ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
「明智光秀が優秀過ぎて 信長にあれもこれもと扱き使われた。長年の激務でノイローゼ的に暴発した」という加来耕三の説は結構面白かった😊
天海僧正説は浪漫を感じるけど、年齢的に辻褄が合わない部分もあるようですね。
明智光秀は大河ドラマでも、作品によって全く別人に描かれたりするので謎が多いですよね。本当の光秀は麒麟がくるのような人物だったのか、どうする家康に出てくるような人物だったのか。
麒麟は観てましたが、どうするは見てませんでした。ただ信長が光秀に酷い事をしてたり、面目を潰す様な事をしてたら逆に警戒されてると思います。当時信長に一番近い位置に居たのは光秀だし、もし信長が光秀に恨まれるような事をしてたら、謀反を恐れてそれなりに軍を連れて行くだろうし、信長自身が光秀を舐めきってたとしても、側近が気を効かせて軍を用意すると思います。となると、信長と光秀の仲は悪くなかったと思われます。光秀が信長を油断させる為に演じていた可能性は有りますが。
謎と諸説ありだからフィクションにしがいがあるよね。山田風太郎の光秀忍者説はぶっとびすぎて好き。
信長さんが天下人やるの疲れて本能寺のどさくさに紛れて雲隠れした説を密かに唱えてる…。
本能寺は無理に謎にしてるような気もする
個人的には、明智光秀単独説があると思うな。
@@ガブリアス-d7p 私もそれ派ですねー
そうかな、まさに日本史史上最大の謎のひとつだと思うけど
宜保愛子さんお願いします!
公家、毛利その他諸々が黒幕だったとしたら変の後の光秀のパヤリ具合がクソほど滑稽になってしまうのよなぁ。首が見つからなかったのもあるけどやっぱり光秀の単独犯な気がするのよなあ
ルイスフロイスによると、言い方悪いけど相当猫を被るのがうまくて、信長に取り入るのが非常にうまかったと言っている。
明智光秀の孫が土佐に逃れ、祖父の居城に因んで坂本姓を名乗った。
いろんな 説があるのね どれがどれやら😩
自分は外資にいて、本能寺の変みたいなことをよく見るのだけど(部下が上司を追い出すようなことがよくある)、光秀は単なるサイコパスで信長に気に入られるようゴマすりした挙句、権力を手に入れた瞬間(佐久間信盛を讒言で追い落として代わりに畿内の司令官になった)、自分が取って代ろうとしただけだと思います。誤算は秀吉の存在で天才すぎました(秀吉もひそかに天下を狙っていたし、光秀の心を読んでいたと思う)。光秀も勝ち続ければ実力主義の時代ですから人も靡いてきたと思うけど、秀吉の実力が数段上ですぐ潰されてしまった。最初からそう思っていて、後からルイスフロイスの光秀評があることを知りこう書いてありました。「アイツはよそ者だったから、織田家内ではほぼ全員から嫌われてましたね。でも、信長からはなんだか愛されてたから、自分への愛を保ちながらそれをさらに加速させるなんとも言えない器用さがありました。加えて裏切りや密会が大好きで、残酷なだけじゃなく独りよがりなところも。ただ、それでいてウソをつくのが上手く、忍耐力も凄かったので、策を任せれば達人でしたね。光秀は誰よりも信長のご機嫌取りが上手で、そのための準備は徹底していました。彼の希望や嗜好には絶対に逆らわないよう心掛け、たとえウソでも流す涙は真実のものに見えるほどです。その天才的なウソっぱちぶりからついに信長を騙しきった結果、とんでもない権力や領地を与えられたんです。」これに関しては、自分の経験で見てきた世界そのままなので、光秀にもそのまま当てはめたくなります。自分はルイスフロイスの光秀評に共感してます。佐久間信盛や柴田勝家などプロパーのできない社員と秀吉みたいな突然変異の天才、光秀みたいな有能な転職組の絡みがものすごく現代のサラリーマンの派閥争いに似てると感じてます。
うーむ。光秀って裏表があって難しいよね。義に生きてるようで、突然残虐になる。どちらが本当か分からん。本能寺の変は黒幕なんていなかっただろうと思うけど、長宗我部への信長の態度とかに腹が立ったのかも知れないし、細川に唆された感じも否めない。割と人情があるわりに、本能寺の変後は誰も味方につかなかったのも何か解せない。とかく、すぐに逆上しやすい性格だったのかも知れないなあ。ただ、人一倍欲深かったようだけど。天海僧正の説は2人の時代的に有り得んね。
秀吉が首検分しなかったのはそれが光秀の首でないことを分かっていたから。家康、秀吉が二人で光秀に信長似謀反を起こさせ信長を亡き者にした。その後は秀吉と家康が天下を順番に治めようとした。光秀は生き延びて家康に仕えた説がいいけどね。
細川との婚姻を考えれば、本能寺は秀吉が画策して細川が明智を促して発生したんじゃないですかね。その根にあったのは朝廷が信長を恐れてて、秀吉はそれを隠す共犯者となったんではないですかね。光秀の光の字はどこから来たんでしょうかね。与えられた領地から近江の地理に詳しかったのかもしれませんね。土岐が近江に逃げてた事を考えると、土岐氏の出身という説はそこら辺から出たのかもしれませんし、濃姫が居るのに織田に反旗を翻した事を考えると、明智荘出身は疑問ですよね。将軍家や朝倉に近づけたのも理由がありそうです。頑張り屋な2面性持ちなら、信長の理解者になったのも納得です。行動から信長よりも年上で、医者だから長生きしてたのかもしれませんね。森可成が死んで、信長家臣団の大人が足りなくなった事が出世を後押ししたのかもしれません。
八咫烏によると、明智光秀は元々は八咫烏の構成員だったが、その組織から離れた者で後の天海だそうです。信長の部下として近づき、天下布武の真相を知ったために、光秀と正親町天皇が計って本能寺の変を起こした。信長の首は森蘭丸が介錯して、首は本能寺から脱出出来た弥助辺りが持ち去り正親町天皇に渡り、後に秀吉(正親町天皇の御落胤)に京都の船岡山に埋めさせて、北朝守護の呪術の道具として信長の首を使ったそうです。(私見:秀吉には指が6本あったそうで、昔は奇形が生まれると殺すか捨てるかしていたので、秀吉がコッソリ何処かに捨てるか預けられたとしたら御落胤と言うのもうなずける)家康は大坂冬の陣で真田信繁に狙撃されて死亡、陣中にいた天海が全てを隠して本当の竹千代と入れ替えたとの事。家康には同年同月同日に正妻と側室に子供が生まれていて、今川に預けられ後に武将として活躍したのが側室側の竹千代、正妻の方は寺に預けられ僧侶として生きてたが、武将の家康が死んだので替え玉に使われたと。その家康も後年、天海と春日局が計って鷹狩の時に暗殺したそうです。
明智光秀が後に家康に仕えた天海僧正だった、というと都市伝説で片付けられてしまいますが、それはむしろ色々な証拠をあげすぎるからです。次の2つの事柄だけで十分です。1つは、3代将軍家光と4代将軍家綱の乳母が光秀につらなる重臣の娘であること。将軍の乳母というのはもっとも重要な立場、それを主家ごろしの関係者を任すはずが絶対にないこと。2つめが家康の霊廟である東照宮に明智の家紋が入っていること。天海僧正が明智かんけいの人物でなけれは、これも絶対にないこと。この2つだけで天海僧正は明智光秀、もしくは関係者ということが確定と思う。欧米てわあれは事実として教科書に載ると思う。
やはり説が古い部分がありますね。まず、若年期の光秀は医者だった説を紹介してない。まあ、光秀がどの程度の医療知識レベルがあったのかは解釈がわかれますが、少なくとも京都に邸宅を持っていない間、施薬院全宗という医者の家に泊めて貰っていたので、医者と何らかの繋がりがあったのは間違いない。あと、林原美術館所蔵の「石谷家文書」の内容に触れないのもどうかと。長宗我部氏に対する四国問題が本能寺の変にどの程度影響を与えたかは専門家でも解釈が別れますが、本能寺の変の直前というタイミングを考えれば、光秀の心境に何らかの影響を与えたと解釈したほうが妥当かと。
「明智光秀が優秀過ぎて 信長にあれもこれもと扱き使われた。長年の激務でノイローゼ的に暴発した」という加来耕三の説は結構面白かった😊
天海僧正説は浪漫を感じるけど、年齢的に辻褄が合わない部分もあるようですね。
明智光秀は大河ドラマでも、作品によって全く別人に描かれたりするので謎が多いですよね。
本当の光秀は麒麟がくるのような人物だったのか、どうする家康に出てくるような人物だったのか。
麒麟は観てましたが、どうするは見てませんでした。
ただ信長が光秀に酷い事をしてたり、面目を潰す様な事をしてたら逆に警戒されてると思います。
当時信長に一番近い位置に居たのは光秀だし、もし信長が光秀に恨まれるような事をしてたら、謀反を恐れてそれなりに軍を連れて行くだろうし、信長自身が光秀を舐めきってたとしても、側近が気を効かせて軍を用意すると思います。
となると、信長と光秀の仲は悪くなかったと思われます。
光秀が信長を油断させる為に演じていた可能性は有りますが。
謎と諸説ありだからフィクションにしがいがあるよね。山田風太郎の光秀忍者説はぶっとびすぎて好き。
信長さんが天下人やるの疲れて本能寺のどさくさに紛れて雲隠れした説を密かに唱えてる…。
本能寺は無理に謎にしてるような気もする
個人的には、明智光秀単独説が
あると思うな。
@@ガブリアス-d7p 私もそれ派ですねー
そうかな、まさに日本史史上最大の謎のひとつだと思うけど
宜保愛子さんお願いします!
公家、毛利その他諸々が黒幕だったとしたら変の後の光秀のパヤリ具合がクソほど滑稽になってしまうのよなぁ。
首が見つからなかったのもあるけどやっぱり光秀の単独犯な気がするのよなあ
ルイスフロイスによると、言い方悪いけど相当猫を被るのがうまくて、信長に取り入るのが非常にうまかったと言っている。
明智光秀の孫が土佐に逃れ、祖父の居城に因んで坂本姓を名乗った。
いろんな 説があるのね どれがどれやら😩
自分は外資にいて、本能寺の変みたいなことをよく見るのだけど(部下が上司を追い出すようなことがよくある)、光秀は単なるサイコパスで信長に気に入られるようゴマすりした挙句、権力を手に入れた瞬間(佐久間信盛を讒言で追い落として代わりに畿内の司令官になった)、自分が取って代ろうとしただけだと思います。誤算は秀吉の存在で天才すぎました(秀吉もひそかに天下を狙っていたし、光秀の心を読んでいたと思う)。光秀も勝ち続ければ実力主義の時代ですから人も靡いてきたと思うけど、秀吉の実力が数段上ですぐ潰されてしまった。
最初からそう思っていて、後からルイスフロイスの光秀評があることを知りこう書いてありました。
「アイツはよそ者だったから、織田家内ではほぼ全員から嫌われてましたね。でも、信長からはなんだか愛されてたから、自分への愛を保ちながらそれをさらに加速させるなんとも言えない器用さがありました。加えて裏切りや密会が大好きで、残酷なだけじゃなく独りよがりなところも。ただ、それでいてウソをつくのが上手く、忍耐力も凄かったので、策を任せれば達人でしたね。光秀は誰よりも信長のご機嫌取りが上手で、そのための準備は徹底していました。彼の希望や嗜好には絶対に逆らわないよう心掛け、たとえウソでも流す涙は真実のものに見えるほどです。その天才的なウソっぱちぶりからついに信長を騙しきった結果、とんでもない権力や領地を与えられたんです。」
これに関しては、自分の経験で見てきた世界そのままなので、光秀にもそのまま当てはめたくなります。自分はルイスフロイスの光秀評に共感してます。
佐久間信盛や柴田勝家などプロパーのできない社員と秀吉みたいな突然変異の天才、光秀みたいな有能な転職組の絡みがものすごく現代のサラリーマンの派閥争いに似てると感じてます。
うーむ。
光秀って裏表があって難しいよね。
義に生きてるようで、突然残虐になる。
どちらが本当か分からん。
本能寺の変は黒幕なんていなかっただろうと思うけど、長宗我部への信長の態度とかに腹が立ったのかも知れないし、細川に唆された感じも否めない。
割と人情があるわりに、本能寺の変後は誰も味方につかなかったのも何か解せない。
とかく、すぐに逆上しやすい性格だったのかも知れないなあ。
ただ、人一倍欲深かったようだけど。
天海僧正の説は2人の時代的に有り得んね。
秀吉が首検分しなかったのはそれが光秀の首でないことを分かっていたから。家康、秀吉が二人で光秀に信長似謀反を起こさせ信長を亡き者にした。その後は秀吉と家康が天下を順番に治めようとした。光秀は生き延びて家康に仕えた説がいいけどね。
細川との婚姻を考えれば、本能寺は秀吉が画策して細川が明智を促して発生したんじゃないですかね。
その根にあったのは朝廷が信長を恐れてて、秀吉はそれを隠す共犯者となったんではないですかね。
光秀の光の字はどこから来たんでしょうかね。
与えられた領地から近江の地理に詳しかったのかもしれませんね。
土岐が近江に逃げてた事を考えると、土岐氏の出身という説はそこら辺から出たのかもしれませんし、
濃姫が居るのに織田に反旗を翻した事を考えると、明智荘出身は疑問ですよね。
将軍家や朝倉に近づけたのも理由がありそうです。
頑張り屋な2面性持ちなら、信長の理解者になったのも納得です。
行動から信長よりも年上で、医者だから長生きしてたのかもしれませんね。
森可成が死んで、信長家臣団の大人が足りなくなった事が出世を後押ししたのかもしれません。
八咫烏によると、明智光秀は元々は八咫烏の構成員だったが、その組織から離れた者で後の天海だそうです。
信長の部下として近づき、天下布武の真相を知ったために、光秀と正親町天皇が計って本能寺の変を起こした。
信長の首は森蘭丸が介錯して、首は本能寺から脱出出来た弥助辺りが持ち去り正親町天皇に渡り、後に秀吉(正親町天皇の御落胤)に京都の船岡山に埋めさせて、北朝守護の呪術の道具として信長の首を使ったそうです。
(私見:秀吉には指が6本あったそうで、昔は奇形が生まれると殺すか捨てるかしていたので、秀吉がコッソリ何処かに捨てるか預けられたとしたら御落胤と言うのもうなずける)
家康は大坂冬の陣で真田信繁に狙撃されて死亡、陣中にいた天海が全てを隠して本当の竹千代と入れ替えたとの事。
家康には同年同月同日に正妻と側室に子供が生まれていて、今川に預けられ後に武将として活躍したのが側室側の竹千代、正妻の方は寺に預けられ僧侶として生きてたが、武将の家康が死んだので替え玉に使われたと。
その家康も後年、天海と春日局が計って鷹狩の時に暗殺したそうです。
明智光秀が後に家康に仕えた天海僧正だった、というと都市伝説で片付けられてしまいますが、それはむしろ色々な証拠をあげすぎるからです。次の2つの事柄だけで十分です。1つは、3代将軍家光と4代将軍家綱の乳母が光秀につらなる重臣の娘であること。将軍の乳母というのはもっとも重要な立場、それを主家ごろしの関係者を任すはずが絶対にないこと。2つめが家康の霊廟である東照宮に明智の家紋が入っていること。天海僧正が明智かんけいの人物でなけれは、これも絶対にないこと。この2つだけで天海僧正は明智光秀、もしくは関係者ということが確定と思う。欧米てわあれは事実として教科書に載ると思う。
やはり説が古い部分がありますね。まず、若年期の光秀は医者だった説を紹介してない。まあ、光秀がどの程度の医療知識レベルがあったのかは解釈がわかれますが、少なくとも京都に邸宅を持っていない間、施薬院全宗という医者の家に泊めて貰っていたので、医者と何らかの繋がりがあったのは間違いない。
あと、林原美術館所蔵の「石谷家文書」の内容に触れないのもどうかと。長宗我部氏に対する四国問題が本能寺の変にどの程度影響を与えたかは専門家でも解釈が別れますが、本能寺の変の直前というタイミングを考えれば、光秀の心境に何らかの影響を与えたと解釈したほうが妥当かと。