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源氏物語から平家物語への繋がりは私もゾワってきました。
道長の出家に対し倫子の驚愕と納得のいかない心持ちが、強く印象に残った。これからまさにこの世の春を迎える最高の時になぜ出家するのか?理解できない気持ちと今まで自分が物心両面で支えてきたのにという落胆と失望にあふれていた。”許せ”と言い立ち去る道長を見つめる彼女の横顔の表情が素晴らしかった。大げさに感情表現することもセリフで示すのでもなく、その佇まい、見つめる目力、わずかに開いた口元により倫子の無念を瞬時に切り取っていた。かすかに開いた口元は、今まで言わずにいたことがあるような、何かそれを言いたげなようにも感じられた。セリフのない短いショットで感情を表すだけに、こういう場面が真に俳優の演技力を示してくれる。黒木華さん、名演だった。
帝も中宮も倫子の家系から出すことができたけど、この人の心ははそれで満たされたのか?と思ってしまいました。
@@パン大好き-s4i さん このドラマではまひろの存在等で倫子は何かしら満たされない思いを抱えているように描かれていますが、一家三后を為し、自身の孫が天皇家を継承するということは当時としては望み得る最高のものなので、おそらく史実では満足だったと推察します。仮に他の妻への嫉妬の感情があったとしても、堂々たる正妻の地位は盤石であり、彼女としては何も恥じることのない大成功と感じていたように思います。
@@cancan5892 これを読んでホッとしました。
実際には道長に最も尊重され、頭の上がらない女性だったのだと考えています。
@@けんけん-b7e さん そうですね。倫子の実家の財力と舅の地位の高さにより大いに援助されていたでしょうから、道長も彼女の存在に感謝していたと思います。
賢子の子孫が平氏に繋がるとは存じませんでした。新しい知見をありがとうございます
残りの放送回数から言って、華やかな恋愛模様の尺はなさそうですが...賢子のスピンオフドラマ、やっていただけるなら全力で見ます!
源氏物語の中で詠まれた歌はいい歌が多いけれど、紫式部集では堅苦しい歌が多い、と言うのがとても面白いなぁと思いました。確かに、源氏物語の中で歌を詠んでいるのは光源氏であり、紫の上でありと、登場人物ですものね。自分では素直に歌えなかった感情が、他人の仮面を使うことで詠めたと思うと、面白いなぁ。
紫式部を描いた小説でも、紫式部は目の前で起こる現実に即して歌を作るより、物語で設定した人物の気持ちになることで、歌を生み出す方がやりやすいとしていました。
ドラマではまひろ、少女時代に代作のアルバイトしてたから、なりきって歌を詠む修行になったのか?!😂と思いました。が、いやいや、史実のお話でしたね。
@@パン大好き-s4i 何という題名の小説ですか?もし良かったら、教えてくださると嬉しいです!読んでみたい!!
@@オキザリス-g8g 確かにドラマの最初にやってましたね!!あの時から素地はあったってことなのか!!すごい伏線だー!!
人の繋がりを知っていると歴史は楽しい物ですね。きりゅうさんの知識の奥深さに感心しきりです
賢子ちゃんのお話、面白かったです!源氏物語から平家物語に繋がっていたとは!驚きです。恋多き賢子ちゃんの洒落た和歌が素敵だと思いました❤
ドラマでは、まひろが大宰府に行きましたが、史実では賢子が大宰府に 2回も行ってるのですね。あの時代にそんなに遠出するとは、行動的な人だったのですね。
まひろと賢子が仲良くなってホッとしています。
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗賢子さんが道長さんの子供であるとした今回のドラマですが何でも史実どうりにするのであれば大河ドラマはその時代その人物を一回やればそれで終わりになってしまうので色々な解釈でやってくれてありがたいです。道長さん45回目してやっと賢子さんを自分の子供と知ったみたいな感じでしたがこの人とことん三郎なんだなぁ~と思いました😅😅😅
ほんと鈍感道長〜
今回のドラマ光る君へで佐々木蔵之介さんが余りに見事に演じてくださったので、今までさほど知らなかった藤原宣孝は完全に佐々木蔵之介さんが演じた藤原宣孝像に固定されてしまいました😂それだけに史実の藤原賢子はいかにも宣孝さんのDNAを受け継いだ感じと思えます😊
紫式部はバツイチとして年齢もいってから宮仕えしたので、青春の段階から宮仕えで純粋培養された大弐三位はかなりキャラが違いますね。当時としてはもっとも恵まれたキャリアウーマンだったのかもしれない。
有名人2世としては、初代の母紫式部と遜色ない出世ぶりです。母譲りの和歌の才はもちろんですが、それ以上に後冷泉天皇の乳母となり、彼が後に天皇になったことが大きいと思います。後冷泉天皇の即位で、賢子は従三位を授けられ、女官トップの内侍にもなっています。天皇を幼少から育てた賢子は、母親同様に思われるほど天皇に信頼されていたようです。その天皇が即位後に生まれたご落胤の扱いも彼女が担当し、自分の息子の養子として引き取ってしまうという最善の方法を取っています。やり手公卿並みの策略であり、見事です。天皇がこれほど何でも包み隠さず語れる乳母は、あまりいないでしょう。後冷泉天皇の崩御の後は、天皇の日記まで引き取り全てを覆い隠すという周到さは、まさに乳母の鑑です。賢子も他の女性陣同様かなりの長生きで、平安貴族女性の底力を感じさせます。
親の七光りなんて言われず、母にはないキャラを生かして上手く世渡りした賢子は恐るべしですね。
@@パン大好き-s4i さん それでも、祖父為時や母紫式部の存在は大きいと思います。彼らの家の学識を尊ぶ気風や母の薫陶は知らず知らずではあっても、賢子の性格や行動に大いに影響を与えたと思います。七光ではないけれど、蛙の子は蛙は当たっているように感じます。
内侍の中のどの階級だったのでしょう?トップの尚侍ではないような?
現代で言ったら、キャリアウーマンの最たるものでしょう。しかも、それが嫌みではない、強さがあって、小倉百人一首の中で、小式部内侍と同世代でありながら、家柄も向上させた感じがあります。 高階貴子(儀同三司母)と同族の高階成章(たかしなの なりあき)は、蓄財の才から欲の大弐と言われたりしたらしいですが。 何しろ大宰大弐になるまで高階氏の浮き沈みを見聞しているはずで、現代の感覚ではないだろうけど、正室の賢子が後冷泉天皇の乳母である事もあって、次第に再興した感覚はあったでしょうね。
内侍じゃなくて、トップは典侍でしたね😣💦⤵️ホントのトップ尚侍は天皇のきさきになっちゃうからってきりゅうさんがおっしゃってましたもんね。四等官制は勉強中なので、パッとでてこなくて、すみませんでした😣💦⤵️
プレイボーイ定頼、クレジットには出てなかったですが、字幕では叙位の儀の際に「(左右大臣が来ない理由が)わかりません💦」とセリフを言ってました。姿は遠目にしか見られなかったですが😢 たぶん蔵人頭っぽいかんじでした。1年間大河を深掘りしてきたおかげで、賢子の子孫のことも興味深い感情がいだけました。感謝です。
学才の為時ジジ、豪快な宣隆パパ、ベストセラーの紫式部ママからの、華やかな人生の賢子ちゃん。だけでなく、子孫が時代の頂点に立つ一族につながるとは、大弐三位を主とした歴史物語をきりゅうさんに書いてほしいです。
賢子が自分の子って知って遠くから盗み見る道長パパの後悔だらけの表情よ😅気づくチャンスはたくさんあったのにね😊
😮😮😮おーー繋がる、繋がりました。家系図など、観たり、調べたりするのも好きだから、😊😊😊
いつも楽しいお話をありがとうございます❤次回の予告を見て気になったことが‥‥乙丸、多分きぬさんへのお土産かな?紅っぽいのを買ってて、前に『紅も買わせてくれない』って言ってたから買ったのかなぁってほっこりしたんだけど、その後、あれ?わざわざこのシーンを予告でやるって事は‥乙丸死んじゃうの?って思ったんですけど、皆さんはどうですか?
おパンツ取られて大切なところも酷いことされた。。。ラットさん、よい表現です。よく先生の話を憶えてましたね。感心。
清少納言の娘である小馬命婦や、和泉式部の娘小式部内侍と出会うシーンとかあれば面白そうだな思いましたが、無さそうですねえ。
まさかの平重盛登場😮
源氏物語から平家物語への、下り面白い❤😊ありがうごさいます。❤❤😊😊
賢子が異性にモテるところや世渡りのうまさは、宣孝譲りだと思います。紫式部が賢子宮仕え以降も長生きしてたらいいなと思います。賢子の華々しい将来まで、この大河ドラマでは描く尺はなさそうで残念。スピンオフがあったら見たいわー。賢子って強運を持ってる女性でしたね。
賢子が後冷泉天皇の乳母になるには、彰子か道長の推薦があったのでしょうね。ドラマ的には道長が強引に乳母にしたことにしたら面白いけど。
すご〜い! 賢子の生涯がこんなに面白いなんて
堅子さんは柔軟で自由で好きですね😊頭の良さはちゃっかり母親から受け継いでいるのもまた素敵😁
土御門天皇の外祖母の藤原範子とその姉妹の兼子も大弐三位の子孫なんですよね。大弐三位の子孫はスゴイ広がりですよね。
本当にねぇさん方今回もありがとうありがとう🎉🎉🎉
源氏物語から平家物語✨に‼️😮😮😮
大宰府で道真公の梅ヶ枝餅が食べたいです。ちゃんと名物も出てくるあたり拘りが凄いと思いました。
「会うたびになんか探してる」って、自分のことを言われている気がしてドキッとしました。狭い家なんですが、なぜか必要な物が見つからないんです。
賢子ちゃんが、宮仕えを始めて他の女房たちと挨拶をして呼び名を与えられた時、母のように不服を申し立てるかと思ったらすんなり受け入れたので、おお!母よりも大人じゃんと思ってしまいました
賢子はやはり宣孝の子で三郎の子では無い!には激しく同意します👌栄華を極めて望月の歌を詠んでも後世の人にここまで言われる道長って💦
賢子という名前が伝わっているだけで、母や清少納言などより高位だったということがわかる。史実では、道長の出家は病気のためとされているが、ドラマでは、まひろに去られ、同時に賢子が娘と知り罪の意識にさいなまれたことも原因のようだ。ドラマでは賢子は異母姉の彰子に仕えることになる。道長は自分の娘は皆、后になったりしているのに、愛する人との娘を女房にしてしまった、という事実に相当苦悩したはず。しかもオープンにできないが、彰子がもし知ったら激怒しただろう(ドラマでの話)。道長は彰子に歯が立たなかったらしいから、彰子は道長の弱みを握っていた、というのもあながちあり得なくはないだろう。
大出世の賢子のお話、とても面白かったです😊母子で宮中で活躍し、文才もあるとはすごいです他の2代に渡っての宮仕え女房のお話も聞いてみたいです😊
くーさんと反対で、部屋がちらかっていても何処に何が有るかは何故かちゃんと把握している人も世の中にはいるwwww
威子と後一条天皇のその後が気になります。動画お願いします🙏✨✨
大弐三位が紫式部の娘だった!で、三位は自分で乳母をやりとげて勝ち得た地位というのを今年知りました!百人一首をもう一度勉強し直してます!きりゅう先生の話で人物がいきいき思い描けます。子供の頃は、坊主めくりしてお姫様達の名前や素敵な十二単をみとれていたのを思い出します😊
賢子の出世は紫式部の七光りかと思ってました。いろんな事が重なって、いろんなふうになるんですね〜😯💨賢子も日記書いてたら、お母さんのその後が書いてないかな〜
身内に「部屋の中にブラックホールがある」タイプの者がおりまする。同じ場所に置くように頼んでも、パズルやテトリスのように移動させて隙間や箱や何処かに押し込んでしまいこんで、そのまま何十年も見つからなくなるのでございます。
賢子ちゃん、凄い女性だったんですね😮❣️天皇の乳母となって女性最高位まで上り詰めるなんて😆 双寿丸との叶わなかった初恋にウルウルしてた私でしたが、まさかの恋多き女性とは。楽しいお話でしたが、ラットさんと同じく名前が変わりすぎて‥💦💦でした。ありがとうございました🙏❣️
平清盛に繋がる話。 凄いわ。
20:30 この歌を芸名にいただいたのが有馬稲子さん
堅子ちゃんがイケイケでしかも長生きって無敵❤今週末ついに(光る君へ展)北九州市門司区の関門ミュージアムに来ます!壇ノ浦を挟んで安徳天皇をお祀りした赤間神宮も有る場所です。必ず梯子して行きます。
ん?いつもと声が違うやんな〜と思ったら!新しいマイクやったんですねぇ、声聞こえやすくなった気がします!
文才があって恋愛も上手い仕事も出来て出世もしてそして健康長生き!前世で地球何回救った?と思うぐらい羨まし出来過ぎ人生賢子さん憧れます
確かに賢子は名前が色々変わってますが、以前きりゅうさんがおっしゃってたように、賢子という名前も位階を授けられたとき、書類に書く必要があったのでその時付けた名前らしいですね。従って位階がないまひろは名前がなかった。倉本さんは講演で、家の中では中の君(次女)と呼ばれていただろうとおっしゃってました。
式部の長女なのに、中の君なのですか?😮
@オキザリス-g8g まひろ のことをです。
@@sS000 さまあ、そうですね!了解了解です♥ちゃんと文を読めてなかった、おはずかしい、ありがとうございます🤗
名前が正式にわかってるって事は、天皇の乳母になってるからなんですかね
くーさん、私も探し物の人生です😢。人の2倍、3倍生きてます😅。きりゅうさんの後ろの写真はどなたですか?
鳥獣戯画は和紙を糊で継いで蒔絵にしているのですが、有名な甲巻などは時代が進むにつれて糊の接着力が無くなってしまい過去には何度もバラバラになったようです。そのため順序が不明になったり散逸した箇所もあり誤って修復されていた様です。近年紙の材質や筆遣いなどの科学的分析から、完成登場の姿に復元されました。絵巻の保管は困難が伴うようですね😅
何か、今日のきりゅうさんのマイクの調子が変っぽい?
質問です。なぜ祖父の越後をとったのですか?父親の役職を女房名に取らなかったのはなぜですか?彼が亡くなってから長いからですか?
名前については私も分からないことが🤷♂️賢子ちゃんが大弐三位なのは、父親の宣孝からきてるのだと、このドラマが始まるまでず~っと思ってたのに😅、ホントは彼女の夫にちなんだものだったと知りました😅これは、賢子ちゃんが嫡妻の子ではないので、「あの子どこの子?」というとき、世間の人は「宣孝家の子」ではなく「為時家の子」と認識していたから?女房名は、機械的に父、夫と決められるのではなく、生計を共にしていた人など、最も身近な人にちなんでつけられるのかな?と思いました。きりゅうさんに正解をききたいですね😊
わたしも、賢子は、宣孝のDNAを色濃く受け継いでいるなぁ、と思っています。ところで、賢子は、祖父為時の任国の越後国にちなみ、越後弁と呼ばれていたようですが、父・宣孝にちなんだ名前にはならないのでしょうか。亡くなっていて後ろ盾ではなくなっているから為時由来なのでしょうか。またご教授いただけたら嬉しいです。また、この動画とは関係ありませんが、百舌彦は、光源氏における惟光のように、道長の乳母子だったりするのでしょうか。乙丸とちひろはどうなのでしょうか。どうぞよろしくお願い申し上げます。
言われてみれば~きりゅうサンの音質は、しっかりと鮮明に聞こえていますよ😃賢子ちゃんが高階成章との子を産んだのは当時でも高齢出産と思われる三十代後半だったのですね❗タイミングが合ったとはいうものの、受領階級出身の賢子が親仁親王の乳母に推挙されたのは、かなりの抜擢だと思うのですが~他に何か特別な理由があったのでしょうか❓功労者の式部の娘ということがキーポイントかな・・・❓紫式部の歌が~源氏物語作中の歌と本人として詠んだ歌との間で、作風が異なるとのこと、面白かったです😃式部として詠うならば、本人の心がどうしても出ますよね・・・でも作中人物になったつもりで歌を詠むならば~そこにぴったりの情感を込められるのであれば、式部の歌の実力も中々のものだと思います❗
きりゅうサンの音質、私のスマホでは今回 はじめてクモって聞こえて聞きづらかったんですが…🥲前回までの動画のほうが、モノクロマイクっぽくなくて 聞こえやすかったです私と同じように聞こえたかたもいらっしゃったでしょうか?
@@ゆきまる-h6z さん、スマホで確認するとたしかに・・・私がPCで視聴した時は鮮明に感じたのですが😅
お乳をあげる乳人だから、乳人(親王の乳人だから複数人いると思いますが😅)の中では上の方の人ではなかったのかな?
@@user-65pok 複数の乳母。なるほど!お乳の出の良くない時も有り得ますからね・・・
@@user-65pok 複数の乳母。なるほど!お乳の出が良くない時も有り得ますからね!
角田文衞『現在に続く血脈 紫式部』(『角田文衞の古代学1 後宮と女性』吉川弘文館に収録)紫式部の子孫の系図が記載されています。非常に詳細です。系譜は天皇の系統にも連なります。
乙丸に死亡フラッグ感じたの私だけかな?気のせいだったらごめんなさい。きぬさんがわざわざこの人を!って言ったのが気になって…
乙丸は不死身と信じたい😂
大弐三位は、父親譲りの性格だったから、現代でいうバリバリのキャリアウーマンって感じで、少し似ている春日局とは違い、華やかさを与えてくれます。 どことなく、書家で有名な行成にも似てますね。祖父と父は小倉百人一首の四十五と五十に選ばれている、謙徳公(本名 伊尹これただ)(伊尹・兼通・兼家の三兄弟)(時の円融天皇の伯父で、東宮<後の花山天皇>の祖父。摂政。)、後少将にまでなりながら天延二年(九七四)に二十一歳で亡くなった。頼れる親戚は、母方の祖父か、孫同士の花山天皇か。 賢子も、父とは物心がつく前に亡くなるわ、母の紫式部が中宮→皇太后彰子のために書いていた『源氏物語』が要約、賢子が宮廷女房として活躍する頃から、盛んに読まれ、母の存在が大きくなっただろうが、母・紫式部は推定で長和三年(1014)頃に死に別れ、翌々年の十四、五、六〜十六、七、八歳の頃に、杖とも柱とも頼む祖父・為時も出家し、1029年に亡くなり、若くして、自分の才と若さを頼みに泳ぎ抜かねばならない。 行成は、母方の祖父のお陰と、血縁関係では祖父の弟である大叔父・兼家と父・義孝の従兄弟道隆・道兼・道長。かなり遠いものの、権力者とは付かず離れず四納言として、、書道家として、世尊寺流を残しました。 大弐三位も、後冷泉天皇が誕生し、宮廷女房から天皇の乳母になった。乳母の権威は大きい。従三位、典侍→大宰大弐の高階成章と結婚したことで、大弐三位となった。男の子と女の子の内、女の子が藤原に結婚したことで、藤原兼子へと繋がっていく。
くーさんのお部屋には物を隠す妖精さんが棲んでいるんですね😅(目の前に探している物があっても目くらましにかかってたりする~)今回の話数「はばたき」道長の声にならない「まひろ~~!!!」って叫んでる声が聞こえるようでした(幻聴とも言う😅)
藤原定頼はたしか蔵人頭役で出ていたと思いますよ。頼通が左大臣・右大臣が出仕しないので部下に確かめていたシーンで。字幕で定頼と記載があったはず。
あんだけの長編をバサァーっとしたら絶望しますね(笑)
あの~アバンチュールと聞いて、昔は避妊とかどうしたのかしら?出来たら産むの時代なのか?気になりました。
賢子ちゃんがいよいよ出仕!せっかくなら、清少納言の娘、上東門院小馬命婦や、和泉式部の娘、小式部内侍と一緒に平安才女二世トリオを組んでほしいところですが、没年や晩年の様子が不明なことからオリキャラに変身した主人公のオリジナルエピソードがメインになりそうですね😂
紫式部と賢子との違いは、前者は源氏物語を書くくらいだから、神(上)の人たちとの対話は上手かったかもしれないが、出世は後者の方が上。人間関係が(も)しもの対話を数多くこなすことのできた後者の方が人々のいろいろな心の琴線に触れることができたから。上よりも下に軍配があがったよい例
藤原定頼というと、あの小式部内侍をおちょくって「大江山」の歌でやり返された人ですね?
源氏物語の不倫の内容をまひろちゃんに書かせるためには本人が不倫の業を背負ってなければならないということを内田さんと大石さんが相談して決められたそうですね
乳母になると、実子は母乳もらえないのでしょうか。
ドラマの賢子で宮中の恋愛を描いたら、恋人が実は兄だったとか、夫の父親が祖母を殺した犯人だったとか、大映ドラマみたいになってしまいそうですね
頭の中がぐちゃぐちゃです😅
ドラマを見て思ったんですがあの乙丸が背負ってる籠の中に何十日(何百日?)の間の旅費も全部入ってるのですか??危なすぎます…当時は銀行とかも無かったでしょうしどうやってお金の管理してたのでしょう
ちょっと疑問に思ったのが、ドラマの中では未だにまひろが藤式部と呼ばれていること。一体いつになったら紫式部と呼ばれることになるのだろうか。
紫式部というのは、現代で言うペンネーム。 女房たちの呼び名は、ふつう父や兄の官職名をとってつけれる。だから、藤原の「藤」と、父の官職名式部丞から、「藤式部」とよばれました。 式部丞 文官の人事一般を取り扱う式部省の三等官。
@@ae3779 ありがとうございます。つまり娘の賢子とは違い、”まひろ“は特に位も上がらなかったので、宮中では公式にはずっと藤式部のままということなんですね。よくわかりました。
越後弁と字面で見たら「い」と「え」がごちゃまぜになった越後方言を話す賢子ちゃんを妄想してしまったのです (゚∀゚)アヒャ
次回予告で、乙丸が紅を買おうとしているようなシーンがありましたが、これってフラグ🚩では…と心配です😥今回の動画とは関係ない話なんですが…
乳母のお乳の量は足りたのでしょうか?母乳も出て出てって人と限界がある人もいますが…あと体力的にも2人にあげるってすごい大変だと思うのですが…どういう仕組みだったんでしょう?我が子と親王とか偉い人の子どもと両方にあげれるものだったんですか?まさか、我が子にあげることができなかったりするわけてばないですよね。
当時は、乳母の子にも乳母がつけられた。自分で我が子にお乳あげるのは、身分の低い者か、とわず語りの主人公の様に第四子をこっそり産んだ時みたいに乳母を雇えない事情があった時。 それに母乳がたくさん出る人もいますよ。父の親戚で子供が生まれる前に夫に死なれた人が、丁度祖母が高齢出産して母乳が出なかったので、自分の子と叔父の両方に母乳を与えた。
@ ご説明ありがとうございます。乳母の乳母💦そういうシステムだったんですね。たくさん出る人もいるとは思ったんですが、出るでないって「〇〇さんたくさん出るから頼むわ〜」とか「わたしでるからやりますよー!」みたいな感じでだったんでしょうか。なんか、現代の人間的には繊細な部分だからどうしてたんだろうと思いました。
@@かの-h3l 後の江戸の将軍様の子供が生まれる時の乳母選びの基準の一つに母乳がよく出るがあって、候補者はそれもアピールしなければならなかった。これは後の世ですけどね。
@@ユミコ-i9c どうもありがとうございます。アピールするものだったんですね。権力者の乳母になるための女の戦いがあったんですね。
昔はミルクもないし、母乳の代用品もないので、今ほど繊細な事ではなかったらしいです。明治生まれの祖母は母の産後の肥立ちが悪くて近所の人に貰い乳をしたそうですし、祖母自身も自分の子供が生まれたときは乳が足りなくて貰い乳をしたそうですよ。女性の胸に性的な価値が出て来たのも戦後なので歴史的には最近ですから…
賢子は史実上は宣孝の娘と言い切っていらしゃいますが道長の娘という説も存在します。
越後弁の弁って何だろう
横から失礼します。為時(ためとき)が、越後守(えちごのかみ)と左少弁(さしょうのべん)という役職をつとめていたからだそうです。
史実ではないだろうけど大河では、道兼が紫式部の母親を殺してるから、賢子は祖母を殺した子供にあたる兼隆と結婚したと言うことか。
三郎ではなかろうwwたしかに!!!賢子ちゃんにって、託したのは源氏物語だけでなく、紫式部が「宮仕えの虎の巻やポイント」実録を書き記して渡したんでしょうし。
この時代の女性は何人も夫を持つことはなかったのですか?夫ではない男性の子供は産めるけど何人もと結婚はしないみたいなかんじですか?婚姻制度なんてないでしょうからどこまで結婚という概念として捉えられていたのかなと思って。
けんし、読みだと、倉沢杏菜ちゃんの膨れっ面が浮かんでしまう😂
賢子さんは、双寿丸を超える男性には出逢えなかった逆にそれが人生を達観することにつながり、長生きしたのかも知れませんね若くして亡くなった人の面影は年老いることはありませんので
兼隆は賢子の祖母を殺した人の息子だから、まひろが結婚を許すのかな。
あれは大河の創作っぽいので、史実からするとあまり関係ないかもしれませんね
源氏物語から平家物語への繋がりは私もゾワってきました。
道長の出家に対し倫子の驚愕と納得のいかない心持ちが、強く印象に残った。これからまさにこの世の春を迎える最高の時になぜ出家するのか?理解できない気持ちと今まで自分が物心両面で支えてきたのにという落胆と失望にあふれていた。”許せ”と言い立ち去る道長を見つめる彼女の横顔の表情が素晴らしかった。大げさに感情表現することもセリフで示すのでもなく、その佇まい、見つめる目力、わずかに開いた口元により倫子の無念を瞬時に切り取っていた。かすかに開いた口元は、今まで言わずにいたことがあるような、何かそれを言いたげなようにも感じられた。セリフのない短いショットで感情を表すだけに、こういう場面が真に俳優の演技力を示してくれる。黒木華さん、名演だった。
帝も中宮も倫子の家系から出すことができたけど、この人の心ははそれで満たされたのか?と思ってしまいました。
@@パン大好き-s4i さん このドラマではまひろの存在等で倫子は何かしら満たされない思いを抱えているように描かれていますが、一家三后を為し、自身の孫が天皇家を継承するということは当時としては望み得る最高のものなので、おそらく史実では満足だったと推察します。仮に他の妻への嫉妬の感情があったとしても、堂々たる正妻の地位は盤石であり、彼女としては何も恥じることのない大成功と感じていたように思います。
@@cancan5892 これを読んでホッとしました。
実際には道長に最も尊重され、頭の上がらない女性だったのだと考えています。
@@けんけん-b7e さん そうですね。倫子の実家の財力と舅の地位の高さにより大いに援助されていたでしょうから、道長も彼女の存在に感謝していたと思います。
賢子の子孫が平氏に繋がるとは存じませんでした。
新しい知見をありがとうございます
残りの放送回数から言って、華やかな恋愛模様の尺はなさそうですが...賢子のスピンオフドラマ、やっていただけるなら全力で見ます!
源氏物語の中で詠まれた歌はいい歌が多いけれど、紫式部集では堅苦しい歌が多い、と言うのがとても面白いなぁと思いました。確かに、源氏物語の中で歌を詠んでいるのは光源氏であり、紫の上でありと、登場人物ですものね。自分では素直に歌えなかった感情が、他人の仮面を使うことで詠めたと思うと、面白いなぁ。
紫式部を描いた小説でも、紫式部は目の前で起こる現実に即して歌を作るより、物語で設定した人物の気持ちになることで、歌を生み出す方がやりやすいとしていました。
ドラマではまひろ、少女時代に代作のアルバイトしてたから、なりきって歌を詠む修行になったのか?!😂と思いました。が、
いやいや、史実のお話でしたね。
@@パン大好き-s4i 何という題名の小説ですか?もし良かったら、教えてくださると嬉しいです!読んでみたい!!
@@オキザリス-g8g 確かにドラマの最初にやってましたね!!あの時から素地はあったってことなのか!!すごい伏線だー!!
人の繋がりを知っていると歴史は楽しい物ですね。きりゅうさんの知識の奥深さに感心しきりです
賢子ちゃんのお話、面白かったです!源氏物語から平家物語に繋がっていたとは!驚きです。
恋多き賢子ちゃんの洒落た和歌が素敵だと思いました❤
ドラマでは、まひろが大宰府に行きましたが、史実では賢子が大宰府に 2回も行ってるのですね。あの時代にそんなに遠出するとは、行動的な人だったのですね。
まひろと賢子が仲良くなってホッとしています。
今日も分かり易い解説ありがとうございます🤗賢子さんが道長さんの子供であるとした今回のドラマですが何でも史実どうりにするのであれば大河ドラマはその時代その人物を一回やればそれで終わりになってしまうので色々な解釈でやってくれてありがたいです。
道長さん45回目してやっと賢子さんを自分の子供と知ったみたいな感じでしたがこの人とことん三郎なんだなぁ~と思いました😅😅😅
ほんと鈍感道長〜
今回のドラマ光る君へで佐々木蔵之介さんが余りに見事に演じてくださったので、今までさほど知らなかった藤原宣孝は完全に佐々木蔵之介さんが演じた藤原宣孝像に固定されてしまいました😂それだけに史実の藤原賢子はいかにも宣孝さんのDNAを受け継いだ感じと思えます😊
紫式部はバツイチとして年齢もいってから宮仕えしたので、青春の段階から宮仕えで純粋培養された大弐三位はかなりキャラが違いますね。当時としてはもっとも恵まれたキャリアウーマンだったのかもしれない。
有名人2世としては、初代の母紫式部と遜色ない出世ぶりです。母譲りの和歌の才はもちろんですが、それ以上に後冷泉天皇の乳母となり、彼が後に天皇になったことが大きいと思います。後冷泉天皇の即位で、賢子は従三位を授けられ、女官トップの内侍にもなっています。天皇を幼少から育てた賢子は、母親同様に思われるほど天皇に信頼されていたようです。その天皇が即位後に生まれたご落胤の扱いも彼女が担当し、自分の息子の養子として引き取ってしまうという最善の方法を取っています。やり手公卿並みの策略であり、見事です。天皇がこれほど何でも包み隠さず語れる乳母は、あまりいないでしょう。後冷泉天皇の崩御の後は、天皇の日記まで引き取り全てを覆い隠すという周到さは、まさに乳母の鑑です。賢子も他の女性陣同様かなりの長生きで、平安貴族女性の底力を感じさせます。
親の七光りなんて言われず、母にはないキャラを生かして上手く世渡りした賢子は恐るべしですね。
@@パン大好き-s4i さん それでも、祖父為時や母紫式部の存在は大きいと思います。彼らの家の学識を尊ぶ気風や母の薫陶は知らず知らずではあっても、賢子の性格や行動に大いに影響を与えたと思います。七光ではないけれど、蛙の子は蛙は当たっているように感じます。
内侍の中のどの階級だったのでしょう?トップの尚侍ではないような?
現代で言ったら、キャリアウーマンの最たるものでしょう。しかも、それが嫌みではない、強さがあって、小倉百人一首の中で、小式部内侍と同世代でありながら、家柄も向上させた感じがあります。
高階貴子(儀同三司母)と同族の高階成章(たかしなの なりあき)は、蓄財の才から欲の大弐と言われたりしたらしいですが。
何しろ大宰大弐になるまで高階氏の浮き沈みを見聞しているはずで、現代の感覚ではないだろうけど、正室の賢子が後冷泉天皇の乳母である事もあって、次第に再興した感覚はあったでしょうね。
内侍じゃなくて、トップは典侍でしたね😣💦⤵️
ホントのトップ尚侍は天皇のきさきになっちゃうからってきりゅうさんがおっしゃってましたもんね。
四等官制は勉強中なので、パッとでてこなくて、すみませんでした😣💦⤵️
プレイボーイ定頼、クレジットには出てなかったですが、字幕では叙位の儀の際に「(左右大臣が来ない理由が)わかりません💦」とセリフを言ってました。姿は遠目にしか見られなかったですが😢 たぶん蔵人頭っぽいかんじでした。
1年間大河を深掘りしてきたおかげで、賢子の子孫のことも興味深い感情がいだけました。感謝です。
学才の為時ジジ、豪快な宣隆パパ、ベストセラーの紫式部ママからの、華やかな人生の賢子ちゃん。だけでなく、子孫が時代の頂点に立つ一族につながるとは、大弐三位を主とした歴史物語をきりゅうさんに書いてほしいです。
賢子が自分の子って知って遠くから盗み見る道長パパの後悔だらけの表情よ😅気づくチャンスはたくさんあったのにね😊
😮😮😮おーー繋がる、繋がりました。家系図など、観たり、調べたりするのも好きだから、😊😊😊
いつも楽しいお話をありがとうございます❤
次回の予告を見て気になったことが‥‥
乙丸、多分きぬさんへのお土産かな?紅っぽいのを買ってて、前に『紅も買わせてくれない』って言ってたから買ったのかなぁってほっこりしたんだけど、その後、あれ?わざわざこのシーンを予告でやるって事は‥乙丸死んじゃうの?って思ったんですけど、皆さんはどうですか?
おパンツ取られて大切なところも酷いことされた。。。ラットさん、よい表現です。よく先生の話を憶えてましたね。感心。
清少納言の娘である小馬命婦や、和泉式部の娘小式部内侍と出会うシーンとかあれば面白そうだな思いましたが、無さそうですねえ。
まさかの平重盛登場😮
源氏物語から平家物語への、下り面白い❤😊ありがうごさいます。❤❤😊😊
賢子が異性にモテるところや世渡りのうまさは、宣孝譲りだと思います。紫式部が賢子宮仕え以降も長生きしてたらいいなと思います。
賢子の華々しい将来まで、この大河ドラマでは描く尺はなさそうで残念。スピンオフがあったら見たいわー。
賢子って強運を持ってる女性でしたね。
賢子が後冷泉天皇の乳母になるには、彰子か道長の推薦があったのでしょうね。ドラマ的には道長が強引に乳母にしたことにしたら面白いけど。
すご〜い! 賢子の生涯がこんなに面白いなんて
堅子さんは柔軟で自由で好きですね😊
頭の良さはちゃっかり母親から受け継いでいるのもまた素敵😁
土御門天皇の外祖母の藤原範子とその姉妹の兼子も大弐三位の子孫なんですよね。大弐三位の子孫はスゴイ広がりですよね。
本当にねぇさん方今回も
ありがとうありがとう🎉🎉🎉
源氏物語から平家物語✨に‼️😮😮😮
大宰府で道真公の梅ヶ枝餅が食べたいです。ちゃんと名物も出てくるあたり拘りが凄いと思いました。
「会うたびになんか探してる」って、自分のことを言われている気がしてドキッとしました。狭い家なんですが、なぜか必要な物が見つからないんです。
賢子ちゃんが、宮仕えを始めて他の女房たちと挨拶をして呼び名を与えられた時、母のように不服を申し立てるかと思ったらすんなり受け入れたので、おお!母よりも大人じゃんと思ってしまいました
賢子はやはり宣孝の子で三郎の子では無い!には激しく同意します👌
栄華を極めて望月の歌を詠んでも後世の人にここまで言われる道長って💦
賢子という名前が伝わっているだけで、母や清少納言などより高位だったということがわかる。史実では、道長の出家は病気のためとされているが、ドラマでは、まひろに去られ、同時に賢子が娘と知り罪の意識にさいなまれたことも原因のようだ。
ドラマでは賢子は異母姉の彰子に仕えることになる。道長は自分の娘は皆、后になったりしているのに、愛する人との娘を女房にしてしまった、という事実に相当苦悩したはず。しかもオープンにできないが、彰子がもし知ったら激怒しただろう(ドラマでの話)。道長は彰子に歯が立たなかったらしいから、彰子は道長の弱みを握っていた、というのもあながちあり得なくはないだろう。
大出世の賢子のお話、とても面白かったです😊
母子で宮中で活躍し、文才もあるとはすごいです
他の2代に渡っての宮仕え女房のお話も聞いてみたいです😊
くーさんと反対で、部屋がちらかっていても何処に何が有るかは何故かちゃんと把握している人も世の中にはいるwwww
威子と後一条天皇のその後が気になります。動画お願いします🙏✨✨
大弐三位が紫式部の娘だった!で、三位は自分で乳母をやりとげて勝ち得た地位というのを今年知りました!百人一首をもう一度勉強し直してます!きりゅう先生の話で人物がいきいき思い描けます。子供の頃は、坊主めくりしてお姫様達の名前や素敵な十二単をみとれていたのを思い出します😊
賢子の出世は紫式部の七光りかと思ってました。いろんな事が重なって、いろんなふうになるんですね〜😯💨賢子も日記書いてたら、お母さんのその後が書いてないかな〜
身内に「部屋の中にブラックホールがある」タイプの者がおりまする。同じ場所に置くように頼んでも、パズルやテトリスのように移動させて隙間や箱や何処かに押し込んでしまいこんで、そのまま何十年も見つからなくなるのでございます。
賢子ちゃん、凄い女性だったんですね😮❣️天皇の乳母となって女性最高位まで上り詰めるなんて😆 双寿丸との叶わなかった初恋にウルウルしてた私でしたが、まさかの恋多き女性とは。楽しいお話でしたが、ラットさんと同じく名前が変わりすぎて‥💦💦でした。ありがとうございました🙏❣️
平清盛に繋がる話。 凄いわ。
20:30 この歌を芸名にいただいたのが有馬稲子さん
堅子ちゃんがイケイケでしかも長生きって無敵❤今週末ついに(光る君へ展)北九州市門司区の関門ミュージアムに来ます!壇ノ浦を挟んで安徳天皇をお祀りした赤間神宮も有る場所です。必ず梯子して行きます。
ん?いつもと声が違うやんな〜と思ったら!新しいマイクやったんですねぇ、声聞こえやすくなった気がします!
文才があって恋愛も上手い仕事も出来て出世もしてそして健康長生き!
前世で地球何回救った?と思うぐらい羨まし出来過ぎ人生賢子さん憧れます
確かに賢子は名前が色々変わってますが、以前きりゅうさんがおっしゃってたように、賢子という名前も位階を授けられたとき、書類に書く必要があったのでその時付けた名前らしいですね。従って位階がないまひろは名前がなかった。倉本さんは講演で、家の中では中の君(次女)と呼ばれていただろうとおっしゃってました。
式部の長女なのに、中の君なのですか?😮
@オキザリス-g8g
まひろ のことをです。
@@sS000 さま
あ、そうですね!了解了解です♥
ちゃんと文を読めてなかった、おはずかしい、ありがとうございます🤗
名前が正式にわかってるって事は、天皇の乳母になってるからなんですかね
くーさん、私も探し物の人生です😢。人の2倍、3倍生きてます😅。
きりゅうさんの後ろの写真はどなたですか?
鳥獣戯画は和紙を糊で継いで蒔絵にしているのですが、有名な甲巻などは時代が進むにつれて糊の接着力が無くなってしまい過去には何度もバラバラになったようです。そのため順序が不明になったり散逸した箇所もあり誤って修復されていた様です。近年紙の材質や筆遣いなどの科学的分析から、完成登場の姿に復元されました。絵巻の保管は困難が伴うようですね😅
何か、今日のきりゅうさんのマイクの調子が変っぽい?
質問です。なぜ祖父の越後をとったのですか?父親の役職を女房名に取らなかったのはなぜですか?彼が亡くなってから長いからですか?
名前については私も分からないことが🤷♂️
賢子ちゃんが大弐三位なのは、父親の宣孝からきてるのだと、このドラマが始まるまでず~っと思ってたのに😅、ホントは彼女の夫にちなんだものだったと知りました😅
これは、賢子ちゃんが嫡妻の子ではないので、「あの子どこの子?」というとき、世間の人は「宣孝家の子」ではなく「為時家の子」と認識していたから?
女房名は、機械的に父、夫と決められるのではなく、生計を共にしていた人など、最も身近な人にちなんでつけられるのかな?と思いました。きりゅうさんに正解をききたいですね😊
わたしも、賢子は、宣孝のDNAを色濃く受け継いでいるなぁ、と思っています。
ところで、賢子は、祖父為時の任国の越後国にちなみ、越後弁と呼ばれていたようですが、父・宣孝にちなんだ名前にはならないのでしょうか。亡くなっていて後ろ盾ではなくなっているから為時由来なのでしょうか。
またご教授いただけたら嬉しいです。
また、この動画とは関係ありませんが、百舌彦は、光源氏における惟光のように、道長の乳母子だったりするのでしょうか。乙丸とちひろはどうなのでしょうか。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
言われてみれば~きりゅうサンの音質は、しっかりと鮮明に聞こえていますよ😃
賢子ちゃんが高階成章との子を産んだのは当時でも高齢出産と思われる三十代後半だったのですね❗タイミングが合ったとはいうものの、受領階級出身の賢子が親仁親王の乳母に推挙されたのは、かなりの抜擢だと思うのですが~他に何か特別な理由があったのでしょうか❓功労者の式部の娘ということがキーポイントかな・・・❓
紫式部の歌が~源氏物語作中の歌と本人として詠んだ歌との間で、作風が異なるとのこと、面白かったです😃式部として詠うならば、本人の心がどうしても出ますよね・・・でも作中人物になったつもりで歌を詠むならば~そこにぴったりの情感を込められるのであれば、式部の歌の実力も中々のものだと思います❗
きりゅうサンの音質、私のスマホでは
今回 はじめてクモって聞こえて聞きづらかったんですが…🥲
前回までの動画のほうが、モノクロマイクっぽくなくて 聞こえやすかったです
私と同じように聞こえたかたもいらっしゃったでしょうか?
@@ゆきまる-h6z さん、スマホで確認するとたしかに・・・私がPCで視聴した時は鮮明に感じたのですが😅
お乳をあげる乳人だから、乳人(親王の乳人だから複数人いると思いますが😅)の中では上の方の人ではなかったのかな?
@@user-65pok 複数の乳母。なるほど!お乳の出の良くない時も有り得ますからね・・・
@@user-65pok 複数の乳母。なるほど!お乳の出が良くない時も有り得ますからね!
角田文衞『現在に続く血脈 紫式部』(『角田文衞の古代学1 後宮と女性』吉川弘文館に収録)
紫式部の子孫の系図が記載されています。非常に詳細です。系譜は天皇の系統にも連なります。
乙丸に死亡フラッグ感じたの私だけかな?
気のせいだったらごめんなさい。
きぬさんがわざわざこの人を!って言ったのが気になって…
乙丸は不死身と信じたい😂
大弐三位は、父親譲りの性格だったから、現代でいうバリバリのキャリアウーマンって感じで、少し似ている春日局とは違い、華やかさを与えてくれます。
どことなく、書家で有名な行成にも似てますね。祖父と父は小倉百人一首の四十五と五十に選ばれている、謙徳公(本名 伊尹これただ)(伊尹・兼通・兼家の三兄弟)(時の円融天皇の伯父で、東宮<後の花山天皇>の祖父。摂政。)、後少将にまでなりながら天延二年(九七四)に二十一歳で亡くなった。頼れる親戚は、母方の祖父か、孫同士の花山天皇か。
賢子も、父とは物心がつく前に亡くなるわ、母の紫式部が中宮→皇太后彰子のために書いていた『源氏物語』が要約、賢子が宮廷女房として活躍する頃から、盛んに読まれ、母の存在が大きくなっただろうが、母・紫式部は推定で長和三年(1014)頃に死に別れ、翌々年の十四、五、六〜十六、七、八歳の頃に、杖とも柱とも頼む祖父・為時も出家し、1029年に亡くなり、若くして、自分の才と若さを頼みに泳ぎ抜かねばならない。
行成は、母方の祖父のお陰と、血縁関係では祖父の弟である大叔父・兼家と父・義孝の従兄弟道隆・道兼・道長。かなり遠いものの、権力者とは付かず離れず四納言として、、書道家として、世尊寺流を残しました。
大弐三位も、後冷泉天皇が誕生し、宮廷女房から天皇の乳母になった。乳母の権威は大きい。従三位、典侍→大宰大弐の高階成章と結婚したことで、大弐三位となった。男の子と女の子の内、女の子が藤原に結婚したことで、藤原兼子へと繋がっていく。
くーさんのお部屋には物を隠す妖精さんが棲んでいるんですね😅
(目の前に探している物があっても目くらましにかかってたりする~)
今回の話数「はばたき」
道長の声にならない「まひろ~~!!!」って叫んでる声が聞こえるようでした(幻聴とも言う😅)
藤原定頼はたしか蔵人頭役で出ていたと思いますよ。頼通が左大臣・右大臣が出仕しないので部下に確かめていたシーンで。字幕で定頼と記載があったはず。
あんだけの長編をバサァーっとしたら絶望しますね(笑)
あの~アバンチュールと聞いて、昔は避妊とかどうしたのかしら?出来たら産むの時代なのか?気になりました。
賢子ちゃんがいよいよ出仕!
せっかくなら、清少納言の娘、上東門院小馬命婦や、和泉式部の娘、小式部内侍と一緒に平安才女二世トリオを組んでほしいところですが、没年や晩年の様子が不明なことからオリキャラに変身した主人公のオリジナルエピソードがメインになりそうですね😂
紫式部と賢子との違いは、前者は源氏物語を書くくらいだから、神(上)の人たちとの対話は上手かったかもしれないが、出世は後者の方が上。人間関係が(も)しもの対話を数多くこなすことのできた後者の方が人々のいろいろな心の琴線に触れることができたから。上よりも下に軍配があがったよい例
藤原定頼というと、あの小式部内侍をおちょくって「大江山」の歌でやり返された人ですね?
源氏物語の不倫の内容をまひろちゃんに書かせるためには本人が不倫の業を背負ってなければならない
ということを内田さんと大石さんが相談して決められたそうですね
乳母になると、実子は母乳もらえないのでしょうか。
ドラマの賢子で宮中の恋愛を描いたら、恋人が実は兄だったとか、夫の父親が祖母を殺した犯人だったとか、大映ドラマみたいになってしまいそうですね
頭の中がぐちゃぐちゃです😅
ドラマを見て思ったんですがあの乙丸が背負ってる籠の中に何十日(何百日?)の間の旅費も全部入ってるのですか??危なすぎます…当時は銀行とかも無かったでしょうしどうやってお金の管理してたのでしょう
ちょっと疑問に思ったのが、ドラマの中では未だにまひろが藤式部と呼ばれていること。一体いつになったら紫式部と呼ばれることになるのだろうか。
紫式部というのは、現代で言うペンネーム。
女房たちの呼び名は、ふつう父や兄の官職名をとってつけれる。だから、藤原の「藤」と、父の官職名式部丞から、「藤式部」とよばれました。
式部丞 文官の人事一般を取り扱う式部省の三等官。
@@ae3779 ありがとうございます。つまり娘の賢子とは違い、”まひろ“は特に位も上がらなかったので、宮中では公式にはずっと藤式部のままということなんですね。よくわかりました。
越後弁と字面で見たら「い」と「え」がごちゃまぜになった越後方言を話す賢子ちゃんを妄想してしまったのです (゚∀゚)アヒャ
次回予告で、乙丸が紅を買おうとしているようなシーンがありましたが、これってフラグ🚩では…と心配です😥今回の動画とは関係ない話なんですが…
乳母のお乳の量は足りたのでしょうか?母乳も出て出てって人と限界がある人もいますが…
あと体力的にも2人にあげるってすごい大変だと思うのですが…
どういう仕組みだったんでしょう?
我が子と親王とか偉い人の子どもと両方にあげれるものだったんですか?まさか、我が子にあげることができなかったりするわけてばないですよね。
当時は、乳母の子にも乳母がつけられた。自分で我が子にお乳あげるのは、身分の低い者か、とわず語りの主人公の様に第四子をこっそり産んだ時みたいに乳母を雇えない事情があった時。
それに母乳がたくさん出る人もいますよ。父の親戚で子供が生まれる前に夫に死なれた人が、丁度祖母が高齢出産して母乳が出なかったので、自分の子と叔父の両方に母乳を与えた。
@ ご説明ありがとうございます。乳母の乳母💦そういうシステムだったんですね。
たくさん出る人もいるとは思ったんですが、出るでないって「〇〇さんたくさん出るから頼むわ〜」とか「わたしでるからやりますよー!」みたいな感じでだったんでしょうか。
なんか、現代の人間的には繊細な部分だからどうしてたんだろうと思いました。
@@かの-h3l 後の江戸の将軍様の子供が生まれる時の乳母選びの基準の一つに母乳がよく出るがあって、候補者はそれもアピールしなければならなかった。これは後の世ですけどね。
@@ユミコ-i9c どうもありがとうございます。
アピールするものだったんですね。権力者の乳母になるための女の戦いがあったんですね。
昔はミルクもないし、母乳の代用品もないので、今ほど繊細な事ではなかったらしいです。明治生まれの祖母は母の産後の肥立ちが悪くて近所の人に貰い乳をしたそうですし、祖母自身も自分の子供が生まれたときは乳が足りなくて貰い乳をしたそうですよ。女性の胸に性的な価値が出て来たのも戦後なので歴史的には最近ですから…
賢子は史実上は宣孝の娘と言い切っていらしゃいますが道長の娘という説も存在します。
越後弁の弁って何だろう
横から失礼します。
為時(ためとき)が、越後守(えちごのかみ)と左少弁(さしょうのべん)という役職をつとめていた
からだそうです。
史実ではないだろうけど大河では、道兼が紫式部の母親を殺してるから、賢子は祖母を殺した子供にあたる兼隆と結婚したと言うことか。
三郎ではなかろうwwたしかに!!!賢子ちゃんにって、託したのは源氏物語だけでなく、紫式部が「宮仕えの虎の巻やポイント」実録を書き記して渡したんでしょうし。
この時代の女性は何人も夫を持つことはなかったのですか?夫ではない男性の子供は産めるけど何人もと結婚はしないみたいなかんじですか?
婚姻制度なんてないでしょうからどこまで結婚という概念として捉えられていたのかなと思って。
けんし、読みだと、倉沢杏菜ちゃんの膨れっ面が浮かんでしまう😂
賢子さんは、双寿丸を超える男性には出逢えなかった
逆にそれが人生を達観することにつながり、長生きしたのかも知れませんね
若くして亡くなった人の面影は年老いることはありませんので
兼隆は賢子の祖母を殺した人の息子だから、まひろが結婚を許すのかな。
あれは大河の創作っぽいので、史実からするとあまり関係ないかもしれませんね