【国鉄時刻表】1978年10月敦賀駅北陸本線下り JAPAN TSURUGA station ;HOKURIKU LINE time table 1978
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- เผยแพร่เมื่อ 18 ก.ย. 2024
- 【時刻表の紹介】
1978年10月の
敦賀駅 北陸本線 時刻表です。
現在は北陸新幹線の開業により、
遠距離輸送の役割を新幹線に譲っています。
特急銀座として有名になった理由が伝わってくる時刻表です。
当時の雰囲気を味わうための参考としていただければ幸いです。
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#国鉄 #鉄道 #北陸本線 #敦賀駅 #発車時刻表 #時刻表 #北陸新幹線 #白鳥 #過去鉄
北陸自動車道の米原~敦賀が開通して全通したのが1980年。
それ以前の鉄道全盛期のダイヤ、とても懐かしく視聴させて頂きました。
急行立山の最速便が1970年前後に米原→敦賀を31分くらいで駆け抜けてました。
北陸新幹線の敦賀開業で爆誕した深夜の快速に負けない速さで、急行の面目躍如ですね。
デッドセクションの関係上、米原から来る普通列車は客車列車やDCが多かったんですよね。あと、急行ゆのくに、これより少し前は能登半島の輪島と珠洲へ直行する気動車急行がありました。
「客レ」あり「DC急行」あり「夜行急行」あり「ブルートレイン」ありの『なんでもあり』の終末期ですね。ブルートレインブーム真っ盛りでEC特急(先頭車が貫通型のみ)にイラスト入りヘッドマークが採用されて、心を躍らされた時代でした。
急行大社福井行きという時空がねじ曲がったとしか思えない行き先表示に思わず胸が熱くなりました。
それって、金沢行がこの頃に福井行に短縮されたものですね。
ちなみに、名古屋行と併結されていたはずですが、この動画は北陸本線下りのみを取り上げているので、割愛されているのでしょうね。
大社号といえどもこの改正で福井発着の車両は天橋立までになったような気がするのですが。
もともと直通需要も少なく、先に行く乗客は途中で名古屋発の車両に移るだけですみましたからね。
連結された車両に乗り継ぐ場合でも急行券は一枚で良かったので。
いつもありがとうございます。
今ではJRではなくなったところの時刻表ですね。
敦賀から長い北陸トンネルを抜けると北陸に入ったことを実感したのでしょうね。
長距離は新幹線に全てを移したものの、北陸本線の大動脈としての歴史は永遠に語り継がれます。
まだ現地の鉄道を使ったことは有りませんが、機会があれば特急王国時代を偲びつつ、景色を見ていきたいと思います。
リクエストとして今回E8系が投入された山形新幹線の山形駅や新庄駅、新型のやくも号が走り出した山陰本線の出雲市駅の過去の姿を取り上げていただけると幸いです。
特急街道全盛期で急行もまだまだ活躍していたいい時代...
「北陸は さらに遠くに なりにけり」
客車時代の青森行ききたぐにも健在でしたね。
14系座席車の急行「加賀」も懐かしいです。
まさに北陸特急銀座でした。
特急しらさぎが昭和39年10月となっていますが実際は昭和39年12,月25日です。これは使用する481系電車の製造が間に合わなかったのと、富山までの複線化を待ってのことだと何かの鉄道雑誌に載っていました。勿論特急雷鳥もです。ところで雷鳥に583系が使用されたのはゴウサントウダイヤ改正からでそれまではしらさぎ1往復にヨンナナサンダイヤ改正からそれまでのつばめに変わって使用されるようになりました。当時は南福岡電車区所属でしらさぎのために耐寒耐雪工事をして別のグループに分けられていました。尚ゴウサントウダイヤ改正ではしらさぎからは撤退しています。
1978年大學1年の私は初めて特急雷鳥で福井に行きました。もう雷鳥はいなくなったのですね。本物の雷鳥よ生き続けてほしい!
1978年10月「普通列車 少なすぎ。まともに 通勤できるか」
列車本数は少なくとも車両数が長かったですね。
@@TSUYOS185
本数の方が必要なのでは、、
朝寝坊できないし、腹痛で電車乗り遅れもあるかと思うし、、
地方の方は大変ですね
@@MN-lc4ewさま
国鉄→JRで首都圏や近畿圏以外で普通電車の多頻度運行が開始されたのは1980年代になってからです。
この地域の場合急行の特急格上げで余剰となった475系や用済みとなった583系を改造して通勤用の車両として長年使われてきました。
ただ、地方ではその頃から車社会が形成され、道路整備が進んだことから幹線といえどもバブル期と比べて普通電車の本数が減っているのは事実。今は鉄道の時刻に合わせて登校や下校の時間を設定することも当たり前に行われています。本数の減少で部活動が出来ないというケースも散見されるようになりました。
集客の施策としてはぴラインがどう手を打つかですね。
@@MN-lc4ew
当時はこれが普通だろ
今日は先月北陸新幹線が開業した敦賀駅ですね!この頃は普通列車はEF70orEF81牽引がメインでしたね。因みにこの年のダイヤ改正から特急のヘッドマークは絵幕になり、カラフルになったんですよね。後白鳥はこの当時青森の1000番代or1500番代でしたね。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
長岡行きの列車があり、まだまだ1960年代の長距離鈍行の名残がある時代ですね。
まだ米原発の普通列車や急行のきたぐに号はEF70の時代でした。湖西線経由の日本海号は大阪~秋田がEF81でのロングランでした。
田村駅でDE10から付け替えていました。一見合理的ではない運用方法ですが、製造費やメンテナンスに手間のかかる交直流両用の機関車の増備を抑制するために行われていたのではないでしょうか?
晩年のトワイライトエクスプレスや日本海号はEF81の車庫が敦賀だったこともあり、この敦賀駅で大阪行きの列車の機関車交換が行われました。
このころはまだ時刻表だけ読んで楽しんでいた(変わった)子供でしたが、やはり昭和30~60年代が一番鉄道旅行も時刻表も楽しかった時代ですね。
それはさておき、北陸新幹線により東京と北陸との移動は便利になりましたが、関西と北陸・新潟との移動は著しく不便になりましたね。京都大阪から新潟まで雷鳥かつるぎで1本だったのに、今はわけのわからない乗り換えばかりで、新幹線で東京に回るしかないという感じです。
いや、昭和40年代までは、輸送力増強しても列車は常に混雑で、「楽しんで」はいられないよ😉
列車の◯◯号数が下りは奇数、上りは偶数化されてます。
雷鳥の本数は多いし、北越を統合したから新潟行雷鳥もありました。
富山地鉄乗入れ列車が懐かしい感じです。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
名鉄→高山本線→富山地鉄の列車もありましたね。ユニークな列車がまだ残っていた時代でした。
485系と457系が活躍していた時代ですね
それらも魅力的ですが、快速富山行きに乗ってみたくなりました、お弁当とふにゃふにゃ感のお茶持って
特急日本海と急行きたぐに乗ったことあります
きたぐには新潟行に成っていましたが
まさに早朝から深夜まで、優等列車に事欠かさない路線ですね。
かつては日本海側のメインルートだった路線も日本で3番目に短い本線になってしまったと思うと、切ない気持ちになります。
昼間に突然、長岡行きの普通列車が現れたのは衝撃でした。あと、急行立山3号…。大阪〜敦賀間を5時間ということは、今の新快速の倍以上かかっていたということですね。時代の違いを感じました。
1978年10月ダイヤ改正時の加越7号(米原→金沢)は表定速度86km/hで、当時在来線特急では最速を誇った俊足特急電車
そうでしたね。のちに、一時期、この区間で「きらめき」という速達型特急があったこともありました。
端折ってなんですが東北線特急が首都圏での減速をさせられたのでたまたま成った感は否めませんでした。改正前のはつかり上り1号よりは😅😅😅
この頃の富山〜金沢間のユーザーです。
ピンク&肌色の475系の快速によく乗ってました。
富山発の福井・敦賀・米原行きでした。
金沢から快速を逃して、敦賀12時08分発長岡行きの旧型客車も乗ってたはず、
(車内は)木造でボロい、高岡で特急に抜かされ待たされるetc…古い記憶を思い出しました。
北陸新幹線の開業に伴う第三セクター化された、元北陸本線の敦賀駅福井方面の時刻表と照らし合わせることで、北陸新幹線開業後の地域輸送全集中ダイヤを際立たせることでしょう。
少なくともサンダーバード時代の北陸本線(681系・683系)では普通電車が1時間間隔で運行されていたと思います。
北陸線はこの頃のダイヤが、最近の新幹線敦賀開業まで半世紀ほど続いたのがある意味驚きです。
かつては青森、北海道へ行く列車も多数あったのが、新潟すら行かなくなり、富山すら行かなくなり、今や敦賀まで・・・。
昔から高需要路線だっただけに、昔から列車は充実していましたね。
寝台特急つるぎ、はじめて時刻表で確認したときは驚きました。
京都から糸魚川まで客扱いなし。福井も金沢も富山も無視、
凄い列車が出来たものだと感心しました。敦賀といえば電気機関車
の付け替えが風物詩でしたが、新幹線開業でどういう景色になるのでしょう。
寝台特急つるぎ、乗りましたが、ほとんど眠れず....
福井・金沢・富山と運転停車していましたね
富良野の次は敦賀
劇的に変化を遂げた駅の時刻ですね。
京都・大阪・米原方面としては新幹線接続始発駅
対して金沢方面は日本海縦貫線から東京へ向かう新幹線始発駅
敦賀延伸に伴い、福井の経済圏も地域によっては東京指向になる地域も出てくるかもしれませんね。
北陸地方は新幹線開業前は圏外の大学進学の際首都圏、名古屋、京阪神と多様でしたね。
石川県や富山県からの大学進学が東京側になるのと同様、福井県も同様の道をたどるような気がします。
新幹線が開通したお陰で、普通列車が充実した事に感謝しましょうね。
雷鳥、今見ても遜色ない本数出てて驚き
寝台特急になる前の約半年間つるぎは急行として新潟へ延長されました。富山へは新潟延長前と粗同じの朝6時過ぎに到着していて新潟には午前10時過ぎに到着していて寝台特急になってからは、午前8時過ぎに到着していました。寝台特急になってからは、戸屋とはえんもゆかりもない列車になってしまいましたが北陸新幹線の愛称になぜか採用され今回の北陸新幹線敦賀延長にもそのまま起用されているのは違和感しかない。富山には行かないつるぎが誕生してしまっているので、ここは長野始発のはくたかを合わせて廃止されている白山に改称したほうがスッキリすると思う。その昔白山は急行時代のごく一時期に福井に延長していた実績があります。それに愛称と行き先とはいえつるぎと敦賀は一字違いで紛らわしい。
この時の東京~北陸のアクセスは東海道新幹線と特急しらさぎ、加越の一択だった
寝台特急時代の「つるぎ」は富山を深夜に通過だったので、車窓から剣岳を望むことができなかったのですね。
急行時代はつるぎ号は富山止まりだったものが特急では新潟行きになりましたからね。もっと気の効いた愛称にしてもよいような気がするのですが。
@@TSUYOS185 そして、その名前を富山~敦賀間の新幹線の名称にしてしまいました。
名称の由来すらよくわからなくなっています。
北陸本線が特急街道と呼ばれていた華やかな時代を象徴するような時刻表で見ているだけで楽しい気持ちになります
急行くずりゅう号や立山号、特急白鳥号や加越号、寝台特急つるぎ号に日本海号と今は無き列車が数多くみられて、懐かしさと共に寂しさも感じました
新幹線網の発達により便利になった事は喜ばしいですが、その分在来線の長距離列車が無くなるのは、列車の旅が好きな私にとっては寂しいものがあります。
新幹線🚅は列車じゃないの?😋
@@psychedelicraspberry517
勿論、新幹線も列車ですよ
私の感覚としては、新幹線の旅と在来線の旅では全く異なる楽しさがあると思っています
新幹線網が発達することで新幹線で味わう旅の楽しさが増えて、それは喜ばしい事だけど
その分、在来線の優等列車や長距離列車が縮小されて寂しい気持ちがありました
今回の動画では、昔味わってい在来線旅を思い出して懐かしんでいた
という事が言いたかったのです。
三セク銀座 北陸三セク連合(ハピラインふくい、IRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン)
三セク銀座に なってからは 新駅が 増加したり,ラッシュ時の 輸送が 改善されています。
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
地域輸送に舵をきったように思えますね。地元の方々に愛される鉄道として活躍してほしいですね。
新幹線開通後に三セク化したとこはどこも厳しい(運賃値上げ、どうしても学生高齢者頼みな構造、人口減少がより早い、マイカーに押されがち等)ですが、ホント頑張ってほしいですね
新幹線の新たな開業駅、急行“くずりゅう”の停車パターンと重なるんですね。速くなったことを喜ぶべきなんでしょうが、このまま敦賀止まりだったら費用対効果の面でどうなんだろうとも考えてしまいました。
ただ、地域輸送の面では当時より遥かに現在の方が利便性が向上していますね。
雷鳥は1978年10月ダイヤ改正時は日本特急界最多の16往復と大所帯になる
金沢、富山、新潟と行き先は多彩
485系、489系、583系と車両も多彩
グリーン車2両、食堂車1両を含む全車12両編成は西日本を代表する名車を誇った
更に485(489)系はボンネットタイプ、非貫通型、貫通型と多彩
485系と583系は向日町(大ムコ)
489系は金沢(金サワ)
そして、583系は12連だがグリーン車は1両😁
普通列車(広義の意味での)の始発と終電を比較してみましたがこう見ると時刻を見るだけで特急街道の終焉を感じますねえ
始発
1978/10 敦賀0525⇒金沢0802
2024/03/15迄 敦賀0549⇒金沢0823
2024/03/16以降 敦賀0532⇒金沢0747
終電
1978/10 敦賀2116⇒福井2224
2024/03/15迄 敦賀2243⇒福井2334
2024/03/16以降 敦賀2322⇒福井2401(快速)
1:56についてですが、かつての北陸本線は「起点が米原駅」で「終点が直江津駅」です。(北陸新幹線とは反対)
道路も起終点が逆です。
北陸道は米原→新潟で、
並行する国道8号線は新潟→京都です。
まだ鈍行列車が残っていたんだ。急行くずりゅう、ゆのくに、立山、わかさも数を減らしながら健在の時代。加越が一番が大学受験、大学生の時に神奈川との往復で一番使ったな。んんん。敦賀って福井と関西の境界線だから、ここを出る時、大気圏を飛び出すみたいな感覚があった。
昔の国鉄のダイヤですね
普通より特急や急行が多いダイヤが顕著です
1時間に3本や4本も特急や急行これでは乗車率も少なかったのでは?
これでは赤字になるのも納得です
九州のにちりんや有明
もかなりの本数ありました
とにかく特急料金で稼ごうとする国鉄の考えが明らかなダイヤだと思います
ちょうど俺が生まれた時はこんなダイヤだったんだ。
ありがとう
特急たくさん走っていますね
今だとあり得ないね
少し前まではサンダーバードがたくさん金沢まで走っていましたが。。(略)
この改正から下り奇数上り偶数の番号割りが始まったのでひばり共々30号台迄達しました。(但し、ひばりは翌改正の減便で30号割れ)
リクエスト
1961年1月版JR東海道本線東京駅でお願いします!
2024年3月版東海道新幹線東京駅でお願いします!
こんなダイヤを組んどったら地元の人は乗ってなかったんじゃないんですか?🤔🤔🤔🤔🤔🤔
ハピラインの快速は急行と同じ停車駅
北陸新幹線敦賀延伸おめでとうございます
雷鳥を経てサンダーバードは廃止かと思われたが未だに現役で大阪からの新幹線連絡特急になる
しらさぎも名古屋から敦賀までになりこちらも新幹線連絡特急になる
しらさぎはまだまだ在来線最長の現役特急列車になる
リクエスト
2024年3月版JR東海道本線大阪駅でおねがいします!
24時間戦ってる?福井駅の方が面白そう😅
3:30 普通列車の長岡行きが載っているが、逆の列車は宮内→富山と美川→米原で乗った😉
朝ラッシュ時の各駅停車
メチャクチャ少なっ!あまりにも厳し過ぎる!😵💦
新幹線開業おめでとう。
そして、過去にさようなら…。
こういう時刻だから、尚更そんな思いが出てきますね。
あまり需要がなかったのかな。
地域間輸送完全無視の糞ダイヤだな。
その方針が現在の新幹線開業後の3セク化に繋がる…
昔から地元の方は近隣に鉄道を使う思想はなかったのか…???
@@user-bv9oy7uh8yさま
おそらく地元の市内だけで経済や生活が成り立っていたのでしょうね。
ともやん様の出されている各地区の主要駅の過去のダイヤを見てもその様子が分かります。
当時は、「電車ダイヤ」は東名阪だけだからな。地方は朝晩の通学列車なんとかすればなんとかなった😁
リクエスト
2024年3月版JR東海道本線東京駅でおねがいします!
いつもご視聴とコメントありがとうございます。
そういえば現在の時刻表をとりあげた事はありませんでした。検討させていただきますね。
@@tomoyankun 新旧比較としてもよさそうです。(ただ、1964年10月以降に東海道新幹線を東海道本線の線増という理由で時刻表に加えた場合、動画が著しく長くなる可能性がある。)