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JRのカンブリア紀。ユニークな列車がたくさん走ってましたね。
ウィングあずさ号は下りが松本行きで、上りが長野始発でした。上り成田空港行きに乗ったときは定期の千葉までで乗客がほとんど降りていました。佐倉で後続の成田エクスプレスに追い抜かれて速達性がないのも迷列車的な要素が強いものでしたね。
元々青森の高校の修学旅行先が海外で、成田までの移動手段として臨時で設定したけど需要の見きわめも兼ねて一般にも売ったのがこの列車じゃなかったっけ。当時の鉄道ファンだかジャーナルでそんな記事を見た記憶がある。
ウイングはくつる号・・・ある意味これも「北ウイング」やな
秋葉原駅の総武線ホームを583系が通過している光景を想像するとゾクゾクっとする。
海外だと長距離列車が空港に乗り入れている事例がいっぱいあるけど、現在の日本だと似たような役割の列車はにちりん・にちりんシーガイアぐらいだよなぁ。
成田空港着午前7時だと、国際線のフライトは搭乗2時間前くらいにはチェックインしないとならないんで、搭乗できるのは午前9時以降のフライト。午前8時台のアジア向けの便は利用できない。中途半端だったんですねぇ。
当時総武線沿線に住んでいて、早朝に某駅に行ったら快速線に583形が走っていて「そういや臨時であったな」と感激しました。同じ千葉県でも松戸柏なら583形や24形ゆうづるがバンバン走っていて珍しくなかったですが、市川船橋千葉は夜行列車は走らず後にも先にもこの列車だけでしたね。
E259系が余剰になったとき、マリンエクスプレス踊り子っていう列車が設定されていたことを思い出しました。
ウイングはくつる、乗りたかったわ。
家のすぐ近くを走る総武線に新しい特急が走るのを、小学生だった私もワクワクしていました。と同時に、時刻表もこのころから見始めたのですが、そこにあった「ウイングはくつる」は、開業直後しか見られずレアな車両だったことを覚えています。近いところでウイングあずさもありましたね。ヘッドマークにささやかに「ウイング」と書いてあったのが印象的でした。
ウイングはくつるの存在をすっかり忘れていた。懐かしい。個人的には成田空港より日本海のように函館へ乗り入れた方が需要があったのではないかと。
海外旅行の需要があっても誰も乗らなかった背景の一つにあったのは、多くは地元の旅行代理店が募集したパック旅行で、地元から近くの空港までバスを出して行くのが一般的だった…というのがありそうですね
成田空港に入る際の検問。ありましたねぇ
今ももしウイングはくつるが走っていたら鉄道youtuberの格好のネタにされていたかも
あったあった!ウイングはくつる!懐かしい・・・
知らなかった。こんな列車があったなんて。
知っていたら乗ってみようとなっていたかも知れません。
初期のスカイライナーかっこいいな!
青森岩手なら、普通は青森、三沢、花巻から成田空港までの国内線を使う気がするけど。ただ、今は羽田に行く直行便しかないかも。
サンライズ出雲瀬戸は毎日成田空港駅発着に出来ないですかね…いまだったらそれが外人だらけの列車になるでしょうね…
この時代、成田はアクセスが悪いのと、LCC登場前なので8時台の終わりからフライトが始まっていました。9時台10時台は中国などの近距離アジア路線、11時台は中距離アジア路線とヨーロッパや米東海岸への出発が中心だったので、7時に成田空港着はそんなに早い時間帯でもないような気もしますが。結局はJRのPR不足っていうのもあったのかも知れないですね。
ウィング号って聞くと京急のイメージがあるけどJRが先だったんですね。
国際線乗り継ぎ便で、国内を飛ぶ国際線が成田千歳に飛んでいたが、JALが1987年暮れにDC-8が退役するまでその路線で飛ばせていた。ウイングはくつるみたいなものかな。さながらJALだと「ウイング鶴丸」か。学生時代に二次会帰りの早朝の新宿駅のホームで見かけ、写ルんですで撮影した貴重な体験をした。客がいないからという理由で11日で廃止したのはなんか根気がないな。バブル時代だからもう少し宣伝できたと思うけど。ちなみに昔、国鉄時代に門鉄が企画婚活列車「ウェディングベル号」を走らせたが参加者がなくて1日で廃止したという話がある。調べても出てこない真の幻列車。ちょうど成田が開港した年の小2から豆鉄道博士を歩み始めたが、成田空港と鉄道は当初相性が悪くて、国鉄は強いて言えば当時一番の鈍足特急だった鹿島神宮行き183系の「あやめ」、京成はスカイライナーだった。スカイライナーは過激派の焼きうちにあったこともあったか、当時駄菓子屋のくじに特急消しゴムなる末等の景品があってそれがスカイライナーだったから、その意味でもがっかり特急だった。鉄道がつながる前の80年代初期に成田空港に「みどりの窓口」があったが利用した人はいるだろうか。かなり不便な場所にあって知る人ぞ知る的なみどりの窓口だった。何だか、成田空港には中森明菜の歌以外いいイメージがない。面倒くさい空港のイメージだな。あの頃だと海外に行く場合だと、まずは大垣夜行で西を目指し大阪伊丹まで行ってから韓国の金浦空港に飛んでそこから海外だった。ただ大韓航空は済州島のKALホテルを利用する以外避けたな。飛行機も鉄道も利用したが、平成初期が一番楽しい時代だった。生き残りの20系臨時あさかぜ、食堂車、たまに見かける海外からのDC-8や707、引退間際の727、長崎旅博のコンコルド、成田空港ではジャンボ機の隣に小判鮫のように引っ付いていたアエロフロートのイリューシン62等々。やはり短命だった仙台寝台の「新星」の方が成田空港には良かったのではないかな?
新宿の到着時間が早すぎたり、千葉を運転停車にとどめたりしていたことが災いしたな。都心や千葉市への需要に応えるようなダイヤにすればよかったのに。
東成田駅の隣が成田ってあるが京成成田の間違いだよなこれ。成田駅と京成成田駅は別々にあって少し離れてるし
成田空港は最初から問題点だらけでした。要は横田空軍基地をどかせないから、という理由でしょうが……今となっては羽田も拡張されていますし……。
JRのカンブリア紀。
ユニークな列車がたくさん走ってましたね。
ウィングあずさ号は下りが松本行きで、上りが長野始発でした。上り成田空港行きに乗ったときは定期の千葉までで乗客がほとんど降りていました。佐倉で後続の成田エクスプレスに追い抜かれて速達性がないのも迷列車的な要素が強いものでしたね。
元々青森の高校の修学旅行先が海外で、成田までの移動手段として臨時で設定したけど需要の見きわめも兼ねて一般にも売ったのがこの列車じゃなかったっけ。当時の鉄道ファンだかジャーナルでそんな記事を見た記憶がある。
ウイングはくつる号・・・ある意味これも「北ウイング」やな
秋葉原駅の総武線ホームを583系が通過している光景を想像するとゾクゾクっとする。
海外だと長距離列車が空港に乗り入れている事例がいっぱいあるけど、現在の日本だと似たような役割の列車はにちりん・にちりんシーガイアぐらいだよなぁ。
成田空港着午前7時だと、国際線のフライトは搭乗2時間前くらいにはチェックインしないとならないんで、搭乗できるのは午前9時以降のフライト。午前8時台のアジア向けの便は利用できない。中途半端だったんですねぇ。
当時総武線沿線に住んでいて、早朝に某駅に行ったら快速線に583形が走っていて「そういや臨時であったな」と感激しました。
同じ千葉県でも松戸柏なら583形や24形ゆうづるがバンバン走っていて珍しくなかったですが、市川船橋千葉は夜行列車は走らず後にも先にもこの列車だけでしたね。
E259系が余剰になったとき、マリンエクスプレス踊り子
っていう列車が設定されていたことを思い出しました。
ウイングはくつる、乗りたかったわ。
家のすぐ近くを走る総武線に新しい特急が走るのを、小学生だった私もワクワクしていました。
と同時に、時刻表もこのころから見始めたのですが、そこにあった「ウイングはくつる」は、開業直後しか見られずレアな車両だったことを覚えています。近いところでウイングあずさもありましたね。ヘッドマークにささやかに「ウイング」と書いてあったのが印象的でした。
ウイングはくつるの存在をすっかり忘れていた。懐かしい。
個人的には成田空港より日本海のように函館へ乗り入れた方が需要があったのではないかと。
海外旅行の需要があっても誰も乗らなかった背景の一つにあったのは、多くは地元の旅行代理店が募集したパック旅行で、地元から近くの空港までバスを出して行くのが一般的だった…というのがありそうですね
成田空港に入る際の検問。ありましたねぇ
今ももしウイングはくつるが走っていたら鉄道youtuberの格好のネタにされていたかも
あったあった!ウイングはくつる!懐かしい・・・
知らなかった。こんな列車があったなんて。
知っていたら乗ってみようとなっていたかも知れません。
初期のスカイライナーかっこいいな!
青森岩手なら、普通は青森、三沢、花巻から成田空港までの国内線を使う気がするけど。
ただ、今は羽田に行く直行便しかないかも。
サンライズ出雲瀬戸は毎日成田空港駅発着に出来ないですかね…
いまだったらそれが外人だらけの列車になるでしょうね…
この時代、成田はアクセスが悪いのと、LCC登場前なので8時台の終わりからフライトが始まっていました。
9時台10時台は中国などの近距離アジア路線、11時台は中距離アジア路線とヨーロッパや米東海岸への出発が中心だったので、7時に成田空港着はそんなに早い時間帯でもないような気もしますが。
結局はJRのPR不足っていうのもあったのかも知れないですね。
ウィング号って聞くと京急のイメージがあるけどJRが先だったんですね。
国際線乗り継ぎ便で、国内を飛ぶ国際線が成田千歳に飛んでいたが、JALが1987年暮れにDC-8が退役するまでその路線で飛ばせていた。ウイングはくつるみたいなものかな。さながらJALだと「ウイング鶴丸」か。学生時代に二次会帰りの早朝の新宿駅のホームで見かけ、写ルんですで撮影した貴重な体験をした。客がいないからという理由で11日で廃止したのはなんか根気がないな。バブル時代だからもう少し宣伝できたと思うけど。
ちなみに昔、国鉄時代に門鉄が企画婚活列車「ウェディングベル号」を走らせたが参加者がなくて1日で廃止したという話がある。調べても出てこない真の幻列車。
ちょうど成田が開港した年の小2から豆鉄道博士を歩み始めたが、成田空港と鉄道は当初相性が悪くて、国鉄は強いて言えば当時一番の鈍足特急だった鹿島神宮行き183系の「あやめ」、京成はスカイライナーだった。スカイライナーは過激派の焼きうちにあったこともあったか、当時駄菓子屋のくじに特急消しゴムなる末等の景品があってそれがスカイライナーだったから、その意味でもがっかり特急だった。
鉄道がつながる前の80年代初期に成田空港に「みどりの窓口」があったが利用した人はいるだろうか。かなり不便な場所にあって知る人ぞ知る的なみどりの窓口だった。
何だか、成田空港には中森明菜の歌以外いいイメージがない。面倒くさい空港のイメージだな。
あの頃だと海外に行く場合だと、まずは大垣夜行で西を目指し大阪伊丹まで行ってから韓国の金浦空港に飛んでそこから海外だった。ただ大韓航空は済州島のKALホテルを利用する以外避けたな。
飛行機も鉄道も利用したが、平成初期が一番楽しい時代だった。生き残りの20系臨時あさかぜ、食堂車、たまに見かける海外からのDC-8や707、引退間際の727、長崎旅博のコンコルド、成田空港ではジャンボ機の隣に小判鮫のように引っ付いていたアエロフロートのイリューシン62等々。
やはり短命だった仙台寝台の「新星」の方が成田空港には良かったのではないかな?
新宿の到着時間が早すぎたり、千葉を運転停車にとどめたりしていたことが災いしたな。
都心や千葉市への需要に応えるようなダイヤにすればよかったのに。
東成田駅の隣が成田ってあるが京成成田の間違いだよなこれ。成田駅と京成成田駅は別々にあって少し離れてるし
成田空港は最初から問題点だらけでした。要は横田空軍基地をどかせないから、という理由でしょうが……今となっては羽田も拡張されていますし……。