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今ハワイ人に対してトンデモないことしてますよね
まさしく人体実験ですね!
原爆の攻撃は戦闘行為ではない。戦争のどさくさで行なったジェノサイド。国際法に違反する戦争犯罪。
背筋が凍るような話です。
良い発言をありがとう
この説明通りです。当時海軍兵学校生徒だった知り合いは父母と一緒に島から船に乗って宇品港についたとき空襲警報が鳴り響きB29を見ました。東に旋回していくところを確認して防空壕に入りました。空襲警報が解除されたので出ました。B29が戻ってきて原爆を落とし白い閃光を見ました。母が来た船に乗って帰ろうと言ったので彼だけ母と船に乗って帰り父は早めに広島市の軍需工場に行った姉を探すと言って市内に行きました。結局父と姉は帰ってきませんでした。知り合いも母も原爆病にはならず90代まで元気に生きていました。市民を大量に殺傷が目的で旋回したのは明白です。放射能の被害は近ければ近いほどひどく離れていれば無傷です。ですから一番は人口密集地帯で外に出歩いていること、次は盆地ということになります。
当日B29は飛んでいなかったという証言もありますが😅
納得しました。地上説はやはりおかしいですよね!
地上説を読みましたが、あまりにも牽強付会でつじつまの合わない意見なのであきれ返った記憶があります。そもそも広島原爆をアメリカは数発分所有していた(未投下分はロスアラモスで分解状態で保存していた)のです。広島原爆が如何にもアメリカ製原爆でないように見えたのは、アメリカ側が広島原爆の図面を公開したがらないことに由来しています。(長崎原爆は公開済み)何しろ図面の説明はドイツ語で、寸法単位がメートル法ですから、その真の由来が明らかです。
@@tevalleyluckman8746 ありがとうございます。
当日は国民学校の登校日で、小学4年生だった父が坂駅を750m過ぎた所でB29が飛来し、パラシュート3つ投下されたのを目撃しています。父は原爆地上起爆説があることなど想像すらできなかったと驚いています。広島原爆と敗戦のトラウマから戦後復興に黙々と邁進する人々の寡黙で異様な空気感を、幼い頃から肌で感じて生きてきたせいかも知れませんが、歴史の通説と、日米修好通商条約から英国領となった日本の天皇が英国元帥だという気味悪さとの折り合いが未だにつきません。
一時資料を基に 可能な限り事実を伝えようとしてくださる林さんのお話はとても貴重です。日本国と日本人を貶めるような情報も日々流れてくるので その情報に流されず 愛国心を大切にしたいと思います。個人の考察や口伝を基に展開される物語はエンタメとして楽しみ 事実の追求とは分けて受け取る必要があると 最近特に感じています。
なぜ一旦通り過ぎたのか?日本人を油断させる為ですね。
何故、軍事拠点が有った呉、佐世保ではなかったか?人体実験だからですよ。「過ちは繰り返しません」の主語は米国だ。広島長崎市民は人が良すぎる。
今だに過ちを繰り返すアメリカ!
鬼畜米英はスローガンではなかった。
藤井先生が科学的に実証されている、とか言ってますが、私はそれはおかしい、とずっと思ってた。林先生には感謝しかありません。
この世を構成するありとあらゆるピース、ーそれが大きければ大きいほどにー、嘘にまみれたものであって、それは例え一次資料であっても同様である、という想いに達しました。いかなる論も排斥せず、いかなる論も信用せず、二極化には加担しない。林先生からもこのスタンスで学ばせていただいております。感謝。
TVでいくら自称専門家が出て来て解説しても全く信用出来ません
近代史、学んでいないので、真実を今学んでいます。感謝です。
地上起爆説見たことありますここのコメント欄でわかったのですが、子ども達は登校日だったのですねネットでは、子供達は夏休みなのに当日学校にくるように指示があったと書いてある人もいたので民間人の体験談が参考になりました前日広島に日本の偉い軍人さん達が呼び出され集まっていたという話も見た事があります呼び出した人は福山に逃げていたそうこの話もどうなのでしょう?その方の話では戦争前から原爆を落とす事は決まっていたと書いてました当時天○や上にいる方達がCIAの一員だったので色々疑ってしまいます
Twitterでも地上説を懸命に発信している人がいます。保守の顔をした工作員だと思います。だって、結局それで誰が得するかを考えたら明確でしょ。
正に鬼畜
親しい友人から「昭和天皇が地上で…」と懸命に言ってきましたが、理屈に合わないので全く取り合いませんでした。地上で爆発させたら、威力が広範囲に及ばないので効果が薄れます。勿論、あのキノコ雲は撮影できません。「裸足のゲン」だったと思いますが、その日の事が書いてありました。あの朝、一度空襲警報が鳴って、皆んな防空壕に逃げ込んだのですが、航空機は一旦そのまま過ぎ去ったんだそうです。そして皆が防空壕から出てきた頃にスーっと戻ってきて(この時は空襲警報は鳴らなかったそうですが)静かに一発だけ落として過ぎていったとのこと。要するに、実験をしたかったんです。後年、乗組員に感想を聞いても「あれは正しかった。」と強調してます。僅かに機関士の方だけが、気にしているような発言をされてました。正しい情報を持っておくべきと再認識しました。また今回、異なるルートで入手したふたつの情報が合致した事で、「やはり間違っていなかった。」と再認識致しました。
火消しですか😅
7:30解除の空襲警報をせめて後1時間続けていればといつも思う。
衝撃波の破壊力がMAXになるように、計算して、上空で爆発するようにセットしているのにね。
私の父は広島の能美島(宮島の裏手の方の島)に住んでいました。8/6の朝、祖母と山の畑で作業していた時、米軍の飛行機が来たので隠れて暫く過ごしたそうです。そして暫くたってから、広島に原爆が落ちたと言っていました。空がバリバリと音がして雷が何十発も一気に落ちたようだったと言っていました。父は米軍の飛行機を見ているので、地上起爆説は違うと思います。日本で造られた原爆は伏見宮様が長崎で解体されソビエトへ渡したと華頂宮様が仰っていました。昭和天皇は原爆は使ってはならない、と仰っており、使ってないとのこと。わざとアメリカに解読されている暗号で、ソビエトへ渡した情報を流しこれ以上、原爆が使われないよう冷戦状態をつくられたそうです。私の家族は被曝者です。林先生のお調べになったことを私は信じています。
華頂殿下のお話聴きました。地上起爆説にも尤もらしい根拠があり,林先生のおっしゃる事とどのように整合性が取れるのだろうと考えてましたが、あのお話で納得できました。
私が知っている限りでは、アインシュタインは原爆は飛行機で運べないと書簡を出していた事、日本は米国より先に特許を取得しており昭和天皇陛下も発明者になっている事、8/5の夜に西日本、九州にいる将校が広島に集められていた事、8/6は夏休みなのに子供達は登校させられていた事です。なんかハワイの火事みたいですね。
@@かこ-x2uこの動画では、地上起爆説に根拠はない(つまり大嘘)という話でしたよね?そもそも、天皇が自国民を核で大量虐殺するなんてトンデモ話をなぜ信じる人間がいるのか、真剣に理解できないです。戦後の反日教育の賜物なんでしょうか?
@@かこ-x2u さま 地上起爆説は広島で地獄を体験した人達の証言を否定する意見となります。私は広島の人間です。直に体験した人達の意見を私は信じたいと思っています🙇華頂宮様のお話が、届いて本当に良かったです🌿
堀栄三著『 大本営参謀の情報戦記~情報なき国家の悲劇』のP257には、次のような書かれています。「午前七時二十分頃、豊後水道水の子燈台上空から広島上空に達したB-29の一機が、播磨灘の方へ東進中、簡単な電報を発信したのを、海軍通信諜報も陸軍特情部もキャッチしたが、...」
林先生は仁科原爆に関して、どの様なご意見をお持ちですか?
むしろ仁科先生に調べて欲しいのは海軍が陸軍の目を盗んで朝鮮半島北部で進めていた原爆の情報ですよ。私の妻の知人の祖父がそこの関係者で、命からがらソ連軍から逃げ伸びて話をしてくれたので調査の必要があると思っています。
先生の説は、その通りだとは思いますが、当時の日本とガチの本土決戦に突入すると、日本は勝てないものの、米側にも耐え難い多大の被害が出るのは確実視されたことなので、それは避けたいのは本音。硫黄島や沖縄、ペリリューでの戦い、特攻などを経験をとおして、やはり怖かったというということは無視できないはずです。軍としては、それを振り切る意味でも、ムシケラ同然の対日本人感情から原爆を使うことは躊躇しなかったんだと思いますよ。やるからには、貴重なデータを収集しようというだけの計画は練ったでしょう。それくらいの余裕があったということ。それを戦場で戦術的に使うのでなく、ほとんど非戦闘員の一般人を標的とした"戦略"爆撃として平然と使用したことが戦争犯罪だということだ。私は、原爆投下とは何だったのかということについては、やはり多面的にみるべきものだと考えます。一つ一つの要因を総合的にみて恣意的に1つの結論に結びつけられるものではない。見る角度で違ったそれぞれの意味をもっているのだと思います。
さらに言うと、大戦末期の米国は戦費調達が限界に達し始めており、過度な借り入れをスイスの国際金融資本から入れるのは問題だと考え、莫大な戦時国債の発行を始めておりました。それに日本が秘蔵している莫大な金塊(天皇の金塊を含む)の入手も急がねばならない状況でしたので、原爆実験さえ済ませれば、天皇制の維持とアメリカの単独占領と言う条件で日本からの講和を受け入れるタイミングに来ていたと思います。
当時のアメリカ軍スティムソン陸軍長官は、硫黄島と沖縄戦を鑑みて「日本本土上陸(本土決戦)を準備するのならば、アメリカは兵力500万人が必要でアメリカの戦死者数は100万人にのぼる」と記録にあります。小さな沖縄でさえ10万人の日本軍に対しアメリカは50万人を用意しましたが、アメリカ側の損害は戦闘機750機以上、艦艇400隻以上、戦車270両以上もの損害を出しています。500万人の兵力を輸送し、実際に一斉に上陸させるのは不可能でしょうし、8000万人の日本本土を相手にアメリカの勝ち目はなかったと思いますね。
@@タケナス だからこそソ連軍の上陸作戦支援、原爆の連続投下、枯葉剤や毒ガス爆弾の大量投入といった絶滅戦争の準備も進めていたのですよ。アメリカと言うよりも背後のDSは日本と言う国を消滅させるか完全管理下に置きたかったのですから、別にアメリカ兵の犠牲者数はマスコミを操作しながら、過少報告で誤魔化しつつ、戦争遂行を実行したでしょう。何よりも日本は食糧生産が限界に達しており、生きていくうえで必要な塩も無くなりつつあったのです。その状態でゲリラ戦同様の戦争準備を進めていたのですから、本土決戦をやっていれば餓死者どころか多くの営みが途絶えて日本社会そのものが崩壊し、歴史的伝統を担う人が多く戦死したでしょうから、結局日本と言う国の死につながったはずです。人間が生きていれば普通の国なら残るでしょうが、人類の生み出した偉大な作品でもある”日本”は消え去ってしまうのです。
@@タケナス 本土決戦になった場合、米は勝てなかった、と言っても日本には周囲に支援してくれる国があるわけでもない。つまり、先は見えている。戦争の目的が何かで、勝つ、負けるの定義は変わる。そこに着目すると、誰も勝者はなかったことになるのでしょう。軍が壊滅してしまった日本はやはり勝者ではなく敗者、国も衰退、滅亡した公算は高いと思います。欧米はと言えば、やはり、その後の歴史をみればわかるとおりアジアで回復不能な失地、植民地を失っている。日本が、「対東亜戦争」という大義は、対米戦争を遂行するために設定した方便としての戦争目的なので、達成目標の一つとしてのアジア開放は成った。対米戦争の方は失敗。結論としては、どっちみち日本にとっては、国の主権すら失った降伏ですから勝ったとは絶対に言えない、半負けか?米国にとっては、損害が大きすぎ半勝ち。英欄は完敗の負け。あくまで、私の評価です。降伏のタイミングとしては、やむを得ないところだったのでは。
差別主義者の戦争として総括されるまでは英霊の御霊は鎮まらない。
地上起爆なら爆風が爆心地から27キロまでガラスが割れないし、爆心地にクレーターが出来るはず爆風は弱まるものの、熱線は影響範囲が狭くなる分凝縮されて爆心地はもっと酷くなっていた。また爆心地の放射線の影響も尋常じゃなかったもし地上起爆で尚且つ枕崎台風がなかったら70年草木もはえないもまんざらではなかった。
原爆地上爆発説って頭大丈夫?www
何故広島?長崎?人体実験、悲しい🤔
仮に地上爆発したとすれば、その場所は相当な高熱と爆発力で地面には何メートルの深さの穴が出来るのでしょうかね。
原爆開発者の1人であるハロルドアグニュー氏は、この原爆構造上の問題により原爆投下に同行しB29に搭乗した人物で、2005年に広島を訪問しています。
平和を祈る、鐘の音に両手を合わす、夏の空😮核廃絶😮
人種差別どころか、人には落とせない。では、何者か?イエロー~🤣
私は、学生の頃、原爆投下地点の選定に深く関与したと言われる同志社大学名誉教授・オーティス・ケーリー師に数回会ったことがあります。ケーリー師は、少年時代を日本で過ごしており、日本人のメンタリティーに当時から精通していました。
先生の書籍を読み、インサイダーヒストリーでも勉強させていただいています。ロバート・ケネディ・ジュニアが処分され俳優が演じているという話は悲しいですね。
これを英語発信すると、どうなるのだろう?特に北米圏に
これだけ日本人に敵意が在ると言う事は、余程日本人に対しての事が在るンでしょうね。植民地解放の怨みかと思っていましたが、現在の日本国や世界中の人々に対しての行いは違うモノを感じますね。
どこかの国の神への懺悔はいつ?
どこかの国の神は約束された民以外の虐殺は認めているのでは。
@@高橋徹-x3s さんへどこかの国の神は破壊神では無いと理解してますが。
@@高橋徹-x3s さんへまあ 其の人たちの宗教は悪魔神だったんでしょうけれど。
@@高橋徹-x3s 仰る通りです。何をしてもいいんです、怖いですね~
不思議なのが当日の防空体制である。当時はレーダによる監視体制もあり、1万メートル以上の高度に届く高射砲もあったが中国地方には配備されていなかったか。また優秀な戦闘機搭乗員が多くいた海軍の松山基地や陸軍の芦屋(福岡)基地もあり、新型の紫電改や疾風による迎撃はなかったのか。それとも早朝という時間帯か、すでに根こそぎやられて出撃さえ難しったのか。
高性能の高射砲はまだ先行試作の段階だった上、工業力の崩壊で量産のめども立っていない状況でした。アメリカとしては手ごわい対空兵器のいない都市を狙えばよかったのですから、防ぐのは困難だったでしょう。
確かに地上起爆なんて嘘パッチに違いないと思いますが、西と東の区別が分からな人間が説明しても説得力ないよな。
何か腹立ちますね
そー言うことを風潮するのはあの国の工作員です
吹聴する
一説によると昭和天皇が原爆を落とす事を了承したと。インタビューで原爆投下は仕方なかったと何処か他人事のように発言してるのも腑に落ちます。
ワク○ン話しと天ぷら話しは、事実を言えばバンされます。特に有名な方は、即バンされる為このお話しがバンされたら事実なのかと思います。
天ぷら話し?
同じく子どもの人心バイバイや臓機バイバイそして生贄の話など聞くと私達が教科書で習ったこと表とは違う話があったのだろうと思う
原爆落下速度 起爆方法 空中爆発したのにキノコ雲答えを教えて下さい
「#超~~~~酷いね❗Amen. 💧💧💧💧成ら頭²者❗」
先月、やたらとTH-camと流れてきました。高橋五郎氏の動画。この中でそれらしきことを言ってました。th-cam.com/video/qRn9ACcUAx0/w-d-xo.htmlsi=EeRBxLziPJBZd3kN
マンハッタン計画そのものがマヤカシであると言う説。アメリカにそれだけの技術力はなくドイツが先に原爆を作り上げていた。ヒトラー支配のドイツから逃げてきたユダヤ人がアメリカで実行したというもの。
原爆地上起爆説は、科学的証拠、物的証拠、私達の目に見える証拠に基づいていますが、林先生はその証拠に一切触れていませんね。先生は現存する文書のみを根拠にしているようですが、その文書を見せてもらいたいものです。
やっと騒ぎ始めたか〜遅い ⚪︎⚪︎も致し方ないと言う無責任な発言だし坂本九の 上を向いて歩こう 下は爆弾
今ハワイ人に対してトンデモないことしてますよね
まさしく人体実験ですね!
原爆の攻撃は戦闘行為ではない。
戦争のどさくさで行なったジェノサイド。
国際法に違反する戦争犯罪。
背筋が凍るような話です。
良い発言をありがとう
この説明通りです。当時海軍兵学校生徒だった知り合いは父母と一緒に島から船に乗って宇品港についたとき空襲警報が鳴り響きB29を見ました。東に旋回していくところを確認して防空壕に入りました。空襲警報が解除されたので出ました。B29が戻ってきて原爆を落とし白い閃光を見ました。母が来た船に乗って帰ろうと言ったので彼だけ母と船に乗って帰り父は早めに広島市の軍需工場に行った姉を探すと言って市内に行きました。結局父と姉は帰ってきませんでした。知り合いも母も原爆病にはならず90代まで元気に生きていました。市民を大量に殺傷が目的で旋回したのは明白です。放射能の被害は近ければ近いほどひどく離れていれば無傷です。ですから一番は人口密集地帯で外に出歩いていること、次は盆地ということになります。
当日B29は飛んでいなかったという証言もありますが😅
納得しました。地上説はやはりおかしいですよね!
地上説を読みましたが、あまりにも牽強付会でつじつまの合わない意見なのであきれ返った記憶があります。
そもそも広島原爆をアメリカは数発分所有していた(未投下分はロスアラモスで分解状態で保存していた)のです。
広島原爆が如何にもアメリカ製原爆でないように見えたのは、アメリカ側が広島原爆の図面を公開したがらないことに由来しています。(長崎原爆は公開済み)
何しろ図面の説明はドイツ語で、寸法単位がメートル法ですから、その真の由来が明らかです。
@@tevalleyluckman8746 ありがとうございます。
当日は国民学校の登校日で、小学4年生だった父が坂駅を750m過ぎた所でB29が飛来し、パラシュート3つ投下されたのを目撃しています。父は原爆地上起爆説があることなど想像すらできなかったと驚いています。
広島原爆と敗戦のトラウマから戦後復興に黙々と邁進する人々の寡黙で異様な空気感を、幼い頃から肌で感じて生きてきたせいかも知れませんが、歴史の通説と、日米修好通商条約から英国領となった日本の天皇が英国元帥だという気味悪さとの折り合いが未だにつきません。
一時資料を基に 可能な限り事実を伝えようとしてくださる林さんのお話はとても貴重です。
日本国と日本人を貶めるような情報も日々流れてくるので その情報に流されず 愛国心を大切にしたいと思います。
個人の考察や口伝を基に展開される物語はエンタメとして楽しみ 事実の追求とは分けて受け取る必要があると 最近特に感じています。
なぜ一旦通り過ぎたのか?日本人を油断させる為ですね。
何故、軍事拠点が有った呉、佐世保ではなかったか?人体実験だからですよ。「過ちは繰り返しません」の主語は米国だ。広島長崎市民は人が良すぎる。
今だに過ちを繰り返すアメリカ!
鬼畜米英はスローガンではなかった。
藤井先生が科学的に実証されている、とか言ってますが、私はそれはおかしい、とずっと思ってた。
林先生には感謝しかありません。
この世を構成するありとあらゆるピース、ーそれが大きければ大きいほどにー、嘘にまみれたものであって、それは例え一次資料であっても同様である、という想いに達しました。
いかなる論も排斥せず、いかなる論も信用せず、二極化には加担しない。
林先生からもこのスタンスで学ばせていただいております。感謝。
TVでいくら自称専門家が出て来て解説しても全く信用出来ません
近代史、学んでいないので、真実を今学んでいます。感謝です。
地上起爆説見たことあります
ここのコメント欄でわかったのですが、子ども達は登校日だったのですね
ネットでは、子供達は夏休みなのに当日学校にくるように指示があったと書いてある人もいたので民間人の体験談が参考になりました
前日広島に日本の偉い軍人さん達が呼び出され集まっていたという話も見た事があります
呼び出した人は福山に逃げていたそう
この話もどうなのでしょう?
その方の話では戦争前から原爆を落とす事は決まっていたと書いてました
当時天○や上にいる方達がCIAの一員だったので色々疑ってしまいます
Twitterでも地上説を懸命に発信している人がいます。保守の顔をした工作員だと思います。だって、結局それで誰が得するかを考えたら明確でしょ。
正に鬼畜
親しい友人から「昭和天皇が地上で…」と懸命に言ってきましたが、理屈に合わないので全く取り合いませんでした。
地上で爆発させたら、威力が広範囲に及ばないので効果が薄れます。勿論、あのキノコ雲は撮影できません。
「裸足のゲン」だったと思いますが、その日の事が書いてありました。あの朝、一度空襲警報が鳴って、皆んな防空壕に逃げ込んだのですが、航空機は一旦そのまま過ぎ去ったんだそうです。そして皆が防空壕から出てきた頃にスーっと戻ってきて(この時は空襲警報は鳴らなかったそうですが)静かに一発だけ落として過ぎていったとのこと。
要するに、実験をしたかったんです。後年、乗組員に感想を聞いても「あれは正しかった。」と強調してます。僅かに機関士の方だけが、気にしているような発言をされてました。
正しい情報を持っておくべきと再認識しました。また今回、異なるルートで入手したふたつの情報が合致した事で、「やはり間違っていなかった。」と再認識致しました。
火消しですか😅
7:30解除の空襲警報をせめて後1時間続けていればといつも思う。
衝撃波の破壊力がMAXになるように、計算して、上空で爆発するようにセットしているのにね。
私の父は広島の能美島(宮島の裏手の方の島)に住んでいました。
8/6の朝、祖母と山の畑で作業していた時、米軍の飛行機が来たので隠れて暫く過ごしたそうです。
そして暫くたってから、広島に原爆が落ちたと言っていました。
空がバリバリと音がして雷が何十発も一気に落ちたようだったと言っていました。
父は米軍の飛行機を見ているので、
地上起爆説は違うと思います。
日本で造られた原爆は伏見宮様が
長崎で解体され
ソビエトへ渡したと華頂宮様が仰っていました。
昭和天皇は原爆は使ってはならない、と仰っており、使ってないとのこと。
わざとアメリカに解読されている暗号で、ソビエトへ渡した情報を流し
これ以上、原爆が使われないよう
冷戦状態をつくられたそうです。
私の家族は被曝者です。
林先生のお調べになったことを
私は信じています。
華頂殿下のお話聴きました。
地上起爆説にも尤もらしい根拠があり,林先生のおっしゃる事とどのように整合性が取れるのだろうと考えてましたが、あのお話で納得できました。
私が知っている限りでは、アインシュタインは原爆は飛行機で運べないと書簡を出していた事、日本は米国より先に特許を取得しており昭和天皇陛下も発明者になっている事、8/5の夜に西日本、九州にいる将校が広島に集められていた事、8/6は夏休みなのに子供達は登校させられていた事です。なんかハワイの火事みたいですね。
@@かこ-x2u
この動画では、地上起爆説に根拠はない(つまり大嘘)という話でしたよね?
そもそも、天皇が自国民を核で大量虐殺するなんてトンデモ話をなぜ信じる人間がいるのか、真剣に理解できないです。
戦後の反日教育の賜物なんでしょうか?
@@かこ-x2u さま 地上起爆説は広島で地獄を体験した人達の証言を否定する意見となります。私は広島の人間です。直に体験した人達の意見を私は信じたいと思っています🙇華頂宮様のお話が、届いて本当に良かったです🌿
堀栄三著『 大本営参謀の情報戦記~情報なき国家の悲劇』のP257には、次のような書かれています。
「午前七時二十分頃、豊後水道水の子燈台上空から広島上空に達したB-29の一機が、
播磨灘の方へ東進中、簡単な電報を発信したのを、海軍通信諜報も陸軍特情部もキャッ
チしたが、...」
林先生は仁科原爆に関して、どの様なご意見をお持ちですか?
むしろ仁科先生に調べて欲しいのは海軍が陸軍の目を盗んで朝鮮半島北部で進めていた原爆の情報ですよ。
私の妻の知人の祖父がそこの関係者で、命からがらソ連軍から逃げ伸びて話をしてくれたので調査の必要があると思っています。
先生の説は、その通りだとは思いますが、当時の日本とガチの本土決戦に突入すると、日本は勝てないものの、米側にも耐え難い多大の被害が出るのは確実視されたことなので、それは避けたいのは本音。硫黄島や沖縄、ペリリューでの戦い、特攻などを経験をとおして、やはり怖かったというということは無視できないはずです。軍としては、それを振り切る意味でも、ムシケラ同然の対日本人感情から原爆を使うことは躊躇しなかったんだと思いますよ。やるからには、貴重なデータを収集しようというだけの計画は練ったでしょう。それくらいの余裕があったということ。それを戦場で戦術的に使うのでなく、ほとんど非戦闘員の一般人を標的とした"戦略"爆撃として平然と使用したことが戦争犯罪だということだ。
私は、原爆投下とは何だったのかということについては、やはり多面的にみるべきものだと考えます。一つ一つの要因を総合的にみて恣意的に1つの結論に結びつけられるものではない。見る角度で違ったそれぞれの意味をもっているのだと思います。
さらに言うと、大戦末期の米国は戦費調達が限界に達し始めており、過度な借り入れをスイスの国際金融資本から入れるのは問題だと考え、莫大な戦時国債の発行を始めておりました。
それに日本が秘蔵している莫大な金塊(天皇の金塊を含む)の入手も急がねばならない状況でしたので、原爆実験さえ済ませれば、天皇制の維持とアメリカの単独占領と言う条件で日本からの講和を受け入れるタイミングに来ていたと思います。
当時のアメリカ軍スティムソン陸軍長官は、硫黄島と沖縄戦を鑑みて「日本本土上陸(本土決戦)を準備するのならば、アメリカは兵力500万人が必要でアメリカの戦死者数は100万人にのぼる」と記録にあります。
小さな沖縄でさえ10万人の日本軍に対しアメリカは50万人を用意しましたが、アメリカ側の損害は戦闘機750機以上、艦艇400隻以上、戦車270両以上もの損害を出しています。
500万人の兵力を輸送し、実際に一斉に上陸させるのは不可能でしょうし、8000万人の日本本土を相手にアメリカの勝ち目はなかったと思いますね。
@@タケナス だからこそソ連軍の上陸作戦支援、原爆の連続投下、枯葉剤や毒ガス爆弾の大量投入といった絶滅戦争の準備も進めていたのですよ。
アメリカと言うよりも背後のDSは日本と言う国を消滅させるか完全管理下に置きたかったのですから、別にアメリカ兵の犠牲者数はマスコミを操作しながら、過少報告で誤魔化しつつ、戦争遂行を実行したでしょう。
何よりも日本は食糧生産が限界に達しており、生きていくうえで必要な塩も無くなりつつあったのです。
その状態でゲリラ戦同様の戦争準備を進めていたのですから、本土決戦をやっていれば餓死者どころか多くの営みが途絶えて日本社会そのものが崩壊し、歴史的伝統を担う人が多く戦死したでしょうから、結局日本と言う国の死につながったはずです。
人間が生きていれば普通の国なら残るでしょうが、人類の生み出した偉大な作品でもある”日本”は消え去ってしまうのです。
@@タケナス 本土決戦になった場合、米は勝てなかった、と言っても日本には周囲に支援してくれる国があるわけでもない。つまり、先は見えている。
戦争の目的が何かで、勝つ、負けるの定義は変わる。
そこに着目すると、誰も勝者はなかったことになるのでしょう。軍が壊滅してしまった日本はやはり勝者ではなく敗者、国も衰退、滅亡した公算は高いと思います。
欧米はと言えば、やはり、その後の歴史をみればわかるとおりアジアで回復不能な失地、植民地を失っている。
日本が、「対東亜戦争」という大義は、対米戦争を遂行するために設定した方便としての戦争目的なので、達成目標の一つとしてのアジア開放は成った。対米戦争の方は失敗。
結論としては、どっちみち日本にとっては、国の主権すら失った降伏ですから勝ったとは絶対に言えない、半負けか?
米国にとっては、損害が大きすぎ半勝ち。英欄は完敗の負け。
あくまで、私の評価です。降伏のタイミングとしては、やむを得ないところだったのでは。
差別主義者の戦争として総括されるまでは英霊の御霊は鎮まらない。
地上起爆なら爆風が爆心地から27キロまでガラスが割れないし、爆心地にクレーターが出来るはず爆風は弱まるものの、熱線は影響範囲が狭くなる分凝縮されて爆心地はもっと酷くなっていた。また爆心地の放射線の影響も尋常じゃなかった
もし地上起爆で尚且つ枕崎台風がなかったら70年草木もはえないもまんざらではなかった。
原爆地上爆発説って頭大丈夫?www
何故広島?長崎?人体実験、悲しい🤔
仮に地上爆発したとすれば、その場所は相当な高熱と爆発力で地面には何メートルの深さの穴が出来るのでしょうかね。
原爆開発者の1人であるハロルドアグニュー氏は、この原爆構造上の問題により原爆投下に同行しB29に搭乗した人物で、2005年に広島を訪問しています。
平和を祈る、鐘の音に両手を合わす、夏の空😮核廃絶😮
人種差別どころか、人には落とせない。では、何者か?イエロー~🤣
私は、学生の頃、原爆投下地点の選定に深く関与したと言われる同志社大学名誉教授・オーティス・ケーリー師に数回会ったことがあります。ケーリー師は、少年時代を日本で過ごしており、日本人のメンタリティーに当時から精通していました。
先生の書籍を読み、インサイダーヒストリーでも勉強させていただいています。ロバート・ケネディ・ジュニアが処分され俳優が演じているという話は悲しいですね。
これを英語発信すると、どうなるのだろう?特に北米圏に
これだけ日本人に敵意が在ると言う事は、余程日本人に対しての事が在るンでしょうね。
植民地解放の怨みかと思っていましたが、現在の日本国や世界中の人々に対しての行いは違うモノを感じますね。
どこかの国の神への懺悔はいつ?
どこかの国の神は約束された民以外の虐殺は認めているのでは。
@@高橋徹-x3s さんへ
どこかの国の神は破壊神では無いと理解してますが。
@@高橋徹-x3s さんへ
まあ 其の人たちの宗教は悪魔神だったんでしょうけれど。
@@高橋徹-x3s 仰る通りです。何をしてもいいんです、怖いですね~
不思議なのが当日の防空体制である。当時はレーダによる監視体制もあり、1万メートル以上の高度に届く高射砲もあったが中国地方には配備されていなかったか。また優秀な戦闘機搭乗員が多くいた海軍の松山基地や陸軍の芦屋(福岡)基地もあり、新型の紫電改や疾風による迎撃はなかったのか。それとも早朝という時間帯か、すでに根こそぎやられて出撃さえ難しったのか。
高性能の高射砲はまだ先行試作の段階だった上、工業力の崩壊で量産のめども立っていない状況でした。
アメリカとしては手ごわい対空兵器のいない都市を狙えばよかったのですから、防ぐのは困難だったでしょう。
確かに地上起爆なんて嘘パッチに違いないと思いますが、西と東の区別が分からな人間が説明しても説得力ないよな。
何か腹立ちますね
そー言うことを風潮するのはあの国の工作員です
吹聴する
一説によると昭和天皇が原爆を落とす事を了承したと。
インタビューで原爆投下は仕方なかったと何処か他人事のように発言してるのも腑に落ちます。
ワク○ン話しと天ぷら話しは、事実を言えばバンされます。
特に有名な方は、即バンされる為このお話しがバンされたら事実なのかと思います。
天ぷら話し?
同じく
子どもの人心バイバイや
臓機バイバイ
そして生贄の話など
聞くと
私達が教科書で習ったこと
表とは違う話が
あったのだろうと思う
原爆落下速度 起爆方法 空中爆発したのにキノコ雲
答えを教えて下さい
「#超~~~~酷いね❗Amen. 💧💧💧💧成ら頭²者❗」
先月、やたらとTH-camと流れてきました。高橋五郎氏の動画。この中でそれらしきことを言ってました。
th-cam.com/video/qRn9ACcUAx0/w-d-xo.htmlsi=EeRBxLziPJBZd3kN
マンハッタン計画そのものがマヤカシであると言う説。アメリカにそれだけの技術力はなくドイツが先に原爆を作り上げていた。ヒトラー支配のドイツから逃げてきたユダヤ人がアメリカで実行したというもの。
原爆地上起爆説は、科学的証拠、物的証拠、私達の目に見える証拠に基づいていますが、林先生はその証拠に一切触れていませんね。
先生は現存する文書のみを根拠にしているようですが、その文書を見せてもらいたいものです。
やっと騒ぎ始めたか〜
遅い ⚪︎⚪︎も致し方ないと言う無責任な発言だし
坂本九の 上を向いて歩こう 下は爆弾