人生が、ただなんとなく寂しい理由とは【仏教の教え】
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- เผยแพร่เมื่อ 7 ก.พ. 2025
- 重篤に陥った60代のコロナ患者が回復した後にこんなコメントを残しました。
「ICU(集中医療室)に運ばれ、人工呼吸器を装着され、呼吸困難で意識も混濁し始め、「オレはこのまま死ぬのか」とうろたえた。その時、死ぬのがとてつもなく怖くなり、なんて孤独なんだろうと思った」
蓮如上人の御文章の有名な一節「死出の山路の末、三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ」の一節を思い出すコメントでした。
家族全員乗せた車が事故に遭い、全員一緒に死亡した時もやはり独りぼっちです。
一人一人行く世界は違います。
「オレはこちらに行かねばならない」「私はこっちだ」と親子、兄弟、みな散り散りになり、めいめいの方角に散っていく。
業(カルマ)に応じてみなそれぞれの世界へと旅立っていく、と仏教では説かれています。
来世で一緒になろうと帯で二人の体をぐるぐる巻きにして入水自殺しても、二人はそれぞれ違った方角に旅立っていく。
この世、いろいろな人と心を通わせ合っても、一人旅の途中に一夜の宿を共にしたということであり、朝が来れば、まためいめいの方角へと旅立っていくのです。
そんな一人旅であることを薄々感づいているから、私たちは何を手に入れても誰と一緒にいても、いつも寂しく、虚しいのです。
101歳で亡くなった中曽根康弘元首相は、卒寿(九十歳)を迎えた際、今までの人生を振り返ってこう述懐しています。
「長い間、けんかしたり、仲良くなったり、倒閣をやったり、倒されたりしてきたが、まだ何も分かっちゃいない。夢の中を、さまよっているような感じだな」。
これこそ大義だとやってきたことが、虚しく感じられるのも、独りぼっちで旅立たなければならない旅路の仮の宿がこの世だと人生の晩年にふと感じたからなのかもしれません。
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kikutaniryuta....
(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
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成功されているいわゆる“勝ち組”とされる人でさえ底知れぬ孤独を感じることがある.そしてわたしたちはこの世を放浪する旅人である.だから孤独なんですね.死後奈落の果てに落ちるとも曲がりくねった道を行くともわからない.僕はそれでもこの苦しみと孤独の人生を生き抜きたいです.菊谷先生、今日も大事な教えをありがとうございました.
今日も大変,学びになりました。私は、小学生の頃から家族はいるが、さみしく、何をしてもむなしかった。そして、大人になり、仏教の教えを知る事が出来,幸せです。本当の幸せになるまで仏教聞かせて頂きます。
今日もお話しありがとうございます
僕が感じるこの世界には天国も地獄も全て混在された水の中を泳ぐ魚のように感じます
群れる魚や逃げ回る魚、追っかける魚、自由気ままに泳ぐ魚、色んな魚がいます
その水の中には天国も地獄もあり温かな水や氷つきそうな水色んな環境があってその中をひたすら生きてる
僕は寿命が来るまで一生懸命生きたいと思います
心境の変化は愛別離苦を経験して何故かあまり不安を感じなくなりました
生きる意味もいつかくる死もあれだけ感じていた孤独感もなくなり自分の生き方も何故か変化しつつあります
あまり自分の為にどうこうしようとするより人の笑顔を思い浮かべると何故か明るくなります
僕には子、孫はいませんが甥っ子やその子達が喜ぶ顔が何故か嬉しいんです
もし自分に子や孫がいたらそれ以上なのかもしれませんがそれだけでなく父の介護で父にありがとうや御飯を美味しいと言ってもらったら凄く嬉しいです
そういう気持ちで寿命まで一生懸命生きたいです
不思議と介護等もあまり辛く感じなくいます
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。〜無常を観ずるは菩提心の一なり、なぜ生きるかを知ってこそのどう生きる、目的あってこその手段です、聴聞続けていきます〜今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。心より深く感謝申し上げます。〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
菊谷さんの説法は心の内に入って来るようでいつも学ばせて頂いております。
色々な話を色んな角度から聞くことができて智慧としてとても楽しいです。
これからも楽しみに観させて頂きます。陰ながら応援しています。
有難うございます。
いつも自分を振り返ったり、今やるべきことと目標にしている事に対して目を逸らさないことを教えて頂き感謝します。
何となく寂しい、虚しい・・・いつも感じていましたが今回のお話ではっきりした事で、胸のうちがスッキリしました。特に夏の終わりの寂しさや虚しさと言うのは日の光や温度、草木やあらゆる生き物が一斉に「命」とエネルギーを一心に使い生存競争をしている時期でもあるからこそ、その季節が終わることに対して寂しさや虚しさを感じるんだな…と気付かされました。ただ漫画のセリフで恐縮ですが、次の言葉も当てはまるので書きます。
「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ、死ぬからこそ
堪らなく愛おしく、尊いのだ
強さというものは、肉体に対してのみ使う言葉ではない」 煉獄杏寿郎
この虚しさも受け入れてやるべきことをやればもうそれで天に恥じないでいいって事で自分は答えが出ました。ただ孤独でも生き物は一人で生きていると勘違いしてはいけない、傲慢になってはいけない事を常に忘れずに生きて死に向かっていきます。
気づきを与えてくれる動画を感謝します。
そうなんです、いつまで生きるかも解らず、漫然と生きてるんです、楽しい事があっても楽しかったな、と思うだけで一日終わります。どうしょうもないです。
菊谷先生の話を聞いてから、生活が、明るく楽しくなりました。
なぜ生きるか?という人生の目的を自分の中に持つべきだなと思います。
ただ、聴聞も重要です。聴聞を続けることで人生の目的を理解できると思いますので。
今日もありがとうございました。
心の支えになる動画をいつもアップしていただき本当に感謝です。
今日もありがとうございます🙇
人生ってなんとも淋しいですね
先を見すぎると暗くなりますね…真理なんですけど…。
今はたくさんモノを見て、失敗も含めていろんな経験しないと…全部タカラモノだから。
大悲の願船かぁ…
帰る場所が定まって出迎えて貰えると安心かも。魂の故郷はどんなところかな…みんなが集まるところならきっと寂しくない… 自分への執着も捨てられるようにならないと。例えこの身が消えようと全てお任せだなぁ…
こんなにも苦しい人生‥辛い人生‥悲しみに満ちた人生‥孤独で寂しい人生…死んだ後は、せめて天国に行けると信じたいと思います。
こんばんは。❤いつもありがとうございます。❤
いつも尊いご説法ありがとうございます。
今日も大変感動させていただきました。
@userーshow−gaさんのコメントとても素晴らしいと思いました、せっかく親から与えて戴いた命人間として産まれるのは極僅かだと聞いています。私達人間は此の世に命を高める為に繰り返し修行に出て来るのだと、限られた大切な命と時間、崇高な精神で人の喜ぶ事が自身も嬉しいなんて、それだけでとても幸せな人だと思います。限られた命だから尚更後悔の無いよう精一杯生きて此の世と別れる時が来たら潔く旅立つ覚悟をするのが望ましいと思います。又産まれ変われるのだそうから。
虫歯で苦しんでる最中に寂しさを感じる人はいないでしょう。心配してくれる人がいなくて寂しいと感じるのは治療が終わってからです。
寂しい それは暇で健康だってことですね
寂しさを 感じる余裕 ありがたや 貧乏人は 夜も眠れず
親鸞聖人が、流罪にされた恩師・法然聖人との別れを嘆き、『会者定離 ありとはかねて聞きしかど 昨日今日とは思わざりけり』という歌に、法然聖人は『別れ路の さのみ嘆くな法の友 また逢う国のありと思えば…』と返しています。どんなに遠く隔たり、この世で二度と会う事も無いかもしれない、でも、阿弥陀仏の本願に救われたお二人には「阿弥陀様のお浄土で必ず再会できる」のだという歓びがある。この歓びの世界こそが、過去の遠い昔から、全人類が求めて止まぬ『真の幸福』なのだと思う。
ありがとうございますー運の悪い人生は侘びしい人生ねーお金に縁がないね
菊谷先生
ありがとうございます🙇
ありがとうございました。
人はけして根本から理解し合えない孤独なものと仏教は説きます。
愛する誰かも、我が子も、寂しさを紛らわすものであったことを知ればこそ、孤独からの解放にはならないことが分かります。
人生という同じ丼に放り込まれても、完全に混ざり合えない、ラーメンの中の脂と水と具材のようなものです。
寂しさがあるから友達を作る時、恋人を作る時にあんまり年齢を気にしてもしょうがないかもしれません。年齢が近いから業界が合うとも限りませんし。
確かに お話の通りだと思いますが 死ぬことが必ずしも 負け、とか暗いものではない。 と思います。😅
菊谷先生の説法を聞いたあと、
テレフォン人生相談を聴く。
人は、我欲にまみれ人間関係に悩む。
其処には、貧富の格差も老も若きも関係ない。
ただ、生から死への時間が流れているだけ。
自らの幸不幸は、自らしかわからない。
他者が何を言っても。
結局遅かれ早かれ人間は「死ぬ」、ならばその抗えない真実にしっかりと向き合い、腹の底からトコトン覚悟を決めることができれば、今までには見たことがないような世界が見える・・・。そんな教えなのでしょうか?
瞑想で寂しさを取り除き、
善行で徳を積む。
これでいい。
かつてソクラテスは述べた。死は怖くないと。
そんな事ないですよ。私は人生を自ら楽しく、明るく歩んでます。落ち込んでいるときはなんか寂しさを感じますが「寂しさ」は人の力、自分の力で克服出来ますよ。人生はネガティブ思考じゃ駄目。明るく明るく前へ前へ前進しなくっちゃ
私の父母は霊界で私に会うのを楽しみにしているが、私は初恋の相手との再会や生まれてくる子供を愛することを楽しみにしてます!つまり、人生とは1度限りではないのだ!霊界で安心も得られると感じていますよ!ところで、心中する男女は死など怖くないものだ!貴殿のいう死の先が暗いというのはウソだと思います!私は地獄の主もしているが、一体私たちの魂の何が暗いのでしょうか?菩薩のような心でいれば、衆生を愛敬する中で、心は寂しくはないのではないか、と思うのです!また思うに、死がそんなに難儀なら、死線を越えて特攻した兵士は勇敢すぎるし、その死後多くは、実際に天上界に生まれましたからね!貴殿の話では、兵士がみんな臆病者になってしまうよ!武士道とは死ぬことと見えたり!葉隠精神バンザイ🙌!
TH-cam CMばっかりですね
仏教には歓喜がないのですか?