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私は、北京生まれの引揚者ですが、内地では、純粋な若き青年が、国の為に、真剣に、命をかけて戦争に出陣し、日本を守ってくださったことに、心より敬意を表するとともに、現存する我々は、このように、我が身を呈して、国を守ってくださった英霊の故に、今日の日本があることを肝に銘じ、恥じない日本人として未来を築いていかなければならないと思っております。🙇🙏🎌
このチャンネル主さんは証言者を探しているようです。「満州以外の外地」ということならとても貴重な証言になるはずです。もちろんそうでなくても貴重。どうでしょう?当然のことながら強制ではありませんし…悩ませてしまったら申し訳ありません。
先生になる夢をお持ちだったとの事ですが、お話しがまるで上手な先生の授業を聞いているようでとても分かりやすかったです。ありがとうございました。
忘れてはいけない、、、現実に日本であった事もっと今の人に見て考えてほしい。
おじいちゃん、貴重なお話をありがとうございます。長生きしてくださいね。
93歳の方とは思えない、ご記憶も鮮明で分かりやすいお話。感心しつつも、そのご体験の惨さに胸が塞ぎ、言葉を失いました。どうぞお健やかに、いつまでも語り部をお続け下さい。貴重なお話を有難うございました。
戦争体験者は年々少なくなっていく。いつかは必ずいなくなる。我が国日本から先の戦争体験者がいなくなる日は、必ず来る。一人も戦争の体験者がいなくなる日は、必ず来る。いつまでも語り部を続けて欲しいと思っても、人生の最後を迎える日は必ずきますね😢戦国時代も合戦の経験者達は、自分の子供や孫達に戦の愚かさを、人と人が争いをする悲しみや悲劇を語り部として伝えていたと思います。現在進行中のロシア・ウクライナ戦争やアフリカ各地で起きている民族紛争や内乱まで。昔も今も私達人間が、欲望で争いをする愚かさや人間の本質は、変わらない😢人類誕生から現在に至るまでに行われた全ての争いで亡くなられた全ての方に、黙祷します。
学生の頃教科書で習った『戦争』という出来事。しかし年齢を重ね、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』や加藤陽子さんの『それでも日本は「戦争」を選んだ』等読み進める内に、決して戦争は他人事ではないのだと思うようになりました。悲しいかな人間は過ちを繰返す生き物のようですね。戦争を経験したことのない我々は、せめて語り部の方々の貴重なお話に耳を傾け、「戦争とは何であったのか」「人間とは…」世の中に問い続ける大人でありたいと思います。
日本が戦争を仕掛けたのではなく仕掛けられた。米に、意図的に。今の世界の戦争も米が黒幕。今の日本の政治家の体たらく。今後の日本もいつ戦争に巻き込まれるか分かりません。選挙区の議員一人ひとりをチェックして票を入れる事しか国民がやれる事ない。また、情報をTVからではなく得る事だ。
おじいちゃんのような、みなさんがいなければ、今の私たちはありません。本当にありがとうございます。これからは私たちが、本当によい国を子孫に残さないといけない、心からそう思います。
そして良い社会づくりです。まわりで❤今の社会について、憲法改正について、周りの国で起こっていること、そして、一から調べて見てください。アメリカは日本の基地に大佐を派遣すると決めたことや、ある日本にある基地を日本の税金でグアムに移送する予定も立てられています。普通に生きている人で関心のある人何人くらいおられすか?政治の投票率も最悪だし。子供より今を生きる大人が気持ちを改めないとと思います。
こんな話聞いたらかずいぶん楽な時代に生きてるんだなぁと思わされます
そうでもないと思います。比較はできないのではないでしょうか?自ら命をという人間は現代のほうがはるかに多いです。終戦時の映像と比べると通勤ラッシュの社会人や登校児童の表情は暗く閉ざされています。ですがおっしゃるとおり、物質的経済的には現代のほうがはるかに暮らしやすいですね。
これからだよ。日本が地獄を見るのは。今は、嵐の前の静けさ、、ボーッとしてたら、気がついた時には、、、。という最終段階なんだぞ。ヤバい状態だよ。
@@さとしくんだよ私もそう思います。今の社会の動きを見ているとこれからまた何か始まるんだなと。大切なものが日本からなくなっていって憲法もいくつも改正されていて、その一つずつ調べて見てください。日本に住んでる市民はあまりにも興味がなさすぎる。でもそういうふうな脳の作りを戦後からマインドコントロールされてきたんだと思います。気づいた時にはだと思うけど、それでも律儀だから。
世界では特攻とはテロとか精神が狂ってるとか思われてるが…遺書には勇ましく残されていますが前夜は涙した隊員も母親のことを思い逢いたいと思った隊員もいたことを日本人として忘れてはいけないこと…当時の教育や思想…で今とは違うけど後生の国民や愛する人のために出撃した先人に感謝しかない…ありがとうごさいました。安らかに…
感慨深く拝見させていただきました。私の父も特攻隊の生残りで現在95歳です。少し認知症が出てきていますが昔の事はそれは鮮明に語ってくれます。明日父に会いますのでこの動画の話しをするつもりです。貴重な動画ありがとうございました。
是非お父様のお話も動画を撮って貴重な資料として後世に伝えてください!!
先人に感謝 ありがとうございます
日本のために戦った1人の侍。尊敬しかありません。最後に仰った77年間戦争がない。大したもんだ。世界に誇れる日本だ。この一言に鳥肌立ちました重みが違いすぎる
ただただお爺様には英霊の方々の為にも、長生きして頂きたいです
まさに戦争を体験して戦争の恐ろしさと嫌な部分を嫌と言うほど見てきた人だからこその重みがありますね。寿命や病気以外で毎日死ぬ心配しながら生きなきゃいけない世界はやばい。
吉宗さん、よくぞ生きて帰ってくださった。2024年の今も、お元気なのでしょうか?どうぞ お元気で🙏
毎年、8月にやるドラマを見るよりリアリティがあって良いと思います。このような映像を多く残して欲しいです。ありがとうございます。
@@桑原亘 ここ最近ドラマやってますか?
貴重なお話ありがとうございます。
毎年この時期になると戦争体験や特攻隊関連の動画を視聴します。その時代時代で苦しい事はあれど自らの命と引き換えに国や家族を守るという事に涙が溢れ、胸が締め付けられます。自分の本心も自由に語れず、戦争に行った若者達。その方達がいた事を忘れず毎日をありがたく感謝して精一杯生きて行こうと思います。
私の亡き父は、戦時当初は南方に行ったようです あの玉砕したレイテ島で病気になり、九州の病院で治療をしてから、何処へ行かされたのか?たぶん中国大陸で 同じ兵隊の遺体を担ぎ歩き、夜間はオオカミを追い払う為 焚き火して、眠る時間も無く 歩きながら寝たとは聞きました 水はボウフラの沸いた水は まだ腐ってなく飲めたそうです、そして最後は、シベリア抑留となり ➖40度の中を栄養失調とたたかいながら 出された魚は炙って粉にして飲んで生きたそうです 詳しい事は多く語らない寡黙な人でしたから、叔母から聞いた事はレイテ島の事だけですシベリアから帰還の船に乗った時、父のところで「ここまで!」と言われだそうです その後の人達は次にいつ帰れるか分からなかったそうです 92歳迄 しっかりと兵隊さんのように姿勢正しく歩きました 92歳迄 生きた 父の人生は、人として涙が溢れます 亡くなってからも、私に使命を残してくれました父は偉大な根性な人でした 今度生まれてくる時は 戦争のない国で幸せになっていると思います。★戦争ほど残酷なものはない★戦争ほど悲惨なものはない地球から、悲惨の二字をなくさなければいけない!
戦争は超富裕層のカネ儲けであり、その下の軍産複合体ビジネスによって仕掛けられてます。正義とか人道とかお題目は建前で、中身はカネと権力を奪って、いかにロス茶やロックが都合よく生きていけるかを目指して戦争は行われます。庶民は単なる使い捨てのゴミですね。
私の亡き父は 戦時中は満州にいました以前 写真アルバムがいっぱいありました綺麗に再色されたはがきに大将がいっぱい記載っていました私はあまりにも かっこいいのでめんこの形に切ってガキの頃めんことして使っていました戦争中の絵はがきは全て 綺麗に色付けされていました 貴重なものをめんこにしてしまって残念でした
8/18時点で再生回数約3,000回。もっともっと、たくさんの人たちに見てもらいたい。戦争体験者が年々少なくなっていくなかで、このような“生の声”は、とても貴重だと思う。後世の私たちは、感情抜きで、この歴史上の事実を学ぶべきだと思う。
2024/5/16現在視聴回数は7.5万回 とあります。このような貴重な体験談、更に多くの人に聴いて貰えるといいですね。
本当に生きて帰ってくださり、感謝しかありません。日本の為に命をかけて戦い抜いてくださいましたことに心からの敬意を表します。特攻で死なずに、多くの若者が生きていたなら、今の日本はもっと良い国になっていたのではないかと思います。貴重な体験を克明に話してくださり、ありがとうございました。直接お会いして、感謝をお伝えさせていただきたいくらいです。
貴重なお話ありがとうございました😭
本当の話を聞けて、ありがとうございました。
大日本帝国と、御英霊に最敬礼!
キレイゴトばかり口にし、あごヒゲ・ピアスの今の若者…愛情のない男ほど、「愛してる」という言葉を頻繁に口にする。本物の「男」「魅力のない男」が増殖する日本に成り下がってしまった…チャラ男達は、偉そうなことを一丁前に口走りますが…イザとなったら逃げる卑怯者。愛する人の為、愛する母国の為に、命を捧げた「本物の男」として生きる「男」が1人でも増えます様に…
昨年の夏 茨城県 阿見町予科練平和記念館に行ってきました。貴重な話しありがとうございます
自分のお爺ちゃんも海軍予科練航空隊で特攻する前に終戦なりました!お爺ちゃんにあんまり話を聞けなかったなで沢山の戦争のお話を本当にありがとうございます😢
自分の祖母も戦争体験者ですが、嫌な体験なのだと思うので、聞いても話してくれませんでした。コロナで最近は会えていませんが、生きていたら100歳になっています。私自身の個人的な意見を勝手に書いてしまい大変申し訳御座いません。
重い気持ちなのに、よくぞ、いつてくださいました。貴重な お話をありがとうございました。
十代で死と戦うと言う精神力の強さに凄さを感じる。今の世があるのも彼らの強さがあったからだよね。
しかし敗戦したら何にもならない😭
何百万人もの死者を排出する戦争をしたのも、今現在生きている私達の先祖達!
@@友-e6z誰も戦争を自分からしたい人はいない。自分が行動しなければ、大切な愛する人を守れない、そう思ったから、やるしかなかったのではないでしょうか?
ジョンウン聞いてるか?
シベリア抑留に元特攻隊の方や予科練のかたがいたのは初めて知りました!私の父方の曽祖母、祖父は朝鮮の仁川から引き揚げてきた人たちです。曽祖父は仁川で警官をやられてたそうですが、腸チフスで亡くなりました。曽祖母は命からがら漁船に乗って終戦直後に日本に帰ってきたそうです。母方には特攻でなくなられた親族の方と、わたしの爺さんも特攻の訓練を受けていました。詳しくは聞けてませんが、、、こんな負の連鎖、戦争の連鎖過去の事で終わらしてはいけない!最後の『100年戦争が無かったら大したもんだ』ってのが物凄い胸に響きました。ほんとに語っていただいて、ありがとうございます!
日本のためにありがとうございます。貴重なお話ありがとうございました。
辛いこともお話しいただき心よりお礼申し上げます。貴重なお話を伺えて感銘を受けております。日本のために命を捧げられた方々‥知覧の特攻平和会館にも多くの日本人に知っていただきたいです。
大切な体験談を感謝します
戦争してはならん事は誰しも理解は出来るが、我々日本、家族、日本人を守る為に命捧げた心痛と尊さは 現代人には理解出来るまい、今こうして日本が平和で生きていられるのも先人の若くして命を落とされた兵隊さんのお陰である事は紛れもない事実である。あの戦争がなかったら今の日本は確実になかっただろう。感謝しても感謝しきれい。それに反対揶揄する方々はもっと歴史を勉強していただきたい。
戦わなければならない時は戦うんですよ戦争はしてはならない!なんて信じ込んでるのは日本だけです
ほんとに、その通りです。同じ地球上に、戦争屋が存在する悲劇です。
開戦前に何度も戦争を回避できるチャンスはあったのに、それをしないで開戦し、その後も降伏するチャンスはあったのにそれもしなかった。戦没者は意味なく死んだ。親兄弟を守るために死んだなんて見当違いも甚だしい。兵站が途絶えた前線では餓死や病気で死んだ兵士たちは単なるイヌ死であり、そこに何の意味などありません。
全くその通りだと思います。理屈と現実の間に愚かなるも〈生きる〉と〈守る〉が同居しているところからは逃げられない人類の罪深き性のような〈悪事〉ですね。決断したり言った人が先頭に立ち戦地へ向かうわけでは無い戦争には、決して表に出てこないフィクサーのような存在や勢力もあるのは確かです。しかも、それによって利益を得たり貪る連中の存在もあります。だから、〈仕掛け師〉や〈相乗り師〉のような[複合体]の為に国民・国家が不幸な道程を歩む事になるのも確かですね❗️リング上の格闘技のような訳には行かず、観客・会場またはその他周辺を死の淵へ破壊の淵へと追いやる…当事者次元を超えたレベルに到達する事態誘導です。15歳で特攻訓練生として入隊…敗戦…ロシア抑留生活…19歳で帰国の彼から奪ったこの数年は日本の戦時下末期ですが、戦争は人間の全てを破壊し奪い去る証。彼の言葉で凄く印象的だったことは…★『戦争終わってから70年も平和だった…これが100年続けば大したもんだ…』でした。人類の歴史の中での100年はわずかなものですが、一人の人生の中での100年の平和は値のあるものだと…いう。我々の子孫が平和の中で暮らせますように祈る事しかできない今年71歳です。
@@ponnta88-o2d私も以前は、半分は貴方と同じように考えておりましたが現在は違います。私の父は大正生まれで学徒出陣しました。その父から聞かされた話、それから父がその後の生涯をかけて学び、探求していた歴史の隠された事実を亡き父に代わり、私が今勉強しております。戦後の日本の学校教育には一番重要な近現代史、『大東亜戦争』についての記述が殆どありません。今を生きる高齢者の多くが『太平洋戦争』と語りますが、私の父が出陣したのは『大東亜戦争』です。何故このように、固有の名称が変えられてしまっているのか?そこから私の近現代史の勉強が始まりました。今や世界中で隠されていた近現代史の史実、第一次資料が公開発掘されてきております。一次資料に基づいた、正しい歴史の認識が必要であり、二度と戦乱に巻き込まれない為にも大事な事だと思います。現在の日本の国会も荒れに荒れておりますが、開戦当時の日本政府も、海軍と陸軍とで統制がとれていなかった可能性が濃厚です。林千勝先生、それから米国スタンフォード大学のフーバー研究所で一次資料を発掘して下さった西鋭男先生のお話し(TH-cam)、ご著書は大変参考になります。
私の親父も篠原さんと同じく昭和4年生まれ。15歳で予科練に志願し、奈良海軍航空隊で訓練を受け、終戦時は茨城県の谷田部航空隊におりました。やはり、生きて帰れるとは思ってなかったそうです。
先日、「大空のサムライ」坂井三郎著を読み終えたばかりでした。硫黄島から木更津飛行場に帰ってきた特攻パイロットの話です。その後日本でどのように暮らしたのかは、書かれていません。興味がありましたが、今回の紹介で、それ相応の生き方を推察することができました。生きとし生けるものとして大変参考になりました。素晴らしい内容に感謝します!
😅😅ら
坂井三郎さんは戦後に渡米しました。広島市に原子爆弾投下を実行したエノラ・ゲイの機長であるポール・ティベッツにあって交流したのが、Wikipediaで坂井三郎と入れて調べれば分かります。
全く、仰る通りです。戦争はいけません。しかし乍ら、攻められたら守らなければ成りません。
攻められたら守らなければならない。今のロシアによる進行を受けているウクライナが、国を守る立場にいる😢戦争が起きるなと思っても、攻める側(侵略側)がいる以上守る側(自分の親・兄弟家族)は防衛するために、戦わなければならない。結局また戦争が起きて矛盾する。第二次世界大戦よりもっと遥に人類創世記の大昔から、私達人間はこのサイクルの繰り返しで、絶え間なく争いを続けてきた。私達人間は愚かな生き物だなぁ😢😢😢
ありがとうございました😊!辛い🥵辛い🥵人生!申し訳有りません。生きてください、もっともっと、生きてください。私は、決して!忘れません。ありがとうございました。
逃れる事ができない時代環境を生き抜いた方のお話を聞けて感謝です他界された方々の魂が現代の私たちの力になって下さっているのを勝手に感じさせて頂いています
戦争はいけない、民衆はわかっている。でも彼らに決定権はなく、戦争はいつでも仕掛けてくる支配層がいるのだ。外国の勢力、大国、つながる企業など。
具体的には
そうですね、残念ながら戦争屋は 今はこの地球上を支配しています。なんとかせねば・・・
@@1610frms ウクライナ戦争がいい例です。アメリカ、NATOとロシアの代理戦争。つまりウクライナ国民が望んだ戦争ではなく、アメリカがすえた傀儡政権の首長であるゼレンスキーとマスメディアが推し進めた戦争です。ウクライナは彼らの軍企業の武器を供与されていると報道されていますが、ただではなくウクライナは将来返済するんですよ。(まあ、もしかしたら日本がアメリカがウクライナに貸した9兆円の連帯保証国になったんですが、おそらく日本が払うんでしょうね。)また、アメリカやEUの軍事企業から傭兵が送られていますが、それも企業の儲けになる。また、軍が消費する食料や医薬品で彼らの食品会社や製薬会社がもうける。また、原油や天然ガスの価格上昇が言われましたが、投資するウォール街やロンドンシティの金融企業が大儲けする。国連の常任理事国は間違いなく、オランダ、スウェーデンなども実は軍事国で海外に武器を輸出している。アメリカは過去80年近く自国軍事企業や金融企業からの圧力があり政権は常に海外で国家転覆し自国の傀儡政権をすえるため戦争をしてきました。まあ、ロシアもいい勝負してますが。
だから…選挙は大切だよな…と、思う。平和ボケしてる場合じゃないよな…と、改めて思わせて頂いた。お国の為に、ありがとうごさいます。生きて帰ってきて、お話しを聞かせて下さり感謝しかありません。
まさにロシア・ウクライナ戦争とイスラエル・ガザ紛争はそれぞれごく少数の指導部や上層部の意向で発生している(ここではどちらが是が非かや戦争の意義については考慮しない)
思い出したくない、話したくないことを話してくれて深く感謝します。戦争は勝っても負けても良くない。帰国して喜ばれた一方、なぜ帰ってきたと言われたり、勤務中は一度もシベリア帰りと言ったことはないなど、篠原さんの言葉を自分事として重く受け止めないといけませんね。本当にありがとうございました。
有り難うございます。過酷な時代を生き抜いた方々の言葉は心に響きます。国やマスコミに洗脳されている国民に、一日も早く、気ずけですね。洗脳は、怖いですね。
洗脳ってなに?平和憲法とか言って訳のわからない念仏を唱えてるだけだと、資産は取られ奴隷扱いされるだけだよ。そう1日でも早く戦える軍隊を揃えるべき!
気丈に話される生々しい戦争体験でした!胸が、締め付けられる思い、涙が止まりません。良く生きて戻られ長生きして下さいました。現代人の弱い精神 日本人は、変わって仕舞、申し訳ない気持ちと改めて先人に心より感謝し日本人として恥じない生き方改めさせて頂きたく存じ上げます。貴重なお話誠に有難う御座いました。 拝礼
篠原さん あなたや篠原さんのお仲間が命を捧げてくださった、それに見合う国になっているか、私には、それはわかりません。でも、私や私の子ども達が今生きているのは貴方のお陰です。全く影響力はないかもしれませんが、篠原さんが経験した事は、私の家族には伝えていきたいと思います。
篠原さんのお話し、有り難く胸に刻ませて頂きました。戦後の日本に於いては、正しい歴史教育は一切為されておりません。学生の頃に私は不思議に思いました。一番知りたい、私の父が学徒出陣した大東亜戦争についての記述が殆ど無かったからです。父は恐らく戦争終盤のビルマで英国軍の捕虜になり、生きて帰還する事が出来、現在の私がおります。終戦後に父は東大法学部に学ぶ傍ら、米国大使館で通訳のアルバイトをしたと聞いております。その後も米国企業に勤めつつ、私達子供たちには米国が一枚岩ではないこと、世界は嘘吐きだらけで近隣国にも十分に注意を祓う必要があること、正しい情報が常に大事であることを言い残し、60代で他界しました。日本に於いての最高学府を修めた父でしたが、子供たちには学業を勧めませんでした。勉強すること、知識を深めることは楽しいことだが、学歴を持っても何にもならない。それより、ご機嫌良く生きるように、そう言って子供の好きな御菓子を母に内緒で買い与えてくれる甘い父でした。当時の隠されていた情報が、日に日に明らかになって来ております。インターネットの普及により、加速しています。『お父さん、天から見ていますか?私達がお父さんの知りたかった事の続きを、今見て、体験しています。私より若い人達に、何を伝えたら良いのか、かつてのお父さんのように私は今、考えているところです。』篠原さんが最後に仰った、『戦争は決してしてはならない。勝っても負けても、よくない。日本が100年戦争をしなかったら、それは大したものです。』私もそう思います。日本はあの時に、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、武器を置きました。それを未来永劫、守るべきだと今は思います。世界唯一の被爆国として、国際社会に堂々と胸を張り、世界平和を率先してうたい、それから、何故、父達が大東亜戦争に征ったのか?きちんと学校教育で教えられる国家づくりをする事だと思います。今ならば世界中で一次資料が公開されてきております。東京裁判の屈辱を晴らす為には、武力ではなく、日本人が事実を識ることだと思います。二度と戦乱に巻き込まれない為に!歴史は繰り返すのでは無く、歴史を学ばない民族が滅びるのです。篠原さんにおかれましては、どうぞお身体にお気を付けて健やかに過ごされますよう、お祈り申し上げます。体験に基づく貴重なお話しを有難う御座いましたm(_ _)m!
良い、お話しでした。ありがとうございます🤗
想像を絶します。戦争を正当化してはいけません。御発言、重く深く刺さってきます。貴重なお話、有難うございます。
合掌
すごくリアルだった・・・ただ悔しいね・・・
七生報国という戦前の義務教育での教育が特攻の原動力のひとつになっていたんですね。学校教育の難しさをあらためて知りました。
私の祖父もシベリア抑留者です 祖父はモスクワの日本大使館勤務で終戦と同時に捕虜になったと聞かされました。シベリアで左目を失い亡くなるまで義眼をいれてました。シベリアでの出来事は思い出したくないと言われてました。
七生報告という言葉やその概念をしらず、現代の考え方に基づいて当時の様子を見聞きしていましたが、そうだったのか、天皇のため、国のためとか当時の空気とか風潮というだけでなく、七生報告という考えがあったからなのかと深く納得させられました。私が勉強不足なだけだったかもしれませんが、この言葉や考えも戦後戦勝国に消されたものなのかもしれないと思いました。
ほんとに特攻隊を見ると涙が込み上げて来る
わたしの大叔父は陸軍の一等兵で満州で23歳くらいで亡くなった。今も陸軍のマークがついたお墓を見るとお墓参りに行くと色々と想う。
貴重な体験談をお話し頂きありがとうございます!その当時は、当たり前とされていた、お国の為に命がけて頂いた勇敢ながらも、切ない命に感謝します。母親が笑いながら泣いていた姿を思うと胸が痛む思いです。
亡くなった祖父母も、このおじいちゃんと同じ年代を生きてきました。戦争の話をもっと聞いておけばよかったと後悔しても、祖父母と話すことはもう二度と叶いません。TH-camを通して貴重なお話をありがとうございます。この世代の方々が今の日本を創ってくださった。このことを一生胸に刻んで生きていきます。
特攻隊は最後に愛したのは親ですみんなおかあさんといって特攻しました
おじいちゃん、生きていてくれてよかった。貴重なお話ありがとうございます。6歳の息子が学校でロシアとウクライナの事を習って来ます。誰がが攻撃してきたら、飛行機で撃ち落とせばいいやん。と言います。じゃあその飛行機に乗ってる人死んでしまうで。その人痛いで。ええの?あかんよな?戦争はしたらあかんねん。絶対良くないねん。みんな仲良くしたいな。としか言えませんが、分かってくれてるかな。
過去の辛い出来事を聞かせて頂きありがとうございます。辛かったでしょう。今の日本があるのは皆様のお陰です。改めて感謝しながら生活していきます。
このお爺ちゃん瞳が綺麗ですね^_^会ってみたいっす
特攻を美化しない。しかし、散っていかれた英霊に、最大限のリスペクトを。
問題は敵が襲ってくると勘違いさせた上層部でしょうね
最後まで見るのが辛く覚悟のいるものでした。77年間日本が戦火に巻き込まれていないのは不思議ではなくあなたやあなたの世代の人たちのおかげだと思います。私も祖父母を誇りに思っています。涙が出る
日本帝国陸軍中尉の孫です。満州からの引き揚げ者の子孫でも有ります。正にお婆ちゃんが背中に赤ちゃんを背負い3歳の私の父親の手を引いて引き揚げ者が乗る船に命からがら乗って日本に帰った来ました。赤ちゃんはお婆ちゃん自体が栄養失調でおっぱいが出なくなって、結果赤ちゃんは亡くなりました。父親はお婆ちゃんによく大変な中俺を日本まで連れて帰ってくれた、ありがとうと言って居たのを私は見て来ました。あの時会った赤ちゃんや幼児を連れた女性達から命は繋がって居て私の様な子孫にバトンは繋がれて居ますよ。あの時お婆ちゃんが引き揚げ者の船に乗れて無かったら私は居ません。私も息子を産み育て息子も大きくなりました。命のバトンは次の世代次の世代へと繋がって居る事をお伝えしたくて書きました。お爺ちゃん、お婆ちゃん、父親が頑張ったから私や息子が今を生きられて居ます。戦争で命懸けで頑張って下さった皆さん、心からありがとうございました。
私の祖母も満州から1歳の母を背負って船に乗った時の話をしてくれました。陸から船までは幅30cmくらいの板が渡されていて、ふわふわと上下に揺れてものすごく怖かったんだそうです。とても怖がりな祖母だったので、思い出すだけで身震いするので、誰にも話せなかったようです。80歳過ぎてから、ようやく話してくれました。私も初めて聞いて、よくぞ生きて帰ってきてくれました!って感謝しました。
有難うございます、感謝。
そういう話を伺うにつけいわゆる「中国残留孤児問題」と言われていた、我が子を置き去りにして命からがら還ってきた人たちを責めることはできませんね。そしてそういう証言はまず、表に出てこないでしょう。心なく批判するようなバカが絶対にいますから。貴重なお話、ありがとうございました。コメント欄もとても有意義です。
無事に日本に帰ってきてくださり貴重なお話をしてくださりありがとうございます。私の祖父は、海軍航空隊の飛曹長をしていたと聞いています。人吉の海軍航空隊にいたことがあり、人吉で亡くなりました。
戦争は絶対にしてはいけない。二度としてはいけない。二人の祖父が言っていたことを、今とても重い言葉だったと感じています。祖母たちもイラク戦争が始まった時に、テレビで報道をみていて、その時の表情が今でも忘れられないほどでした。今、戦争をしている人たちにも見てもらい、戦後80年も間近にも関わらず未だに自分たちが馬鹿々々しいことをしているのだと感じてほしい。戦うことを強要した政治家から権力を取り上げて、もうこんな悲惨な状況をすぐにでも止めてほしい。忘れてはならない大変貴重なお話をありがとうございました。どうかこれからも体調に気を付けながら、いつまでも長生きしていただきたいと思います。最後に、大変な時代を生き抜いてこられたことに、お疲れさまでしたと言わせてください。
私は、約30年前沖縄に修学旅行に行きました。女子校だった事もあり、ひめゆり学徒隊や、しらゆり学徒隊だったおばぁ達語り部の方々のお話がしばらく頭から離れなくなり、帰ってから友達とひめゆり学徒隊について描かれた映画を沢山観ました。色々調べたりもしました。今年は、我が子が修学旅行で広島を訪れました。言葉にし難い想いを抱えて帰って来たようで、帰宅後話をしながら泣いていました。戦争は本当に何も生まない。生むどころか無くしてしまう。両家の祖父母が戦争について、多くを語りたがらなかった気持ちが解る気がします。母方の祖父は、ハワイにもレイテにも居たようです。父方の祖父は酷い風邪を引き、特攻隊に行く前に終戦を迎えた様です。2人とも体に銃弾の跡がありました。祖母も竹槍訓練の話をしてくれました。貴重な体験をお話下さりありがとうございました。胸に刻んで生きていきたいと思います。
大切な事を教えてくださり、有難うございます。
素晴らしい😂語りべ❤無事に帰国❤️
ありがとうございます!
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国会でこの動画をみせる必要があります。
ありがとうございます
動画ありがとうございます
良いはなし
この世で一番大切なものは 愛 です思いやりです😊
戦う人たちに感謝を込めて😢
貴重なお話し、ありがとうございました。
おじさんに聞いた話を伝えていきたいと思います!
想い出すことの辛いお話、貴重な実体験をお聞かせ下さりありがとうございます。先輩方の大変なご苦労があっての今日だと改めて英霊の皆様日本を再建してくださった先輩方に本当にありがとうございました。と感謝もうしあげます。命を繋いでいただいて今生かしていただいてる自分に何ができるかと問うております。大変なお役目ご苦労さまでした。皆様の天命が全うされますように日本の天命が全うされますように世界の天命が全うされますように地球の天命が全うされますように我々の天命が全うされますように世界が愛で包まれますように🙏
この動画を見て、コメント欄の方々がどんな年代の人なのでしょうか?最近は、自国に愛国心がない方や若い人なんかは、戦争に行くのなら逃げた方が勝ちなんて言う人もいるとか…😅 不安に思います。 戦争は我々国民が始めるのではなく、政治家の人が決定し始めてしまうのです。そして多くの戦争は国にとって軍需ビジネスであり人の命など、本心ではどうでも良いはずです。 国を変えたいなら、国民が結束して自らが政治家と言う気概が欲しいですね。戦争はしなくても良い行為です。しかし、攻めて来られたら向かい打つ気持ちは失ってはなりません。戦争を経験した人は、偉くもありませんし、美しくもありません。只々必死に生きていた。それだけです。この動画をみてどの様に感じるかは、それぞれですが、時代という時計は、巻き戻りはしません。今を生きて下さい。そして戦って守って下さい。あなた方の人生と言う世界を
「世界に誇るべき」貴重なメッセージです。勝っても負けてもいいことはない...
知覧からの手紙そして人間魚雷 母上今まで育てでいただきありがとうございました今から回天で敵艦に突入します さようなら
貴重なお話ありがとうございました。後世に語り継ぐ内容です。戦争は政治の責任。外交の最悪のシナリオです。政治家、官僚の皆さん肝に銘じて下さいョ。税金で暮らしているあなた方の責任です。
国のために、青春を捧げた人たちは英雄であり、どの国も、敬っています。日本だけが蔑む。GHQの洗脳は本当に凄い。タヴィストック研究所で、研究しただけのことはある
もっともっと長生きしてください。
故祖父より土浦はもの凄く厳しい連帯責任の日々で先輩は特に厳しく、海軍精神を気絶するほど叩き込む慣例があったと聞いてます。しかし食べものは沢山あり、10分以内に全て食べないといけなかった。毎日服装備品検査もありその記録が今も残ってます。その後横須賀海軍航空隊へ配属となり、タコ壺特攻訓練を受けたらしい。生身の人間が地面に穴を掘り、そこに手榴弾片手に入ってひたすら敵を待つ中での終戦。戦争末期飛行機なんてもうなかったんです!旅順で戦死した兄の跡、家を継いだ曾祖父は陸軍で満州駐箚後に建築職人として生きた。祖父は父の背中を追うように建築技師を目指してやがて海軍の七つボタンへの道を進みました。戦争経験者は地域で軍神として慕われ、敬われた経緯があった事もよく考えなければならない。
涙
まあ私の叔父も予科練に無理やり入れさされたが、祖父が将校だったので特攻に行くことは無く無事帰ってきたかが、もう戦争まして予科練なんか二度と行きたくないと言っていた。しかし祖父は戦争ほど楽しいもんは無い、もう一遍行きたいが口癖だった。もう一遍行きたいの本音は、芸者遊びの事だ、芸者を何十人も引き連れて他国で見物、観光している写真がいっぱい出てきた。
私の父も予科練帰りでした。戦争の話しは一切しませんでした。が「君に忠、親に孝」😢「武士は喰わねど高楊枝」と笑っていました。母は東京大空襲経験者でした。7人姉弟のうち、5人戦死したそうです。生き残った母方の祖母は私を大変可愛がってくれました。祖母も母も父もよく笑っていました。ただ、子供心に眼の奥の哀しみが見えていました。篠原さんを見て当時を思い出します。😂😂
私の父も篠原さんと同じ年に生まれて予科練に志願して行ったと言っていました。やはり特攻に行って国を守って死ぬのがかっこいいのだと思っていたそうです。当時の教育で洗脳されていたのですね。終戦後、進駐軍を見て「こんな国と戦争をやって勝てるはずはなかった」と思い知ったそうです。「戦争は絶対に二度とあってはならない」と常に言っていました。多くは語りませんでしたが、悲惨な状況をたくさん目にしたのだと思います。
私の祖父のお兄さんは、シベリアで亡くなりました。弟の祖父は先日亡くなりました。天国で再開していることを願ってます。大好きなおじいちゃんのお兄さんだから、会ってみたかったな。シベリアでは、すごくつらい思いをたくさんしたんだろうなと思います。この方を通して、シベリアでなくなった沢山の人たちが、自分たちの思いを伝えているような感じがしました。戦争は勝っても負けてもだめ、やらないのが一番。これだけは譲ったらだめですね。
篠原先生。あなたは私たち国民の立派な先生ですよ。
戦争の話し全然してくれんかったなー😢よっぽど悲惨やったんやろなー
家🏠の親父も゙知覧の特攻隊のお見送りをした🥺👮😎😭😾
壇上で話された卒業生の特攻兵の先輩はほんとは生徒達には後に続いて下さいって言いたくなかっと思います…。本音が言えない気持ちがよく分かります。本心は戦後の日本を支えて下さいetc.…など言いたかったと思う
自分の父方の曽祖父は、ニューギニア方面での海戦で生きて帰り、帰港した広島で入市被爆をしました。後年は被曝の後遺症によって亡くなり、私が生まれる前には亡くなってしまっています。そして曽祖父の兄弟は、中国戦線にて戦死したため、私は伝え聞いた話しか知り得ません。こうした記録を映像に残されることを心より尊敬しております。ありがとうございます。
先人達の想いそれは二度と同じ思いをこれから生まれて来る子供達は経験して欲しくは無い。
日本中の人が観ると良い世界中の人達が観ると良い
よくいきのこってくださった。
特攻隊員(回天も含む)達のシは連合軍からの攻撃ではなくそんな作戦をたて実行させた日本だと思ってる先人たちの皆様、散らさなくてもよいはずの大切なお命を奪ってしまい申し訳ございませんでした
エンドに流れる曲をご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?
"Homeland" という曲です。アーティストはJenna Carlie & Searching for Light。この動画に相応しいエンディングですよね。TH-camで見れますのでぜひ。
戦争を生きた方に小野田寛郎さんに対してどう思うか?お尋ねしてみたい。私は不憫でならなかった。
手書きの地図が見たかったです。カメラが動かせなかったのでしょうか? 残念です。
天台宗の千日回峰行満行の大阿闍梨、酒井雄哉師は鹿児島の予科練にいたそうですお話しの途中で出てきた、米軍の攻撃で地面に空いた穴をひたすらスコップで埋めるのが役割だったとかマスメディアで有名になった際に尾ひれはヒレが付いて「特攻隊の生き残り」のような美談にされかけて大変困り、ご自身で訂正されていました命懸けで飛び立った方々と一緒にされてしまうなど恐れ多い、と思われていたのではないでしょうか
当時の外務省、ソ連の動向はわかっているはず、満州の開拓民を逃がさない。ドイツの兵のシベリア送りを知っていたはず。動かない政治家、
しかも本来国民を守るべき関東軍は南方に戦力引き抜かれて弱体化しているとはいえ、仮にも軍隊がしんがりもせず国民を守らず先に逃げたというね
シベリア抑留は厳しい寒さと労働で命を落としたと聞いたことがありますけれど、奇跡的にに帰還した人々が「赤」の容疑で差別を受けたことは知りませんでした
家のハンコを勝手に持ち出し予科練を受けたと後から知りました。
戦争を知らない若者が戦争反対と国会議事堂前で騒いでる…なんの説得力もない。現実に体験者としての言葉は、胸に深く突き刺さる…
私は、北京生まれの引揚者ですが、内地では、純粋な若き青年が、国の為に、真剣に、命をかけて戦争に出陣し、日本を守ってくださったことに、心より敬意を表するとともに、現存する我々は、このように、我が身を呈して、国を守ってくださった英霊の故に、今日の日本があることを肝に銘じ、恥じない日本人として未来を築いていかなければならないと思っております。🙇🙏🎌
このチャンネル主さんは証言者を探しているようです。「満州以外の外地」ということならとても貴重な証言になるはずです。もちろんそうでなくても貴重。どうでしょう?
当然のことながら強制ではありませんし…悩ませてしまったら申し訳ありません。
先生になる夢をお持ちだったとの事ですが、お話しがまるで上手な先生の授業を聞いているようで
とても分かりやすかったです。
ありがとうございました。
忘れてはいけない、、、現実に日本であった事
もっと今の人に見て考えてほしい。
おじいちゃん、貴重なお話をありがとうございます。長生きしてくださいね。
93歳の方とは思えない、ご記憶も鮮明で分かりやすいお話。感心しつつも、そのご体験の惨さに胸が塞ぎ、言葉を失いました。どうぞお健やかに、いつまでも語り部をお続け下さい。
貴重なお話を有難うございました。
戦争体験者は年々少なくなっていく。いつかは必ずいなくなる。我が国日本から先の戦争体験者がいなくなる日は、必ず来る。一人も戦争の体験者がいなくなる日は、必ず来る。いつまでも語り部を続けて欲しいと思っても、人生の最後を迎える日は必ずきますね😢戦国時代も合戦の経験者達は、自分の子供や孫達に戦の愚かさを、人と人が争いをする悲しみや悲劇を語り部として伝えていたと思います。現在進行中のロシア・ウクライナ戦争やアフリカ各地で起きている民族紛争や内乱まで。昔も今も私達人間が、欲望で争いをする愚かさや人間の本質は、変わらない😢人類誕生から現在に至るまでに行われた全ての争いで亡くなられた全ての方に、黙祷します。
学生の頃教科書で習った『戦争』という出来事。しかし年齢を重ね、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』や加藤陽子さんの『それでも日本は「戦争」を選んだ』等読み進める内に、決して戦争は他人事ではないのだと思うようになりました。悲しいかな人間は過ちを繰返す生き物のようですね。
戦争を経験したことのない我々は、せめて語り部の方々の貴重なお話に耳を傾け、「戦争とは何であったのか」「人間とは…」世の中に問い続ける大人でありたいと思います。
日本が戦争を仕掛けたのではなく仕掛けられた。米に、意図的に。今の世界の戦争も米が黒幕。
今の日本の政治家の体たらく。今後の日本もいつ戦争に巻き込まれるか分かりません。選挙区の議員一人ひとりをチェックして票を入れる事しか国民がやれる事ない。
また、情報をTVからではなく得る事だ。
おじいちゃんのような、みなさんがいなければ、今の私たちはありません。本当にありがとうございます。
これからは私たちが、本当によい国を子孫に残さないといけない、心からそう思います。
そして良い社会づくりです。まわりで❤今の社会について、憲法改正について、周りの国で起こっていること、そして、一から調べて見てください。アメリカは日本の基地に大佐を派遣すると決めたことや、ある日本にある基地を日本の税金でグアムに移送する予定も立てられています。
普通に生きている人で関心のある人何人くらいおられすか?政治の投票率も最悪だし。
子供より今を生きる大人が気持ちを改めないとと思います。
こんな話聞いたらかずいぶん楽な時代に生きてるんだなぁと思わされます
そうでもないと思います。比較はできないのではないでしょうか?自ら命をという人間は現代のほうがはるかに多いです。終戦時の映像と比べると通勤ラッシュの社会人や登校児童の表情は暗く閉ざされています。
ですがおっしゃるとおり、物質的経済的には現代のほうがはるかに暮らしやすいですね。
これからだよ。
日本が地獄を見るのは。
今は、嵐の前の静けさ、、
ボーッとしてたら、気がついた時には、、、。
という最終段階なんだぞ。
ヤバい状態だよ。
@@さとしくんだよ私もそう思います。今の社会の動きを見ているとこれからまた何か始まるんだなと。大切なものが日本からなくなっていって憲法もいくつも改正されていて、その一つずつ調べて見てください。
日本に住んでる市民はあまりにも興味がなさすぎる。でもそういうふうな脳の作りを戦後からマインドコントロールされてきたんだと思います。気づいた時にはだと思うけど、それでも律儀だから。
世界では特攻とはテロとか精神が狂ってるとか思われてるが…遺書には勇ましく残されていますが前夜は涙した隊員も母親のことを思い逢いたいと思った隊員もいたことを日本人として忘れてはいけないこと…当時の教育や思想…で今とは違うけど後生の国民や愛する人のために出撃した先人に感謝しかない…ありがとうごさいました。安らかに…
感慨深く拝見させていただきました。
私の父も特攻隊の生残りで現在95歳です。
少し認知症が出てきていますが昔の事はそれは鮮明に語ってくれます。
明日父に会いますのでこの動画の話しをするつもりです。
貴重な動画ありがとうございました。
是非お父様のお話も動画を撮って貴重な資料として後世に伝えてください!!
先人に感謝 ありがとうございます
日本のために戦った1人の侍。尊敬しかありません。
最後に仰った77年間戦争がない。大したもんだ。世界に誇れる日本だ。
この一言に鳥肌立ちました
重みが違いすぎる
ただただお爺様には英霊の方々の為にも、長生きして頂きたいです
まさに戦争を体験して戦争の恐ろしさと嫌な部分を嫌と言うほど見てきた人だからこその重みがありますね。
寿命や病気以外で毎日死ぬ心配しながら生きなきゃいけない世界はやばい。
吉宗さん、よくぞ生きて帰ってくださった。
2024年の今も、お元気なのでしょうか?
どうぞ お元気で🙏
毎年、8月にやるドラマを見るよりリアリティがあって良いと思います。
このような映像を多く残して欲しいです。
ありがとうございます。
@@桑原亘 ここ最近ドラマやってますか?
貴重なお話ありがとうございます。
毎年この時期になると戦争体験や特攻隊関連の動画を視聴します。
その時代時代で苦しい事はあれど自らの命と引き換えに国や家族を守るという事に涙が溢れ、胸が締め付けられます。自分の本心も自由に語れず、戦争に行った若者達。
その方達がいた事を忘れず毎日をありがたく感謝して精一杯生きて行こうと思います。
私の亡き父は、戦時当初は南方に行ったようです あの玉砕したレイテ島で病気になり、九州の病院で治療をしてから、
何処へ行かされたのか?たぶん中国大陸で 同じ兵隊の遺体を担ぎ歩き、夜間はオオカミを追い払う為 焚き火して、眠る時間も無く 歩きながら寝たとは聞きました 水はボウフラの沸いた水は まだ腐ってなく飲めたそうです、そして最後は、シベリア抑留となり ➖40度の中を栄養失調とたたかいながら 出された魚は炙って粉にして飲んで生きたそうです 詳しい事は多く語らない寡黙な人でしたから、叔母から聞いた事はレイテ島の事だけです
シベリアから帰還の船に乗った時、父のところで「ここまで!」と言われだそうです その後の人達は次にいつ帰れるか分からなかったそうです 92歳迄 しっかりと兵隊さんのように姿勢正しく歩きました 92歳迄 生きた 父の人生は、人として涙が溢れます 亡くなってからも、私に使命を残してくれました
父は偉大な根性な人でした 今度生まれてくる時は 戦争のない国で幸せになっていると思います。
★戦争ほど残酷なものはない
★戦争ほど悲惨なものはない
地球から、悲惨の二字をなくさなければいけない!
戦争は超富裕層のカネ儲けであり、その下の軍産複合体ビジネスによって仕掛けられてます。正義とか人道とかお題目は建前で、中身はカネと権力を奪って、いかにロス茶やロックが都合よく生きていけるかを目指して戦争は行われます。庶民は単なる使い捨てのゴミですね。
私の亡き父は 戦時中は満州にいました以前 写真アルバムがいっぱいありました綺麗に再色されたはがきに大将がいっぱい記載っていました私はあまりにも かっこいいのでめんこの形に切ってガキの頃めんことして使っていました戦争中の絵はがきは全て 綺麗に色付けされていました 貴重なものをめんこにしてしまって残念でした
8/18時点で再生回数約3,000回。
もっともっと、たくさんの人たちに見てもらいたい。
戦争体験者が年々少なくなっていくなかで、このような“生の声”は、とても貴重だと思う。
後世の私たちは、感情抜きで、この歴史上の事実を学ぶべきだと思う。
2024/5/16現在
視聴回数は7.5万回 とあります。
このような貴重な体験談、
更に多くの人に聴いて貰えるといいですね。
本当に生きて帰ってくださり、感謝しかありません。
日本の為に命をかけて戦い抜いてくださいましたことに心からの敬意を表します。
特攻で死なずに、多くの若者が生きていたなら、今の日本はもっと良い国になっていたのではないかと思います。
貴重な体験を克明に話してくださり、ありがとうございました。
直接お会いして、感謝をお伝えさせていただきたいくらいです。
貴重なお話ありがとうございました😭
本当の話を聞けて、ありがとうございました。
大日本帝国と、御英霊に最敬礼!
キレイゴトばかり口にし、あごヒゲ・ピアスの今の若者…
愛情のない男ほど、「愛してる」という言葉を頻繁に口にする。
本物の「男」「魅力のない男」が増殖する日本に成り下がってしまった…
チャラ男達は、偉そうなことを一丁前に口走りますが…イザとなったら逃げる卑怯者。
愛する人の為、愛する母国の為に、命を捧げた「本物の男」として生きる「男」が1人でも増えます様に…
昨年の夏 茨城県 阿見町予科練平和記念館に行ってきました。貴重な話しありがとうございます
自分のお爺ちゃんも海軍予科練航空隊で特攻する前に終戦なりました!お爺ちゃんにあんまり話を聞けなかったなで沢山の戦争のお話を本当にありがとうございます😢
自分の祖母も戦争体験者ですが、嫌な体験なのだと思うので、聞いても話してくれませんでした。
コロナで最近は会えていませんが、生きていたら100歳になっています。
私自身の個人的な意見を勝手に書いてしまい大変申し訳御座いません。
重い気持ちなのに、よくぞ、いつてくださいました。貴重な お話をありがとうございました。
十代で死と戦うと言う精神力の強さに凄さを感じる。今の世があるのも彼らの強さがあったからだよね。
しかし敗戦したら何にもならない😭
何百万人もの死者を排出する戦争をしたのも、今現在生きている私達の先祖達!
@@友-e6z誰も戦争を自分からしたい人はいない。自分が行動しなければ、大切な愛する人を守れない、そう思ったから、やるしかなかったのではないでしょうか?
ジョンウン聞いてるか?
シベリア抑留に元特攻隊の方や予科練のかたがいたのは初めて知りました!
私の父方の曽祖母、祖父は朝鮮の仁川から引き揚げてきた人たちです。曽祖父は仁川で警官をやられてたそうですが、腸チフスで亡くなりました。曽祖母は命からがら漁船に乗って終戦直後に日本に帰ってきたそうです。
母方には特攻でなくなられた親族の方と、わたしの爺さんも特攻の訓練を受けていました。詳しくは聞けてませんが、、、
こんな負の連鎖、戦争の連鎖
過去の事で終わらしてはいけない!
最後の『100年戦争が無かったら大したもんだ』ってのが物凄い胸に響きました。
ほんとに語っていただいて、ありがとうございます!
日本のためにありがとうございます。貴重なお話ありがとうございました。
辛いこともお話しいただき心よりお礼申し上げます。貴重なお話を伺えて感銘を受けております。日本のために命を捧げられた方々‥知覧の特攻平和会館にも多くの日本人に知っていただきたいです。
大切な体験談を感謝します
戦争してはならん事は誰しも理解は出来るが、我々日本、家族、日本人を守る為に命捧げた心痛と尊さは 現代人には理解出来るまい、今こうして日本が平和で生きていられるのも先人の若くして命を落とされた兵隊さんのお陰である事は紛れもない事実である。あの戦争がなかったら今の日本は確実になかっただろう。感謝しても感謝しきれい。それに反対揶揄する方々はもっと歴史を勉強していただきたい。
戦わなければならない時は戦うんですよ
戦争はしてはならない!なんて信じ込んでるのは日本だけです
ほんとに、その通りです。
同じ地球上に、戦争屋が存在する悲劇です。
開戦前に何度も戦争を回避できるチャンスはあったのに、それをしないで開戦し、その後も降伏するチャンスはあったのにそれもしなかった。戦没者は意味なく死んだ。親兄弟を守るために死んだなんて見当違いも甚だしい。兵站が途絶えた前線では餓死や病気で死んだ兵士たちは単なるイヌ死であり、そこに何の意味などありません。
全くその通りだと思います。理屈と現実の間に愚かなるも〈生きる〉と〈守る〉が同居しているところからは逃げられない人類の罪深き性のような〈悪事〉ですね。決断したり言った人が先頭に立ち戦地へ向かうわけでは無い戦争には、決して表に出てこないフィクサーのような存在や勢力もあるのは確かです。しかも、それによって利益を得たり貪る連中の存在もあります。だから、〈仕掛け師〉や〈相乗り師〉のような[複合体]の為に国民・国家が不幸な道程を歩む事になるのも確かですね❗️リング上の格闘技のような訳には行かず、観客・会場またはその他周辺を死の淵へ破壊の淵へと追いやる…当事者次元を超えたレベルに到達する事態誘導です。
15歳で特攻訓練生として入隊…敗戦…ロシア抑留生活…19歳で帰国の彼から奪ったこの数年は日本の戦時下末期ですが、戦争は人間の全てを破壊し奪い去る証。
彼の言葉で凄く印象的だったことは…★『戦争終わってから70年も平和だった…これが100年続けば大したもんだ…』でした。人類の歴史の中での100年はわずかなものですが、一人の人生の中での100年の平和は値のあるものだと…いう。
我々の子孫が平和の中で暮らせますように祈る事しかできない今年71歳です。
@@ponnta88-o2d
私も以前は、半分は貴方と同じように考えておりましたが現在は違います。
私の父は大正生まれで学徒出陣しました。その父から聞かされた話、それから父がその後の生涯をかけて学び、探求していた歴史の隠された事実を亡き父に代わり、私が今勉強しております。
戦後の日本の学校教育には一番重要な近現代史、『大東亜戦争』についての記述が殆どありません。
今を生きる高齢者の多くが『太平洋戦争』と語りますが、私の父が出陣したのは『大東亜戦争』です。何故このように、固有の名称が変えられてしまっているのか?
そこから私の近現代史の勉強が始まりました。
今や世界中で隠されていた近現代史の史実、第一次資料が公開発掘されてきております。
一次資料に基づいた、正しい歴史の認識が必要であり、二度と戦乱に巻き込まれない為にも大事な事だと思います。
現在の日本の国会も荒れに荒れておりますが、開戦当時の日本政府も、海軍と陸軍とで統制がとれていなかった可能性が濃厚です。
林千勝先生、それから米国スタンフォード大学のフーバー研究所で一次資料を発掘して下さった西鋭男先生のお話し(TH-cam)、ご著書は大変参考になります。
私の親父も篠原さんと同じく昭和4年生まれ。15歳で予科練に志願し、奈良海軍航空隊で訓練を受け、終戦時は茨城県の谷田部航空隊におりました。やはり、生きて帰れるとは思ってなかったそうです。
先日、「大空のサムライ」坂井三郎著を読み終えたばかりでした。硫黄島から木更津飛行場に帰ってきた特攻パイロットの話です。その後日本でどのように暮らしたのかは、書かれていません。興味がありましたが、今回の紹介で、それ相応の生き方を推察することができました。生きとし生けるものとして大変参考になりました。素晴らしい内容に感謝します!
😅😅ら
坂井三郎さんは戦後に渡米しました。広島市に原子爆弾投下を実行したエノラ・ゲイの機長であるポール・ティベッツにあって交流したのが、Wikipediaで坂井三郎と入れて調べれば分かります。
全く、仰る通りです。戦争はいけません。しかし乍ら、攻められたら守らなければ成りません。
攻められたら守らなければならない。今のロシアによる進行を受けているウクライナが、国を守る立場にいる😢戦争が起きるなと思っても、攻める側(侵略側)がいる以上守る側(自分の親・兄弟家族)は防衛するために、戦わなければならない。結局また戦争が起きて矛盾する。第二次世界大戦よりもっと遥に人類創世記の大昔から、私達人間はこのサイクルの繰り返しで、絶え間なく争いを続けてきた。私達人間は愚かな生き物だなぁ😢😢😢
ありがとうございました😊!
辛い🥵辛い🥵人生!申し訳有りません。
生きてください、もっともっと、
生きてください。
私は、決して!
忘れません。ありがとうございました。
逃れる事ができない時代環境を生き抜いた方のお話を聞けて感謝です
他界された方々の魂が現代の私たちの力になって下さっているのを勝手に感じさせて頂いています
戦争はいけない、民衆はわかっている。でも彼らに決定権はなく、戦争はいつでも仕掛けてくる支配層がいるのだ。外国の勢力、大国、つながる企業など。
具体的には
そうですね、残念ながら戦争屋は 今はこの地球上を支配しています。
なんとかせねば・・・
@@1610frms
ウクライナ戦争がいい例です。アメリカ、NATOとロシアの代理戦争。つまりウクライナ国民が望んだ戦争ではなく、アメリカがすえた傀儡政権の首長であるゼレンスキーとマスメディアが推し進めた戦争です。ウクライナは彼らの軍企業の武器を供与されていると報道されていますが、ただではなくウクライナは将来返済するんですよ。
(まあ、もしかしたら日本がアメリカがウクライナに貸した9兆円の連帯保証国になったんですが、おそらく日本が払うんでしょうね。)また、アメリカやEUの軍事企業から傭兵が送られていますが、それも企業の儲けになる。また、軍が消費する食料や医薬品で彼らの食品会社や製薬会社がもうける。また、原油や天然ガスの価格上昇が言われましたが、投資するウォール街やロンドンシティの金融企業が大儲けする。国連の常任理事国は間違いなく、オランダ、スウェーデンなども実は軍事国で海外に武器を輸出している。アメリカは過去80年近く自国軍事企業や金融企業からの圧力があり政権は常に海外で国家転覆し自国の傀儡政権をすえるため戦争をしてきました。まあ、ロシアもいい勝負してますが。
だから…選挙は大切だよな…と、思う。平和ボケしてる場合じゃないよな…と、改めて思わせて頂いた。お国の為に、ありがとうごさいます。生きて帰ってきて、お話しを聞かせて下さり感謝しかありません。
まさにロシア・ウクライナ戦争とイスラエル・ガザ紛争はそれぞれごく少数の指導部や上層部の意向で発生している(ここではどちらが是が非かや戦争の意義については考慮しない)
思い出したくない、話したくないことを話してくれて深く感謝します。戦争は勝っても負けても良くない。帰国して喜ばれた一方、なぜ帰ってきたと言われたり、勤務中は一度もシベリア帰りと言ったことはないなど、篠原さんの言葉を自分事として重く受け止めないといけませんね。本当にありがとうございました。
有り難うございます。過酷な時代を生き抜いた方々の言葉は心に響きます。国やマスコミに洗脳されている国民に、一日も早く、気ずけですね。洗脳は、怖いですね。
洗脳ってなに?平和憲法とか言って訳のわからない念仏を唱えてるだけだと、資産は取られ奴隷扱いされるだけだよ。そう1日でも早く戦える軍隊を揃えるべき!
気丈に話される生々しい戦争体験でした!
胸が、締め付けられる思い、涙が止まりません。
良く生きて戻られ長生きして下さいました。
現代人の弱い精神
日本人は、変わって仕舞、申し訳ない気持ちと改めて先人に心より感謝し日本人として恥じない生き方改めさせて頂きたく存じ上げます。
貴重なお話誠に有難う御座いました。
拝礼
篠原さん
あなたや篠原さんのお仲間が命を捧げてくださった、それに見合う国になっているか、
私には、それはわかりません。
でも、私や私の子ども達が今生きているのは貴方のお陰です。
全く影響力はないかもしれませんが、
篠原さんが経験した事は、私の家族には
伝えていきたいと思います。
篠原さんのお話し、有り難く胸に刻ませて頂きました。
戦後の日本に於いては、正しい歴史教育は一切為されておりません。学生の頃に私は不思議に思いました。一番知りたい、私の父が学徒出陣した大東亜戦争についての記述が殆ど無かったからです。
父は恐らく戦争終盤のビルマで英国軍の捕虜になり、生きて帰還する事が出来、現在の私がおります。終戦後に父は東大法学部に学ぶ傍ら、米国大使館で通訳のアルバイトをしたと聞いております。その後も米国企業に勤めつつ、私達子供たちには米国が一枚岩ではないこと、世界は嘘吐きだらけで近隣国にも十分に注意を祓う必要があること、正しい情報が常に大事であることを言い残し、60代で他界しました。
日本に於いての最高学府を修めた父でしたが、子供たちには学業を勧めませんでした。勉強すること、知識を深めることは楽しいことだが、学歴を持っても何にもならない。それより、ご機嫌良く生きるように、そう言って子供の好きな御菓子を母に内緒で買い与えてくれる甘い父でした。
当時の隠されていた情報が、日に日に明らかになって来ております。インターネットの普及により、加速しています。
『お父さん、天から見ていますか?私達がお父さんの知りたかった事の続きを、今見て、体験しています。私より若い人達に、何を伝えたら良いのか、かつてのお父さんのように私は今、考えているところです。』
篠原さんが最後に仰った、
『戦争は決してしてはならない。勝っても負けても、よくない。日本が100年戦争をしなかったら、それは大したものです。』
私もそう思います。
日本はあの時に、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、武器を置きました。
それを未来永劫、守るべきだと今は思います。
世界唯一の被爆国として、国際社会に堂々と胸を張り、世界平和を率先してうたい、
それから、何故、父達が大東亜戦争に征ったのか?きちんと学校教育で教えられる国家づくりをする事だと思います。
今ならば世界中で一次資料が公開されてきております。東京裁判の屈辱を晴らす為には、武力ではなく、日本人が事実を識ることだと思います。
二度と戦乱に巻き込まれない為に!
歴史は繰り返すのでは無く、
歴史を学ばない民族が滅びるのです。
篠原さんにおかれましては、どうぞお身体にお気を付けて健やかに過ごされますよう、お祈り申し上げます。体験に基づく貴重なお話しを有難う御座いましたm(_ _)m!
良い、お話しでした。ありがとうございます🤗
想像を絶します。戦争を正当化してはいけません。御発言、重く深く刺さってきます。貴重なお話、有難うございます。
合掌
すごくリアルだった・・・ただ悔しいね・・・
七生報国という戦前の義務教育での教育が特攻の原動力のひとつになっていたんですね。学校教育の難しさをあらためて知りました。
私の祖父もシベリア抑留者です 祖父はモスクワの日本大使館勤務で終戦と同時に捕虜になったと聞かされました。シベリアで左目を失い亡くなるまで義眼をいれてました。シベリアでの出来事は思い出したくないと言われてました。
七生報告という言葉やその概念をしらず、現代の考え方に基づいて当時の様子を見聞きしていましたが、そうだったのか、天皇のため、国のためとか当時の空気とか風潮というだけでなく、七生報告という考えがあったからなのかと深く納得させられました。私が勉強不足なだけだったかもしれませんが、この言葉や考えも戦後戦勝国に消されたものなのかもしれないと思いました。
ほんとに特攻隊を見ると涙が込み上げて来る
わたしの大叔父は陸軍の一等兵で満州で23歳くらいで亡くなった。今も陸軍のマークがついたお墓を見るとお墓参りに行くと色々と想う。
貴重な体験談をお話し頂きありがとうございます!
その当時は、当たり前とされていた、お国の為に命がけて頂いた勇敢ながらも、切ない命に感謝します。
母親が笑いながら泣いていた姿を思うと胸が痛む思いです。
亡くなった祖父母も、このおじいちゃんと同じ年代を生きてきました。戦争の話をもっと聞いておけばよかったと後悔しても、祖父母と話すことはもう二度と叶いません。
TH-camを通して貴重なお話をありがとうございます。
この世代の方々が今の日本を創ってくださった。このことを一生胸に刻んで生きていきます。
特攻隊は最後に愛したのは親ですみんなおかあさんといって特攻しました
おじいちゃん、生きていてくれてよかった。貴重なお話ありがとうございます。
6歳の息子が学校でロシアとウクライナの事を習って来ます。誰がが攻撃してきたら、飛行機で撃ち落とせばいいやん。と言います。じゃあその飛行機に乗ってる人死んでしまうで。その人痛いで。ええの?あかんよな?戦争はしたらあかんねん。絶対良くないねん。みんな仲良くしたいな。
としか言えませんが、分かってくれてるかな。
過去の辛い出来事を聞かせて頂きありがとうございます。辛かったでしょう。今の日本があるのは皆様のお陰です。改めて感謝しながら生活していきます。
このお爺ちゃん瞳が綺麗ですね^_^
会ってみたいっす
特攻を美化しない。
しかし、散っていかれた英霊に、最大限のリスペクトを。
問題は敵が襲ってくると勘違いさせた上層部でしょうね
最後まで見るのが辛く覚悟のいるものでした。
77年間日本が戦火に巻き込まれていないのは不思議ではなくあなたやあなたの世代の人たちのおかげだと思います。
私も祖父母を誇りに思っています。涙が出る
日本帝国陸軍中尉の孫です。満州からの引き揚げ者の子孫でも有ります。正にお婆ちゃんが背中に赤ちゃんを背負い3歳の私の父親の手を引いて引き揚げ者が乗る船に命からがら乗って日本に帰った来ました。赤ちゃんはお婆ちゃん自体が栄養失調でおっぱいが出なくなって、結果赤ちゃんは亡くなりました。父親はお婆ちゃんによく大変な中俺を日本まで連れて帰ってくれた、ありがとうと言って居たのを私は見て来ました。あの時会った赤ちゃんや幼児を連れた女性達から命は繋がって居て私の様な子孫にバトンは繋がれて居ますよ。あの時お婆ちゃんが引き揚げ者の船に乗れて無かったら私は居ません。私も息子を産み育て息子も大きくなりました。命のバトンは次の世代次の世代へと繋がって居る事を
お伝えしたくて書きました。お爺ちゃん、お婆ちゃん、父親が頑張ったから私や息子が今を生きられて居ます。戦争で命懸けで頑張って下さった皆さん、心からありがとうございました。
私の祖母も満州から1歳の母を背負って船に乗った時の話をしてくれました。
陸から船までは幅30cmくらいの板が渡されていて、ふわふわと上下に揺れてものすごく怖かったんだそうです。とても怖がりな祖母だったので、思い出すだけで身震いするので、誰にも話せなかったようです。80歳過ぎてから、ようやく話してくれました。私も初めて聞いて、よくぞ生きて帰ってきてくれました!って感謝しました。
有難うございます、感謝。
そういう話を伺うにつけいわゆる「中国残留孤児問題」と言われていた、我が子を置き去りにして命からがら還ってきた人たちを責めることはできませんね。そしてそういう証言はまず、表に出てこないでしょう。心なく批判するようなバカが絶対にいますから。
貴重なお話、ありがとうございました。コメント欄もとても有意義です。
無事に日本に帰ってきてくださり貴重なお話をしてくださりありがとうございます。私の祖父は、海軍航空隊の飛曹長をしていたと聞いています。人吉の海軍航空隊にいたことがあり、人吉で亡くなりました。
戦争は絶対にしてはいけない。二度としてはいけない。二人の祖父が言っていたことを、今とても重い言葉だったと感じています。祖母たちもイラク戦争が始まった時に、テレビで報道をみていて、その時の表情が今でも忘れられないほどでした。
今、戦争をしている人たちにも見てもらい、戦後80年も間近にも関わらず未だに自分たちが馬鹿々々しいことをしているのだと感じてほしい。戦うことを強要した政治家から権力を取り上げて、もうこんな悲惨な状況をすぐにでも止めてほしい。
忘れてはならない大変貴重なお話をありがとうございました。どうかこれからも体調に気を付けながら、いつまでも長生きしていただきたいと思います。
最後に、大変な時代を生き抜いてこられたことに、お疲れさまでしたと言わせてください。
私は、約30年前沖縄に修学旅行に行きました。女子校だった事もあり、ひめゆり学徒隊や、しらゆり学徒隊だったおばぁ達語り部の方々のお話がしばらく頭から離れなくなり、帰ってから友達とひめゆり学徒隊について描かれた映画を沢山観ました。色々調べたりもしました。
今年は、我が子が修学旅行で広島を訪れました。言葉にし難い想いを抱えて帰って来たようで、帰宅後話をしながら泣いていました。戦争は本当に何も生まない。生むどころか無くしてしまう。両家の祖父母が戦争について、多くを語りたがらなかった気持ちが解る気がします。
母方の祖父は、ハワイにもレイテにも居たようです。
父方の祖父は酷い風邪を引き、特攻隊に行く前に終戦を迎えた様です。
2人とも体に銃弾の跡がありました。
祖母も竹槍訓練の話をしてくれました。
貴重な体験をお話下さりありがとうございました。
胸に刻んで生きていきたいと思います。
大切な事を教えてくださり、有難うございます。
素晴らしい😂語りべ❤
無事に帰国❤️
ありがとうございます!
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国会でこの動画をみせる必要があります。
ありがとうございます
動画ありがとうございます
良いはなし
この世で一番大切なものは 愛 です
思いやりです😊
戦う人たちに感謝を込めて😢
貴重なお話し、ありがとうございました。
おじさんに聞いた話を伝えていきたいと思います!
想い出すことの辛いお話、貴重な実体験をお聞かせ下さりありがとうございます。先輩方の大変なご苦労があっての今日だと改めて英霊の皆様
日本を再建してくださった先輩方に本当にありがとうございました。と感謝もうしあげます。命を繋いでいただいて今生かしていただいてる自分に何ができるかと問うております。
大変なお役目ご苦労さまでした。
皆様の天命が全うされますように
日本の天命が全うされますように
世界の天命が全うされますように
地球の天命が全うされますように
我々の天命が全うされますように
世界が愛で包まれますように🙏
この動画を見て、コメント欄の方々がどんな年代の人なのでしょうか?最近は、自国に愛国心がない方や若い人なんかは、戦争に行くのなら逃げた方が勝ちなんて言う人もいるとか…😅 不安に思います。 戦争は我々国民が始めるのではなく、政治家の人が決定し始めてしまうのです。そして多くの戦争は国にとって軍需ビジネスであり人の命など、本心ではどうでも良いはずです。 国を変えたいなら、国民が結束して自らが政治家と言う気概が欲しいですね。戦争はしなくても良い行為です。しかし、攻めて来られたら向かい打つ気持ちは失ってはなりません。戦争を経験した人は、偉くもありませんし、美しくもありません。只々必死に生きていた。それだけです。この動画をみてどの様に感じるかは、それぞれですが、時代という時計は、巻き戻りはしません。今を生きて下さい。そして戦って守って下さい。あなた方の人生と言う世界を
「世界に誇るべき」貴重なメッセージです。勝っても負けてもいいことはない...
知覧からの手紙そして人間魚雷 母上今まで育てでいただきありがとうございました今から回天で敵艦に突入します さようなら
貴重なお話ありがとうございました。後世に語り継ぐ内容です。
戦争は政治の責任。外交の最悪のシナリオです。政治家、官僚の皆さん肝に銘じて下さいョ。
税金で暮らしているあなた方の責任です。
国のために、青春を捧げた人たちは英雄であり、どの国も、敬っています。日本だけが蔑む。GHQの洗脳は本当に凄い。タヴィストック研究所で、研究しただけのことはある
もっともっと長生きしてください。
故祖父より土浦はもの凄く厳しい連帯責任の日々で先輩は特に厳しく、海軍精神を気絶するほど叩き込む慣例があったと聞いてます。しかし食べものは沢山あり、10分以内に全て食べないといけなかった。毎日服装備品検査もありその記録が今も残ってます。その後横須賀海軍航空隊へ配属となり、タコ壺特攻訓練を受けたらしい。生身の人間が地面に穴を掘り、そこに手榴弾片手に入ってひたすら敵を待つ中での終戦。
戦争末期飛行機なんてもうなかったんです!
旅順で戦死した兄の跡、家を継いだ曾祖父は陸軍で満州駐箚後に建築職人として生きた。祖父は父の背中を追うように建築技師を目指してやがて海軍の七つボタンへの道を進みました。戦争経験者は地域で軍神として慕われ、敬われた経緯があった事もよく考えなければならない。
涙
まあ私の叔父も予科練に無理やり入れさされたが、祖父が将校だったので特攻に行くことは無く無事帰ってきたかが、もう戦争まして予科練なんか二度と行きたくないと言っていた。
しかし祖父は戦争ほど楽しいもんは無い、もう一遍行きたいが口癖だった。
もう一遍行きたいの本音は、芸者遊びの事だ、芸者を何十人も引き連れて他国で見物、観光している写真がいっぱい出てきた。
私の父も予科練帰りでした。戦争の話しは一切しませんでした。が「君に忠、親に孝」😢「武士は喰わねど高楊枝」と笑っていました。母は東京大空襲経験者でした。7人姉弟のうち、5人戦死したそうです。生き残った母方の祖母は私を大変可愛がってくれました。祖母も母も父もよく笑っていました。ただ、子供心に眼の奥の哀しみが見えていました。篠原さんを見て当時を思い出します。😂😂
私の父も篠原さんと同じ年に生まれて予科練に志願して行ったと言っていました。
やはり特攻に行って国を守って死ぬのがかっこいいのだと思っていたそうです。当時の教育で洗脳されていたのですね。終戦後、進駐軍を見て「こんな国と戦争をやって勝てるはずはなかった」と思い知ったそうです。
「戦争は絶対に二度とあってはならない」と常に言っていました。多くは語りませんでしたが、悲惨な状況をたくさん目にしたのだと思います。
私の祖父のお兄さんは、シベリアで亡くなりました。弟の祖父は先日亡くなりました。天国で再開していることを願ってます。大好きなおじいちゃんのお兄さんだから、会ってみたかったな。シベリアでは、すごくつらい思いをたくさんしたんだろうなと思います。この方を通して、シベリアでなくなった沢山の人たちが、自分たちの思いを伝えているような感じがしました。戦争は勝っても負けてもだめ、やらないのが一番。これだけは譲ったらだめですね。
篠原先生。あなたは私たち国民の立派な先生ですよ。
戦争の話し全然してくれんかったなー😢よっぽど悲惨やったんやろなー
家🏠の親父も゙知覧の特攻隊のお見送りをした🥺👮😎😭😾
壇上で話された卒業生の特攻兵の先輩はほんとは生徒達には後に続いて下さいって言いたくなかっと思います…。本音が言えない気持ちがよく分かります。
本心は戦後の日本を支えて下さいetc.…など言いたかったと思う
自分の父方の曽祖父は、ニューギニア方面での海戦で生きて帰り、帰港した広島で入市被爆をしました。後年は被曝の後遺症によって亡くなり、私が生まれる前には亡くなってしまっています。そして曽祖父の兄弟は、中国戦線にて戦死したため、私は伝え聞いた話しか知り得ません。こうした記録を映像に残されることを心より尊敬しております。
ありがとうございます。
先人達の想いそれは二度と同じ思いをこれから生まれて来る子供達は経験して欲しくは無い。
日本中の人が観ると良い
世界中の人達が観ると良い
よくいきのこってくださった。
特攻隊員(回天も含む)達のシは連合軍からの攻撃ではなくそんな作戦をたて実行させた日本だと思ってる
先人たちの皆様、散らさなくてもよいはずの大切なお命を奪ってしまい申し訳ございませんでした
エンドに流れる曲をご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか?
"Homeland" という曲です。アーティストはJenna Carlie & Searching for Light。
この動画に相応しいエンディングですよね。
TH-camで見れますのでぜひ。
戦争を生きた方に
小野田寛郎さんに対してどう思うか?
お尋ねしてみたい。
私は不憫でならなかった。
手書きの地図が見たかったです。カメラが動かせなかったのでしょうか? 残念です。
天台宗の千日回峰行満行の大阿闍梨、酒井雄哉師は鹿児島の予科練にいたそうです
お話しの途中で出てきた、米軍の攻撃で地面に空いた穴をひたすらスコップで埋めるのが役割だったとか
マスメディアで有名になった際に尾ひれはヒレが付いて「特攻隊の生き残り」のような美談にされかけて大変困り、ご自身で訂正されていました
命懸けで飛び立った方々と一緒にされてしまうなど恐れ多い、と思われていたのではないでしょうか
当時の外務省、ソ連の動向はわかっているはず、満州の開拓民を逃がさない。ドイツの兵のシベリア送りを知っていたはず。動かない政治家、
しかも本来国民を守るべき関東軍は南方に戦力引き抜かれて弱体化しているとはいえ、仮にも軍隊がしんがりもせず国民を守らず先に逃げたというね
シベリア抑留は厳しい寒さと労働で命を落としたと聞いたことがありますけれど、奇跡的にに帰還した人々が「赤」の容疑で差別を受けたことは知りませんでした
家のハンコを勝手に持ち出し予科練を受けたと後から知りました。
戦争を知らない若者が戦争反対と国会議事堂前で騒いでる…
なんの説得力もない。
現実に体験者としての言葉は、
胸に深く突き刺さる…