湘南藤沢の原風景・発展の歴史 (小田急による江ノ島開発、東屋、龍口園、御用邸招致失敗、鵠沼プールガーデン、江ノ電、江ノ島大橋、鵠沼海岸、その周辺の発展史)
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- เผยแพร่เมื่อ 1 ต.ค. 2024
- 湘南藤沢の歴史を振り返ってみました。小津安二郎「晩春」で描かれた片瀬、江ノ島。信仰、参拝の空間が、観光、工業、ベッドタウンと変貌する歴史をたどります。
01:45 藤沢という名称の起源
03:00 東海道の宿場町として発展
04:20 1500年前に始まった江ノ島信仰
06:32 江ノ島参りの定番コースとは
07:45 江ノ島大橋架橋の歴史
08:39 鵠沼海岸、その周辺の発展史
09:37 旅館東屋
10:15 鵠沼海岸別荘地(御用邸誘致失敗)
10:50 小田急による江ノ島開発 片瀬江ノ島駅
12:01 龍口園
12:10 片瀬西浜分譲地
13:09 鵠沼プール 鵠沼プールガーデン
14:28 小津安二郎「晩春」のロケ地 原節子
15:12 小田急ビーチハウス
15:34 江ノ島水族館開業
15:52 東洋のマイアミと呼ばれる
16:34 石原慎太郎 太陽の季節
17:28 サザンオールスターズ
17:58 1日52万人が殺到した海水浴場
18:23 湘南爆走族 SLAM DUNK
18:44 湘南乃風
19:52 藤沢駅周辺の開発の歴史
20:47 江ノ電藤沢駅
22:10 工業都市藤沢の誕生 大和醸造、いすゞ自動車、松下電器産業
23:00 辻堂団地 開発
24:01 フジサワ名店ビル
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/ oldjapanesemem1
#藤沢#湘南#江ノ島
7歳まで藤沢市民でした。
父の転勤で北関東へ引っ越して40年経ちますが、親戚縁者がほぼ全員湘南エリア在住なので引越ししてからも幾度となく遊びに行きました。
年頃には転勤とはいえ田舎に引越を決断した父を恨めしく思ったり…(笑)
今はもう両親は居ませんが、近頃は何かと波瀾万丈だった人生を過ごしたこの北関東の土地よりも、幼い頃の健在だった両親との思い出や何の苦労も知らない時期を過ごした藤沢の地が懐かしく、いつか叶うならもう一度暮らしてみたいと想いを馳せたりしています。
非常によく調べられてますね。藤沢市民48年ですが感服しました。
藤沢市は歴史もあるのですが、戦後の高度経済成長期に観光スポットがあり、商業施設があり、動画でも触れられているような松下、いすゞなどを始めとした大企業ができ、団地などでの人口流入、そして動画では触れられていませんが、藤沢市北部には農業エリアがあり正直言ってこの市だけでほぼ全ての産業の集約がなされている珍しい場所だったんです。
それを踏まえてある企業が実験的に進出しました。その企業とは「東急ハンズ」です。東急ハンズはこの藤沢で一号店を出し、データを集めました。当時の藤沢は住民の年齢配分のバランスが良く様々な生活、職種のバランスも良く、また近隣市からの鉄道におけるアクセスも良かったため格好の場所でした。現在は藤沢から撤退しましたが、そこで得たデータを元に東急ハンズはアクセス性の良い駅周辺に展開しているわけです。
余談ですが、藤沢市北部には「獺郷(おそごう)」という地名があります。この「獺」という字はカワウソを意味します。カワウソの住んでいる里ってステキです。一見して何もない田舎のように感じますが、それを知った上で見るとまた違った見え方がします。
いとこの奥さんが、獺郷出身の方です。牧歌的な雰囲気がまだ残ってますね。
ところで、獺郷、宮原、打戻…
あの界隈ってなんであんなにたくさん植木屋さんがあるんでしょう?
鵠沼海岸在住50年ですが、地元民から見ても非常によくまとめられており、参考となる動画でした。素晴らしいです。
生まれてからずっと藤沢が生活圏ですが、藤沢駅周辺は30年以上、テナントこそ入れ替わってますが大きくは形を変えてないのが貴重だと思います
名店、ダイヤモンドビル、プライムも老朽化で流石に再開発の手が入るようですが今迄よくやってきたと思います
寂しくはありますが新しい姿にも期待ですね
プールガーデンは亀さん🐢の思い出が強いです。懐かしい
くげぷー
私は亀さんプールと呼んでました
藤沢には高校時代の友人が住んでいるが、今でも大好きな女の先生の出身地でもある。だから、藤沢に行ったら先生にも会えないかなという淡い期待をしてしまう。
藤沢の街は40年前とあまり変わっていないと思う。南口のペデストリアンデッキなんか見るからに古めかしくなっている。
名店ビルとダイヤモンドビルこそ藤沢の顔だと思うが、名店ビルは建て替えるんだっけ?
市民でも知らないことをまとめてくださり、ありがたいです。
江ノ電藤沢駅がS49年迄JRに隣接していたというのは、驚きました。
(その頃、江ノ電デパートに駅があったような・・・?)
さいか屋→丸井→ビックカメラ、とか、しざわ→西武は懐かしい!
名店ビル関連が391ビルというのは、現在でも知りませんでした。初耳です。
十字屋→コスタ→OPAはマイナーですかね笑
藤沢在住の高校生ですがこの動画を見る前と見た後ではいつもの街がまた変わって見えますね!
藤沢市って言うか藤沢駅周辺や鵠沼片瀬辺りにフォーカスされすぎてちょっと残念でした。
もっと西北部にも触れてほしかったなぁと思いました。藤沢市は辻堂や湘南台などもっとも広いんですよ〜
なぜ藤沢駅が藤沢宿より南の地に造られたか、っていう話(陸蒸気は火花が散って火災の原因になるから、と宿場町の住民が反対したから)が昭和40年代には小学校の副教材で教えられてました。
あと、善行~本鵠沼間は、トンネル~鉄橋~スイッチバックという鉄道技術の詰まった部分であることや、広い意味での湘南の地名の由来、北部の湘南台に相鉄や横浜市営地下鉄が引かれ、慶応SFCができたこと等に言及がなく、また、パナを出してソニーを挙げなかったのにも残念感がありました。
生まれも、育ちも藤沢の市民です。とても、良くまとめられていますが数点、首を傾げたくなる場所もあります。江ノ電の藤沢駅の変遷は、公文書館に行けば資料があるので確認が取れます。白黒の屋根を写した写真は昔の国鉄時代の藤沢駅舎と思われます。あと、土曜会は藤沢銀座商店街の連絡協議会の名前なので、紹介するなら『藤沢駅北側の銀座商店街』の写真とするのが妥当と思います。
地元愛が強いので、このような小さなところが気になります。
藤沢は、美人が住む街。ほんとですか?←はい、ほんとです。JR藤沢駅を降車すると、もう潮の風と香りを感じられる、素晴らしい街。何より品のある人たちが住む街。(個人の実体験に基づく印象)(w.)
素晴らしい。コンパクトにまとめられて藤沢市民としては「学校教材」としても使えると思います。
くげプーという懐かしい言葉を久々に聞きました。懐かしいなぁ
藤沢在住35年なので全て知ってる内容でしたが、藤沢の魅力がアピールされた良い動画でした。
藤沢市在住40年になりますが、藤沢市内は大分変わりました。
辻堂や湘南台は立派な駅になったし六会辺りは舗装されていなくて日大生が馬を散歩させたりしていました。(馬糞だらけ)
幼少期には藤沢駅でSubway辺りにあった細長いビルで美味しいウナ重を食べたことを覚えています。
現在フィンランドで一人暮らしをしている年金生活者です。藤沢の産院で生まれ片瀬で育ちました。現在コロナの影響で日本に渡航できませんが、越境で入学した鵠沼中学昭和43年の同級生達に再び会いたい。動画で岩本楼の事は触れていませんね?
藤沢大好きだーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー😊
鎌倉在住
藤沢名店ビルはユニークな垂れ幕が名物になってます。
今は静岡に住んでいますが片瀬江ノ島駅の横で生まれ育ち実家は西浜の一番端っこの最も古くからある海の家でした。藤沢に時々遊びに行きますが、片瀬も藤沢も江ノ島も本当に変わってしまってビックリ🤯です。特に江ノ島の灯台が未だに慣れません。形もそうですが場所も微妙に違うのでどうしても別のものに感じてしまいます🥲。
父と小さい頃(小学生のころ)おそらくその海の家に毎週行っていました!お母さん?らしき人が、毎週通っているうちに無料でビーチチェアとビーチパラソルを貸してくれるようになり、たまに飲み物もくれました。すごく好きな海の家でした。
引っ越してしまい行かなくなりましたがずっと覚えています。
@@shinoh3653 そうでしたか。
確かにうちの海の家はビーチチェアやパラソル等の貸し出しもしていました。
不思議な縁を感じますね🥰。
とても素晴らしい動画ですね。続編では、辻堂駅北口のCーX開発地域や黒川紀章デザインの湘南ライフタウンの開発、湘南台周辺〜慶應大学周辺の今後の発展なども是非取り上げて頂きたいです。
鵠沼には大きな家が多いですね。
庭にプールの有る家が近所に有りました
片瀬江ノ島から相模大野まで行く小田急線が、片瀬江ノ島と藤沢の往復だけになってしまうらしいです。
ダイヤモンドビルの中にあったジョイパークにはよく行きました。藤沢、味のあるいい街です。素晴らしい動画ありがとうございました。
かつて藤沢駅の現在のヨーカドーの向かいに東急ハンズがありました(2006撤退)。
開業当時はいろんな種類のネジや工具が売っており、当時なかったホームセンターのような感じで
子供ながらワクワクするお店でした。
マクドナルドやモスバーガー、サーティーワンなどもかなり早い時期から出店していて、
当時はかなりキラキラした街でした!
片瀬江ノ島駅は2020年7月30日(正式開業/同年2月20日より一部供用開始)に新駅舎になっています。新駅舎も竜宮城感が大幅に増した良い駅舎だと思います。
以前の駅舎は仮駅舎をそのまま使用していたとのことで、ある意味ここに至りようやく完成を見たと言えるのかもしれません。
動画のスタートがいきなり鎌倉市の風景でずっこけた(笑)
友達や叔父が住んでいるのでたまに行きますか、さいか屋ビルはそのままさいか屋で、ビッグカメラのビルとは違いますよね?
週末や夏は、藤沢駅周辺が渋滞して大変ないメーシ😅
京浜工業地帯の鶴見から結婚を機に藤沢へ引っ越して早40年近くになりました。
動画には出てきませんがJR藤沢駅から徒歩15分ほどにUR藤沢団地がありこちらにずっと住んでいますが適度に都会適度に田舎でもう他に住む事など考えられないくらい住みやすい所です。団地も建て替えられ一部は民間に売られて新しくマンションが次々と建ち子供達も増えて嬉しい限りです。都内への通勤はとても混んでいて大変だと思いますがもっともっと藤沢も発展していって欲しいものです!
島そのものの名前や住居表示は、カタカナの「ノ」ではなく、ひらがなの「の」の「江の島」が正しいんですよね。
「江ノ島」は、駅名で使われた事により、その後一般的な名称になりました。
市の観光ホームページは「江の島」で統一されていますね。
藤沢駅といえば、青ブタとjust becauseの聖地で近所なのでいつか寄りたいって思ってました。
更に藤沢を楽しめそう。
プールガーデン=亀さんプールも懐かしいが、当時は辻堂海浜公園にもプールがありましたね。
まだまだ平和だった時代。小学生だけでバスでたくさん遊びに行きましたよ。
そうそう、海浜公園には「交通公園」もありましたね。自転車を借りて爆走してました。(笑)
約30年、育った街。生活した街。
今は違う土地にいますが、両親がいますので…年2回は散歩したりしてます。
藤沢市が、発展というより、いつまでも愛され、平和でありますように。
私も藤沢で生まれ育ち 今は他県に住んでいます。
海浜公園は毎週のように父に車で連れていってもらってました。私も自転車でひたすら走ってましたよ。夏に開園するプールは流れるプールで、楽しかったですよね。亀さんプールもよく行ってました。
最近隣の辻堂駅が激アツになってきて嬉しい
湘南に住んで62年になりますが、藤沢、江ノ島、鵠沼の歴史がたいへんよく理解できました。素晴らしい動画に感謝です。
村岡には上杉謙信・東郷平八郎のご先祖である桓武平氏:平良文公の塚が渡内のニ伝寺にあります。村岡城址公園には東郷平八郎海軍元帥と東郷吉太郎近衛海軍中将の石碑も有ります。また大場・石川周辺には縄文時代の遺跡が多数出土されています。さらに御所見エリアは、桓武天皇の第三皇子とも第五皇子だった記録されている桓武平氏の祖:葛原親王の御所があったとの事です。藤沢市は歴史的にも、鎌倉市よりも遥かに古く、とても興味深い痕跡が残っています。
藤沢市21年住んで家も買いましたが転勤で山口に住んでます。定年したら帰ります。
現在も月1回かえってますがやはり湘南は楽しいです。
駅周辺は道路がクッソ混むのに各道路がショボすぎる。
大島薬局の看板のフォントが今も変わらないのが分かってちょっと不思議な気分です。
「藤沢SST前」バス停は、昔は「松下テレビ前」というバス停でした。また、江ノ電百貨店のレストラン街にあった「ニコラスピザ」は、料理が美味しかったのはもちろん、席からの眺めも最高でした。
鵠沼プ-ルガ-デン昔、ウルトラセブンの森次晃司さんがプ-ルサイドでおにぎり食べてました。
みんな、ウルトラセブンがおにぎり食べてる!と結構騒いでました。
とても濃いぃ内容で素晴らしい!鵠プーは夏休み前に割引券が学校で配布され、流れるプールを楽しみに行きました。ガッツリ水泳するなら善行、遊ぶなら鵠プーでした。ちなみに小1の遠足は鵠沼海岸での潮干狩り。江ノ島を眺めながらアサリを採ったのです。今では考えられませんよね。
小田急改札と名店ビルの間にあった国鉄の階段、ずいぶん長く放置されてたなぁとか、色々思い出しました。ありがとう😃
鵠沼生まれで50年以上藤沢市内に住み続ける者です。
よく纏められた内容で全般的には良いのですが、残念な点も。
最も酷いのは12分44秒付近、「常立寺」(ジョウリュウジ)を「ジュウリョウジ」と誤読している点。
その他、文法的に不自然な表現、誤ったテロップ等が散見されました。
また、オープニングとエンディングの江ノ電が海岸沿いを走る映像は、「鎌倉市」の腰越~鎌倉高校前付近のものであり、藤沢市ではありません。
これは、地元民以外の視聴者に誤解を与える映像だと思います。
欲を言えばキリがありませんが、地元の有力者である高瀬彌一(高瀬通りの名称由来)が大正15年に開設した「江之島水道株式會社」には触れて頂きたかったです。
水事情の悪かった江ノ島に、高瀬家敷地内の水源(井戸)から鉄管を敷設した私設水道は、昭和8年に県営水道に移管される礎を築いたものであり、特筆に値します。
また、公共交通機関については鉄道にしか触れられていませんが、東海汽船の江ノ島~大島航路や、昭和20~40年代頃に都内各所と江ノ島、若しくは江ノ島を経由して熱海方面を結んでいた路線バス(多数の事業者が参入)についても触れて頂きたかったです。
結婚してから藤沢市に住み始めて37年経ちますが、雰囲気良く住みやすいところだとしみじみ感じています😄
今でも昔の風情の残る名店ビルですが、屋上に観覧車があったとは知りませんでしたー✨😵✨
イトーヨーカドーの地下食料品売場横に、昔の藤沢市の写真の数々が展示されているので是非ご覧ください😄✨
藤沢の方言。『だべ〜』『オメェよ〜』『そうじゃん』
横浜言葉と変わらないですネ。
市南部の片瀬地区では「汚ねぇ」を「キタネ」と切るのも特徴的です。
子どもの頃(昭和40年代)海水浴と言えば江ノ島、湘南海岸でした。とにかく渋滞してたなー!途中で、海岸沿いにあった加山雄三所有?!のホテルで食事した記憶があります。黒沢監督の天国と地獄も思い出します。
チサンホテルですね。懐かしいです!
鵠沼の東屋跡地をいくつかに分譲された一つが小学生まで過ごした我が家でした、当時はまだ庭に東屋の池が残っていましたが、数年前に訪ねた時はさらに細かく分譲され池もなくなっておりました、、、、。懐かし映像ありがとうございます。
追伸: ぜひJR大森付近も取り上げて下さい!色々掘り出せますよ。
藤沢には、以前7年間ほど住んでいました。住んだのは片瀬でしたが、海まで歩いて散歩をしたり・・・。日曜日には片瀬漁港の朝市に買い物に行きましたね。早起きをしました。それから生のカタクチイワシの稚魚のしらすを買うことができるのも地元の特権です。生のまま、ご飯と共に食べました。楽しい思い出がたくさんあります。感謝!
湘南のサナトリウムはとても大きかったそうです。江ノ島は植物の研究していた外国人もいました。祖母の実家が鵠沼でした😊
子供の頃〜したら湘南台駅は小田急線だけだったのでまさか?横浜市営地下鉄&相鉄線が開通してターミナル駅になるとは思いませんでした😅それと!湘南台に大きなヨーカドーが出来た時は凄い嬉しかったですね!大好きな家系ラーメンのまつり家さんが無くなってしまったのはショックでした😅
人それぞれですが、自分は海近に憧れて保土ヶ谷駅前マンションから江ノ島のマンションに引っ越して来て3年になりますが、バスの遅延が酷い、本数が少ない、天気がかなり酷く荒れる、観光地だからかタガが外れてモラルが悪い方々も凄い多い印象で、もう引っ越し考えてます。
勿論良いとこもあり、のどかで近隣住民の方々やお店の方々がローカルでアットホームなとこは、都会にはなかなかない良さです。
さいか屋は今もありますよ。
2023年6月、ヤマダ電機に4階~7階を乗っ取られました。
@@hh.3860でもヤマダ電機はガラッガラよ 多分潰れるね
@@ばなな-t7w
ビッカメを潰そうとして返り討ちかな??
22年住んでるけど 住みやすさはナンバーワンだ アクセスの便利が
藤沢の紹介で観に来たけど動画内に有るスラムダンクの踏切は鎌倉市の観光名所だね
あと、江の島が鎌倉市にあると思っている方が多いんです。
島の横っ腹に「江の島は藤沢市」と大書してやりたいです。
米軍関係の補足ですが鵠沼海岸の東屋横にアメリカ大使の別邸が有りました
冒頭の松並木は遊行寺鉄砲宿間らへんですかね
江ノ電の古い古い鵠沼橋の姿は初めて見れて感激です。
生まれ育った藤沢なのに、知らなことばかりで勉強になりました。懐かしく、亡くなった母を思い出します。ありがとうございました。
鵠沼海岸プールはよく行きましたよ。小田急ビーチハウスでは高校生の頃、バイトをしていました。全然知らなかった歴史的な背景がよくわかり、藤沢愛が深まりました。ばあさんになりましたが職場が銀座でしたが、湘南ガールといわれてましたよ。感無量です
予備校生時代に学校ろくにいかずにダイアモンドビル近辺のゲーセンに入り浸っていたのを思い出しました、今ではみんな閉店閉鎖してしまい悲しいです
ジョイパークとファンファンによく行きました❗️おかげ様で浪人しましたが🥲。
年代が違うかもですが、アメリカンハウス?という、サーティワンとかとケンタツが入った施設にやたら寄り道しては太っていましたwその先のレンタルレコード屋もよく行きました。
私の記憶ではサンリオショップをアメリカンハウスと呼んでいました。そこと繋がっている建物内にケンタがありましたよね、正面に。
大船や鎌倉も動画にして欲しいです。
藤沢は本当に住みやすくて子育てもしやすかった。温暖で大好きな所です。
年寄りになった私らの会話に、ほら昔の十字屋だったトコさ…と言う会話が、増えた😂生まれも育ちも市内の友人…私は、近隣の市に嫁いでしまったけど。海側だけが、藤沢じゃ無いのでねぇ…ちと惜しい動画だなぁ…
自分、道産子で就職で藤沢住みになって、早30年以上。北海道暮らしより長く、藤沢に住んだらもう、北海道には戻れませんよ。
駅と道路が40年前より混んでるのなんとかして欲しい。
70年代後半から80年代のサーフィンブームの頃、
新宿発の最終江ノ島行き急行の最後部車両にはサーフボードを抱えた
サーファーが大勢乗車していました。彼らは海岸で寝ていたのでしょうか?
早朝の江ノ島線もサーファーが多かったですよ。
高校時代部活動の試合で善行の競技場によく行ってたけど、テントの陣地取りに1年生は始発で行くのが鉄則だったのでよく乗り合わせました。
海には入らない「丘サーファー」と呼ばれていたね
とても良い記録です。老人ホームで鵠沼海岸の東屋の関係者と会いました。
湘南の観光大使です✨
藤沢市のご紹介ありがとうございます♪
鵠沼プールガーデン、懐かしいなぁ。当時貧乏家庭だったので新聞屋から景品でもらったチケットで遊びに行き、カメさんの滑り台で夕方まで遊んだ。そのカメさんの中には10円で遊べるメダルゲーム機が設置してあった。昭和52年スーパーカーブームの頃の思い出。
藤沢のいすゞには父が勤めていたことがあり、ヒルマンやべレルを造ってたって聞かされたな。
市民です。
鵠プーは子供時代の思い出です。
スカポンが大好きで未だに乗りたいと思うくらい。
湘南に憧れて地元の会社に内定しましたが、留年してあえなく断念しました。
懐かしい。
高校生の時、夏休みプールガーデンでバイトしてたなぁ。
藤沢住民として書き込みしますが、若干ですが現実との違いわありますが、ほぼ実情を伝えていますね。
冒頭の江ノ電が走るあたりは鎌倉ですね
鵠沼プールガーデンは自分の時代に亀の遊覧船だった船が足が低い滑り台!二階からの長い滑り台であり
子供の頃は亀さんプールと呼んでました。
約35年前に『藤沢市湘南台』に住んで居ましたが、現在、事情あって生地に『Uターン』した者です。5年に1回『藤沢市』に旅行に行きます。この動画を視聴して懐かしく、又、『藤沢市』に旅行行きたくなりました。今度は、『湘南台』にスポット当てて頂きたいな、と思います(笑)。
今終の住処として片瀬に住んでいます、娘夫婦も同じ頃鵠沼に移住しましたが、自分たちの住む街の成り立ちや変化を知ることができありがたく思いました。
(因みにオープンカーでの江ノ電の撮影、以前の私の愛車と同じかな?と懐かしく親近感も覚えてしまいました♪)
藤沢の極地、御所見村は何もないけど最高です。
よなかそばと鐙とありあけマルシェがあるだけで素晴らしい。
御所見中の向かいにある流水書房って本屋さん、
むかし河田町時代のフジテレビにも出店してたんだよ!
「今回は神奈川県藤沢を取り上げたいと思います」といっているバックで流れる動画がいきなり”鎌倉市内”だったのでだったので~をいをい!思ってしまいまし💦
せめて江の島とかにしましょうよ~。
龍口寺の山に娯楽施設があったとは驚きました!現在のモノレールの駅ビルには展望フロアがあり眺めは良好ですよ。
龍口寺の裏山:木を切れとは言わない、ちょっとした櫓を組んでくれるだけでかなりの眺望が期待できるのに、勿体ない。
目白山下のプラットフォームの方がよっぽど眺望が良いという頑張ってほしい場所。
良い動画でした😄
楽しく見させて頂きました。
藤沢で100年商売している一族なので裏事情などとの関わりが合致し、なるほど!と思う情報も多々ありました😳
龍口寺の山に遊園地があったなんて知りませんでした。仏舎利塔ができたのは幼稚園ごろで、名刺大の色紙山から降ってきた記憶があるのですが、思い違いでしょうか。私は磯の雰囲気の頃の片瀬江ノ島が好きです。冬は観光客も少なかったです。
わちの青春エリアや。中学時代からチャリでよく行くようになり、高校は藤沢市やったんや。憧れのチャリ通学でめっちゃ楽しかったで(´ω`=)
カオスな名店ビルまで取り上げるとは❗️
丸井のビルも火事があったり色々ありましたね
藤沢のOKも火事がありましたね。誰も古久家を語らないなぁ
07:20 絵の題名はちゃんと富嶽(ふがく)になってるのに字幕とナレーションが富獄(ふごく)になっててズコー せっかくいい動画なので校正しっかりお願いします…って2年前の動画に今さらコメントしても仕方ないかもですが。
50年ほど前、バンドの仕事で藤沢に2か月行きました。その8年後から、藤沢に30年近く藤沢に住みました。住みやすいし、子育てしやすいところでした。
欧州藤原氏はちょっと笑ってしまった
藤沢に住んだ印象です。移住者も含め市民は藤沢愛が強く、プライドが高め。都内まで一時間は疲れるので都心に出る機会が減る。駅周辺で一通り揃うけど特に何もない。車があった方が生活は豊かになるが、住宅もそれなりに高めなので生活費が都心と変わらなくなる。道と時間によって渋滞がひどい場所が多く、今後も増える傾向。藤沢と同じような生活を想定して引っ越しを考えても他に藤沢を越えるバランスのいい街がなかなかない。湘南ブランドに付加価値を感じられるのであればお勧め。
俺の子供の頃は江ノ島の橋下に多くの人が住んでいて怖かった。当時は腰越の津村に住んでいて、親父がよく江ノ島のハーバーに連れていてくてた事が懐かしい。江ノ電デパートも小田急に変わったけど、子供の頃は江ノ電デパートによく行ってたな。片瀬の龍口寺と小動の岬の何時は、腰越のお爺さん曰く。鎌倉の八幡様にお参りに来た龍が、江ノ島の弁天様に見とれて天に登る時に岬に足を取られ、今の小動岬から龍口寺の道が出来た。そして、その先に寺があった寺に龍の口が突き刺さったことから龍口時になったと言う都市伝説があるわ
昔は境川からの土砂で地続きだったのが信じられないな。
富獄でずっこけたw
西武百貨店が懐かしかったです!久しぶりに昔の江の島灯台も観れて楽しかったです。ありがとうございます。
UR藤沢団地に住んでで30年以上経ちます。
坂がネックでしたが今はバスも運行されています。若い方なら徒歩で15分くらいですかね。
今は建て替えと共に周りの民間マンションも増えて子供達の姿も沢山見え賑やかになっています。青ブタの聖地でもあります。
藤沢市も色々と変わりましたね、良い所も悪い所もありますが適度に田舎、適度に都会な藤沢が大好きです‼️
ありがとう😺
この地域に住んでるわけではないのですが、たまに散歩してます。ほんとにいい街です。ただ津波対策が心配ですね。
駅周辺と海岸付近だけが藤沢では有りません、北部50年在住者より。
長後、御所見、遠藤。
開始直後の映像は鎌倉市w
4:51 奥州藤原氏やね。ヨーロッパに藤原さんはいませんわ。この手の誤字脱字は別動画でも散見されるからわざとかと思ってしまう。
江の島については、小田急線が特急以外藤沢折り返しが基本になってしまったのが残念。せめて土休日は新宿から通し運行すべき。
鵠沼海岸にある
ホノルル食堂
うまいよ
藤沢と言えば江の島と江ノ島の違いについても知っておくべきでしょう
古来、江の島が江島(江島神社)と呼ばれて以来、時代により江ノ島や江の島、江之島も含めて混在して書かれてきたものが、昭和42年(1966年)に島内の住居表示が実施され「江の島」とされ、住居表示はひらがなの「の」を使うことに決まりました
さらに数年後には、島内住民等の申し合わせで、住所以外の会社名や店名、お土産ものに使う表示は「江の島〇〇」のように統一することにしたり、藤沢市観光協会も市内外で江の島表記を推奨することを発表しました
いまも「江ノ島」表記を採用しているものには、小田急江ノ島線「片瀬江ノ島」駅、江ノ島電鉄「江ノ島」駅、「江ノ島郵便局」等がありますが、「新江ノ島水族館」については、前進の水族館が1954年に「江ノ島水族館」として開業しているので、途中、「江の島水族館」になりましたが始めの名前を引き継いでいるカタチです
地下道から入った ダイヤモンドビル 入り口付近に 生ジュース屋スタンドがあって 美味しかったなぁ。
100円とか。
メロンでも200円ぐらいで 子供でも買えた。
イトーヨーカドーの地下駐車場エレベーター?が 乗り物みたいで 毎回ワクワクしたな。
今でも地下駐車場エレベーター?稼働してて びっくりした。
小さい車じゃないから 入れなくて残念。やりたいなぁ。
住居表示法の洗礼食らって中心市街地の昔の地名が軒並み全滅してるんだよなあ
東海道藤沢宿構成した鎌倉郡藤沢宿大鋸町、藤沢宿西富町 高座郡藤沢宿大久保町、藤沢宿坂戸町
特に境川西岸に存在した筈の大久保と坂戸って旧町名が消滅しててどこまでが坂戸でどこまでが大久保かわからない
正直住居表示法自体に問題があると思ってる
住居表示を実施するのはいいがその都度旧町村名域を目に見える図として何かに書き残しておいて欲しい
昭和40年頃には藤沢市にある全ての小中学校にプールがあり、
他の市から入りに来てたようです。藤沢市が教育にかける費用は半端なく
図書館の多さからも窺い知れると思います。あとは市民センターも多かったなぁ
391街区の真ん中の吹き抜け部分は、松本大洋の鉄コン筋クリートに出てくる。(ほかにも昔の藤沢駅周辺っぽい風景がちらほら)
小田急百貨店藤沢店はリニューアルされ
複合商業施設【ODAKYU湘南GATE】となっています
北口では
藤沢さいか屋が4F - 7Fまでの店を追い出してヤマダ電機「LABI藤沢」がオープンしました
変われば変わるものです