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今回は神回ですね。地味な話ですが、日本史上とても大切なお話だと思います。先生有難うございます。
島原の乱が起きた背景は、当時の世界情勢によるところが大きく、他国に支配されてしまうとはどういうことかよく解りました。やはり宣教師は布教だけでなく、諜報活動も行なっていたんですね。とかく日本人は外国人に対しては甘い対応になりがちで、新たな問題を引き起こすことがあるので、現在は勿論のこと、将来の為にも学んでおくことが大切ですね。
戦前までは、正しい歴史が庶民の間にも普通に伝わっていたそうです。いま、情報自由化のおかげで、歴史の事実が再び表に出てきたことをとても喜ばしく思います。
私はカトリックの洗礼を受けたものですが、徳川幕府の対応に批判的ではありません。ポルトガルやスペインの宗教を利用した世界植民地化の暴力を見抜いた秀吉や徳川の慧眼に感謝する。日本は米国にやられたが、Fルーズベルトは日本民族全滅だから、、いかにヨーロパ人がひどい連中だったかを考えるべきである。
そうですね。代々キリスト教自体がユダヤ教の改革者であったイエス・キリストを信仰するペテロとパウロが広めた宗教ですから「ユダヤ教が持っていた選民思想のような人種差別史観」は持っていると考えるべきかもしれません。これも当たり前かもしれませんが「差別され抑圧された人々は反撃の機会を窺い、やがてそれを実践する」のが常ですから日本人はそもそも徳川家康公が遺訓にも残しておられるように「人のことを先にしてやりそれから自分のことを片付ける」ようにする思いやりを持った行いで「欧米人がDNA的に持つ自分優先の差別思想」をやめるべきではないかと思います。そのために教育勅語やそれを基にした道徳の授業があったのに92年の学校週休2日制をきっかけに無くなってしまっている現在の教育から見直さなければいけないのでは?と感じています。
すごい分かりやすく、啓発される内容の番組でした。当時の世界情勢を踏まえ、「経済安全保障」という観点から江戸時代を見ることの意義が伝わってきました。安高啓明著『踏絵を踏んだキリシタン』は中身がなくて満足感は得られなかっただけに、この番組は勉強になりました。
キリシタン大名による日本人奴隷貿易を強調しないと、秀吉や秀忠の怒りや正義が伝わらないと思います。
その通り
天草四郎もキリシタン大名の子ですよね。父親は硝石欲しさに領民を奴隷としてポルトガル、スペインに売っていたんじゃないですか?
たまたまアップしてたので見ましたらとても面白かったです。今の外交にも通じるところありますね。他の作品も見させてもらいます。
経済安全保障の意味が良く分かります。秀吉、家康の時代の国防への危機感は今に通じる訳ですね
其れを理解して居る政治家が何人居るのでしょう。
明の失敗した部分から学んで活かしていたんですね。勉強になりました。
これはすごい!歴史がhistory(his story:彼の作られた物語)からfact(真実)に近づいていくと、これだけすっきりした明快感が生じるとは。また歴史が知りたくなるとは。
天草の人の中には天草四郎を嫌っている人も居ますね。なにせキリスト教徒以外も根こそぎ強制動員を掛けて一揆に取り込まれたので、家族を取られたもの・危うく難を逃れたが家財田畑を荒らされた者も乱の終結後に天草諸島に居たわけですやや私的な話になりますが、実家が北薩のとある外城ですが、この地域は猛烈に西郷を嫌っています。元々外城士は西郷のような城下士から差別されており、島津家に忠誠はあるものの西郷には微塵も感じていません。それを西南戦争で強制動員を掛けたので、泣く泣く壮年の男性・子供を取られ戦死した家が多いですどちらも特定の人物への尊敬が強い地域のように見られますが、観光目的の一面を剥げばそういう怨念も出てきます
君は西郷隆盛侯の崇高な志しを理解していないのではないか?
城下町と他の郷中だとやはり差別はあったんか...土佐の身分制度に負けず厳しいなまあ、俺も南薩の人間だから西郷さんには正直あまり思い入れはないけど
@シドニー学院 大政奉還と言っても形だけではまた徳川が盛り返す気配有り、そうなると日本が大混乱に陥る。さっさと体制を固めて外国勢力に立ち向かう必要があった と私は見ているんだが。ようするに完全に徳川を弱体化する必要があったという事。
@@雪何すか雪って 西郷さんは誰にも優しかったと聞くぞ、1つの例は庄内藩を助けた。
西郷さんの悪口言うと、色々敵に回しますぞよ。(*`・ω・)ゞやめとけ
橋幸夫の歌で天草四郎を歌った「南海の美少年」と言うのがありましたな。「銀のクルスを胸にかけ、踏み絵おそれぬ殉教の・・・」なんて歌いました。映画では市川雷蔵のがありました。すんません横道それました。
私の住んでいます、ブラジルも、ポルトガルが入り、金等の鉱山物質から、この国独特の素晴らしい高級材木等...ゴッソリ根こそぎ、持って行かれてしまいました。
市橋先生の卓越した歴史研究にいつも敬服しながら拝見させて頂いております。有難うございます。僕は、天草島の中の人で、天草生れ天草育ち天草暮らしをしている、生粋の天草人です。そして、天草の歴史研究を長年にわたり携わり、社会教育家として教える立場にあります。ついに待ちに待った「天草島原の一揆」ですね。この日が来るのをずっと待っておりました。天草島原の一揆に欠かせない視点は、西欧は大航海時代の真っただ中で、日本は戦国時代の真っただ中で、二つの巨大な歴史的潮流が交わる中で起こった一大事だったということですね。さすが市橋先生です。大航海時代に西欧で何が起こっていたか?戦国時代に日本で何が起こっていたか?それを象徴するのが、日本の戦国末期から江戸初期にかけて起こった様々な出来事です。最近の天草の歴史研究では、遠藤周作さんの『沈黙』に登場する宣教師で仏教に転んだフィレイラは、長崎で捕まる前に、天草の五和の南蛮寺で3年間宣教をしていたことが分かっています。天草には禁教下でも多くの宣教師が潜伏していました。宣教師には、2つのタイプがいました。1つは、純粋にイエスの教えを世界中に広める使命をおびた聖職者、そしてもう1つは、教会、組織拡大のために政商と結託して武器やアヘンや奴隷貿易などに関わる宣教師です。日本と東南アジアを行き来する西欧の宣教師たちは、ポルトガル商人など政商と同じ船に乗って交易をしていました。実は、天草の人たちはキリシタン文化が到来する以前から、東南アジアに頻繁に行き来していて、中には倭寇として財をなした豪族もいました。天草島では、道は陸ではなく海だったので、当然と言えば当然のことです。天草といえば、「からゆきさん」という悲しいイメージが浮かびますが、しかし実際は積極的に出稼ぎに行く「からゆきどん」(男の出稼ぎ者)と「からゆきさん」(女の出稼ぎ者)が昔からたくさんいて、悲劇的なヒロインとして映画や小説で扱われたのは一部の人たちのことで、すべてが悲壮な運命ではありませんでした。彼ら、彼女らは、もっと大らかで、大志や、野望を抱いて海外にどんどん進出していたのでした。そんな中で、「天草島原の一揆」が起こるのですが、そこには3つの大きな要因がありました。1つは、徳川と豊臣の争いの中で、改易された藩の浪人たち(多くは、小西と有馬の家臣たち)が天草と島原にはたくさんいて、農民や漁民として暮らしていたこと。次に、小西と有馬は熱心なキリシタンだったこと。最後に、改易後にやってきた新しい領主(天草は寺澤、有馬は松倉)は、地元の領民に全く愛着はなく、大名としての地位を築くため、非道で無理な年貢の取り立てをしていたことです。この3つの要因が複雑に絡み合って起こったのが「天草島原の一揆」でした。天草四郎を描いた絵の中に、豊臣秀吉の「金の瓢箪の馬印」が描かれていたことや、実際に原城の天守閣で四郎が亡くなった時には、陣中旗の横に「金の瓢箪の馬印」があったことが分かっています。それを知れば、何をか言わんですね。実際、この一揆の首謀者の一人の森宗意軒は、豊臣方で、真田幸村が高野山蟄居の頃に、同じく高野山にいた人物です。同じようにこの一揆で軍師だった蘆塚忠右衛門も、同じく 森宗意軒と行動を共にし、豊臣方について関ヶ原、大阪の陣と憂き目にあい、天草に住んでいた人物です。ところで、「天草島原の一揆」後、幕府は治世のあり方を根本的に変え、その結果長期の政権を維持することになります。幕府は、この一揆によって大切なことに気づいたのだと思います。民は武力と権力のみで治めることはできない、それは、市橋先生の以前の講義であった、徳川家康が歴史上最も尊敬する武士楠木正成公の精神と通じるもので、「非理法権天」(日本史【鎌倉時代】深すぎる楠木正成の旗印 徳川家康も尊敬!「早わかり歴史授業26」参照)の教えに立ち返ったのだと思います。天草の歴史を語るのこの方を知らずして語ることなかれといわれ、天草の人たちから恩人と慕われる偉人がいます。それが三河出身の鈴木重成代官です。この方のご先祖には、楠木正成公がおられ、四恩の教えをそのままに実行され、天草島原の一揆後の天草を見事に復興した名代官です。ご参考までに、11月2日(火)~5日(金)の15時~15時30分に4日間連続で、ラジオ天草歴史物語「鈴木重成伝」があまくさシティエフエムみつばちラジオで放送されます。よろしければ、以下からお聴きください。【みつばちラジオ】幸せのカフェめいどサロン「天草歴史物語 鈴木重成伝」4日間連続放送fmplapla.com/mitsubachiradio/「天草島原の一揆」の本質を知れば知るほど、日本の本当の歴史の真実が見えくるといっても過言ではありません。この地には秘められた歴史の真実がまだまだたくさん埋もれています。その意味でも、今回の市橋先生の「天草島原の一揆」のシリーズの多くの視座に富んだお話を楽しみにしております!どうぞよろしくお願いいたします。😀
長文ご苦労様ですが、明らかに長すぎ。講演会だったら聞けたかも。
本当に失礼しました。文が長すぎた事をお詫び致します。
子供の時から、何故平民の人達の事を、ずっと考え込んでました。今回は初めてじっくり教えて頂けました。日本を属国にしたかった当時の外国の意図があり、事実だったこと。辛い選択をしてまでもキリシタンを根絶やしにせねばならない事をしりました。神がいてそれを信仰する力ない民衆を根絶やしにしたのは罪ではないのかと、子供時代から考え込んだものです。浦上天主堂を観ても涙ぐみましたが、日本をやはり素晴らしい国だと年を取りましてから今の世界を見てからもこの小さな国が植民地にならなかったために、島原の人達の犠牲があったことを忘れてはならないことと、改めて思いました。皆様有り難う御座いました。
私の産まれた地域は天草の乱の同調圧力を恐れて幕府の代官の処に村ごと避難したそうです。
この時代に経済安全保障を実行した江戸幕府はたいしたものですね。現代外交のお手本にすべきですね。今回も大変勉強になりました。
どっちにしてもオランダとか欧州列強にも当時の日本に侵攻する力はなかった。朝鮮の役は欧州にも伝えられており、日本の国力を欧州も脅威と考えていたし戦国時代にやってきた宣教師たちは、相手国を調査するスパイの役割を果たしていたが宣教師たちも日本の軍事力をみて、とても侵攻など無理だと伝えている
これはとても大切なポイントですね!今まで知らなかったのが「なぜ?」というくらい、全ての日本人が知っといた方がいいレベルの内容。植民地化を防いだとか、外交レベルが高すぎる。学校で、もっと教えてよーって思いました。もしかしたら、先生たちも知らないかも?
中高生の時に聴きたかったですわ〜😭歴史+地政学みたい!
江戸時代は鎖国の時代という認識が高いですがとんでもない、国際交易が盛んに行われていた。世界情勢も理解されていた事実。しかも国益最優先。今の経済グローバル化とは真逆の動きだと思います。
自分の想像以上に強かな外交を展開していたことをあらためて思う
こんばんは。糸年寄って初めて聞きました。うまいこと官僚は考えましたね!確かに今の半導体の状況、いろいろ左右されて危ういですね。先人たちに見習うことが多いように思います。
今の政治家は勉強するような人間はいない!!!!。
キャリヤ試験の必須に為って居ますでしょうか?及び、大企業の昇任試験にも取り入れるべきです。賄賂に通じるゴマすりは火あぶり免じて島流し。
市橋先生、お疲れ様ですヨ!天草四郎の事はもっとやってくださいよ、お願いしますよ!
天草四郎と言えば秀吉の孫にして秀頼の御落胤と言うトンデモ伝説があるよなぁ
歴史を学ぶ意味をよく教えてくれる。こういう授業が本来学校で必要なのに。
ヤン・ヨーステンは東京駅八重洲の名前の元になった人でしたね、あとウィリアム・アダムスは日本名の三浦按針のほうが有名かもしれません。
江戸幕府260年は、黒船追放に始まり、黒船来航に終わった。
とても素晴らしいVIDEOですね。
熊本出身です。天草四郎は熊本 私たちの故郷の誇りです
数的には一向一揆 その中でも長島一向一揆は織田軍12万一揆軍10万(かなり本当ぽい)とか時系列的にとんでもない数の戦いになってますがそっちの考察もほしいです。
日本史を日本の中だけで見ていたら歴史の本当の意味がわからなくなりますね。最初西洋人が鉄砲を日本に持ち込んで信長はじめ大歓迎したのになぜ秀吉が禁止したのか考える必要がありますね
輸入品は鉄砲でなく硝石ではありませんか。信長の時代(長篠の戦い)に国友村でかなりの鉄砲を生産してるとおもいますが。
歴史上で起こった出来事には、必ずその背景なり理由がありますね。その状況を丁寧に教えてくださるので、興味は尽きません。次回以降も楽しみにしています。
島原藩の藩主・松倉重政は外様大名で何とか幕府に気に入られたい。当時は幕府は外様大名の引き締めに躍起になっていた頃で数多くの外様大名が取り潰されたから無理はないけど松倉重政は四万石で島原に入ったが、十万石だと幕府に申告した。島原は温暖な気候だが火山性の土壌だから、やせていて元々農地には適していない土地だ。もともとの四万石でも表石が実石を上回っていたのに、十万石などそもそも無茶な石高だった幕府は表石に応じて大名に賦役などを課しているわけだから、これ以来、島原藩はかなり無理のある賦役が幕府より課される事になり。その費用の捻出のしわ寄せは当然のように農民たちに来たわけだ。農民たちは九割以上、つまり収入のほとんどを年貢で取られてしまう有様で、そこに持ってきての島原の天候不良による飢饉が続き餓死者が相次ぐ有様。これでは反乱が起こるのは、むしろ当然でしょう
島原藩は、幕府に気に入られようと、無理な石高を幕府に申し出ていた。しかし石高に応じて賦役が課せられるわけだから、高い石高のために島原藩はそれだけの賦役を課せられ続けた農民たちは最大で九割を年貢として納める事が強いられたのだから、それはたまらんわこれで豊作の時は食い扶持だけは何とかなっても、当時の島原は記録的な不作が続き。結果、農民たちは餓死者が相次ぐ有様島原の乱の本当の原因は実のところこれであり幕府もそれを知ったから、激怒して島原藩主の斬首を決めたのだ
キリシタンは幕府を恨むのではなく領主を恨めってことか。色々と勉強になります。
中凶の地方政府が割増し申告するのに似て居る。
@@ささやんしろ もともと島原はキリスタン大名の領地だったから、キリシタンは多かったので幕府のキリスト教禁止令により、島原藩はキリシタン弾圧を行ったが、それは建前で本音は年貢の取り立てだったらしい。
ほんとこう言う話を授業で聞きたかった。私にとって歴史とは数字と単語の暗記でしかなかったですから。脈絡がないから暗記も出来なかったです。授業料の高い私立の学校ではこう言う教え方してたのかなあ。GHQの方針のせいなのか日本人自身のせいなのかわからないけど、ほんとひどいと思います。
ジェノサイトとは少し違うと思いますけど、ね🤔
天草四郎時貞は彫りの深い顔立ちから伴天連との混血だという説もあるんですが、どうなんでしょうか?
世界史選択者です。トルデシリャス条約はバンバン教科書に出てきたのにサラゴサ条約は知りませんでした。
現代の西欧にとって都合が悪いから、日本に影響がない部分はなるべく隠しておきたいのでしょう。
九州住みからしたら、島原の場所をご存知なかったのがショックでした(笑) やはり九州以外の人はあまり知らないのか
まあ、ほら、九州の人間が木更津市とかあきるの市がどこにあるかわかるかって聞かれたら...ねぇ
私は南島原市の加津佐という町の出身です。小さい時からおおまかな事は聞いて知ってましたが詳しく聞くとなかなか深いですね。隣り町の口之津と加津佐の人は全員亡くなった聞いてます。私の先祖は乱後、天草からの入植者とこれも子供のころ聞きました。
私の 島原の乱 のイメージは、山田風太郎の「魔界転生」の映画でジュリーが天草四郎を演じてたものです(笑)わかるかな...😓🤔
17:51 16世紀の段階でヨーロッパ人が中国皇帝向けに作成した世界地図でも既に【日本海】表記。
今回もありがとうございました。やっぱり賄賂を取るなどと言う行為は政治の乱れの始まりになるんですね。キリスト教は良いトバッチリだったのかもしれないですね。また、次回を楽しみにしております。
とばっちり?いえ、キリスト教は日本侵略の為です。日本は無敵艦隊のスペイン破るほどの強さですから。正攻法をやめてこれにしたんですよ。
@@NAO-wq6xe 宗教はスマートな洗脳ツールだと思います。現代の○○学会が実に厄介です。
イエズス教ならぬイエズス軍ですからね。宗教とは洗脳ツール。
島原の乱を世界史の1部と捉えることは、現代日本を勘違いしている人には分かりやすい題目ですよね。私的にはオウム事件に例えると現代人には分かりやすいと思ってる。
島原の乱は米軍とISみたいな関係でしょ?宗教弾圧にすり替えてるけど外患誘致テロリストが異教徒だっただけの話
スペイン・ポルトガル=カトリックオランダ・イギリス=プロテスタント
別の宗教だろ。
そこが重要ですね
市橋先生お久しぶりです❗️天草四郎と検索すると〜何故か⁉️沢田研二さんが出てきます😅
天草四郎時貞さんの役を沢田研二さんでした😀柳生十兵衛さんの役を千葉真一さんでした😀映画→魔界転生で奇想天外の共演で真田広之さんと沢田研二さんのキスが有名
こういう事を歴史で教えるべきですね。西洋史観によることばかりの丸暗記は何とかならんもんかね。日本人の歴史家は、なぜ日本人の歴史の教科書を書かないのか摩訶不思議。
今更ですが、先生のお名前 知りません。教えてください。また、先生の講座、TH-cam で継続的に 見て学ぶことできますでしょうか?
キリスト教を使って奴隷貿易をしてましたからね。
一応1537年には奴隷貿易禁止(異教徒奴隷は無効)の教皇勅書、1571年にはポルトガル国王による日本人奴隷の貿易の禁止勅令は出てたんですけどもね…「こんなの横行してたら宣教に悪影響すぎる!」と訴える宣教師の訴訟もあって成立し、秀吉没直前には関与した人は問答無用で破門にする通達も出したり相手側も結構苦労はしてたそうだ
たしかに、生糸をレアアースや半導体、石油に置き換えたら今の日本にも当てはまりそうな気がする...
シリーズの中で その1、1話等つけてもらえば有り難い。
ヤン・ヨースデン 八重洲の元になった人ですね (^^)
お袋の出身が島原半島と熊本県の間にある 湯島 って言う島なんだけど、その島が天草四郎伝説が残っていて、天草四郎達が話し合っていた 「談合島」と呼ばれていたらしい (^○^)
「沈黙」みたいに映画化オナシャス😖
今日はなんかの番組で天草四郎は 秀吉さんの孫って出ていました眉唾だろうと思いました
糸年寄りに独占して買わせる → ポルトガルは言われた値段で売るしかない
誰も知らない天草知ろう!
宗教反乱というより、戦国時代の生き残り浪人の倒幕運動の集結と読んだことがあるが
秀吉の伴天連追放令が抜けてる、この前に九州の地方大名 大友宗麟に取り入った宣教師のザビエルたちが日本の事情を調べ本国に報告している。そこで伴天連がキリスト教に改宗させようとしたが仏教からの改修を嫌がった農民を掴めて奴隷として南方中近東そしてヨーロッパに連れて行ったことが。当時島津を攻めて帰りの途中で聞いたことから、博多にいた秀吉が出したのが伴天連追放令だ。そこでキリシタン改宗が御法度になったが改宗した人が踏み絵を嫌って秘密化したものが、島原の辺につながる。天草四郎はポルトガルの救援を待ったが、日本の軍事を知ったポルトガルは軍隊の派遣をしなかった。当時日本は戦乱時代から全国で所持している鉄砲は数万丁になったらしいが、ポルトガルは千にも満たない鉄砲しかなかったらしい。その後大友は島津によって滅ぼされる。これがなければ日本も南米と変わらないポルトガルの植民地だった。そのため今度は貿易ではオランダが入国することになるが、布教の禁止と出島以外の入国を禁じた。実際には出島以外に対馬?などの別の場所も入国できるところがあったらしい。
3万7千人の死体はどうやって処理したのですか?
近年の発掘調査でバラバラにされた遺骨が発見されたということです。ほとんどが土中に埋められたのでは。
@@市橋章男 先生、わざわざ返信ありがとうございます。批判しているようで申し訳ないのですが、歴史観は下手をするとある種の価値観の洗脳に使われたりしますから、私は神経を使っております。明治維新テロリスト説とか、徳川幕府が残っていても近代化はなされていたとか、大東亜戦争日本悪役説とか、それぞれ何らかの操作があると思っております。たとえば、江戸幕府が薩長に勝ったとして(これは可能性はあったと思います。)、廃藩置県ができたのか考えれば無理だったのではないかと私は思います。今回の大河では明治維新の明るい生き生きとした様子が描かれ、私は好きです。歴史はこういう感じで捉えた方がいいのではないでしょうか。島原の乱の城跡発掘の様子はテレビで見ました。城門のあたりから多数の人骨が見つかったということでしたが、その数は千単位ではなかったと思います。日本の戦は数字としては多数の戦死者を公表していても、実数は少なかったと思っております。労働者は金を生み出す富ですから帰農させたり、場合によっては外国に売られたりしていたのだと思います。殺すのは一部の支配階層であって、そこに勝者の支配者が入れ替わるわけですから、皆殺しはさすがにないというのが私の考えです。ただ、宗教勢力に関しては弾圧は厳しかったというのはあるとは思います。そういう点では皆殺し的なものもあったかもしれませんので、断言はいたしません。
スペポルなど欧州国へ伝わるように考えた 信長銃艦誇示-秀吉明征伐バテレン除去-家康キリシタン禁制皆殺し島原。
島原より規模の多い戊辰戦争ですら死者は1万人ちょい。幕府が降伏した後も一部の大名はしねまで抵抗して、の死者数です。これよりかなり規模が小さい島原が3万とかありえませんね。てか、そもそも皆殺しって日本の歴史で織田信長ぐらいでしょう。(寺は民を苦しめていた為。無論戦闘員の男のみ)
原城にある天草四郎の像は、ほうれい線のある50代のオッサンですよ😅
오오 기대했습니다!
ジャンダルクも16最近の時。
天草四郎の生まれ変わりと堂々と公言する美輪明宏氏の感想を聞きたいものです。
詐欺師の話なんか聞きたくありません。
@@dodonkodon さん髪の毛をまっ黄っ黄に染めて銭ゲバ全開、「ロマンティックコンサート」と称した反政府集会で「中国が日本を攻撃するはずがないー!安倍は日本を戦争する国にしたがってるー!」と絶叫する醜悪な反日詐欺師の話、実際に7000円詐取された私は聞きたいですね😆
美輪さんご本人がアレは嘘だと言ってますよ😥
@@じふもんぽん あら、あっさり自分は嘘吐きだと告白してたんですね😆
@@marimo_inaba さんYou Tubeで見ました😄盛り過ぎも行き過ぎると嘘になりますね。
今回も大変勉強になりました。天草四郎がそんな存在とは思いませんでした。有名ですから。今日の癌検査では進行はやや止まってます。このまま止まって欲しいです。来週も楽しみです。
スミマセン、気分を害したら申し訳ないのですが、重曹がガンに効くという話で、根拠はガンは真菌である可能性が高いからです。自分はうがいやタブレットを飲み始めています。そういう治療もあるということで。気になったのでコメントしたまでです。お体に気をつけて治療に頑張って下さい。私の親族は前立腺です
@@after567 さまお気遣い感謝します。頂いたアドバイスを大切にさせて頂きます。少しでも治療になるなら挑戦してみます。
キリシタンは肉の剣を持ってはイケナイとの聖霊の啓示で、キリストの御言葉も「剣を執る者は剣によって滅びる(倒れる)」との御言葉に従がってもゐ無いので武装蜂起も宜しく無くして、島原の乱も自由参加だったら、剣で人殺しを僕は出来ないから、多分参加し無かったか、籠城せずに投降していた可能性というか自分のすることでよく解かることで。俺は人殺しが出来ないんだが?再洗礼派の杖派みたいに?
当時は、軍事大国だった日本だからな。本多正純は、改易、宇都宮城吊り天井の嫌疑で。
弾が無かったからキリシタン大名になったからな。
Jリーグに岡村大八って選手がいて、いい選手で好きなんだけど、試合観るたびになんかもやもやするんだよねえ。
経緯を知らなかったら、酷い虐殺行為だけど、理由を知れば、必要悪であり、やむを得ない事だった。
島原の乱は知れば知るほど泣く。
ポルトガルの宣教師ゼウスを耳から聞きデウスと発声していた。
30年戦争の影響があるという…
16:00 むすびの学び舎の学長様がオナキになるような話です。あちらはイエズス会の重鎮フランシスコ・ザビエル様が日本を褒めていることをエラく強調しておりましたから😅
ザビエルはあの言葉以外に日本ってキリスト教教えなくても根付いてる感じがあって、誰か昔に宣教師がきたのかな?って言っていたそうですね。まあ旧約聖書の続きですからね日本は。
@@kkenta2948 様ありがとうございます。十和田湖にキリスト様のお墓がありますからね😅
@@dansinda 都市伝説では無くて本当にユダヤの12氏族が来たって言う証拠は山ほどありますよ!つかユダヤ人が自分らから言ってきた事ですからね!
@@kkenta2948 日ユ同祖論っすね
@@kkenta2948 ?
オススメに上がってきてたんですがむちゃくちゃ奇麗な人ですね。なんて名前なんでしょうか?
浜崎友里です。よろしくお願いします
動画面白かったです。キリスト教と云っていますが、正確にはカトリックです。地元のヨーロッパではプロテスタントが増え、百年戦争に参加してなかった、スペインポルトガルが元気だったから、大航海時代が始まったと認識しています。話をスペインポルトガルが出たので、もう少し、キリスト教のヨーロッパ事情を踏み込んでいただけたらと思います。また、日本史となっていますが、この頃は特に日本だけでなく、世界と関わっていたので、日本の出来事は世界と必ずつながっていると、信長以降、日本での特筆すべき出来事は必ず世界との繋がりがあると思っています。世界と日本を別けた日本史では真実は見えてこないと思っています。ネタバレかもしれませんが、島原の乱は三十年戦争日本戦戦です。もっとびっくりなのはこの頃、出島で交易してたオランダの事情も江戸幕府は把握していたようです。
海賊がバブル期だった時代かな?
映画で魔界転生を見て天草四郎時貞さんが大好きだから僕は、キリスト教の洗礼を受けました🤓。
アメンおめでとう
日本はすべての科目において、道具の使い方は馬鹿みたいに教えるけどその道具が存在する意味やできた背景は一生教えない(というか教えられない)んですよね。。。
1600年の関ヶ原と1615年の大坂の陣を初めとした戦役と徳川三代の武断政策で大量の浪人と流民が発生したのが主因。
タニザワフーズ、いいね。
今はアメリカの属国だけど。
仮にイスラム教も入ってきたら幕府そっちのけで宗教対立が激化していたかもしれない。
長崎…というと原子爆弾のイメージの方が強いですなぁ。by関東民
大航海時代と植民地化政策と戦国時代は重なってる事に気づいてない人が多くてね。
今のハマス・イスラエル紛争並みに地獄絵図だったのかもしれませんね
「あしやドーマン」出版。国会図書館、三重県立、石川県立図書館等に蔵書。
偶像の 大戦略を 建てかねて味方を死なす 原城憐れ
天草一郎、二郎、三郎は何やってたんだ
環境カルト グレタ
島原の乱、天草の乱と言います、天草の切支丹大名小西行長の幕府にたいしての一揆ですね。
要するに天草は今でいう二階幹事長みたいな奴だったんだね
神が一番残酷極まりない祖業を成さる。道化を演じるしか無いのか人間は。信じる者は救われたのかな?
助手?
魔界転生だな
女装男子?
今回の動画の時は中国ではないと思いますが
島原の乱皆殺しのきっかけは春日局の下に天草四郎が豊臣秀頼のご落胤であるとの情報が届いたためだと言われているんですよね
先生は今回はあえて言わなかったのかも知れないので、先生が触れなかった部分を長文になりますが補則したいと思います。まずトルデ‐シリャス条約とサラゴサ条約ですが、実は有名無実でどちらが世界征服しても良かった背景があります。というのも当時、スペインとポルトガルの王はフェリーペ2世兼務しており、対外的には同君連合という形式をとっていましたが実質的にはスペインによるポルトガルの吸収合併・併合と言っても良く、その後1640年に独立したポルトガルは衰退をたどっていったからです。スペイン・ポルトガルの両国があるイベリア半島は13世紀頃まで続いたレ・コンキスタ(キリスト教勢力によってイスラム教の後ウマイヤ朝からのイベリア半島国土の奪還戦争)の成功でカトリックが威力を増していく中で新大陸(現在の中米から南米にかけての大陸)に旧来からいたインカ帝国などを滅ぼしてポトシ銀山などの鉱脈を独占したことで金・銀を大量にヨーロッパ本土にイベリア半島経由で持ち込み、経済的に最強国となりました。スペインはその金・銀を使って自軍の海軍力を強化し、香料諸島(現在のインドネシア共和国に属するスラウェシ島からニューギニア島に挟まれた赤道直下の東南アジア地域)で採れる丁子(ちょうじ=クローブというスパイス)肉ずく(ナツメグのこと)などの香辛料や香料を当時「塩漬け肉」以外に防腐処理方法が確立されていなかったヨーロッパに持ち込みさらに自国を富ませる政策をとったのが大航海時代です。ざっくり言うと「スペインとポルトガルによる香辛料貿易の覇権争いの時代」がちょうど日本では種子島の鉄砲伝来直前の頃だったわけです。ちなみにスペインはコロンブスによる新大陸の発見によって得た金・銀を使って香辛料貿易に乗り出してきましたが、ポルトガルはその前にバスコダガマによる海路を使ったインド到達によって香辛料貿易においてはスペインよりは先行していました。スペイン王のフェリーペ2世は香辛料貿易で先行し、富を蓄えているポルトガルを打破し香辛料貿易の権益を独占するためにポルトガルに侵攻したのです。当時モロッコ侵攻に失敗したポルトガル王セバスティアンが戦死し王朝が断絶したポルトガルに王位継承権を主張して攻め込み1640年までの60年間同君連合という形である程度の自治は認めつつも吸収合併で傘下に収め続ける事で「フェリーぺによる太陽の沈まない帝国」(スペインが夜でもフェリーペが植民地に持つ世界中のどこかの国では太陽が昇っている昼間であることから名づけられた)太陽の沈まない世界帝国を実現しました。それを打ち破ったのがオランダ・イギリス連合艦隊とスペイン無敵艦隊が争った戦争が「アルマダ海戦」です。「どうする家康」の中ではウィリアム・アダムスのみが登場しましたが、実際にはアダムスだけではなくオランダ人のヤン・ヨーステンと共に家康の前に連れてこられ「世界の状況」をつぶさにあからさまに話しました。もちろん通訳を介してですが、その時にもたらされた情報で「スペインとポルトガルは日本にとって危険分子であること。すでにルソン(現在のフィリピン=フィリピンという名前自体フェリーペ2世のフェリーペを由来とした名前)は植民地として搾取を受けていることなどを知り、信長の存命中に盛んにやってきていたキリシタン(キリスト教カトリック)は布教を目的としており、さらには対抗宗教改革の必要からより多くの改宗者と奴隷的労働力を望んだためで、これを「エンコミエンダ制」と言います。部分的にはマクタン島が抵抗しマゼランを打ち破ったりなどしたもののルイ・ロペス・デ・ビリャロボスが当時、皇太子であったフェリーペの名前からとった「ラス・イスラス・フェリピナス(フェリーぺの島々=フェリペナス諸島)」と名付けたように植民地化が進んでいくのです。こういった流れ(カトリック教徒によるアジアへの侵略)を知った家康は、カトリックの来訪を許可すると布教と同時に経済的安全保障の観点からよろしくないという結論に達したのです。一般的に「鎖国政策」と呼ばれる海外との外交政策ですが、諸外国との繋がりの全てを絶ったわけではありません。長崎の出島にはオランダ人が常駐していましたし、オランダ商館長からはほぼ毎年「オランダ風説書(ふうせつがき)」を受け取っていたのが記録に残っている通りでドイツ人医師のヨハン・アダム・クルスが著した「ターヘル・アナトミア」に影響を受けた杉田玄白や前野良沢、中川淳庵が著した「解体新書」は有名ですよね。また、幕末に近づくにつれて洋学の影響は大きくなっていき幕臣の中にも勝海舟のような世界情勢を見る力を持った人物が現れますし、最後の将軍の一橋慶喜は倒幕勢力に対抗するためにフランスを頼ったのもオランダ独立から人道主義の影響を受けて200年近く経ってから革命が起こったフランスが共和制を樹立したことなどを知っていたからです。もちろんアメリカから黒船艦隊が来ることも1年以上前から幕臣上層部は知っていました。海外との繋がりを絶ったと言われる鎖国政策で日本は西洋から立ち遅れたと言われますが、そんな事はなく海外に対しての警戒と注意を怠ってはならないという家康公の教えを守っていたと同時に聖徳太子の時代から脈々と受け継がれる「和をもって尊しとなす」日本人の「イズム」によって泰平の世を過ごしていたのが江戸時代の日本人なんです。
先生のせいではないと思いますが、こりゃあ生徒は歴史嫌いになるわ。
コケコッコー
今回は神回ですね。地味な話ですが、日本史上とても大切なお話だと思います。先生有難うございます。
島原の乱が起きた背景は、当時の
世界情勢によるところが大きく、
他国に支配されてしまうとは
どういうことかよく解りました。
やはり宣教師は布教だけでなく、
諜報活動も行なっていたんですね。
とかく日本人は外国人に対しては
甘い対応になりがちで、新たな
問題を引き起こすことがあるので、
現在は勿論のこと、将来の為にも
学んでおくことが大切ですね。
戦前までは、正しい歴史が庶民の間にも普通に伝わっていたそうです。
いま、情報自由化のおかげで、歴史の事実が再び表に出てきたことを
とても喜ばしく思います。
私はカトリックの洗礼を受けたものですが、徳川幕府の対応に批判的ではありません。ポルトガルやスペインの宗教を利用した世界植民地化の暴力を見抜いた秀吉や徳川の慧眼に感謝する。日本は米国にやられたが、Fルーズベルトは日本民族全滅だから、、いかにヨーロパ人がひどい連中だったかを考えるべきである。
そうですね。代々キリスト教自体がユダヤ教の改革者であったイエス・キリストを信仰するペテロとパウロが広めた宗教ですから「ユダヤ教が持っていた選民思想のような人種差別史観」は持っていると考えるべきかもしれません。
これも当たり前かもしれませんが「差別され抑圧された人々は反撃の機会を窺い、やがてそれを実践する」のが常ですから日本人はそもそも徳川家康公が遺訓にも残しておられるように「人のことを先にしてやりそれから自分のことを片付ける」ようにする思いやりを持った行いで「欧米人がDNA的に持つ自分優先の差別思想」をやめるべきではないかと思います。
そのために教育勅語やそれを基にした道徳の授業があったのに92年の学校週休2日制をきっかけに無くなってしまっている現在の教育から見直さなければいけないのでは?と感じています。
すごい分かりやすく、啓発される内容の番組でした。当時の世界情勢を踏まえ、「経済安全保障」という観点から江戸時代を見ることの意義が伝わってきました。安高啓明著『踏絵を踏んだキリシタン』は中身がなくて満足感は得られなかっただけに、この番組は勉強になりました。
キリシタン大名による日本人奴隷貿易を強調しないと、
秀吉や秀忠の怒りや正義が伝わらないと思います。
その通り
天草四郎もキリシタン大名の子ですよね。父親は硝石欲しさに領民を奴隷としてポルトガル、スペインに売っていたんじゃないですか?
たまたまアップしてたので見ましたらとても面白かったです。
今の外交にも通じるところありますね。他の作品も見させてもらいます。
経済安全保障の意味が良く分かります。秀吉、家康の時代の国防への危機感は今に通じる訳ですね
其れを理解して居る政治家が何人居るのでしょう。
明の失敗した部分から学んで活かしていたんですね。
勉強になりました。
これはすごい!
歴史がhistory(his story:彼の作られた物語)からfact(真実)に近づいていくと、
これだけすっきりした明快感が生じるとは。
また歴史が知りたくなるとは。
天草の人の中には天草四郎を嫌っている人も居ますね。なにせキリスト教徒以外も根こそぎ強制動員を掛けて一揆に取り込まれたので、家族を取られたもの・危うく難を逃れたが家財田畑を荒らされた者も乱の終結後に天草諸島に居たわけです
やや私的な話になりますが、実家が北薩のとある外城ですが、この地域は猛烈に西郷を嫌っています。元々外城士は西郷のような城下士から差別されており、島津家に忠誠はあるものの西郷には微塵も感じていません。それを西南戦争で強制動員を掛けたので、泣く泣く壮年の男性・子供を取られ戦死した家が多いです
どちらも特定の人物への尊敬が強い地域のように見られますが、観光目的の一面を剥げばそういう怨念も出てきます
君は西郷隆盛侯の崇高な志しを理解していないのではないか?
城下町と他の郷中だとやはり差別はあったんか...
土佐の身分制度に負けず厳しいな
まあ、俺も南薩の人間だから西郷さんには正直あまり思い入れはないけど
@シドニー学院 大政奉還と言っても形だけではまた徳川が盛り返す気配有り、そうなると日本が大混乱に陥る。さっさと体制を固めて外国勢力に立ち向かう必要があった と私は見ているんだが。
ようするに完全に徳川を弱体化する必要があったという事。
@@雪何すか雪って 西郷さんは誰にも優しかったと聞くぞ、
1つの例は庄内藩を助けた。
西郷さんの悪口言うと、色々敵に回しますぞよ。(*`・ω・)ゞやめとけ
橋幸夫の歌で天草四郎を歌った「南海の美少年」と言うのがありましたな。「銀のクルスを胸にかけ、踏み絵おそれぬ殉教の・・・」なんて歌いました。映画では市川雷蔵のがありました。すんません横道それました。
私の住んでいます、ブラジルも、ポルトガルが入り、
金等の鉱山物質から、この
国独特の素晴らしい高級材木等...ゴッソリ根こそぎ、持って行かれてしまいました。
市橋先生の卓越した歴史研究にいつも敬服しながら拝見させて頂いております。有難うございます。
僕は、天草島の中の人で、天草生れ天草育ち天草暮らしをしている、生粋の天草人です。
そして、天草の歴史研究を長年にわたり携わり、社会教育家として教える立場にあります。
ついに待ちに待った「天草島原の一揆」ですね。この日が来るのをずっと待っておりました。
天草島原の一揆に欠かせない視点は、西欧は大航海時代の真っただ中で、日本は戦国時代の真っただ中で、二つの巨大な歴史的潮流が交わる中で起こった一大事だったということですね。
さすが市橋先生です。大航海時代に西欧で何が起こっていたか?戦国時代に日本で何が起こっていたか?それを象徴するのが、日本の戦国末期から江戸初期にかけて起こった様々な出来事です。
最近の天草の歴史研究では、遠藤周作さんの『沈黙』に登場する宣教師で仏教に転んだフィレイラは、長崎で捕まる前に、天草の五和の南蛮寺で3年間宣教をしていたことが分かっています。天草には禁教下でも多くの宣教師が潜伏していました。
宣教師には、2つのタイプがいました。1つは、純粋にイエスの教えを世界中に広める使命をおびた聖職者、そしてもう1つは、教会、組織拡大のために政商と結託して武器やアヘンや奴隷貿易などに関わる宣教師です。日本と東南アジアを行き来する西欧の宣教師たちは、ポルトガル商人など政商と同じ船に乗って交易をしていました。
実は、天草の人たちはキリシタン文化が到来する以前から、東南アジアに頻繁に行き来していて、中には倭寇として財をなした豪族もいました。天草島では、道は陸ではなく海だったので、当然と言えば当然のことです。
天草といえば、「からゆきさん」という悲しいイメージが浮かびますが、しかし実際は積極的に出稼ぎに行く「からゆきどん」(男の出稼ぎ者)と「からゆきさん」(女の出稼ぎ者)が昔からたくさんいて、悲劇的なヒロインとして映画や小説で扱われたのは一部の人たちのことで、すべてが悲壮な運命ではありませんでした。彼ら、彼女らは、もっと大らかで、大志や、野望を抱いて海外にどんどん進出していたのでした。
そんな中で、「天草島原の一揆」が起こるのですが、そこには3つの大きな要因がありました。1つは、徳川と豊臣の争いの中で、改易された藩の浪人たち(多くは、小西と有馬の家臣たち)が天草と島原にはたくさんいて、農民や漁民として暮らしていたこと。次に、小西と有馬は熱心なキリシタンだったこと。
最後に、改易後にやってきた新しい領主(天草は寺澤、有馬は松倉)は、地元の領民に全く愛着はなく、大名としての地位を築くため、非道で無理な年貢の取り立てをしていたことです。
この3つの要因が複雑に絡み合って起こったのが「天草島原の一揆」でした。天草四郎を描いた絵の中に、豊臣秀吉の「金の瓢箪の馬印」が描かれていたことや、実際に原城の天守閣で四郎が亡くなった時には、陣中旗の横に「金の瓢箪の馬印」があったことが分かっています。それを知れば、何をか言わんですね。実際、この一揆の首謀者の一人の森宗意軒は、豊臣方で、真田幸村が高野山蟄居の頃に、同じく高野山にいた人物です。同じようにこの一揆で軍師だった蘆塚忠右衛門も、同じく 森宗意軒と行動を共にし、豊臣方について関ヶ原、大阪の陣と憂き目にあい、天草に住んでいた人物です。
ところで、「天草島原の一揆」後、幕府は治世のあり方を根本的に変え、その結果長期の政権を維持することになります。幕府は、この一揆によって大切なことに気づいたのだと思います。民は武力と権力のみで治めることはできない、それは、市橋先生の以前の講義であった、徳川家康が歴史上最も尊敬する武士楠木正成公の精神と通じるもので、「非理法権天」(日本史【鎌倉時代】深すぎる楠木正成の旗印 徳川家康も尊敬!「早わかり歴史授業26」参照)の教えに立ち返ったのだと思います。
天草の歴史を語るのこの方を知らずして語ることなかれといわれ、天草の人たちから恩人と慕われる偉人がいます。それが三河出身の鈴木重成代官です。この方のご先祖には、楠木正成公がおられ、四恩の教えをそのままに実行され、天草島原の一揆後の天草を見事に復興した名代官です。
ご参考までに、11月2日(火)~5日(金)の15時~15時30分に4日間連続で、ラジオ天草歴史物語「鈴木重成伝」があまくさシティエフエムみつばちラジオで放送されます。よろしければ、以下からお聴きください。
【みつばちラジオ】幸せのカフェめいどサロン
「天草歴史物語 鈴木重成伝」4日間連続放送
fmplapla.com/mitsubachiradio/
「天草島原の一揆」の本質を知れば知るほど、日本の本当の歴史の真実が見えくるといっても過言ではありません。この地には秘められた歴史の真実がまだまだたくさん埋もれています。
その意味でも、今回の市橋先生の「天草島原の一揆」のシリーズの多くの視座に富んだお話を楽しみにしております!どうぞよろしくお願いいたします。
😀
長文ご苦労様ですが、明らかに長すぎ。講演会だったら聞けたかも。
本当に失礼しました。
文が長すぎた事をお詫び致します。
子供の時から、何故平民の人達の事を、ずっと考え込んでました。今回は初めてじっくり教えて頂けました。
日本を属国にしたかった当時の外国の意図があり、事実だったこと。辛い選択をしてまでもキリシタンを根絶やしにせねばならない事をしりました。神がいてそれを信仰する力ない民衆を根絶やしにしたのは罪ではないのかと、子供時代から考え込んだものです。浦上天主堂を観ても涙ぐみましたが、日本をやはり素晴らしい国だと年を取りましてから今の世界を見てからもこの小さな国が植民地にならなかったために、島原の人達の犠牲があったことを忘れてはならないことと、改めて思いました。皆様有り難う御座いました。
私の産まれた地域は天草の乱の同調圧力を恐れて幕府の代官の処に村ごと避難したそうです。
この時代に経済安全保障を実行した江戸幕府はたいしたものですね。
現代外交のお手本にすべきですね。
今回も大変勉強になりました。
どっちにしてもオランダとか欧州列強にも当時の日本に侵攻する力はなかった。
朝鮮の役は欧州にも伝えられており、日本の国力を欧州も脅威と考えていたし
戦国時代にやってきた宣教師たちは、相手国を調査するスパイの役割を果たしていたが
宣教師たちも日本の軍事力をみて、とても侵攻など無理だと伝えている
これはとても大切なポイントですね!
今まで知らなかったのが「なぜ?」というくらい、全ての日本人が知っといた方がいいレベルの内容。
植民地化を防いだとか、外交レベルが高すぎる。
学校で、もっと教えてよーって思いました。
もしかしたら、先生たちも知らないかも?
中高生の時に聴きたかったですわ〜😭歴史+地政学みたい!
江戸時代は鎖国の時代という認識が高いですがとんでもない、国際交易が盛んに行われていた。世界情勢も理解されていた事実。
しかも国益最優先。今の経済グローバル化とは真逆の動きだと思います。
自分の想像以上に強かな外交を展開していたことをあらためて思う
こんばんは。
糸年寄って初めて聞きました。うまいこと官僚は考えましたね!
確かに今の半導体の状況、いろいろ左右されて危ういですね。
先人たちに見習うことが多いように思います。
今の政治家は勉強するような人間はいない!!!!。
キャリヤ試験の必須に為って居ますでしょうか?
及び、大企業の昇任試験にも取り入れるべきです。
賄賂に通じるゴマすりは火あぶり免じて島流し。
市橋先生、お疲れ様ですヨ!天草四郎の事はもっとやってくださいよ、お願いしますよ!
天草四郎と言えば秀吉の孫にして
秀頼の御落胤と言うトンデモ伝説があるよなぁ
歴史を学ぶ意味をよく教えてくれる。こういう授業が本来学校で必要なのに。
ヤン・ヨーステンは東京駅八重洲の名前の元になった人でしたね、あとウィリアム・アダムスは日本名の三浦按針のほうが有名かもしれません。
江戸幕府260年は、黒船追放に始まり、黒船来航に終わった。
とても素晴らしいVIDEOですね。
熊本出身です。天草四郎は熊本 私たちの故郷の誇りです
数的には一向一揆 その中でも長島一向一揆は織田軍12万一揆軍10万(かなり本当ぽい)
とか時系列的にとんでもない数の戦いになってますがそっちの考察もほしいです。
日本史を日本の中だけで見ていたら歴史の本当の意味がわからなくなりますね。最初西洋人が鉄砲を日本に持ち込んで信長はじめ大歓迎したのになぜ秀吉が禁止したのか考える必要がありますね
輸入品は鉄砲でなく硝石ではありませんか。信長の時代(長篠の戦い)に国友村でかなりの鉄砲を生産してるとおもいますが。
歴史上で起こった出来事には、必ずその背景なり理由がありますね。
その状況を丁寧に教えてくださるので、興味は尽きません。
次回以降も楽しみにしています。
島原藩の藩主・松倉重政は外様大名で何とか幕府に気に入られたい。当時は幕府は外様大名の引き締めに躍起になっていた頃で
数多くの外様大名が取り潰されたから無理はないけど
松倉重政は四万石で島原に入ったが、十万石だと幕府に申告した。
島原は温暖な気候だが火山性の土壌だから、やせていて元々農地には適していない土地だ。
もともとの四万石でも表石が実石を上回っていたのに、十万石などそもそも無茶な石高だった
幕府は表石に応じて大名に賦役などを課しているわけだから、これ以来、島原藩はかなり無理のある賦役が幕府より課される事になり。
その費用の捻出のしわ寄せは当然のように農民たちに来たわけだ。
農民たちは九割以上、つまり収入のほとんどを年貢で取られてしまう有様で、そこに持ってきての島原の天候不良による飢饉が続き
餓死者が相次ぐ有様。これでは反乱が起こるのは、むしろ当然でしょう
島原藩は、幕府に気に入られようと、無理な石高を幕府に申し出ていた。
しかし石高に応じて賦役が課せられるわけだから、高い石高のために島原藩はそれだけの賦役を課せられ続けた
農民たちは最大で九割を年貢として納める事が強いられたのだから、それはたまらんわ
これで豊作の時は食い扶持だけは何とかなっても、当時の島原は記録的な不作が続き。結果、農民たちは餓死者が相次ぐ有様
島原の乱の本当の原因は実のところこれであり
幕府もそれを知ったから、激怒して島原藩主の斬首を決めたのだ
キリシタンは幕府を恨むのではなく領主を恨めってことか。色々と勉強になります。
中凶の地方政府が割増し申告するのに似て居る。
@@ささやんしろ
もともと島原はキリスタン大名の領地だったから、キリシタンは多かったので
幕府のキリスト教禁止令により、島原藩はキリシタン弾圧を行ったが、それは建前で
本音は年貢の取り立てだったらしい。
ほんとこう言う話を授業で聞きたかった。
私にとって歴史とは数字と単語の暗記でしかなかったですから。脈絡がないから暗記も出来なかったです。授業料の高い私立の学校ではこう言う教え方してたのかなあ。
GHQの方針のせいなのか日本人自身のせいなのかわからないけど、ほんとひどいと思います。
ジェノサイトとは少し違うと思いますけど、ね🤔
天草四郎時貞は彫りの深い顔立ちから伴天連との混血だという説もあるんですが、どうなんでしょうか?
世界史選択者です。トルデシリャス条約はバンバン教科書に出てきたのにサラゴサ条約は知りませんでした。
現代の西欧にとって都合が悪いから、日本に影響がない部分はなるべく隠しておきたいのでしょう。
九州住みからしたら、島原の場所をご存知なかったのがショックでした(笑) やはり九州以外の人はあまり知らないのか
まあ、ほら、九州の人間が木更津市とかあきるの市がどこにあるかわかるかって聞かれたら...ねぇ
私は南島原市の加津佐という町の出身です。小さい時からおおまかな事は聞いて知ってましたが詳しく聞くとなかなか深いですね。隣り町の口之津と加津佐の人は全員亡くなった聞いてます。私の先祖は乱後、天草からの入植者とこれも子供のころ聞きました。
私の 島原の乱 のイメージは、山田風太郎の「魔界転生」の映画でジュリーが天草四郎を演じてたものです(笑)わかるかな...😓🤔
17:51 16世紀の段階でヨーロッパ人が中国皇帝向けに作成した世界地図でも既に【日本海】表記。
今回もありがとうございました。やっぱり賄賂を取るなどと言う行為は政治の乱れの始まりになるんですね。キリスト教は良いトバッチリだったのかもしれないですね。また、次回を楽しみにしております。
とばっちり?
いえ、キリスト教は日本侵略の為です。
日本は無敵艦隊のスペイン破るほどの強さですから。
正攻法をやめてこれにしたんですよ。
@@NAO-wq6xe 宗教はスマートな洗脳ツールだと思います。
現代の○○学会が実に厄介です。
イエズス教ならぬイエズス軍ですからね。宗教とは洗脳ツール。
島原の乱を世界史の1部と捉えることは、現代日本を勘違いしている人には分かりやすい題目ですよね。私的にはオウム事件に例えると現代人には分かりやすいと思ってる。
島原の乱は米軍とISみたいな関係でしょ?宗教弾圧にすり替えてるけど外患誘致テロリストが異教徒だっただけの話
スペイン・ポルトガル=カトリック
オランダ・イギリス=プロテスタント
別の宗教だろ。
そこが重要ですね
市橋先生お久しぶりです❗️天草四郎と検索すると〜何故か⁉️沢田研二さんが出てきます😅
天草四郎時貞さんの役を沢田研二さんでした😀柳生十兵衛さんの役を千葉真一さんでした😀映画→魔界転生で奇想天外の共演で真田広之さんと沢田研二さんのキスが有名
こういう事を歴史で教えるべきですね。西洋史観によることばかりの丸暗記は何とかならんもんかね。日本人の歴史家は、なぜ日本人の歴史の教科書を書かないのか摩訶不思議。
今更ですが、先生のお名前 知りません。教えてください。また、先生の講座、TH-cam で継続的に 見て学ぶことできますでしょうか?
キリスト教を使って奴隷貿易をしてましたからね。
一応1537年には奴隷貿易禁止(異教徒奴隷は無効)の教皇勅書、1571年にはポルトガル国王による日本人奴隷の貿易の禁止勅令は出てたんですけどもね…
「こんなの横行してたら宣教に悪影響すぎる!」と訴える宣教師の訴訟もあって成立し、秀吉没直前には関与した人は問答無用で破門にする通達も出したり相手側も結構苦労はしてたそうだ
たしかに、生糸をレアアースや半導体、石油に置き換えたら今の日本にも当てはまりそうな気がする...
シリーズの中で その1、1話等つけてもらえば有り難い。
ヤン・ヨースデン 八重洲の元になった人ですね (^^)
お袋の出身が島原半島と熊本県の間にある 湯島 って言う島なんだけど、その島が天草四郎伝説が残っていて、天草四郎達が話し合っていた 「談合島」と呼ばれていたらしい (^○^)
「沈黙」みたいに映画化オナシャス😖
今日は
なんかの番組で天草四郎は 秀吉さんの孫って出ていました
眉唾だろうと思いました
糸年寄りに独占して買わせる → ポルトガルは言われた値段で売るしかない
誰も知らない天草知ろう!
宗教反乱というより、戦国時代の生き残り浪人の倒幕運動の集結と読んだことがあるが
秀吉の伴天連追放令が抜けてる、この前に九州の地方大名 大友宗麟に取り入った宣教師のザビエルたちが日本の事情を調べ本国に報告している。そこで伴天連がキリスト教に改宗させようとしたが仏教からの改修を嫌がった農民を掴めて奴隷として南方中近東そしてヨーロッパに連れて行ったことが。当時島津を攻めて帰りの途中で聞いたことから、博多にいた秀吉が出したのが伴天連追放令だ。そこでキリシタン改宗が御法度になったが改宗した人が踏み絵を嫌って秘密化したものが、島原の辺につながる。天草四郎はポルトガルの救援を待ったが、日本の軍事を知ったポルトガルは軍隊の派遣をしなかった。当時日本は戦乱時代から全国で所持している鉄砲は数万丁になったらしいが、ポルトガルは千にも満たない鉄砲しかなかったらしい。その後大友は島津によって滅ぼされる。これがなければ日本も南米と変わらないポルトガルの植民地だった。そのため今度は貿易ではオランダが入国することになるが、布教の禁止と出島以外の入国を禁じた。実際には出島以外に対馬?などの別の場所も入国できるところがあったらしい。
3万7千人の死体はどうやって処理したのですか?
近年の発掘調査でバラバラにされた遺骨が発見されたということです。ほとんどが土中に埋められたのでは。
@@市橋章男
先生、わざわざ返信ありがとうございます。
批判しているようで申し訳ないのですが、歴史観は下手をするとある種の価値観の洗脳に使われたりしますから、私は神経を使っております。
明治維新テロリスト説とか、徳川幕府が残っていても近代化はなされていたとか、大東亜戦争日本悪役説とか、それぞれ何らかの操作があると思っております。
たとえば、江戸幕府が薩長に勝ったとして(これは可能性はあったと思います。)、廃藩置県ができたのか考えれば無理だったのではないかと私は思います。
今回の大河では明治維新の明るい生き生きとした様子が描かれ、私は好きです。歴史はこういう感じで捉えた方がいいのではないでしょうか。
島原の乱の城跡発掘の様子はテレビで見ました。
城門のあたりから多数の人骨が見つかったということでしたが、その数は千単位ではなかったと思います。
日本の戦は数字としては多数の戦死者を公表していても、実数は少なかったと思っております。
労働者は金を生み出す富ですから帰農させたり、場合によっては外国に売られたりしていたのだと思います。
殺すのは一部の支配階層であって、そこに勝者の支配者が入れ替わるわけですから、皆殺しはさすがにないというのが私の考えです。
ただ、宗教勢力に関しては弾圧は厳しかったというのはあるとは思います。そういう点では皆殺し的なものもあったかもしれませんので、断言はいたしません。
スペポルなど欧州国へ伝わるように考えた 信長銃艦誇示-秀吉明征伐バテレン除去-家康キリシタン禁制皆殺し島原。
島原より規模の多い戊辰戦争ですら死者は1万人ちょい。
幕府が降伏した後も一部の大名はしねまで抵抗して、の死者数です。
これよりかなり規模が小さい島原が3万とかありえませんね。
てか、そもそも皆殺しって日本の歴史で織田信長ぐらいでしょう。
(寺は民を苦しめていた為。無論戦闘員の男のみ)
原城にある天草四郎の像は、ほうれい線のある50代のオッサンですよ😅
오오 기대했습니다!
ジャンダルクも16最近の時。
天草四郎の生まれ変わりと堂々と公言する美輪明宏氏の感想を聞きたいものです。
詐欺師の話なんか聞きたくありません。
@@dodonkodon さん
髪の毛をまっ黄っ黄に染めて銭ゲバ全開、「ロマンティックコンサート」と称した反政府集会で「中国が日本を攻撃するはずがないー!安倍は日本を戦争する国にしたがってるー!」と絶叫する醜悪な反日詐欺師の話、実際に7000円詐取された私は聞きたいですね😆
美輪さんご本人がアレは嘘だと言ってますよ😥
@@じふもんぽん
あら、あっさり自分は嘘吐きだと告白してたんですね😆
@@marimo_inaba さん
You Tubeで見ました😄
盛り過ぎも行き過ぎると嘘になりますね。
今回も大変勉強になりました。
天草四郎がそんな存在とは思いませんでした。有名ですから。今日の癌検査では進行はやや止まってます。
このまま止まって欲しいです。来週も楽しみです。
スミマセン、気分を害したら申し訳ないのですが、重曹がガンに効くという話で、根拠はガンは真菌である可能性が高いからです。自分はうがいやタブレットを飲み始めています。そういう治療もあるということで。気になったのでコメントしたまでです。お体に気をつけて治療に頑張って下さい。私の親族は前立腺です
@@after567 さま
お気遣い感謝します。
頂いたアドバイスを大切にさせて頂きます。少しでも治療になるなら挑戦してみます。
キリシタンは肉の剣を持ってはイケナイとの聖霊の啓示で、キリストの御言葉も「剣を執る者は剣によって滅びる(倒れる)」との御言葉に従がってもゐ無いので武装蜂起も宜しく無くして、島原の乱も自由参加だったら、剣で人殺しを僕は出来ないから、多分参加し無かったか、籠城せずに投降していた可能性というか自分のすることでよく解かることで。俺は人殺しが出来ないんだが?再洗礼派の杖派みたいに?
当時は、軍事大国だった日本だからな。
本多正純は、改易、宇都宮城吊り天井の嫌疑で。
弾が無かったからキリシタン大名になったからな。
Jリーグに岡村大八って選手がいて、いい選手で好きなんだけど、試合観るたびになんかもやもやするんだよねえ。
経緯を知らなかったら、酷い虐殺行為だけど、理由を知れば、必要悪であり、やむを得ない事だった。
島原の乱は知れば知るほど泣く。
ポルトガルの宣教師
ゼウスを耳から聞き
デウスと発声していた。
30年戦争の影響があるという…
16:00 むすびの学び舎の学長様がオナキになるような話です。あちらはイエズス会の重鎮フランシスコ・ザビエル様が日本を褒めていることをエラく強調しておりましたから😅
ザビエルはあの言葉以外に
日本ってキリスト教教えなくても根付いてる感じがあって、誰か昔に宣教師がきたのかな?って言っていたそうですね。
まあ旧約聖書の続きですからね日本は。
@@kkenta2948 様ありがとうございます。十和田湖にキリスト様のお墓がありますからね😅
@@dansinda
都市伝説では無くて本当にユダヤの12氏族が来たって言う証拠は山ほどありますよ!
つかユダヤ人が自分らから言ってきた事ですからね!
@@kkenta2948 日ユ同祖論っすね
@@kkenta2948 ?
オススメに上がってきてたんですがむちゃくちゃ奇麗な人ですね。なんて名前なんでしょうか?
浜崎友里です。よろしくお願いします
動画面白かったです。キリスト教と云っていますが、正確にはカトリックです。地元のヨーロッパではプロテスタントが増え、百年戦争に参加してなかった、スペインポルトガルが元気だったから、大航海時代が始まったと認識しています。話をスペインポルトガルが出たので、もう少し、キリスト教のヨーロッパ事情を踏み込んでいただけたらと思います。また、日本史となっていますが、この頃は特に日本だけでなく、世界と関わっていたので、日本の出来事は世界と必ずつながっていると、信長以降、日本での特筆すべき出来事は必ず世界との繋がりがあると思っています。世界と日本を別けた日本史では真実は見えてこないと思っています。ネタバレかもしれませんが、島原の乱は三十年戦争日本戦戦です。もっとびっくりなのはこの頃、出島で交易してたオランダの事情も江戸幕府は把握していたようです。
海賊がバブル期だった時代かな?
映画で魔界転生を見て天草四郎時貞さんが大好きだから僕は、キリスト教の洗礼を受けました🤓。
アメンおめでとう
日本はすべての科目において、道具の使い方は馬鹿みたいに教えるけどその道具が存在する意味やできた背景は一生教えない(というか教えられない)んですよね。。。
1600年の関ヶ原と1615年の大坂の陣を初めとした戦役と徳川三代の武断政策で大量の浪人と流民が発生したのが主因。
タニザワフーズ、いいね。
今はアメリカの属国だけど。
仮にイスラム教も入ってきたら幕府そっちのけで宗教対立が激化していたかもしれない。
長崎…というと原子爆弾のイメージの方が強いですなぁ。by関東民
大航海時代と植民地化政策と戦国時代は重なってる事に気づいてない人が多くてね。
今のハマス・イスラエル紛争並みに地獄絵図だったのかもしれませんね
「あしやドーマン」出版。国会図書館、三重県立、石川県立図書館等に蔵書。
偶像の 大戦略を 建てかねて
味方を死なす 原城憐れ
天草一郎、二郎、三郎は何やってたんだ
環境カルト グレタ
島原の乱、天草の乱と言います、天草の切支丹大名小西行長の幕府にたいして
の一揆ですね。
要するに天草は今でいう二階幹事長みたいな奴だったんだね
神が一番残酷極まりない祖業を成さる。
道化を演じるしか無いのか人間は。
信じる者は救われたのかな?
助手?
魔界転生だな
女装男子?
今回の動画の時は中国ではないと思いますが
島原の乱皆殺しのきっかけは春日局の下に天草四郎が豊臣秀頼のご落胤であるとの情報が届いたためだと言われているんですよね
先生は今回はあえて言わなかったのかも知れないので、先生が触れなかった部分を長文になりますが補則したいと思います。
まずトルデ‐シリャス条約とサラゴサ条約ですが、実は有名無実でどちらが世界征服しても良かった背景があります。
というのも当時、スペインとポルトガルの王はフェリーペ2世兼務しており、対外的には同君連合という形式をとっていましたが実質的にはスペインによるポルトガルの吸収合併・併合と言っても良く、その後1640年に独立したポルトガルは衰退をたどっていったからです。
スペイン・ポルトガルの両国があるイベリア半島は13世紀頃まで続いたレ・コンキスタ(キリスト教勢力によってイスラム教の後ウマイヤ朝からのイベリア半島国土の奪還戦争)の成功でカトリックが威力を増していく中で新大陸(現在の中米から南米にかけての大陸)に旧来からいたインカ帝国などを滅ぼしてポトシ銀山などの鉱脈を独占したことで金・銀を大量にヨーロッパ本土にイベリア半島経由で持ち込み、経済的に最強国となりました。
スペインはその金・銀を使って自軍の海軍力を強化し、香料諸島(現在のインドネシア共和国に属するスラウェシ島からニューギニア島に挟まれた赤道直下の東南アジア地域)で採れる丁子(ちょうじ=クローブというスパイス)肉ずく(ナツメグのこと)などの香辛料や香料を当時「塩漬け肉」以外に防腐処理方法が確立されていなかったヨーロッパに持ち込みさらに自国を富ませる政策をとったのが大航海時代です。
ざっくり言うと「スペインとポルトガルによる香辛料貿易の覇権争いの時代」がちょうど日本では種子島の鉄砲伝来直前の頃だったわけです。
ちなみにスペインはコロンブスによる新大陸の発見によって得た金・銀を使って香辛料貿易に乗り出してきましたが、ポルトガルはその前にバスコダガマによる海路を使ったインド到達によって香辛料貿易においてはスペインよりは先行していました。
スペイン王のフェリーペ2世は香辛料貿易で先行し、富を蓄えているポルトガルを打破し香辛料貿易の権益を独占するためにポルトガルに侵攻したのです。
当時モロッコ侵攻に失敗したポルトガル王セバスティアンが戦死し王朝が断絶したポルトガルに王位継承権を主張して攻め込み1640年までの60年間同君連合という形である程度の自治は認めつつも吸収合併で傘下に収め続ける事で「フェリーぺによる太陽の沈まない帝国」(スペインが夜でもフェリーペが植民地に持つ世界中のどこかの国では太陽が昇っている昼間であることから名づけられた)太陽の沈まない世界帝国を実現しました。
それを打ち破ったのがオランダ・イギリス連合艦隊とスペイン無敵艦隊が争った戦争が「アルマダ海戦」です。
「どうする家康」の中ではウィリアム・アダムスのみが登場しましたが、実際にはアダムスだけではなくオランダ人のヤン・ヨーステンと共に家康の前に連れてこられ「世界の状況」をつぶさにあからさまに話しました。もちろん通訳を介してですが、その時にもたらされた情報で「スペインとポルトガルは日本にとって危険分子であること。すでにルソン(現在のフィリピン=フィリピンという名前自体フェリーペ2世のフェリーペを由来とした名前)は植民地として搾取を受けていることなどを知り、信長の存命中に盛んにやってきていたキリシタン(キリスト教カトリック)は布教を目的としており、さらには対抗宗教改革の必要からより多くの改宗者と奴隷的労働力を望んだためで、これを「エンコミエンダ制」と言います。
部分的にはマクタン島が抵抗しマゼランを打ち破ったりなどしたもののルイ・ロペス・デ・ビリャロボスが当時、皇太子であったフェリーペの名前からとった「ラス・イスラス・フェリピナス(フェリーぺの島々=フェリペナス諸島)」と名付けたように植民地化が進んでいくのです。
こういった流れ(カトリック教徒によるアジアへの侵略)を知った家康は、カトリックの来訪を許可すると布教と同時に経済的安全保障の観点からよろしくないという結論に達したのです。
一般的に「鎖国政策」と呼ばれる海外との外交政策ですが、諸外国との繋がりの全てを絶ったわけではありません。長崎の出島にはオランダ人が常駐していましたし、オランダ商館長からはほぼ毎年「オランダ風説書(ふうせつがき)」を受け取っていたのが記録に残っている通りでドイツ人医師のヨハン・アダム・クルスが著した「ターヘル・アナトミア」に影響を受けた杉田玄白や前野良沢、中川淳庵が著した「解体新書」は有名ですよね。
また、幕末に近づくにつれて洋学の影響は大きくなっていき幕臣の中にも勝海舟のような世界情勢を見る力を持った人物が現れますし、最後の将軍の一橋慶喜は倒幕勢力に対抗するためにフランスを頼ったのもオランダ独立から人道主義の影響を受けて200年近く経ってから革命が起こったフランスが共和制を樹立したことなどを知っていたからです。もちろんアメリカから黒船艦隊が来ることも1年以上前から幕臣上層部は知っていました。
海外との繋がりを絶ったと言われる鎖国政策で日本は西洋から立ち遅れたと言われますが、そんな事はなく海外に対しての警戒と注意を怠ってはならないという家康公の教えを守っていたと同時に聖徳太子の時代から脈々と受け継がれる「和をもって尊しとなす」日本人の「イズム」によって泰平の世を過ごしていたのが江戸時代の日本人なんです。
先生のせいではないと思いますが、こりゃあ生徒は歴史嫌いになるわ。
コケコッコー