ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
大戦機で見ていて一番惚れ惚れする機体
戦闘機の中で一番楽しそうに、気持ち良さそうに飛んでる気がする
「陸軍は技術を軽視していた」という批判はよく聞くが、陸軍の方が保有する航空機の航続距離に見合った地道で堅実な作戦を主張していたように思うんだが。
皆様が隼を褒めて下さり、心が熱くなりました。私の祖父は陸軍航空隊に志願し隼を愛機として米国の戦闘機と戦った武士です。終戦後すぐ愛機を自らの手で燃やしました……米国に奪われるなら自らの手でと……今の自分より若かった祖父が共に戦場を駆けた相棒を今も我が日本国を植民地にしている米国などに奪われず自ら屠った事に誇りと尊敬を抱いております。祖父の愛機は尾翼が整備兵のヘマで黄色の塗料が付着したので怒った祖父が尾翼を黄色に染めたそうです。よく狙われなかったな……と。赤じゃなく黄色で三倍だったのでしょうか(苦笑)
まさに「隼」の名がふさわしい機体ですなあ。
鉄道隊の元陸軍のおじいさんと親しく、東南アジア方面でのお話をよく聞きました。残念ながらその方は亡くなられたのですが、ハヤブサの事はよく話しておられました。窮地を何度も助けられたと話していました。キラキラと光る機体で、飛び回り、何機かを相手にしても負けなかったと話していました。何と、追われていたハヤブサが、橋の下を潜り、1機落とした事があったとも話していました。
中島飛行機の作った飛行機はラインが美しい。
今では零戦の方が人気だけど戦時中は隼が1番愛された戦闘機なんだよね
隼は大戦末期でもアメリカ軍からその低空性能には恐れていた。P-38の撃墜王のマグガイアーも油断から撃墜された。
隼は戦争末期ですら連合軍から「油断ならぬ敵機」と認識されていた。
戦争にも負け、性能も劣っていたかもしれないけど当時の日本人が手塩にかけて作ったものだから誇りに思うね。
大戦末期、名機ゼロ戦も隼も既に旧式化していた。それでも連合軍パイロットたちから「隼は意外な動きをするからあなどれない」と言われた隼が好きだ。隼が故障して海軍のゼロ戦部隊の基地に着陸したことが有る。そのパイロットは、「ゼロ戦の群の中にポツンと駐機した隼がえらく華奢に見えた」と言っていたが、美しさでは隼の勝ちだ(笑)。
この動画は、東宝映画「翼の凱歌」の場面が使われていますね。
この前、仏領印度支那に進駐していた人の話を聞いたのだが、フランス軍の兵隊のほとんどがベトナム人で、日本軍を解放軍として迎えてくれたって。一応フランス軍の軍人なんだけどね(笑)。ところで隼は、大戦末期でも「隼は意外な動きをするのであなどれない」と、連合軍パイロットから一目置かれていたそうだよ。
機体も素晴しいが操縦者が凄い!
最後には工場から直接特攻した機体もあったらしいですね。なんか悲しすぎる。
これだけ軽快な飛行だと撃ち落とすのは難しい。カメラワークとのコンビネーションは、抜群ですね。
隼はシャープで格好いいですね。
ゼロ戦の方が高性能だと書籍で読んで育ちましたが、大人になって分かったこともあります。3枚プロペラで流線型に近いゼロ戦に比べ、隼は2枚プロペラで登場しデザインも無機質と思いきや、 隼は生産性も良く、防弾も考慮しつつ、13ミリ機銃を採用、そして正面から見てみると、ゼロ戦は中心に増槽か爆弾を搭載するのに比べ、隼は左右に搭載。 それでは片方だけ搭載した状態ではバランスが悪くなるのでないかと思ったが、それ以上に利点があったのではないかと思う。左右に搭載すると増槽や爆弾をプロペラ後流の邪魔にならないところに搭載できるからである。ゼロ戦のように中心に搭載したらプロペラ後流がぶつかってしまうのです。
なんかこのbgm好きなんだよなぁ
素晴らしいですね。隼は最高です。
軽武装っていうのもあるけど、この運動性能は半端じゃ無いね。この時代にマスの集中化を取り入れただけはある。
V-143試作機が輸入されたのが1940年、零戦の開発はその2年前からで機体の大きさや重量、主翼・尾翼の形状も異なりV-143のコピーとの説は誤り。栄エンジンは中島飛行機がライセンス生産していたプラット&ホイットニー社製エンジンの改良型で外形を小さくし、高機動での燃料の供給を安定させるためにキャブレターの改良を行っている。小径化している事で設計そのものを新規で行っている事からコピー説を否定している論もある。しかし、プラグ等の規格品はP&H社製のコピーであるため現在でも飛行可能なエンジンが存在する。住友金属がハミルトン社製可変ピッチプロペラをライセンス生産し使用している。第二次大戦では、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・ソ連・イタリア等がハミルトン社製プロペラをライセンス生産している。総じて飛行機とはエンジン・機体設計・装備品等総合的な機体開発が重要であり、一部の部品のみを取り上げて国産ではないと断定するのは無理があるのではないか。
機動性はやはり神ですね。零戦と並ぶくらいの神です。
零戦以上に美しい機体のラインですね!
最大の弱点は急降下制限速度の低さかな。昭和十八年九月陸軍航空総監部発行「一式戦闘機(二型)操縦法」には“計器速度六〇〇粁以下”と記されてる。これでは米軍機がパワー・ダイヴに入ったらついていけませんね。この問題のせいか、おおむね旧陸軍戦闘機操縦者(特に大戦中盤以降第一線で戦った方)の一式戦への評価は低い様ですが、防弾タンクと防弾板のおかげで、零戦に比べれば一撃火ダルマとかパイロット射殺というケースは少なかったらしい。
自分から高度を捨てる敵機など相手にする価値もない
@@TH-ul4gd ハイパワーエンジンでダイヴ&ズーム戦法に持ち込まれるんですよ。
輸入したV-143 はゼロ戦と隼が脚構造とカウルあたりを参考にしてる。カウルあたりはその後改良したので引込み脚だけだな。エンジンは途中まで製造権を買っていたが売ってもらえなくなったんじゃないかな。
真正面のシャープな印象が美しい。日本の戦闘機のなかで一番ぢやないか。
まさしくMade in Japan今一度、純国産戦闘機作って欲しいです。
スバル車のフロントグリルのデザインの一部は、一式戦を正面から見たものをイメージしたとか。
戦闘機を作るのに、家にある鉄類は全て材料にするのに没収されたとか言っていたっけ。
戦闘機だけじゃなくて、戦車や鉄砲もそういう鉄で作ってたらしいよ
大先輩の作品!
一式、二式、三式、四式と戦局に合わせて投入してる陸軍は意外と合理的ですね。戦後の悪評はどっから出てきた。
戦果もスペックも文句なしなのに色々不遇な機体よね笑
隼が活躍したのは加藤隼戦闘隊で知られる飛行第64戦隊や50戦隊だが、これらはビルマ戦線で活躍した部隊だ。戦った相手は主としてイギリス軍(ハリケーン)が中心だったのが幸いした。当初からアメリカ軍と戦っていたらここまでの戦果は上げられなかっただろう。その点ゼロ戦の置かれた環境とは雲泥の差があるわけで、実績云々を言うならその点は割り引いて考えるべきだだろう。
それにしても隼や零戦の機動性能にはいつもながら感動します。いいものを見せてもらいました。ただ、動画内での「太平洋戦争」という呼称は残念でなりません。正しくは「大東亜戦争」ですから。
shu tamano ははは、"正しくは"ですか?素晴らしく面白い考えですね
@@松家徹 "太平洋戦争"はアメリカ側から見た呼称であってこの様な旧日本軍機の紹介動画やましてや旧帝国側から見たこの戦争の呼称は正しくは"大東亜戦争"ですよ。
@@ちょむすけ-n8s 旧海軍も戦時中に太平洋戦争と呼ぶこともありましたがね。
@@SC-cn9eg太平洋戦線の間違いでは
@@RondeniS996 間違いじゃないです
同じ技量を持った搭乗員で、隼同士で模擬空中戦をやったら・・・・と想像してましたm(_ _)m
ノモンハン事件で7.7mm機銃2丁ではイ16撃墜困難と分かってたんだから、初期の段階で翼内砲を積めるようにして欲しかったな。まあ、軽戦、重戦という考え方が、結局主翼の3本桁構造を変えない一因となったようだから、何とも言えないんだけどね。63戦隊の竹村大尉がp-47に何十発も命中弾を与えたにも拘らず結局逃げられた時「空戦フラップなんか要らないから20mm砲を付けて欲しい」と語ったとか。三型になっても12.7mm2門じゃやっぱり非力だよなあ。一式戦のエースはよくこんな武装で敵機を落としたなと思う。全員スナイパー級の技量を持っていたに違いない、だから空の狙撃兵と言われるのかと、一人納得。
一式戦は、兵器として最も大事な「いつでも何処でも誰にでも確実に使える」要素を持っていた。どこの部隊も優秀な整備兵が揃っている訳ではなかったし、戦局の悪化に伴い稼働率が極端に下がる三式戦、四式戦に比べ、一式戦は確実に働いた。素直な飛行特性、失速特性、離着陸時の操縦性は飛行時間の短いパイロットにとっても扱いやすく、2型以降装備された防弾鋼板は被弾にもある程度効果があった。カタログデータ以上に価値があった一式戦だけに、もし12.7mm砲を4門揃えていたら…と思う。
アホと馬鹿しかいなかった海軍が作ったポンコツゼロ戦に比べたら、数人はまともな軍人がいた陸軍が考えて作った傑作期ですね…
ソビエトのI-16のエンジンだってP&W R1820をミリ規格でまねしたらしい。
ゼロ戦の方が開発が先だったような話が・・
加藤建夫が乗っていた機体。
@doromamire
大戦機で見ていて一番惚れ惚れする機体
戦闘機の中で一番楽しそうに、気持ち良さそうに飛んでる気がする
「陸軍は技術を軽視していた」という批判はよく聞くが、
陸軍の方が保有する航空機の航続距離に見合った
地道で堅実な作戦を主張していたように思うんだが。
皆様が隼を褒めて下さり、心が熱くなりました。私の祖父は陸軍航空隊に志願し隼を愛機として米国の戦闘機と戦った武士です。終戦後すぐ愛機を自らの手で燃やしました……米国に奪われるなら自らの手でと……今の自分より若かった祖父が共に戦場を駆けた相棒を今も我が日本国を植民地にしている米国などに奪われず自ら屠った事に誇りと尊敬を抱いております。祖父の愛機は尾翼が整備兵のヘマで黄色の塗料が付着したので怒った祖父が尾翼を黄色に染めたそうです。よく狙われなかったな……と。赤じゃなく黄色で三倍だったのでしょうか(苦笑)
まさに「隼」の名がふさわしい機体ですなあ。
鉄道隊の元陸軍のおじいさんと親しく、東南アジア方面でのお話をよく聞きました。残念ながらその方は亡くなられたのですが、ハヤブサの事はよく話しておられました。窮地を何度も助けられたと話していました。キラキラと光る機体で、飛び回り、何機かを相手にしても負けなかったと話していました。何と、追われていたハヤブサが、橋の下を潜り、1機落とした事があったとも話していました。
中島飛行機の作った飛行機はラインが美しい。
今では零戦の方が人気だけど戦時中は隼が1番愛された戦闘機なんだよね
隼は大戦末期でもアメリカ軍からその低空性能には恐れていた。P-38の撃墜王のマグガイアーも油断から撃墜された。
隼は戦争末期ですら連合軍から「油断ならぬ敵機」と認識されていた。
戦争にも負け、性能も劣っていたかもしれないけど当時の日本人が手塩にかけて作ったものだから誇りに思うね。
大戦末期、名機ゼロ戦も隼も既に旧式化していた。
それでも連合軍パイロットたちから「隼は意外な動きをするからあなどれない」と言われた隼が好きだ。
隼が故障して海軍のゼロ戦部隊の基地に着陸したことが有る。
そのパイロットは、「ゼロ戦の群の中にポツンと駐機した隼がえらく華奢に見えた」と言っていたが、美しさでは隼の勝ちだ(笑)。
この動画は、東宝映画「翼の凱歌」の場面が使われていますね。
この前、仏領印度支那に進駐していた人の話を聞いたのだが、
フランス軍の兵隊のほとんどがベトナム人で、日本軍を解放軍として
迎えてくれたって。一応フランス軍の軍人なんだけどね(笑)。
ところで隼は、大戦末期でも「隼は意外な動きをするのであなどれない」
と、連合軍パイロットから一目置かれていたそうだよ。
機体も素晴しいが操縦者が凄い!
最後には工場から直接特攻した機体もあったらしいですね。なんか悲しすぎる。
これだけ軽快な飛行だと撃ち落とすのは難しい。
カメラワークとのコンビネーションは、抜群ですね。
隼はシャープで格好いいですね。
ゼロ戦の方が高性能だと書籍で読んで育ちましたが、
大人になって分かったこともあります。
3枚プロペラで流線型に近いゼロ戦に比べ、隼は2枚プロペラで登場しデザインも無機質と思いきや、
隼は生産性も良く、防弾も考慮しつつ、13ミリ機銃を採用、そして正面から見てみると、
ゼロ戦は中心に増槽か爆弾を搭載するのに比べ、隼は左右に搭載。
それでは片方だけ搭載した状態ではバランスが悪くなるのでないかと思ったが、それ以上に利点があったのではないかと思う。左右に搭載すると増槽や爆弾をプロペラ後流の邪魔にならないところに搭載できるからである。ゼロ戦のように中心に搭載したらプロペラ後流がぶつかってしまうのです。
なんかこのbgm好きなんだよなぁ
素晴らしいですね。隼は最高です。
軽武装っていうのもあるけど、この運動性能は半端じゃ無いね。
この時代にマスの集中化を取り入れただけはある。
V-143試作機が輸入されたのが1940年、零戦の開発はその2年前からで機体の大きさや重量、主翼・尾翼の形状も異なりV-143のコピーとの説は誤り。
栄エンジンは中島飛行機がライセンス生産していたプラット&ホイットニー社製エンジンの改良型で外形を小さくし、高機動での燃料の供給を安定させるためにキャブレターの改良を行っている。
小径化している事で設計そのものを新規で行っている事からコピー説を否定している論もある。
しかし、プラグ等の規格品はP&H社製のコピーであるため現在でも飛行可能なエンジンが存在する。
住友金属がハミルトン社製可変ピッチプロペラをライセンス生産し使用している。
第二次大戦では、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・ソ連・イタリア等がハミルトン社製プロペラをライセンス生産している。
総じて飛行機とはエンジン・機体設計・装備品等総合的な機体開発が重要であり、一部の部品のみを取り上げて国産ではないと断定するのは無理があるのではないか。
機動性はやはり神ですね。零戦と並ぶくらいの神です。
零戦以上に美しい機体のラインですね!
最大の弱点は急降下制限速度の低さかな。
昭和十八年九月陸軍航空総監部発行「一式戦闘機(二型)操縦法」には“計器速度六〇〇粁以下”と記されてる。
これでは米軍機がパワー・ダイヴに入ったらついていけませんね。
この問題のせいか、おおむね旧陸軍戦闘機操縦者(特に大戦中盤以降第一線で戦った方)の一式戦への評価は低い様ですが、防弾タンクと防弾板のおかげで、零戦に比べれば一撃火ダルマとかパイロット射殺というケースは少なかったらしい。
自分から高度を捨てる敵機など相手にする価値もない
@@TH-ul4gd
ハイパワーエンジンでダイヴ&ズーム戦法に持ち込まれるんですよ。
輸入したV-143 はゼロ戦と隼が脚構造とカウルあたりを参考にしてる。カウルあたりはその後改良したので引込み脚だけだな。エンジンは途中まで製造権を買っていたが売ってもらえなくなったんじゃないかな。
真正面のシャープな印象が美しい。日本の戦闘機のなかで一番ぢやないか。
まさしくMade in Japan
今一度、純国産戦闘機作って欲しいです。
スバル車のフロントグリルのデザインの一部は、一式戦を正面から見たものをイメージしたとか。
戦闘機を作るのに、家にある鉄類は全て材料にするのに没収されたとか言っていたっけ。
戦闘機だけじゃなくて、戦車や鉄砲もそういう鉄で作ってたらしいよ
大先輩の作品!
一式、二式、三式、四式と戦局に合わせて投入してる陸軍は意外と合理的ですね。
戦後の悪評はどっから出てきた。
戦果もスペックも文句なしなのに色々不遇な機体よね笑
隼が活躍したのは加藤隼戦闘隊で知られる飛行第64戦隊や50戦隊だが、これらはビルマ戦線で活躍した部隊だ。戦った相手は主としてイギリス軍(ハリケーン)が中心だったのが幸いした。当初からアメリカ軍と戦っていたらここまでの戦果は上げられなかっただろう。
その点ゼロ戦の置かれた環境とは雲泥の差があるわけで、実績云々を言うならその点は割り引いて考えるべきだだろう。
それにしても隼や零戦の機動性能にはいつもながら感動します。いいものを見せてもらいました。
ただ、動画内での「太平洋戦争」という呼称は残念でなりません。正しくは「大東亜戦争」ですから。
shu tamano ははは、"正しくは"ですか?素晴らしく面白い考えですね
@@松家徹 "太平洋戦争"はアメリカ側から見た呼称であってこの様な旧日本軍機の紹介動画やましてや旧帝国側から見たこの戦争の呼称は正しくは"大東亜戦争"ですよ。
@@ちょむすけ-n8s
旧海軍も戦時中に太平洋戦争と呼ぶこともありましたがね。
@@SC-cn9eg太平洋戦線の間違いでは
@@RondeniS996
間違いじゃないです
同じ技量を持った搭乗員で、隼同士で模擬空中戦をやったら・・・・と想像してましたm(_ _)m
ノモンハン事件で7.7mm機銃2丁ではイ16撃墜困難と分かってたんだから、初期の段階で翼内砲を積めるようにして欲しかったな。まあ、軽戦、重戦という考え方が、結局主翼の3本桁構造を変えない一因となったようだから、何とも言えないんだけどね。63戦隊の竹村大尉がp-47に何十発も命中弾を与えたにも拘らず結局逃げられた時「空戦フラップなんか要らないから20mm砲を付けて欲しい」と語ったとか。三型になっても12.7mm2門じゃやっぱり非力だよなあ。一式戦のエースはよくこんな武装で敵機を落としたなと思う。全員スナイパー級の技量を持っていたに違いない、だから空の狙撃兵と言われるのかと、一人納得。
一式戦は、兵器として最も大事な「いつでも何処でも誰にでも確実に使える」要素を持っていた。どこの部隊も優秀な整備兵が揃っている訳ではなかったし、戦局の悪化に伴い稼働率が極端に下がる三式戦、四式戦に比べ、一式戦は確実に働いた。素直な飛行特性、失速特性、離着陸時の操縦性は飛行時間の短いパイロットにとっても扱いやすく、2型以降装備された防弾鋼板は被弾にもある程度効果があった。
カタログデータ以上に価値があった一式戦だけに、もし12.7mm砲を4門揃えていたら…と思う。
アホと馬鹿しかいなかった海軍が作ったポンコツゼロ戦に比べたら、数人はまともな軍人がいた陸軍が考えて作った傑作期ですね…
ソビエトのI-16のエンジンだってP&W R1820をミリ規格でまねしたらしい。
ゼロ戦の方が開発が先だったような話が・・
加藤建夫が乗っていた機体。
@doromamire