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民度の向上と定着が問われるが、時の政治で左右されもする。かと
私も同感です。論語・大学・孟子を貫く背骨は、民度の向上や定着は、王がしっかり仁政を行っていれば、おのずと民度は上がり、安定するものだと思います。民度が上がらず、定着もしないのは、王が見せかけだけの仁政をしいていたり、自分たちの利権のみを大切にしたりすることから興る心だと思います。現在に当てはめると、王である国民がしっかり仁を持ち、正しい目で政を代理でしている宰相以下の政治屋に、「この王様のもとでは、いい加減な政や言い訳はできない」と気づかせることが第一課と思ういます。そのためには、あまりしたくないであろう学問も先達からの話も一人一人の中で、しっかりと血肉にしていくことが大切なのだろうと思います。「世を変えてくれる誰かを待つのではなく、皆がしらけずに、しっかりとすることが、世の中を正す一番の近道ではないかと思います。それが王たる国民の姿なのではないかと思います。あふれる情報に、飲まれているようでは、危い危い私も、遅ればせながら少しでも学を深めたいと思います。「過ちては則ち改むるに厳ること無かれ」まだまだですが、肝に銘じたいものです。
覇者と王者の違いは、己の為か、民の為かと。王者たる者が居ない。民にも、資質が必要かと
現代は、天命によって夜を納めているのは「国民」なのです。だからおっしゃる通りです。ただ、私が思うに「資質」という物は、皆に平等に持たされているものであると思います。ただ、それぞれの資質には個人差により強弱があるだけだと思います。世の人が、「資質がない」と、あきらめるのはもっと先でよいように思います。でも、肩を怒らせる必要もないようにも思います。
言葉足りずでした。先生のおっしゃるように、白け諦め、果てには投げ遣りにならずにいる為の心構えが資質とも、また、主流の意見に、流されない事などなど現代を生きる為の在り方でしゅ
いつも、短く表現するというチャレンジをし過ぎてました。先生に私の駄文を読ませるわけにもいかないと思いまして。エヘ
まあ、私も偉そうに言えた者ではないのです。それにしても、すいません。私の配慮不足と伝える技術不足はなかなか治りませんですね。それと、「先生」というのはどうも、私のようなものにはまだまだ重たい爵位です。先人にすらなっていません。まだまだ周りから教わっている段階ですので、「先生」はよしましょう。余計ですが、私が持つイメージとしては、先生・・・誰が見ても立派に行き着いた人先達・・・先生まではないが、先に達することができている偉い人先人・・・先達ほどではないが、経験からすごい英知を持っている人
短くまとめる。大切ですね。でも私のような「早飲み込みが過ぎる者」にはご配慮をお願いします。
民度の向上と定着が問われるが、時の政治で左右されもする。かと
私も同感です。論語・大学・孟子を貫く背骨は、民度の向上や定着は、王がしっかり仁政を行っていれば、おのずと民度は上がり、安定するものだと思います。
民度が上がらず、定着もしないのは、王が見せかけだけの仁政をしいていたり、自分たちの利権のみを大切にしたりすることから興る心だと思います。
現在に当てはめると、王である国民がしっかり仁を持ち、正しい目で政を代理でしている宰相以下の政治屋に、「この王様のもとでは、いい加減な政や言い訳はできない」と気づかせることが第一課と思ういます。
そのためには、あまりしたくないであろう学問も先達からの話も一人一人の中で、しっかりと血肉にしていくことが大切なのだろうと思います。
「世を変えてくれる誰かを待つのではなく、皆がしらけずに、しっかりとすることが、世の中を正す一番の近道ではないかと思います。それが王たる国民の姿なのではないかと思います。
あふれる情報に、飲まれているようでは、危い危い
私も、遅ればせながら少しでも学を深めたいと思います。
「過ちては則ち改むるに厳ること無かれ」まだまだですが、肝に銘じたいものです。
覇者と王者の違いは、己の為か、民の為かと。王者たる者が居ない。民にも、資質が必要かと
現代は、天命によって夜を納めているのは「国民」なのです。
だからおっしゃる通りです。
ただ、私が思うに「資質」という物は、皆に平等に持たされているものであると思います。
ただ、それぞれの資質には個人差により強弱があるだけだと思います。
世の人が、「資質がない」と、あきらめるのはもっと先でよいように思います。
でも、肩を怒らせる必要もないようにも思います。
言葉足りずでした。先生のおっしゃるように、白け諦め、果てには投げ遣りにならずにいる為の心構えが資質とも、また、主流の意見に、流されない事などなど現代を生きる為の在り方でしゅ
いつも、短く表現するというチャレンジをし過ぎてました。先生に私の駄文を読ませるわけにもいかないと思いまして。エヘ
まあ、私も偉そうに言えた者ではないのです。
それにしても、すいません。私の配慮不足と伝える技術不足はなかなか治りませんですね。
それと、「先生」というのはどうも、私のようなものにはまだまだ重たい爵位です。
先人にすらなっていません。
まだまだ周りから教わっている段階ですので、「先生」はよしましょう。
余計ですが、私が持つイメージとしては、
先生・・・誰が見ても立派に行き着いた人
先達・・・先生まではないが、先に達することができている偉い人
先人・・・先達ほどではないが、経験からすごい英知を持っている人
短くまとめる。大切ですね。でも私のような「早飲み込みが過ぎる者」にはご配慮をお願いします。