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僕が13歳の時に二人兄弟で二つ年上の大好きだった優しい兄は旅立ちました。病気にかかりわずか半年のあっという間でした。それも兄の15歳の誕生日の3日後、7月7日の七夕の日の夕方でした。家族は皆んな余命半年だと知っていて、知らされていなかったのは僕だけ、子供だから動揺を顔に出したら兄に気付かれるからと、大人たちの勝手な判断でした。だから亡くなるまでの半年間、入退院を繰り返して家に帰って来た時も兄にわがままを言って困らせたり、仕掛けるのはいつも僕ばかりで喧嘩も今まで通りにしました。亡くなる前日の夜に病院に行った時に、ちょっといつもより元気が無いなぁとは思いました。でもまた来るからね!と手を振ってお休みなさいの言葉を掛けたのが最後でした。翌日学校に電話があり病院に行くように担任の先生に言われ、いつものようにバスを乗り継ぎ病院へ向かいました。病室に到着すると既に親戚全員が集まって、兄はもう意識も無く心臓マッサージを受けていました。皆んなが泣いていましたが、僕はその光景を一目では理解出来ませんでした。そこに母親から、何でタクシーで来なかったの!お金が無かったら先生に借りれば良かったじゃない!つい10分前まで、あなたを待ってお兄ちゃんは目を開けてたのよ!と怒られました。僕はまさかそんなに酷い病気とは知りませんでしたし、死ぬなんて思いもしなかった。それに今日は七夕だよ、分かってたら喧嘩もしなかったし、もっともっと兄に優しくしてたのに!数十年が過ぎた今、父も母も早くに兄の元に逝ってしまったけど、兄だけは未だにまだあの頃のあの姿で帰って来る気がしてなりません。未だに毎日のように夢に出てきますが、夢の中でも兄だけはあの頃のあの姿の優しい兄のままです。恐らく僕が死ぬまでこのまま兄は僕の中で生き続けるのだと思います。
こうやって2年後でも急に動画を見つけて私のように息子さんに思いを馳せる人たちがこれからもいっぱいいると思います。お母さんに幸あれ。
自分も、今癌と戦っています。胃癌です。進行性の。去年胃を全摘しました。本当に辛い日々だと思います。体重も、20キロ落ちました。今じゃ50キロあるかないかです。俺自身、毎日毎日泣いていました。精神的にも肉体的にも限界でした。
動画を広く公開したことで、お兄ちゃんは色々な人の心にちょっとずつ息づいて、誰かの背中を押したり寄り添ったりしていくのだと思います。
動画作成までやっとできたんじゃないかなと思うだけで、何十歩、何百歩も進めてると思います。
号泣しました。当たり前に生きている幸せに感謝します。
命より大切なものを失った悲しみ、地球が滅びればいいというお気持ち、私も経験したので本当によくわかります。私も、今ここでこの動画を見た方々も、お母様と一緒に、この勇敢だった息子さんのことを記憶の片隅に置いて、ずっと忘れずにいます。肺がんの手術をさせてしまった、なんて言わないでください。その時その時、最善だと思ってやったことなのだから、どうぞ自分を責めたり後悔したりなさらないでくださいね。私も天国に先に行ったあの子とまた会える日を楽しみに今を生きています。
愛で溢れてる。。。母のあたたかさが息子さんにも繋がりつづけてると感じます
普通に泣くわ!自分も脳出血で半身麻痺になり障害者になりクヨクヨ後悔や絶望せたりの日々ですが最後の最後まで命が尽きるまで頑張るで!!
今、子供が不登校で苦しんでいます。学校を退学するかもしれず、私はその事実を受け入れられずにいました。トロフィーチルドレンだったのか?ひどい親だなと。でもこの動画で子供の幸せを最優先に考えるべきと教えてもらいました。
この動画を見た全員のなかに、
夜中にたまたま見ました、悲しくて、でも温かくて泣いてしまいました。
息子さんが生きていた証ですね…
医療従事者です。この動画を見て、もっと勉強しなければ、頑張らなければと思いました。生きれてるだけで幸せなんだと再確認できました!
この動画が生き続けているかぎり、息子さんはずっとこれからも1000万人以上の人の心の中で生き続けていくと思います。
自分は19歳です
もっともっと息子たちを愛そうと思います反抗期のお兄ちゃんとは会話も減り難しい時期ですが。元気でいてくれる事にもっと感謝して生きたいと思わせてくださりありがとうございました。
涙が止まりませんでした。
私も小児がんの子を持っています。
生きている間、ずっと
僕が13歳の時に二人兄弟で二つ年上の大好きだった優しい兄は旅立ちました。病気にかかりわずか半年のあっという間でした。それも兄の15歳の誕生日の3日後、7月7日の七夕の日の夕方でした。家族は皆んな余命半年だと知っていて、知らされていなかったのは僕だけ、子供だから動揺を顔に出したら兄に気付かれるからと、大人たちの勝手な判断でした。だから亡くなるまでの半年間、入退院を繰り返して家に帰って来た時も兄にわがままを言って困らせたり、仕掛けるのはいつも僕ばかりで喧嘩も今まで通りにしました。亡くなる前日の夜に病院に行った時に、ちょっといつもより元気が無いなぁとは思いました。でもまた来るからね!と手を振ってお休みなさいの言葉を掛けたのが最後でした。翌日学校に電話があり病院に行くように担任の先生に言われ、いつものようにバスを乗り継ぎ病院へ向かいました。病室に到着すると既に親戚全員が集まって、兄はもう意識も無く心臓マッサージを受けていました。皆んなが泣いていましたが、僕はその光景を一目では理解出来ませんでした。そこに母親から、何でタクシーで来なかったの!お金が無かったら先生に借りれば良かったじゃない!つい10分前まで、あなたを待ってお兄ちゃんは目を開けてたのよ!と怒られました。僕はまさかそんなに酷い病気とは知りませんでしたし、死ぬなんて思いもしなかった。それに今日は七夕だよ、分かってたら喧嘩もしなかったし、もっともっと兄に優しくしてたのに!数十年が過ぎた今、父も母も早くに兄の元に逝ってしまったけど、兄だけは未だにまだあの頃のあの姿で帰って来る気がしてなりません。未だに毎日のように夢に出てきますが、夢の中でも兄だけはあの頃のあの姿の優しい兄のままです。恐らく僕が死ぬまでこのまま兄は僕の中で生き続けるのだと思います。
こうやって2年後でも急に動画を見つけて私のように息子さんに思いを馳せる人たちがこれからもいっぱいいると思います。お母さんに幸あれ。
自分も、今癌と戦っています。胃癌です。進行性の。去年胃を全摘しました。本当に辛い日々だと思います。体重も、20キロ落ちました。今じゃ50キロあるかないかです。俺自身、毎日毎日泣いていました。精神的にも肉体的にも限界でした。
動画を広く公開したことで、お兄ちゃんは色々な人の心にちょっとずつ息づいて、誰かの背中を押したり寄り添ったりしていくのだと思います。
動画作成までやっとできたんじゃないかなと思うだけで、何十歩、何百歩も進めてると思います。
号泣しました。当たり前に生きている幸せに感謝します。
命より大切なものを失った悲しみ、地球が滅びればいいというお気持ち、私も経験したので本当によくわかります。私も、今ここでこの動画を見た方々も、お母様と一緒に、この勇敢だった息子さんのことを記憶の片隅に置いて、ずっと忘れずにいます。肺がんの手術をさせてしまった、なんて言わないでください。その時その時、最善だと思ってやったことなのだから、どうぞ自分を責めたり後悔したりなさらないでくださいね。私も天国に先に行ったあの子とまた会える日を楽しみに今を生きています。
愛で溢れてる。。。母のあたたかさが息子さんにも繋がりつづけてると感じます
普通に泣くわ!自分も脳出血で半身麻痺になり障害者になりクヨクヨ後悔や絶望せたりの日々ですが最後の最後まで命が尽きるまで頑張るで!!
今、子供が不登校で苦しんでいます。学校を退学するかもしれず、私はその事実を受け入れられずにいました。トロフィーチルドレンだったのか?ひどい親だなと。でもこの動画で子供の幸せを最優先に考えるべきと教えてもらいました。
この動画を見た全員のなかに、
夜中にたまたま見ました、悲しくて、でも温かくて泣いてしまいました。
息子さんが生きていた証ですね…
医療従事者です。この動画を見て、もっと勉強しなければ、頑張らなければと思いました。生きれてるだけで幸せなんだと再確認できました!
この動画が生き続けているかぎり、息子さんはずっとこれからも1000万人以上の人の心の中で生き続けていくと思います。
自分は19歳です
もっともっと息子たちを愛そうと思います反抗期のお兄ちゃんとは会話も減り難しい時期ですが。元気でいてくれる事にもっと感謝して生きたいと思わせてくださりありがとうございました。
涙が止まりませんでした。
私も小児がんの子を持っています。
生きている間、ずっと