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私は『死霊』について語りうる一言も持ってはおりませんが、あっという間の30分でした😲鏡さん、本当に深く学んでいらっしゃいますね🤔驚きです‼️『カラマーゾフの兄弟』→『死霊』→『X埴谷』そして『X執行』という壮大な流れに想いを致しつつ、何も分からないままに非常に楽しく拝聴できた動画であったと共に、瑣末な事象に囚われ続けている自分自身も改めて認識することができました😔しかし私の生命も宇宙の意志の中での何らかの必然性を持っているのならば、「涙の一粒と共に魂の奥底を躍動させてやろうじゃないか」という勇気も湧き立ってきました😄ありがとうございました✨🫡💫吉村昌也
生命の躍動❗「あっは」「 ぷふい」大文学者である執行社長の語る宇宙論は偉大で崇高 そして深淵で面白いです。いつも有難うございます。
「死霊」を読んでいるときもワクワク!このお話を聞いているときもワクワク!次回、ものすごく期待してま〜す!ありがとうございました!
執行先生は埴谷雄高を語ってらっしゃる時が一番、生き生きしていますね😊私も『死霊』ゆっくりですが読んでいます。宇宙の本質、生命の本質を掴みたいと思います!!またこの動画も何回も見ます!😊誰よりも執行先生を慕う草平。
宇宙の生命の意志…誰にでも必ずある。感動いたしました!魂の奥底に行けるよう大文学に挑戦します!
このシリーズでこのチャンネルにハマって1ヶ月毎日観てます。失楽園とファウストも買いました。死霊も読みたいです。
今回の動画で宇宙、魂、生命の淵源を問い続ける姿勢を常に持ち続け読書に励まなければと学びました。あっは!ぷふい!と挑まなければと肝に銘じます。ありがとうございます。
13:51偉大な哲学者でありながら、少年のような面影を見せてくださる執行先生が大好きであります。😊執行先生の部下小山草平。
地上から離れた宇宙を感じました。物事を俯瞰して見ているような不思議な感覚です。次回の動画も楽しみにしています😊🚀👿
サタン…ルーシェルは、開放されたけれど様々まだまだ悪霊に転じた霊もまだまだいるらしいそして今混沌としているようで希望の時でもあるらしい😊【信じるか信じないかは、あなた次第の世界ですね】
私も、あっは、ぷふい!と叫んでこれからの人生を走り続けたいと思います。執行社長の「死靈」続編、期待しております。
とても刺激を受けました。僕も青のエスプリ様同様に、神から始まったという考えなのですが、人間が自ら神との関係性を切り、物質文明へと突入してきたこれまでの歴史を見て、初めに神から与えられた命を認識し直すには、人間としての苦悩、呻吟を取り戻さなければならず、それには必ず、肉と骨というものが必要なのだというように社長の思想を解釈しています。信仰と自我との闘いが宗教だと思います。強烈な自我は強烈な信仰心を生み、自我の無い信仰は危険なだけのカルトです。内村鑑三全集40巻は僕の枕元に鎮座しております。
内野さまこちらこそ、良い刺激を受けています❣️ありがとうございました。
死霊、読みたいのに、手に入らず💦悔しいので、めっちゃ体当たりしまし!!🎉
ホーキング博士だったと思いますが、生命が誕生する確率は、バラバラの時計の部品を揺さぶって、偶然に元の時計に組上がる確率よりも低いと言っていました。 埴谷雄高を経てX執行草舟への文学的変遷の中に、にゃんぷりーとの「いいことにきづいちゃった」の歌詞の内容にシンクロするものを感じました。般若心経ですね。面白いです。ありがとうございます!いつも本題に入らず仕舞いなのが社長の本領だと思ってます。脱線=運命(自分の思ってもみない事)ですね。要は本題はテメエで掴め!と、こう解釈してます!
内野さま本題はテメエで掴め!ごもっともです。答えもね!🤣
@@Esprit-vn1rh青のエスプリ様へ僕は、孤独と運命は言葉としては違いますが、意味は同じだと思ってます。この孤独と運命を抱きしめた者の共感、共通認識が本題を掴むことだと思ってます。
内野さま共通認識があれば、本題はあって無いようなもの、本題に入らなくても良い、と受け取りました😊先の私のコメントについて。死霊にも出て来るフラーゲ・デーモン。私を含め現代に多いタイプ。一足飛びに答えが知りたい、何かを得たいと、深く考えもせず、質問ばかりしているデーモンです。そもそも真理は流体です。社長は、質問者とその場に応じてご回答をされておられるかとお察しいたします。聴衆は言葉自体に囚われます。よって社長の御回答を聞いても、聞いた人によって受け取り方は千差万別。自戒を込めて、自分で答えを考えろ、と言う意味でコメントしました😅
ゲーテやミルトンをはじめとした偉大な文学者や歴史上の偉人とポン友になりたい。。。まだまだ、読み込みが不足していると常々感じます。死霊は、まだ読んでいませんが、読むのが楽しみです。続編をお願いします!!
霊界は、あると思いますそしてもっと善なる霊的存在の助けが、ほしいなぁ❤
うお〜〜〜!!!楽しい回でした!!超読書論シリーズ化したんですね!!『鏡子の家』をぜひお願いします!!!
こんにちは いつもお世話になりありがとうございます。臍下3寸にあたる部分が重要と聴いたことがありますが宇宙的エネルギーを出し入れできる人間の身体、やはり良くできていてすごいですね。
『死霊』は、先週から再読しています。初めて読んだときは、ちんぷんかんぷんで投げ出してしまいましたが、今回は、分からなくても最後まで読み通そうと思って読み出しました。現在は四章の半ばくらいですが、初読時に、なぜ投げ出したのか、と思ってしまうほど、読むのがやめられません。『不合理ゆえに吾信ず』も、最初はさっぱりでしたが、いまでは魂にずばずば入ってきます。この調子で、最後まで読んでゆきます。
岡野康子です社長に伺いたいのですが、我々が誕生し生きる理由は宇宙が存在する為に、我々が生まれたのだと思いました。以前の動画で、昆虫は菌を生かす為に生きて居る様に人間も又、宇宙を生かす為にある、そう思ったのですが、間違いでしょうか。
その通りです!そのために存在しています。
あっは、ぷふい!よっしゃー!📕🛸イキマース!続編お待ちしております🍄
とても面白い内容であっという間の30分でした。「あっは」は私も今までずっとドイツ語のAchだと思っておりましたがそんな表面的な意味ではなかったのだと反省しております。。生命の躍動だったのですね。また、Ich-Ich=デーモンは「我」という表面上のステータス、外皮のようなものを消し去ると浮き出てくる魂のことなのではないかと思いました(魂とは実はデーモンなのではないかと思いました)それを踏まえて、自分が自分であることに不快を感じる自同律の不快が出てくるのではないかと思いました。しかし実は不快ではなくて、不快であることが宇宙に存在していることそのもので、デーモンであり魂であり不快であることがレゾンデートルなのではないかと思いました。第三段も楽しみにしております。
イデア論と唯物論は真逆な思想ですニャ😺
魂の復活のために善霊の助けを得ながらもっともっと神様の世界と通じたいです〜
社長!いくら長くなっても構いませんぜ!いっちょお願いします!
よっしゃー!ぎゃーてーぎゃーてーで 一丁やりまっせー!!! 💃🏋♀
死霊 読み始めましたが頭おかしくなりそうです。ギブアップです😥
死霊読みはじめまた。わかんないです。難解です。
X執行さん!イッヒ・マイナス・イッヒ イコール・デーモンと友達になりちゃぃ👶
リルケの悲歌の「ないのない、どこでもないところ」について。社長はご著書で「永遠と交叉する別れの真の場所、永遠と自分が交叉する場所」と記述されておられます。私は、仏教の彼岸、煩悩の流れを超えた彼岸の岸の、涅槃の地、つまり悟りの境地(ニルヴァーナ)と捉えています。3次元には無い所です😊死霊について。イッヒ・プラス・イッヒ・イコール・イッヒは、自分にどこまで自分を足そうと、自我を脱することは出来ない。我執、妄執に留まる。自分止まり。イッヒ・マイナス・イッヒ・イコール・デーモンについて。自分を脱する、つまり無我の境地に達すれば、デーモン・イコール暗黒流体、宇宙の本体と同一化が出来る、と捉えています。ありがとうございます。死霊についての別の切り口の続編、楽しみにしています❣️
青のエスプリ様へイッヒ+イッヒ、イッヒ―イッヒの解釈は僕も同感です。僕は両方にデーモン性があると思っていて、誠が有るか無いかの違いだと思ってます。イッヒ―イッヒは悲哀を生み、イッヒ+イッヒは共喰いに繋がるのだと思います。
内野さまコメントありがとうございます。うーむなるほど🤔共喰いの発想は新鮮でした。もともと潜んでいるデーモンが表に出て来るかどうか?なんですね… 共食いになるということは自滅ですね。誠があれば、エネルギーは外に向かい、誠が無ければ、エネルギーは内に向かうから、共食い、自家中毒、自滅…😓ところで、ニルゲンツ・オーネ・ニヒトについて、↑コメント欄に、新しいコメントを入力しました。ぜひ、ご意見をお聞かせ下さい🙏
内野さまコメントありがとうございます。共食いの発想、新鮮でした!誠があれば、エネルギーは外に向かうが、誠が無ければ、エネルギーは自分に向かうから自家中毒、共喰い、自滅😰ところで、この死霊のコメント欄に、ニルゲンツ・オーネ・ニヒトについて、新コメントを投稿しました。誠に恐縮ですが、ご意見をお聞かせ下さるととても嬉しいです🙇♀️
@@Esprit-vn1rh青のエスプリ様へ新コメントが上がってないようです。不具合でしょうか?
内野さま当該コメント、再投稿しましたが、念の為、こちらにも記載しますね!Nirgends ohne Nicht. ニルゲンツ・オーネ・ニヒト(ないのない、どこでもないところ)について。否定の意味の「ない」が連続して3つ。仏教の「無」に言う、「無」を突き詰めた先にあるものだと捉えています。以前社長が紹介されておられた、松本零士さんの言葉「遠く時の輪が接する処でまた会える」に繋がりますね。東洋西洋で表現は異なるものの、同じ処を表現していたのだ、と思いました。ありがとうございます。追伸: 否定の意味の「ない」を除いた処はどこにも無い、と私は訳しましたが、同じような意味になりますね。
池田昌子さんについて語ってほしいです。本は素晴らしいのにネットやTH-camではほぼ取り上げられていません。「あるのに無い、無いのにある」の不可思議さをもっと教えてほしいです。
池田は死んでもわたし は死なない池田晶子さんのこの言に帯津良一氏が最近感銘を受けたと著書で述べられていました。
「死霊」なる本は読んでいません!死霊地霊魂魄の拘わりは不浄であるか?指針であるか?江戸の町には地方からよくぞ死地と選んでくれた!人柱の上の繁栄を感じています。
大昔、埴谷雄高にお会いした時、「青服の男、黒服の男、と主語で書いてないでしょう? この二人の男はこの墓地に棲んでいる幽霊なんです」と『死霊』の秘密の一つを教えて貰いました。あれから長く時間が経ちましたが、指摘している方は存在しないように思います。『死霊』に就いて更に語って欲しく思います。
私は『死霊』について語りうる一言も持ってはおりませんが、あっという間の30分でした😲
鏡さん、本当に深く学んでいらっしゃいますね🤔驚きです‼️
『カラマーゾフの兄弟』→『死霊』→『X埴谷』そして『X執行』という壮大な流れに想いを致しつつ、何も分からないままに非常に楽しく拝聴できた動画であったと共に、瑣末な事象に囚われ続けている自分自身も改めて認識することができました😔
しかし私の生命も宇宙の意志の中での何らかの必然性を持っているのならば、「涙の一粒と共に魂の奥底を躍動させてやろうじゃないか」という勇気も湧き立ってきました😄
ありがとうございました✨🫡💫吉村昌也
生命の躍動❗「あっは」「 ぷふい」
大文学者である執行社長の語る宇宙論は偉大で崇高 そして深淵で面白いです。
いつも有難うございます。
「死霊」を読んでいるときもワクワク!このお話を聞いているときもワクワク!次回、ものすごく期待してま〜す!ありがとうございました!
執行先生は埴谷雄高を語ってらっしゃる時が一番、生き生きしていますね😊私も『死霊』ゆっくりですが読んでいます。宇宙の本質、生命の本質を掴みたいと思います!!
またこの動画も何回も見ます!😊
誰よりも執行先生を慕う草平。
宇宙の生命の意志…誰にでも必ずある。感動いたしました!
魂の奥底に行けるよう大文学に挑戦します!
このシリーズでこのチャンネルにハマって1ヶ月毎日観てます。失楽園とファウストも買いました。死霊も読みたいです。
今回の動画で宇宙、魂、生命の淵源を問い続ける姿勢を常に持ち続け読書に励まなければと学びました。
あっは!ぷふい!と挑まなければと肝に銘じます。
ありがとうございます。
13:51偉大な哲学者でありながら、少年のような面影を見せてくださる執行先生が大好きであります。😊
執行先生の部下小山草平。
地上から離れた宇宙を感じました。物事を俯瞰して見ているような不思議な感覚です。次回の動画も楽しみにしています😊🚀👿
サタン…ルーシェルは、開放されたけれど
様々まだまだ悪霊に転じた霊もまだまだいるらしい
そして今混沌としているようで希望の時でもあるらしい😊
【信じるか信じないかは、あ
なた次第の世界ですね】
私も、あっは、ぷふい!と叫んでこれからの人生を走り続けたいと思います。執行社長の「死靈」続編、期待しております。
とても刺激を受けました。僕も青のエスプリ様同様に、神から始まったという考えなのですが、人間が自ら神との関係性を切り、物質文明へと突入してきたこれまでの歴史を見て、初めに神から与えられた命を認識し直すには、人間としての苦悩、呻吟を取り戻さなければならず、それには必ず、肉と骨というものが必要なのだというように社長の思想を解釈しています。信仰と自我との闘いが宗教だと思います。強烈な自我は強烈な信仰心を生み、自我の無い信仰は危険なだけのカルトです。内村鑑三全集40巻は僕の枕元に鎮座しております。
内野さま
こちらこそ、良い刺激を受けています❣️ありがとうございました。
死霊、読みたいのに、手に入らず💦悔しいので、めっちゃ体当たりしまし!!🎉
ホーキング博士だったと思いますが、生命が誕生する確率は、バラバラの時計の部品を揺さぶって、偶然に元の時計に組上がる確率よりも低いと言っていました。
埴谷雄高を経てX執行草舟への文学的変遷の中に、にゃんぷりーとの「いいことにきづいちゃった」の歌詞の内容にシンクロするものを感じました。般若心経ですね。面白いです。ありがとうございます!
いつも本題に入らず仕舞いなのが社長の本領だと思ってます。脱線=運命(自分の思ってもみない事)ですね。要は本題はテメエで掴め!と、こう解釈してます!
内野さま
本題はテメエで掴め!ごもっともです。答えもね!🤣
@@Esprit-vn1rh
青のエスプリ様へ
僕は、孤独と運命は言葉としては違いますが、意味は同じだと思ってます。この孤独と運命を抱きしめた者の共感、共通認識が本題を掴むことだと思ってます。
内野さま
共通認識があれば、本題はあって無いようなもの、本題に入らなくても良い、と受け取りました😊
先の私のコメントについて。死霊にも出て来るフラーゲ・デーモン。私を含め現代に多いタイプ。一足飛びに答えが知りたい、何かを得たいと、深く考えもせず、質問ばかりしているデーモンです。そもそも真理は流体です。社長は、質問者とその場に応じてご回答をされておられるかとお察しいたします。聴衆は言葉自体に囚われます。よって社長の御回答を聞いても、聞いた人によって受け取り方は千差万別。自戒を込めて、自分で答えを考えろ、と言う意味でコメントしました😅
ゲーテやミルトンをはじめとした偉大な文学者や歴史上の偉人とポン友になりたい。。。
まだまだ、読み込みが不足していると常々感じます。
死霊は、まだ読んでいませんが、読むのが楽しみです。続編をお願いします!!
霊界は、あると思います
そしてもっと善なる霊的存在の助けが、ほしいなぁ❤
うお〜〜〜!!!楽しい回でした!!
超読書論シリーズ化したんですね!!『鏡子の家』をぜひお願いします!!!
こんにちは いつもお世話になりありがとうございます。臍下3寸にあたる部分が重要と聴いたことがありますが宇宙的エネルギーを出し入れできる人間の身体、やはり良くできていてすごいですね。
『死霊』は、先週から再読しています。初めて読んだときは、ちんぷんかんぷんで投げ出してしまいましたが、今回は、分からなくても最後まで読み通そうと思って読み出しました。現在は四章の半ばくらいですが、初読時に、なぜ投げ出したのか、と思ってしまうほど、読むのがやめられません。『不合理ゆえに吾信ず』も、最初はさっぱりでしたが、いまでは魂にずばずば入ってきます。この調子で、最後まで読んでゆきます。
岡野康子です
社長に伺いたいのですが、我々が誕生し生きる理由は宇宙が存在する為に、我々が生まれたのだと思いました。
以前の動画で、昆虫は菌を生かす為に生きて居る様に人間も又、宇宙を生かす為にある、そう思ったのですが、間違いでしょうか。
その通りです!そのために存在しています。
あっは、ぷふい!
よっしゃー!📕🛸イキマース!
続編お待ちしております🍄
とても面白い内容であっという間の30分でした。「あっは」は私も今までずっとドイツ語のAchだと思っておりましたがそんな表面的な意味ではなかったのだと反省しております。。生命の躍動だったのですね。
また、Ich-Ich=デーモンは「我」という表面上のステータス、外皮のようなものを消し去ると浮き出てくる魂のことなのではないかと思いました(魂とは実はデーモンなのではないかと思いました)それを踏まえて、自分が自分であることに不快を感じる自同律の不快が出てくるのではないかと思いました。しかし実は不快ではなくて、不快であることが宇宙に存在していることそのもので、デーモンであり魂であり不快であることがレゾンデートルなのではないかと思いました。第三段も楽しみにしております。
イデア論と唯物論は真逆な思想ですニャ😺
魂の復活のために善霊の助けを得ながら
もっともっと神様の世界と通じたいです〜
社長!いくら長くなっても構いませんぜ!いっちょお願いします!
よっしゃー!ぎゃーてーぎゃーてーで 一丁やりまっせー!!! 💃🏋♀
死霊 読み始めましたが頭おかしくなりそうです。
ギブアップです😥
死霊読みはじめまた。
わかんないです。
難解です。
X執行さん!イッヒ・マイナス・イッヒ イコール・デーモンと友達になりちゃぃ👶
リルケの悲歌の「ないのない、どこでもないところ」について。社長はご著書で「永遠と交叉する別れの真の場所、永遠と自分が交叉する場所」と記述されておられます。私は、仏教の彼岸、煩悩の流れを超えた彼岸の岸の、涅槃の地、つまり悟りの境地(ニルヴァーナ)と捉えています。3次元には無い所です😊
死霊について。
イッヒ・プラス・イッヒ・イコール・イッヒは、自分にどこまで自分を足そうと、自我を脱することは出来ない。我執、妄執に留まる。自分止まり。
イッヒ・マイナス・イッヒ・イコール・デーモンについて。自分を脱する、つまり無我の境地に達すれば、デーモン・イコール暗黒流体、宇宙の本体と同一化が出来る、と捉えています。ありがとうございます。
死霊についての別の切り口の続編、楽しみにしています❣️
青のエスプリ様へ
イッヒ+イッヒ、イッヒ―イッヒの解釈は僕も同感です。僕は両方にデーモン性があると思っていて、誠が有るか無いかの違いだと思ってます。イッヒ―イッヒは悲哀を生み、イッヒ+イッヒは共喰いに繋がるのだと思います。
内野さま
コメントありがとうございます。うーむなるほど🤔共喰いの発想は新鮮でした。もともと潜んでいるデーモンが表に出て来るかどうか?なんですね… 共食いになるということは自滅ですね。誠があれば、エネルギーは外に向かい、誠が無ければ、エネルギーは内に向かうから、共食い、自家中毒、自滅…😓
ところで、ニルゲンツ・オーネ・ニヒトについて、↑コメント欄に、新しいコメントを入力しました。ぜひ、ご意見をお聞かせ下さい🙏
内野さま
コメントありがとうございます。共食いの発想、新鮮でした!誠があれば、エネルギーは外に向かうが、誠が無ければ、エネルギーは自分に向かうから自家中毒、共喰い、自滅😰
ところで、この死霊のコメント欄に、ニルゲンツ・オーネ・ニヒトについて、新コメントを投稿しました。誠に恐縮ですが、ご意見をお聞かせ下さるととても嬉しいです🙇♀️
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青のエスプリ様へ
新コメントが上がってないようです。不具合でしょうか?
内野さま
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Nirgends ohne Nicht. ニルゲンツ・オーネ・ニヒト(ないのない、どこでもないところ)について。
否定の意味の「ない」が連続して3つ。仏教の「無」に言う、「無」を突き詰めた先にあるものだと捉えています。以前社長が紹介されておられた、松本零士さんの言葉「遠く時の輪が接する処でまた会える」に繋がりますね。東洋西洋で表現は異なるものの、同じ処を表現していたのだ、と思いました。ありがとうございます。
追伸: 否定の意味の「ない」を除いた処はどこにも無い、と私は訳しましたが、同じような意味になりますね。
池田昌子さんについて語ってほしいです。本は素晴らしいのにネットやTH-camではほぼ取り上げられていません。「あるのに無い、無いのにある」の不可思議さをもっと教えてほしいです。
池田は死んでも
わたし は死なない
池田晶子さんのこの言に帯津良一氏が最近感銘を受けたと著書で述べられていました。
「死霊」なる本は読んでいません!死霊地霊魂魄の拘わりは不浄であるか?指針であるか?江戸の町には地方からよくぞ死地と選んでくれた!人柱の上の繁栄を感じています。
大昔、埴谷雄高にお会いした時、「青服の男、黒服の男、と主語で書いてないでしょう? この二人の男はこの墓地に棲んでいる幽霊なんです」と『死霊』の秘密の一つを教えて貰いました。あれから長く時間が経ちましたが、指摘している方は存在しないように思います。『死霊』に就いて更に語って欲しく思います。