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自分語りです、そして長いです、ごめんなさい元介護職員として老人ホームに勤めていました意思疎通が出来ず、身体が動かせず、ボロボロになった皮膚は擦れ合っていつも傷だらけで、苦痛に呻く利用者さんがいましたある日、同僚の一人が「そろそろ生まれ変わって、楽になってもいいんだよ」と涙目で呟きながら介護業務をしていた事がありました勿論それを言った同僚が行動を起こす事も、それを聞いて共感したわたしも何かするような事はありませんでした映画本筋の、生産性の有無とはまた違った話ですが、レビューを聞いて一番にこのエピソードを思い出しました事件の報道を見て、施設には自分では声も出せず身動きも取れない入居者さんはどんな思いをしたのだろうと震えた覚えがあります逃げる事も出来ず、犯行の音や気配がこちらに来ないか、ただ怯えるしか出来なかったのではないかと思うと、犯人への怒りで涙が溢れましたあれから数年、つい最近自分に障害の診断が出ましたそれでも、犯人には一切の共感などせず、沖田さんの仰る通り、綺麗事で生きていきます人の命を奪ってはいけない、傷つけてはいけない犯人のやった事を許さない事件から数年、難しくとも考え続けるべきだという沖田さんの姿勢、その通りだと思います
同じ思いです。私は精神障がい者のホームヘルパーをしていました。在宅なので意思疎通ができない人はあまりいませんでしたが、自分を語られるお気持ち、よく解ります。沖田さんの真摯なお話にも共感できました。やまゆり園事件は忘れてはならない。命の選別はあってはならない。
介護福祉士ですが、正直理解出来ると思いました。老人介護の現場でも意思疎通が全く取れず糞尿を撒き散らす人がいて、仮に自宅介護をしていた場合、同じ事をする可能性は誰しもにあると思う。都市伝説ですが、毎年日本で数千人の年寄りの認知症徘徊の行方不明事例があり、その8割強は見つかるが、1割の人は見つかりません。介護に疲れた家族が山に捨てているのでは?という噂があります。単なる都市伝説とは思えない部分があり、あり得るかもなぁと思ってしまいます。それくらい認知症や障害者と関わると色々考えてしまうのです。誰しもに生きる価値がある。なんて綺麗事に思える気持ちは分かります。
以前、とても信頼していた教育者の方が「高齢出産で変な子が生まれてきたら嫌だよね」とポロっと口に出した事があり、その時の「変な子」と言う言い方が今も頭から離れないです。聖職者でも本心はそう思ってるんだと思いました。世の中は本当に不公平で神仏も何もないと思っています。
わかる。犯人の思考の流れが、許されないと思いながら「理解」できてしまう。その事に「俺大丈夫か?」と自問いしながら考え込んでしまう映画でした。
自分はこの映画を見て、この世に不可欠な人間なんていないのでは?と思った。誰だって代わりがきくし、たとえば偉大な発見をした数学者や科学者だって、いなければ数年後に誰かが同じような発見をしたかもしれない、誰も発見しなければ違った方向に文明が発展しただけかも。自分自身も小児科医として、昨日まで元気だったのにある日風邪をひいて痙攣が止まらなくて脳に障害が残り、重症心身障害者になる子を何人も見てきた。彼らと私は本質的には何も変わらない。世界に存在しなくても誰も困らない。そういう点で、みんな平等なのかな、と思った。私たちにあるのは生きる権利だけであって、生きる義務も生きる価値もないのだと。
植松のやったことには間違いなく罪を償うべきだが実際に重度障害者施設で何年も働いている僕は、植松が決して稀な存在ではなく、実際にその場にいれば人間感情として生まれかねない感情だと知ってほしい実際にやってしまうかどうかの話で、だから虐待はなくならない。それを現場に入ったこともない人に理解することは不可能だから、植松は最低なサイコパス野郎だと自分は決してそうならないかのような綺麗事しか言わないだろうが、その言葉を聞くたびに違和感しかない。虐待を行動として生み出さないような余裕ある体制が最も必要だし、支援者を疲弊させてしまうような体制自体が問題である。糞尿に塗れた重度障害者の方がどんな気持ちなのか自分がその立場になって考えて欲しいし、それを支援している職員の気持ちを想像して欲しい。その命が必要かどうかは社会に決められるものではなく、自分で決めるものだ。
良く高齢者介護とごっちゃにする人いますが、かなり違うと思いますよ。小規模と大規模と雲泥の差があります。あれからやまゆり園さんは反省を兼ねて大きく変わりましたよ。ちなみに今働いてるところは昔のやまゆり園と変わらない、もっと悪い施設なんですよ。
この役を引き受けた俳優さん達が凄いと思う
凄い真摯で真剣な感想で戸惑いながらしゃべっている様子も作品から受けた衝撃が伝わってきて、私も見てみようと思いました。
生産性が無く、負担になってる だからやった という主張だとただただ胸糞悪いが愛の無い場所で、抗うことの出来ない人たちが毎日のように虐待を受けている それが一生続く 勝手かもしれないが、僕には耐えられなかったみたいに言われと、お、おう、う~んってなる やったことが同じでも理由で印象が大きく変わるでも植松は両方言ってんだよなぁ・・・
私もこの映画を視聴しました。福祉の職について6年になります。そこでは大人の精神・身体・知的障がいの方と関わったり、子どもの障がい分野で働いてきました。意思疎通のできない方、もちろんおられました。事件の犯人の方の行動は全然理解できませんし、してはいけないことだと思います。でも、この映画を見て犯行に至るまでの経緯や心情は理解できてしまいました。理解できたということは、自分の中で"思ったことがある"から。少しでも"共感"できてしまったからなのかもしれないと思います。様々な職種がありますが、入居施設で働く福祉職の方は、特に人と密接に関わる仕事です。職員も人間なので、思うようにいかなかったらイライラすることあります。でも、それを"見せない"ことがプロじゃないんかなと思います。見せない代わりに、そのフラストレーションを他で消化する。メンタルヘルスがこの職は本当に求められます。考えることは自由ですけど、それを行動に移すのは絶対に駄目なこと。これをさとくんや当時の犯人の方の周りに伝えてくれる人がいなかったことがとても悲しく思います。文章で感想をお伝えしようと思いましたが、様々な感情がありすぎて上手にまとまりません。最近の福祉業界では、閉ざされた施設から開かれた施設へと変化してきています。人はそれぞれ難しさを持っていると思います。それが個性、特性です。それを受け入れあってより良い社会を目指せるように日々仕事している職員もいます!これを見た方はぜひ今の福祉にも目を向けてもらいたいなと思いました。動画をあげて、わかりやすく感想を言っていただきありがとうございました!
今は離職していますが介護福祉士として働いていました。介護してると自身の心身共にすり減るんですよね…転倒リスクがあるのに忙しなく動いちゃう方とかいらっしゃって結果転倒して「もういい加減にして!」って思うことありました。介護してる人は決して他人事じゃないと思って観てしまうと思うので覚悟が必要かもしれませんね
沖田の好きなところがギュッと詰まった感想動画だったなあ。尊敬
この事件の当時、記者が「安楽死って言ってるけど、包丁で殺すのは安楽死でない」って投げかけた人がいてそこに関しては犯人が素直に謝ったの思い出した。そういうとこにとっつける人がいたら犯人は行動をやめたのか否か
殺すことはしてたかもですが,別の殺し方でしていた可能性はありますよね.包丁は安楽死ではない.
原作も読んで事件も調べて、伝え方を選びながらも自分の言葉でしっかりと伝えてくださる沖田さん本当に凄いです…しっかりと心を構えて見に行きたいと思います。
沖田さんの言うように、所詮他人事だし見たくないものを見ていないから綺麗事が言えるのではないか?と、何度も何度も自分に問いかけずにはいられないような映画でした。生きていることに意味なんか必要でしょうか?生産性や、何かの役に立つことが求められる世界では生きづらさが募るばかりです。
これは撮らなくちゃいけない映画だったと思いました。命や人間について、答えなんか簡単に出さなくていいのかもしれません。「常に考えること」「苦しくても問い続けること」、それが大事なのではと。それを放棄して簡単に答えを出してしまったのが植松容疑者でありサトくんなんだと思いました。
簡単に答えを出したと言えば、異例の速さでの死刑判決。死刑制度の是非もそうだし、それそこ『臭い物には蓋をする』みたいな考えにも皮肉が効いてる。
考え続けても答えは出ないのかもですね。。日本は税金も高く、所得の低い若者が貧困で自殺したりするニュースを見るとこのまま綺麗事で済ませていいのかなぁと思ったりもします。
映画を見てやっぱり綺麗事ではなくみんな自分が1番なのはしょうがないなと思いながらズドンと心が落ちていたんですけど、その映画を見に行った日の夜にドラマの「きのう何食べた?」で磯村勇斗さんが子猫ちゃんのコスプレでニャンニャン言ってる姿を見たので昼間は返り血で血まみれになっていた磯村さんとのギャップに困惑してしまったw
公開してすぐに見ました。実際にあった事件を背景に物語が進んでいきますが、この映画の主題はこの事件ではないように感じました。この映画の主題はもっと私たちの身近なところにあり、ほとんどの人間の心の中に潜在的にある醜い感情をえぐり出してくるような内容でした。石井監督がインタビューで「映画には、撮りたい映画と撮らなければいけない映画がある。この映画は圧倒的に後者だ。」と仰っていました。この監督の言葉を借りるならば、この映画は積極的に見たいと思うような内容ではないかもしれませが、見るべき映画です。もう一度見たいとは思えませんが、見てよかったと心から思っています。私は、きっと何年先もこの映画を忘れることはできません。他人事だと目を背けている我々を捕まえて逃してくれないそんな映画です。
植松のやったことは許されることではないかもしれないけど、でも正直誰もが一度は考えたことがあることですよね。知的障害者の周りの人間は綺麗事じゃなく地獄ですよ。
こうやって本や映画になってみんなに議論される、ってことこそが植松が望んだ展開だろうな
とは言ってもこういうことを議論しないで,植松はやばい,薬中の言ってること,情状酌量の余地もないで片付けるのは絶対に違うと思うので,仕方ないですね.
@@エラー-q9t植松の言ったことで日本は財政危機だからこういう奴らを救う余裕がないんだと言っとったけど、それ嘘だから。そもそも政府がお金を供給してるから世の中に流通してるんだわ。なんか間違った価値判断で実行に移す引き金になってしまうのは恐ろしいと思ったわ
介護士をしています。ロストケアも見にいきました。今作も見たい気持ちと、目を背けたい気持ちとさまざまな感情が渦巻いています。介護現場でも、意思疎通のできない暴力的な方が多くいらっしゃるので、考えさせられる内容だな、、、と思いました。
ロストケアもやまゆり園がモデルっぽい映画でしたよねあの内容もとても好きでした
洋子だって夫が成功してから「生きててよかった」と言ったよね。洋子こそ優生思想の最たる人でした。結果、さとくんを否定してよい人間はいないのではないかな?
扱うのも、話すのも難しいテーマ・作品だったと思いますし、すごく言葉を選んで話して下さったと思います。でもその熱意や労力や緊張感や気遣いetc画面越しにも伝わってきて、思わず見入ってしまいました。勇気ある、素晴らしいレビュー動画をありがとう沖田さん!
ようやく観てきました。観終わった時に口が開かず、ただSNSで指を動かして気持ちを紛らわせていました。自分も発達障害として診断、親族に生まれた子供が手術が必要になる可能性があるなど他人事に思えないーいえ、思ってはいけない作品でした。さとくんを殴りつけたオダギリジョーの気持ちと、でもどこかでさとくん的な気持ちが覗き込むような嫌な気持ちが同居して気持ち悪かったです。言葉を紡ぐのが難しいですが、この作品は差別的な感情・命の選別を突きつけられても「それでも」と抗い続ける事の大切さも伝えたかったのではないかと思いました。
映画「月」の感想が聞けて良かったです。色々ありまして、この映画を観たら自分のメンタルが潰れる覚悟が必要で。命の淘汰は昔からされている人間の闇で。それは表だって行われたか、秘密裏にされたか、集団で正当性を持ってされたのか。個人的には色々な面があると思っています。ただ、一人でもその命、存在がなくなった時、悲しむ人がいるのなら、大事な命だと思っています。その命がなくなったことで人生変わってしまうこともあると考えるので。自分を人生を大事にして欲しい。大事にして欲しかった。命が関わることは、自分も他人も家族も全ての人生が狂っていったり、修復されたりすると思います。子供が生まれたことを忌み嫌う人はほとんどいないと思うのです。もちろん、自己中な方で「こんな人間が」とか「こんな子を」と思う方もいるかもしれませんが。誕生を嫌うもしくは嫌われる命はないと思いたいです。
善と悪、信仰と異端者、ここで言う「生産性の有無」、なんだって良いけど、物事を白黒でしか判断出来ない人って不幸だな。生きることに必死にはなるべきだけど、そこには正しさも間違いも無いはずだ
さっき観てきた。序盤にかけてのしつこいくらい解りやすい演出に辟易しかけたんだけど、あくまで解決出来ない主題と中和する為の演出なのかと途中から思えた。オダギリジョーの最初なんだこいつって建前のキャラ設計も本音が決壊した時のカタルシスあって良かった。磯村くんは流石。
自分の中にある差別意識をまざまざと見せつけられ、とても苦しい映画でした。劇中で障がい者の方が写し出された時、どうしても「気持ち悪い」「自分とは違う」と感じてしまう自分がいました。さとくんの言っていることに反論しようとしても、何も思いつかない、洋子の反論も空虚に聞こえてしまう、自分も差別する側なんだという現実を突きつけられました。ただ、オダギリジョーさん演じる昌平だけがかすかな救いだった気がします。作る映画はずっと評価されず、職場の先輩から馬鹿にされ、自分でさえも価値を見出せずにいたけれど、終盤で小さいながらも賞を取ることができた。世の中のほとんどの人がいらない・生産性がないという烙印を押しても、どこかに価値を見出してくれる人がいるかもしれない。そう信じて映画館を後にしました。
全くまとまらんかったってラストで言ってる割にキチンと言いたい事がまとまってて流石だと思いました。
『考えさせれる映画』なんて甘っちょろい感想が通らないそんな映画。あらゆる事柄で『肯定は出来ないけど否定も出来ない』そんな問いかけのオンパレードで、思考停止しそうで…それだと本末転倒だし…沖田と同じで、事件当時の植松の印象は『半グレでイッちゃてるヤバい奴が起こした事件』って印象だったけど、事件までの経緯とトリガーが、あぁも順追って映されたら、ぐぅの音も出ないと言うか、変に納得してしまう所もあったりと…『福田村事件』といい『月』といい、重いけど観て良かったと思える映画でした。
安易に他人に面白かったから観て!とは言えないけど、大切な友達とか考え方とかを共有したい人には観てもらって感想を言い合いたくなる映画でした
軽度知的障害当事者ですが確かにこれは普通にオススメは出来ませんよね。ただ自分もこの映画を見て仲が良い同じ障害の知人にコレ絶対に見てと言って後日に見に行ったら凄かったと言ってたし。感想は出来ないけど施設の障害とは立場的には違うけどレッテルはそうなってるからこそ分かるものでした
感想語るだけでも精神すり減るのに演じてる方々の精神状態心配になりますね😢
仮にこの世界にいらない人間が居たとして、それを決めるのは犯人じゃないよね
普通の人は障がいというと精神障がい者を連想する方が多いかもしれませんが、障がい者にも種類があります。精神的なものもあれば、事故にあい後遺症が残った人もまた障がい者です。障がい者はいつ自分もなってもおかしくない身近なものだと私は思っています。
本当に本当に共感します。障害には発達障害もありますが、自分がADHDと診断されたのは大人になってからでした。自分は健常者だと思っている方々の中にも病院行ったら発達障害だったなんて人は案外居るかもしれないですし身近にも案外居たりして、全く他人事ではないんですよね。
ありがとうございます。近くに上映がないのでどうしょうか悩んでいました。やはり観に行く事にします。
すごく素直な方だと思い元々視聴者ですが好感がもてました、、!呪術廻戦23話起首雷同で伏黒恵が「私はあなたを殺しません だからあなたも私を殺さないで ください 相手の尊厳を脅かさない線引き それがルール」と言っているのですが、まさにこの話だなと思います
犯人を1ミリも擁護する気はないが過酷な介護現場で働いていたという事実はある介護現場の劣悪な環境の見直しに誰も意見を述べてないのが違和感ある
良くなった方だよ…
精神の方の人絡みで被害を受けた事があるから、そっち方面へは少し思うところがある…でもこの映画はそう言う一元的なレベルじゃないんですよね…
私も自閉症のおっさんから2年間付き纏われたことがあるので、こういった内容は正直誰もが考えたことのある題材だと思います。
人間にとって「死んで良い人の命なんか無い」という立場が揺るがないのは、自分や自分の大切な人が障害を持つことになる可能性がゼロでは無い恐怖から来るのでは…?というのがキレイ事の無い私の考えだと…思う…。ただ、そもそも個人の視点だと命の価値は自分に近い所から優先順位があって当たり前なんだけど、人間が大きな社会を形成するにあたってもっと客観的な価値観やルールが必要になり、時代によって価値観は変化するとして、今の時代は人類史上で一番「人間の定義」が広い価値観が普及しているということなのかな…?そして、その現代の価値観に共感出来ないとこの映画の犯人のような思想になってしまうのだろうか…?
母が介護士なので現実は綺麗事ではないことを重々知った上で観に行きました。植松(さとくん)に反論できないと仰る気持ちは解りますが、私は背骨に障害があり、親が介護士だからこそ、言えることがあります。それは「大病も怪我もしたこと無くて、体鍛えたり入れ墨やら大麻やら楽しめる健康な若い男児には、そりゃ他人の気持ちなんか解んないよね」です。植松も年取ったら思い知るよ、死刑でさっさと居なくなる前に、1度どうにもなら無い病にかかってみてほしいね。その前に死刑になるなら、むしろ人生経験少なすぎて激烈に哀れな一生だと思うわ。と、言いたいね。
沖田さんの言わんとしていることは全面的に理解出来る。誰にも言えなかったけど、この事件があった当時、テレビの前で犯人の事を人間じゃないとかイカれてるとか言う人を横に、自分はどこか深い深い底の底の部分で犯人に共感している部分があった。収監されても尚、一貫して自分の思考を表現し続けてブレていない。もちろん○人や罪を肯定する訳では無いし、じゃあ○ろそうという思想には至らないにしても、犯人の思想に、どこか「正しさ」みたいなものを感じていた。上辺だけや車内から見せた笑顔だけで異常性ばかりにフォーカスをあてるけど、あの日、あのような行動に至るまでの犯人のもっと内側を知りたいとずっと願っていた。初めて文字にしたけど、沖田さんの話を聞いて「まとまらない」という意味がよく分かる。
介護士さんほんとに心と身体の負担が大きすぎて…とりあえず週休5日年収1億くらいにしたげてほしいです…
軽度知的障害当事者としてこの映画は見なくてはって事でレイトショーで見た。精神的にキツイと思われますが当事者から見ればだよなーって感じもあってむしろこういう映画を待っていた!!って感じでよく考えさせられたし矛盾さもあったりで最後の終わり方もいい
さとくんを批難する人。じゃあ意思疎通できなくて、さらに自分を傷つけてくる人を、一生かけて面倒みられるの?って聞きたいな~…
論理は諸刃の剣なんですよね。突き詰めてしまえばどんな人間にも人生に意味はない。でも生きていけるのは人間は論理的な生物ではないからだと思う
めっちゃ重いからこそ深い映画
実話じゃないし漫画だけど夏油もこんな気持ちだったんだねってなった
わかりやすかったです!悲惨な事件思い出すので忌避していたのですが観てみたいと思いました
洋子・陽子・さとくん・洋子夫が生産をする人間(だが必要とされてない)と施設の人々との対比という視点が新たな考察。白黒つかないかつ、センシティブなテーマを、自分の想いを基に動画を作成するのとても良いと思いました
家族に意思無能力者が居ます。命の大切さとお金と気持ちや感情のバランスは頻繁に崩れかけては又建て直しての繰り返しです。
みんな誰かの役に立ってる。日用品、食べ物飲み物、電子機器、光熱費、家賃、服、化粧品、旅行、娯楽etc。あなたが生きてると誰かの雇用に繋がって誰かが給料を貰える。自分は役に立ってないって思っても、冷静に考えればあなたは誰かの役に立ってる。生産性が無い=価値が無いなんて考え方はあり得ない。みんな誰かの役に立って生きてる。
映画はまだ観れていませんがこの事件、簡単な事件じゃないというか誰でも起こしうる可能性がある絶対に駄目なことだけど分からなくもないというか、、、実際に介護していないと分からないこともある。それを仕事にしていないとわからないこともある、、、
綺麗事は時には人を傷つける。
僕の大好きな作品のセリフで「でも、だからこそ現実にしたいじゃない、本当は綺麗事がいいんだもん。これ(拳)でしかやり取りできないなんて、悲しすぎるから。」というセリフがありまして、これに尽きるなという気持ちです。
ありがとうございます!
福田村事件観た翌週に、月観ようとしてたけど、耐えられる気がしなくて保留してる作品です・・・面白そうではあるんだけども・・・
障害者施設で介護の仕事をされている方には尊敬の念しかありませんただこの事件が起きた時、遺族の方々からあまり犯人を責め立てる声が起きなかった事も事実ですつまり、そう言う事です当事者にとっては、綺麗事だけではないのだとつくづく思いました
言い方が悪いかもですが,介護に預ける→自分は介護をしたくないし,愛してないから他人に預けるという解釈を個人的に思ってるので、そういうことかもですね.
賢いですね。ちゃんと本も読まれて。近くでやってませんのでみれてませんが、かなり、苦しい映画と思います。ほんとにあの犯人の顔は、忘れられないのです。死刑をつけ入れてるようですが、考えは、何ひとつかわってないし、反省も全くないです。この事件の時、少なからず、同じ考えの人がいたという事実。私の中に全くない?とは言えないかも。身内や親戚にいないから、わかりません。答えはないです。見れるかもわからない映画です。
逃げられないテーマを描いていたけど、ある意味見た後に現実から逃げたくなる映画でもあったそれくらいさとくんの言葉が重たくて...上映後すぐ立ち上がれないのは久々でした
宮沢りえさんの演技も良かったですが、磯村勇斗さんが入っては行けない部屋で障害者を目にしたときに「はぁ?」の場面、少しゾクッとしました
この動画の最後に単独ライブの告知を入れないあたりが何か好感持てる(単に忘れてるだけかもだけど)
あれから7年という歳月が経ちましたが、私は事件があった年に神経障がい認定を受けた身なので、悲しい事にSNSでは植松の思想に賛同する意見も多かった印象もあるので、改めて障がい者としてこの日本で生きる事の難しさを肌で痛感した思いもあるので、今作は鑑賞するか今も迷っています。
少なくとも植松はあなたのように意思疎通をできる人の事はなんとも思っておらず、介護職の現場で日々言葉も通じずに排泄物を投げつけられたりする生活の中で何かが壊れたんだと思います。私も100%植松には反対派ですが
わたしの家庭は次男が重度の心身障害児がいるんだけどそれはそれはかわいくて家族から大切にされているからこそこの映画怖くて見れない大事な子供が、、そう思う人もいて、わかるけど、、つらくて見れない
🎉今だけでは大人になればわからないね
やっぱりロストケアの時と似たような苦しさ、やるせなさ、結論づけられない闇になりますね…ニュースでも障害のある家族の面倒をみていく事がもうつらい、似たような事柄だと老々介護がもう限界を感じてる、そういった内容をみるたびに、他人事だから言える綺麗事ばかり今まで口にしていたかもしれません沖田さん何度も撮り直しして下さってたんですね、自分はみててこの動画だけでも胸打たれるものがありました。ありがとうございます
障害者施設で長く勤務している者です。例の事件については他人事ではなく、犯人の心理などにすごく興味もあり調べたりしました。今は虐待の視点が厳しくなり、支援員も日々苦労ばかりです。いや、楽しいことも沢山ありますけどね。私も答えは出せないし、意見もまとまりませんでが、やはり綺麗ごとでねじ伏せないと辛くなってしまう部分があるのは事実です。
韓国映画の『トガ二』を見て頂けないでしょうか。あの映画も韓国の障碍者施設で起きた本当にあった事件なのですが、実際はもっと凄惨だったという。正直直視できず、3回に分けて見ました。しかしA型事業所に勤めていた私の一意見なのですが、似た事は良くある話です。野島伸司さんの『聖者の行進』も、実際あった事件を似せてドラマ化したものです。
姉が生まれつき重度身体障害者です。自分の感情をコントロールできず、どんなに正しくても意に介さないと聞き入れず癇癪を起こします。でも私にとってたった1人の姉です。生産性だけが人間の価値ではない、人を傷つけたり殺してはいけない、本当にそのシンプルな綺麗事で本当にいい!と思いました🎉。身内に障害者がいるので、映画本編は見れず、ただ気になる気持ちからこのレビューの動画は有り難いです!ありがとうございます✨
『まとまらない』と言う表現は直球ですね。入ってはならない迷路に捕らえられた印象です。この作品では、犯罪者がアンチヒロインにも見えてしまうのは、私だけでしょうか。
この映画の感想、『人間の作る社会が未発達であり続けている』ことを決して忘れてはいけません。それに尽きます。
キャストにオダギリジョーがいて、沖田さんの綺麗事でいいと聞くとクウガを思い出すね怪人相手に暴力でしか解決できないけど、それは駄目だと、綺麗事でいいんだよ、綺麗事でいたいじゃんそれを現実にしたいとヒロインを諭すシーンが思い浮かんだ。
感想を伺ってぜひ観ようと思いました。誠実に批評されている姿勢が…いつも…いいなと思います。
素晴らしい感想でした、、とても分かりやすかったしスっと入ってきました₍ᐢ •̥ ̫ •̥ ᐢ₎
綺麗事言ってもいい、ってところが共感できました。清潔な信念や社会のためになることを突き詰めると、排除される人は必ず出てきますね。人の形をして、感情を持って生まれてきて、「あなたは社会にとって害悪です。不必要です。なので消えてください。」そうなるよりは綺麗事でも、みんな無事に生きてるほうがいいと思った。社会に必要なくなると消される恐怖があるから人は他人を攻撃するのかもしれないし、能力主義とかよりも平和がやっぱり今はあったほうがいいなと思った。あとね、男女間のリスペクトも大事ですね。夫婦仲がいい家庭からはあんな凶悪犯は出てこないと思うから。
沖田遊戯さんが真摯に語ってくださり、素晴らしい方なんだなと再確認しました、磯村勇斗さんか、重そうだけど、見なきゃやって思いました‼️
この事件の直前に発達障害が発覚しました発達障害者です。この事件の直後、求職中だった私は生きてて良いのかわからず楽に死ぬ方法が無いから生きてる状態でした。生きてる罪から逃れる為に必死に障害理解と改善を頑張り、おかげで障害者雇用ではありますが正社員雇用をして頂けるまでになりました。しかし、未だに自分の後ろには世の中の役に立つ存在じゃなくなったら死ななければならないという危機感があります。
鑑賞後のショックが抜けずにTH-cam内の評論を聞き回ってますが、どれもこれも浅くてそれに腹立ててたとこでした。死刑制度どころか、出生前診断の話すら出てこない評論もあって何を見とんじゃ〜と憤っていたところ、この動画に行き着いてやっと理解してくれる人がいた!って感じになってます。この映画を見たあと「勉強」するかどうがかなり重要だと思うのですが、そういう「きっかけ映画」であって、この映画でなにかがわかったり、なにかを伝えられたりという作品ではないと思います。この映画を見た人全員にこの動画を見てもらいたいですわ。
批判覚悟でコメします。さとくんの思いは半分理解できて半分納得しないけど、他人に被害を出してでも自己中な人間は人として生きる価値がないと思っています。だからといってその人を傷つけたり命を奪おうとまでは思ったことはないけど…
生きる価値ってなに
わかりやすい説明でした。ありがとうございます。
陽子が自宅で飲んでたワイングラスのアップがなんか怖かったんだけど、あのアップはなんだったんだろう
予告の「この映画の刃はあなたに向けられている。」刺さったのはナイショです。
まぁ結局何が正しいか、倫理や道徳、法律なんかも時代によって簡単に変わる物だしね動画でも言われてるけど、今の日本では「社会の安寧を保つ為には人を殺しても良い(死刑)」っていう道徳観が正しいとされてる訳だけど、他国の死刑制度が無い国から見たらそれは正しくない倫理と見做される筈だし。逆に言えば、少し前の時代なら「口減らし」で子どもを殺してたとしても罪とされなかったし、肌の色が違う=人間じゃないみたいな価値観がたった200年前までは普通だった。時代によって価値観は簡単に変わる=共感はしないけど理解は出来てしまうになるんだろうなぁと
自分が意思疎通出来ない人とかかわるとしたらって考えると恐怖心しかないな。それを仕事にしてる人は凄いと思う。何しても反応薄くて、何するかわからないってどうしたらいいんだろ。
赤ちゃんも ある意味そうではないでしょうか?
オッキー、ロストケアで限界やわ。
始めて、コメントさせて頂きます。新参者ですm(__)m結局のところ人の本当の痛みや、苦しみなんて当事者じゃないと分からんと思います。でも、偽善かもしれないし第三者の目には、そうゆう捉え方で映るかもしれませんが、人間は本能だけで生きているわけではないので、理屈や理性があるのなら、やはりなんと言われ用が人を思いやる気持ちは大切だと思います。それは、法律がそういってるからとか、ルールがモラルがとかじゃなくて、気持ちの話しですm(__)mアホみたいな、コメントですが許してください泪
私はこの映画を見て 自分にどの様な気持ちがわき出るか知りたい
今日見ました。映画見て立てなくなるのは初めてでした。
人間としての営みがあってもなくても、どんな偉大なことを成し遂げても凡庸でも、人間は生まれた時から誰一人例外なく地球にとっては不要な存在。偉大なことは人間にとってメリットがあるだけで、そうじゃなければ先人がやらかしたことの尻拭いだけ。人間さえ生まれなければ不幸にならなかった命がたくさんある。これからも続く。食物連鎖から外れて地球のために何も生み出さない人間の命に優生も劣生もない。すべて等しく害悪で害獣で滅びるべき。エゴでひたすら生きてるだけ。それが全て。人間の命に優劣つけてる時点で愚か。皆、地球からしたら不要でしかない。
こういったテーマってマジで難しいこれって結局福祉にかかわるすべてのひとにいえるなとおもった。うーん難しいなと思った。
生きていてほしい!アナタは死刑だけど生きていてほしい!→これが結論。
今日観てきました。もし自分があの施設にいたとしてさとくんに質問されたら何て答えたらいいかわからないです。いつの間にか宮沢りえさんの位置から映画の世界に没入していました。受賞を知ったオダギリジョーさんの帰り道の星空と河原のシーンが美しかったと思いました。
実際に障害者施設で働いてる身として刺さりすぎて、、
実際やまゆり園の事件のすぐ後に京アニ事件が起きて、やまゆりには全く集まらなかった募金が京アニ事件では全国から山のように集まってた。その様子を見て、結局お前らのやってることってやまゆりの犯人と一緒じゃん。興味のある方の被害者にだけ募金するのも立派な差別だろ。人の命は平等じゃないって証明されちゃったじゃんって思った記憶ある。
フレームレートが急に変わったように見えたり、アクション映画みたいな突飛なズームがあったりとカメラワークがおかしな映画だった題材抜きにしても普通に映画として面白いので色んな人におすすめできる〜
二階堂ふみがワインを飲むシーンのグラスにズームインする所とか、首を傾げた様にカメラが傾いたり、独特でしたね。
@@good-sun1387 まさにそれらのショットも含めてですね〜(他にも宮沢りえが初めて職員ロッカーに入室するシーンや夜のやまゆり園の廊下でのシーン等々...)あくまで「連続する静止画」としての映像的技巧や画面内での物体の運動に注目して観てもなかなか歯応えがあったり(なかったり?)しますよね〜
現場のリアルを伝えるみたいなニュアンスで宣伝してたけど言うほど深くなかったな石井監督も大したことないと思ってしまったあんなんじゃ一生懸命に働いてる施設職員が誤解されるしバカにされてる気がした喧嘩売ってんのかと思ったわ期待してたのに残念こんな浅いとは思わなかった所詮話題集めにこの分野に踏み込んだだけロクに下調べもしてないのがよくわかった
さとくんに対して反論する意味なんてないと思う。これは植松の考えを代弁してるだけであって、当時、ほとんどの人は、優生思想についていろんなことを考えて、彼のやったことは間違ってることがわかってる。この映画は、当時の事件を知らない人にはまた考え直す映画だが、当時の事件を知ってる人からしたら、まだ同じことを議論してるのかと思う映画だった。もっと他に議論するところがあるのに
私は障がい者の親です。しかも相模原に住んでいます。
死刑は要らない命の排斥を国が認めるということです。人命を至上としないという判断そのものです。それは植松の、"心がない人は生きる価値がない"という主張となんら変わらないと思います。死刑囚は、事件を起こした者の命を排斥することです。障害がないにしても、裁判で"心がない人"と認められ、死刑に相当するとされたものです。私は植松と対談した障碍者の方が、"植松さんは死刑になると思うけど、生きていてほしいと思う"といった言葉が忘れられません。
キリエのうたの感想聞きたいです
子供が知的障害です。自立した生活を将来的に送れるかわからない障害があります。見るべきだと思って見に行きました。障害を抱える子を持つ親としては、さとくんの思想を理解出来そうな映画(多くの方は理解出来るけど賛同はしないだと私も思いました)にしていたので真似した殺人が増えないか心配しました。綺麗事ですがさとくんは道徳的にサイコパスな悪としてだけ書いて欲しかったです。
さとくん、不良職員コンビをボコればよかったのに
自分語りです、そして長いです、ごめんなさい
元介護職員として老人ホームに勤めていました
意思疎通が出来ず、身体が動かせず、ボロボロになった皮膚は擦れ合っていつも傷だらけで、苦痛に呻く利用者さんがいました
ある日、同僚の一人が「そろそろ生まれ変わって、楽になってもいいんだよ」と涙目で呟きながら介護業務をしていた事がありました
勿論それを言った同僚が行動を起こす事も、それを聞いて共感したわたしも何かするような事はありませんでした
映画本筋の、生産性の有無とはまた違った話ですが、レビューを聞いて一番にこのエピソードを思い出しました
事件の報道を見て、施設には自分では声も出せず身動きも取れない入居者さんはどんな思いをしたのだろうと震えた覚えがあります
逃げる事も出来ず、犯行の音や気配がこちらに来ないか、ただ怯えるしか出来なかったのではないかと思うと、犯人への怒りで涙が溢れました
あれから数年、つい最近自分に障害の診断が出ました
それでも、犯人には一切の共感などせず、沖田さんの仰る通り、綺麗事で生きていきます
人の命を奪ってはいけない、傷つけてはいけない
犯人のやった事を許さない
事件から数年、難しくとも考え続けるべきだという沖田さんの姿勢、その通りだと思います
同じ思いです。私は精神障がい者のホームヘルパーをしていました。在宅なので意思疎通ができない人はあまりいませんでしたが、自分を語られるお気持ち、よく解ります。沖田さんの真摯なお話にも共感できました。やまゆり園事件は忘れてはならない。命の選別はあってはならない。
介護福祉士ですが、正直理解出来ると思いました。
老人介護の現場でも意思疎通が全く取れず糞尿を撒き散らす人がいて、仮に自宅介護をしていた場合、同じ事をする可能性は誰しもにあると思う。
都市伝説ですが、毎年日本で数千人の年寄りの認知症徘徊の行方不明事例があり、その8割強は見つかるが、1割の人は見つかりません。
介護に疲れた家族が山に捨てているのでは?という噂があります。
単なる都市伝説とは思えない部分があり、あり得るかもなぁと思ってしまいます。
それくらい認知症や障害者と関わると色々考えてしまうのです。
誰しもに生きる価値がある。なんて綺麗事に思える気持ちは分かります。
以前、とても信頼していた教育者の方が「高齢出産で変な子が生まれてきたら嫌だよね」とポロっと口に出した事があり、その時の「変な子」と言う言い方が今も頭から離れないです。聖職者でも本心はそう思ってるんだと思いました。
世の中は本当に不公平で神仏も何もないと思っています。
わかる。犯人の思考の流れが、許されないと思いながら「理解」できてしまう。その事に「俺大丈夫か?」と自問いしながら考え込んでしまう映画でした。
自分はこの映画を見て、この世に不可欠な人間なんていないのでは?と思った。誰だって代わりがきくし、たとえば偉大な発見をした数学者や科学者だって、いなければ数年後に誰かが同じような発見をしたかもしれない、誰も発見しなければ違った方向に文明が発展しただけかも。自分自身も小児科医として、昨日まで元気だったのにある日風邪をひいて痙攣が止まらなくて脳に障害が残り、重症心身障害者になる子を何人も見てきた。彼らと私は本質的には何も変わらない。世界に存在しなくても誰も困らない。そういう点で、みんな平等なのかな、と思った。私たちにあるのは生きる権利だけであって、生きる義務も生きる価値もないのだと。
植松のやったことには間違いなく罪を償うべきだが
実際に重度障害者施設で何年も働いている僕は、植松が決して稀な存在ではなく、実際にその場にいれば人間感情として生まれかねない感情だと知ってほしい
実際にやってしまうかどうかの話で、だから虐待はなくならない。
それを現場に入ったこともない人に理解することは不可能だから、植松は最低なサイコパス野郎だと自分は決してそうならないかのような綺麗事しか言わないだろうが、その言葉を聞くたびに違和感しかない。
虐待を行動として生み出さないような余裕ある体制が最も必要だし、支援者を疲弊させてしまうような体制自体が問題である。
糞尿に塗れた重度障害者の方がどんな気持ちなのか自分がその立場になって考えて欲しいし、それを支援している職員の気持ちを想像して欲しい。
その命が必要かどうかは社会に決められるものではなく、自分で決めるものだ。
良く高齢者介護とごっちゃにする人いますが、かなり違うと思いますよ。
小規模と大規模と雲泥の差があります。あれからやまゆり園さんは反省を兼ねて大きく変わりましたよ。
ちなみに今働いてるところは昔のやまゆり園と変わらない、もっと悪い施設なんですよ。
この役を引き受けた俳優さん達が凄いと思う
凄い真摯で真剣な感想で戸惑いながらしゃべっている様子も作品から受けた衝撃が伝わってきて、私も見てみようと思いました。
生産性が無く、負担になってる だからやった という主張だとただただ胸糞悪いが
愛の無い場所で、抗うことの出来ない人たちが毎日のように虐待を受けている それが一生続く 勝手かもしれないが、僕には耐えられなかった
みたいに言われと、お、おう、う~んってなる やったことが同じでも理由で印象が大きく変わる
でも植松は両方言ってんだよなぁ・・・
私もこの映画を視聴しました。福祉の職について6年になります。そこでは大人の精神・身体・知的障がいの方と関わったり、子どもの障がい分野で働いてきました。
意思疎通のできない方、もちろんおられました。
事件の犯人の方の行動は全然理解できませんし、してはいけないことだと思います。
でも、この映画を見て犯行に至るまでの経緯や心情は理解できてしまいました。
理解できたということは、自分の中で"思ったことがある"から。少しでも"共感"できてしまったからなのかもしれないと思います。
様々な職種がありますが、入居施設で働く福祉職の方は、特に人と密接に関わる仕事です。
職員も人間なので、思うようにいかなかったらイライラすることあります。
でも、それを"見せない"ことがプロじゃないんかなと思います。
見せない代わりに、そのフラストレーションを他で消化する。メンタルヘルスがこの職は本当に求められます。
考えることは自由ですけど、それを行動に移すのは絶対に駄目なこと。
これをさとくんや当時の犯人の方の周りに伝えてくれる人がいなかったことがとても悲しく思います。
文章で感想をお伝えしようと思いましたが、様々な感情がありすぎて上手にまとまりません。
最近の福祉業界では、閉ざされた施設から開かれた施設へと変化してきています。
人はそれぞれ難しさを持っていると思います。それが個性、特性です。
それを受け入れあってより良い社会を目指せるように日々仕事している職員もいます!
これを見た方はぜひ今の福祉にも目を向けてもらいたいなと思いました。
動画をあげて、わかりやすく感想を言っていただきありがとうございました!
今は離職していますが介護福祉士として働いていました。
介護してると自身の心身共にすり減るんですよね…
転倒リスクがあるのに忙しなく動いちゃう方とかいらっしゃって結果転倒して「もういい加減にして!」って思うことありました。
介護してる人は決して他人事じゃないと思って観てしまうと思うので覚悟が必要かもしれませんね
沖田の好きなところがギュッと詰まった感想動画だったなあ。尊敬
この事件の当時、記者が「安楽死って言ってるけど、包丁で殺すのは安楽死でない」って投げかけた人がいてそこに関しては犯人が素直に謝ったの思い出した。
そういうとこにとっつける人がいたら犯人は行動をやめたのか否か
殺すことはしてたかもですが,別の殺し方でしていた可能性はありますよね.包丁は安楽死ではない.
原作も読んで事件も調べて、伝え方を選びながらも自分の言葉でしっかりと伝えてくださる沖田さん本当に凄いです…しっかりと心を構えて見に行きたいと思います。
沖田さんの言うように、所詮他人事だし見たくないものを見ていないから綺麗事が言えるのではないか?と、何度も何度も自分に問いかけずにはいられないような映画でした。
生きていることに意味なんか必要でしょうか?
生産性や、何かの役に立つことが求められる世界では生きづらさが募るばかりです。
これは撮らなくちゃいけない映画だったと思いました。
命や人間について、答えなんか簡単に出さなくていいのかもしれません。
「常に考えること」「苦しくても問い続けること」、それが大事なのではと。
それを放棄して簡単に答えを出してしまったのが植松容疑者でありサトくんなんだと思いました。
簡単に答えを出したと言えば、異例の速さでの死刑判決。死刑制度の是非もそうだし、それそこ『臭い物には蓋をする』みたいな考えにも皮肉が効いてる。
考え続けても答えは出ないのかもですね。。
日本は税金も高く、所得の低い若者が貧困で自殺したりするニュースを見ると
このまま綺麗事で済ませていいのかなぁと思ったりもします。
映画を見てやっぱり綺麗事ではなくみんな自分が1番なのはしょうがないなと思いながらズドンと心が落ちていたんですけど、その映画を見に行った日の夜にドラマの「きのう何食べた?」で磯村勇斗さんが子猫ちゃんのコスプレでニャンニャン言ってる姿を見たので昼間は返り血で血まみれになっていた磯村さんとのギャップに困惑してしまったw
公開してすぐに見ました。
実際にあった事件を背景に物語が進んでいきますが、この映画の主題はこの事件ではないように感じました。
この映画の主題はもっと私たちの身近なところにあり、ほとんどの人間の心の中に潜在的にある醜い感情をえぐり出してくるような内容でした。
石井監督がインタビューで「映画には、撮りたい映画と撮らなければいけない映画がある。この映画は圧倒的に後者だ。」と仰っていました。
この監督の言葉を借りるならば、この映画は積極的に見たいと思うような内容ではないかもしれませが、見るべき映画です。
もう一度見たいとは思えませんが、見てよかったと心から思っています。
私は、きっと何年先もこの映画を忘れることはできません。
他人事だと目を背けている我々を捕まえて逃してくれないそんな映画です。
植松のやったことは許されることではないかもしれないけど、でも正直誰もが一度は考えたことがあることですよね。知的障害者の周りの人間は綺麗事じゃなく地獄ですよ。
こうやって本や映画になってみんなに議論される、ってことこそが植松が望んだ展開だろうな
とは言ってもこういうことを議論しないで,植松はやばい,薬中の言ってること,情状酌量の余地もないで片付けるのは絶対に違うと思うので,仕方ないですね.
@@エラー-q9t植松の言ったことで日本は財政危機だからこういう奴らを救う余裕がないんだと言っとったけど、それ嘘だから。そもそも政府がお金を供給してるから世の中に流通してるんだわ。なんか間違った価値判断で実行に移す引き金になってしまうのは恐ろしいと思ったわ
介護士をしています。ロストケアも見にいきました。今作も見たい気持ちと、目を背けたい気持ちとさまざまな感情が渦巻いています。
介護現場でも、意思疎通のできない暴力的な方が多くいらっしゃるので、考えさせられる内容だな、、、と思いました。
ロストケアもやまゆり園がモデルっぽい映画でしたよね
あの内容もとても好きでした
洋子だって夫が成功してから「生きててよかった」と言ったよね。洋子こそ優生思想の最たる人でした。
結果、さとくんを否定してよい人間はいないのではないかな?
扱うのも、話すのも難しいテーマ・作品だったと思いますし、すごく言葉を選んで話して下さったと思います。
でもその熱意や労力や緊張感や気遣いetc画面越しにも伝わってきて、思わず見入ってしまいました。
勇気ある、素晴らしいレビュー動画をありがとう沖田さん!
ようやく観てきました。
観終わった時に口が開かず、ただSNSで指を動かして気持ちを紛らわせていました。
自分も発達障害として診断、親族に生まれた子供が手術が必要になる可能性があるなど他人事に思えないーいえ、思ってはいけない作品でした。
さとくんを殴りつけたオダギリジョーの気持ちと、でもどこかでさとくん的な気持ちが覗き込むような嫌な気持ちが同居して気持ち悪かったです。
言葉を紡ぐのが難しいですが、この作品は差別的な感情・命の選別を突きつけられても「それでも」と抗い続ける事の大切さも伝えたかったのではないかと思いました。
映画「月」の感想が聞けて良かったです。
色々ありまして、この映画を観たら自分のメンタルが潰れる覚悟が必要で。
命の淘汰は昔からされている人間の闇で。それは表だって行われたか、秘密裏にされたか、集団で正当性を持ってされたのか。個人的には色々な面があると思っています。
ただ、一人でもその命、存在がなくなった時、悲しむ人がいるのなら、大事な命だと思っています。その命がなくなったことで人生変わってしまうこともあると考えるので。
自分を人生を大事にして欲しい。大事にして欲しかった。命が関わることは、自分も他人も家族も全ての人生が狂っていったり、修復されたりすると思います。
子供が生まれたことを忌み嫌う人はほとんどいないと思うのです。もちろん、自己中な方で「こんな人間が」とか「こんな子を」と思う方もいるかもしれませんが。
誕生を嫌うもしくは嫌われる命はないと思いたいです。
善と悪、信仰と異端者、ここで言う「生産性の有無」、なんだって良いけど、物事を白黒でしか判断出来ない人って不幸だな。生きることに必死にはなるべきだけど、そこには正しさも間違いも無いはずだ
さっき観てきた。
序盤にかけてのしつこいくらい解りやすい演出に辟易しかけたんだけど、あくまで解決出来ない主題と中和する為の演出なのかと途中から思えた。
オダギリジョーの最初なんだこいつって建前のキャラ設計も本音が決壊した時のカタルシスあって良かった。
磯村くんは流石。
自分の中にある差別意識をまざまざと見せつけられ、とても苦しい映画でした。
劇中で障がい者の方が写し出された時、どうしても「気持ち悪い」「自分とは違う」と感じてしまう自分がいました。さとくんの言っていることに反論しようとしても、何も思いつかない、洋子の反論も空虚に聞こえてしまう、自分も差別する側なんだという現実を突きつけられました。
ただ、オダギリジョーさん演じる昌平だけがかすかな救いだった気がします。作る映画はずっと評価されず、職場の先輩から馬鹿にされ、自分でさえも価値を見出せずにいたけれど、終盤で小さいながらも賞を取ることができた。世の中のほとんどの人がいらない・生産性がないという烙印を押しても、どこかに価値を見出してくれる人がいるかもしれない。そう信じて映画館を後にしました。
全くまとまらんかったってラストで言ってる割にキチンと言いたい事がまとまってて流石だと思いました。
『考えさせれる映画』なんて甘っちょろい感想が通らないそんな映画。
あらゆる事柄で『肯定は出来ないけど否定も出来ない』そんな問いかけのオンパレードで、思考停止しそうで…それだと本末転倒だし…
沖田と同じで、事件当時の植松の印象は『半グレでイッちゃてるヤバい奴が起こした事件』って印象だったけど、事件までの経緯とトリガーが、あぁも順追って映されたら、ぐぅの音も出ないと言うか、変に納得してしまう所もあったりと…
『福田村事件』といい『月』といい、重いけど観て良かったと思える映画でした。
安易に他人に面白かったから観て!とは言えないけど、大切な友達とか考え方とかを共有したい人には観てもらって感想を言い合いたくなる映画でした
軽度知的障害当事者ですが確かにこれは普通にオススメは出来ませんよね。ただ自分もこの映画を見て仲が良い同じ障害の知人にコレ絶対に見てと言って後日に見に行ったら凄かったと言ってたし。
感想は出来ないけど施設の障害とは立場的には違うけどレッテルはそうなってるからこそ分かるものでした
感想語るだけでも精神すり減るのに演じてる方々の精神状態心配になりますね😢
仮にこの世界にいらない人間が居たとして、それを決めるのは犯人じゃないよね
普通の人は障がいというと精神障がい者を連想する方が多いかもしれませんが、障がい者にも種類があります。精神的なものもあれば、事故にあい後遺症が残った人もまた障がい者です。障がい者はいつ自分もなってもおかしくない身近なものだと私は思っています。
本当に本当に共感します。
障害には発達障害もありますが、自分がADHDと診断されたのは大人になってからでした。
自分は健常者だと思っている方々の中にも病院行ったら発達障害だったなんて人は案外居るかもしれないですし身近にも案外居たりして、全く他人事ではないんですよね。
ありがとうございます。
近くに上映がないのでどうしょうか悩んでいました。やはり観に行く事にします。
すごく素直な方だと思い元々視聴者ですが好感がもてました、、!
呪術廻戦23話起首雷同で伏黒恵が
「私はあなたを殺しません
だからあなたも私を殺さないで
ください
相手の尊厳を脅かさない線引き
それがルール」
と言っているのですが、まさにこの話だなと思います
犯人を1ミリも擁護する気はないが過酷な介護現場で働いていたという事実はある
介護現場の劣悪な環境の見直しに誰も意見を述べてないのが違和感ある
良くなった方だよ…
精神の方の人絡みで被害を受けた事があるから、そっち方面へは少し思うところがある…
でもこの映画はそう言う一元的なレベルじゃないんですよね…
私も自閉症のおっさんから2年間付き纏われたことがあるので、こういった内容は正直誰もが考えたことのある題材だと思います。
人間にとって「死んで良い人の命なんか無い」という立場が揺るがないのは、自分や自分の大切な人が障害を持つことになる可能性がゼロでは無い恐怖から来るのでは…?
というのがキレイ事の無い私の考えだと…思う…。
ただ、そもそも個人の視点だと命の価値は自分に近い所から優先順位があって当たり前なんだけど、人間が大きな社会を形成するにあたってもっと客観的な価値観やルールが必要になり、時代によって価値観は変化するとして、
今の時代は人類史上で一番「人間の定義」が広い価値観が普及しているということなのかな…?
そして、その現代の価値観に共感出来ないとこの映画の犯人のような思想になってしまうのだろうか…?
母が介護士なので現実は綺麗事ではないことを重々知った上で観に行きました。
植松(さとくん)に反論できないと仰る気持ちは解りますが、私は背骨に障害があり、親が介護士だからこそ、言えることがあります。
それは「大病も怪我もしたこと無くて、体鍛えたり入れ墨やら大麻やら楽しめる健康な若い男児には、そりゃ他人の気持ちなんか解んないよね」です。
植松も年取ったら思い知るよ、死刑でさっさと居なくなる前に、1度どうにもなら無い病にかかってみてほしいね。
その前に死刑になるなら、むしろ人生経験少なすぎて激烈に哀れな一生だと思うわ。
と、言いたいね。
沖田さんの言わんとしていることは全面的に理解出来る。
誰にも言えなかったけど、この事件があった当時、テレビの前で犯人の事を人間じゃないとかイカれてるとか言う人を横に、自分はどこか深い深い底の底の部分で犯人に共感している部分があった。収監されても尚、一貫して自分の思考を表現し続けてブレていない。もちろん○人や罪を肯定する訳では無いし、じゃあ○ろそうという思想には至らないにしても、犯人の思想に、どこか「正しさ」みたいなものを感じていた。上辺だけや車内から見せた笑顔だけで異常性ばかりにフォーカスをあてるけど、あの日、あのような行動に至るまでの犯人のもっと内側を知りたいとずっと願っていた。初めて文字にしたけど、沖田さんの話を聞いて「まとまらない」という意味がよく分かる。
介護士さんほんとに心と身体の負担が大きすぎて…とりあえず週休5日年収1億くらいにしたげてほしいです…
軽度知的障害当事者としてこの映画は見なくてはって事でレイトショーで見た。
精神的にキツイと思われますが当事者から見ればだよなーって感じもあってむしろこういう映画を待っていた!!って感じでよく考えさせられたし矛盾さもあったりで最後の終わり方もいい
さとくんを批難する人。じゃあ意思疎通できなくて、さらに自分を傷つけてくる人を、一生かけて面倒みられるの?って聞きたいな~…
論理は諸刃の剣なんですよね。突き詰めてしまえばどんな人間にも人生に意味はない。でも生きていけるのは人間は論理的な生物ではないからだと思う
めっちゃ重いからこそ深い映画
実話じゃないし漫画だけど夏油もこんな気持ちだったんだねってなった
わかりやすかったです!悲惨な事件思い出すので忌避していたのですが観てみたいと思いました
洋子・陽子・さとくん・洋子夫が生産をする人間(だが必要とされてない)と施設の人々との対比という視点が新たな考察。白黒つかないかつ、センシティブなテーマを、自分の想いを基に動画を作成するのとても良いと思いました
家族に意思無能力者が居ます。命の大切さとお金と気持ちや感情のバランスは頻繁に崩れかけては又建て直しての繰り返しです。
みんな誰かの役に立ってる。日用品、食べ物飲み物、電子機器、光熱費、家賃、服、化粧品、旅行、娯楽etc。あなたが生きてると誰かの雇用に繋がって誰かが給料を貰える。自分は役に立ってないって思っても、冷静に考えればあなたは誰かの役に立ってる。
生産性が無い=価値が無いなんて考え方はあり得ない。みんな誰かの役に立って生きてる。
映画はまだ観れていませんが
この事件、簡単な事件じゃないというか誰でも起こしうる可能性がある
絶対に駄目なことだけど
分からなくもないというか、、、
実際に介護していないと分からないこともある。それを仕事にしていないとわからないこともある、、、
綺麗事は時には人を傷つける。
僕の大好きな作品のセリフで「でも、だからこそ現実にしたいじゃない、本当は綺麗事がいいんだもん。これ(拳)でしかやり取りできないなんて、悲しすぎるから。」というセリフがありまして、これに尽きるなという気持ちです。
ありがとうございます!
福田村事件観た翌週に、月観ようとしてたけど、耐えられる気がしなくて保留してる作品です・・・面白そうではあるんだけども・・・
障害者施設で介護の仕事をされている方には尊敬の念しかありません
ただこの事件が起きた時、遺族の方々からあまり犯人を責め立てる声が起きなかった事も事実です
つまり、そう言う事です
当事者にとっては、綺麗事だけではないのだとつくづく思いました
言い方が悪いかもですが,介護に預ける→自分は介護をしたくないし,愛してないから他人に預けるという解釈を個人的に思ってるので、そういうことかもですね.
賢いですね。ちゃんと本も読まれて。近くでやってませんのでみれてませんが、かなり、苦しい映画と思います。ほんとにあの犯人の顔は、忘れられないのです。死刑をつけ入れてるようですが、考えは、何ひとつかわってないし、反省も全くないです。この事件の時、少なからず、同じ考えの人がいたという事実。私の中に全くない?とは言えないかも。身内や親戚にいないから、わかりません。答えはないです。見れるかもわからない映画です。
逃げられないテーマを描いていたけど、ある意味見た後に現実から逃げたくなる映画でもあった
それくらいさとくんの言葉が重たくて...
上映後すぐ立ち上がれないのは久々でした
宮沢りえさんの演技も良かったですが、磯村勇斗さんが入っては行けない部屋で障害者を目にしたときに「はぁ?」の場面、少しゾクッとしました
この動画の最後に単独ライブの告知を入れないあたりが何か好感持てる(単に忘れてるだけかもだけど)
あれから7年という歳月が経ちましたが、私は事件があった年に神経障がい認定を受けた身なので、悲しい事にSNSでは植松の思想に賛同する意見も多かった印象もあるので、改めて障がい者としてこの日本で生きる事の難しさを肌で痛感した思いもあるので、今作は鑑賞するか今も迷っています。
少なくとも植松はあなたのように意思疎通をできる人の事はなんとも思っておらず、介護職の現場で日々言葉も通じずに排泄物を投げつけられたりする生活の中で何かが壊れたんだと思います。私も100%植松には反対派ですが
わたしの家庭は次男が重度の心身障害児がいるんだけどそれはそれはかわいくて家族から大切にされているからこそこの映画怖くて見れない
大事な子供が、、そう思う人もいて、わかるけど、、
つらくて見れない
🎉今だけでは大人になればわからないね
やっぱりロストケアの時と似たような苦しさ、やるせなさ、結論づけられない闇になりますね…
ニュースでも障害のある家族の面倒をみていく事がもうつらい、似たような事柄だと老々介護がもう限界を感じてる、そういった内容をみるたびに、他人事だから言える綺麗事ばかり今まで口にしていたかもしれません
沖田さん何度も撮り直しして下さってたんですね、自分はみててこの動画だけでも胸打たれるものがありました。ありがとうございます
障害者施設で長く勤務している者です。
例の事件については他人事ではなく、犯人の心理などにすごく興味もあり調べたりしました。
今は虐待の視点が厳しくなり、支援員も日々苦労ばかりです。
いや、楽しいことも沢山ありますけどね。
私も答えは出せないし、意見もまとまりませんでが、
やはり綺麗ごとでねじ伏せないと辛くなってしまう部分があるのは事実です。
韓国映画の『トガ二』を見て頂けないでしょうか。あの映画も韓国の障碍者施設で起きた本当にあった事件なのですが、実際はもっと凄惨だったという。正直直視できず、3回に分けて見ました。しかしA型事業所に勤めていた私の一意見なのですが、似た事は良くある話です。野島伸司さんの『聖者の行進』も、実際あった事件を似せてドラマ化したものです。
姉が生まれつき重度身体障害者です。自分の感情をコントロールできず、どんなに正しくても意に介さないと聞き入れず癇癪を起こします。
でも私にとってたった1人の姉です。生産性だけが人間の価値ではない、人を傷つけたり殺してはいけない、本当にそのシンプルな綺麗事で本当にいい!と思いました🎉。身内に障害者がいるので、映画本編は見れず、ただ気になる気持ちからこのレビューの動画は有り難いです!ありがとうございます✨
『まとまらない』と言う表現は直球ですね。
入ってはならない迷路に捕らえられた印象です。この作品では、犯罪者がアンチヒロインにも見えてしまうのは、私だけでしょうか。
この映画の感想、『人間の作る社会が未発達であり続けている』ことを決して忘れてはいけません。それに尽きます。
キャストにオダギリジョーがいて、沖田さんの綺麗事でいいと聞くとクウガを思い出すね
怪人相手に暴力でしか解決できないけど、それは駄目だと、綺麗事でいいんだよ、綺麗事でいたいじゃんそれを現実にしたいとヒロインを諭すシーンが思い浮かんだ。
感想を伺ってぜひ観ようと思いました。誠実に批評されている姿勢が…いつも…
いいなと思います。
素晴らしい感想でした、、とても分かりやすかったしスっと入ってきました₍ᐢ •̥ ̫ •̥ ᐢ₎
綺麗事言ってもいい、ってところが共感できました。
清潔な信念や社会のためになることを突き詰めると、排除される人は必ず出てきますね。
人の形をして、感情を持って生まれてきて、「あなたは社会にとって害悪です。不必要です。なので消えてください。」そうなるよりは綺麗事でも、みんな無事に生きてるほうがいいと思った。
社会に必要なくなると消される恐怖があるから人は他人を攻撃するのかもしれないし、能力主義とかよりも平和がやっぱり今はあったほうがいいなと思った。
あとね、男女間のリスペクトも大事ですね。夫婦仲がいい家庭からはあんな凶悪犯は出てこないと思うから。
沖田遊戯さんが真摯に語ってくださり、素晴らしい方なんだなと再確認しました、磯村勇斗さんか、重そうだけど、見なきゃやって思いました‼️
この事件の直前に発達障害が発覚しました発達障害者です。この事件の直後、求職中だった私は生きてて良いのかわからず楽に死ぬ方法が無いから生きてる状態でした。
生きてる罪から逃れる為に必死に障害理解と改善を頑張り、おかげで障害者雇用ではありますが正社員雇用をして頂けるまでになりました。
しかし、未だに自分の後ろには世の中の役に立つ存在じゃなくなったら死ななければならないという危機感があります。
鑑賞後のショックが抜けずにTH-cam内の評論を聞き回ってますが、どれもこれも浅くてそれに腹立ててたとこでした。
死刑制度どころか、出生前診断の話すら出てこない評論もあって何を見とんじゃ〜と憤っていたところ、この動画に行き着いてやっと理解してくれる人がいた!って感じになってます。
この映画を見たあと「勉強」するかどうがかなり重要だと思うのですが、そういう「きっかけ映画」であって、この映画でなにかがわかったり、なにかを伝えられたりという作品ではないと思います。
この映画を見た人全員にこの動画を見てもらいたいですわ。
批判覚悟でコメします。
さとくんの思いは半分理解できて半分納得しないけど、他人に被害を出してでも自己中な人間は人として生きる価値がないと思っています。だからといってその人を傷つけたり命を奪おうとまでは思ったことはないけど…
生きる価値ってなに
わかりやすい説明でした。ありがとうございます。
陽子が自宅で飲んでたワイングラスのアップがなんか怖かったんだけど、あのアップはなんだったんだろう
予告の「この映画の刃はあなたに向けられている。」
刺さったのはナイショです。
まぁ結局何が正しいか、倫理や道徳、法律なんかも時代によって簡単に変わる物だしね
動画でも言われてるけど、今の日本では「社会の安寧を保つ為には人を殺しても良い(死刑)」っていう道徳観が正しいとされてる訳だけど、他国の死刑制度が無い国から見たらそれは正しくない倫理と見做される筈だし。
逆に言えば、少し前の時代なら「口減らし」で子どもを殺してたとしても罪とされなかったし、肌の色が違う=人間じゃないみたいな価値観がたった200年前までは普通だった。
時代によって価値観は簡単に変わる=共感はしないけど理解は出来てしまうになるんだろうなぁと
自分が意思疎通出来ない人とかかわるとしたらって考えると恐怖心しかないな。それを仕事にしてる人は凄いと思う。
何しても反応薄くて、何するかわからないってどうしたらいいんだろ。
赤ちゃんも ある意味そうではないでしょうか?
オッキー、ロストケアで限界やわ。
始めて、コメントさせて頂きます。新参者ですm(__)m
結局のところ人の本当の痛みや、苦しみなんて当事者じゃないと分からんと思います。
でも、偽善かもしれないし第三者の目には、そうゆう捉え方で映るかもしれませんが、人間は本能だけで生きているわけではないので、理屈や理性があるのなら、やはりなんと言われ用が人を思いやる気持ちは大切だと思います。
それは、法律がそういってるからとか、ルールがモラルがとかじゃなくて、気持ちの話しですm(__)m
アホみたいな、コメントですが許してください泪
私はこの映画を見て 自分にどの様な気持ちが
わき出るか知りたい
今日見ました。
映画見て立てなくなるのは初めてでした。
人間としての営みがあってもなくても、どんな偉大なことを成し遂げても凡庸でも、人間は生まれた時から誰一人例外なく地球にとっては不要な存在。偉大なことは人間にとってメリットがあるだけで、そうじゃなければ先人がやらかしたことの尻拭いだけ。人間さえ生まれなければ不幸にならなかった命がたくさんある。これからも続く。食物連鎖から外れて地球のために何も生み出さない人間の命に優生も劣生もない。すべて等しく害悪で害獣で滅びるべき。エゴでひたすら生きてるだけ。それが全て。人間の命に優劣つけてる時点で愚か。皆、地球からしたら不要でしかない。
こういったテーマってマジで難しいこれって結局福祉にかかわるすべてのひとにいえるなとおもった。うーん難しいなと思った。
生きていてほしい!アナタは死刑だけど生きていてほしい!→これが結論。
今日観てきました。もし自分があの施設にいたとしてさとくんに質問されたら何て答えたらいいかわからないです。いつの間にか宮沢りえさんの位置から映画の世界に没入していました。受賞を知ったオダギリジョーさんの帰り道の星空と河原のシーンが美しかったと思いました。
実際に障害者施設で働いてる身として刺さりすぎて、、
実際やまゆり園の事件のすぐ後に京アニ事件が起きて、やまゆりには全く集まらなかった募金が京アニ事件では全国から山のように集まってた。
その様子を見て、結局お前らのやってることってやまゆりの犯人と一緒じゃん。興味のある方の被害者にだけ募金するのも立派な差別だろ。人の命は平等じゃないって証明されちゃったじゃんって思った記憶ある。
フレームレートが急に変わったように見えたり、アクション映画みたいな突飛なズームがあったりとカメラワークがおかしな映画だった
題材抜きにしても普通に映画として面白いので色んな人におすすめできる〜
二階堂ふみがワインを飲むシーンのグラスにズームインする所とか、首を傾げた様にカメラが傾いたり、独特でしたね。
@@good-sun1387 まさにそれらのショットも含めてですね〜(他にも宮沢りえが初めて職員ロッカーに入室するシーンや夜のやまゆり園の廊下でのシーン等々...)
あくまで「連続する静止画」としての映像的技巧や画面内での物体の運動に注目して観てもなかなか歯応えがあったり(なかったり?)しますよね〜
現場のリアルを伝えるみたいなニュアンスで宣伝してたけど
言うほど深くなかったな
石井監督も大したことないと思ってしまった
あんなんじゃ一生懸命に働いてる施設職員が誤解されるし
バカにされてる気がした
喧嘩売ってんのかと思ったわ
期待してたのに残念
こんな浅いとは思わなかった
所詮話題集めにこの分野に踏み込んだだけ
ロクに下調べもしてないのがよくわかった
さとくんに対して反論する意味なんてないと思う。これは植松の考えを代弁してるだけであって、当時、ほとんどの人は、優生思想についていろんなことを考えて、彼のやったことは間違ってることがわかってる。この映画は、当時の事件を知らない人にはまた考え直す映画だが、当時の事件を知ってる人からしたら、まだ同じことを議論してるのかと思う映画だった。もっと他に議論するところがあるのに
私は障がい者の親です。
しかも相模原に住んでいます。
死刑は要らない命の排斥を国が認めるということです。人命を至上としないという判断そのものです。それは植松の、"心がない人は生きる価値がない"という主張となんら変わらないと思います。死刑囚は、事件を起こした者の命を排斥することです。障害がないにしても、裁判で"心がない人"と認められ、死刑に相当するとされたものです。私は植松と対談した障碍者の方が、"植松さんは死刑になると思うけど、生きていてほしいと思う"といった言葉が忘れられません。
キリエのうたの感想聞きたいです
子供が知的障害です。自立した生活を将来的に送れるかわからない障害があります。見るべきだと思って見に行きました。障害を抱える子を持つ親としては、さとくんの思想を理解出来そうな映画(多くの方は理解出来るけど賛同はしないだと私も思いました)にしていたので真似した殺人が増えないか心配しました。綺麗事ですがさとくんは道徳的にサイコパスな悪としてだけ書いて欲しかったです。
さとくん、不良職員コンビをボコればよかったのに