姿・形をとって伝えるために出現された方便法身尊形を安置しています、という事をお伝えしたかっただけです。
長文でコメント欄を汚し、申し訳ありませんでした。
池田英二郎 拝
『山科御坊事並其時代事』「(阿弥陀堂の)本尊木像 安阿作」と記しているその記録は、蓮如上人御遷化後の阿弥陀堂の荘厳を述べているようである、とありましたよ。いずれにしても歴史の資料は不完全ですし、推測の域は出ないことがほとんどなので、やはり親鸞聖人がどう教えられているか、お聖教に基づき、お互いお伝えしていきましょう。長文ありがとうございました。
さ😊
私はこの件について色々調べたのですが、江戸時代も中期、後期、そして明治と時代がすすむにつれ、この両派はお互い態度を軟化していき、現在ではお互いで交流をするほど仲は良くなっているそうです。しかし、どちらともそれぞれのやり方、呼び方は受け継いでおり、各派に属する学校(高校)は修学旅行の際、自身の属する本寺には訪問しても、片方の寺には訪問しないという風習?がまだ存在している、と聞いたことがあります。
江戸時代の最初の頃は対立していたそうですが、今は仰る通り、交流していると思います。私が師事する親鸞会の高森先生のことは東西本願寺ともかなり嫌っていて、私もいろいろ言われています。
うちは真宗大谷派だと思う。つまり、東本願寺派。
うちは西三河ですが、土地柄とは、関係あるんでしょうか。
はじめて、簡にして潔、流れの大筋がわかりました。
平生業成(へいぜいごうじょう)。こんな言葉、教えがあったんですね。
親鸞会について講義してください。
評判悪いようですね。
何故、煩悩克服すべき僧侶が煩悩そのものなの?中東戦争と同じ
本当の幸せとはこの世で仏に成れる身にさせていただく事。人間に生まれてきてよかった事は阿弥陀様の本願の力が私を仏にすると働いている事。信心を得る事で止まっていませんか。また、信心を得る事を目的にしたら、終わりのない道が待っています。向こうから救いが来ている事が知られればこっちから信じようとか念仏しようといったアクションは不要であるといただけます。~~したら~~を得られたらは、すてものです。捨てもの=不要な事なのです。あるのは阿弥陀様の御恩に報われたお念仏の生活が確立されます。私が仏に成る証拠を口で称えられる事が最大の慶びであり、本当の幸せな人生であると今日を過ごせます。絶対の幸福はもう来ていますここに南無阿弥陀仏。求めるのではなくしてすでに、今ここに。
らら
こんにちは!菊谷先生、愛する人とあの世で会えるのかを深く知る講座は、いつ頃募集しますでしょうか?
なぜ浄土真宗が東西に分かれたか、桜嵐坊先生がより詳しく史実に沿って解説されていますのでそちらも参考にされるといいですよ。
いえ、けっこう間違ったこと言ってる。
(◔‿◔)
異宗派門徒ですが、浄土真宗歴史秘話ヒストリアでしたー。ありがたやー🙏✨
雑賀(ざいが、じゃなくて、サイガですわ)
菊谷先生のお話しを頂く時、えもしれぬ安らぎを覚えます…父方の祖母が阿弥陀如来様を強く信仰致しておりましたのでその影響でも有ります
いつも有難う御座います…✨🙏
西東の分かれについて歴史的背景も含めた解説や親鸞聖人の教えに西も東もないこと、僧侶の使命活動とは「平生業成」の教えを伝えること、と言うのがとてもわかりやすかったです。
お堂参りし講話を受けるときにも、あらかじめ意義がわかって聴くと自身への入りが違ってくるかなと感じました。
ありがとうございました。
ものすごく、公正、中立、そして、平等な考え、感動しました。要は、親鸞聖人や、蓮如上人が、何を言いたいのかですね。
自分の信じるものだけじゃなく、同じ仏教の派閥について教えて欲しいんですが
東西分裂に係る宗教家からの見方がよく分かる動画ですね。ただ、信長が石山本願寺に固執した理由と、信長が勝てなかった理由についての見方は、極端な合理主義者であった信長の本質を知らないのか、全く間違っています。ちなみに、石山本願寺跡地には、その土地の利点を知っていた秀吉が大阪城を建設しましたが、秀吉没後の大阪夏の陣、冬の陣において、家康が既に衰退していた大阪側に苦戦したのも同じ理由によるものです。先生も、石山本願寺があった場所の当時の地理、地形の優位性について勉強してみてください。
お西、お東、東京本願寺…🤔
去就(きょじゅう、じゃなくて、きょしゅう)😮
最近妻がなくなりお寺に通うようになりました。わからないことだらけ、住職が「自分も勉強中」と仰いながら優しく説明していただいております。
私も菊谷先生の口座ほか少しずつ浄土真宗にふれるようになりました。これからもいいお話きけたらと思っています。
仏教の歴史初めて聞きました。
先生ありがとうございました。
🙇♀️
あのー、顕如が和睦を受け入れた時に、准如は三歳なんだけど。
三歳のガキが「和睦を主張した」って???
もう少し歴史を勉強したらよろしい。
(◔‿◔)
政教分離はやはり、大切ですね。
池谷先生の講話で浄土真宗がどんどん解ってきます。
私は浄土宗&真言宗檀家家系ですが浄土真宗様の寺院参拝し、内陣を拝観して感動したりしました。私は西、東と関係無く参拝を楽しんでいます。
私は😂浄土真宗本願寺派お西で別に宗教が何処かと拘らずに参拝しますよ。仏様が喜んでくれればいいのでは😊
とても分かりやすかったです!冊子お願いしたいです!
>交通の要所
交通の要衝ね。
慣用句みたいなもんなので、あまり要所とは言わない。
(◔‿◔)
親鸞聖人や蓮如上人が二つの本願寺を知られたらお前ら何やっとんねんて仰るんですかね。
日本の仏教の危機と言われる今
西と東が統一するぐらいの事をしてはどうでしょうか
神様、仏様なんてすがらないで、自分を信じれば良い😊
菊谷先生、今回も興味深い大切なお話と有り難い尊い説法に心より深く感謝申し上げます。〜聞く一つ、信じる一つ、平生業成、法に依りて人に依らざるべし。〜本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐は一向専念無量寿仏とその布教のみである〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無不可思議光如来 帰命尽十方無碍光如来〜三戸拝🙏🙏🙏
ありがとうございます。
いつも有難う御座います。
信長の時代しか知りませんでした。
勉強させて頂きました。
「御文章」は西本願寺が後から言い出したんでないの?
(◔‿◔)
親鸞聖人は「世のなか安穏(あんのん)なれ、仏法ひろまれ」と言われています。
にもかかわらず、西と東に分かれてしまうのですから、親鸞聖人は、さぞ歎かれているでしょうね。
他流からの乗り換えの勧誘の仕方が、木造のお礼金免除とか、携帯会社やおまけ付きキャラメル買わせるやり方と同じで、本来の使命を見失いそう😅歴史がわかりやすくて面白かったです!
お東騒動と、東本願寺が左本願寺って言われてる左翼系宗派って言う事も深堀りしてほしいですね
なんか、今米駐在の俺は暫くの間差別・暴力・不公平・社会的問題など航戦せずをえられない自分の居場所、歩む道考えていたので、親い友達に別の寺誘えられて、いつも通う普通の寺、西が年寄りの日本人があの世へと逝くほど、英語ばかりに変わり、そして対立的な国に居て、人権など戦わないとえられないなんで、考えますな、この状態で…
それにさ、宗教が枝葉に別れるとき、それは一般的に人が争い合い、怒りなどのため教えが聞こえなくなったでしょ😢
(もっと書きたいけど今週のソフト更新以来、携帯の調子がおかしくて、難しすぎるからこれくらいにしっときます)
跡目争いを利用された、力を分散された!
西も東もわからない、他力の本願のみ
西本願寺でも東本願寺でも、親鸞会でも、
どこでも正しく説く人しかいなかったら、
もっとたくさん阿弥陀仏の本願が聞けるのに
...。もったいないこと🥺✨
話し方が分かりやすいです!
分かれる前のお坊さんが読んでくれる本 まだ家にあるよ。
「平生業成」は、いいね。
菊谷隆太先生、こんにちは。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼今日も、ありがとうございます。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
宗教なんてまったくばからしいものだと良く分かった。
東西分裂の一番の契機となった如春に触れていないのはなぜ?
追記
家康・東本願寺=抗戦派
秀吉・西本願寺=和戦派
は主観のみのミスリードです。そもそも朝鮮出兵を強行していた秀吉が和戦派とは?
関ヶ原の際、石田方についた准如に対し、まだ幼く周りの人に従っただけだと助命を家康に嘆願したの教如です。(その頃に、分かれる前の本願寺の門主に教如がなる話が出たが、それを教如が望まないだろうということで別れたという話もあります。)
もう少し歴史的文献等によって、主観だけでなく客観の話をすべきだと思いました。
宗教の教えと言っても、とどのつまりは利権でしょ😮
ちょっと違う気がするよ。
違いますね。
(◔‿◔)