ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
自転車日本1周をしてから50年、この曲を聴くと当時に一瞬で戻ります。
私が、20才の夏(今から50年前)に北海道一人旅をしていた時にいろいろなユースホステルにお世話になりながら旅をしました。その時に聞いて覚えたメロディーの一つです、この曲は、歌詞がとっても自分に合っていて今でもはっきりと覚えています。私がギターの弾き語りで覚えた初めの頃の曲の一つです。今でもギターを手にしたら自然に歌詞が出てきます。
懐かしくて、また来ました(笑)北海道は、1970年代に何度も訪れました。岩尾別YHで知り合った、美人さんと付き合い、そして結婚、あれから40年、昔の美少女は、凄く太って元気がいい(苦笑)
学生時では自転車サークルに所属していましたが、絵のように自転車をこいだ合宿の打ち上げでは、皆で肩を組みこの歌を歌っていました。懐かしく思い出します。
昭和50年8月高校3年生の時の北海道旅行一人旅で泊まった、釧路YHで初めて聞いた時の感動は、45年近くたった今でも忘れません。オンネトーのコバルトブルーの水面・本当に霧がかかって何も見えなかった霧多布岬・愛国駅で行先も告げず10枚下さいで通じた幸福駅行の切符・摩周湖で語り合った島根大学のお姉さん・台風で北海道内の汽車が動かず、小樽天狗山YHで知り合った京都の二人組の車で、舞鶴港から姫路駅まで送ってもらった事本当に懐かしく思い出します。
ユースホステルには、北海道を中心に、1000泊近く泊まって、今もたまにとまるが、1970年代後半から80年代が一番楽しかったな!
懐かしい。若い頃、北海道旅行ではどこのYHでも歌っていました。あvのころを久しぶりに思い出させてもらいました。時々はこの曲を聞いて北海道を思い出したいと思います。
こんな素敵な曲があったとは 今知りましたとても良い曲ですね亡くなったのがとても悲しですがズ~ト残って欲しいですありがとうございます。
1976年に学生時代はじめての北海道一人旅でYHで聞きました。歌詞をメモに記録し、家でコードを振り付けギターで弾きました。今こうしてTH-camで聞けるとは夢にも思いませんでした。今でも聞くと当時を思い出して涙が出るほど懐かしいです。
1972年夏北海道一人旅礼文島船泊ユースホステルに宿泊したおり唱いました懐かしい歌です。その時島を愛すも唄い念願かない三年前礼文島を訪ねました。桃岩荘ユースでのうたです。もう一度旅したい51年前と同じように❗ちなみに船泊ユースホステルはもうありません
懐かしい!私も北海道の礼文の桃岩ユースでこの曲と島を愛すを覚えました。忘れないようにいつも、歌っています。同じ気持ちの人が居て下さることに、感動します。北海道の旅は47前のことです。あのとき会った人達どうしたいるかなあ。
40年以上前、男女共学の高校生のクラス皆で白樺湖のユースに泊まって、ボード乗ったり、夜道でお化けごっこをしたり。この歌を聴くと甘酸っぱい記憶がよみがってきます。
1975年ごろ、屋久島の郵便局で働いていたときに、地元の青年に教えてもらった懐かしい歌。まさかもう一度聞けるとは思いませんでした。ちなみに当時20歳だった私も、65歳になりました。
40年以上前を、昨日のように、思い出します。廃線なったことなど。
五十年前に北海道のYHで初めて聞いたこの歌、いつの間にか一夜限りの仲間同士でうたったけなあ。みんな今はおじいちゃん、おばあちゃんになって孫もいるだろうけど、この歌でYH巡りの旅をしたことを思い出してほしいな。
40年以上も前、貧乏な旅人をしていた頃、浜頓別YHで、多くの仲間と過ごした思い出・・冬の北海道・・浜頓別から釧路まで、1日でヒッチハイクした時、乗せてくださったトラックの運転手さんから頂いた、1杯のコーヒーの暖かさを今でも覚えています。その頃の、旅の終りは、青函連絡船でした。
はまとんユースまだあるかなあ。行きたい‼️
@@渡辺政子-l9x 私も浜頓別YHがあれば、泊まりに行きたいのですが、すでに閉鎖され、なくなっています・・残念なことです・・青春時代の良き思い出の地がなくなり、写真と思い出だけになってしまっています😓
@@西村勝彦-t5h さま40年、という言葉を口に出せば、遥かに遠い昔のような響きですが、北海道のホステリングを思い出せば、まるで昨日のように思えます。
@@渡辺政子-l9x 浜頓別は、私にとって、青春時代の全てのYH・・夏・・冬・・とこりもせずに訪れては、長期滞在し、全国の旅人の仲間と素晴らしい時を過ごしたものです。今、還暦を迎え、再度北海道を旅するための小銭を貯めるために、パートに励んでいる身です!!浜頓別YHはありませんが、宗谷岬〜知床半島までのオホーツク海に沿ったルートをいつか旅する予定にしています✌️
やっぱり旅の終わりこのバージョンがジーンときますわ~ 1970年代後半青春時代に北海道ワイド周遊券でYHや夜行「からまつ」とかに宿泊したりして旧型客車が発車の時に旅の終わりを聞くとたまらんぐらい北のムード味わえました。 当時の北海道はどこでも汽車旅ができるほど旅情あり楽しかったです。帯広YH踏切で汽車の窓開けて旅の終わり弾いて見送ってくれたり.......今のJR北海道は北海道新幹線と札幌近郊しか頭になく旅情感じられなくなりましたね~ YH全盛期には自転車輪行でも北海道行きましたが、一級国道でも砂利道だったりまた自家用車もほとんどいなくてそこで自転車こぎながら「旅の終わり」を口ずさんでひとり旅が本当に楽しかった時代です。素晴らしい思い出の詩をありがとう。
昭和49年7月25日学生時代の 友人四人で大阪から北陸線経由で北海道を目指しました。もちろん青函連絡船で渡りました。札幌からは当時ホスバスと呼んでいたYHに泊まり、バスで9泊10日の北海道巡りをしました。全国から集まった50人の若者が乗り大いに盛り上がり、別れの時はこの歌を何度も肩を組み歌い続けました。その後、知り合った仲間と礼文島まで足をのばしたのも懐かしい思い出です。70歳になった今もこの歌を聞くと懐かしくて胸が一杯になります。みんなどうされているかなぁ…
この歌を数え切れないほど歌いました。今でも胸が熱くなります。1970年代後半のYHに泊まりまくっていました。
何故か、中学生の頃から口ずさむ歌。こんな辛い旅なんか♪今、肺炎で寝込んでいるベッドの上で。改めて聴いて。あゝ、想い出が蘇ってきます。北海道ユースホステルの歌だと初めて知りました。
44年前、支笏湖YHでは思い出をありがとうございました。
42年前、20日間の国鉄時代周遊券で旅しました。出会った女の子と別れても又は別の町で会えました。
UP主様、ありがとうございます。初めてオリジナルを聞きました。私がYHで知ったこの曲の一番最後の歌詞は『こんなツライ旅だけど、もう一度旅に出よう、汽車に乗ろう』でした。もう40年近く前のことなのに鮮明に覚えているほどこの曲は若かりし頃の私の放浪癖を刺激してくれた正に人生を変えた1曲だと思ってます。
K.Takasakiさま、「旅の終り」は歌手によってさまざまな歌詞があります。またYHによっても歌詞が異なっていたのかもしれません。私のアカウントで現在手に入る7組すべての「旅の終り」をUPしてますから、登録して聞き比べてください。
1974年京都東山YHの夜のミーティングで2夜連続で指導されました。ツーリング終了後に懐かしく思いレコードを探すと青木さんバージョンを発見しました。高3夏の広島から長野県小諸城址を目指したソロツーリングでしたが思い出の曲です。昨年春、大手旅行代理店を卒業しました。
私はこの歌は確か、1983年9月に岩尾別Y・Hに泊まった時に当時のヘルパーさんに教わりました。知床が気に入り、予定外の連泊をし、毎晩ミーティングではいろいろな旅の曲を歌いまくりました!
37年前、1985年北海道の北湯沢YHでヘルパーをして、越冬した。この歌詞の気持ちで、旅していた。
50年前に行きました。利尻島では、自転車とランで1周し、利尻山はあと少しで中断しました。こんどは登りたいです。
懐かしいですね。こんなつらい旅なんて~のフレーズはしっかり記憶にあります。今は廃線になった駅もあって、当時を思いだします
いい歌だなぁ。
今から47年前、名古屋の星ヶ丘の短大の夏休みに、仲良し3人で北海道を二週間近く旅行。礼文ユースに泊まった時に歌った曲、ずっと気になったが、さびの部分しか憶えがなく、、今年スマホにかえ、さびの部分を歌ったら、北海道ユースの歌と出てきて、感激。毎日聞いて歌ってます。涙か出てきます。
いろいろな歌手の方のバージョンがあります。ミックスリストもあるので全部聞いてくださいね。
ユースホステル宿泊スタンプをみながら懐かしい! 懐かしいです。そして、北海道に住んでしまった。ありがとうございます。
数十年前、宿泊スタンプを押しながら、旅したことを思い出が、よみがえりました。ありがとう。
懐かしい歌と画像、ありがとうございます。レコードのノイズがいいですね。
青木さんは、芸大出の声楽家にありがちな変な癖がなくて、もともとの美声を生かした歌い方が素敵です。
心の片隅に 忘れかけていたかすかな記憶 桃岩、美国のお母さん、島牧... あ思い浮かぶあの顔は どこのペアレントさんだっけ? 八甲田、まりも、青函連絡線 また乗りたい。当時の仲間に会いたい。
ユースホステルで歌い継がれているだけだと思っていました。まさかレコードが出ていたなんて。懐かしくて涙が出ます。アップありがとうございます!!
青木氏の明晰な美声に感動。3:20の駅名に「けねべつ」とあり、茫然と文字を見詰めた。子どもの時の想い出とそこで撮った大切な写真がある。懐かしい歌に感謝。
1973年の夏、台風で足止めをくらった支笏湖ユースで教えてもらった唄。原始人のゲンちゃんがギター片手に唄ってくれた。北海道に来たら覚えて帰れと。一緒に足止めをくらった彼女たち、今、どうしているのかな。
この曲がまた聞けるとは思ってもいなかった。
30年以上前・・・自衛隊時代に菅原やすのり氏のこの歌を聞いて、任期満了で除隊と同時に退職金を握り締め、ザック担いで支笏湖YHを振り出しに礼文YHにたどり着いた時の感動・・・夜のミーティングで(あれっ、歌詞が違うなあ・・・)と思ったのも懐かしい思い出。礼文の港に着いた時の桃岩荘YH恒例の出迎えの様子をテープに録音していたら、ダビング希望の方が多く、帰郷後、ダビングして送りましたが、あの時の皆は今頃どうしているやら・・・ちなみに、その時のテープは今でも青春の宝です。
あああのころはパラダイス、よかったなあ。ペアレントのおとうさんおかさん、ヘルパーのひとたち、もうみんな思い出の中、かもいのおかあさん、もっと連泊していけ、なんて、でも旅立った。人と人の出会い。みんなの笑顔。結婚したひともいたな、もう多くのユースが無くなった、さみしいもんだ。旅をしたいな。あんな旅を
コメントありがとうございます。清らかな歌声と美しいメロディ、「旅の終り」は私にとって大切な宝物です!見つけることができて本当に良かった! 感激です!!
40年前の大学生の頃にユースホステル部に所属していてGWと夏休みと冬休みに2週間くらいユースホステルのヘルパーに行きました。もちろん無賃ですが。広島、青森、東尋坊など。夕食後のミーティングの最後の締めに皆でこの曲を合唱しました。今思ってもとても幸せな時間でした。現在に比べてあの時は良い時代だったと思います。
41年前に初めてYHを利用しましたがこの歌は初めて知りましたえりも、ももいわ、このへんはよく覚えています
終わりのない私の旅の車窓から、、、、今、私はとても感動しています。30年前と少しも変わらない美しいメロディ、タイトルも知らないままにあれからもう30年が過ぎていたのですね、、でも今日、この美しいメロディと再会できたことがうれしい、あの頃の楽しかった想い出と辛い別れにも、、いまだから言えるのですね、心からありがとうって、、私の旅の車窓から、、、
すがはらやすのりと芹洋子は、私もシングルを持っていました。青木清は、確か「青春の叙情歌」とかいうタイトルのカセットを持っていてそれで聞いていました。3人のなかでは、青木清が一番良いと思います。
心に染み入るメロディーですね。今、はまっています。サイクリングで行った北海道を思い出しています。
7人(7組)のそれぞれの特長、難点なんとなくわかりました。yuanzencyさん、どうもありがとう。若いころを思い出して、すごく嬉しいです。私は、アラフィーとアラ還の真ん中ぐらいの年ですが、また、「汽車に乗ろう」という気になってきました。
「旅の終わり」といえば青木さんの歌声を思い浮かべます。宮古木村のユースでこの歌に出会ってから今でも車の中で歌っています。学生時代の一人旅は勲章のようなものですね。当時出会ったホステラーは今何をしているのでしょうか?
「旅のおわり」のレコード、4種類くらいあるようですね。デープマン等・・私の一番のお気に入りは自分で録音した桃岩のミーティングテープ。1982年、1983年、1984年版が実家の書庫に埋没している。掘り起こしてもカビだらけだったらどうしよう。 ところで、アップ主の撮った写真、実に良い。懐かしい。しかも廃線になった路線が多い。「北海道ワイド周遊券」と「とらべるまんの北海道」(橙、緑、蒼)の世界だ!
昔、北海道へは上野発 夜行列車 津軽、八甲田、十和田青森まで10時間 青森~函館間4時間係った北海道が、今や4時間で函館まで行くことができるのは大変便利です。
父がYH協会の指導員からのカントリーウォーカーで活動していました。その関係でYHは海外も含め、沢山泊まりました。もう閉所してしまったYHも多いですが、いつまでも残ってほしいです。スタンプカード、集めたなぁ。
青木さんかBOWが私のイメージにはぴったりです。
青木清さんにあえて難点をつけるとすれば、歌が上手すぎて、とても真似できないことかなあ……。この曲は生きる勇気、気力をくれます。
来年還暦を迎える横浜市の中隊長です♪22才かなぁ?大学生の時バイクで北海道1ヶ月間でほとんど全部回りYHにたまに泊まりその時のキャンプファイヤ-で知った想いでの曲誰がオリジナルかわかりません♪ご存じの方教えてください~~♪宜しくお願いします♪
青木さんと言えば、1980年代の前半に、何かの雑誌の記事で、「青木清引退」というのを見て、愕然としたことをかすかに覚えています。「引退」というのは、あくまでキングレコードをやめたということだったのでしょう。現在は、「青木裕史」の名前で活躍されているようで、安心しました。そのうち、青木さんの生の歌声も聞いてみたいと思います。なお、芹さんと菅原さん」は、実物を聞いたことがあります。
❤
TH-camのなかで、この「旅の終り」は、青木さん版は、他に1人、BOWさん版は他に2人の方がアップしていますから、それを加味して再生数を数えると順位は、①青木さん②BOWさん③芹さん④山名さん⑤ダークダックス⑥菅原さん⑦Mr.デーブマンさんの順になり、妥当なところかな、という気がします。
そして。。今はもう無い路線の仮乗降場の写真がいっぱい。。ご自身で撮影されたのでしょうか。
yosi9nnさま、「旅の終り」は少なくとも7人の歌手(グループ)の競作です。私のIDで検索していただければ、すべてをお聞きいただけます。
この曲を使ったCMが、1979年位にあったのだけど、何のCMだったか覚えてる人いないかな?
1970年代の超名曲。旅先で結婚しようと言ったけど‥
ところで、最初の写真で自転車から手を振っていらっしゃるのが、yuanzencyさんですか?
自転車に乗っているのは友人です。私が撮影したので私は写っていません。
今はYHあるの
+Yoshiyuki Nakajima 数は減りましたが、YHはまだあります。ミーティングをするYHは絶滅危惧種でほとんどなくなりました。皿洗いも原則、客がしなくてもよくなりました。昔を懐かしむシニアの客が多いそうです。
自転車日本1周をしてから50年、この曲を聴くと当時に一瞬で戻ります。
私が、20才の夏(今から50年前)に北海道一人旅をしていた時にいろいろなユースホステルにお世話になりながら旅をしました。その時に聞いて覚えたメロディーの一つです、この曲は、歌詞がとっても自分に合っていて今でもはっきりと覚えています。私がギターの弾き語りで覚えた初めの頃の曲の一つです。今でもギターを手にしたら自然に歌詞が出てきます。
懐かしくて、また来ました(笑)北海道は、1970年代に何度も訪れました。岩尾別YHで知り合った、美人さんと付き合い、そして結婚、あれから40年、昔の美少女は、凄く太って元気がいい(苦笑)
学生時では自転車サークルに所属していましたが、絵のように自転車をこいだ合宿の打ち上げでは、皆で肩を組みこの歌を歌っていました。
懐かしく思い出します。
昭和50年8月高校3年生の時の北海道旅行一人旅で泊まった、釧路YHで初めて聞いた時の感動は、45年近くたった今でも忘れません。オンネトーのコバルトブルーの水面・本当に霧がかかって何も見えなかった霧多布岬・愛国駅で行先も告げず10枚下さいで通じた幸福駅行の切符・摩周湖で語り合った島根大学のお姉さん・台風で北海道内の汽車が動かず、小樽天狗山YHで知り合った京都の二人組の車で、舞鶴港から姫路駅まで送ってもらった事本当に懐かしく思い出します。
ユースホステルには、北海道を中心に、1000泊近く泊まって、今もたまにとまるが、1970年代後半から80年代が一番楽しかったな!
懐かしい。若い頃、北海道旅行ではどこのYHでも歌っていました。あvのころを久しぶりに思い出させてもらいました。時々はこの曲を聞いて北海道を思い出したいと思います。
こんな素敵な曲があったとは 今知りました
とても良い曲ですね
亡くなったのがとても悲しですが
ズ~ト残って欲しいです
ありがとうございます。
1976年に学生時代はじめての北海道一人旅でYHで聞きました。歌詞をメモに記録し、家でコードを振り付けギターで弾きました。今こうしてTH-camで聞けるとは夢にも思いませんでした。今でも聞くと当時を思い出して涙が出るほど懐かしいです。
1972年夏北海道一人旅礼文島船泊ユースホステルに宿泊したおり唱いました懐かしい歌です。その時島を愛すも唄い念願かない三年前礼文島を訪ねました。桃岩荘ユースでのうたです。もう一度旅したい51年前と同じように❗ちなみに船泊ユースホステルはもうありません
懐かしい!私も北海道の礼文の桃岩ユースでこの曲と島を愛すを覚えました。忘れないようにいつも、歌っています。同じ気持ちの人が居て下さることに、感動します。北海道の旅は47前のことです。あのとき会った人達どうしたいるかなあ。
40年以上前、男女共学の高校生のクラス皆で白樺湖のユースに泊まって、ボード乗ったり、夜道でお化けごっこをしたり。この歌を聴くと甘酸っぱい記憶がよみがってきます。
1975年ごろ、屋久島の郵便局で働いていたときに、地元の青年に教えてもらった懐かしい歌。まさかもう一度聞けるとは思いませんでした。ちなみに当時20歳だった私も、65歳になりました。
40年以上前を、昨日のように、思い出します。廃線なったことなど。
五十年前に北海道のYHで初めて聞いたこの歌、いつの間にか一夜限りの仲間同士でうたったけなあ。
みんな今はおじいちゃん、おばあちゃんになって孫もいるだろうけど、この歌でYH巡りの旅をした
ことを思い出してほしいな。
40年以上も前、貧乏な旅人をしていた頃、浜頓別YHで、多くの仲間と過ごした思い出・・冬の北海道・・浜頓別から釧路まで、1日でヒッチハイクした時、乗せてくださったトラックの運転手さんから頂いた、1杯のコーヒーの暖かさを今でも覚えています。その頃の、旅の終りは、青函連絡船でした。
はまとんユースまだあるかなあ。行きたい‼️
@@渡辺政子-l9x
私も浜頓別YHがあれば、泊まりに行きたいのですが、すでに閉鎖され、なくなっています・・残念なことです・・青春時代の良き思い出の地がなくなり、写真と思い出だけになってしまっています😓
@@西村勝彦-t5h さま
40年、という言葉を口に出せば、遥かに遠い昔のような響きですが、北海道のホステリングを思い出せば、まるで昨日のように思えます。
@@渡辺政子-l9x
浜頓別は、私にとって、青春時代の全てのYH・・夏・・冬・・とこりもせずに訪れては、長期滞在し、全国の旅人の仲間と素晴らしい時を過ごしたものです。今、還暦を迎え、再度北海道を旅するための小銭を貯めるために、パートに励んでいる身です!!
浜頓別YHはありませんが、宗谷岬〜知床半島までのオホーツク海に沿ったルートをいつか旅する予定にしています✌️
やっぱり旅の終わりこのバージョンがジーンときますわ~ 1970年代後半青春時代に北海道ワイド周遊券でYHや夜行「からまつ」とかに宿泊したりして旧型客車が発車の時に旅の終わりを聞くとたまらんぐらい北のムード味わえました。 当時の北海道はどこでも汽車旅ができるほど旅情あり楽しかったです。帯広YH踏切で汽車の窓開けて旅の終わり弾いて見送ってくれたり.......
今のJR北海道は北海道新幹線と札幌近郊しか頭になく旅情感じられなくなりましたね~ YH全盛期には自転車輪行でも北海道行きましたが、一級国道でも砂利道だったりまた自家用車もほとんどいなくてそこで自転車こぎながら「旅の終わり」を口ずさんでひとり旅が本当に楽しかった時代です。素晴らしい思い出の詩をありがとう。
昭和49年7月25日学生時代の 友人四人で大阪から北陸線経由で北海道を目指しました。もちろん青函連絡船で渡りました。札幌からは当時ホスバスと呼んでいたYHに泊まり、バスで9泊10日の北海道巡りをしました。全国から集まった50人の若者が乗り大いに盛り上がり、別れの時はこの歌を何度も肩を組み歌い続けました。その後、知り合った仲間と礼文島まで足をのばしたのも懐かしい思い出です。
70歳になった今もこの歌を聞くと懐かしくて胸が一杯になります。
みんなどうされているかなぁ…
この歌を数え切れないほど歌いました。今でも胸が熱くなります。1970年代後半のYHに泊まりまくっていました。
何故か、中学生の頃から口ずさむ歌。こんな辛い旅なんか♪今、肺炎で寝込んでいるベッドの上で。改めて聴いて。あゝ、想い出が蘇ってきます。北海道ユースホステルの歌だと初めて知りました。
44年前、支笏湖YHでは思い出をありがとうございました。
42年前、20日間の国鉄時代周遊券で旅しました。出会った女の子と別れても又は別の町で会えました。
UP主様、ありがとうございます。
初めてオリジナルを聞きました。
私がYHで知ったこの曲の一番最後の歌詞は
『こんなツライ旅だけど、もう一度旅に出よう、汽車に乗ろう』
でした。もう40年近く前のことなのに鮮明に覚えているほど
この曲は若かりし頃の私の放浪癖を刺激してくれた正に
人生を変えた1曲だと思ってます。
K.Takasakiさま、「旅の終り」は歌手によってさまざまな歌詞があります。またYHによっても歌詞が異なっていたのかもしれません。私のアカウントで現在手に入る7組すべての「旅の終り」をUPしてますから、登録して聞き比べてください。
1974年京都東山YHの夜のミーティングで2夜連続で指導されました。ツーリング終了後に懐かしく思いレコードを探すと青木さんバージョンを発見しました。高3夏の広島から長野県小諸城址を目指したソロツーリングでしたが思い出の曲です。
昨年春、大手旅行代理店を卒業しました。
私はこの歌は確か、1983年9月に岩尾別Y・Hに泊まった時に当時のヘルパーさんに教わりました。
知床が気に入り、予定外の連泊をし、毎晩ミーティングではいろいろな旅の曲を歌いまくりました!
37年前、1985年北海道の北湯沢YHでヘルパーをして、越冬した。
この歌詞の気持ちで、旅していた。
50年前に行きました。
利尻島では、自転車とランで1周し、利尻山はあと少しで中断しました。こんどは登りたいです。
懐かしいですね。こんなつらい旅なんて~のフレーズはしっかり記憶にあります。今は廃線になった駅もあって、当時を思いだします
いい歌だなぁ。
今から47年前、名古屋の星ヶ丘の短大の夏休みに、仲良し3人で北海道を二週間近く旅行。礼文ユースに泊まった時に歌った曲、ずっと気になったが、さびの部分しか憶えがなく、、今年スマホにかえ、さびの部分を歌ったら、北海道ユースの歌と出てきて、感激。毎日聞いて歌ってます。涙か出てきます。
いろいろな歌手の方のバージョンがあります。ミックスリストもあるので全部聞いてくださいね。
ユースホステル宿泊スタンプをみながら懐かしい! 懐かしいです。そして、北海道に住んでしまった。ありがとうございます。
数十年前、宿泊スタンプを押しながら、旅したことを思い出が、よみがえりました。ありがとう。
懐かしい歌と画像、ありがとうございます。レコードのノイズがいいですね。
青木さんは、芸大出の声楽家にありがちな変な癖がなくて、もともとの美声を生かした歌い方が素敵です。
心の片隅に 忘れかけていたかすかな記憶 桃岩、美国のお母さん、島牧... あ思い浮かぶあの顔は どこのペアレントさんだっけ? 八甲田、まりも、青函連絡線 また乗りたい。当時の仲間に会いたい。
ユースホステルで歌い継がれているだけだと思っていました。まさかレコードが出ていたなんて。
懐かしくて涙が出ます。アップありがとうございます!!
青木氏の明晰な美声に感動。3:20の駅名に「けねべつ」とあり、茫然と文字を見詰めた。子どもの時の想い出とそこで撮った大切な写真がある。懐かしい歌に感謝。
1973年の夏、台風で足止めをくらった支笏湖ユースで教えてもらった唄。原始人のゲンちゃんがギター片手に唄ってくれた。北海道に来たら覚えて帰れと。一緒に足止めをくらった彼女たち、今、どうしているのかな。
この曲がまた聞けるとは思ってもいなかった。
30年以上前・・・自衛隊時代に菅原やすのり氏のこの歌を聞いて、任期満了で除隊と同時に退職金を握り締め、ザック担いで支笏湖YHを振り出しに礼文YHにたどり着いた時の感動・・・夜のミーティングで(あれっ、歌詞が違うなあ・・・)と思ったのも懐かしい思い出。
礼文の港に着いた時の桃岩荘YH恒例の出迎えの様子をテープに録音していたら、ダビング希望の方が多く、帰郷後、ダビングして送りましたが、あの時の皆は今頃どうしているやら・・・ちなみに、その時のテープは今でも青春の宝です。
あああのころはパラダイス、よかったなあ。ペアレントのおとうさんおかさん、ヘルパーのひとたち、もうみんな思い出の中、かもいのおかあさん、もっと連泊していけ、なんて、でも旅立った。人と人の出会い。みんなの笑顔。結婚したひともいたな、もう多くのユースが無くなった、さみしいもんだ。旅をしたいな。あんな旅を
コメントありがとうございます。
清らかな歌声と美しいメロディ、「旅の終り」は私にとって大切な宝物です!
見つけることができて本当に良かった! 感激です!!
40年前の大学生の頃にユースホステル部に所属していてGWと夏休みと冬休みに2週間くらいユースホステルのヘルパーに行きました。もちろん無賃ですが。広島、青森、東尋坊など。夕食後のミーティングの最後の締めに皆でこの曲を合唱しました。今思ってもとても幸せな時間でした。現在に比べてあの時は良い時代だったと思います。
41年前に初めてYHを利用しましたがこの歌は初めて知りました
えりも、ももいわ、このへんはよく覚えています
終わりのない私の旅の車窓から、、、、
今、私はとても感動しています。
30年前と少しも変わらない美しいメロディ、
タイトルも知らないままにあれからもう30年が過ぎていたのですね、、
でも今日、この美しいメロディと再会できたことがうれしい、
あの頃の楽しかった想い出と辛い別れにも、、
いまだから言えるのですね、
心からありがとうって、、私の旅の車窓から、、、
すがはらやすのりと芹洋子は、私もシングルを持っていました。青木清は、確か「青春の叙情歌」とかいうタイトルのカセットを持っていてそれで聞いていました。
3人のなかでは、青木清が一番良いと思います。
心に染み入るメロディーですね。今、はまっています。サイクリングで行った北海道を思い出しています。
7人(7組)のそれぞれの特長、難点なんとなくわかりました。yuanzencyさん、どうもありがとう。若いころを思い出して、すごく嬉しいです。私は、アラフィーとアラ還の真ん中ぐらいの年ですが、また、「汽車に乗ろう」という気になってきました。
「旅の終わり」といえば青木さんの歌声を思い浮かべます。
宮古木村のユースでこの歌に出会ってから今でも車の中で歌っています。
学生時代の一人旅は勲章のようなものですね。
当時出会ったホステラーは今何をしているのでしょうか?
「旅のおわり」のレコード、4種類くらいあるようですね。デープマン等・・私の一番のお気に入りは自分で録音した桃岩のミーティングテープ。
1982年、1983年、1984年版が実家の書庫に埋没している。掘り起こしてもカビだらけだったらどうしよう。 ところで、アップ主の
撮った写真、実に良い。懐かしい。しかも廃線になった路線が多い。「北海道ワイド周遊券」と「とらべるまんの北海道」(橙、緑、蒼)の世界だ!
昔、北海道へは上野発 夜行列車 津軽、八甲田、十和田
青森まで10時間 青森~函館間4時間係った北海道が、
今や4時間で函館まで行くことができるのは大変便利です。
父がYH協会の指導員からのカントリーウォーカーで活動していました。その関係でYHは海外も含め、沢山泊まりました。もう閉所してしまったYHも多いですが、いつまでも残ってほしいです。スタンプカード、集めたなぁ。
青木さんかBOWが私のイメージにはぴったりです。
青木清さんにあえて難点をつけるとすれば、歌が上手すぎて、とても真似できないことかなあ……。この曲は生きる勇気、気力をくれます。
来年還暦を迎える横浜市の中隊長です♪22才かなぁ?大学生の時バイクで北海道1ヶ月間でほとんど全部回りYHにたまに泊まりその時のキャンプファイヤ-で知った想いでの曲誰がオリジナルかわかりません♪ご存じの方教えてください~~♪宜しくお願いします♪
青木さんと言えば、1980年代の前半に、何かの雑誌の記事で、「青木清引退」というのを見て、愕然としたことをかすかに覚えています。「引退」というのは、あくまでキングレコードをやめたということだったのでしょう。
現在は、「青木裕史」の名前で活躍されているようで、安心しました。そのうち、青木さんの生の歌声も聞いてみたいと思います。なお、芹さんと菅原さん」は、実物を聞いたことがあります。
❤
TH-camのなかで、この「旅の終り」は、青木さん版は、他に1人、BOWさん版は他に2人の方がアップしていますから、それを加味して再生数を数えると順位は、①青木さん②BOWさん③芹さん④山名さん⑤ダークダックス⑥菅原さん⑦Mr.デーブマンさんの順になり、妥当なところかな、という気がします。
そして。。今はもう無い路線の仮乗降場の写真がいっぱい。。ご自身で撮影されたのでしょうか。
yosi9nnさま、「旅の終り」は少なくとも7人の歌手(グループ)の競作です。私のIDで検索していただければ、すべてをお聞きいただけます。
この曲を使ったCMが、1979年位にあったのだけど、何のCMだったか覚えてる人いないかな?
1970年代の超名曲。
旅先で結婚しようと言ったけど‥
ところで、最初の写真で自転車から手を振っていらっしゃるのが、yuanzencyさんですか?
自転車に乗っているのは友人です。私が撮影したので私は写っていません。
今はYHあるの
+Yoshiyuki Nakajima 数は減りましたが、YHはまだあります。ミーティングをするYHは絶滅危惧種でほとんどなくなりました。皿洗いも原則、客がしなくてもよくなりました。昔を懐かしむシニアの客が多いそうです。