沼田藩の歴史① ~北毛の真田家~

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  • เผยแพร่เมื่อ 3 ธ.ค. 2024

ความคิดเห็น • 5

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f 4 หลายเดือนก่อน +1

    真田家少し特殊ですよね
    上田と沼田
    松代と沼田
    距離があり過ぎるので
    これで一つの藩?でも表向きには
    一つの真田家ではあるんですよね
    一応は。逆に関ヶ原の頃の方が
    父弟の上田真田家、長男の沼田真田家がはっきり別れていたような印象。
    まあ長野県では上田も真田、松代も真田と今はなっていてそれも少し変な認識なんですが。江戸時代初期の
    沼田領の扱いはどうなっていたんですかね。信之に両方与えられたとしたら松代と沼田で14〜15万石?
    非常に細分化されていた信濃国の藩では最大勢力になりますね。

  • @良恵堀江
    @良恵堀江 2 ปีที่แล้ว +2

    三好氏の敗走後、徳川家出仕を知りたいです

  • @大宮げんまい
    @大宮げんまい ปีที่แล้ว +1

    本来、昌幸は分家で信之はその長男、小松はその嫁、追いやられた信之の先妻は本家の娘で本来は格上、信之は何とも思わなかったのだろうか?
     それに昌幸達を城に入れなかった小松は実際は大坂にいた様ですが、どうしてそんな食い違いが起きたのか謎です。

  • @じろう-i3e
    @じろう-i3e 2 ปีที่แล้ว +4

    吾妻
    あがつま と読みます

  • @mangakoji
    @mangakoji 2 ปีที่แล้ว +2

    パインアメだな