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私個人的には、ご飯を食べるよりも祈りを優先せざるを得ない心情、ご飯を食べる気持ちではない心情により、自然に起こる行動なのではないかと思いました。
動画の内容とは直接的には関わりのない内容になってしまうのですが、まったり の2人に聞きたい内容があります。いつもの通り、2人の個人的意見や聖書理解からお応え頂けると、感謝です。ーーーーまたは、このシビアなテーマについての動画を作製してくださっても。少なくともお二人の意見や、聖書解釈の観点から是非お聞かせください。ーーーーーー日本の聖霊派、ホーリネス教団などでよく強調される、「癒し、異言」についてですが、どのような聖書解釈、理解を持っていますか?現在も、癒しの集会に行けば、その集会で「癒された=病気、ケガ、痛みが治った」という話やその場面を見聞きしますが、この癒し集会の内容、異言も含めて、聖書的でしょうか?聖書の中で強調される内容でしょうか?または、聖霊派やホーリネス教団いった特定の教団が強調しているに過ぎないのでしょうか?ーーーー因みに私は、小林さんと大変近い神学、教理の土台に立っているように思います。牧会者であった父は保守的福音派の単立教会を開拓しましたが、教会内で、癒し、異言の強調や実際に癒しの集会をしたことは一度もありませんでしたし、両親ともども、異言は話せません。父が神学校行ったり、牧会した時代背景には、アメリカのカリスマ運動が盛んで、ベニヒーン牧師などのような系統の牧師や教団が目立った時代背景がありました。異言話すが救われたクリスチャンになった証として、異言重要性や病院行く前に、癒しの集会で真剣に祈って癒されるが信仰深いとされた1960年代から1990年代後半の時代でした。父は1965年から保守的福音派聖書的な米国ダラス神学校で学びを受けました。
癒しの集会に誘われて行ったこともあります。
某教会主催のに三日半したことあります。動機は、やはり祈りの結果に期待していたからです。水分は取っていました。精神的には研ぎ澄まされた感がありました。一人でやるよりきちんとした指導者の下、仲間でやる方が安全でしょうね。
断食すると霊的に敏感になると思います。信じてから数ヶ月たった頃、聖霊の導きガ始まり、何かスゴイ事が起きていると、自然に断食になり一週間続きました。その中で、聖霊さまが具体的に偶像の悔改め等を語り導き最後に聖霊内住と同時にキリストの聖なる愛を体感。ボ−ンアゲインしました!このような特別な導きを理解できたのは、この断食も要因では?でも、断食嫌いです!(笑)
素晴らしい証をありがとうございます✨断食、嫌いということですが、1週間断食した時は御霊によって断食するように語られて、嫌な気持ちも少しはありつつ断食されたのですか?それとも御霊に満たされて断食したくなり、自らすすんで断食をされたのですか??とても素晴らしい証だったのでもっと詳しく知りたいな…と思いまして…
@@sayaka4205それまで、知識だけで信じていたこと(神、悪魔の存在、神の愛、自分が地獄に値する罪人等)が、現実だと実感したら、自分はまだ多くの偶像に依存していて悪魔の支配下で縛られていることが分かり、恐ろしいやら、不思議やら、必死に罪の赦しを請い、イエスだけを主としますと宣言し続けました。食べることなんて考える余裕なしです。火事の現場から逃げる時に何か食べる人なんていない、という感じですね。
昔1週間やって、ランニングしたらフラフラしたんで、やめた。
私の父親は戦争体験があったので、何時も戦争中、終戦直後は何も食べるものは無かったと言っていた。そんな苦しく時代を思い出して、飽食に走らなかった所はあったようです、今の日本人はもう忘れてしまったのでしょう。、本当に食べる物が無かったそうです食事中にそんな話しをされるのが嫌でした、食事は楽しく食べる事が良いと、思いました。、然し、余りにも美味しい物が食べられる様になって、怖い気持ちは有ります。食べてるのではなくて、逆に食べ物に食べられている感覚の様な…私は大学生の頃まで、そんなに美味しい物とか食べる事に興味は無かったように思い出します。宗教的な意味ではなくて、何時も美味しい物を食べているので、正月位、断食してみようとやった事があります。2日位はきついのだけど、3日目位からそんなに苦しく無くなった様な気がします、3日でやめたのですが、何と食べると逆に苦しくなってしまいました、断食後は徐々に少しずつ元の食事に戻さないと、身体が受け付けなくなっていたようです。仏教なんかでは、肉は生命エネルギーを強くしてしまい、それが欲に結びつくから食べない等あらみたいですが、程々がよいと思いましたが、どの程度が程々なのかわからないです。
そんなことより、ガザでは200万人の人々が飢餓線上にある、既に7万人が餓死したと伝えられている。そのことを思いながら神に感謝してたべなさい。
ガザの人々がハマスに立ち向かわないと事態は変わりません。与えられる食事を感謝して、飢えの中にいる方々のために祈っていただけば良いでしょう😊
私個人的には、ご飯を食べるよりも祈りを優先せざるを得ない心情、ご飯を食べる気持ちではない心情により、自然に起こる行動なのではないかと思いました。
動画の内容とは直接的には関わりのない内容になってしまうのですが、まったり の2人に聞きたい内容があります。
いつもの通り、2人の個人的意見や聖書理解からお応え頂けると、感謝です。
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または、このシビアなテーマについての動画を作製してくださっても。
少なくともお二人の意見や、聖書解釈の観点から是非お聞かせください。
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日本の聖霊派、ホーリネス教団などでよく強調される、
「癒し、異言」についてですが、どのような聖書解釈、理解を持っていますか?
現在も、癒しの集会に行けば、その集会で「癒された=病気、ケガ、痛みが治った」という話やその場面を見聞きしますが、この癒し集会の内容、異言も含めて、聖書的でしょうか?
聖書の中で強調される内容でしょうか?
または、聖霊派やホーリネス教団いった特定の教団が強調しているに過ぎないのでしょうか?
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因みに私は、小林さんと大変近い神学、教理の土台に立っているように思います。
牧会者であった父は保守的福音派の単立教会を開拓しましたが、教会内で、癒し、異言の強調や実際に癒しの集会をしたことは一度もありませんでしたし、両親ともども、異言は話せません。
父が神学校行ったり、牧会した時代背景には、アメリカのカリスマ運動が盛んで、ベニヒーン牧師などのような系統の牧師や教団が目立った時代背景がありました。
異言話すが救われたクリスチャンになった証として、異言重要性や病院行く前に、癒しの集会で真剣に祈って癒されるが信仰深いとされた1960年代から1990年代後半の時代でした。
父は1965年から保守的福音派聖書的な米国ダラス神学校で学びを受けました。
癒しの集会に誘われて行ったこともあります。
某教会主催のに三日半したことあります。動機は、やはり祈りの結果に期待していたからです。水分は取っていました。精神的には研ぎ澄まされた感がありました。
一人でやるよりきちんとした指導者の下、仲間でやる方が安全でしょうね。
断食すると霊的に敏感になると思います。信じてから数ヶ月たった頃、聖霊の導きガ始まり、何かスゴイ事が起きていると、自然に断食になり一週間続きました。その中で、聖霊さまが具体的に偶像の悔改め等を語り導き最後に聖霊内住と同時にキリストの聖なる愛を体感。ボ−ンアゲインしました!このような特別な導きを理解できたのは、この断食も要因では?でも、断食嫌いです!(笑)
素晴らしい証をありがとうございます✨
断食、嫌いということですが、1週間断食した時は御霊によって断食するように語られて、嫌な気持ちも少しはありつつ断食されたのですか?
それとも御霊に満たされて断食したくなり、自らすすんで断食をされたのですか??
とても素晴らしい証だったのでもっと詳しく知りたいな…と思いまして…
@@sayaka4205それまで、知識だけで信じていたこと(神、悪魔の存在、神の愛、自分が地獄に値する罪人等)が、現実だと実感したら、自分はまだ多くの偶像に依存していて悪魔の支配下で縛られていることが分かり、恐ろしいやら、不思議やら、必死に罪の赦しを請い、イエスだけを主としますと宣言し続けました。食べることなんて考える余裕なしです。火事の現場から逃げる時に何か食べる人なんていない、という感じですね。
昔1週間やって、ランニングしたらフラフラしたんで、やめた。
私の父親は戦争体験があったので、何時も戦争中、終戦直後は何も食べるものは無かったと言っていた。そんな苦しく時代を思い出して、飽食に走らなかった所はあったようです、今の日本人はもう忘れてしまったのでしょう。、本当に食べる物が無かったそうです食事中にそんな話しをされるのが嫌でした、食事は楽しく食べる事が良いと、思いました。、然し、余りにも美味しい物が食べられる様になって、怖い気持ちは有ります。食べてるのではなくて、逆に食べ物に食べられている感覚の様な…私は大学生の頃まで、そんなに美味しい物とか食べる事に興味は無かったように思い出します。宗教的な意味ではなくて、何時も美味しい物を食べているので、正月位、断食してみようとやった事があります。2日位はきついのだけど、3日目位からそんなに苦しく無くなった様な気がします、3日でやめたのですが、何と食べると逆に苦しくなってしまいました、断食後は徐々に少しずつ元の食事に戻さないと、身体が受け付けなくなっていたようです。仏教なんかでは、肉は生命エネルギーを強くしてしまい、それが欲に結びつくから食べない等あらみたいですが、程々がよいと思いましたが、どの程度が程々なのかわからないです。
そんなことより、ガザでは200万人の人々が飢餓線上にある、既に7万人が餓死したと伝えられている。そのことを思いながら神に感謝してたべなさい。
ガザの人々がハマスに立ち向かわないと事態は変わりません。与えられる食事を感謝して、飢えの中にいる方々のために祈っていただけば良いでしょう😊