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1失点して「なに手を抜いとるんじゃ」とは蔦文也もえげつないわ
水野さんの当たって砕けろ精神が素晴らしい
あなた、いい人よ👌
この大会は素晴らしいピッチャー揃ってましたね。吉井や津野や山田。
当時、水野さんすきだったなぁ〜
あの当時、早稲田実業の荒木を木端微塵にし、これで池田時代がしばらくの続くと誰もが思った年でした。1年生のピッチャー、1年生4番。時代が変わるとは誰もが想像できなかった。
当時の池田強すぎて嫌いだったなぁ…
池田をやっつけてくれたPLが好きになった
池田、水野、投げる球、バッティング。すんげぇ高校生だった。
5150 Toshi ゛阿波の金太郎”とはよく言ったもんだ!
すごいなぁ。3回甲子園に出て、1回しか負けていない。
あの7対0は衝撃でした。水野はプロで打者なら更に良かった気がします。
本人はそれを否定しています。アレは金属バット用のバッティングだから。だから巨人でもずっと投手をと自ら希望した。
当時の池田はまさに大人と子供。バーベルを持ち上げる人間ってこんなにも凄いのかと思った。そんなウエイトトレーニングも今ではどこでもやっている。
池田が野球の革命を起こした
小学生の時、遊びで野球(ビニールボール)やる時は俺は池田高校って言いながらやってた。3番江上、4番水野・・・カッコよかったわー
この時の池田は本当に別格だったなぁ。見てて楽しかった。
広島商がフルボッコにされたからなー衝撃だったぞ徳島・池田
この時代のPL学園は高校級を超越していた。
@昭和師匠 桑田1人にやられましたね。池田の初回の攻撃でセンターへ抜けるかと言う強烈な打球を取りゲッツー、さらに打っては本塁打を打ち、投げては完封。しかし清原は4三振と完璧に抑えてるんだがなー
ファンが覚えているかわからないけれど、水野さんが最初に優勝した時は外野手として出場して活躍した人が、春には投手として出所湯してまたも優勝だからすごいと思っていたのが、夏にはPLとの試合で負けが決まった時は、かなりショックをうけました。その後の、清原、桑田の活躍を見れば、高校野球の魅力を味わえたいい時代だったなと思います。
水野は、畠山で優勝した1982夏でも、自分が、エースだと思ったという。それくらい調子がよかったらしい、その悔しさが、打撃の大活躍(早稲田実戦満塁と、2ラン)ひいては、翌年春の優勝に繋がった
少年野球も続かなくてグレてゲーセン通いの小6の俺が、なぜか池田が大好きで必死に応援してた。PLに負けたときウォンウォン泣いたの思い出したw
あの当時のPLはダースホース的な存在でしたね。奇跡のPL、逆転のPLと呼ばれた時代から甲子園から遠ざかっていたあのPLが帰ってきた。しかも四番とピッチャーは一年生でしたから、なおさら不気味でした。
82年、81年のセンバツ優勝高(PL)が甲子園から遠ざかってるっておかしいですよね。これ83年夏の話だから(笑)、夏の大会は遠ざかってたって意味ならまぁ理解出来ます。それでも78年だから4年空いただけだけど。
@@user-ow7yh3vv1u 夏の大会から遠ざかってる意味です。四年と言っても私が少学二年~中学一年の間の頃ですから「待ちに待ったPL」って感じで長いですよ😁
あの大会大本命 池田 対抗 横浜商、中京だったからなぁPLは完全にダークホースだった
水野は、本当にすごい。
山口秋治 い
畠山の時代は「水野」が居たが、水野の時代は「畠山」が居なかった。畠山は水野が居るからガンガン飛ばせる安心感が有ったと思う。水野は自分一人だったからしんどかったろうね。自分は「山びこ打線」よりあんな恐ろしい打線に畠山、水野と言う二人の剛腕投手が居た事が凄い事だと思う。池田に関しては只打率が高いだけでなく剛腕投手が投げる強力打線の池田高校が見たいと自分は思います。
1年先輩の畠山も凄かった
明訓高校を思い出したわ。後に5打席連続敬遠もあるし、水島新司さん、あなたは凄い!
冒頭に一回戦群馬大田工業と言っていますが、その大田工に県決勝サヨナラ押打で敗れたのが渡辺久信の前橋工業でした。春の関東大会も制し圧倒的優勝候補でしたがよもやの敗戦でした。
池田vsPLの試合は見ていて何だか分けがわからないうちに、池田0-7PLで終わった感じだった。
池田VSPL誰もが池田の勝ちを確信、だがあの試合は1年生桑田の一人舞台、ホームラン&完封、山びこ打線からKKへ世代交代、インパクトが一番強かった試合の1つだった。
そもそも池田が一点も取れないって蔦監督なんとかして
@@user-ls6wm7gs1p奇跡が重なった末の1勝だと思います。桑田は池田戦の前の高知商戦で4回5失点でKOされてますが、その高知商は春に池田にコールド負け(水野が完封)してますから。
荒木大輔、桑田真澄、清原和博、一年の時から衝撃的やったな
江川卓「桑田の打撃を舐めちゃダメよ。ノーマーク?馬鹿でしょ」
他のチャンネルで桑田さんも池田高の試合の事を語ってました。お互いがお互いの事を語ってるのは 面白いですね。
確か当時のテレビで、水野がインタビューで試合観ながら「PLとやりたい、高知商はイヤ」かなんか言ってた映像を見たことがある。その試合でメッタ打ちされた桑田に完封されるとは、まさか思ってもみなかったんだろうと思う。
涙も枯れるほど一生懸命やったらね、最後負けたら涙もでなかったね清々した
プロでも…バッター水野…で結果残せたんじゃないかな…
中京戦の前のデッドボール覚えてる。あの状態でよく勝てたなという印象。2年の時に荒木から満塁とバックスクリーンへの特大の一発放ったほうが印象ある。一級上の畠山、荒木がプロに入った時の選手名鑑残してる。
つい最近のテレビ番組で水野と荒木の対談のシーンで荒木が水野に「俺の気持ちが分かっただろ」と言ったのにはちょと笑ってしまった
徳島の誇り!
これも運命やな〜2年後にはホームラン打たれた桑田と同じチームの一員になるんやからな〜🤔
たしかに池田ー中京は見応えあったな、野中も良い選手だった。
野中徹 さん 紀藤真琴さんも 素晴らしい 水野 雄仁さんも 素晴らしいです
しかし、投手としては、桑田は水野を上回る天才だったと思う。
お話しされてる夏の甲子園、観てました。まさに池田⇔中京が事実上決勝戦と目してただけに、池田が桑田擁するPLに完封負けされたのは大ショックでしたね。しかも桑田・清原は自分と同学年。「凄い奴らが出てきたな!」と驚嘆しました。それくらい当時の池田は絶対王者感があった。周りの大人たちが「プロの最下位チームとやらしたら池田勝ちよるでw」とよく言ってたなぁ。
この大会の池田(水野)ー中京(野中)の試合は見応えがあったよ。
あの夏の池田は中京に勝った時点で優勝すると確信した高校野球ファンが多かったのではないか。PLは正直ノーマークでしたからね。
夏春連覇はすごいよ。春夏より遥かに難易度高い。チーム主力変わるわけだから。それが圧倒的強さで達成しその年の夏もPLに負けたとはいえ、あのKK最強時代のPLだししかもベスト4まで行ったわけで、夏春夏三期連続優勝まであと2勝までいったなんてあり得ない。リアルタイムで池田旋風を幼き頃のかすかな記憶にはあるが凄かったなあ。蔦監督の率いたあの池田はまさに伝説。
PL学園に負けたとはいえ、池田高校は強かった。
池田(現在の三好市)の街へ行くと本当の凄さを実感できます。こんな所からあの伝説のチームが生まれたのかと。
@@syakurifreak 行ったことあるよ。愛媛出身だから良く家族で徳島に旅行したから小さい頃。池田がやまびこ打線と呼ばれる意味がわかるよね。山間部にある県立高校が全国を何度も席巻したのはまさに伝説だよね。
徳島に住んでいた時に、何度か池田高校の横を通ったことがありましたが、よくこんな所から甲子園で優勝してたよなって思いました。古き良き時代でした。
@@user-xl2hx1dq3t 水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
求められるところで結果出せばそれが人生の歩みになっていくものですよね。こんなはずじゃなかったんだけど、まぁいいやな人も多いものです
水野氏が、甲子園最後のPL戦で、打たれるたびに、『まさか!?』の表情、見ているこちらも、ちょっとツラい気持ちになったことを覚えています。それでも負けた直後、『免許取りに行く』とか、あっけらかんとしていたのは、水野氏の明るさというか、切り替えの早さというか……ただ、プロ入りして早々水野氏は、車で事故ったとか何か、そんな話もありましたよね!?😜
帝京の三沢はもう少し後だったかな?桑田、水野、三沢のクリーンアップトリオを見たかった。
”法政二高”を語ってくれたのは嬉しいね。あの時の 「柴田VS尾崎」に「水野VS桑田」を水野は重ね合わせたんだろうね。ともに甲子園3連覇を狙っていた柴田と水野が下級生の尾崎・桑田にそれぞれ阻まれた訳だから。
1つ上には畠山が居たし、この頃の池田高校が好きだったな。あんな山の中の田舎の設備の整わない公立高校が、どんな練習して全国の高校野球界の頂点に君臨してるだろうかと気になって池田高校まで直接見に行ったのを思い出すな。江上、畠山、水野のやまびこ打線のクリーンナップが見れるものならまた見てみたい、あの頃の高校野球は池田以外にも強い学校が全国にあったから全体的に本当にレベルが高かった
高校野球で歴代最強の公立高校だったと思います。PLや大阪桐蔭のようなチームはこれから先も出る可能性はあるけど池田のような公立高校は出て来ないだろう。
自分語りが好きな人なんだなーというのがよくわかる
桑田さんは4月1日の早生まれなので、この時まだ15歳になって4ヶ月。バケモンですね…。
dragon blue マジですか!?僕と同じ誕生日です笑笑
今なら中学3年生だね。
広島商業にデッドボールやられたのは、水野が「お前らセコイ野球やるのお。」と言って怒らせてぶつけられたと言う噂が有る。
水野氏は浜松の自動車学校のCMに出演されてました。水野氏とどんな繋がりがあったのかは謎です。
早実の荒木大輔がいて、それを池田高校の水野が粉砕して、その水野を清原・桑田のPLがぶっ倒してっていう、この数年の流れが凄く好きだわ~
最高に甲子園が面白かった時代ダネ
そうそう。僕もこの頃の高校野球がいちばん面白かったなぁ。まるで戦国時代の物語のようだったなぁ。個人的にはもう少し前の荒木(早実)vs愛甲(横浜)、荒木vs金村(報徳)も良かったなぁ。
荒木があと一年遅く生まれていたら、桑田、清原と対戦しました。‼️
中京に勝っていけると思ったら、PLに足元を救われた池田❗
水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
負けたら運転免許ww負けて悔しいは当然あるでしょうけど、終わった事は、もうどうしようもないですもんね。切り替えも出来るぐらい、やりきってもいたんでしょう。
打者としてもピカイチの素質だったけど、投げても147,8出てたし、高校実績考えたら即プロ行きなら当然投手からやるでしょうね。
どっちも中途半端な器用貧乏。
プロで打者は水野自身が否定してます。アレは金属バット用のバッティングだから。だから巨人でもずっと投手をと自ら希望した。
桑田さんこの時のホームランのことを片岡さんの動画でおっしゃっていましたがインコース高め一本に絞って待ってたらしいです。
@昭和師匠 水野さん調子は悪くないって言ってましたよ
@昭和師匠 それでも清原を三三振なので悪くわなかったように思えますが
@昭和師匠確かにボールの伸びが全然違いました。ですがPLに勝てるかっていわれたらわかりません
水野は調子が悪いように見えました。地区大会や練習試合に招待試合と、ハードスケジュールで疲労もたまっていたと思います。夏は打者有利になるとは言え、失点も増えています。あと、春の時の水野対夏のPLの話ですが、この時のPLが下馬評を大きく上回っていたことを差し引く必要があるかもしれません。というのは、この前の試合でPLは、高知商業から10点を取っています。快腕・津野投手を9点取った時点でKOしています。津野の調子も悪くなかったのに、です。私が思うに、前の高知商業戦からPLが、どこか神がかっている感じがしました。ですから、池田が0-7で負けたことよりも、高知商業が10点取られたことの方が、私には衝撃でしたよ!?3回戦までのPLとは明らかに違っていました。大一番の池田相手に、桑田が全試合で一番の出来、という要素もあります。そんな印象でしたので、春の池田と、夏のPLが対戦したら…………相当な接戦になると思います。
どっちにしても0点じゃ勝てません
PL学園に打たれる前に、広島商業戦で水野さんが頭部にデッドボールを受けたのが打たれた理由だと思う。
いえ水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
まだ2年生(6:42~)
水野は大袈裟に言ってもるわけでも自慢してるわけでもないからな。むしろ控えめに言ってるくらい。そのくらい池田と水野は凄かったし高校野球人気も凄かった。
セガせが まじかよwすごすぎw
@kukiitanaka この頃池田と阪神やったら池田が勝つんじゃねえかと言ってる阪神ファンも周りにいましたね。
@@user-sz3gb9xq4l さんへ有名な話ですねwwそれほど当時の阪神は弱くて肩身の狭い思いしてた。確か阪神の負けてた試合で、ファンが叫んだヤジが発端だと思いますが…
高校野球の人気が1番高かった頃に1番強かった学校でしたもんね。また当時は私立の隆盛が著しい時期、その中で最強校として君臨していたのが県立校である池田というのも池田の人気に拍車を掛けてた。
この頃の桑田なんてホントに子供みたいだったのに、あの水野からホームラン打ったんだから衝撃でした。
水野(池田高)も桑田清原さえ居なけりゃ普通に優勝だったかなと。
清原は4三振なんだけど…
水野はこれだけで飯食っていける
ほんとそれw過去の栄光とかいうやつもいるけど、それだけのことをしたのは事実
甲子園で負けた瞬間、免許取りに行こうは草
今振り返れば田舎の公立高校が3連覇狙えたこと自体が凄い水野はプロではイマイチの実績でしたが、打者に転向の方が面白かったかも
がっつん懐かしch 結局、田舎の方が受験勉強とかもそうだけど、制約なくできるでしょ。池田が高校で筋トレした走りだったでしょ。結局、水野は高校レベルで早熟して勝てたけど、プロ野球でみんな筋トレしだすと、勝てなくなっていったよね。県立高校で受験勉強して東大卒にはなったが全く社会人で使えないタイプが水野だね。WWWWW
裏を返して言えば田舎の子でも筋トレでプロ顔負けの打球&豪球が身に付くという実証例として機能したとも言えるかと。
水野はプロでも充分存在感あったと思うが?
甲子園で優勝するより四国で優勝するのが難しかった時代ですね
松山商 高知商 明徳 徳島商 高松商などね
@@osaka4196 そうですね
それと四国の初出場は相当強かったですね!伊野商、川之江、済美、新居浜商、中村等々 甲子園でかなりな成績を残してますね! この年から何年間か四国対PLになりました
難敵中京を倒したのだから、1年生がエース、四番を打つ様なチームに負ける筈は無いと準決勝の前夜の入浴中に水野さん達は盛り上がり、そうした油断が敗れた一因となった様ですが、この油断を一年後の夏の決勝更に凡そ一年半後のセンバツでPL学園はやってしまいます。1年後の夏、相手の取手二高は6月にPL学園との招待試合が控えているに関わらずある事情から十分な練習をせずにPLとの試合に挑みボコボコにされます。しかし、その敗戦を期にちゃんと練習して甲子園でもう一度PLと戦おうと最後の夏の猛チャージをかけて甲子園にやって来ます。そして決勝で相まみえるのですが、PLとの決勝をワクワクして挑もうとする取手二高に対しKKコンビはベンチを見て「あんな弱いチームが何でヘラヘラしてるんだ」と見下します。ワクワクとヘラヘラは違います。センバツの時は準決勝(対伊野商)の前日なのに松山主将はミーティングの最中に優勝旗を受け取るモノまねをし、清原さんは「メガネをかけたヤツがエースの田舎の高校」と見下したまま試合をむかえるが、いざフタを開けると清原4打席3三振で大オマケでPLは敗れました。甲子園の魔物とは案外分かりやすいところにいるものだな、と。今振り返ってみるとKKのPLは2回「しか」優勝出来なかったのか、ですね?
池田から筋トレの歴史!
怪物水野を喰った魔王桑田
あの試合、初めから最後まで見てました。そりゃPLも一応甲子園14連勝中の強豪だったけど、水野が言うようにエースと4番が1年生のチーム。同じく甲子園15連勝中の池田の強豪ぶりはケタが違ってましたから。大方の予想は6.7点取って池田、だったと思うが、下位打線に水野が3発被弾、あれよあれよと言う間に7―0。そして桑田が池田打線を完封。今だに信じられないもん。
1年前なら池田がPLを叩き逆以上の結果になっていたかもしれない。
水野って、連投が効くタイプなら良いクローザーになってたと思うよ。短いイニングなら球威もあったし落ちる球もあり、何より相手の打者の心理を読む駆け引きの巧さがあった。肩の怪我が惜しまれる。
早実 荒木を粉砕した池田 水野 を更に完膚なきまでに粉砕したPL学園 桑田 清原 80年代の高校野球は楽しかったですなぁ(^^)水野さんの語りは正直で面白いですが、この自尊心の強さと素直さがプロとして大物になれなかった一因かも知れないと感じます揉まれ弱いというか脆い、それを魅力と感じるのか世の中舐めてるから伸びないんだよという驕りと感じるのか兎角、 スポーツというのは能力もさる事ながら 性格もでちゃうんだなと思いますそれがまた楽しい、完全無欠の人間が居ないように
金太郎。ミスターにナイスなネーミングつけてもらったよな水野( * ´艸`)ププ♪
まさかの池田が負けた翌日フィリピン🇵🇭アキノ氏暗殺
水野巨人入団はスゲエ騒ぎだったよなもっともっと活躍すると思っていたが、、、。
もっとも、水野は巨人のハズレ一位で、本命は高知商業の津野投手だったのはあまりにも有名な逸話
石元正志 え?津野ってドラフト3位だけど。あと当時は外れ1位っていう概念が無かったわ。
阿波の金太郎こいつは話し上手だね
中京高と横浜商ばかり見ていて忘れてたんかな?そもそもPLって前年(82年)と前々年(81年)のセンバツ優勝高やん。当然優勝メンバーなんていないけど直近の実績なら中京高や横浜商より上だったんですよね。中京は古豪だったけど優勝からはだいぶ遠ざかっていたし横浜商は三浦の時だけ強くてそれ以前は横浜高や東海大相模には全く歯が立たない学校だった。水野は野中や三浦ばかり意識していたんだろな。
PLって、この5年前に逆転で優勝したチームだったし、相手が決まって何となくイヤな胸騒ぎがしたのは覚えてます。目に見えない力が働くって、この試合のPLがまさにそうだったんでしょうね。池田が見下しててかかってきたのも、その一つだったし。だとしても、なぜ一年生に完封されたのかは、未だに理解出来ないんだよね。この試合の桑田さんが、そこまでいいボールを投げてるようには見えないだけに。。
やはり打てなかったのはプレッシャーによる焦りでは投手水野が全然だったからでは
水野さんのプロの実績しか知らない人にとっては、「桑田さん、清原さんのいるPLの方が強いに決まってるじゃん」と思うかもだけど、あの時の池田高校がPLに負けるなんて、誰も思ってなかったからね…当時は投手としても打者としてもKKコンビとは比較にならないくらい水野さんの方が評価は上。って言うか、野球に興味のない人でも、池田高校と水野って名前は知られてたからねぇ…
この時のPLは優勝候補ではなかったですよ
試合は見ませんでしたが、当然池田が勝つものと思ってましたから、友人に試合結果を聞いて唖然とした記憶があります。今思えば、その後に訪れる常勝PL時代の幕開けとなった試合でもありましたね。
@昭和師匠 ただ、KKも次の大会からは、この大会の池田同様、本命視され追われる立場になるわけですから。各チームが打倒PLで、マークや研究も当然厳しくなるわけで……特に2年の夏あたりは、そうとうしんどい試合が続きましたし。そういう中で、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回は、スゴい成績だと思いますよ。
@昭和師匠 そもそも、圧倒的な力で優勝すること自体が、難しいと思いますよ。甲子園の大会は、一発勝負のトーナメントですから、圧倒的な力があっても、勝たなくては意味がないですし、ましてや、池田やPLなど、優勝を狙うチームこそ、ぶっちぎって優勝などと、思い上がったことは考えないと思います。58年春の池田も、水野が無双状態だったこと、組み合わせに恵まれたこともありますし、準決勝の明徳のようなハイレベルなチームに当たれば、やはり苦戦してしまいますし。ダントツの優勝候補でも、毎試合圧倒的パフォーマンスというのは、困難だと思いますよ。
@昭和師匠 KKに不満を感じるのも、わかりますけどね。58春の水野は、それこそ無敵でしたから、 KKでも手も足も出なかったでしょうね!? ただ、極端な言い方をすれば、水野は、そこにピークが来ちゃった。夏は、春のようなスゴさはなかったですし、プロに入ってからも、バカ勝ちはできなかったですね。対してKKは、どこがピークか、よくわからないけど、プロでもコンスタントに活躍した、水野より優るのは、そこだと思うんですよ。じわじわ時間をかけてもレベルアップしています。だから、5回の甲子園であれだけの成績を残せたと思いますよ。そして、よく見ると、2年時のKKはイマイチでしたが、3年時は少し無双に近くないですか?60春は、智男さんがいちばんいい時だったから、これはもう仕方ないですよ。そして、より熾烈な夏こそ、王者のパフォーマンスだと思いました。大一番の高知商業の試合は、まさにそれですよ。決勝戦は、やはり簡単に決まってしまっては面白くありませんし、難敵と大接戦を演じて最後には勝つ、これこそ王者だな、って思いましたよ。
桑田の登場はインパクトあったねぇ。水野と比べてもモノが違った。
主催の朝日新聞社によれば、前年夏からの3季連続優勝を目指す池田を筆頭に、箕島、横浜商、 中京、高知商、興南、広島商らが大会7強として優勝候補とされた。一方、PLは清原が「同校史上初めての1年生の四番打者」として注目をされる程度で、7強を追う二番手グループの中にも挙げられていなかった(出典:朝日新聞 1983年8月5日付け )しかも高知商業とは新チーム結成してから総得失点差22点の3戦全勝。自分たちがカモにしていた相手に1点差で競り勝ったPLなんかに恐怖心が湧くはずないし。
水野江上のいる池田高校は間違いなく優勝すると思ってたのにまさかの桑田のホームラン。私が小学校四年生未だに記憶にありますね。
やはり死球の影響があったんだなそして中京戦で力を使い果たしてPLにやられたと
(水野)センスは抜群でした。あの担ぐような投げ方は一度肩を痛めたんでしょう。バットをボールに叩きつける金属バット打法はプロでは通用しません。池田パワフル野球はその後の高校野球を大きく変えましたが、それが阿波の片田舎の公立高校であった点が爽快で高校野球ファンの記憶に長く残るのでしょう。
選抜の水野は鉛のようなボールが伸びてくる感じで凄かったしかし夏の水野は劣化酷くて一回戦から別人だった
PLに池田が負けたときは本当にショックだった…😨当時は、あのデッドボールのせいで池田は負けたんだ!って思ってたなぁー。
試合後、ベンチ裏の通路で次の試合を待っていたY校の選手に「PLごときに負けやがって‼、俺達はお前等を倒す為に来たんだ‼」と言われたと水野さんが後に語っていたがそのY校もPLに負けるんだよね、池田の時代からKKのPL時代の幕開けの感じがしたね。
PL戦の池田は 東京ドームで初めて負けたマイクタイソンのように気持ちが入って無いというか見下し過ぎというか、ヤバいと思った時にはすでに遅すぎたみたいな感じの試合だった。当時の池田はタイソンのように負けが想像出来ないチームだった。逆のスコアで池田が勝つと思ってたし。
当時8歳か9歳だったと思うけどPLが憎かったねぇー池田のユニフォームも大好きだったし、将来は池田に行くんだと周りに息巻いていたよ池田の水野、江上はヒーローだったねなもんで、桑田、清原のPLはずっと好きになれなかった
わかります。なので取手二高や伊野商戦は忘れられません。
@tibentenripl0519 失礼しました!ヒット1本でシャットアウト→夏春連覇阻止。山口投手の変化球が冴え、安定した試合で劇的な印象が無かったのですが、言い換えるとPLに見せ場を作らなかった一番の試合かもしれないですね。
@tibentenripl0519 さん、私はKKのPLもその次の松山キャプテン?や立浪のPLも実力は認めつつ、横綱よりも、相手方を応援してました(立浪の時は決勝が木内・常総。予備校の夏期講習をサボって喫茶店で観戦😅)それにしてもPL、大阪桐蔭、履正社…皆大阪ですね~一時は上宮、古くは浪商、北陽等々…ハイレベルです。関西では高嶋監督の智弁和歌山も強かったですね!いつぞやの根市投手の光星学院戦では熱くなりました。どうしても、判官贔屓の私はその辺のアンチになってしまいます…😅。(ちなみに大阪はラグビーも盛んで全国都道府県唯一の三校代表枠です。これまた今は大阪桐蔭が強いです)。
甲子園の見方変わるって何を期待してんだこの女
中京も優勝しそうだったけど木村龍治(のち巨人 背番号41)の時の選抜でノーヒットノーラン直前 対宇部商)で負けてそのあと甲子園から遠ざかってたよね?
桑田のボールみてたら間違いなくいいピッチャーだとわかる、それに気づかないのは異常
誰あろう高田繁、その後巨人のV9伝説の一二番コンビを組むとは、誰が予想したであろう、高田は、言う、僕としては普通に送球したつもりだったんです。しかし、柴田さんは、三塁をまわってた(笑)
池田、間違いなくこの時代の主役ですね~
ノーマークは、まずいね!ノーマーク! 桑田・清原のいたPL学園は、一気に準決勝で池田戦に勝利して、全国区になった!!この試合は、この後も 後世語り継がれる1試合だ!!
後半で桑田さんが池田戦での事を話しています。m.th-cam.com/video/zEubMMeO9bs/w-d-xo.html
池田~思い出すよ強かったが。
結局デッドボーる大きかったかもなーーー。やっぱり・・・・。
功chun 医大な 死球関係なしに負けたでしょ。優勝後のPLの強さ見れば一目了然ですよ!PLの唯一の敵は、勝って当然というプレッシャーだけだったようですね。
清原を4打数ノーヒット4三振にしたから言い訳が出来ないよな他に3回戦でのデッドボールから1日明けて準々決勝では中京を1点に抑えて完投してるからな
@@user-pl1jv9ve2b 死球後直ぐに大事を取り、医務室に行くと医者から死球の後遺症は二日後以降(中京ではなくPLの試合)から出るかもしれないと告げられたらしい。其でなくてもこの頃の池田は選抜優勝校と言う事で高野連絡みの招待試合に駆り出され捲り、水野はクタクタの状態で脇腹も痛めていたとか。初戦の太田工戦の段階で、選抜と比べ投球ホームのバラバラさ、切れ味の無さから一目瞭然だった。たら、ればになるが、この時の池田が選抜優勝後心身共にしっかり休みを取り、水野が広島商戦で死球を喰らう事無く、前年のチームの様に初々しさ満天で謙虚な気持ちを持って、PLに挑んだらどうだったかと考えてしまう。
対戦前、PL中村監督がPLナインに「池田に惨敗しても、決して池田は強かったなんて言うなよ!」と檄を飛ばして、PLナインに漂っていた「負けて当然」という先入観の払拭に汲々としていたという感じだった訳だが。
@@user-sz3gb9xq4l さんへもしPLに池田が勝ってたら、その後のチ―ムは、V3を目指していたチ―ムよりもさらに激しいプレッシャーが、負けるまで続くのが気の毒な気持ちにもなりました。また夏春連覇後の招待試合で、沖縄で興南に破れたのが、大ニュースになったほどでしたから。僕が当時の池田人気を如実に表現されてた一番のシ―ンを言えと言われたら、準決勝でPLに負けが決まった直後、甲子園スタンド全体が、地元のPLの勝利に喜び、盛り上がるよりも、スタンド全体が、池田の敗戦を信じられずに静まり返り、負けて去る池田に残念がって、皆が史上初の三連覇を期待して、その強いもの見たさに、地元関係無しに、高校野球ファン皆が応援してた、あの年の池田人気は、高校野球界の伝説になるほど凄まじさがありました
高校時代、水野も投打にスゴかったが1年先輩の畠山もスゴかった。江上もスゴい打者だった。しかし水野も畠山もプロでは全然、大した成績を残せませんでしたね。
屋さんウナギ 甲子園のエリートの高飛車なところがこのインタビューでわかってプロで練習もしなかったんだろうね。池田の筋トレは高校レベルでは通用したけど、プロはみなしているし、体格も一回りプロで大きくなったので無理だったね。
江上は最後の大会まるで打てなくて、これでドラフト厳しくなったなと思った記憶がある。畠山はプロ生活16年続けて3年連続オールスターにも選出されてるからまだ活躍した方ちがう?
畠山は野手として横浜ではレギュラーとして活躍したが水野も日本シリーズで先発するなど、期間は短いながらもローテーション投手として活躍した
水野の晩年はセットアッパーとして、フォークを駆使して安定感が抜群だったクローザーもやってた一旦引退して、メジャー挑戦までWHIPもずっと優秀な数値だし、当時にホールドの制度があればそれなりに数値が出てると思うもっと評価されてもいいかとカバンの件で早いうちに肩を壊していたけどね
明訓高校みたいだな
桑田=義経 清原=武蔵坊弁慶
夏春連覇。3季目の夏に敗戦。
新潟の?
ノムさんだったら絶対に言わないような失言を監督がしちゃってるのが何とも....
蔦監督の凄さを知らんのか恥ずかしいぞ
@@user-ke1en9js1x いや、むしろ、甲子園で実績を残してきた蔦監督だからこそ、目立ってしまう失言ではないか?と。それと、桑田が予想以上だった、ってことでしょう。
@@user-ef4cm6zc7n 失言ではないね
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。今思ったんだけど、孫悟空みたい。
実は前年春センバツはPLが優勝してるんだよね、そんなの打ち消すくらい池田旋風が巻き起こっていた。マスコミも仮に池田が負けるなら中京(野中)か横浜商(三浦)と報じていた、そういう面からPLノーマークは理解出来る。🐈
PLは当時3学年連続で春か夏の優勝旗を持ち帰ってますからね。桑田や清原以外にも中学時代からエリートだったメンバーが揃ってました。
あんまり勝ちすぎてて新しく出てきた勢いの波に気付く事が出来なかったんだな。栄枯盛衰の起こりはこのあたりにあるんですね、。
今だに史上最強は池田だと思う、異常な強さだった、しかし水野意外にトーク面白いなぁ
高校野球史上最高の人気チ―ムは間違いなく水野時代の池田と信じている
1失点して「なに手を抜いとるんじゃ」とは蔦文也もえげつないわ
水野さんの当たって砕けろ精神が素晴らしい
あなた、いい人よ👌
この大会は素晴らしいピッチャー揃ってましたね。吉井や津野や山田。
当時、水野さんすきだったなぁ〜
あの当時、早稲田実業の荒木を木端微塵にし、これで池田時代がしばらくの続くと誰もが思った年でした。1年生のピッチャー、1年生4番。時代が変わるとは誰もが想像できなかった。
当時の池田
強すぎて嫌いだったなぁ…
池田をやっつけてくれたPLが好きになった
池田、水野、投げる球、バッティング。
すんげぇ高校生だった。
5150 Toshi ゛阿波の金太郎”とはよく言ったもんだ!
すごいなぁ。3回甲子園に出て、1回しか負けていない。
あの7対0は衝撃でした。
水野はプロで打者なら更に良かった気がします。
本人はそれを否定しています。
アレは金属バット用のバッティングだから。
だから巨人でもずっと投手をと自ら希望した。
当時の池田はまさに大人と子供。バーベルを持ち上げる人間ってこんなにも凄いのかと思った。
そんなウエイトトレーニングも今ではどこでもやっている。
池田が野球の革命を起こした
小学生の時、遊びで野球(ビニールボール)やる時は俺は池田高校って言いながらやってた。3番江上、4番水野・・・カッコよかったわー
この時の池田は本当に別格だったなぁ。見てて楽しかった。
広島商がフルボッコにされたからなー衝撃だったぞ徳島・池田
この時代のPL学園は高校級を超越していた。
@昭和師匠
桑田1人にやられましたね。
池田の初回の攻撃でセンターへ抜けるかと言う強烈な打球を取りゲッツー、さらに打っては本塁打を打ち、投げては完封。
しかし清原は4三振と完璧に抑えてるんだがなー
ファンが覚えているかわからないけれど、水野さんが最初に優勝した時は外野手として出場して活躍した人が、春には投手として出所湯してまたも優勝だからすごいと思っていたのが、夏にはPLとの試合で負けが決まった時は、かなりショックをうけました。
その後の、清原、桑田の活躍を見れば、高校野球の魅力を味わえたいい時代だったなと思います。
水野は、畠山で優勝した1982夏でも、自分が、エースだと思ったという。それくらい調子がよかったらしい、その悔しさが、打撃の大活躍(早稲田実戦満塁と、2ラン)ひいては、翌年春の優勝に繋がった
少年野球も続かなくてグレてゲーセン通いの小6の俺が、なぜか池田が大好きで必死に応援してた。
PLに負けたときウォンウォン泣いたの思い出したw
あの当時のPLはダースホース的な存在でしたね。奇跡のPL、逆転のPLと呼ばれた時代から甲子園から遠ざかっていたあのPLが帰ってきた。しかも四番とピッチャーは一年生でしたから、なおさら不気味でした。
82年、81年のセンバツ優勝高(PL)が甲子園から遠ざかってるっておかしいですよね。
これ83年夏の話だから(笑)、夏の大会は遠ざかってたって意味ならまぁ理解出来ます。それでも78年だから4年空いただけだけど。
@@user-ow7yh3vv1u 夏の大会から遠ざかってる意味です。四年と言っても私が少学二年~中学一年の間の頃ですから「待ちに待ったPL」って感じで長いですよ😁
あの大会
大本命 池田
対抗 横浜商、中京だったからなぁ
PLは完全にダークホースだった
水野は、本当にすごい。
山口秋治 い
畠山の時代は「水野」が居たが、水野の時代は「畠山」が居なかった。畠山は水野が居るからガンガン飛ばせる安心感が有ったと思う。水野は自分一人だったからしんどかったろうね。自分は「山びこ打線」よりあんな恐ろしい打線に畠山、水野と言う二人の剛腕投手が居た事が凄い事だと思う。池田に関しては只打率が高いだけでなく剛腕投手が投げる強力打線の池田高校が見たいと自分は思います。
1年先輩の畠山も凄かった
明訓高校を思い出したわ。後に5打席連続敬遠もあるし、水島新司さん、あなたは凄い!
冒頭に一回戦群馬大田工業と言っていますが、その大田工に県決勝サヨナラ押打で敗れたのが
渡辺久信の前橋工業でした。春の関東大会も制し圧倒的優勝候補でしたがよもやの敗戦でした。
池田vsPLの試合は見ていて何だか分けがわからないうちに、池田0-7PLで終わった感じだった。
池田VSPL誰もが池田の勝ちを確信、だがあの試合は1年生桑田の一人舞台、ホームラン&完封、山びこ打線からKKへ世代交代、インパクトが一番強かった試合の1つだった。
そもそも池田が一点も取れないって
蔦監督なんとかして
@@user-ls6wm7gs1p
奇跡が重なった末の1勝だと思います。
桑田は池田戦の前の高知商戦で4回5失点でKOされてますが、その高知商は春に池田にコールド負け(水野が完封)してますから。
荒木大輔、桑田真澄、清原和博、一年の時から衝撃的やったな
江川卓「桑田の打撃を舐めちゃダメよ。ノーマーク?馬鹿でしょ」
他のチャンネルで桑田さんも池田高の試合の事を語ってました。
お互いがお互いの事を語ってるのは 面白いですね。
確か当時のテレビで、水野がインタビューで試合観ながら「PLとやりたい、高知商はイヤ」かなんか言ってた映像を見たことがある。その試合でメッタ打ちされた桑田に完封されるとは、まさか思ってもみなかったんだろうと思う。
涙も枯れるほど一生懸命やったらね、
最後負けたら涙もでなかったね
清々した
プロでも…バッター水野…で
結果残せたんじゃないかな…
中京戦の前のデッドボール覚えてる。
あの状態でよく勝てたなという印象。
2年の時に荒木から満塁とバックスクリーンへの特大の一発放ったほうが印象ある。
一級上の畠山、荒木がプロに入った時の選手名鑑残してる。
つい最近のテレビ番組で水野と荒木の対談のシーンで荒木が水野に「俺の気持ちが分かっただろ」と言ったのにはちょと笑ってしまった
徳島の誇り!
これも運命やな〜2年後にはホームラン打たれた桑田と同じチームの一員になるんやからな〜🤔
たしかに池田ー中京は見応えあったな、野中も良い選手だった。
野中徹 さん 紀藤真琴さん
も 素晴らしい
水野 雄仁さんも 素晴らしいです
しかし、投手としては、桑田は水野を上回る天才だったと思う。
お話しされてる夏の甲子園、観てました。
まさに池田⇔中京が事実上決勝戦と目してただけに、池田が桑田擁するPLに完封負けされたのは大ショックでしたね。
しかも桑田・清原は自分と同学年。
「凄い奴らが出てきたな!」と驚嘆しました。
それくらい当時の池田は絶対王者感があった。
周りの大人たちが「プロの最下位チームとやらしたら池田勝ちよるでw」とよく言ってたなぁ。
この大会の池田(水野)ー中京(野中)の試合は見応えがあったよ。
あの夏の池田は中京に勝った時点で優勝すると確信した高校野球ファンが多かったのではないか。PLは正直ノーマークでしたからね。
夏春連覇はすごいよ。春夏より遥かに難易度高い。チーム主力変わるわけだから。
それが圧倒的強さで達成しその年の夏もPLに負けたとはいえ、あのKK最強時代のPLだししかもベスト4まで行ったわけで、夏春夏三期連続優勝まであと2勝までいったなんてあり得ない。
リアルタイムで池田旋風を幼き頃のかすかな記憶にはあるが凄かったなあ。蔦監督の率いたあの池田はまさに伝説。
PL学園に負けたとはいえ、池田高校は強かった。
池田(現在の三好市)の街へ行くと本当の凄さを実感できます。
こんな所からあの伝説のチームが生まれたのかと。
@@syakurifreak 行ったことあるよ。愛媛出身だから良く家族で徳島に旅行したから小さい頃。池田がやまびこ打線と呼ばれる意味がわかるよね。山間部にある県立高校が全国を何度も席巻したのはまさに伝説だよね。
徳島に住んでいた時に、何度か池田高校の横を通ったことがありましたが、よくこんな所から甲子園で優勝してたよなって思いました。古き良き時代でした。
@@user-xl2hx1dq3t
水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う
夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
求められるところで結果出せばそれが人生の歩みになっていくものですよね。
こんなはずじゃなかったんだけど、まぁいいやな人も多いものです
水野氏が、甲子園最後のPL戦で、打たれるたびに、『まさか!?』の表情、見ているこちらも、ちょっとツラい気持ちになったことを覚えています。それでも負けた直後、『免許取りに行く』とか、あっけらかんとしていたのは、水野氏の明るさというか、切り替えの早さというか……ただ、プロ入りして早々水野氏は、車で事故ったとか何か、そんな話もありましたよね!?😜
帝京の三沢はもう少し後だったかな?桑田、水野、三沢のクリーンアップトリオを見たかった。
”法政二高”を語ってくれたのは嬉しいね。あの時の 「柴田VS尾崎」に「水野VS桑田」を水野は重ね合わせたんだろうね。ともに甲子園3連覇を狙っていた柴田と水野が下級生の尾崎・桑田にそれぞれ阻まれた訳だから。
1つ上には畠山が居たし、この頃の池田高校が好きだったな。
あんな山の中の田舎の設備の整わない公立高校が、どんな練習して全国の高校野球界の頂点に君臨してるだろうかと気になって池田高校まで直接見に行ったのを思い出すな。
江上、畠山、水野のやまびこ打線のクリーンナップが見れるものならまた見てみたい、
あの頃の高校野球は池田以外にも強い学校が全国にあったから全体的に本当にレベルが高かった
高校野球で歴代最強の公立高校だったと思います。
PLや大阪桐蔭のようなチームはこれから先も出る可能性はあるけど池田のような公立高校は出て来ないだろう。
自分語りが好きな人なんだなーというのがよくわかる
桑田さんは4月1日の早生まれなので、この時まだ15歳になって4ヶ月。バケモンですね…。
dragon blue
マジですか!?
僕と同じ誕生日です笑笑
今なら中学3年生だね。
広島商業にデッドボールやられたのは、水野が「お前らセコイ野球やるのお。」と言って怒らせてぶつけられたと言う噂が有る。
水野氏は浜松の自動車学校のCMに出演されてました。水野氏とどんな繋がりがあったのかは謎です。
早実の荒木大輔がいて、それを池田高校の水野が粉砕して、その水野を清原・桑田のPLがぶっ倒してっていう、この数年の流れが凄く好きだわ~
最高に甲子園が面白かった時代ダネ
そうそう。僕もこの頃の高校野球がいちばん面白かったなぁ。まるで戦国時代の物語のようだったなぁ。個人的にはもう少し前の荒木(早実)vs愛甲(横浜)、荒木vs金村(報徳)も良かったなぁ。
荒木があと一年遅く生まれていたら、桑田、清原と対戦しました。‼️
中京に勝っていけると思ったら、PLに足元を救われた池田❗
水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う
夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
負けたら運転免許ww
負けて悔しいは当然あるでしょうけど、
終わった事は、もうどうしようもないですもんね。
切り替えも出来るぐらい、やりきってもいたんでしょう。
打者としてもピカイチの素質だったけど、投げても147,8出てたし、高校実績考えたら即プロ行きなら当然投手からやるでしょうね。
どっちも中途半端な器用貧乏。
プロで打者は水野自身が否定してます。
アレは金属バット用のバッティングだから。
だから巨人でもずっと投手をと自ら希望した。
桑田さんこの時のホームランのことを片岡さんの動画でおっしゃっていましたがインコース高め一本に絞って待ってたらしいです。
@昭和師匠 水野さん調子は悪くないって言ってましたよ
@昭和師匠 それでも清原を三三振なので悪くわなかったように思えますが
@昭和師匠確かにボールの伸びが全然違いました。ですがPLに勝てるかっていわれたらわかりません
水野は調子が悪いように見えました。地区大会や練習試合に招待試合と、ハードスケジュールで疲労もたまっていたと思います。夏は打者有利になるとは言え、失点も増えています。あと、春の時の水野対夏のPLの話ですが、この時のPLが下馬評を大きく上回っていたことを差し引く必要があるかもしれません。というのは、この前の試合でPLは、高知商業から10点を取っています。快腕・津野投手を9点取った時点でKOしています。津野の調子も悪くなかったのに、です。私が思うに、前の高知商業戦からPLが、どこか神がかっている感じがしました。ですから、池田が0-7で負けたことよりも、高知商業が10点取られたことの方が、私には衝撃でしたよ!?3回戦までのPLとは明らかに違っていました。大一番の池田相手に、桑田が全試合で一番の出来、という要素もあります。そんな印象でしたので、春の池田と、夏のPLが対戦したら…………相当な接戦になると思います。
どっちにしても0点じゃ勝てません
PL学園に打たれる前に、広島商業戦で水野さんが頭部にデッドボールを受けたのが打たれた理由だと思う。
いえ
水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う
夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
まだ2年生(6:42~)
水野は大袈裟に言ってもるわけでも自慢してるわけでもないからな。
むしろ控えめに言ってるくらい。
そのくらい池田と水野は凄かったし高校野球人気も凄かった。
セガせが まじかよwすごすぎw
@kukiitanaka この頃池田と阪神やったら池田が勝つんじゃねえかと言ってる阪神ファンも周りにいましたね。
@@user-sz3gb9xq4l さんへ
有名な話ですねww
それほど当時の阪神は弱くて肩身の狭い思いしてた。確か阪神の負けてた試合で、ファンが叫んだヤジが発端だと思いますが…
高校野球の人気が1番高かった頃に1番強かった学校でしたもんね。
また当時は私立の隆盛が著しい時期、その中で最強校として君臨していたのが県立校である池田というのも池田の人気に拍車を掛けてた。
この頃の桑田なんてホントに子供みたいだったのに、あの水野からホームラン打ったんだから衝撃でした。
水野(池田高)も桑田清原さえ居なけりゃ普通に優勝だったかなと。
清原は4三振なんだけど…
水野はこれだけで飯食っていける
ほんとそれw過去の栄光とかいうやつもいるけど、それだけのことをしたのは事実
甲子園で負けた瞬間、免許取りに行こうは草
今振り返れば田舎の公立高校が3連覇狙えたこと自体が凄い
水野はプロではイマイチの実績でしたが、打者に転向の方が面白かったかも
がっつん懐かしch 結局、田舎の方が受験勉強とかもそうだけど、制約なくできるでしょ。池田が高校で筋トレした走りだったでしょ。結局、水野は高校レベルで早熟して勝てたけど、プロ野球でみんな筋トレしだすと、勝てなくなっていったよね。
県立高校で受験勉強して東大卒にはなったが全く社会人で使えないタイプが水野だね。WWWWW
裏を返して言えば田舎の子でも筋トレでプロ顔負けの打球&豪球が身に付くという実証例として機能したとも言えるかと。
水野はプロでも充分存在感あったと思うが?
プロで打者は水野自身が否定してます。
アレは金属バット用のバッティングだから。
だから巨人でもずっと投手をと自ら希望した。
甲子園で優勝するより四国で優勝するのが難しかった時代ですね
松山商 高知商 明徳 徳島商 高松商などね
@@osaka4196 そうですね
それと四国の初出場は相当強かったですね!伊野商、川之江、済美、新居浜商、中村等々 甲子園でかなりな成績を残してますね!
この年から何年間か四国対PLになりました
難敵中京を倒したのだから、1年生がエース、四番を打つ様なチームに負ける筈は無いと準決勝の前夜の入浴中に水野さん達は盛り上がり、そうした油断が敗れた一因となった様ですが、この油断を一年後の夏の決勝更に凡そ一年半後のセンバツでPL学園はやってしまいます。1年後の夏、相手の取手二高は6月にPL学園との招待試合が控えているに関わらずある事情から十分な練習をせずにPLとの試合に挑みボコボコにされます。しかし、その敗戦を期にちゃんと練習して甲子園でもう一度PLと戦おうと最後の夏の猛チャージをかけて甲子園にやって来ます。そして決勝で相まみえるのですが、PLとの決勝をワクワクして挑もうとする取手二高に対しKKコンビはベンチを見て「あんな弱いチームが何でヘラヘラしてるんだ」と見下します。ワクワクとヘラヘラは違います。センバツの時は準決勝(対伊野商)の前日なのに松山主将はミーティングの最中に優勝旗を受け取るモノまねをし、清原さんは「メガネをかけたヤツがエースの田舎の高校」と見下したまま試合をむかえるが、いざフタを開けると清原4打席3三振で大オマケでPLは敗れました。甲子園の魔物とは案外分かりやすいところにいるものだな、と。今振り返ってみるとKKのPLは2回「しか」優勝出来なかったのか、ですね?
池田から筋トレの歴史!
怪物水野を喰った魔王桑田
あの試合、初めから最後まで見てました。そりゃPLも一応甲子園14連勝中の強豪だったけど、水野が言うようにエースと4番が1年生のチーム。同じく甲子園15連勝中の池田の強豪ぶりはケタが違ってましたから。大方の予想は6.7点取って池田、だったと思うが、下位打線に水野が3発被弾、あれよあれよと言う間に7―0。そして桑田が池田打線を完封。今だに信じられないもん。
1年前なら池田がPLを叩き逆以上の結果になっていたかもしれない。
水野って、連投が効くタイプなら良いクローザーになってたと思うよ。短いイニングなら球威もあったし落ちる球もあり、何より相手の打者の心理を読む駆け引きの巧さがあった。肩の怪我が惜しまれる。
早実 荒木を粉砕した池田 水野 を更に完膚なきまでに粉砕したPL学園 桑田 清原
80年代の高校野球は楽しかったですなぁ(^^)
水野さんの語りは正直で面白いですが、この自尊心の強さと素直さが
プロとして大物になれなかった一因かも知れないと感じます
揉まれ弱いというか脆い、それを魅力と感じるのか
世の中舐めてるから伸びないんだよという驕りと感じるのか
兎角、 スポーツというのは能力もさる事ながら 性格もでちゃうんだなと思います
それがまた楽しい、完全無欠の人間が居ないように
金太郎。ミスターにナイスなネーミングつけてもらったよな水野( * ´艸`)ププ♪
まさかの池田が負けた翌日
フィリピン🇵🇭アキノ氏暗殺
水野巨人入団はスゲエ騒ぎだったよな
もっともっと活躍すると思っていたが、、、。
もっとも、水野は巨人のハズレ一位で、本命は高知商業の津野投手だったのはあまりにも有名な逸話
石元正志 え?津野ってドラフト3位だけど。あと当時は外れ1位っていう概念が無かったわ。
阿波の金太郎
こいつは話し上手だね
中京高と横浜商ばかり見ていて忘れてたんかな?
そもそもPLって前年(82年)と前々年(81年)のセンバツ優勝高やん。
当然優勝メンバーなんていないけど直近の実績なら中京高や横浜商より上だったんですよね。
中京は古豪だったけど優勝からはだいぶ遠ざかっていたし横浜商は三浦の時だけ強くてそれ以前は横浜高や東海大相模には全く歯が立たない学校だった。
水野は野中や三浦ばかり意識していたんだろな。
PLって、この5年前に逆転で優勝したチームだったし、相手が決まって何となくイヤな胸騒ぎがしたのは覚えてます。
目に見えない力が働くって、この試合のPLがまさにそうだったんでしょうね。池田が見下しててかかってきたのも、その一つだったし。
だとしても、なぜ一年生に完封されたのかは、未だに理解出来ないんだよね。この試合の桑田さんが、そこまでいいボールを投げてるようには見えないだけに。。
やはり打てなかったのはプレッシャーによる焦りでは
投手水野が全然だったからでは
水野さんのプロの実績しか知らない人にとっては、
「桑田さん、清原さんのいるPLの方が強いに決まってるじゃん」と思うかもだけど、
あの時の池田高校がPLに負けるなんて、誰も思ってなかったからね…
当時は投手としても打者としても
KKコンビとは比較にならないくらい水野さんの方が評価は上。
って言うか、野球に興味のない人でも、
池田高校と水野って名前は知られてたからねぇ…
この時のPLは優勝候補ではなかったですよ
試合は見ませんでしたが、当然池田が勝つものと思ってましたから、友人に試合結果を聞いて唖然とした記憶があります。
今思えば、その後に訪れる常勝PL時代の幕開けとなった試合でもありましたね。
@昭和師匠 ただ、KKも次の大会からは、この大会の池田同様、本命視され追われる立場になるわけですから。各チームが打倒PLで、マークや研究も当然厳しくなるわけで……特に2年の夏あたりは、そうとうしんどい試合が続きましたし。そういう中で、優勝2回、準優勝2回、ベスト4が1回は、スゴい成績だと思いますよ。
@昭和師匠 そもそも、圧倒的な力で優勝すること自体が、難しいと思いますよ。甲子園の大会は、一発勝負のトーナメントですから、圧倒的な力があっても、勝たなくては意味がないですし、ましてや、池田やPLなど、優勝を狙うチームこそ、ぶっちぎって優勝などと、思い上がったことは考えないと思います。58年春の池田も、水野が無双状態だったこと、組み合わせに恵まれたこともありますし、準決勝の明徳のようなハイレベルなチームに当たれば、やはり苦戦してしまいますし。ダントツの優勝候補でも、毎試合圧倒的パフォーマンスというのは、困難だと思いますよ。
@昭和師匠 KKに不満を感じるのも、わかりますけどね。58春の水野は、それこそ無敵でしたから、 KKでも手も足も出なかったでしょうね!? ただ、極端な言い方をすれば、水野は、そこにピークが来ちゃった。夏は、春のようなスゴさはなかったですし、プロに入ってからも、バカ勝ちはできなかったですね。対してKKは、どこがピークか、よくわからないけど、プロでもコンスタントに活躍した、水野より優るのは、そこだと思うんですよ。じわじわ時間をかけてもレベルアップしています。だから、5回の甲子園であれだけの成績を残せたと思いますよ。そして、よく見ると、2年時のKKはイマイチでしたが、3年時は少し無双に近くないですか?60春は、智男さんがいちばんいい時だったから、これはもう仕方ないですよ。そして、より熾烈な夏こそ、王者のパフォーマンスだと思いました。大一番の高知商業の試合は、まさにそれですよ。決勝戦は、やはり簡単に決まってしまっては面白くありませんし、難敵と大接戦を演じて最後には勝つ、これこそ王者だな、って思いましたよ。
桑田の登場はインパクトあったねぇ。水野と比べてもモノが違った。
主催の朝日新聞社によれば、前年夏からの3季連続優勝を目指す池田を筆頭に、箕島、横浜商、 中京、高知商、興南、広島商らが大会7強として優勝候補とされた。一方、PLは清原が「同校史上初めての1年生の四番打者」として注目をされる程度で、7強を追う二番手グループの中にも挙げられていなかった(出典:朝日新聞 1983年8月5日付け )
しかも高知商業とは新チーム結成してから総得失点差22点の3戦全勝。
自分たちがカモにしていた相手に1点差で競り勝ったPLなんかに恐怖心が湧くはずないし。
水野
江上のいる
池田高校は
間違いなく優勝すると思ってたのに
まさか
の桑田のホームラン。
私が小学校四年生
未だに記憶にありますね。
やはり死球の影響があったんだな
そして中京戦で力を使い果たしてPLにやられたと
(水野)センスは抜群でした。あの担ぐような投げ方は一度肩を痛めたんでしょう。バットをボールに叩きつける金属バット打法はプロでは通用しません。池田パワフル野球はその後の高校野球を大きく変えましたが、それが阿波の片田舎の公立高校であった点が爽快で高校野球ファンの記憶に長く残るのでしょう。
選抜の水野は鉛のようなボールが伸びてくる感じで凄かった
しかし夏の水野は劣化酷くて一回戦から別人だった
PLに池田が負けたときは本当にショックだった…😨
当時は、あのデッドボールのせいで池田は負けたんだ!って思ってたなぁー。
試合後、ベンチ裏の通路で次の試合を待っていたY校の選手に「PLごときに負けやがって‼、俺達はお前等を倒す為に来たんだ‼」と言われたと水野さんが後に語っていたがそのY校もPLに負けるんだよね、池田の時代からKKのPL時代の幕開けの感じがしたね。
PL戦の池田は 東京ドームで初めて負けたマイクタイソンのように気持ちが入って無いというか見下し過ぎというか、ヤバいと思った時にはすでに遅すぎた
みたいな感じの試合だった。
当時の池田はタイソンのように負けが想像出来ないチームだった。
逆のスコアで池田が勝つと思ってたし。
水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う
夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
当時8歳か9歳だったと思うけどPLが憎かったねぇー
池田のユニフォームも大好きだったし、将来は池田に行くんだと周りに息巻いていたよ
池田の水野、江上はヒーローだったね
なもんで、桑田、清原のPLはずっと好きになれなかった
わかります。なので取手二高や伊野商戦は忘れられません。
@tibentenripl0519 失礼しました!ヒット1本でシャットアウト→夏春連覇阻止。山口投手の変化球が冴え、安定した試合で劇的な印象が無かったのですが、言い換えるとPLに見せ場を作らなかった一番の試合かもしれないですね。
@tibentenripl0519 さん、私はKKのPLもその次の松山キャプテン?や立浪のPLも実力は認めつつ、横綱よりも、相手方を応援してました(立浪の時は決勝が木内・常総。予備校の夏期講習をサボって喫茶店で観戦😅)
それにしてもPL、大阪桐蔭、履正社…皆大阪ですね~一時は上宮、古くは浪商、北陽等々…ハイレベルです。
関西では高嶋監督の智弁和歌山も強かったですね!いつぞやの根市投手の光星学院戦では熱くなりました。どうしても、判官贔屓の私はその辺のアンチになってしまいます…😅。
(ちなみに大阪はラグビーも盛んで全国都道府県唯一の三校代表枠です。これまた今は大阪桐蔭が強いです)。
甲子園の見方変わるって何を期待してんだこの女
中京も優勝しそうだったけど木村龍治(のち巨人 背番号41)の時の選抜でノーヒットノーラン直前 対宇部商)で負けてそのあと甲子園から遠ざかってたよね?
桑田のボールみてたら間違いなくいいピッチャーだとわかる、それに気づかないのは異常
誰あろう高田繁、その後巨人のV9伝説の一二番コンビを組むとは、誰が予想したであろう、高田は、言う、僕としては普通に送球したつもりだったんです。しかし、柴田さんは、三塁をまわってた(笑)
池田、間違いなくこの時代の主役ですね~
ノーマークは、まずいね!ノーマーク! 桑田・清原のいたPL学園は、一気に準決勝で池田戦に勝利して、全国区になった!!
この試合は、この後も 後世語り継がれる1試合だ!!
後半で桑田さんが池田戦での事を話しています。m.th-cam.com/video/zEubMMeO9bs/w-d-xo.html
池田~思い出すよ強かったが。
結局デッドボーる大きかったかもなーーー。やっぱり・・・・。
功chun 医大な 死球関係なしに負けたでしょ。優勝後のPLの強さ見れば一目了然ですよ!PLの唯一の敵は、勝って当然というプレッシャーだけだったようですね。
清原を4打数ノーヒット4三振にしたから
言い訳が出来ないよな
他に3回戦でのデッドボールから1日明けて
準々決勝では中京を1点に抑えて完投してるからな
@@user-pl1jv9ve2b 死球後直ぐに大事を取り、医務室に行くと医者から死球の後遺症は二日後以降(中京ではなくPLの試合)から出るかもしれないと告げられたらしい。其でなくてもこの頃の池田は選抜優勝校と言う事で高野連絡みの招待試合に駆り出され捲り、水野はクタクタの状態で脇腹も痛めていたとか。初戦の太田工戦の段階で、選抜と比べ投球ホームのバラバラさ、切れ味の無さから一目瞭然だった。たら、ればになるが、この時の池田が選抜優勝後心身共にしっかり休みを取り、水野が広島商戦で死球を喰らう事無く、前年のチームの様に初々しさ満天で謙虚な気持ちを持って、PLに挑んだらどうだったかと考えてしまう。
対戦前、PL中村監督がPLナインに「池田に惨敗しても、決して池田は強かったなんて言うなよ!」と檄を飛ばして、PLナインに漂っていた「負けて当然」という先入観の払拭に汲々としていたという感じだった訳だが。
@@user-sz3gb9xq4l さんへ
もしPLに池田が勝ってたら、その後のチ―ムは、V3を目指していたチ―ムよりもさらに激しいプレッシャーが、負けるまで続くのが気の毒な気持ちにもなりました。
また夏春連覇後の招待試合で、沖縄で興南に破れたのが、大ニュースになったほどでしたから。僕が当時の池田人気を如実に表現されてた一番のシ―ンを言えと言われたら、準決勝でPLに負けが決まった直後、甲子園スタンド全体が、地元のPLの勝利に喜び、盛り上がるよりも、スタンド全体が、池田の敗戦を信じられずに静まり返り、負けて去る池田に残念がって、皆が史上初の三連覇を期待して、その強いもの見たさに、地元関係無しに、高校野球ファン皆が応援してた、あの年の池田人気は、高校野球界の伝説になるほど凄まじさがありました
高校時代、水野も投打にスゴかったが1年先輩の畠山もスゴかった。江上もスゴい打者だった。しかし水野も畠山もプロでは全然、大した成績を残せませんでしたね。
屋さんウナギ 甲子園のエリートの高飛車なところがこのインタビューでわかってプロで練習もしなかったんだろうね。池田の筋トレは高校レベルでは通用したけど、プロはみなしているし、体格も一回りプロで大きくなったので無理だったね。
江上は最後の大会まるで打てなくて、これでドラフト厳しくなったなと思った記憶がある。
畠山はプロ生活16年続けて3年連続オールスターにも選出されてるからまだ活躍した方ちがう?
畠山は野手として横浜ではレギュラーとして活躍したが
水野も日本シリーズで先発するなど、期間は短いながらもローテーション投手として活躍した
水野の晩年はセットアッパーとして、フォークを駆使して安定感が抜群だった
クローザーもやってた
一旦引退して、メジャー挑戦まで
WHIPもずっと優秀な数値だし、当時にホールドの制度があればそれなりに数値が出てると思う
もっと評価されてもいいかと
カバンの件で早いうちに肩を壊していたけどね
明訓高校みたいだな
桑田=義経 清原=武蔵坊弁慶
夏春連覇。3季目の夏に敗戦。
新潟の?
ノムさんだったら絶対に言わないような失言を監督がしちゃってるのが何とも....
蔦監督の凄さを知らんのか
恥ずかしいぞ
@@user-ke1en9js1x いや、むしろ、甲子園で実績を残してきた蔦監督だからこそ、目立ってしまう失言ではないか?と。それと、桑田が予想以上だった、ってことでしょう。
@@user-ef4cm6zc7n
失言ではないね
ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。今思ったんだけど、孫悟空みたい。
水野がセンバツの出来ならPLは手も足も出なかったと思う
夏の水野は痩せてて筋肉落ちて1回戦から全然ダメだった
実は前年春センバツはPLが優勝してるんだよね、そんなの打ち消すくらい池田旋風が巻き起こっていた。
マスコミも仮に池田が負けるなら中京(野中)か横浜商(三浦)と報じていた、そういう面からPLノーマークは理解出来る。🐈
PLは当時3学年連続で春か夏の優勝旗を持ち帰ってますからね。桑田や清原以外にも中学時代からエリートだったメンバーが揃ってました。
あんまり勝ちすぎてて新しく出てきた勢いの波に気付く事が出来なかったんだな。栄枯盛衰の起こりはこのあたりにあるんですね、。
今だに史上最強は池田だと思う、異常な強さだった、しかし水野意外にトーク面白いなぁ
高校野球史上最高の人気チ―ムは間違いなく水野時代の池田と信じている