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うぽつです。いつも軍事考察楽しみにしています。呉が一枚岩ではない故に考察しづらいの正直すごく分かります。呉書も所々矛盾があったりしますし…。
そうですね特に年数の間違いが一番酷いのが呉書ですし、呉関連のは沢山作られた分、玉石混交でしかも一番最後の編纂なので陳寿も大変だったんだろうな、とか思ってます
戦闘よりも飢えや病気の方が遥かに多いのも見逃せない
孔明は負けないように戦おうとしていたのに対し、姜維は勝てるように戦おうとしていたイメージ。
確かにそんなイメージありますね!
今回の動画も楽しく拝見させて戴きました。孔明のドクトリンのもう一つの長所は兵の教育訓練を大幅な短縮が期待出来る事も無視出来ませんね(少なくとも訓練~実戦配備迄の時間が槍や刀剣の半分位の時間で済むのでは)
日本の戦国時代は刀で戦うのは滅多にないって話は聞いたことあるな、最初は弓やら投石やらでの攻撃が多かったと聞くし、、、映画しんちゃんの戦国アッパレはかなり研究してて、それを踏まえて作成したらしいし、三国志の時代も似たような感じだったのかなあと思いました。
戦国時代の投石部隊というと武田家の小山田隊が有名ですよね
姜維の根っこはやっぱり西方の異民族の戦い方なんだろうなぁ・・
公孫瓚辺りも言えるのでは?ちなみに私が好きなドクトリンは、焦土戦です(笑笑)
焦土戦はドクトリンなのか?(笑
如何に戦争に勝つかを装備、行動教義、その他諸々の工夫でデザインした方法論、だとしたら、入るのでは(笑)?ロシアの退却戦略も似たようなものかと。当然、意識はして無いでしょうが。
運転しててふと思ったのですが、言葉の定義の話になりますが、ドクトリンって国家で統一した戦闘行動を取るという発明とするならば、個々の武将の得意なやりかたと区別されるべき方法論だと思います。だとしたら、文書で定義され、それを使って国家全員で運用されてなければいけません。ということで、三国志の時代では存在しなかったのではと思います。ドクトリンという概念の発明ってナポレオン時代ぐらいからじゃないでしょうか?だって、如何に古代中国が超先進地帯だとしても、弥生時代ですよ(笑)?と、全く根拠のない妄想。
姜維の機動欺瞞戦術は、費禕に兵力を制限された中で実戦経験を積んだために採用された戦闘教義なのかな…?加えて、羌族との連携(便乗?)のためにも主力部隊に機動力を求めたとか…
そういう側面もあったかも知れませんね!
ディープ・バトルが第一次大戦の「塹壕戦」が元祖、発展化したのが「モスクワ攻防戦(ソ連サイド)」だったりします。あと、戦車に関してですが、実は発想自体は「中世」の時点であり、元ネタは「ランドシップ」だったりしますよ。(当然、当時の技術ではムリ!)撤退戦で損害が多くなる理由は「逃げられる状況で、まともに戦うものは少ない」「指揮系統が寸断されている(命令が届かない)」「情報の海による飽和(司令部の大混乱)」が主な要因だと思ってます。
ディープバトルはトハチェフスキーがその著書で「戦いは量に寄って決し得る」と説いた様にフラーの機動戦理論とは違ってましたね!中世で戦車というとダヴィンチのやつくらいしか知りませんでした!興味あるので詳しい情報を教えて頂けますか?ランドシップは実際にイギリスではそう呼ばれてましたし、海軍国らしい命名ですよね。
@@装甲猫 「戦車がある」のではなく、「発想しかなかった(戦車は作られていない)」と書いたほうが正確でしたね。勘違いさせて申し訳ございません;;実際に「船を陸上移動させた(輸送した)」のは「オスマン艦隊の山越え」が有名でしょう。あとは「アレクサンドリア方面(スエズ運河)」辺りでも「発想(戦車は作られていない)」はあったようです。
なるほど。発想的には亀甲車なんかも近いかも知れませんね。塹壕戦というのが19世紀に入ってのものですしね。
いつも楽しく拝見させてもらってます。曹操はその長大な国土のため兵站を重視せざるを得なかったし、姜維は涼州調略のために機動性を重視せざるを得なかったのではないか。そうなると諸葛亮が火力優勢や会戦主義を取らざるを得なかった理由も何となくボンヤリ見えてくる様な…。私見では、魏蜀の国力差や蜀の兵站不安、孔明個人の城攻めの不得手、などが重なってああいう選択をしたのかなと。北伐では司馬懿にその背景を見抜かれていたので最終的には敗北した様に思います。挑発において司馬懿に女物の服飾を送るぐらいではなく、もっと過激でえげつない謀略を用いていたら歴史は変わったかもとは思いますが、諸葛亮没後、普においても彼の忠誠心が褒められていた位の人物ですので、やはり性格的に採用できないドクトリンもあるかも分からんね、とか思いました。
馬謖の回での装甲猫さんの『街亭の戦いにはもっとヒミツがある』というコメントが気になって仕方ありません。また良かったら動画作ってください。
おお、こっちのシリーズではコメントが少ないので嬉しいです。良かったら他のも観てみて下さいね
近接武器からは逃げやすいけど、投射兵器からは逃げるの難しいしなw
いっ、一般教養のレベルが高すぎる💧 私まだウホウホしてる
詳しい人はドイツ語の文献とか高い資料を所蔵して凄く詳しいですからね〜
@@装甲猫 ドッ、ドイツ語文献!?すまねぇフランス語はさっぱりなんだ………冗談はさておき序盤を見ながら低レベルなウホウホ語で感想を述べてしまいましたが投射兵器の優勢などとても興味深いです、孔明がここを攻めた曹操が領土を広げたその間にこんな事が中華では起きていたなどただ漠然と歴史をなぞるだけでした、実際国家、戦術、方針など深くは見ていなくて自分の勉強不足からか目から鱗落ちまくりです💦
ジャパンだと武田の騎馬隊とか家康の野戦得意ってのが似たお話でしょうか。よく最強キャラとして描かれる、呂布や本田忠勝が機動系弓術タイプってのも聞くけど。統計学もネットも無い当時で「弓磨けば良いんじゃね?」って気づくこと自体凄いですよね。勿論、人づてに戦場で危ないのは弓って聞いたりはしてるだろうけど。逆もあるか、元々けっこう弓得意だし「あれ?これめっちゃ有利じゃない?」とか。行軍や兵種のグループの話で気にはなってたけど、どの武将がどういう戦い方が得意だったとか、具体的なやつってほとんど伝わってないんですね。あ、でも想像したら、たまたま合戦見ちゃったとしても、どういう風にしてどこをどうやったからあっちの軍が勝ったんだとか再現VTR無い時代では分析も難しいですね。馬超の戦い方が気になってるんですが。有名な割に謎が多いんですよね
ここでのバックハンドブローとはハリコフでのマンシュタインのバックハンドブロウの事でしょうか。そうであればイメージとして判りやすいです。
そうです特に鹵城会戦などは見事な戦いぶりでしたね
アーマドコアでドクトリン作って
更新お待ちしてまーす^^
ご期待ありがとうございます。
📅2021/10/09
👍🏼9
新作待ってます
うぽつです。
いつも軍事考察楽しみにしています。
呉が一枚岩ではない故に考察しづらいの正直すごく分かります。
呉書も所々矛盾があったりしますし…。
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特に年数の間違いが一番酷いのが呉書ですし、呉関連のは沢山作られた分、玉石混交でしかも一番最後の編纂なので陳寿も大変だったんだろうな、とか思ってます
戦闘よりも飢えや病気の方が遥かに多いのも見逃せない
孔明は負けないように戦おうとしていたのに対し、姜維は勝てるように戦おうとしていたイメージ。
確かにそんなイメージありますね!
今回の動画も楽しく拝見させて戴きました。孔明のドクトリンのもう一つの長所は兵の教育訓練を大幅な短縮が期待出来る事も無視出来ませんね(少なくとも訓練~実戦配備迄の時間が槍や刀剣の半分位の時間で済むのでは)
日本の戦国時代は刀で戦うのは滅多にないって話は聞いたことあるな、最初は弓やら投石やらでの攻撃が多かったと聞くし、、、
映画しんちゃんの戦国アッパレはかなり研究してて、それを踏まえて作成したらしいし、三国志の時代も似たような感じだったのかなあと思いました。
戦国時代の投石部隊というと武田家の小山田隊が有名ですよね
姜維の根っこはやっぱり西方の異民族の戦い方なんだろうなぁ・・
公孫瓚辺りも言えるのでは?
ちなみに私が好きなドクトリンは、焦土戦です(笑笑)
焦土戦はドクトリンなのか?(笑
如何に戦争に勝つかを装備、行動教義、その他諸々の工夫で
デザインした方法論、だとしたら、入るのでは(笑)?
ロシアの退却戦略も似たようなものかと。当然、意識はして無いでしょうが。
運転しててふと思ったのですが、言葉の定義の話になりますが、
ドクトリンって国家で統一した戦闘行動を取るという発明とす
るならば、個々の武将の得意なやりかたと区別されるべき方法
論だと思います。だとしたら、文書で定義され、それを使って
国家全員で運用されてなければいけません。ということで、三
国志の時代では存在しなかったのではと思います。ドクトリン
という概念の発明ってナポレオン時代ぐらいからじゃないでしょうか?
だって、如何に古代中国が超先進地帯だとしても、弥生時代ですよ(笑)?
と、全く根拠のない妄想。
姜維の機動欺瞞戦術は、費禕に兵力を制限された中で実戦経験を積んだために採用された戦闘教義なのかな…?
加えて、羌族との連携(便乗?)のためにも主力部隊に機動力を求めたとか…
そういう側面もあったかも知れませんね!
ディープ・バトルが第一次大戦の「塹壕戦」が元祖、発展化したのが「モスクワ攻防戦(ソ連サイド)」だったりします。あと、戦車に関してですが、実は発想自体は「中世」の時点であり、元ネタは「ランドシップ」だったりしますよ。(当然、当時の技術ではムリ!)
撤退戦で損害が多くなる理由は「逃げられる状況で、まともに戦うものは少ない」「指揮系統が寸断されている(命令が届かない)」「情報の海による飽和(司令部の大混乱)」が主な要因だと思ってます。
ディープバトルはトハチェフスキーがその著書で「戦いは量に寄って決し得る」と説いた様にフラーの機動戦理論とは違ってましたね!
中世で戦車というとダヴィンチのやつくらいしか知りませんでした!
興味あるので詳しい情報を教えて頂けますか?
ランドシップは実際にイギリスではそう呼ばれてましたし、海軍国らしい命名ですよね。
@@装甲猫 「戦車がある」のではなく、「発想しかなかった(戦車は作られていない)」と書いたほうが正確でしたね。勘違いさせて申し訳ございません;;
実際に「船を陸上移動させた(輸送した)」のは「オスマン艦隊の山越え」が有名でしょう。
あとは「アレクサンドリア方面(スエズ運河)」辺りでも「発想(戦車は作られていない)」はあったようです。
なるほど。
発想的には亀甲車なんかも近いかも知れませんね。
塹壕戦というのが19世紀に入ってのものですしね。
いつも楽しく拝見させてもらってます。
曹操はその長大な国土のため兵站を重視せざるを得なかったし、
姜維は涼州調略のために機動性を重視せざるを得なかったのではないか。
そうなると諸葛亮が火力優勢や会戦主義を取らざるを得なかった理由も何となくボンヤリ見えてくる様な…。
私見では、魏蜀の国力差や蜀の兵站不安、孔明個人の城攻めの不得手、などが重なってああいう選択をしたのかなと。
北伐では司馬懿にその背景を見抜かれていたので最終的には敗北した様に思います。
挑発において司馬懿に女物の服飾を送るぐらいではなく、もっと過激でえげつない謀略を用いていたら歴史は変わったかも
とは思いますが、諸葛亮没後、普においても彼の忠誠心が褒められていた位の人物ですので、やはり性格的に採用できない
ドクトリンもあるかも分からんね、とか思いました。
馬謖の回での装甲猫さんの『街亭の戦いにはもっとヒミツがある』というコメントが気になって仕方ありません。また良かったら動画作ってください。
おお、こっちのシリーズではコメントが少ないので嬉しいです。
良かったら他のも観てみて下さいね
近接武器からは逃げやすいけど、投射兵器からは逃げるの難しいしなw
いっ、一般教養のレベルが高すぎる💧
私まだウホウホしてる
詳しい人はドイツ語の文献とか高い資料を所蔵して凄く詳しいですからね〜
@@装甲猫 ドッ、ドイツ語文献!?
すまねぇフランス語はさっぱりなんだ………
冗談はさておき序盤を見ながら低レベルなウホウホ語で感想を述べてしまいましたが投射兵器の優勢などとても興味深いです、孔明がここを攻めた曹操が領土を広げたその間にこんな事が中華では起きていたなどただ漠然と歴史をなぞるだけでした、実際国家、戦術、方針など深くは見ていなくて自分の勉強不足からか目から鱗落ちまくりです💦
ジャパンだと武田の騎馬隊とか家康の野戦得意ってのが似たお話でしょうか。
よく最強キャラとして描かれる、呂布や本田忠勝が機動系弓術タイプってのも聞くけど。
統計学もネットも無い当時で「弓磨けば良いんじゃね?」って
気づくこと自体凄いですよね。勿論、人づてに戦場で危ないのは弓って聞いたりはしてるだろうけど。
逆もあるか、元々けっこう弓得意だし「あれ?これめっちゃ有利じゃない?」とか。
行軍や兵種のグループの話で気にはなってたけど、
どの武将がどういう戦い方が得意だったとか、具体的なやつってほとんど伝わってないんですね。
あ、でも想像したら、たまたま合戦見ちゃったとしても、どういう風にしてどこをどうやったから
あっちの軍が勝ったんだとか再現VTR無い時代では分析も難しいですね。
馬超の戦い方が気になってるんですが。有名な割に謎が多いんですよね
ここでのバックハンドブローとはハリコフでのマンシュタインのバックハンドブロウの事でしょうか。そうであればイメージとして判りやすいです。
そうです
特に鹵城会戦などは見事な戦いぶりでしたね
アーマドコアでドクトリン作って
更新お待ちしてまーす^^
ご期待ありがとうございます。
📅2021/10/09
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