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コメント欄が歴戦の猛者が多くてこのチャンネルほんといい感じのニッチな内容だよなーと改めて思いました!応援してます!
MS-DOS時代のマシン、懐かしすぎます。中学生時分、「一太郎(ジャストウィンドウ)を使うぞ!」と意気込んで、PCを買ったはいいけどインストールできずに困ってた親父。宿題そっちのけでマニュアルとにらめっこしながら、なんとか使える形でインストールした私。ご褒美が「満面の笑顔だけ」だったので、親父に報告時に「自慢した」のが悪かったのだと悔やんだことを思い出しました。今思うと、あの時にOSのファイル管理の基礎を学んだんだなぁ。…とも。
当時のPC98は、起動ドライブが必ず A: になるという仕様です。ゲームなどのFDは起動システムも入っていてFDを起動ドライブとして起ち上げ、ドライブレターA:でファイルを読み込みに行くのでHDDから起動後にFD内のプログラムを指定する形だと読み込みエラーを起こしているのだと思います。
おお!なつかしい一太郎!辞書は(当時にしては)賢かったし、罫線が引きやすかった同時期に出てたWORDは罫線が死ぬほど引きづらかったのよね〜wたしか「倍角、罫線、保存」みたいな操作をする時はESCキーを押してからメニューが出てきて、選んで操作した記憶があります
ゲームが起動しなかったのはFDDをAドライブにしてなかったからかも。私がMS-DOSをいじってたときはFDDに入れてリセットしてキレイにしてから起動してましたね。
懐かしい!一太郎のバージョンで三太郎、四太郎って友達内で区別してました。Atokも「あとっく」とか言ってましたね(笑)
8:27 パッケージにも表記されているのですが、前の使用者はWindowsのフォーマット(1.44MB)で使用されていたと思われます。PC-9801シリーズは同じ2HDでもフォーマットが違う(1.2MB)ので使用できませんので当然読み込みエラーになります。故障ではありません。ちなみに以前動画でFREEDOSを起動させていた、PC-9821V13の仕様は「3モード対応」なので1.2MB(98機独自?)、1.44MB(98,DOS/V共通)ともに使用可能です。
ゲームを起動する前にディップスイッチをゲームに合わせて調整が必要になります。HDDからではなく起動FDで起動して、データFDへ交換してゲームを遊びますよ
DOS/V用にフォーマットされたフロッピーは容量が1.44MBなので98からは見れません因みに一太郎4.3にはジャストウインドウ機能というのがあって、メモリの設定をすれば疑似マルチタスクが使えるようになります(設定はかなり面倒だったのを覚えてます)
ファイラーは当時FD.exeを使ってたな、通信ソフトはWtermゲームはDOS上からではなくディスクから直接起動したら動くかも。
確か花子はGRAPH+HELPでモードが切り替わり、矢印キーでキーボードからマウスカーソルを動かせたと思うただ何とかつかえるというレベルで、マウスがないと使い物にならない
NECはNECフォーマット1.2MBでDOSVは1.44MBフォーマットでしたよ
すごいよ、あなた、すごすぎるよ!一太郎4.3とか花子とか、ふえぇ~
PC-9821カラーを持ってましたメモリー増設で散財した記憶が蘇りましたWwwいつも興味深い動画アップありがとうございます。
肌綺麗ですね☺️
Dr.中松氏に依るフロッピーディスク&ドライブは今や完全にレガシーパーツになってしまいましたね。5.5吋のディスケットを10枚(も)買って、大切に使った事を懐かしく思い出しました。
コジコジさん、楽しみにしていました。
一太郎、花子表計算123とか懐かしい。花子に文字を書き込む仕組みは今のオフィスに似ていましたね。当時作ったフロッピーはすべて廃棄してしまった。記憶が薄れる中でこの動画は刺激的です。
1-2-3はLotusや!!とか言ってみますw
懐かしい。自分はNEC PC-9801 ns20(NS/Tの前機種かな?)を買いましたがPC本体とサーマルプリンタで40万円ぐらいだった記憶がありますw
ちゃんと98でフォーマットしないと使えないよ〜。DOS/Vの1MBフォーマットは形式が違うよ。またドライブの交換もDOS/Vパーツで対応も難しいです。それとどれくらいシステムメモリ載ってるのかな?メモリ増設してないと動かないゲームもかなりあったよ、それとFDDは2ドライブ無いと動かないのも有った。ジャストシステムの表計算ソフトは三四郎(三四六)だよ。花子はグラフィック系のソフトだよ。
PC-98は1.2MBでDos/VとDOS対応Mac系が1.44MBな仕様ですな。ただ、一部の3モード対応のFDDだと、両対応で読めたりしたなぁ…
あと、3モード読込FDDでも、ドライバー側の対応がWin98あたりで終わった気がする(良くてWin2KかWinMeまで)から、その世代のマシンを用意せにゃーならんな。
PC-9821以降は1.44MB対応じゃ無かったでしたっけ?もちろん1.2MBも使えたはずですが。今うちにはPC-9821Xv13のK6-300MHzに改造したのがまだありますよ。ほとんど動かしてないですけど。
補足です、98はFDDに起動チェックがあり、純正ドライブじゃないと起動しません。それと、MS-DOSのフォーマットも3.3と5.0で違いがあり、アプリが3.3当時の物は、3.3以前のOSでフォーマットしないと、使えないってこともあります、ローランドのカッティングマシン用アプリなど高価なアプリほどそう言うのがあります。FDDは結構重要部品なので、注意が必要です。
@@01kum35 9821はWin3.1インストール時にもCDドライブの純正チェックが働く。当時、NECの殿様商売ぶりが伺えます。
昨日から見ています。コンデンサの総取替なんて感動モノです。・・・ちなみにPC98も完動のようですね。花子はCADのように「層(レイヤー)」で使えたと記憶しています。会社にCADがなかった30年位昔、上司が花子で京都駅の平面図を描いていたところに、若くてやる気のない私がコーヒー片手に床を這わせていた電源コードに足を引っかけて、上司の大作をオシャカにしたのを思い出しました。花子の図をAutoCADに変換できそうなのを発見して、明日にでも試そうと思います。ワクワクしますね、また、楽しみにしています。
コジコジさん凄いですね!!応援してます(*´ω`*)
当時は、ワープロは一太郎で、表計算はロータス1-2-3が定番だったことを思い出しました。windowsを会社で使うようになってから、エクセル・ワードを使うようになり、慣れるまでに苦労した記憶があります。
HDD起動時のGUIソフトはDOSインストール時にHDDシステムインストールとして、最初に添付されているソフトですね。3.3CかDで色付きなって、5.0でマウス対応だったと記憶してます
コジコジさんの修理動画はいいですね!
めちゃくちゃ懐かしかったです。一太郎で仕様書とかの資料作ってました。そして、花子でプログラムのフローチャートを作ってました。PC-9801NS/Tは、個人的にはじめて買ったノートパソコンで・・・。
この時代の表計算ソフトはロータス123ですね。123って入力すると起動できました。
DOS時代の表計算はやはりロータス1-2-3が圧倒的だったね、しかし懐かしい機体が再び動く様子を見られるのは嬉しいよ
昔Nシリーズで一太郎ver3でプログラム仕様書を作成してました。(Ver4はメモリ不足)メモリーがバカ高いからか会社のPCは実装1mbだった。だからグラフィックラムをメモリードライブとして使ったりあの当時はメモリーもHddも枯渇状態でした。あの頃は表計算ソフトはロータス123が多かった記憶が・・・皆さん123で起動させてました。
Windows2000のPCに3モードFDDドライブ搭載して普通にPC98用の1.23MBFDD読み書きしていましたよPC98シリーズを所有している人もそこそこいた頃ですね。 懐かしいな
この頃は、マルチプラン(表計算) マルチチャート(グラフ)などがありmsdosから起動するWindows2,0がありました。また、DOSゲームはフロッピーからソフトを立ちあげるのが普通でした。
コジコジくんかわいいなぁ
20代前半ですが、ギリ物心ついた時にフロッピーディスクを、親が使ってたのを覚えてる。
花子はグラフィックソフトで表計算は三四郎ですよ
ジャストシステムといえば、一太郎や花子は販売してるけど、三四郎は無くなりましたね。あとお世話になってるのがATOK
@@sibakari01 今でも最後の98note保存してあります.
花子は、CADソフトですね
五郎っていうデータベースソフトがありましたね('◇')ゞ
このPCは昔使っていました。一太郎のオープニング画面は懐かしいです。いつも楽しく見させていただいてます。
『一太郎』『花子』 は卒論でフル活用と、大変お世話になったソフトですね。PCも 5インチFDベースだったので一太郎では複数枚のFDを入れ替えながらの忙しい作業だった事を思い出します。
花子はグラフィックソフトですね大昔に使ったことがありますが、マウス必須かと思いますちなみに、表計算ソフトは三四郎という名前です
きれいですよね
FDは光学じゃなくて、ヘッドは直接磁気ディスクに触れてる。あとデスクトップはファンでケース内に吸気することが多いからホコリが入りがちだけど、ノートは意外ときれいかもしれない。
あらー。懐かしいですね。最初のメンテナンスから興味深く見させてもらっていました。ありがとうございます。ジャストシステム、確か表計算は三四郎というソフトでしたか。この頃はエクセルよりもロータス123を重宝していました。(^^;)
フロッピーディスクはPC98など日本のパソコン類とIBM PC/AT系ではフォーマット形式が違いまして、同じ2HDでもPC98が1.23MB、PC/ATが1.44MBでフォーマットしますwindowsPCはPC/ATの方ですので、こっちでフォーマットされたディスクはPC98では読めませんフォーマットが3形式選べる様に見えるのは2HDの1.23MBの他は2DDの形式です1992年だと2DDが主流で2HD対応は少なく高級機ですまた、2DDの720KBフォーマットはPC/AT形式なのでIBMとの互換性の為に用意されているものと思われ、これも高級機の証でしょうが2HDでの互換性は無理だったって事でしょうFDは需要が下がってからはどっかのOEMになりメーカー問わず粗悪品で数ヶ月で記録が飛んでしまうので旧いFDを使った方がいいです但し旧いとカビが生えてしまい接触式のヘッドが故障してしまうので使う前に保護窓を開けて盤面を確認した方がいいと思います
ウチも中古ノートPC Intel celeron B820 CPUから Intel i5‐750 に載せ替えてみます。私の家族が使うノートPC のスペックアップしようと思ってい&メモリー今4GB×2だから8GB×2枚に16GBにしようと思っています。メモリーの増設は簡単だけど、CPUの載せ替えは少し、不安ですが、私も頑張ってみたいと思います。。
ゲームはFDから起動しないとconfig.sysやautoexec.batに書いてある下準備ができてなかったりするのでは?
一太郎…懐かしいですね(^-^)v当時は簡単にメモリーを増設する事が出来なかったので一太郎や花子、ロータスを起動する時はそれぞれにバッチファィルを作り再起動させながら使ってました(^-^)v我が家の98も起動させてみようかと思う動画でし(^-^)v
懐かしい、まさにこのノートパソコン使ってゲームしてました。RAMドライブを使ってAを起動ドライブ、B(ラムドライブ)をユーザーディスクにして使った記憶があります。機材持ち込みで一太郎でワープロ検定受けた思い出が懐かしい思い出
私も9801Nで一太郎ver3.0を使っていました。あのころはFD1枚で起動出来て、文書ファイルも保存出来ました。
花子は図形ソフトだったかな三四郎って表計算ソフトがありましたが、当時はロータスの1-2-3というソフトがメジャーでした。
私はマルチプラン派でした。
@@nomoppi 僕もマルチプランでした。懐かしい。。。
懐かしい!一太郎と花子で卒論書きました。GUIなんて言葉が存在しない時代で、花子で初めてマウスの存在価値が発生しました。一太郎と花子はリンクさせることができます。
フロッピーディスクもWin3.1-9Xの時代は秋葉原で50枚組1000円前後で売られていたな。今では高価でね、98版DOSの定期的なバックアップが何よりも重要。
懐かしすぎ
ニフティサーブを利用するためにこの頃の98ノートを中古で買いました。
FDD、3タイプフォーマット(640KB、720KB、1.2MB)は標準です。一般的に呼ばれる3モードっていうのは、それ以外に1.44MBがあるやつで、NS/R以降だったかに搭載されています。PC9801UVっていうのは、VM相当の3.5インチ機です。PC98はLT(とHA)だけVRAMが特殊で、それ以外は互換性あるはずです。当時のゲームはFDDから起動しないと動かないプロテクトとかもあったので、FDD起動で試した方が良いですね。
PC98のノートPCって、隠しRAMとか有ったなぁ…。ドライバ入れて容量小さめのRAMDISKにして遊んでた記憶があります。読み書きの多い辞書を入れてみたりとか…。昔のファイラ―はとても、面白いですよね。JUST Windowを久しぶりに見たい気がします。
こんにちは〜コメントは初めてですが、いつも拝見させて頂いております。自分もこのノートパソコン使っていたのと、NECソフトウェア勤務時代にMS-DOSの開発チーム(担当はフロッピーディスク)にいた事もあってコメントしました🎶これからも応援致しますd('∀'*)
おー4太郎はバリバリ使ってましたよー。ATOKは賢くてWin98SE頃はわざわざ買って入れてましたね!素晴らしい。なおまだ98NS-R持ってます。
PC98壊れたノート二台あるので時間みて復活させますね。有り難う御座います。
花子は一太郎の文書の横に貼ったりする地図とか作れる図形ソフトじゃなかったっけ?
4:11 この作業の事をヘッドクリーニングと言うと思うんだけど。賛同者募集中(『人の動画で何勝手なことやってるんだ』と言う意見は甘んじてお受けします)。
また、この動画を見ました。とても懐かしいです。このPCは持っていました。このPCの次にカラー液晶のモデルNCだった?をボーナスをはたいて買いました。一太郎も花子は現在も使っています。いまやワードの時代かもしれませんが、一太郎が一番使いやすいです。花子は優秀なソフトだと思いますが、職場でもほとんど知られていませんでした。図形が描けて、1mm単位でさまざま図形をかくことができます。しかし、不動の98ノートの修理は何回見ても関心します。すばらしい動画です。(coプロセスッセサーは高くて買えなかったです)
NS/Tって、大昔に研究室用に購入したノートだ!懐かしい!
ゲームはFD読み込み時のプロテクトがきついので、ゲームFDからPC起動しないと駄目じゃないかな。システムがゲームに入っていない場合は、起動システムだけを移すとか、マニュアルにあったと思う。
いやー懐かしくいいもの見せていただきました。(`・ω・´)b省電タイプの386SLが搭載のNoteで、拡張メモリが載せられるんですよね。当時3MB(EMS)ボードが4,5万くらいしたような記憶があります。Gameはモノクロを反転させないとネガ表示になってしまってきれいに見えないんですよね。
当時のPC98用ゲームソフトは違法コピー防止等の理由でフロッピーからでないと起動できないものが多かったと思います。そういうFDをOS起動後読み取ろうとしても読み取れなかったかも。
コジコジのチャンネル見て、パソコン音痴でもなんとかなるんじゃないかとイジル様になって・・・治って良かった👍どっかトラブったら廃棄だった!
メッチャ懐かしいな。特にゲームはFDから起動が基本だからね~。ゲームは専用のOS持ってたりするし。階調液晶で一太郎4.3使いまくってたから懐かしすぎる。探してみたら、そのころ作ったJSWファイルが昔から色んなプラットフォームに引き継いできた書類フォルダに残ってたわ。まだ開けるかな?今の一太郎PC98で使ってたファイルをドロップボックスから発掘するとは感慨深い。
FDDは磁気ヘッドで、光ピックアップヘッドが付くのはMOから。まだ3.5クリーニングディスケットは売ってるだろ。
電源入れた時のピポ音、懐かしい!!当然一太郎と、表計算はロータス123でしたよ〜2〜3年前まで我が家にも98ノートが転がっていましたが、そういえば最近見ないな…。探してみるかぁ
40MB。昔は広大な空間のように感じました。
今や1TBも可能になり、いつかは1PBに…
私も思いました。職場に初めてハードディスク付きの98が入った時は、「フロッピー40枚分なんてどうやっても一杯には出来ない」と思ったものです。 今は、ちょっと凝った文書を作ったら、1.2メガ(当時の98の2HDフォーマット)なんて全然足りない。
懐かしですね!出張報告書で一太郎、花子よく使いました。
その当時のPC-98シリーズはNEC独自の仕様だったので、DOS/Vのデータはもちろん、パーツやディスクフォーマットも独自の仕様になっていて互換性はありません。DOS/V仕様でパソコンが作られ始めたのは、東芝のDYNABOOKSS001からのはずですよ
凄い宝物ですね。今では会社のどこかに眠ってるみたいですね。(=^・^=)
DOSのプログラムを動かすときには必要なデータなどを探すために PATH の記述がないと動作しない物があります。AUTOEXEC.BATの中にカレントデレクトリー(CD:)、PATHの指定などが記述してあるはずです。インストールプログラムを使ってHDDに書き込むものは、HDDに起動用のBATファイルを書き加えています。そのためプログラム本体ではなくてBATファイルからの起動になる場合が多いと思います。自分はDOS3.3C以降、主に5.0をいじっていたので3.1では多少異なるのかもしれませんが、参考にしてください。FDから起動する場合はAドライブがFDになっていますので、画面に表示されているAOUEXEC.BATをそのまま利用してもHDDからは起動しないと思います。DOS3.1 の解説書でもあれば早いんですけどね。
懐かしい。MS-DOSの画面。かつて、学校の情報処理の授業で、MS-DOSの使い方を習ったので、「CLS」とかの命令文は覚えています。命令文を間違えると、「コマンドまたはファイル名が違います」というそっけないエラーメッセージが出る有様でした。このため、命令文は呪文でした。確かに、訳のわからない文章を入力して、1文字でも間違えると効果がないのはまさしく呪文でしょう。
9801NS/Tは私が初めて買ったパソコンです。DOSのフリーゲーム Demon'sEye とか Bio100% とか Juice98 やりまくりましたね。実は今でもエミュレータでプレイしたりします。やりたくなってきたぞ。レッツ「ねこープロジェクトIIx」スターティーン ♡(今はMacなので)
おお、懐かしい一太郎だ。私はMifesを使っていました。あとファイルマネージャーはFDでした。ちなみにゲームはグラフィックモードの関係でノート対応じゃないと起動に失敗します。
ほかの人の指摘の通り、(恐らく)プロテクトチェックでAドライブを読みに行ってるのでしょうね。でもHDDから起動してるのでAドライブはHDD、なのでint 1Bhの実行でエラーになってんじゃないのかな。あとはUV21以降対応ってことはFDDが2基必要なのかもしれない。この時代はFDD2基搭載が当たり前でしたからね。なので卒業は確かHDDに入れる事tができたと思うのでHDDも空いてるみたいですしHDDにいれて起動するのが一番プレイできる確率が高い気がしますねぇ。英雄伝説Ⅱは見た感じFDDから起動すればプレイできると思いますけどね。RAMディスクに対応してるくらいですから
わー、懐かしい。DISK MATEに一太郎&花子なんて当時の仕事用PCの環境とほぼ同じ。ECはエコロジーかな?
こういうMSDOSのメニューソフトは製品として売られていただけでなくHDDにも、HDDファイルの圧縮ソフト、メンテナンスソフトにも添付されていて当時は一杯種類があったな。プログラムの起動だけじゃなくて時計、メモ帳、電話帳、カレンダー、スケジューラ、などの小物機能が豊富だった。オレは技術評論社の電脳手帳というソフトを書店で見つけてずっと使っていたっけ。面白いのはこういうPIM機能を持ったビジュアルシェルはwindows3.1の時代になってもしばらく続いていたこと。
一太郎と花子はPC-9801用の別売りマウスを使う事で使いやすくなります。左下に表示している[JW]をクリックして一太郎と花子の切り替えとか出来たと思います。
一太郎(ワープロ)、花子(図形)、三四郎(表計算)は今でもありますよ。自分は学生時代から一太郎を使っていたので年賀状印刷の時によく使います。
99年まで使っていたPC-9801 NS/T、20年ぶりに触りたくなりました。FDが最初読めなかったのは1.44MBフォーマットでPC-9801 NS/Tでは読めないからだと思います。ゲームが起動しないのはFDDから起動してないからではないでしょうか。モノクロなのでゲームには不向きな機種でした…
熱いですね!
一太郎Ver3使ってました。メニューとか懐かしい。
今晩は WIN3.1から抜いたDOSを使ってます FD(出井)で使うと色が出ないので少し不便ですワープロ 表計算 など色々使っています 本当にdosは手放せません一太郎からATOK6を抜きました 動作を軽くしてます 拡張子を替えると色々使えます中身が見えてよかったです
HDDが50MBだと値段が10万跳ね上がった記憶3.5インチFDもようやくこなれた時期かな?自分は当時廃れつつある5インチ2ドライブデスクトップでCAD作業してましたゲームもタイピングゲームとかがまだ多くて、PC自体にみんながあまり触れていない時代でしたね
懐かしいなぁ、自分はエプソン98互換機 PC386を使ってたなぁ、ファイル操作はフリーソフトのFDを使ってました、昔のソフトはFDDにMS-DOSをインストしないと動かなかったしなぁ、自作DOSが入ってるソフトは滅多に無かったような記憶が・・・
花子はAdobe Illustratorと同じ機能を持つ物で、使用するにはマウス必須。終了はESCキーを押してメニュー表示で終了を選択。当時、花子で加工した図形を一太郎に貼り込んで、色々作ったっけ。
松を使用していたので私も花子は使った事が無いのですが、ファンクションキーやコントロール+Cとか試すことがありますよ。バッテリーが仮想フロッピーディスクドライブのバックアップをしていまして、HDDからの立ち上げだとHDDのドライブレターの次にFDDその次に仮想ドライブが出てきます、PC-98だと2ドライブ必要なソフトが多いので当時は、必須の機能になっています。FDDから起動しプロテクトがあるゲームを立ち上げる場合は1ドライブ目にプロテクトがあるタイプでないと起動できません、仮想ディスクにコピーしたデータはプロテクト非対応です。
(追記)年代の割に液晶の状態が良いな~
FDD(FD1139C)は電解コンデンサの液漏れによる動作不良があると思います。結構ひどく漏れている個体もあるので、確認してみてください。あと2個のマイクロスイッチの動作確認・フロッピーディスク自体にカビが発生している場合に読み込み不良が発生します。カビはFDDのヘッドに伝染るので注意してください。PC-9821シリーズならば1.44M(DOS/V)のフロッピー読めると思います。
この機種は外部ディスプレイ端子もあったはずなので、できれば、今のDOS/Vマシン用のLCDでカラー画面の状態のものを見てみたいと思うけど。
いつも楽しく見ています。家にあるパソコン 気が付けばフロッピーディスクが使える物が1つも無かったです。ちょっと前まではあったのですが…。
ドライバーかっこよ!
いつも作業台が綺麗ですよねー。ええ感じ。
フロッピーとHDDのDOSバージョンが違っているのでは?fddブートなら動くかも。 またHddのdos3.10は初期の頃なので、Hddブートからだとゲーム側が後期の3.3CやD、さらに後のVer5系が入っているならドライブレターも含めて整合性取れないのかも。後、ゲーム等はメモリー領域が十分に空いて無いと起動できないソフトもありますのでFDDブートをお勧めします。追記atokドライバが組み込まれてるならメインメモリ圧迫されてゲームは起動しないでしょうね。アッパメモリーヘロードしていれば別ですが、、、
フロッピーディスクのフォーマット形式はNECとDOS/Vと形式が違っているので読み込みできない事が有りますよ。花子はマウスが要ります。
懐かしいです。松下のJR-100 も見てみたいなあ。ところで入力し易いでは ^^;
なついわ〜ロータス123とかあったな〜
いまの一太郎も花子はとてもグラフィカル,ゲームはFDブートかHDDにインストールしないとダメだったような気がしますよ.
いつも楽しく拝見しております。一太郎、花子、懐かしい。失礼ですが、「ATOK」は“エイトック”です。昔は“エートック”だったと思います。“Adbanced Techknorogy Of Kana-Kanji”ところで、一太郎のジャストシステム。その創業の苦労話と浮川社長夫妻はご存知でしょうか。ATOKは社長の奥様、初子様が開発しました。もともとは奥様がエンジニアです。起動画面の「一太郎」は達筆な浮川社長の書写です。“一太郎”の由来に、浮川社長が家庭教師をしていた病弱な少年、太郎君がむかし生きていたこと。“ワード太郎”だったワープロソフトが、日本一のワープロソフトになって、“一太郎”。「太郎君、お前は日本一になったんだよ。」そんな悲話があります。他にも“ファイラー”、先日の“FDISK”コマンド、忘れていた記憶をくすぐられました。これからも楽しみにしております。
一時期は地方の雄で一世風靡をしたJustSystemですが…今やそのJustSystemも大手FA関連企業のKEYENCE傘下に堕ちてしまい、当時の面影はなくなっちゃいましたね…
懐かしいですね~PC-98は親が使ってました。この頃はかな入力が一般的だったような気がします。
コメント欄が歴戦の猛者が多くてこのチャンネルほんといい感じのニッチな内容だよなーと改めて思いました!
応援してます!
MS-DOS時代のマシン、懐かしすぎます。
中学生時分、「一太郎(ジャストウィンドウ)を使うぞ!」と意気込んで、PCを買ったはいいけどインストールできずに困ってた親父。
宿題そっちのけでマニュアルとにらめっこしながら、なんとか使える形でインストールした私。
ご褒美が「満面の笑顔だけ」だったので、親父に報告時に「自慢した」のが悪かったのだと悔やんだことを思い出しました。
今思うと、あの時にOSのファイル管理の基礎を学んだんだなぁ。…とも。
当時のPC98は、起動ドライブが必ず A: になるという仕様です。
ゲームなどのFDは起動システムも入っていてFDを起動ドライブとして起ち上げ、ドライブレターA:でファイルを読み込みに行くのでHDDから起動後にFD内のプログラムを指定する形だと読み込みエラーを起こしているのだと思います。
おお!なつかしい一太郎!辞書は(当時にしては)賢かったし、罫線が引きやすかった
同時期に出てたWORDは罫線が死ぬほど引きづらかったのよね〜w
たしか「倍角、罫線、保存」みたいな操作をする時はESCキーを押してからメニューが出てきて、選んで操作した記憶があります
ゲームが起動しなかったのはFDDをAドライブにしてなかったからかも。
私がMS-DOSをいじってたときはFDDに入れてリセットしてキレイにしてから起動してましたね。
懐かしい!一太郎のバージョンで三太郎、四太郎って友達内で区別してました。Atokも「あとっく」とか言ってましたね(笑)
8:27 パッケージにも表記されているのですが、前の使用者はWindowsのフォーマット(1.44MB)で使用されていたと思われます。
PC-9801シリーズは同じ2HDでもフォーマットが違う(1.2MB)ので使用できませんので当然読み込みエラーになります。故障ではありません。
ちなみに以前動画でFREEDOSを起動させていた、PC-9821V13の仕様は「3モード対応」なので1.2MB(98機独自?)、1.44MB(98,DOS/V共通)ともに使用可能です。
ゲームを起動する前にディップスイッチをゲームに合わせて調整が必要になります。HDDからではなく起動FDで起動して、データFDへ交換してゲームを遊びますよ
DOS/V用にフォーマットされたフロッピーは容量が1.44MBなので98からは見れません
因みに一太郎4.3にはジャストウインドウ機能というのがあって、メモリの設定をすれば疑似マルチタスクが使えるようになります(設定はかなり面倒だったのを覚えてます)
ファイラーは当時FD.exeを使ってたな、通信ソフトはWterm
ゲームはDOS上からではなくディスクから直接起動したら動くかも。
確か花子はGRAPH+HELPでモードが切り替わり、矢印キーでキーボードからマウスカーソルを動かせたと思う
ただ何とかつかえるというレベルで、マウスがないと使い物にならない
NECはNECフォーマット1.2MBでDOSVは1.44MBフォーマットでしたよ
すごいよ、あなた、すごすぎるよ!
一太郎4.3とか花子とか、ふえぇ~
PC-9821カラーを持ってました
メモリー増設で散財した記憶が蘇りましたWww
いつも興味深い動画アップありがとうございます。
肌綺麗ですね☺️
Dr.中松氏に依るフロッピーディスク&ドライブは今や完全にレガシーパーツになってしまいましたね。5.5吋のディスケットを10枚(も)買って、大切に使った事を懐かしく思い出しました。
コジコジさん、楽しみにしていました。
一太郎、花子表計算123とか懐かしい。花子に文字を書き込む仕組みは今のオフィスに似ていましたね。当時作ったフロッピーはすべて廃棄してしまった。記憶が薄れる中でこの動画は刺激的です。
1-2-3はLotusや!!とか言ってみますw
懐かしい。自分はNEC PC-9801 ns20(NS/Tの前機種かな?)を買いましたがPC本体とサーマルプリンタで40万円ぐらいだった記憶がありますw
ちゃんと98でフォーマットしないと使えないよ〜。DOS/Vの1MBフォーマットは形式が違うよ。
またドライブの交換もDOS/Vパーツで対応も難しいです。
それとどれくらいシステムメモリ載ってるのかな?メモリ増設してないと動かないゲームもかなりあったよ、それとFDDは2ドライブ無いと動かないのも有った。
ジャストシステムの表計算ソフトは三四郎(三四六)だよ。花子はグラフィック系のソフトだよ。
PC-98は1.2MBでDos/VとDOS対応Mac系が1.44MBな仕様ですな。
ただ、一部の3モード対応のFDDだと、両対応で読めたりしたなぁ…
あと、3モード読込FDDでも、ドライバー側の対応がWin98あたりで終わった気がする(良くてWin2KかWinMeまで)から、その世代のマシンを用意せにゃーならんな。
PC-9821以降は1.44MB対応じゃ無かったでしたっけ?もちろん1.2MBも使えたはずですが。
今うちにはPC-9821Xv13のK6-300MHzに改造したのがまだありますよ。ほとんど動かしてないですけど。
補足です、98はFDDに起動チェックがあり、純正ドライブじゃないと起動しません。
それと、MS-DOSのフォーマットも3.3と5.0で違いがあり、
アプリが3.3当時の物は、3.3以前のOSでフォーマットしないと、
使えないってこともあります、ローランドのカッティングマシン用アプリなど
高価なアプリほどそう言うのがあります。
FDDは結構重要部品なので、注意が必要です。
@@01kum35 9821はWin3.1インストール時にもCDドライブの純正チェックが働く。
当時、NECの殿様商売ぶりが伺えます。
昨日から見ています。
コンデンサの総取替なんて感動モノです。
・・・ちなみにPC98も完動のようですね。
花子はCADのように「層(レイヤー)」で使えたと記憶しています。
会社にCADがなかった30年位昔、上司が花子で京都駅の平面図を描いていたところに、
若くてやる気のない私がコーヒー片手に床を這わせていた電源コードに足を引っかけて、
上司の大作をオシャカにしたのを思い出しました。
花子の図をAutoCADに変換できそうなのを発見して、明日にでも試そうと思います。
ワクワクしますね、また、楽しみにしています。
コジコジさん凄いですね!!
応援してます(*´ω`*)
当時は、ワープロは一太郎で、表計算はロータス1-2-3が定番だったことを思い出しました。
windowsを会社で使うようになってから、エクセル・ワードを使うようになり、慣れるまでに苦労した記憶があります。
HDD起動時のGUIソフトはDOSインストール時にHDDシステムインストールとして、最初に添付されているソフトですね。3.3CかDで色付きなって、5.0でマウス対応だったと記憶してます
コジコジさんの修理動画はいいですね!
めちゃくちゃ懐かしかったです。
一太郎で仕様書とかの資料作ってました。そして、花子でプログラムのフローチャートを作ってました。
PC-9801NS/Tは、個人的にはじめて買ったノートパソコンで・・・。
この時代の表計算ソフトはロータス123ですね。123って入力すると起動できました。
DOS時代の表計算はやはりロータス1-2-3が圧倒的だったね、
しかし懐かしい機体が再び動く様子を見られるのは嬉しいよ
昔Nシリーズで一太郎ver3でプログラム仕様書を作成してました。(Ver4はメモリ不足)
メモリーがバカ高いからか会社のPCは実装1mbだった。
だからグラフィックラムをメモリードライブとして使ったりあの当時はメモリーもHddも枯渇状態でした。
あの頃は表計算ソフトはロータス123が多かった記憶が・・・
皆さん123で起動させてました。
Windows2000のPCに3モードFDDドライブ搭載して普通にPC98用の1.23MBFDD読み書きしていましたよ
PC98シリーズを所有している人もそこそこいた頃ですね。 懐かしいな
この頃は、マルチプラン(表計算) マルチチャート(グラフ)などがあり
msdosから起動するWindows2,0がありました。
また、DOSゲームはフロッピーからソフトを立ちあげるのが普通でした。
コジコジくんかわいいなぁ
20代前半ですが、ギリ物心ついた時にフロッピーディスクを、親が使ってたのを覚えてる。
花子はグラフィックソフトで
表計算は三四郎ですよ
ジャストシステムといえば、一太郎や花子は販売してるけど、三四郎は無くなりましたね。
あとお世話になってるのがATOK
@@sibakari01 今でも最後の98note保存してあります.
花子は、CADソフトですね
五郎っていうデータベースソフトがありましたね('◇')ゞ
このPCは昔使っていました。一太郎のオープニング画面は懐かしいです。いつも楽しく見させていただいてます。
『一太郎』『花子』 は卒論でフル活用と、大変お世話になったソフトですね。
PCも 5インチFDベースだったので一太郎では複数枚のFDを入れ替えながらの
忙しい作業だった事を思い出します。
花子はグラフィックソフトですね
大昔に使ったことがありますが、マウス必須かと思います
ちなみに、表計算ソフトは三四郎という名前です
きれいですよね
FDは光学じゃなくて、ヘッドは直接磁気ディスクに触れてる。
あとデスクトップはファンでケース内に吸気することが多いからホコリが入りがちだけど、ノートは意外ときれいかもしれない。
あらー。懐かしいですね。最初のメンテナンスから興味深く見させてもらっていました。ありがとうございます。ジャストシステム、確か表計算は三四郎というソフトでしたか。この頃はエクセルよりもロータス123を重宝していました。(^^;)
フロッピーディスクはPC98など日本のパソコン類とIBM PC/AT系ではフォーマット形式が違いまして、同じ2HDでもPC98が1.23MB、PC/ATが1.44MBでフォーマットします
windowsPCはPC/ATの方ですので、こっちでフォーマットされたディスクはPC98では読めません
フォーマットが3形式選べる様に見えるのは2HDの1.23MBの他は2DDの形式です
1992年だと2DDが主流で2HD対応は少なく高級機です
また、2DDの720KBフォーマットはPC/AT形式なのでIBMとの互換性の為に用意されているものと思われ、これも高級機の証でしょうが2HDでの互換性は無理だったって事でしょう
FDは需要が下がってからはどっかのOEMになりメーカー問わず粗悪品で数ヶ月で記録が飛んでしまうので旧いFDを使った方がいいです
但し旧いとカビが生えてしまい接触式のヘッドが故障してしまうので使う前に保護窓を開けて盤面を確認した方がいいと思います
ウチも中古ノートPC Intel celeron B820 CPUから Intel i5‐750 に載せ替えてみます。私の家族が使うノートPC のスペックアップしようと思ってい&メモリー今4GB×2だから8GB×2枚に16GBにしようと思っています。メモリーの増設は簡単だけど、CPUの載せ替えは少し、不安ですが、私も頑張ってみたいと思います。。
ゲームはFDから起動しないと
config.sysやautoexec.batに書いてある下準備ができてなかったりするのでは?
一太郎…懐かしいですね(^-^)v当時は簡単にメモリーを増設する事が出来なかったので一太郎や花子、ロータスを起動する時はそれぞれにバッチファィルを作り再起動させながら使ってました(^-^)v我が家の98も起動させてみようかと思う動画でし(^-^)v
懐かしい、まさにこのノートパソコン使ってゲームしてました。
RAMドライブを使ってAを起動ドライブ、B(ラムドライブ)をユーザーディスクにして使った記憶があります。
機材持ち込みで一太郎でワープロ検定受けた思い出が懐かしい思い出
私も9801Nで一太郎ver3.0を使っていました。
あのころはFD1枚で起動出来て、文書ファイルも保存出来ました。
花子は図形ソフトだったかな
三四郎って表計算ソフトがありましたが、当時はロータスの1-2-3というソフトがメジャーでした。
私はマルチプラン派でした。
@@nomoppi 僕もマルチプランでした。懐かしい。。。
懐かしい!一太郎と花子で卒論書きました。GUIなんて言葉が存在しない時代で、花子で初めてマウスの存在価値が発生しました。一太郎と花子はリンクさせることができます。
フロッピーディスクもWin3.1-9Xの時代は秋葉原で50枚組1000円前後で売られていたな。今では高価でね、98版DOSの定期的なバックアップが何よりも重要。
懐かしすぎ
ニフティサーブを利用するためにこの頃の98ノートを中古で買いました。
FDD、3タイプフォーマット(640KB、720KB、1.2MB)は標準です。
一般的に呼ばれる3モードっていうのは、それ以外に1.44MBがあるやつで、NS/R以降だったかに搭載されています。
PC9801UVっていうのは、VM相当の3.5インチ機です。
PC98はLT(とHA)だけVRAMが特殊で、それ以外は互換性あるはずです。
当時のゲームはFDDから起動しないと動かないプロテクトとかもあったので、FDD起動で試した方が良いですね。
PC98のノートPCって、隠しRAMとか有ったなぁ…。ドライバ入れて容量小さめのRAMDISKにして遊んでた記憶があります。読み書きの多い辞書を入れてみたりとか…。
昔のファイラ―はとても、面白いですよね。
JUST Windowを久しぶりに見たい気がします。
こんにちは〜
コメントは初めてですが、いつも拝見させて頂いております。
自分もこのノートパソコン使っていたのと、NECソフトウェア勤務時代にMS-DOSの開発チーム(担当はフロッピーディスク)にいた事もあってコメントしました🎶
これからも応援致しますd('∀'*)
おー4太郎はバリバリ使ってましたよー。ATOKは賢くてWin98SE頃はわざわざ買って入れてましたね!素晴らしい。なおまだ98NS-R持ってます。
PC98壊れたノート二台あるので時間みて復活させますね。有り難う御座います。
花子は一太郎の文書の横に貼ったりする地図とか作れる図形ソフトじゃなかったっけ?
4:11 この作業の事をヘッドクリーニングと言うと思うんだけど。賛同者募集中(『人の動画で何勝手なことやってるんだ』と言う意見は甘んじてお受けします)。
また、この動画を見ました。とても懐かしいです。このPCは持っていました。このPCの次にカラー液晶のモデルNCだった?をボーナスをはたいて買いました。一太郎も花子は現在も使っています。いまやワードの時代かもしれませんが、一太郎が一番使いやすいです。花子は優秀なソフトだと思いますが、職場でもほとんど知られていませんでした。図形が描けて、1mm単位でさまざま図形をかくことができます。しかし、不動の98ノートの修理は何回見ても関心します。すばらしい動画です。(coプロセスッセサーは高くて買えなかったです)
NS/Tって、大昔に研究室用に購入したノートだ!
懐かしい!
ゲームはFD読み込み時のプロテクトがきついので、ゲームFDからPC起動しないと駄目じゃないかな。システムがゲームに入っていない場合は、起動システムだけを移すとか、マニュアルにあったと
思う。
いやー懐かしくいいもの見せていただきました。(`・ω・´)b
省電タイプの386SLが搭載のNoteで、拡張メモリが載せられるんですよね。
当時3MB(EMS)ボードが4,5万くらいしたような記憶があります。
Gameはモノクロを反転させないとネガ表示になってしまってきれいに見えないんですよね。
当時のPC98用ゲームソフトは違法コピー防止等の理由でフロッピーからでないと起動できないものが多かったと思います。
そういうFDをOS起動後読み取ろうとしても読み取れなかったかも。
コジコジのチャンネル見て、パソコン音痴でもなんとかなるんじゃないかとイジル様になって・・・
治って良かった👍どっかトラブったら廃棄だった!
メッチャ懐かしいな。
特にゲームはFDから起動が基本だからね~。ゲームは専用のOS持ってたりするし。
階調液晶で一太郎4.3使いまくってたから懐かしすぎる。
探してみたら、そのころ作ったJSWファイルが昔から色んなプラットフォームに引き継いできた書類フォルダに残ってたわ。まだ開けるかな?今の一太郎
PC98で使ってたファイルをドロップボックスから発掘するとは感慨深い。
FDDは磁気ヘッドで、光ピックアップヘッドが付くのはMOから。まだ3.5クリーニングディスケットは売ってるだろ。
電源入れた時のピポ音、懐かしい!!
当然一太郎と、表計算はロータス123でしたよ〜
2〜3年前まで我が家にも98ノートが転がっていましたが、そういえば最近見ないな…。
探してみるかぁ
40MB。昔は広大な空間のように感じました。
今や1TBも可能になり、いつかは1PBに…
私も思いました。
職場に初めてハードディスク付きの98が入った時は、「フロッピー40枚分なんてどうやっても一杯には出来ない」と思ったものです。
今は、ちょっと凝った文書を作ったら、1.2メガ(当時の98の2HDフォーマット)なんて全然足りない。
懐かしですね!
出張報告書で一太郎、花子よく使いました。
その当時のPC-98シリーズはNEC独自の仕様だったので、DOS/Vのデータはもちろん、パーツやディスクフォーマットも独自の仕様になっていて互換性はありません。
DOS/V仕様でパソコンが作られ始めたのは、東芝のDYNABOOKSS001からのはずですよ
凄い宝物ですね。今では会社のどこかに眠ってるみたいですね。(=^・^=)
DOSのプログラムを動かすときには必要なデータなどを探すために PATH の記述がないと動作しない物があります。
AUTOEXEC.BATの中にカレントデレクトリー(CD:)、PATHの指定などが記述してあるはずです。
インストールプログラムを使ってHDDに書き込むものは、HDDに起動用のBATファイルを書き加えています。
そのためプログラム本体ではなくてBATファイルからの起動になる場合が多いと思います。
自分はDOS3.3C以降、主に5.0をいじっていたので3.1では多少異なるのかもしれませんが、参考にしてください。
FDから起動する場合はAドライブがFDになっていますので、画面に表示されているAOUEXEC.BATをそのまま利用してもHDDからは起動しないと思います。
DOS3.1 の解説書でもあれば早いんですけどね。
懐かしい。MS-DOSの画面。
かつて、学校の情報処理の授業で、MS-DOSの使い方を習ったので、「CLS」とかの命令文は覚えています。
命令文を間違えると、「コマンドまたはファイル名が違います」というそっけないエラーメッセージが出る有様でした。
このため、命令文は呪文でした。確かに、訳のわからない文章を入力して、1文字でも間違えると効果がないのはまさしく呪文でしょう。
9801NS/Tは私が初めて買ったパソコンです。
DOSのフリーゲーム Demon'sEye とか Bio100% とか Juice98 やりまくりましたね。
実は今でもエミュレータでプレイしたりします。
やりたくなってきたぞ。レッツ「ねこープロジェクトIIx」スターティーン ♡(今はMacなので)
おお、懐かしい一太郎だ。
私はMifesを使っていました。
あとファイルマネージャーはFDでした。
ちなみにゲームはグラフィックモードの関係でノート対応じゃないと起動に失敗します。
ほかの人の指摘の通り、(恐らく)プロテクトチェックでAドライブを読みに行ってるのでしょうね。でもHDDから起動してるのでAドライブはHDD、なのでint 1Bhの実行でエラーになってんじゃないのかな。あとはUV21以降対応ってことはFDDが2基必要なのかもしれない。この時代はFDD2基搭載が当たり前でしたからね。なので卒業は確かHDDに入れる事tができたと思うのでHDDも空いてるみたいですしHDDにいれて起動するのが一番プレイできる確率が高い気がしますねぇ。英雄伝説Ⅱは見た感じFDDから起動すればプレイできると思いますけどね。RAMディスクに対応してるくらいですから
わー、懐かしい。DISK MATEに一太郎&花子なんて当時の仕事用PCの環境とほぼ同じ。ECはエコロジーかな?
こういうMSDOSのメニューソフトは製品として売られていただけでなくHDDにも、HDDファイルの圧縮ソフト、メンテナンスソフトにも添付されていて
当時は一杯種類があったな。プログラムの起動だけじゃなくて時計、メモ帳、電話帳、カレンダー、スケジューラ、などの小物機能が豊富だった。
オレは技術評論社の電脳手帳というソフトを書店で見つけてずっと使っていたっけ。
面白いのはこういうPIM機能を持ったビジュアルシェルはwindows3.1の時代になってもしばらく続いていたこと。
一太郎と花子はPC-9801用の別売りマウスを使う事で使いやすくなります。
左下に表示している[JW]をクリックして一太郎と花子の切り替えとか出来たと思います。
一太郎(ワープロ)、花子(図形)、三四郎(表計算)は今でもありますよ。
自分は学生時代から一太郎を使っていたので年賀状印刷の時によく使います。
99年まで使っていたPC-9801 NS/T、20年ぶりに触りたくなりました。
FDが最初読めなかったのは1.44MBフォーマットでPC-9801 NS/Tでは読めないからだと思います。
ゲームが起動しないのはFDDから起動してないからではないでしょうか。
モノクロなのでゲームには不向きな機種でした…
熱いですね!
一太郎Ver3使ってました。メニューとか懐かしい。
今晩は WIN3.1から抜いたDOSを使ってます FD(出井)で使うと色が出ないので少し不便です
ワープロ 表計算 など色々使っています 本当にdosは手放せません
一太郎からATOK6を抜きました 動作を軽くしてます 拡張子を替えると色々使えます
中身が見えてよかったです
HDDが50MBだと値段が10万跳ね上がった記憶
3.5インチFDもようやくこなれた時期かな?自分は当時廃れつつある5インチ2ドライブデスクトップでCAD作業してました
ゲームもタイピングゲームとかがまだ多くて、PC自体にみんながあまり触れていない時代でしたね
懐かしいなぁ、自分はエプソン98互換機 PC386を使ってたなぁ、ファイル操作はフリーソフトのFDを使ってました、昔のソフトはFDDにMS-DOSをインストしないと動かなかったしなぁ、自作DOSが入ってるソフトは滅多に無かったような記憶が・・・
花子はAdobe Illustratorと同じ機能を持つ物で、使用するにはマウス必須。終了はESCキーを押してメニュー表示で終了を選択。
当時、花子で加工した図形を一太郎に貼り込んで、色々作ったっけ。
松を使用していたので私も花子は使った事が無いのですが、ファンクションキーやコントロール+Cとか試すことがありますよ。
バッテリーが仮想フロッピーディスクドライブのバックアップをしていまして、HDDからの立ち上げだとHDDのドライブレターの次にFDDその次に仮想ドライブが出てきます、
PC-98だと2ドライブ必要なソフトが多いので当時は、必須の機能になっています。
FDDから起動しプロテクトがあるゲームを立ち上げる場合は1ドライブ目にプロテクトがあるタイプでないと起動できません、仮想ディスクにコピーしたデータはプロテクト非対応です。
(追記)年代の割に液晶の状態が良いな~
FDD(FD1139C)は電解コンデンサの液漏れによる動作不良があると思います。結構ひどく漏れている個体もあるので、確認してみてください。あと2個のマイクロスイッチの動作確認・フロッピーディスク自体にカビが発生している場合に読み込み不良が発生します。カビはFDDのヘッドに伝染るので注意してください。PC-9821シリーズならば1.44M(DOS/V)のフロッピー読めると思います。
この機種は外部ディスプレイ端子もあったはずなので、できれば、今のDOS/Vマシン用のLCDでカラー画面の状態のものを見てみたいと思うけど。
いつも楽しく見ています。
家にあるパソコン 気が付けばフロッピーディスクが使える物が1つも無かったです。ちょっと前まではあったのですが…。
ドライバーかっこよ!
いつも作業台が綺麗ですよねー。ええ感じ。
フロッピーとHDDのDOSバージョンが違っているのでは?fddブートなら動くかも。
またHddのdos3.10は初期の頃なので、Hddブートからだとゲーム側が後期の3.3CやD、さらに後のVer5系が入っているならドライブレターも含めて整合性取れないのかも。
後、ゲーム等はメモリー領域が十分に空いて無いと起動できないソフトもありますのでFDDブートをお勧めします。
追記atokドライバが組み込まれてるならメインメモリ圧迫されてゲームは起動しないでしょうね。アッパメモリーヘロードしていれば別ですが、、、
フロッピーディスクのフォーマット形式はNECとDOS/Vと形式が違っているので読み込みできない事が有りますよ。花子はマウスが要ります。
懐かしいです。松下のJR-100 も見てみたいなあ。ところで入力し易いでは ^^;
なついわ〜
ロータス123とかあったな〜
いまの一太郎も花子はとてもグラフィカル,ゲームはFDブートかHDDにインストールしないとダメだったような気がしますよ.
いつも楽しく拝見しております。
一太郎、花子、懐かしい。
失礼ですが、「ATOK」は“エイトック”です。昔は“エートック”だったと思います。
“Adbanced Techknorogy Of Kana-Kanji”
ところで、一太郎のジャストシステム。
その創業の苦労話と浮川社長夫妻はご存知でしょうか。
ATOKは社長の奥様、初子様が開発しました。
もともとは奥様がエンジニアです。
起動画面の「一太郎」は達筆な浮川社長の書写です。
“一太郎”の由来に、浮川社長が家庭教師をしていた病弱な少年、太郎君がむかし生きていたこと。
“ワード太郎”だったワープロソフトが、日本一のワープロソフトになって、“一太郎”。
「太郎君、お前は日本一になったんだよ。」
そんな悲話があります。
他にも“ファイラー”、先日の“FDISK”コマンド、忘れていた記憶をくすぐられました。
これからも楽しみにしております。
一時期は地方の雄で一世風靡をしたJustSystemですが…
今やそのJustSystemも大手FA関連企業のKEYENCE傘下に堕ちてしまい、当時の面影はなくなっちゃいましたね…
懐かしいですね~PC-98は親が使ってました。この頃はかな入力が一般的だったような気がします。