【第5回:禅僧の逸話に学ぶ】 花園大学総長 横田南嶺 | 禅・仏教講座「禅とこころ」 2024年11月5日(火)

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 ธ.ค. 2024
  • 「建学の精神」である禅仏教による人格の陶冶をテーマに、「禅・仏教講座」として開設しています。
    禅の世界をあらゆる角度から捉え感得するため総長、学長、仏教学科教員を中心に授業を展開し、その他、いす坐禅・読経など実践を行います。
    「知識としての禅」から「感じとる禅」への転換をテーマとし、「自分だけにしかないいのちを生きる」ことを目標とした講義です。
    なお、学生向けに配信している総長講義のみ、順次公開させていただきます。
    禅僧の逸話に学ぶ 令和六年十一月五日            横田南嶺
    江戸時代の禅僧の逸話に学ぶ          
    鈴木正三(天正七年一五七九~明暦元年一六五五)
    天正七年一五七九三河国賀茂郡足助(現在の愛知県東加茂郡足助町=現在の豊田市)に生まれる。
    四歳 同年の子供の死に会い、のち長く死についての疑問が続く。
    十七歳 『宝物集』(仏教説話集)を読み感動。真理追求のためには身命をも惜しまぬ気持ちを起こしたという。
    二十二歳 本多佐渡守の部下として信州で戦う(関ヶ原の戦い)。
    三十六歳 父・重次、弟・重成、重之とともに、本多出雲守の部下として大坂冬の陣に参加。冬、岡崎に帰る。
    三十七歳 大坂夏の陣に参加。のち二百石を賜る。江戸詰となり駿河台に住む。
    四十二歳 江戸にて出家。重辰、重成の養子となり、猶子・重長が家督を継ぐ。
    五十四歳 三河国石の平に仏殿を建て石平山恩真寺と名づける。のち吉野山に登り、翅出の行者を見てその捨身の行に感激。
    六十一歳 八月二十八日の暁、廓然として開悟。 二井寺を再建。
    六十四歳 天草に行き、三十二の寺院を建立。『破吉利支丹』を書き、各寺に納める。三年間滞在。
    七十七歳 春、病を得、了心庵を返し駿河台の重之邸に移る。六月二十五日午後四時頃、 示寂。
    盤珪永琢(元和八年一六二二〜元禄六年一六九三)
    元和八年一六二二 播州揖西郡浜田郷に菅 道節の三男として出生
    十一歳 父道節死す
    十二歳 明徳について疑団を抱く
    十五歳 生家の菩提寺西方寺に一室にこもり白業を修す
    十七歳 隨鴎寺にて雲甫全祥について出家
    二六歳 苦行のため瀕死の重病 春大悟
    三十歳 長崎の崇福寺にて道者和尚に謁す
    三八歳 妙心寺に入り盤珪と号す
    四十歳 龍門寺を創建
    四八歳 伊予如法寺を創建
    五一歳 妙心寺に入寺 紫衣を賜る
    五七歳 江戸麻布光林寺を創建 開山となる
    元禄六年 七二歳  江戸光林寺に赴き永別の言 六月龍門寺 九月三日遷化
    白隠慧鶴(貞享二年一六八五~明和五年一七六八)
    貞享二年一六八五 駿河の原宿で生誕。幼名岩次郎。
    五歳   一人海に向かい浮雲の去来するを見て世の無常を感ず。
    十一歳   母に随って寺に参り地獄の説法を聴いて怖れおののく
    十二歳  鍋冠日親の話を聞いて出家を志す
    十六歳  原松蔭寺にて単嶺祖伝のもとで出家。
    二十歳 美濃の瑞雲寺で修行。
    二三歳 宝永の噴火。
    二四歳 越後高田の英巌寺性徹和尚のもとで豁然開悟。
    信州(長野県)飯山の道鏡慧端(正受老人)に参ず。
    三三歳 松蔭寺に入寺。『大慧書』『禅門宝訓』を提唱す。
    四二歳  秋法華経を読んで庭のコオロギの声を聞いて大悟。
    七六歳  三島の龍澤寺を中興開山。東嶺を龍澤寺住持に命ず。
    七九歳  衰弱と老いが重なるも夢に諸老師に見え力を回復す。
    八四歳  松蔭寺にて示寂。

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