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牛島幹夫
Japan
เข้าร่วมเมื่อ 10 เม.ย. 2020
毎週日曜に、日曜の礼拝で読む福音書についてのメッセージをアップしています。
聖霊降臨後第26主日のメッセージ(2024年11月17日)マルコによる福音書 12:14-23
聖霊降臨後第26主日(2024年11月17日)
聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます)
聖書:マルコによる福音書 13:14-23
(朗読している聖書は聖書協会共同訳です)
お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区)
撮影場所:長崎聖三一教会牧師館
撮影日:2024年11月14日(木)
牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。
第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34)
第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6)
日曜礼拝の案内は下記リンクより
日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850
第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604)
お近くの方はぜひお越しください。
#キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書
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聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます)
聖書:マルコによる福音書 13:14-23
(朗読している聖書は聖書協会共同訳です)
お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区)
撮影場所:長崎聖三一教会牧師館
撮影日:2024年11月14日(木)
牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。
第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34)
第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6)
日曜礼拝の案内は下記リンクより
日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850
第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604)
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วีดีโอ
聖霊降臨後第25主日のメッセージ(2024年11月10日)マルコによる福音書 12:38-44
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聖霊降臨後第25主日(2024年11月10日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 12:38-44 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年11月8日(金) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成...
聖霊降臨後第24主日のメッセージ(2024年11月3日)マルコによる福音書 12:28-34
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聖霊降臨後第24主日(2024年11月3日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 10:28-34 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年10月31日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成...
聖霊降臨後第23主日のメッセージ(2024年10月27日)マルコによる福音書 10:46-52
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聖霊降臨後第23主日(2024年10月27日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 10:46-52 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年10月24日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作...
聖霊降臨後第22主日のメッセージ(2024年10月20日)マルコによる福音書 10:35-45
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聖霊降臨後第22主日(2024年10月20日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 10:35-45 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年10月17日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作...
聖霊降臨後第21主日のメッセージ(2024年10月13日)マルコによる福音書 10:17-27
มุมมอง 482หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第21主日(2024年10月13日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 10:17-27 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年10月10日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作...
聖霊降臨後第20主日のメッセージ(2024年10月6日)マルコによる福音書 10:2-9、10-12
มุมมอง 270หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第20主日(2024年10月6日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 10:2-9、(10-12) (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年10月3日(木) 聖公会の聖書日課では、10:2-9を読むことになっていますが、今回は12節まで続けて読んでいます。 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください...
聖霊降臨後第19主日のメッセージ(2024年9月29日)マルコによる福音書 9:38-43、45,47-48
มุมมอง 273หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第19主日(2024年9月29日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 9:38-43、45,47-48 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年9月26日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otol...
聖霊降臨後第18主日のメッセージ(2024年9月22日)マルコによる福音書 9:30-37
มุมมอง 1332 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第18主日(2024年9月22日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 9:30-37 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年9月20日(金) 引用した聖書箇所 マタイによる福音書 25:31-40 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福...
聖霊降臨後第17主日のメッセージ(2024年9月15日)マルコによる福音書 8:27-38
มุมมอง 2662 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第17主日(2024年9月15日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 8:27-38 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年9月12日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成のも...
聖霊降臨後第16主日のメッセージ(2024年9月8日)マルコによる福音書 7:31-37
มุมมอง 1272 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第16主日(2024年9月8日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 7:31-37 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年9月5日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成のものを...
聖霊降臨後第15主日のメッセージ(2024年9月1日)マルコによる福音書 7:1-8,14-15,21-23
มุมมอง 1242 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第15主日(2024年9月1日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:マルコによる福音書 7:1-8、14-15、21-23 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年8月29日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otol...
聖霊降臨後第14主日のメッセージ(2024年8月25日)ヨハネによる福音書 6:60-69
มุมมอง 762 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第14主日(2024年8月25日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:ヨハネによる福音書 6:60-69 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年8月22日(木) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成のも...
聖霊降臨後第13主日のメッセージ(2024年8月18日)ヨハネによる福音書 6:53-59
มุมมอง 783 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第13主日(2024年8月18日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:ヨハネによる福音書 6:53-59 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年8月5日(月) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成のもの...
聖霊降臨後第12主日のメッセージ(2024年8月11日)ヨハネによる福音書 6:37-51
มุมมอง 1033 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第12主日(2024年8月11日) 聖書のメッセージ(聖公会が使用する主日聖書日課から選んでいます) 聖書:ヨハネによる福音書 6:37-51 (朗読している聖書は聖書協会共同訳です) お話:司祭牛島幹夫(日本聖公会九州教区) 撮影場所:長崎聖三一教会牧師館 撮影日:2024年8月5日(月) 牛島は2024年4月から次の予定で礼拝を担当いたします。 第1日曜 佐世保復活教会(佐世保市福石町4-34) 第2・第4日曜 長崎聖三一教会(長崎市大浦町1-6) 日曜礼拝の案内は下記リンクより 日本聖公会長崎聖三一教会-118063000885850 第3日曜 厳原聖ヨハネ教会(対馬市厳原町中村604) お近くの方はぜひお越しください。 #キリスト教 #聖書のお話 #聖公会 #主日の福音書 タイトル画面のBGMは Otologic 作成のもの...
聖霊降臨後第11主日のメッセージ(2024年8月4日)ヨハネによる福音書 6:24-35
มุมมอง 853 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第11主日のメッセージ(2024年8月4日)ヨハネによる福音書 6:24-35
聖霊降臨後第10主日のメッセージ(2024年7月28日)マルコによる福音書 6:45-52
มุมมอง 623 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第10主日のメッセージ(2024年7月28日)マルコによる福音書 6:45-52
聖霊降臨後第9主日のメッセージ(2024年7月21日)マルコによる福音書 6:30-44
มุมมอง 744 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第9主日のメッセージ(2024年7月21日)マルコによる福音書 6:30-44
聖霊降臨後第8主日のメッセージ(2024年7月14日)マルコによる福音書 6:7-13
มุมมอง 834 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第8主日のメッセージ(2024年7月14日)マルコによる福音書 6:7-13
聖霊降臨後第7主日のメッセージ(2024年7月7日)マルコによる福音書 6:1-6
มุมมอง 914 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第7主日のメッセージ(2024年7月7日)マルコによる福音書 6:1-6
聖霊降臨後第6主日のメッセージ(2024年6月30日)マルコによる福音書 5:22-24、35-43
มุมมอง 1174 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第6主日のメッセージ(2024年6月30日)マルコによる福音書 5:22-24、35-43
聖霊降臨後第5主日のメッセージ(2024年6月23日)マルコによる福音書 4:35-41
มุมมอง 785 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第5主日のメッセージ(2024年6月23日)マルコによる福音書 4:35-41
聖霊降臨後第4主日のメッセージ(2024年6月16日)マルコによる福音書 4:26-34
มุมมอง 645 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第4主日のメッセージ(2024年6月16日)マルコによる福音書 4:26-34
聖霊降臨後第3主日のメッセージ(2024年6月9日)マルコによる福音書 3:20-35
มุมมอง 515 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第3主日のメッセージ(2024年6月9日)マルコによる福音書 3:20-35
聖霊降臨後第2主日のメッセージ(2024年6月2日)マルコによる福音書 2:23-28
มุมมอง 605 หลายเดือนก่อน
聖霊降臨後第2主日のメッセージ(2024年6月2日)マルコによる福音書 2:23-28
三位一体主日のメッセージ(2024年5月26日)ヨハネによる福音書 3:1-16
มุมมอง 615 หลายเดือนก่อน
三位一体主日のメッセージ(2024年5月26日)ヨハネによる福音書 3:1-16
復活節第7主日のメッセージ(2024年5月12日)ヨハネによる福音書17:11c-19
มุมมอง 636 หลายเดือนก่อน
復活節第7主日のメッセージ(2024年5月12日)ヨハネによる福音書17:11c-19
復活節第6主日のメッセージ(2024年5月5日)ヨハネによる福音書15:9-17
มุมมอง 826 หลายเดือนก่อน
復活節第6主日のメッセージ(2024年5月5日)ヨハネによる福音書15:9-17
復活節第5主日のメッセージ(2024年4月28日)ヨハネによる福音書14:15-21
มุมมอง 646 หลายเดือนก่อน
復活節第5主日のメッセージ(2024年4月28日)ヨハネによる福音書14:15-21
❤どのような状況でもイエス様への絶対的な信頼を頂き歩ませて下さい。
お祈りをありがとうございます。 イエス・キリストへの信頼の中で、日々を歩むことができるように、聖霊のお守りと導きをお祈りいたします。
主よ、感謝します。
ご覧いただきありがとうございます。
先生、こんばんは! 主の日のメッセージを感謝します。 今朝2度いただいたのですが、少し体調が悪く、夕方になり、もう一度いただきました。 私は全財産を献げたことはない者です。ですからこの箇所を読む時は、いつも律法学者の立場になって受けます。 でも、自分の人生を振り返ってみると、このやもめの心に近い立場になったことがありました。 私は母子家庭になった時期があり、神さまの計らいによって働きた口を備えられました。手取りで月¥130000でした。それで、その中から1/10を 献金すると、生活が成り立たず、娘の将来のための貯金もできないといつもお金のやり繰りの計算をし、心悩ませていました。 けれど、「1/10を献げてわたしを試してみよ」というみことばを受けたときに、やっと1/10の¥13000を献げるお約束をする決心をしました。 それ以来、私はお金を計算し、心を悩ませることはなくなりました。なぜだか、娘のための貯金もできるようになりました。 貧しさは、ある意味お恵みではないかと思います。もう切羽詰まっていますから、全財産を献げやすくなるのではないのかな? それから私は結婚をし、お金の心配をすることもなくなりました。裕福とは言えませんが、豊かな生活ができるようになり、貧しかった頃のようにはお献げすることができなくなりました。もちろん1/10献金や礼拝献金などはしていましたが、そこに痛みはなかったです。献げても、私の生活の質が下がることはなかったように思います。 本当に耳が痛い箇所です。献金はいつも自分の心を表しており、結婚してからの教会生活での献金については、礼拝ではいくら、記念行事にはいくら、と決めていたように思います。 本当に恥ずかしい限りです。だから私は、ここに出てくる律法学者の立場でこの箇所を受けるしかありません。 そのようにしてお返しした献金を、神さまが清めてお用いくださったと信じることがせめてもの慰めです。 貧しさは一つの、苦しいが、良い贈り物です。 先生、わかりやすい解説をしていただき、ありがとうございました。 新しい週も、先生のお働きが守られますように。
早川あいこさん 分かち合いをありがとうございます。 聖書の言葉を通して、神さまが心をノックしておられるのだと強く感じます。 わたしは、どこに立ってこの聖書を見つめていたのだろうか? と反省し、振り返っています。 ありがとうございます。
amen
主日の朝を迎えられ、感謝します。 第二の掟はなんとか理解できますが、第一の掟はむずかしいです。第一の掟に従うヒントが第二の掟なのかな?とも思えます。 今日のメッセージを聴いていて、昨夜のSNS聖書会での語らいを思い出しました。 「地の塩」とは何か?が一昨日の宿題でした。ある方がこの意味がわからず、ご自分で調べられたのです。 塩としての役割を果たす責任、と言えば、なんだか難しくなってしまって、、、。それで、私は「隣びとに思いやりを持つこと、、、それで、あなたの隣びととは誰ですか?」と問うと、その方は「女房」と答えられました。 一昨日私は、「ハロウィンが終わり、すぐ街中はクリスマスソングで溢れますね。商業目的だとしても、賛美歌が人々の耳に響くことは感謝です」と言ったところ、その方は「自分は食べないが、女房のためにクリスマスケーキを予約する」と言われました。それを思い出して、地の塩、世の光として生きることは、そのような隣びとに対するささやかでも思いやりをもって生きることだと思います。」と言いました。 一番近い家族に対して、いつもやさしい言葉かけ、慰めの言葉、抱擁など、、、これが、今私にできることです。そのことがどんどん成長していき、隣人との隔てをなくしていく秘訣かな?と思いました。 まったく聖書を読んだことがない人とみことばを受けるとき、予想できない質問が投げかけられ、そのたびに私も再びそのみことばをまた新しく聞くことができます。 それにしても、罪で汚れた私の口からみことばをお伝えするのは、恥ずかしくて苦痛でもあります。 それでも、みことばを伝え続けさせていただきたいと切に願います。 Amen. 主よ、感謝します。 先生のお働きが今週も守られますように。
分かち合いをありがとうございます。 いろいろな方と聖書の言葉を共に分かち合う時をもっておられること、素晴らしいですね。 みことばを伝えること、 自分が伝えなければ!!!と思うと荷が重いかもしれません。 わたしは、聖書の言葉を通して、一人一人の心に働きかけるのは、聖霊の働きだと思います。 私たちができるのは、聖書の言葉そのものを伝えることだけで、 あとは神さまがその聖書の言葉を通してその人に一番必要なことを 語りかけて下さると信じています。 横にいて必要なことは、聖書の言葉からその方が感じていることに 真摯に耳を傾けることではないかと思います。 時には、受け止めきれないような感想もあるかもしれません。 この聖書の言葉は、こういう意味、と決めてかからず、 神さまが思いもかけない形で、聖書の言葉を通して語っておられることの、そばにいて、 その語りかけに、一緒に耳を澄ますことができればいいのではないかと思います。 「聖書は神の言葉です。」と言って 何らかの規範を聖書に求める人がいますし、 時には、自分が正しいと信じるルールを聖書の言葉で正当化する方もいます。 わたしは、神さまが聖書の言葉を通して私たちに個別に語りかけて下さる、 という意味でこそ、聖書は神の言葉なのだと思っています。 聖書を通し語りかけてくださる、神さまの声に静かに 耳をすます時を過ごしていきたいと感じました。
旧約聖書の十戒が、イエスによって二戒にまとめられた。そう思っています。
その見方いいですね。 私は、旧約聖書を読み解くための切り口がこの二つの掟によって示されていると考えてます。
先生、おはようございます。 神さまは、本当に、本当に、無意識下の心の熱望を知っておられることを知ることができました。 私は長い間、そんな願いがあることに気づいていませんでしたか、あることを通して、それを神さまが実現してくださったのです。 キリエ・エレイソン 主よ、憐れんでください 主よ、感謝します これは私の毎日の祈りです。 バルテイマィが喜んでイエスのもとへ行った姿を想像して、私の心もお躍りました。 主に叫ぶことはとても大切ですね。 先生のお働きが 今週も守られますように。 Amen. 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 この聖書の場面を見つめているとすごく感動します。と同時に、自分はバルティマイを叱る人々の一人だという思いにもなります。 安心しなさい、イエスが呼んでいる、という者になりたいと思います。。
先生、おはようございます。 今朝は、アーサー・ホーランド師のデイリーメッセージと、牛島先生のメッセージを今受けたところです。 不思議なことに、「友のためにいのちを捨てる、これより大きな愛はない」というみことばを2回いただきました。 あなたの右に、左に、座らせてください、と言った弟子たちは、たぶんイエスさまが身代金になると言われたことは理解できなかったと思われました。 私たちには聖書がありますので、理解できますが、当時の弟子たちには意味がわからなかったと思います。 「なぜ弟子たちはこんなお願いをしたのかな?」と言うと、主人が「当時の人々と、現在の私たちとでは、常識が違うから」と言われました。 弟子たちの思い描いたのは、この世の常識的な思いであって、神の国のイメージが、私たちの思い描くイメージとは全く違うものだったと思われました。 私はこの箇所を読む時、いつも疑問がありました。 「あなたがたのうちで、偉くなりたいものは仕える者となりなさい」というイエスさまの言葉が腑に落ちなかったのです。 なぜなら、「偉くなるための手段として人々に仕える」というふうに誤解していたようです。 流れの中で受けると、弟子たちの持つこの世の常識に合わせて、イエスさまがやさしくお答えになった言葉であるとわかりました。 神の国をイメージできない彼らには、この世の常識に照らし合わせて、このようにわかりやすく言われたのだと感じました。 後に、弟子たちは神の国がどのようなものであるのか、身代金とはいったい何のことだったのか、理解できました。 だからこそ、聖書が作られて、私たちはいつも読むことができるようになりました。 主よ、感謝します。 仕える者になりなさい。 私はどのようにお仕えすればよいのか、そして、その心構えは、動機が愛でありますように、聖霊さま、どうぞ私を正しい道に導いてください。 結局、イエスさまの言われたとおり、弟子たちは殉教なさいました。 私も、主に「あなたのことは知らない」と言われぬように、眠り込まないでいられますように。 実は、今日初めて、聖パウロ教会の礼拝に集わせていただきます。 ああ、今日は決して礼拝中に眠ってしまわないように!聖公会の礼拝はとても安らげるので、リラックスしてしまいます。😆 先生の今週のお働きが守られますように。Amen.
おはようぼざいます。 私は今朝は対馬に来ています。 礼拝で安らげるっていいですね! 今朝の礼拝が平安をもたらしてくれますよう、お祈りいたします。 仕える者になる、っていうのは、 愛する者になるっていうことなんですね。 目が開けたような気持ちです。 ありがとうございます。
先生、主の日の朝、福岡は快晴です。 今朝もみことばを感謝します。 それは人にはできないが、 神は何でもできる。 今日、このみことばを心にまた刻んで、今週を始めたいと思います。 Amen. 主よ、感謝します。 先生のお働きが今週も守られますよう「。
コメントをありがとうございます。 早川あいこさんの日々の上に神さまの祝福と導きをお祈りいたします。
狭い戸口から入るようにしなさい。 言っておくが入ろうとして入れない人が多いのだ。 ルカ13:24 主は皆さんと共に またあなたと共に 祈りましょう…✟✨️ 生きることは難しい… だが、すべての答えは聖書に在る。 一瞬、藤井司祭が凍っておりました…😂 今週も有難うございました…m(_ _)m 広島の皆さま…お元気で在りますように。 函館聖ヨハネ教会 タビタ 拝
ご覧いただき、ありがとうございます。
Amen.主よ、感謝します。 先生おはようございます。 今朝もメッセージを感謝します。 久しぶりに夫と一緒に受けました。 私はこぼれ落ちた人であり、イエスさまから救い出された人です。 私は人目を避け井戸水を汲みに来ていたサマリアの女です。 驚くべきことに、主は私に水を求められました。そして、私のことについて、すでに知っておられました。 それから、この方の与えられる水を飲む者は渇かないと言われます。 私は赦されると思ってはいないのに、この方はこぼれ落ちた私を拾い上げてくださいました。 罪びとであり続ける私ですが、主のみことばを、会いたくはない人々のところへ行ってでもお伝えしたいてす。恥知らずになることは、もう問題ではないです。 主よ、罪びとの私をそのまま受け入れてくださり、心から感謝します。 世界には、自ずからこぼれ落ちた人と、不条理に落とされた人がいるように思えます。 しかし、先日、神の裁きとは何かを教えていただき、神の裁きは恐ろしいものではなく、すべての人が 明らかにされ解放される日だいうことを知り、安心して生きることができました。 どうか主よ、罪びとの私にも、あなたのみことばをお伝えすることが出来ますよう。 愛する人々をお守りくださいますように。 今週もあなたのみことばをお伝えすることができますように。 こぼれ落ちたと思われている人が救われたますようにと祈り続けることができますように。Amen. 主よ、感謝します。 先生のお働きが、愛する人々が、今週も守られますように。
主にありて…✟
@@the.moon.light.sonata 私宛てへのご返信でしょうか?
コメントありがとうございます。 さばきは、神の光に照らされてすべてが明らかにされるときだと思います。 それは、素晴らしい時、この世界にある地位も差別もすべてが焼きつくされて、ただ神さまに愛されるものとして、神さまの前に立つときだと思います。 でも、そのことこそが、怖ろしいときなのだとも言えるのかもしれません。 自分のすべてが明らかになって来し方と向き合うことは、正直おそろしいことだとも感じています。
牛島先生、いつも助かります。有難うございます…m(_ _)mペコッ
先生、おはようございます。 今朝は質問があってこちらでメールさせていただきました。 今朝ヨフ記を聴いているのですが、 友人たちがヨフを慰めに来ますよね。 そうして、自分が生まれたことを呪い始めたヨブに対して、友たちはヨブに言葉をかけていきます。 この、友たちの言葉も「主のみことば」として受けていいのでしょうか?ヨブは慰められませんでした。 この友たちの言葉は「みことば」として受けるべきかわからなくなりました。ヒントを教えてください。 お時間のあるときに、お心にとめてくださればうれしいです。 先生しか私には質問できる師がいません。 先生のお働きが今日も守られますように。
こんにちは、ヨブ記を読んでおられるのですね。ハンセン病療養所で出会った信徒の方が「ヨブ記を繰り返し読んだ」と言われたことを思いだしました。 さて、聖書の言葉をどのように捉えるのか?ということには、いろんな意見がありますので、私の考えとしてお読みください。少し長くなります。 ヨブ記に限らずですが、聖書を読む時には、大きな流れの中で全体が何を言おうとしているのか?ということに目を向けることが大切と思います。ヨブ記全体のメッセージを受け止めた上で、細部に目をとめた方がいいということです。聖書にはいろいろなことが書いています。全体の流れを無視して、ある一節だけを取り出せば、理解しがたいことはいくらでもわいてくることでしょう。 ヨブ記は、自分の力ではどうしようもない理不尽の中で生きるユダヤの民のために記されていると言われています。理不尽な運命に苦しむヨブ。その姿を見て、なんとかヨブの生き方と苦しみとの間に因果関係を見いだそうとする友人たち。 わたしたちはヨブのような理不尽な苦しみを得るときもあるかもしれませんし、他人の苦しみに対して、この友人のように無責任になぐさめにもならない言葉やアドヴァイスを送ってしまうこともあるかもしれません。ヨブの姿も、ヨブの友人の姿も、私たち自身を映す鏡のようなものなのだと私は思っています。ただし、これは鏡だ!と感じる瞬間は聖霊の働きによって起こされることでしょう。周りがどうこう言えることだとは思いません。 もう一つ大事だと思うことは、私たちが旧約聖書を読む時に、どのような切り口で読むのかということです。イエスは、ご自分を律法を完成されるために来たと言われました。また、律法の専門家と問答して、「心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、神を愛すること。自分のごとく隣人を愛すること。」が最も大切な掟であり、このことに律法全体がかかっていると言われました。 わたしは、ことに旧約聖書を読むときには、イエスが語った最も大切なおきて(神を愛し、隣人を愛すること)に照らして全体を読んでいくことが大切だと思っています。 旧約聖書には、いろいろなことが書かれています。何かを小さく切り取れば、それを使って自分を正当化することも、他者を罰したり傷つけたりすることも、いくらでもできるものです。 ヨブ記全体を読んだ上で、ヨブ記を残した著者は、ヨブの友人の姿を通して何を伝えようとしているのか?と考えてみてはいかがでしょうか? そして、神さまは、ヨブの友人の姿を通して、今この瞬間何を語りかけておられるのでしょうか?
@@barnabasmikio 先生、お時間を費やしてくださり感謝します。 ヨブ記について、今、配信を終えたところです。その前に先生のお答えを読むべきでしたが、今夜は聖書を知らない人におおまかなあらすじを伝え、ぜひ読んでほしい、あるいは聴いてほしい、とお願いしました。ヨブ記が苦難に遭う人の話だとご存知の方もおられました。 苦難に遭ったとき、悲しみに遭ったとき、なぜ神さまはこんな?と思うとき、ここに答えが書いてありますと言いました。 「沈黙は優しさ」というメッセージもお読みしました。苦難の人のそばで、沈黙して、あるいはやさしいしぐさなどで、その人と共にいることは、苦しみを分かち合うことになるのではないかと思います。愛する者が苦しむのを見る時はおろか、知らない人が、動物さえも、苦しむ姿を見ると、私たちは苦しみます。それが苦しみを分け合うことなのかな?と今日また思いました。 そして、聖書、特に旧約聖書を、イエスさまの大事な二つの掟を心に留めながら受けるとすれば、一つ一つの掟や、一見正しいような節が、切り取って受けることで台無しにになるどころか、時間がもったいなくなります。先生、ありがとうございます。今日は、エゼキエル書の途中まで聴きましたが、旧約聖書を聴くと、自分の罪の恐ろしさを示されるばかりで、、、本当に、Jesus remember meです。 また先生のお返事を何度も読ませていただきます。 心から感謝申し上げます。Amen. 主よ、感謝します。
@@barnabasmikio 先生、おはようございます。今朝もまた先生のメッセージを読み返しました。 聖書は、読むたびに、新たなメッセージを与えてくれます。 私はヨブ記を読むたびに、この雄弁に語る友人たちの、ヨブを思うがゆえの助言が、かえってヨブを苦しめ、、、と同時に、ヨブの正直な気持ちを多く引き出したように感じていました。実際、私はこれまで何度神さまに対して思いを呻いてきたことでしょう。それは神を呪うような言葉であったとしても、神さまにだけはすべてを知られているという信頼感からのつぶやきでした。 ただ、神さまのみこころがわからず、ある時「もしかして、神さまはいないのでは?」と疑いがよぎったことがあります。その時なんですね、イエスさまが私をおんぶしてくれていたのは。 2日前、ヨブ記を聴いたときには、神さまのヨブへの返答に圧倒されて、友人たちの助言に対しての憤りなどはまったく感じられず、かえって、この方々の人の言葉での励ましによって、ヨブの素直な怒りが引き出されたように感じました。ですから、ヨブは友人たちには何の慰めも受けなかったのですが、友人たちの正論ともとれる無駄口をも神が益とされたのかなぁ・・など。 私なら、ヨブと一緒になって神を呪っただろうとずっと思っていましたが、それでは、神はいつまでも返答なさらなかったかもしれません。ヨブは心の内をすべてさらけ出し、神に叫びました。 その後の神さまのご返答は、一瞬でヨブを正気に戻しました。この神さまのみことばは、私をも跪かせます。 神さま、私たちのすべてを知っていてくださることを感謝します。
有難うございます…m(_ _)m
ご視聴ありがとうございます。
先生、おはようございます。 みことばをありがとうございます。 私は「つまずかせる人」ではないのか?と恐ろしくなりましたが、それだけではなく、この箇所には、イエスの名前を使って悪霊を追い出している人々を、イエスさまの弟子がつまずかせるようなことをした、と指摘されているということにも気づかせてもらいました。 私の聖書会に訪れてくださる方は、ほとんどが主イエスさまを知らない人々です。でも、サークルJesusというこの会に来てくれる人々は、味方なのだと思っています。 福音をお伝えすることに、いつも神さまへの畏れをもって、みことばをお伝えしなければと願っています。 聖霊さまの助けがいつも必要です。 主よ、どうか私が小さな人をつまずかせることのないように、お助けください。燃えるゲヘナには落とさないで、憐れんでください。もし気づかずに小さな人をつまずかせていた場合は、そのことによって、その人が主イエスさまと出会える布石へと変えてください。 燃えるゲヘナのことを思うと、みことばを伝えることが恐ろしいですが、燃えるゲヘナに投げ込まれるかもしれませんが、この愚かな私を憐れみ、どうぞ用いてくださり、みことばを宣べ伝える働きを続けさせてください。Amen. 主よ、感謝します。 今週も先生のお働きが守られますように。
コメントありがとうございます。 熱心であれば、熱心であるほど、誰かをつまずかせるものになる可能性がある、ということを今日の聖書箇所が警告しているように、私は感じています。 イエスは、傷つくものにはとても優しい方だと思いますが、誰かを傷つけるものには、とても厳しいのだと知らされます。 自分のすることを正しいと思い熱心に取り組むとき、自分の意図とは関係なく、相手を傷つけてしまったり、つまずく人がいたり、ということがあると思います。教会でも、そういうことがよく起こっているように感じています。
そうですね、教会の中では、みことばで裁き合うことが多く見受けられます。私たちは救われた罪びとです。 熱心になればなるほど、自分を正しい者と勘違いしてしまいます。なんと惨めな者でしょう。
主の平和。先生有難うございます。Tabitha ♰
ご視聴ありがとうございます。 聖書の言葉を分かち合え嬉しく思います。
先生、おはようございます。 メッセージを感謝します。 過ぎる一週間、私はイスラエルとパレスチナの戦争のことについて、知らぬ間にメディアによって操作されていたことに気づかされました。 フェイクニュースのメディアが私を侵していたことを知り、自分を恥じましたが、これは軌道修正する良い機会となりました。また私は、自分のアカウントを不正使用されるという事態にも遭いました。私はそれによっても、聖霊さまが私を導かれている、神さまは私をいつも愛し、心配してくださっていることを再確認する機会ともなりました。 そんな一週間を過ごして、今朝も先生のメッセージをいただきました。 まず、私はたぶん、弟子として1番であろうとか2番であろうとかいう思いは無いことを知りました。 でも、当時、私がペテロだったとして、やはりイエスさまを諌めてしまったような気がします。この方が私たちを救ってくださると信じているのに、そのイエスさまが死ぬということを言われれば「そんなことがあってはならない」と言ったでしょう。神のご計画を理解できなかったと思うからです。 そして私は、裁かれる日のことを想像してみました。私たちクリスチャンは裁かれないことを知っています。しかし、私がもし「良きサマリア人のたとえ」の中での祭司のような生き方をしていたとするなら、やはり裁かれるのではないかと思えます。ここに字義どおりの聖書のみことばの受け方の矛盾が生じます。一方、私が良きサマリア人としての行動を生きている場合、まあ、これはイエスのなさった「たとえ話」ではありますが、サマリア人はクリスチャンではなかったはずです。しかしこの人は何かの動機によって、小さな者を助けたわけです。私はこれを、イエスさまとまだ出会う機会がない人々の中にも、神の喜ばれることを行う人が存在するのであると思います。この場合、この人はイエスの福音を知らないまま召されたとします。さて、裁きの日にこの人はイエスを受け入れていなかったという理由で滅ぼされるのでしょうか。ここにもみことばを字義どおりに受け止めるならば、大きな矛盾が起こります。 実際に、イエスを否定する宗教の国に私が生まれていたとして、イエスの福音を知る機会がなかった場合(ある人々はイエスを知る機会が与えられるかもしれないですが)、それでも、良きサマリア人のように生きているとしたら、神はその人を、イエスを受け入れなかったという理由で滅ぼされますか?神に至る道、イエスを通らなければ神には出会えないと聖書に書いてあります。「誰が天に上るか」と言ってはならないとも書いてありますので、私の考える領域ではないもうにも思います。 それで、あるクリスチャンの方々は「イエスを信じる人だけが救われます」と大きな声で宣教します。それは聖書的には全く正しいように思えますが、それを聞いた人は、もしかしたら、脅しと捉える人もいるかもしれません。私はそんな宣教のしかたについて、まだはっきりと確信を得ていません。 ある人々は、ローマ教皇が聖書のみことばに反することを宣言したからといって、フランチェスコ教皇を貶めます。 クリスチャンの内輪もめを起こしています。 本当に混乱の世界に私たちは置かれています。これは私の考えることではないかもしれません。 その中にあって、神のみこころを行うこととは、どんなことだろう?と考える一週間でした。 しかし、先生のメッセージによって、少し疑問が解決されそうです。 私たちは幼子のような素直な心で、イエスさまはあなたと共におられ、神さまはあなたが信じようとしんじまいと、あなたを愛してやまないお方である。このことだけをお伝えできればいいです。 私のSNSの聖書会には、ヒンドゥー教を信じている方、全く聖書にふれたことがない方、宗教とクリスチャニティーを生きることの大きな違い、クリスチャンは清い人々なので、教会の敷居は高いと思われている方、いろんな方が訪れてくださいます。この方々の信仰は、邪教であると、私は言えません。ただ、主イエスのみことばを聞きに来てくださっている方々が主イエスさまと出会われる小さな石になれれば、と願っています。すべての人は裁かれないと思います。なぜなら、すべての人を造られた神は、すべての人を愛されているからです。 主を知っている私たちは、主を知らず苦しんでいる人々に、イエスの平安をお届けしなくてはなりません。この人々は雇われず、葡萄園の外で職を求め、想像もつかぬ不安に苛まれて、雇い主を待っています。 今朝は先生のメッセージから、このようなことを受けました。 先生、ありがとうございました。 新しい週も、先生のお働きが守られますように。Amen. 主よ、感謝します。
今日も、思いを分かち合ってくださりありがとうございます。 さばきって何でしょう? わたしは、イエスの光に照らされて隠されたところがひとつもないようになることだと思っています。 ですから、クリスチャンとかそうでないとか関係なく、みな神の前に立ちさばきをうけるのだと思っています。そして、さばきとは、怖ろしいことでなく、素晴らしいことなんだと思います。 全ての人が神さまの光に包まれるのですから。
@@barnabasmikio 先生、感謝します。神の裁きは感謝なことなんですね!目の前がパッと明るくなり、心が弾みました。先生、ありがとうございます。✨✨
おはようございます。 朝、みことばと先生の問いを受けて、これまで考えていました。 私は「あなたは私の救い主です」と言うでしょうが、これが人間のことを思ってなのか、神のことを思ってなのかは、今の自分にはわからない、という結論に至りました。 ただ、ロマ書8章の、虚無に服し、神に従順している人以外の被造物を思うときに、彼らもやはり呻いているらしく、私も呻いています。「自分はどこから来て、どこに行くのか?」とさえも問わない、謙虚なこの被造物たちのことを思うとき、恐ろしい「私の罪」そして「全世界の罪」を贖ってくださったキリストがおられるからこそ、希望を持つことができそうです。 これが人の思いなのか、神のことを思っての告白であるのかが、わからないのです。 聖霊さまが、いつも私を導いてくださいますように。 新しい週も、先生のお働きが守られますように。Amen. 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 聖書の問いかけへの思い巡らしを共有してくださりありがとうございます。 多分、聖書の言葉が問いかけてくるものにすぐ答えがでることはないのだと思います。でも、その問いを自分にかけ続けることが大事なのだと思っています。
@@barnabasmikio いつもご丁寧に返信してくださり感謝します。聖霊さまの問いかけに耳を澄まします! 主よ、感謝します。
わたしにとってのイエスは… 福音という心の糧を与えてくれる存在。 糧を与える? そう、あなたは、飯屋です。
あはは!いいですね~ イエスは、心の糧とか難しいことを言わずに、 「まず飯を食え」と言って食卓に招いてくれるようにも思います。
先生、有難うございます…苫小牧に初めて向かっております。親しいグレゴリー先生から14時に礼拝あり、とのこと。いのちのみ言葉に何度も授かれて幸せです。良き主日を…😊 函館聖ヨハネ教会 タビタ 拝
コメントありがとうございます。 道中が守られますように。
先生、おはようございます。 今朝もみことばの糧をいただけたことを感謝します。 「エファタ」と、きっと私もイエスさまが言ってくださったのでしょう。 人付き合いがほとんどない私ですが、SNS上で友となってくださった方が何人かおられます。その方々と実際に会う機会を与えられた時、私はアーサー・ホーランド師の「yYou are loved」を贈りました。 自分の言葉でJesusをお伝えすることはむずかしいので、なんとか、アーサー先生のメッセージを聴いてほしかったのです。 また私は教会生活をしておらず、アーサー師と牛島師からメッセージを受けているということをみなさんに公言しています。 教会生活していたときには、イエスさまを伝道することとは、毎週礼拝に出席することだけで私にはせいいっぱいだと決めつけていました。 クリスマスやイースターや特伝の時に案内をポスティングしたりすることはありましたが、知人にイエスさまを語ることは、全くしていませんでした。 教会から出て4年間、とても苦しい日々でしたが、それは明確に主の導きであったと今では思えます。 私の毎日は、「You are loved.」とお伝えすること、夜のSNSの聖書の時間、また賛美歌によって人々に福音をお伝えすることが中心となりました。 Net🟰網の中には、なんと孤独に苦しんでいる人が多いことでしょう。「助けて」といSOSを毎日見ます。私の心は痛みます。 そして、私は、その人をアーサー師まで案内できれは、きっと救いに導かれるという願いでアーサー師をお伝えしています。 アーサー師とは30年ほど前の大きなリバイバルミッションで出会いましたが、会衆が興奮している中、先生はひとり静かに祈っておられる姿を見た時から、この先生は信頼できる牧者であると直感しました。 そして、今年ついに十字架行進での再会があり、日々のみことばをいただいています。 自分は宗教をやっているのではない。 Jesusを愛しているのだ。 私もこの信頼する牧者イエスさまを、世界の人々に知らせたいです。 中には、「You are loved」と書いて、「怖」と帰ってきたことも1度ありましたが、宗教は怖いと思っている人は「怖」というのが素直な気持ちではないかと思いました。 これからも、聖霊さまの導きを願い、神さまのミッションの邪魔をしないように、気づかせてもらいながら、イエスさまをお伝えしたいと願っています。 先生のお働きが今週も守られて、先生に関わるみなさんが幸せに守られますように。amen. 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 イエス様をお伝えすること、その時々に、ひとりひとりにちょうどよい形があることと思います。聖霊のお導きとお守りの中で、喜びの中でイエス様をお伝えできますよう、お祈りいたします。
先生、おはようございます。 今朝もメッセージを感謝します。 今日の箇所はよく心に留めている箇所です。私の悪い心の思いが外に出されるときに、相手を傷つけ、損ないます。 私は、ほとんど人付き合いがありませんので、人に悪口を浴びせたりすることはないのですが、SNSの中での発言などについて、怒りが起こることがあります。それらは人が人を中傷しているのを見たときですが、そのような時、やはり私の心はその人々を自分の正義で裁いているのでしょう。 それから、私は偶然出会ったTNR を施され捨てられていて瀕死となった猫と関わったために、猫嫌いの人や、また流行りのように猫をTNR する人々に対して嫌悪感を持っています。私はいつも沈黙を守りますが、相手がしつこく嫌がらせや相手の主張を押し付けてくるときには、この沈黙は破られます。それでも、相手の人を傷つけるような言葉は言いません。心の中では「愚かなブス」とか、思っていますが、こらえます。 こらえられるのは、イエスさまのみことばのおかげですが、心の中の怒りに対しては、抗うことができません。愚かな人間です。 今世界は、何が正しく、何がフェイクなのか、私にはわかりようもありませんから、私の聖書の読み方の範囲で行動するようにしています。それでも、自分が正しいとは思っていません。 ただ、常識について熟慮し、愛に基づかないと思えるものについては、これを私は社会教と読んでいます。一番恐ろしい宗教です。 思えば、私の教会生活30年の間に、信徒同士がみことばで裁きあっているのを嫌と言うほど見ましたし、それでも、完全な人はひとりもいない、自分がいるだけでも教会は不完全なのだという意識のもと、いつも最後はひとりひとりがイエスさまに導かれて、支え合っていました。 一番心に残っているのは、教会を離れた信者に対する「そういう人に対しては、足のちりを払いなさい」と皆を導く年長者の言葉でした。 このような違和感を持ち続けても、共同体の中にいる安心感の方がまさっており、30年を過ごしてしまいました。 旧約の掟を守ろうとするがゆえに、イエスの粗探しをする彼らのなんと哀れな姿でしょうか? 「自分を愛するように、隣びとを愛しなさい」という掟を守ることが、律法を守ることになるとは、彼らの常識では知ることができなかったのでしょう。 イエスさまは、本当に、地上に火を持って来られたのですね。 このように愚かな私たちを、神さまは見放されず、どこまでも耐えてくださっています。 これからも、この唇が私の醜い心を吐露することがありませんように。 心で犯した悪い思いについては、イエスさま、どうぞお赦しください。 先生のように、あらゆる人々を導いていく努めを担われている聖職者の方々の重荷はいかほどでしょうか。 どうぞ、主よ、愛する牛島先生をお守りください。 今週も福音を毎日お伝えすることを生きがいとし、歩んでいけますように。 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 ゆっくりお話しをお聞きしたいと感じました。 そして、お祈りありがとうございます。
先生、有難うございます。タビタ拝
いつも、ご覧下さりありがとうございます。
❤感謝します。 先生分かち合える 信仰の友が与えられますように😢願ってます。 わたしがここにいます!私をお遣わし下さい。 近い隣人には 神も仏も居るもんか!怒鳴られます 諦めません この事にも主は勝利さるたから 未スクイは絶えなり と神様を褒め称えます🎉
コメントありがとうございます。 願いがかなえられようにお祈りいたします。
先生、おはようございます。寝坊して「いいね」が3番となり、悔しいです😆 先生、私もイエスさまから去るものですか! そう思わせてくれるために、いったいどれだけの人が殉教されたでしょう。彼らは去らなかった人々です。聖書が私の手元にあることがどんなにお恵みでしょうか。 神さまの被造物を見るにつけ、畏れます。いろいろなものに神の臨在を感じます。雲の中に、プランクトンの中に、、、いつも私は「祈る人」や「天使」を見出します。 被造物を見ることは、私の神への信頼をさらに深めてくれます。 「神さまはほんとにおられるのだろうか?」と思ったことは、共同体から離れたあとの数年でしたが、それによって私は大きく変えられました。 私はイエスさまから去りません。悲惨な世界を知っていますが、苦しむ人と共に苦しんでくださる神を知っていますから、「神はどこへ?」とはもう思いません。 私は召されるまで罪びとですが、神さまへの畏敬の思いは私を日々造り替えてくださいます。 毎日が驚き、Amazing Grace ! 私はなんと祝福されているのでしょうか! イエスさまを知らず、あてどなくさまようかわいそうな羊さんがたくさんおられます。 私も彼らを探しに、イエスさまについて行きます。 私に残された時は、愛すること、福音を伝えることに費やしたいです。 先生、いつもメッセージを感謝します。始まったこの週も、時が良くても悪くても、毎日福音を宣べ伝えます。それはとても小さな働きですが、たったひとりの人でも、イエスさまに出会ってくださいますように。 先生と先生の愛されるみなさまが、今週も守られますように。 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 日々の歩みを通して、キリストの愛をあらわすことができますようにお祈りいたします。
主の平和。毎週このように先生の素晴らしい説教の恵みに授かることが出来ますこと、主の愛による深い恵みを感じます。深い悲しみの最中にある私も居ないようで主は共に居てくださる…何より弟子たちが何人も居て下さる…頑張って焦らず少しずつ歩みたいと涙出ます。何よりこのように先生まで毎週素敵な形で救い出して下さるのですから。悲しい時辛い時行き場を失った時こそ、主の深き愛を感じ、涙します😢「真ん中に居るイエス様」と先生がご教導下さったように…😢😢😢 主に感謝 タビタ拝
コメントありがとうございます。 真ん中にイエスがいると信じて、日々を歩んで参りましょう。
先生、おはようございます。 今朝のみことばを受けながらわたしが思い巡らしたことを書きます。 まず、4つの福音書は、人が書いたものではなく、まさに聖霊によって書かれたのだと確信させられました。 なぜなら、当時の人々に新約聖書はなく、私がそこにいれば必ずイエスを去ったと思います。そのことばは到底理解できません。弟子たちもわからなかったのではないでしょうか?イエスはこのことばによって大勢の人が離れていくことをご存知でした。しかし、イエスにとって大切なものは、このみことばが全世界に広められることだったのですね。去って行った人も、後からイエスは教えに行かれると信じます。 神の願いはすべての人が主イエス・キリストを心にお迎えすることなので。聖霊に導かれ、福音書を書くうちに、弟子たちは理解に導かれたでしょう。 それから私は、「不思議の国のアリス」の物語を思い出しました。アリスは「Eat me!」「Drink me!」と書かれたものを素直に食べ、飲みました。そのことによってアリスは変容させられました。このように、作者自身がクリスチャニティーを生きる人であったことが予想できます。 聖霊に導かれて行動を起こすartistにはとても興味があります。 反対に、どんなに素晴らしい賜物を授かっている人々でも、そこにイエスに対する献身がない、あるいは神の存在を拒否する人々の言うことは、一見魅力的ですが、私はこれを偽預言者であるとみなします。 聖霊さま、どうか福音を宣べ伝える私が偽預言者となることがないように、私を探り、教えてください。 主の晩餐については、私は長い間礼典のご奉仕をさせていただきましたが、教会内では、「洗礼を受けた人だけが与れるもの」「いや、洗礼の有無に関わらず、イエスを心にお迎えした人は与ってよいのだ」・・・などと、教会内には分裂があったように思います。私としては、宗教に関わりなく、イエスを受け入れた人々は晩餐にあずかってほしかったし、もし受け入れられない人でさえ、与ってよいと思う心でした。まず、キリスト教を学び、準備してから、儀式が行われるとしたら、私たちは誰もクリスチャンとなれなかったでしょう。 まず、イエスを迎え入れたいという思いがあり、儀式はその後の大切な献身であると思います。 私は、牛島師とアーサーホーランド師によってみことばをメッセージを受けていますが、先々週でしたか、アーサー師はイエスを受け入れたある男性の経営するイタリアンレストランに招かれてスタッフのみなさんと夕食を召し上がっていました。 ぎよっとしたのは、先生はそこにおいても、主の晩餐の儀式をされていたのです。豪華な晩餐でしたが、師はパンとワインのあるところではいつもそのように、パンがないところではご飯ででも晩餐式をして夕食を召し上がっておられるそうです。 教会では厳かに、静かに、式は行われますが、多種多様な教会、それぞれの晩餐式、一番大切なのは、それに臨む心備えであると私は思います。これがなければ、それは形だけの儀式で無意味にも思えますが、もし心がなくとも、晩餐のパンと葡萄酒には聖なる力があり、授けられた人々を変える力があるとも思います。 この時間に大きなインスピレーションを与えられたことに感謝します。 先生とみなさまが、今週も守られますように。Amen. 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 私の話を聞いて、いろいろなことを感じてくださっていることを知って嬉しく思います。 さて、「不思議の国のアリス」のルイス・キャロルですが、彼の本職は数学者です。 父親は英国国教会の牧師で、彼の家系の中にも多くの牧師がいて、お兄さんも牧師になったとか。そういう意味では,聖書の教えを身近にして過ごしていたのだと思われます。 ただ、彼自身は信仰についての葛藤を持ち続けていたのだと言われています。 「不思議の国のアリス」を読み直してみたいなぁと思いました。ありがとうございます。
主の平和✝ 先生、毎週有難うございます。函館聖ヨハネ教会 タビタ 拝
タビタ様 いつも、ご視聴ありがとうございます。
さて、今日の聖書の箇所ですが、わたしは初めて、イエスにつぶやいた人々の立場で想像してみました。今私ほクリスチャニティーを生きていますが、彼らは当時ユダヤ教の律法を生きていたと思われます。今でこそイエスさまが何を言われているのか理解できますが、私がその場所、その時間にいたとしとら、私も心の中で「なんて人だ!偽預言者だ!」と思っていたに違いないです。だってこの人はよく知っている人で、建物の設計士の息子。その人がいきなり訳のわからないことを言い出したのですから。神さまは酷です。わかるはずのない不思議な業をして、イエスは故郷の人々から敬われませんでした。しかし、これが旧約からの預言成就であり、イエスさまの伝道の初期の段階の記述だとすると、とても大切な箇所ですね。私たちは聖霊によらなければ、神を信じることほできない。私はイエスを十字架にかけた1人であると今朝も再確認できました。感謝します。神は人の心を頑なにされましたが、それは預言成就のために必要でした。しかし、イエスは病を癒し、盲人の目を開き、多くの罪びとを招かれました。そして想像もできない惨い仕打ちを受け入れ、神に従順に十字架におかかりにり屠られました。主よ、感謝します。呟いた人も、イエスを信じなかった人たちすべて、神はみもとに安らわせてくださると信じています。主を知って安心して生きていける私たち。主を知らず、この混沌とした世界で主をまだ知らず、あるいは主を拒み、手探りで不安に生きている人々のなんとかわいそうなことでしょう。私はまと福音を宣べ伝える日々をみこころならば続けたいと今朝も再び決心させられました。 主よ、感謝します。 先生とみなさまのお働きが今週も守られますように、お祈りいたします。 Amen.
コメントありがとうございます。 イエズス会の創立者イグナチウス・ロヨラは、聖書を徹底的に見つめるように言ったそうです。彼の提唱した霊操では、聖書の中にある出来事を鳥瞰するように見つめ、その中に身を置き、物語の一部となるように勧められます。(短い聖書のひとこまを、それこそ丸一日かけて見つめていくなんてことも。) 聖書の登場人物はさまざまです。あるときには、弟子として、あるときは傍観者として、あるときは敵対者として、聖書の物語りを見つめていくことで、聖書にあるメッセージに多角的に光があたっていくことと思います。 どうぞ、これからも、いろんな登場人物になって聖書を味わってみてください。
先生、おはようございます。 8/9には再び先生とお会いできてとてもうれしかったです。 私はバプテスト教会で30年の教会生活を送りましたが、神の不思議な導きによってこの共同体から離れました。さまざまな要因がありますが、共同体から離れた喪失感や自分の犯した罪への罪悪感などにさいなまれ、私は心を病んでしまいました。しかしこの人生で一番苦しい時は、私を変えました。すべてが聖霊さまの導きによるものだと確信し、現在は、残された自分のこの世での時間は、愛することにのみ費やしたいです。この苦しみの4年間の中で、私は聖公会の礼拝だけに3回参加させてもらいました。最初は2年前の長崎原爆記念礼拝、二度目は今年6月、東京の聖アンデレ教会。そして今回です。そのうち、前回と今回は、私は礼拝中に猛烈な眠気に襲われ、居眠りをしてしまいました。30年の教会生活で礼拝中に居眠りをしたことはありません。それなのに、聖公会での礼拝では、主のみ翼の中にかくまわれているように安心するのでしょう。重い睡眠障害があるので、眠気を感じることはあまりないので、久しぶりに眠気を味わうことができました。11:02の少し前に美しい教会の鐘が等間隔に鳴り、黙祷を献げるべき時に私は眠ってしまいました。教会に集うということにとても緊張していて、集えたことだけで私の目的は達せられました。それでも、ほぼ野良猫としかお付き合いのない私は初めて出会う方々とのコミュニケーションに戸惑い、みなさんに大変な失礼をしたかもしれません。ごめんなさい。そして、見たことのない大皿の本場長崎の皿うどんと大好物のスイカ🍉・・・とてもおいしかったですが、コミュニケーションを恐れて私はただひたすらに食べ続けました。それから森内實氏の被爆証言も目と耳をすまして聴こうとしたのですが、、、こともあろうに、また居眠りを・・・。自分が恥ずかしく、まわりの人に大変な失礼をしてしまったことをおゆるしください、、しかし、主人は、「教会に集う決心をしただけですばらしい」とやさしい言葉をかけてくれました。 あのあと、奥方さまおすすめのVerunにて、生カステラと薄桃色のかわいいマカロンを購入し、その場ではシュークリームを食べました。それから大好きなクロワッサンもあることに気づいて、これも買い、近くのかわいいカフェでアイスコーヒーとともにいただきました。このクロワッサンは私の中で最高ランクと認定しました。店内はバターとバニラの香りに満ち、やさしいお店の方、せっせとお菓子を作り続けるパテシエさんの姿を見て幸せになりました。2024年の長崎原爆記念日は、幸せな一日となりました。感謝します。
こんにちは、メッセージありがとうございます。 お会い出来て、とっても嬉しかったです。 さて、眠ることは身体の持っている一番の願いかもしれません。自分では気づいていないその身体の願いが礼拝の中でかなえられたのだとしたら素晴らしいと思います。長崎聖三一教会の礼拝堂の威力かもですね。 verunに行かれたのですね。私がお昼ご飯のサンドイッチをよく買うところです。教会の牛島に紹介されたって言ってくださったらカステラの切れ端がサービスになったかも?? ここのフルーツロールケーキも美味しいんですよ! 次はぜひ!
先生、今週も有難うございました。函館聖ヨハネ教会 タビタ拝
ご視聴いただき、ありがとうございます。
主よ、感謝します。 今朝のみことばを感謝します。 聴きながらコヘレトの言葉が思い起こされました。 太陽の下、人間にとって 飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない。それは、太陽の下、神が与える人生の日々の労苦にそえられたものなのだ。8:15 この「飲み食い」とは、イエスのパンと葡萄酒のこととも言えるのではないかとふと思いました。 神は私たちの体に日々の糧をお与えになり、霊の糧をも同じように与えられている。 私はアーサーホーランド師の毎日のみことばと、日曜日は牛島幹夫先生からメッセージをいただいています。時々バイブルプロジェクトも観ますが、昨夜は思いがけず、聖霊さまのお導きかしら、ジャスティンビーバーさんの証しを聴く時が与えられました。 彼は、イエスさまがいないと、今こうして自分は生きていないだろう、と語っておられました。 私たちは、日々の糧と、霊の糧がないと、生きてはいけぬ存在であることに再度気づかされました。 現実は、私は奇跡を見たとしても、なおしるしを欲しがる愚か者かもしれませんが、主の憐れみと慈しみに依り頼みおすがりして、弱く小さな私のせいいっぱいで、神さまに用いてほしいとお祈りします。 先生とご家族、教会のみなさまが、今週も守られますように。 主よ、感謝します。
コメントをありがとうございます。 コメントをお読みしながら、私の恩師から「牛島君、み言葉を食べなさい」と言われたのを思い出しました。命の糧であるイエスによって生かされていることを感謝します。イエスの言葉を食べていくものとなりたいです。
@@barnabasmikioなかなか深いですね…わたくしも御言葉を食べる努力を致します。有難うございます✨
主の平和。牛島先生、今日も配信有難うございました。暑さに負けず、皆様お元気で健やかな日々に在りますように...✝ 函館聖ヨハネ教会 Tabitha 拝
ご視聴ありがとうございます。イエスに見つめられながら進む日々に、祝福をお祈りします。
先生、おはようございます。 今朝もbalconyの植物に水をあげていると、蝉の大合唱にまず力をもらいました。「がんばってね」と言いました。いのちいっぱいに賛美していますね。 今朝の箇所ですが、私はイエスさまが湖の上を歩かれていることにばかり目を向けて、細部を読み飛ばしていたようです。丁寧なご説明をありがとうございます。本当に、私たちは毎日の主のみことばを糧に、その日を生き抜く力をもらっていることにまず感謝します。 先日、私はひと気のない夜の道路を歩いていて、その日は少し消沈していたせいか、不安に襲われました。そのとき「本当にイエスさま、共にいてくださってるの?」と問いました。答えはなかったです。でも、そんな時でも'I amと神さまのお名前を言われていたのですね。エゴ エイミが使われているのですね!驚きました。 私は日々生きているということだけでも奇跡なのに、それをすっかり忘れて、起こってくるさまざまな不安に、いちいち「イエスさま〜助けて〜」と言い続けると思います。しかし、その時に返事がなくとも、時間が経つと、「ああ、あの時確かにイエスさまは共におられたのだ」と気づかさられることがたびたびです。 少し前に、ブッタヒストの友人から「沈黙」に関する質問をされました。そんな時に、先生方からいただいたメッセージをお伝えできたたらよかったなと思いました。教わったことを聖霊さまに導かれてお話するようにしたいです。湖を歩かれていることだけに心を向けていた自分、聖書は、一文字一文字にすべて奥深い意味があるのだと、今朝思わされました。私にはそんな箇所がたくさんあるのだと思いました。 先生、ありがとうございます。 I amである方は、見えなくても、聴こえなくても、共にいてくださることを信じて、今日もセミのように賛美しながら、一日を生きたいです。 セミの声に力づけられる、それもイエスさまが共におられるという証拠ですね。当たり前だと思い込んいて、奇跡だとは感じない鈍感な私ですが。いつも主が共におられるということを信じて、これからもひとあしひとあし一歩踏み出したいです。 勇気をいただきました。感謝します。 先生とご家族、周囲の人が、今週も守られますように。 主よ、感謝します。
コメントありがとうございます。 聖書は何十回と読んだところでも、いつも発見があるものだと思います。 聖書の中から新しい発見があること嬉しく思います。
おはようございます。 今朝もみことばを感謝します。 時々私は疲れてしまうことがありますが、主が「休め」と言われているのかな?と感じます。それは忙しさのあまり心をなくしているのかもしれないし、、、「休む時」も与えられていることに感謝しが私を労ってくださっているのでしょう。主よ、感謝します。詩編23編とこのようにリンクしていると初めて気づきました!日こどの糧を与えてくださっている神さま、、、慈しみと憐れみがいつも私を追ってくる。 二匹の魚と5つのパンの奇跡には、もぅともっと私にこの箇所の奥深さを今後も教えてくださるでしょう。 私には充分な糧が与えられいても、世界では飢えている人がほとんどであることを知っています。 主よ、どうぞ今日、私にも、飢えている人にも十分な糧をおあたえください。 今週も先生とご家族が守られますように。 そう言えば、最近、あの天使のようなワンちゃんのお声が聴けなくなりました。天に召されたのですか?
Aikoさん、おはようございます。今朝もコメントをありがとうございます。 そして、我が家の愛犬のこと覚えていただきありがとうございます。 我が家で飼っていた、愛犬ザビエルは1月7日(日)未明、神さまにその命をお返ししました。2005年12月3日聖フランシスコ・ザビエルの日に我が家にきてから18年間、私たち夫婦の歩みを見つめてくれました。 instagram.com/p/C13PbjGp8sW/
牛島先生、主の平和。いつもありがとうございます。函館聖ヨハネ教会 Tabitha 拝
おはようございます。 真ん中に立つ主イエスが伝えた平和が共にありますように。
@@barnabasmikio 有難うございます。何かと皆さまへご心配ご迷惑おかけいたしましたことを謹んでお詫び申し上げます。北海道教区150周年記念の御支援に感謝申し上げます。誠に有難うございます🥰充実した良い主日をお過ごしくださいませ。主に感謝✝
先生、おはようございます。 メッセージを感謝します。 今日のメッセージでは、私は新たな導きをいただきました。 まず、私は教会を出たクリスチャンですが、残る生涯はイエスさまをお伝えしたいと願っています。おもにSNSですが、TH-cam(Aiko works)やInstagram(Aiko-works-miche)ポケカラ(おじや) において、みことば・讃美歌をお伝えしています。 このとき、私は一人で伝道していると思っていましたので焦りました。ですがよく考えてみると、この発信に協力してくださる友がいることに気づきました。ああ、私は友と二人組で伝道の働きをさせてもらえてるのだと、感謝しました。 次に、何も持たずに伝道をするようにとの主のご命令には、自分の覚悟の無さに気づかされました。また、誰かのお世話になるという発想もありませんでした。これからは、協力者の方々にもより頼みながら私に今与えられている伝道の賜物を分かち合いたいと願います。 それから、SNS、特にポケカラでは、私がクリスチャンであり、イエスさまをお伝えしていることを宣言すると、多くの方々が去っていきました。でも、私はイエスを今のところ拒否する人々にも、確かにみことばの布石を置かせてもらったと信じています。足底の砂を払うという厳しいご命令はむずかしいですが、その人々がいつかイエスさまと出会えることを祈りながら、「去るものは追わず」のスタンスで行うことが現状です。そして、イエスを拒否しないまでも、反対せず私のサークルJesusに籍を置いてくださる方々も多くおられます。この方々がイエスと出会えますように日々祈り、自分のできるかぎりのことをしていきたいと願います。 私はいろんなところを通らせられ、今は宗教ではなく、Jesusを信じています。私の師は牛島先生とアーサー・ホーランド師です。お二人のメッセージを受け続けて、いつも心を燃やされ、伝道のヒントを授かりますし、聖霊さまの大きな導きを感じとることができます。 主よ、感謝します。 先生と先生の愛する 12:33 人々が今週も守られますように。 先生のお働き、ご愛、お祈りを感謝して、イエスさまの御名によってお祈りいたします。アーメン。
先生、メッセージの誤字をおゆるしください。なぜか数字が入ってしまうのです。勝手に入るので、意味はありません。
コメントありがとうございます。 自分に出来ないことがらを自覚しながら、共に歩む仲間に「一緒にやってください。助けてください。」と伝えていけるようになると、世界がずっと拡がるように感じています。そして、その仲間への尊敬を持ちながら歩めるようになると感じます。仲間が共にいるとき、その真ん中に必ずイエスがいると信じています。 Aikoさんのイエスを伝える歩みが祝福されますように、お祈りいたします。
@@早川あいこ 大丈夫です。数字全然気になりませんよ。
先生、おはようございます。 今朝は久しぶりに主人と共にメッセージにあずかることができました。 私たちはイエスさまご自身より、イエスさまの奇跡を見たいのでしようか?私は「タリタ クミ」のような奇跡を目にしたことはありませんが、自分の人生を振り返ってみると、長い期間の中で「タリタ クミ」と言われていたことがわかります。確かに、イエスはそう言われ続けていたことに気づきました! 私は死んでいたのに、生き返ったのですから!主よ、感謝します。 今週も先生のお働き、ご家族が守られますように。
コメントありがとうございます。 イエスに、「起きなさい」と言われてきたことが分かるって、ほんとに素晴らしいですね。 そして、その言葉が実現していることを今、実感しておられる。 イエスの言葉に力があることをあらためて確信しました。 ありがとうございます。
おはようございます。 −200mのところにある湖なんですね。そして向こう岸とは20kmも先、、、見たことのない盆地を想像してみました。向こう岸はほんのすぐそばだと思っていました。 突風が吹くたびに恐れてあたふたすることが人生にはありますが、「恐るな」という神さまのご命令をいつも心にとどめたいと思いました。いつまでも、もしかしたら生涯、恐れてしまうのかもしれませんが、イエスさまに信頼を置き、少しずつでも歩んでいけますように。 先生、いつもメッセージをありがとうございます。
コメントありがとうございます。 見てきたようにしゃべりながら、実は私もガリラヤ湖を見たことがありません。 映像や写真を見ながら想像を膨らませています。 大風の中、イエスだけが船で寝ているというのは、結構気に入っているシーンです。 大荒れの中にあっても、イエスのところに平安があるっていうことだと理解しています。 イエスと共に、恐れず歩みたいと思いながらお話しをいたしました。
おはようございます。 ヨハネのみことばを感謝します。 私は長い信仰生活の中で「三位一体」という言葉が聖書に書かれていませんし、理解はできませんでした。 私はオルガンが好きなのですが、ある時、聖アンを聴く機会がありました。そのフーガを聴いている時、「三位一体」についてほんの少し体感できました。ああ、神さま、イエスさま、聖霊さまの働きは、Bachはこのように捉えたんだ!と直感しました。
コメントありがとうございます。今日は、香港の神学生が17名も礼拝に出席していました。「神学校の時に苦労したのが、三位一体についてのレポートでした。」と言うと何人かの方がうなずいていました。三位一体は、聖霊の導きによって、はっと気づかされるものなのかもしれませんね。 コメントお読みして、神さまは一人一人にふさわしい形でそれをあらわしてくれる!と気づきました。ありがとうございます。
この世です😂
主は🍇の木私は枝です豊かな実を結ぶ み言葉にとどまり愛に生きるなら❤ この夜は知るでしよ主の恵みと癒し 賛美が溢れてきました。今日もラブレター!いただきました
コメントありがとうございます。 ヨハネ13:35「互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆が知るであろう。」 イエスの愛にとどまり、互いに愛し合う道を生きていくことによって、イエスを伝えるものとなりたいです。
牛島先生、おはようございます。 私にはあまりコミュニケーションをとる場がありませんが、家族、出会った人、また、通りすがりに助けられた人、または手助けした人、そのような人々に、「互いに愛し合うように」の掟を守りたいと願います。 私は寝言が激しく、時々主人がおもしろがって録音するのですが、今朝、それを聞かされました。私は「ばか!ばか!」と言っていました。日中「ばか!」などの言葉を使いませんが、夢の中で言っているということは、私の心に人を蔑む思いがあるのかな?と考えさせられました。夢の中でも愛し合えたらいいなと思います。聖霊さまが、罪の私を変えてくださいますように。 17:12 メッセージを感謝します。 喜んで今日を生かされたいです。 先生のお働き、ご家族が守られますように。
コメントありがとうございます。 イエスの愛にとどまり、イエスの喜びに充たされて、日々を過ごしたいと思います。 私と家族のためにお祈りいただき感謝です。 祈りに支えられています。
TH-camを見ていたら、出逢いました。 懐かしく拝見しました。 感謝です。アーメン
コメントいただき、嬉しいです。 ありがとうございます!
牛島先生、今日も分かり易いメッセージをありがとうございます。 イエス様が真ん中で弟子たちが周りにいる場面が浮かびます。 ひとりひとりのために聖霊(息)を送ってくださる。その聖霊が力の源になる。 礼拝する意味も分かりました。
コメントありがとうございます。 大事なことがてんこ盛になった箇所だと思います。 ゆっくりじっくりと読み直したいところです。
おはようございます。 主よ、感謝します。 わたしのために、わたしに、聖霊を送ってくれたとは、実感として感じられませんし、わたしは今は共同体に属していません。 でも、若い頃、わたしには絶対に一生赦せないという思いを一つ抱えており、これはイエスを信じて「赦します」と口では言っても、赦せない心が消えることはないだろうと思っていましたし、それは正当なことであると思っていました。いろんな神さまの試練を乗り越えさせてくださり、61才の今、わたしの心に「赦さない」思いはなくなっていることに気づきました。感謝します。実感はなくとも、わたしには聖霊の息吹が吹きかけられていました。ハレルヤ。
証しをありがとうございます。 聖霊の実感というのは、なかなかないかもしれません。わたしも、聖霊をいただいた!とはっきり実感したことは1度きりしかありません。それでも、聖霊の息吹が今も確かに吹きかけられていると信じています。 そして、こうしてコメントをやりとりする真ん中にイエス様が立っておられると信じています。
今年考えたこと。 トマスだけいなかったその日、彼はどこで何をしていたのだろう?他の弟子たちと離れて単独行動(?)をしていたのは、ひとりでイエスを思って祈っていたのではないだろうか?それもひとりで山に行って。そんなとこまでイエスのディディモ。 それは、団結を乱す行為ではなく、だれよりもイエスを思う行為ではないか? 一度ゆっくりトマスの「空白の1日」を考えてみたいと思った復活後第2主日。
トマスの側から見たその日を考えるというのは、すごくいい黙想になりそうですね。 わたしは、疑いのトマスという言い方が嫌いで、トマスにはどんな肩書きをつけるのが良いか?というのをよく考えます。
イースターのメッセージ、感謝します。昨夜になりましたが、勇気を出して、メル・ギブソン監督の”Passion”を観ました。ここ数年は恐ろしくて観ることができませんでしたが、マリアさまと一緒にただ涙が流れました。私が受けるべき罰とは、このように凄惨なものなのだと、再度自分の罪を確認できました。 昨日私は自分のTH-camチャンネルに讃美歌をアップしましたが、ある方から、「わたしも神さまを信じます」」とコメントをいただき、イースターにとてもうれしかったです。復活という信じがたいことを、私たちは信じています。復活がなければ、私たちクリスチャンは世界で最も惨めな人です、などのみことばを受け入れてくれたようです。ハレルヤ!
イースターおめでとうございます。 十字架の苦しみをしっかり見つめるとき、キリストの復活への感謝がより深まるように思います。 私たちの日々を通して、復活のキリストと出会う喜びをあらわしていけるようにお祈りいたします。
先生、 12:52 おはようございます。今日もみことばをありがとうございます。「サタンよ、引き下がれ。あなたは神のことではなく、人のことを思っている」とのイエスさまのお叱りに、申し訳なく悲しく思いました。自分の現状はいつも人のことを思っていることをよくわかっているからです。それでも、主に従いたいと憧れています。自分を捨てられないまま、それでも神さまにしがみついている、哀れな罪びとであるわたしのために壮絶な苦しみを受けられたイエスさまに、顔を上げられないまま感謝しています。自分の十字架(死)を背負って、謙虚に、そして中途半端に罪の自分をお献げすることは、本当に神さまに申し訳なく思っています。どうか主よ、罪と永遠のいのちの重なるところにさまよっているこの小さな愚か者を憐れんでください。こんなわたしですか、今週も小さなことに大きな愛をこめつつ、与えられた時間を大切に、また、とりなしの祈りをたゆまず続けていけるように、お助けください。 先生とご家族が今週も幸せに守られますように。主にあって、アーメン。
お祈りありがとうございます。 自分の十字架とは、イエスに従う道を自分で選びとることだと思います。 神さまにしがみつく道を選び続けることができるようお祈りいたします。
牛島先生 今日も分かりやすいメッセージをありがとうございます。神様を思って生きていく、いつも、「みこころのままに」の思いでいます。昨日はハインド協働教会(直方)で黙想会でした。5年ぶりの集まりで良い交わりが出来、感謝です。大斎節期間中も「黙想」の機会を持ちたいと思います。
コメントありがとうございます。 黙想会の開催よかったですね。静かな時間をあえて選ぶことで自分の心に語りかけてくださるイエスの声に気づくように感じています。