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橘丸の大迫力に、魅了しました。すばらしい映像です😌💓ありがとうございました。
山から降りてくる風がまるで六甲おろし。撮影していても背中から強風で押されてカメラ必死で押さえてたよ💦そりゃ橘丸も揺れてるはずだわ(笑)
生活航路だから何日も欠航させられ無いんでしょうね乗組員達に感謝です!
ですね。私たちの主要な足ですもんね⛴生活のほとんどを洋上で過ごされているクルーの皆さんにはリスペクトしかないですね!
カラーリングと言い船型と言い超絶恰好良い!舷側の塗装剥げが航路の厳しい気象条件を物語ってますね、大迫力
日本中でもかなりイケてる船体ですね!外洋を制する逞しい私たちの足となってくれています。
凄い迫力! 経験豊富な船長さんが操船してるんですか?
伊豆諸島の航路の船長さんは相当スキルが高い方々だと思います。外洋を航行し、黒潮の激流の中桟橋に接岸しなければならない島が多数あります⛴皆さんのおかげで物資も滞らず生活する事が出来ています😌
頑張ろう東海汽船たちばな丸凄い🌊🌊🌊まるでドクターイエローだ。
確かに!まさに海のドクターイエローですね!!
3日欠航しても4日目には船が着くよ❗と先輩が言った一言を思い出します。橘の船長は三宅島出身と
そうですね。橘丸は外洋仕様の船なので4日欠航は滅多になくなりましたね。もう現場から引退されましたが、いらっしゃいましたね。誇らしいです!今は御蔵島出身の方が乗ってらっしゃるようですね⛴
50年前、初代の橘丸に乗ったことがあります。すとれちあ丸に比べ小ぶりサイズでしたが、よく出来た船🚢でした。
そうなんですね!凄い!ストレチアより小さめだったがいい船だったんですね😌ストレチア丸もいい船でしたよね?!初代タッチーにも乗ってみたかったです⛴貴重なエピソードありがとうございました😊
初代橘丸は戦前からあった船で、その船を気にいった米軍が賠償請求としてアメリカに持ち帰るつもりだったが、日本人サイズで白人には向いてない、と言うことで断念したそうです。
そんな経緯があったのですね!知らなかったです!貴重なお話ありがとうございました😊ぜひガイドの時に橘丸のエピソードとして活かして行こうと思います!
割り込み失礼します。初代橘丸は東京湾汽船時代(大正時代)でして、話題になっているのは昭和10年三菱建造の2代目です。橘丸事件の主役です。現在就航しているのは3代目。造りが良かった2代目は終戦時に戦時賠償として接収されそうになりましたが、外国人には居住区の天井高さがギリギリ過ぎてリストから外されたそうです。
そうなんですね!細かい歴史までありがとうございます。現在橘丸は3代目ですが、前生の東京湾汽船は大正時代だったんですね。今話題の渋沢栄一氏が関った東京湾汽船!
三宅から引き返した時もこんな感じでしたが、「ふりいじあ丸」の頃はもっと大変だったのでしょう。
フリージア丸は2286tとの事なのでかなが小さかったようなので、揺れたでしょうね。
ほとんど使命感で運航していますね。ブリッジの窓も波をかぶっている様子。隣の御蔵島は抜港続きで大変そうです。
物流や島民の足となっている船は気合いが違いますね⛴毎日運行していても御蔵島や利島、青ヶ島にはなかなか着けられない立地。東京都のポテンシャルも凄いと思います!
冬場の平常運転ですね。通称3日ルールと呼ばれるものがあり、全島欠航は連続2日までとして、3日目は接岸望み薄くてもとりあえず船を出すことになります。最悪、三宅島とか大島だけは接岸させてますね。
@@ひつまぶし三太夫 3日ルール聞いたことあります。私たちの生活を支える貨客船なので、無理してでも出てきてくれているんだろうなという日もあります。さすがに台風通過後は3日欠航もありますが...御蔵島、八丈島へは行かず三宅島で折り返しの着発は年に幾度かありますね🛳
私は先代さるびあ丸の事務部でした。途中から改造して八丈島航路に投入されていた為か、橘丸より揺れがキツイ船でした。大時化で1度だけ東京湾出る直前に引き返した事がありますが、接岸できる限り三宅島までは行きましたね。今ではなくなりましたが有毒な火山性ガスの注意報が出る時があり、船内の通風を止め、念のためのガスマスクを用意しての接岸もありましたっけ。
えーっ!そうだったのですね!そんな方にこの動画を見つけて頂だけて光栄です^^さるもかなり揺れた船でした💦2000年噴火後の火山ガスが出ていた頃の貴重なエピソードも興味深いです!!冬場の三池接岸の時はガスの匂いがまだ強かったですもんね💦今は亡きすとれちあ丸もかめりあ丸も立派な夢のある船でしたよね?ゲームコーナーが印象的でした(笑)
かっこいいですね😊👍釣りも操船も初心者夫婦でタイラバ始めたばかりのちょー初心者です✨😊👩🦰✨とても勉強になります✨「チャンネル登録」と「いいね」をさせて頂きました😊👍宜しくお願い致します✨
コメント&チャンネル登録ありがとうございます😊伊豆諸島の三宅島も釣りの聖地とも言われています。ぜひ大物狙いで遊びに来て下さいね❗️島の自然や暮らしぶりをこれからもお届けしていきたいと思います^^よろしくお願いします😊
雄大な憧れの地に千葉からいつも、航海したいとみてます!テッパツと言う言葉使うんですか?自分は、富津湊で育ち海で言葉使いました!木更津から下り方面の方も使っていました!
タイミングをみてぜひお越しください!こちらでも真冬の西の季節風をテッパツと呼びます。昭和40年代ぐらいに銚子から海女さんたちが集団で出稼ぎに来られた時に広がったのかその逆なのか??伊豆諸島ではテッパツは常用語です(笑)ちなみに、ナライ(北東の風)は言いますか?
@@suggertaro てっぱつ。大きい事をいいます。もっと大きいのは、すてれっぱつといいます。千葉勝浦
素晴らしい映像です!お金取れると思います。
ありがとうございます😊そう言って頂き嬉しいです。冬の伊豆諸島の日常はまたお届けしたいと思います。
揺れると眠れないんだよね。
なんでテッパツと言うのか語源を教えて下さい。
鉄砲のような鋭くで強い風という意味で、てっぽう→てっぱつになりました。
橘丸の大迫力に、魅了しました。すばらしい映像です😌💓ありがとうございました。
山から降りてくる風がまるで六甲おろし。
撮影していても背中から強風で押されてカメラ必死で押さえてたよ💦
そりゃ橘丸も揺れてるはずだわ(笑)
生活航路だから何日も欠航させられ無いんでしょうね
乗組員達に感謝です!
ですね。
私たちの主要な足ですもんね⛴
生活のほとんどを洋上で過ごされているクルーの皆さんにはリスペクトしかないですね!
カラーリングと言い船型と言い超絶恰好良い!
舷側の塗装剥げが航路の厳しい気象条件を物語ってますね、大迫力
日本中でもかなりイケてる船体ですね!
外洋を制する逞しい私たちの足となってくれています。
凄い迫力! 経験豊富な船長さんが操船してるんですか?
伊豆諸島の航路の船長さんは相当スキルが高い方々だと思います。
外洋を航行し、黒潮の激流の中桟橋に接岸しなければならない島が多数あります⛴
皆さんのおかげで物資も滞らず生活する事が出来ています😌
頑張ろう東海汽船たちばな丸凄い🌊🌊🌊まるでドクターイエローだ。
確かに!
まさに海のドクターイエローですね!!
3日欠航しても4日目には船が着くよ❗と先輩が言った一言を思い出します。
橘の船長は三宅島出身と
そうですね。
橘丸は外洋仕様の船なので4日欠航は滅多になくなりましたね。
もう現場から引退されましたが、いらっしゃいましたね。
誇らしいです!
今は御蔵島出身の方が乗ってらっしゃるようですね⛴
50年前、初代の橘丸に乗ったことがあります。すとれちあ丸に比べ小ぶりサイズでしたが、よく出来た船🚢でした。
そうなんですね!
凄い!
ストレチアより小さめだったがいい船だったんですね😌
ストレチア丸もいい船でしたよね?!
初代タッチーにも乗ってみたかったです⛴
貴重なエピソードありがとうございました😊
初代橘丸は戦前からあった船で、その船を気にいった米軍が賠償請求としてアメリカに持ち帰るつもりだったが、日本人サイズで白人には向いてない、と言うことで断念したそうです。
そんな経緯があったのですね!
知らなかったです!
貴重なお話ありがとうございました😊
ぜひガイドの時に橘丸のエピソードとして
活かして行こうと思います!
割り込み失礼します。初代橘丸は東京湾汽船時代(大正時代)でして、話題になっているのは昭和10年三菱建造の2代目です。橘丸事件の主役です。現在就航しているのは3代目。造りが良かった2代目は終戦時に戦時賠償として接収されそうになりましたが、外国人には居住区の天井高さがギリギリ過ぎてリストから外されたそうです。
そうなんですね!
細かい歴史までありがとうございます。
現在橘丸は3代目ですが、前生の東京湾汽船は大正時代だったんですね。
今話題の渋沢栄一氏が関った東京湾汽船!
三宅から引き返した時もこんな感じでしたが、「ふりいじあ丸」の頃はもっと大変だったのでしょう。
フリージア丸は2286tとの事なのでかなが小さかったようなので、揺れたでしょうね。
ほとんど使命感で運航していますね。ブリッジの窓も波をかぶっている様子。
隣の御蔵島は抜港続きで大変そうです。
物流や島民の足となっている船は気合いが違いますね⛴
毎日運行していても御蔵島や利島、青ヶ島にはなかなか着けられない立地。
東京都のポテンシャルも凄いと思います!
冬場の平常運転ですね。通称3日ルールと呼ばれるものがあり、全島欠航は連続2日までとして、3日目は接岸望み薄くてもとりあえず船を出すことになります。最悪、三宅島とか大島だけは接岸させてますね。
@@ひつまぶし三太夫 3日ルール聞いたことあります。
私たちの生活を支える貨客船なので、無理してでも出てきてくれているんだろうなという日もあります。
さすがに台風通過後は3日欠航もありますが...
御蔵島、八丈島へは行かず三宅島で折り返しの着発は年に幾度かありますね🛳
私は先代さるびあ丸の事務部でした。途中から改造して八丈島航路に投入されていた為か、橘丸より揺れがキツイ船でした。大時化で1度だけ東京湾出る直前に引き返した事がありますが、接岸できる限り三宅島までは行きましたね。今ではなくなりましたが有毒な火山性ガスの注意報が出る時があり、船内の通風を止め、念のためのガスマスクを用意しての接岸もありましたっけ。
えーっ!
そうだったのですね!
そんな方にこの動画を見つけて頂だけて光栄です^^
さるもかなり揺れた船でした💦
2000年噴火後の火山ガスが出ていた頃の貴重なエピソードも興味深いです!!
冬場の三池接岸の時はガスの匂いがまだ強かったですもんね💦
今は亡きすとれちあ丸もかめりあ丸も立派な夢のある船でしたよね?
ゲームコーナーが印象的でした(笑)
かっこいいですね😊👍釣りも操船も初心者夫婦でタイラバ始めたばかりのちょー初心者です✨😊👩🦰✨とても勉強になります✨「チャンネル登録」と「いいね」をさせて頂きました😊👍宜しくお願い致します✨
コメント&チャンネル登録ありがとうございます😊
伊豆諸島の三宅島も釣りの聖地とも言われています。
ぜひ大物狙いで遊びに来て下さいね❗️
島の自然や暮らしぶりをこれからもお届けしていきたいと思います^^
よろしくお願いします😊
雄大な憧れの地に千葉からいつも、航海したいとみてます!
テッパツと言う言葉使うんですか?
自分は、富津湊で育ち海で
言葉使いました!
木更津から下り方面の方も使っていました!
タイミングをみてぜひお越しください!
こちらでも真冬の西の季節風をテッパツと呼びます。
昭和40年代ぐらいに銚子から海女さんたちが集団で出稼ぎに来られた時に広がったのかその逆なのか??
伊豆諸島ではテッパツは常用語です(笑)
ちなみに、ナライ(北東の風)は言いますか?
@@suggertaro てっぱつ。大きい事をいいます。もっと大きいのは、すてれっぱつといいます。千葉勝浦
素晴らしい映像です!
お金取れると思います。
ありがとうございます😊
そう言って頂き嬉しいです。
冬の伊豆諸島の日常はまたお届けしたいと思います。
揺れると眠れないんだよね。
なんでテッパツと言うのか語源を教えて下さい。
鉄砲のような鋭くで強い風という意味で、てっぽう→てっぱつになりました。