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古い資料を参照すると日本語の否定形に、あに書くのような動詞の前にあにという形態素が付いた物があります。また四段動詞の古い形は琉球語などと比較してラ変のような母音iで終わる物だったと推測されるので、an-i-kak-i-uのような否定の形があったと推測されます。日本語では母音iという動詞の開音節化を伴っていますが、anという形態素は朝鮮語にも共通したものです。そして現代の否定の形であるkak-an-aiにも形態素anが露出しているので、確かに閉音節を避けるための母音ではあるのでしょうが、適当に母音aを採択している訳ではないと思います。
なるほどやはりなにかしら背景がありそうですね! 動画内で言及を避けて良かったです。勉強になります!
「母音が挿入されて、それがたまたまアだった」という説明では、複数の活用形が現れるのが極めて不自然になります。どの母音が挿入されても良いなら、わざわざ後続の単語によって異なる母音を変える必要性がないためです。「-aない」という語尾になる前の形があったと考えるのが自然かと思います。(それこそ動画内で仰ったとおり日本語史の話になりますが)
四段活用の未然形がア段で活用するのは已然形下二段と区別するためなんじゃないでしょうか
なるほど! そのあたりは勉強不足でした。やっぱり日本語史のほうに答えがありそうですね
五段動詞「書く」の語幹を「kak」とする考え方は独自ですか?語幹自体が変化するから「五段動詞」だと思っていましたが。
実は語幹がkakであることは言語学的に正しいです
@watonsedlee2825 前の発言で「語幹自体が変化する」は思い違いでした。語幹は変化しませんね。活用語尾が変化します。「書く」の場合「か」が語幹で「く」が活用語尾の終止形、あるいは連体形というのが通常の理解ですよね。語幹が「kak」という捉え方には初めて触れました。
「何でもいいから母音がはいればいい」という説明は残念ながら0点だね。これを考えるためには「花咲か爺さん」という語句を考えるのが手っ取り早い。この語句は「花咲か爺さん」「花咲き爺さん」「花咲く爺さん」「花咲け爺さん」「花咲こ爺さん」のカキクケコ5段を考えたとき、「花咲こ」以外は文法的に成立する。だがすべて意味が異なる。つまりこの「か」は重大な「意味の違い」を担っているということだ。そこに感じられるのは「花を咲かす爺さん」のニュアンスだ。これは日本人なら分かるはずだ。
そこの例は違うんじゃないかなと思います咲く、咲かすは自動詞と他動詞の文法ですので、動画の主旨とは違います個人的に動画が伝えたいことはナイ形でaを使う理由が特にないということです。「ない」はただ五段動詞に接続するためにaがつき、もともとaがなくても自立しています。もし日本語の音韻体系が違ったら、「書かない」が「kaknai」になるかもしれないです。「書かない」の否定の意味を担っているのが「ない」で、「か」ではないです
@@watonsedlee2825 いえ、「咲か」の部分は自動詞とか他動詞とか関係ありません。「咲か」の部分は純然たる自動詞「咲く」の未然形です。これを他動詞化するのは「す」の部分で、国語文法ではこれを使役の助動詞「す・さす・しむ」として扱っています。「もし日本語の音韻体系が違ったら」というのは前提以前の禁じ手ですね。それに未然形は必ずしも否定の意味をもつわけではないですよ。「咲かむとすなり山桜花」(牧水)。
これは、英語圏の人が日本語をこねくり回した結果なんだよね。これで日本語を分かった風に話されているのが、ありがたいと思う反面、不愉快に感じる。勝手に音節を区切って、これが正解とするところだよ。
古い資料を参照すると日本語の否定形に、あに書くのような動詞の前にあにという形態素が付いた物があります。また四段動詞の古い形は琉球語などと比較してラ変のような母音iで終わる物だったと推測されるので、an-i-kak-i-uのような否定の形があったと推測されます。日本語では母音iという動詞の開音節化を伴っていますが、anという形態素は朝鮮語にも共通したものです。そして現代の否定の形であるkak-an-aiにも形態素anが露出しているので、確かに閉音節を避けるための母音ではあるのでしょう
が、適当に母音aを採択している訳ではないと思います。
なるほどやはりなにかしら背景がありそうですね! 動画内で言及を避けて良かったです。勉強になります!
「母音が挿入されて、それがたまたまアだった」という説明では、複数の活用形が現れるのが極めて不自然になります。どの母音が挿入されても良いなら、わざわざ後続の単語によって異なる母音を変える必要性がないためです。「-aない」という語尾になる前の形があったと考えるのが自然かと思います。(それこそ動画内で仰ったとおり日本語史の話になりますが)
四段活用の未然形がア段で活用するのは
已然形下二段と区別するためなんじゃないでしょうか
なるほど! そのあたりは勉強不足でした。やっぱり日本語史のほうに答えがありそうですね
五段動詞「書く」の語幹を「kak」とする考え方は独自ですか?語幹自体が変化するから「五段動詞」だと思っていましたが。
実は語幹がkakであることは言語学的に正しいです
@watonsedlee2825 前の発言で「語幹自体が変化する」は思い違いでした。語幹は変化しませんね。活用語尾が変化します。「書く」の場合「か」が語幹で「く」が活用語尾の終止形、あるいは連体形というのが通常の理解ですよね。語幹が「kak」という捉え方には初めて触れました。
「何でもいいから母音がはいればいい」という説明は残念ながら0点だね。これを考えるためには「花咲か爺さん」という語句を考えるのが手っ取り早い。この語句は「花咲か爺さん」「花咲き爺さん」「花咲く爺さん」「花咲け爺さん」「花咲こ爺さん」のカキクケコ5段を考えたとき、「花咲こ」以外は文法的に成立する。だがすべて意味が異なる。つまりこの「か」は重大な「意味の違い」を担っているということだ。そこに感じられるのは「花を咲かす爺さん」のニュアンスだ。これは日本人なら分かるはずだ。
そこの例は違うんじゃないかなと思います
咲く、咲かすは自動詞と他動詞の文法ですので、動画の主旨とは違います
個人的に動画が伝えたいことはナイ形でaを使う理由が特にないということです。「ない」はただ五段動詞に接続するためにaがつき、もともとaがなくても自立しています。もし日本語の音韻体系が違ったら、「書かない」が「kaknai」になるかもしれないです。「書かない」の否定の意味を担っているのが「ない」で、「か」ではないです
@@watonsedlee2825 いえ、「咲か」の部分は自動詞とか他動詞とか関係ありません。「咲か」の部分は純然たる自動詞「咲く」の未然形です。これを他動詞化するのは「す」の部分で、国語文法ではこれを使役の助動詞「す・さす・しむ」として扱っています。「もし日本語の音韻体系が違ったら」というのは前提以前の禁じ手ですね。それに未然形は必ずしも否定の意味をもつわけではないですよ。「咲かむとすなり山桜花」(牧水)。
これは、英語圏の人が日本語をこねくり回した結果なんだよね。
これで日本語を分かった風に話されているのが、ありがたいと思う反面、不愉快に感じる。
勝手に音節を区切って、これが正解とするところだよ。