聖霊降臨後第10主日のメッセージ(2024年7月28日)マルコによる福音書 6:45-52

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  • เผยแพร่เมื่อ 22 พ.ย. 2024

ความคิดเห็น • 4

  • @早川あいこ
    @早川あいこ 3 หลายเดือนก่อน +1

    先生、おはようございます。
    今朝もbalconyの植物に水をあげていると、蝉の大合唱にまず力をもらいました。「がんばってね」と言いました。いのちいっぱいに賛美していますね。
    今朝の箇所ですが、私はイエスさまが湖の上を歩かれていることにばかり目を向けて、細部を読み飛ばしていたようです。丁寧なご説明をありがとうございます。本当に、私たちは毎日の主のみことばを糧に、その日を生き抜く力をもらっていることにまず感謝します。
    先日、私はひと気のない夜の道路を歩いていて、その日は少し消沈していたせいか、不安に襲われました。そのとき「本当にイエスさま、共にいてくださってるの?」と問いました。答えはなかったです。でも、そんな時でも'I amと神さまのお名前を言われていたのですね。エゴ エイミが使われているのですね!驚きました。
    私は日々生きているということだけでも奇跡なのに、それをすっかり忘れて、起こってくるさまざまな不安に、いちいち「イエスさま〜助けて〜」と言い続けると思います。しかし、その時に返事がなくとも、時間が経つと、「ああ、あの時確かにイエスさまは共におられたのだ」と気づかさられることがたびたびです。
    少し前に、ブッタヒストの友人から「沈黙」に関する質問をされました。そんな時に、先生方からいただいたメッセージをお伝えできたたらよかったなと思いました。教わったことを聖霊さまに導かれてお話するようにしたいです。湖を歩かれていることだけに心を向けていた自分、聖書は、一文字一文字にすべて奥深い意味があるのだと、今朝思わされました。私にはそんな箇所がたくさんあるのだと思いました。
    先生、ありがとうございます。
    I amである方は、見えなくても、聴こえなくても、共にいてくださることを信じて、今日もセミのように賛美しながら、一日を生きたいです。
    セミの声に力づけられる、それもイエスさまが共におられるという証拠ですね。当たり前だと思い込んいて、奇跡だとは感じない鈍感な私ですが。いつも主が共におられるということを信じて、これからもひとあしひとあし一歩踏み出したいです。
    勇気をいただきました。感謝します。
    先生とご家族、周囲の人が、今週も守られますように。
    主よ、感謝します。

    • @barnabasmikio
      @barnabasmikio  3 หลายเดือนก่อน +2

      コメントありがとうございます。
      聖書は何十回と読んだところでも、いつも発見があるものだと思います。
      聖書の中から新しい発見があること嬉しく思います。

  • @the.moon.light.sonata
    @the.moon.light.sonata 3 หลายเดือนก่อน

    主の平和。牛島先生、今日も配信有難うございました。暑さに負けず、皆様お元気で健やかな日々に在りますように...✝ 函館聖ヨハネ教会 Tabitha 拝

    • @barnabasmikio
      @barnabasmikio  3 หลายเดือนก่อน

      ご視聴ありがとうございます。イエスに見つめられながら進む日々に、祝福をお祈りします。