杜若3

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  • เผยแพร่เมื่อ 26 ส.ค. 2024
  • 『文字ライブ』
    世阿弥作と言われる能『杜若』をふと自分の方法で(韻を逃さず、なるべく形式ごと訳す)現代語訳し始めたので、そのさわりを幾つか。
    TypeTrace(by dividual inc.)の技術をお借りして、考えた分だけ大きくなるフォントでお送りします。
    なお訳の検討も進み、直して現在は以下になっています。
    「冠、衣はひとまず置いておくとして、ではあなたはどういうお方で?」
    「実はわたしは杜若の精である。『植えて置いた、昔泊まった家の杜若よ』という歌も、女が杜若になるいわれを示した言葉なのだ。また業平は極楽にいる歌と舞の菩薩の変化(へんげ)であるから、詠み置いた和歌の言葉までがすべて仏が真の御姿で説法されるありがたい経文で、非情な草木もまた露のような恵みの、成仏の機縁を求めるのである」
    「それは末世の時代の奇跡。まさしく心のない草木とも言葉を交わす仏法の声」
    「法事を行えば業平の、昔男と言われた舞姿がこのように現れ」
    「まさにそのまま歌と舞の菩薩が」
    「仮に衆生となり、業平の」
    「本当の存在が寂光浄土を出て」
    「あまねく民を救い」
    「御利益を与える」
    「そのための道へと」
     はるばる来て、着た唐衣。はるばると来て衣を着つつ、舞を舞う。
     杜若の精は業平の言葉を口に出す。
    「別れて来た、あとの都に恨みを残す唐衣の」
     衣の裏を見るのではないが、袖を返して舞い、思いを都へ返したい。

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