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皆さま若い衆勢揃い素敵な事です🥰
懐かしい。見た事無有る。TH-camで見れて嬉しいです。
小さん師匠は中年の時から晩年まであまり風貌が変わりませんね
息子に対して「何月生まれた?」って聞く小さん師匠草
五代目柳家小さんの芸を継いだのは・・色々あったが立川談志師匠・・!大親友の三木助師匠から預かった、扇橋師匠・・そして人間国宝の小三治師匠・・五代目柳家小さん師匠は素晴らしい噺家でした!!・・談志ファンのあたしより・・・!!
小三治師匠もあちらへ…
落語協会会長歴代で並んでるのがすげえ
小三治のカクカクした首のフリ。これが聴いてるうちに気にならなくなるんだよね。扇橋はあんまりプルプルしてませんね。
死ぬまで会長続けるような事を仰りながら、、この平成8年、退任しましたな。
ほんとに何人か師匠より老けて見える、米丸と歌丸みたいな
全員で落としにかかるwまさに落語家。
当時、落語界ではイベントなどの司会をさせれば…馬風師匠の右に出るものはいなかった…!!あの談志師匠も、落語協会時代の当時…自分のイベント的な事に馬生師匠の司会でやられていました…!!今もお元気でなりよりです!!
ところで、今の小さんはどうしてるんだ?
扇橋さんも亡くなりましたね。。独特の言い回しが好きでした・
声も渋くていいですよね
もしこの時に小さん師匠から「おい談志、ちょいと顔出してくれねェか?」って言われたら、談志師匠は間違い無く出席したんだろうなァ・・・🤔
しないんじゃないかな談志さんは落語家連中が嫌いみたいだから
小さん師匠と談志師匠は表向き喧嘩別れしているんだから、小さん師匠は呼ばないよ。談志師匠も呼ばせても行かない。
談志師匠いわく「もし(小さん)師匠から(落語)協会に戻ってこいと言われたら、おれは戻らなきゃならない。」と、言う程に師匠を立ててる方ですよ。逆に小さん師匠は談志師匠が酒の席で客ともめた際に事情を聞いて「客がワルい。」と、言う方です。傍から見れば仲が悪いとか、絶縁だとか色々な意見も有るとは思いますが、実のところは談志師匠は師匠を立て、小さん師匠は弟子に好きにやらせて、いつも公正だったとも言えると思います。今回の場合は、小さん師匠のお祝いであり協会云々は関係のない話なので、「おい談志、ちょっと口上やってくれよ?」と言われたら、「師匠、おれが行ったらヒドいコトいうよ?ホントにいいの?」って、程度の話だと思うんです。
さん喬・権太楼・市馬といった香盤が上の先輩を差し置いて、花緑が並んでいるのはなあ。まあ孫だから仕方ないですか。そう言えばここにいない家元が「小さん師匠の孫が真打になるってから、その時にうちの弟子ぶつけてやろうかしらん。志らくと談春」って言ってましたね。
花緑には「早く小さんになっちまえ」と本人に言うぐらいですから嫌味でなく若手落語家で落語界を席巻してほしかったのかも。
人間国宝💐
6代目小さん、この映像では三語楼師匠が「師匠のせがれ?」って聞かれて「分かりません」って答えてるけど、歳を重ねた今でも、あまり5代目に似てないんだよね。先代小さん師匠の結婚当時の写真見て、ああ、母親になんだなってのはちょっと思うけど。
226事件に参加されてるんですよね?
反乱軍として警視庁を占拠したようです。事件の最中に「子ほめ」だったか、兵士たちの前で一席やったらしいですね。
呑気なもんで草
2.26事件の真っ只中にネタをやらされその時に先輩諸氏から「面白くねェぞ💢‼️」と野次られ、返した言葉が「そりゃそうです。演ってる方だってちっとも面白くないんだから」
談志にいてほしかったですね!
今の小さん師匠は百面相はやるのかな?
馬風が一番小さんに似てると思います。
80の爺さんに見えない!
小せんさんは何番でし
池袋西口の墓石の看板、まだずっとあるんだが、あれ、ポーズも同じ「祖父から孫へ」はいいが、孫が八十になってもそのまんまにしておくのかしら?「あっしもぼちぼち準備」って(笑)
小せん師匠はご都合が悪かったのかな?
すごい顔ぶれですね!❤
談志師匠は居ないんですね👀
残念ながら、居ませんね。家元になっていましたから。
この時は落語協会を脱退してました。小さん一門から離れてました。
談志師匠は一応「破門」扱いですからね。ただ、談志師匠いわく「(小さん)師匠に「戻って来い」と言われたら、戻らないワケにいかなくなる。」と、言ったそうです。それでも呼び戻さないのは、小さん師匠が談志師匠に対する優しさだったんですかねェ・・・
当時絶賛破門中(結局和解しなかったけど)でしたからね。
@@jyouban531 最晩年の小さん師匠と楽屋で談笑していたようです。談志師匠はガンの影響で呼吸が厳しくなり、とうとう気管切開によって声を失うという場面では、小さん師匠に習った蜘蛛駕籠を口演したのだそうです。組織としては別々の道に進んだ談志師匠でしたが、いつまでも小さん師匠は心のよりどころで、師弟の心の繋がりがあったのかもしれませんね。
確か この前の年に人間国宝になったんじゃなかったっけ?
業の肯定イリュージョン野郎がいないね
皆さま若い衆勢揃い素敵な事です🥰
懐かしい。
見た事無有る。
TH-camで見れて嬉しいです。
小さん師匠は中年の時から晩年まであまり風貌が変わりませんね
息子に対して「何月生まれた?」って聞く小さん師匠草
五代目柳家小さんの芸を継いだのは・・色々あったが立川談志師匠・・!大親友の三木助師匠から預かった、扇橋師匠・・そして人間国宝の小三治師匠・・五代目柳家小さん師匠は素晴らしい噺家でした!!・・談志ファンのあたしより・・・!!
小三治師匠もあちらへ…
落語協会会長歴代で並んでるのがすげえ
小三治のカクカクした首のフリ。これが聴いてるうちに気にならなくなるんだよね。
扇橋はあんまりプルプルしてませんね。
死ぬまで会長続けるような事を仰りながら、、この平成8年、退任しましたな。
ほんとに何人か師匠より老けて見える、米丸と歌丸みたいな
全員で落としにかかるw
まさに落語家。
当時、落語界ではイベントなどの司会をさせれば…馬風師匠の右に出るものはいなかった…!!あの談志師匠も、落語協会時代の当時…自分のイベント的な事に馬生師匠の司会でやられていました…!!今もお元気でなりよりです!!
ところで、今の小さんはどうしてるんだ?
扇橋さんも亡くなりましたね。。独特の言い回しが好きでした・
声も渋くていいですよね
もしこの時に小さん師匠から
「おい談志、ちょいと顔出してくれねェか?」
って言われたら、談志師匠は間違い無く出席したんだろうなァ・・・🤔
しないんじゃないかな
談志さんは落語家連中が嫌いみたいだから
小さん師匠と談志師匠は表向き喧嘩別れしているんだから、
小さん師匠は呼ばないよ。談志師匠も呼ばせても行かない。
談志師匠いわく
「もし(小さん)師匠から(落語)協会に戻ってこいと言われたら、おれは戻らなきゃならない。」
と、言う程に師匠を立ててる方ですよ。
逆に小さん師匠は談志師匠が酒の席で客ともめた際に事情を聞いて
「客がワルい。」
と、言う方です。
傍から見れば仲が悪いとか、絶縁だとか色々な意見も有るとは思いますが、実のところは談志師匠は師匠を立て、小さん師匠は弟子に好きにやらせて、いつも公正だったとも言えると思います。
今回の場合は、小さん師匠のお祝いであり協会云々は関係のない話なので、
「おい談志、ちょっと口上やってくれよ?」
と言われたら、
「師匠、おれが行ったらヒドいコトいうよ?ホントにいいの?」
って、程度の話だと思うんです。
さん喬・権太楼・市馬といった香盤が上の先輩を差し置いて、花緑が並んでいるのはなあ。
まあ孫だから仕方ないですか。そう言えばここにいない家元が「小さん師匠の孫が真打になるってから、その時にうちの弟子ぶつけてやろうかしらん。志らくと談春」って言ってましたね。
花緑には「早く小さんになっちまえ」と本人に言うぐらいですから嫌味でなく若手落語家で落語界を席巻してほしかったのかも。
人間国宝💐
6代目小さん、この映像では三語楼師匠が「師匠のせがれ?」って聞かれて「分かりません」って答えてるけど、歳を重ねた今でも、あまり5代目に似てないんだよね。先代小さん師匠の結婚当時の写真見て、ああ、母親になんだなってのはちょっと思うけど。
226事件に参加されてるんですよね?
反乱軍として警視庁を占拠したようです。事件の最中に「子ほめ」だったか、兵士たちの前で一席やったらしいですね。
呑気なもんで草
2.26事件の真っ只中にネタをやらされその時に先輩諸氏から
「面白くねェぞ💢‼️」
と野次られ、返した言葉が
「そりゃそうです。演ってる方だってちっとも面白くないんだから」
談志にいてほしかったですね!
今の小さん師匠は百面相はやるのかな?
馬風が一番小さんに似てると思います。
80の爺さんに見えない!
小せんさんは何番でし
池袋西口の墓石の看板、まだずっとあるんだが、あれ、ポーズも同じ「祖父から孫へ」はいいが、孫が八十になってもそのまんまにしておくのかしら?「あっしもぼちぼち準備」って(笑)
小せん師匠はご都合が悪かったのかな?
すごい顔ぶれですね!❤
談志師匠は居ないんですね👀
残念ながら、居ませんね。家元になっていましたから。
この時は落語協会を脱退してました。小さん一門から離れてました。
談志師匠は一応「破門」扱いですからね。
ただ、談志師匠いわく
「(小さん)師匠に「戻って来い」と言われたら、戻らないワケにいかなくなる。」
と、言ったそうです。
それでも呼び戻さないのは、小さん師匠が談志師匠に対する優しさだったんですかねェ・・・
当時絶賛破門中(結局和解しなかったけど)でしたからね。
@@jyouban531
最晩年の小さん師匠と楽屋で談笑していたようです。
談志師匠はガンの影響で呼吸が厳しくなり、とうとう気管切開によって声を失うという場面では、小さん師匠に習った蜘蛛駕籠を口演したのだそうです。
組織としては別々の道に進んだ談志師匠でしたが、いつまでも小さん師匠は心のよりどころで、師弟の心の繋がりがあったのかもしれませんね。
確か この前の年に人間国宝になったんじゃなかったっけ?
業の肯定イリュージョン野郎がいないね