玉音放送 ロッキード機の銃撃 ラバウルの原住民 博宣様 98歳 昔話ちゃんねる
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 15 ต.ค. 2024
- 戦争体験談 ロッキード機の銃撃に遭う...戦地で原住民に助けられる... 博宣さん98歳 昔話ちゃんねる
※あくまでも一個人の記憶を頼りに語られた回想録です。多分に主観的な要素を含んでおります。これらの記録が当時の全てだというつもりはございません。批判的に観ていただければ幸いです。戦争を美化するつもりもありません。これからアップする他の動画も見て頂ければご理解いただけるかと思います。
昔話ちゃんねるは、日本の失われゆく記憶・経験・時代の心を「語り」によって伝える活動をしています。おじいさんおばあさんの話される昔の話が、皆様にとって何らかの糧になると信じています。
お年寄りの方の土地言葉、語り口も味わっていただければと思います。
取材に協力してくださったお年寄りの方と、ご視聴いただいている皆様の応援で成り立っています。更新頻度は少ないですが、これからもよろしくお願いします。
前回の動画↓
戦争体験談 17歳で志願...海上で爆撃を受け撃沈...九死に一生を得る...ラバウルの海岸で原住民に助けられる 博宣さん98歳 昔話ちゃんねる
• 17歳で志願 乗っていた船が撃沈 死生観 博...
【SNSでの活動】
Instagram
www.instagram....
Threads
www.threads.ne...
TikTok
www.tiktok.com...
Facebook
X
準備中
関西の方ですね、、貴重な話ですね。うちの父も大阪で戦争体験者でしたがあまり話聞けずでした、いもご飯ばっか食べてたというのはききました😅
コメントありがとうございます。奈良県です。
私も祖父が戦争体験者でしたが、あまり聞けず亡くなってしまいました。
動画で話されているおじいさんも、戦時中と直後は芋ばかり食べたと聞きます笑
亡き母も自分が子供の頃に母ちゃんは芋類が苦手やと戦争中に芋類ばっかり食べてたからと…疎開体験して高松空襲を見て焼夷弾が赤く光って落ち遠くから見て空が街が赤くなってたと…亡き父は昭和8年生まれ…苦しかったのか、あまり当時の話しは無かった
@@宮田敬三お芋も今のように甘くて美味しいものではなかったことでしょう。戦時中の体験が壮絶で、語ることのできない方もいらっしゃいますね。
「西へ工場」じゃなくて、西飛行場、「東へ工場」ではなくて東飛行場、この人は激しかったラバウル邀撃戦の最中に戦場に到着して、19年の2月14日にトラック島がやられて、ラバウルに居た204空の零戦が全機、トラックに移動し、飛行機が無くなってからも、終戦に至るまでラバウルにいたんだな。インタビューアーが事前に戦局の推移を勉強してから聞いてくれていないから、食い物の話に終始しているのは残念、ラバウル航空隊における零戦整備の現場などについて聞いてもらったら、整備兵から見たラバウル航空戦がききだせたのにと思う。
コメントありがとうございます。大変お詳しいのですね。間違いを訂正してくださって感謝いたします。ありがとうございます。
勉強不足なのは承知ながらも休みの日に、お年寄りの方を訪ねては、あらゆる昔の話を聞いてまわっています。
かの零戦「虎徹」こと岩本徹三氏と同時期ぐらいの戦況時ですな😀😀😀
へこうじょう→飛行場なんやな
ロッキードってP-38やな
永久保存。感謝
ご視聴ありがとうございます。
204空がトラック島に撤退後に、廃棄された零戦を組み合わせて、2機ほど稼働させてたはず。
占領された島の攻撃に使用され未帰還になったと思います。
その組立や整備に関わられた可能性あります。
ご存命なら、お聴きして欲しいと思います。
うちの死んだ婆さんが104だったけども7年前だからこの人の言ってることはなんとなく時系列的に合っているんだろうなうちの爺さんは満州に行ってたらしい(笑)