【ゲスト:與那覇潤】歴史学はオワコンか? 文明論は復権する!!

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  • เผยแพร่เมื่อ 2 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 15

  • @haru-goza
    @haru-goza  5 หลายเดือนก่อน +2

    38:35 『「反・東大」の思想史』 尾原宏之
    1:20:05 渡辺京二さんの『逝きし世の面影』ですね。失礼しました。

  • @KeiAmeNoYurii
    @KeiAmeNoYurii 2 หลายเดือนก่อน

    コンテンツ制作やマンガ制作で服飾等の資料が必要になっていきますから歴史学は次第に必要となっていくと思います。コンテンツにとって、緻密さは重要です。加えて日本は海外向けの輸出維持も重要だと思います。

  • @けんちゃん-g6w
    @けんちゃん-g6w 5 หลายเดือนก่อน +3

    これは神回

  • @cirowsnow9483
    @cirowsnow9483 5 หลายเดือนก่อน +5

    與那覇さんのことは存じ上げませんでしたが、共感する部分が多く著書を読んでみたくなりました。
    大きな見取り図を歴史学者が示すことは、内輪ではウケが悪いと思いますが社会には必要なように感じます。
    一次資料をしらみ潰しに漁る学者、それをその時その時ごとに可能な限り矛盾のないストーリーで纏める学者。
    どちらも必要だと思います。その見取り図がある程度共有されたあとの価値判断は学者の手を離れて良いかと。

  • @vox_populi7621
    @vox_populi7621 5 หลายเดือนก่อน +2

    初めてこのチャンネルの動画を見て、ついでに初回の動画も倍速早回しで視聴し、チャンネル登録しました。春木さんと呉座さんの今後の一層のご活躍に期待します。【追記】ついでながら、テーマ音楽の演奏者「Recto Berso」の名前は、あえてRecto Versoとは変えているということですかね?

    • @haru-goza
      @haru-goza  5 หลายเดือนก่อน

      ありがとうございます。おっしゃる通り名前の由来は「Recto Verso」とのことです。
      www.rectoberso.com/profile.html

    • @vox_populi7621
      @vox_populi7621 5 หลายเดือนก่อน

      @@haru-goza ご返信ありがとうございます。なお、細かいことですが、ラテン語自体では「recto」「verso」は「おもて」「うら」という意味にはなりません。そういう意味で(つまり名詞として)recto、versoを使っているのは近代(或いはむしろ現代?)の写本研究者だ、と言ってよいのではないでしょうか。辞書等で確認してみると良いかもしれません。こういうハンドルネームを使っているもので気になってしまって、細かい話ですみません。

  • @kensuketomioka2321
    @kensuketomioka2321 5 หลายเดือนก่อน +3

    オスマン朝研究の鈴木董先生は歴史学者として文明論を扱っていらっしゃいますね 24:17

  • @Yuum3
    @Yuum3 5 หลายเดือนก่อน

    與那覇さんの話は考えさせられます。NewsPicksの動画も見ました

  • @NAKAI_shingo
    @NAKAI_shingo 5 หลายเดือนก่อน +2

    おめでとうございまろ〜

  • @sigeru-hi3yt
    @sigeru-hi3yt 5 หลายเดือนก่อน +3

    レベルの低い話をしている、呉座先生は歴史については超一流の評価を得ているのだから、
    歴史の枠を守った方が良い、最近、網野善彦の対談集が岩波文庫から出たが、
    その数十年前の議論よりも著しく退歩した内容、悲しくなる、

  • @amatake5757
    @amatake5757 5 หลายเดือนก่อน +3

    研究が細分化した今の歴史学は、歴史クラスタと呼ばれるごく僅かなオタクへの局所的な影響力しか無く、社会における一般教養としての価値は低くなったと感じます。
    こだわりが強い一方で見えている範囲が狭い自閉気質で陰キャな歴史研究では、ITやAIの急速な発達により、高い応用処理能力やコミュ力を必要とする一般社会から見放されてオワコン化するのも仕方ないかと。
    呉座さんが応仁の乱の具体的な知識を抽象化して第一次世界大戦になぞらえたような、専門知を社会化して伝える姿勢を他の歴史研究者も大切にして欲しいと思いました。