【災害現場探索】国道231号 雄冬岬トンネル崩落事故 事故現場探索
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- เผยแพร่เมื่อ 10 ก.ค. 2022
- 今回は、今からおよそ40年前に起きた国道231号雄冬岬トンネル崩落事故の事故現場を探索します。
雄冬岬は石狩市浜益区の雄冬海岸に位置する岬で、北海道三大秘岬のひとつとされました。交通は山道か船しかありませんでしたが、岬にトンネルを掘る事で1981年にようやく国道231号が開通します。しかし開通からわずか40日後に雄冬岬トンネル上部の断崖が崩落し、トンネルが破壊されてしまいます。規模は豊浜トンネル岩盤崩落事故の約22倍である24万m3と言う未曾有のものでした。
事故の復旧には2年半を要しましたが、今回はその現場が今どうなっているのか探索します。
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初めてのコメントにて、長文失礼致します。
雄冬集落を故郷として育った親を持つ者です。
現在は既に内地に在住して長いのですが、幼少期の80年代後期〜90年代前半までは、毎年のようにお盆で走った国道231号線や当時の各トンネルを懐かしく覚えています。
現在の姿をこうして公開して頂けるのは、訪れなくなって久しい私の様な者には大変貴重で、ありがたく拝見させて頂きました。
私の生年がまさに雄冬トンネル崩落事故を前後に挟んだ歳で、本当に難工事だったと当時から祖父母によく聞かされました。
また長年海路のみ(陸路は険しい増毛山道のみ)に頼る集落にとっても、トンネル開通は大きな悲願だっただけに、崩落時の落胆も相当なものだったそうです。
全面復旧までも長かった上、旧雄冬岬トンネルは浸水などにより片側交互通行が珍しくありませんでしたので、仄暗いトンネル内で待たされる怖さも、今となっては懐かしいものです。
暑寒別岳の切り立った崖、そして眼前の日本海という厳しい条件の難工事を開通させ、崩落の憂き目に遭いながらも地道に復旧・改良を続けてきた土木建築や工事現場の方々には、感謝の念を持たずにはいられません。
当方の親は、完全に陸の孤島時代におふゆ丸で故郷を離れ、その後は札幌の地に根を下ろしました。
そしてその子供である私も、この雄冬トンネルを通って家族と里帰りしていたものの遠方や成長から足が遠のき、そしてついに北海道からも離れ早20年弱…映像に見てあまりの変化の大きさに戸惑いました。
雄冬も既に限界集約となって早何十年も経ち、その姿がトンネルと共にいつまで残るのか分かりません。
都市部一極集中の現代に於いては致し方ない部分ですが、このように高い資料性を持った動画によって検証され、伝えられ、そして映像と共に残ることは、この上なくありがたいことです。
丁寧な説明ととても見やすい映像、土木工事の歴史と進化を感じられる素晴らしい動画を見せて頂き、本当にありがとうございます。
【余談です】
固定電話線が日本で引かれた最後の地域は、残念ながら引用元が見つけられませんでしたが、こと北海道に置いては、昭和53年3月10日、この雄冬集落が最後の土地でした。
陸の孤島としてまだ誰にも知られていなかった当時にあって、旧電電公社の方々からは「あの雄冬ですか!」と驚かれたのをよく覚えております。
国道脇にひっそりと「北海道電話自動化完了の地」という碑が建立されているそうです。
大変ご丁寧なコメントを頂きありがたい限りです。
雄冬岬トンネル、漏水あったんですね。現在はそうでもないのかな。
私の動画で故郷を懐かしんで頂けたらのなら幸いで御座います。
電話のお話、如何にあの場所が秘境であったのかよく分かるエピソードだと思います。ありがとうございました。
@@user-di9tv2kf8t
ご返信を頂きまして、ありがとうございます。
大変申し訳ありません。
長いトンネルでしたので、ガマタトンネルを雄冬岬トンネルと取り違えているかも知れません。
さらには、トンネル復旧時期と、94年から始まった雄冬防災による工事着手も手伝って、更に記憶がこんがらがっていると思われます。
拙い記憶でのコメント、大変失礼致しました。
ご容赦頂ければ幸いです。
雄冬岬トンネルの復旧後も、全面に張り巡らされた落石防止ネット、真新しい落石防護鉄柵が、まだまだ予断を許さないことを物語っていました。
しかし当時の幼い私にとっては、非日常としてのワクワクと、里帰りと祖父母への再会が迫る目印として、無邪気に喜んでいたものです。
まだ物心の着く前から里帰りが隔年になり不思議に感じていましたが、89年に福井県で発生した玉川岩盤崩落事故がきっかけだったのかも知れません。
(もちろん、どこの家庭内でもよく有るいざこざも要因の一つですが。笑)
同様にトンネル・覆道の多い雄冬までの道のりで、同じことがいつ起きてもおかしくないと感じ、足が遠のくのも無理からぬことでしょう。
そして、その怖さを自ら理解出来たのが、96年の豊浜トンネル崩落事故でした。
そちらの動画も作成されていらっしゃるようなので、ゆっくり拝見させて頂きたいと思います。
ありがとうございました。
北海道最後の大規模土木工事として有名です。旭川の大手土木建築会社で当時工事に携わった方にお話を伺ったことがあります。この工事本当にスゴくて北海道の土木技術の粋を極めてるんですよね!土木に関わっている人は一度は見に来るという(笑)垂直の壁は実際見ないと臨場感が感じられないですよね!語りました、スミマセン。楽しかったです😊
おお~やはり業界では有名なんですね!工事報告書を読んでいるだけでもとんでもない規模の工事だった事が想像できます!
私は素人ですがそれでも感じるモノがありました。
私の夫も土木関係の責任者やってますが、この話聞いたことあります!!やっぱりすごい工事だったんだなぁ〜って話聞いてると思います、みーーーんな見学やら視察やらすごかったみたいですね。かなり遠方からも来ていたらしく。業界では超有名なお話です!
自然には人間太刀打ち出来ないスケール有りますよね❗ダムとか見るとよく作ったたなぁと感心します😃
地元出身者です。開通時にさっそく通って増毛まで行ったこと覚えています。そして崩落事故で再び閉ざされてしまった。作業坑ではとおっしゃっていたところ、その通りで工事関係社に勤務していた父の車に同乗して通ったことがあり、トンネル側の部分もご推察の通りです。旧道の4本のトンネルの合間に見える景色が見られなくなったのは残念ですが、安全性を考えるとやむなしかなと思っています。
おお!作業坑を通ったことがあるんですね!
大変な工事だった事は想像に難くありません。ここの旧道は・・さすがに船でもないと到達不能でしょうね。
崩落原因が豊浜トンネルと同じですね
いかに自然を制御するのが難しいものか思い知らされますね
まったくその通りですね。
今後道路の維持管理者が減ってきた時に事前察知出来ずこういう事故頻発しないか一抹の不安があります。
現道を何回か通ったことがあります。このあたりは覆いかぶさるような断崖絶壁が続きますが、思わず恐怖を感じることさえありましたね。道路全通が1981年というのも、その時代を知っているだけに驚きです。それだけ、なかなか手が付けられない場所だったんでしょうね。
そうですよね。そもそも沿線の集落もよくそこに住んだなと言った感じで。当時も増毛側は冬季通行どめだった様ですね。
本当の秘境、といった感じです。
いまは随時快適になりましたね。
携わった全ての方に感謝です。
まったくその通りですね。
かたや真冬でも70キロ程度じゃ煽られると聞いたのですが(笑
オロロンライン・・
貴重な映像、有難うございました。雄冬出身の者です。当時は札幌に出て1年目でした。道路が開通したといっても、水揚げはすべて増毛の漁業組合に出荷していたこともあり、生活物資もほとんど増毛で調達していたこと、事故が夜だったこともあり村の住民が事故に巻き込まれずにすみました。ただし、開通1年目ということもあって、正月に帰省する計画をしていた人も多かった(自分もその一人でした)のではないかと思います。あと1週間ずれていたら・・・と思うとゾッとします。また、この事故をきっかけに、大規模な調査が行われていたら、豊浜トンネル(後に完成)の事故を防げたかもしれないと思うと非常に残念です。
いやまったく巻き込まれた人がいないのが奇跡ですね。
豊浜トンネルが想定外と言われていた中で、じゃあ雄冬岬はどうなんだよと思ってしまいました。活かされなかったのが残念。
@@user-di9tv2kf8t 様 返信ありがとうございます。
急に思い出したことが有ります。中学3年の時(事故の1年半くらい前)に雄冬岬に遠足に行きまして、その時の写真がどこかに有るはずです。崩落前の貴重(?)な写真かもしれません。遅くなるかもしれませんが提供できればと思います。当時はテトラポットが無くて、浜を歩いて先端付近までいきました。事故後、工事が始まる前に撮ったのもあるはず...。
また、その年の7月に、雄冬祭りで雄冬トンネルまで行って神輿を担いだんですが、山側の下部分が大きくエグレていて、日陰になるのでその部分で休んでいる時、一緒に行った雄冬の住民が工事関係者に
「ここは岩盤が堅いから、こんなんでも大丈夫なんだろ?(実際は、もっと凄い方言です)」
と言ったら工事関係者が真顔で
「いや、ここは柔らかくて上からボロボロ落ちてきてる。鏡みたいになってるとこはスッポリ落ちた跡だ。」
と言っているのを聞いて
”今落ちたら確実に死ぬ”と思って
「危ないから早く帰ろう(実際は、もっと凄い方言です)」
と言ってそそくさと逃げ帰ってきました。
@@tarataratara2145
それ、すごいお話ですね・・!逃げ帰って正解ですよ。
ぜひとも写真を見てみたいものです。
もしご提供頂けるなら私のツイッターのダイレクトメールが一番簡単かと存じます。
ですが無理に探したりは結構ですので気が向けばと言うことで・・
北海道の廃道・廃墟・道路探索はもちろん 毎回地理や歴史も知れて勉強になります
学生のときこんなに真剣に授業聞き入ってなかった。次回も楽しみ😙
色々知れた方が楽しいだろうと思って台本作ってます。
私自身、勉強になってます。
配信ありがとうございます🌷
トンネル崩落事故!観る限りかなり大きな事故だったのですね!あの断崖絶壁を見ただけでも怖さが想像できます!側壁導抗先進工法?ちんぷんかんぷんですけど〰️😰 難しい工法なのですね !ゾヌさんの説明で解ったような分からないような(笑)
ただ、凄いな~と感心するばかりです(^^; あの釣りの方の梯子はちょっとホッコリ🤗 見所は満載でした❗️
ありがとうございました🍀
トンネルの横壁を先につくってから真ん中を掘る工法みたいですね。私も完全に理解しているかと言うと・・
いつも思いますが一番スゴイのは釣り人の執念です(笑
雄冬岬トンネル海側を復旧してヘリポートが素晴らしい。
いい視点、いい動画です
大変勉強になります。
ありがとうございます。
その様に感じて頂けて大変光栄です。
動画を楽しみにしています
頑張って下さい 似てる動画は、ありますが
コメントが施工業者目線なので、非常に勉強になります。
雄冬岬の動画ありがとうございます。
毎年、お盆時期には必ず通っている道です。
年々、走りやすくなってありがたい反面、昔の景色が無くなっていくのは悲しい感じがしますね。
昔はアクロバティックな分景色も良かったとは思いますが、やはり数々の事故に見舞われ・・
利便性や安全性との両立はなかなか難しいですよね。
北海道では、豊浜トンネル事故の様に20名もの命が失われた例もありますので
この崩落は犠牲者が出なかった事が唯一の幸いと言えますね。
しかしゾヌさんの映像は凄い映像が多いですね
この状態から復旧したのがすごいです。
まああんまり過激な映像ばかりに偏りたくないんですけどね(笑
事故前後の航空写真から崩落の凄まじさが伝わって来ます🤩
現状の映像からも事故の物々しさが感じられます👍
復旧作業の解説も丁寧で素晴らしく興味深く拝見させて頂きました😊
復旧作業には計り知れない苦労があったのですね。
二年半の間二交替昼夜ぶっ通しで作業したそうです。
目立った事故もなく工事を終えたそうで、人的被害が無かったのが唯一の救いか。
この道はよくとおる道で今日も通って雄冬の川と千代志別々釣りに行く予定です。昔トンネル出来る前に仕事で厚田から舎熊に行くのに厚田から当別の青山中央まで戻り留萌に行きそこから舎熊まで行ったのを今でも思い出します。トンネル出来て厚田~留萌間がわずか2時間程で抜けれるようになって感慨深いものがありました。今でも赤岩辺りまで良く行くので解説を観てたら感慨深いものがあります。ご苦労様でした!
当時札幌に転勤で居ました。開通して1週間位で車で行きました。まさかそのあと暫くして通行したトンネルが山ごと崩れるとは思いませんでした。これを見て当時が懐かしくなりました
人的被害が無かったからか、今では全然話題にならない話ですね
昔雄冬トンネルが開通したと聞いて行ったら、崩落で通行止めでした。まさにその時でした。
札幌から道北方面へ釣りに行く時に
必ず通るトンネルですが
本当に凄い工事だったと
動画を見て再認識しました。
オロロンライン探索で何度も通っていますが、
この様なすごい光景があるとこの時まで気づきませんでした。
釣り場への行き方や磯場の様相等釣り人としては非常に参考になるチャンネルであります
かつては陸の孤島とも呼ばれた雄冬岬を見てみたくて
先日札幌から留萌まで走り白銀の滝に車を止めて海岸線をみました。
今の道路が無かった当時(入所当初)の生活の過酷さは思いも及ばない物があった事と思いました。
詳しいかいせつと映像をありがとうございました。
今では普通に往来できますが、そうなったのはつい40年ほど前のことなんですよね。北海道には他にも陸の孤島の集落(だった場所)がたくさんありますよね。
@@user-di9tv2kf8t さんへ
北海道に限らず少し前までは陸の孤島と呼ばれた場所は沢山あったと思います。
北海道の旅行有名で整った場所は大方訪れたつもりです。次回もしも北海道を訪れる機会があれば、このようなレアな所へ行ってみたいのでまた紹介してください。
人的被害が無かったのだけは救いですね。連絡船、乗って見たかった。
開通直後で走りたがる人も大勢いたかもしれないのに巻き込まれなかったのは本当に幸運です。
雄冬丸、私は船酔いするので厳しかったかもしれません。
嫁のアカウントから失礼します
石川一政です!
旧道旧跡探索動画が好きでよく見てます
他の人のも?
他の人は意外と噓が多く
ゾヌさんの誠実な取材は興味深く拝聴してます
身体を壊して自分では歩けないので
国道231昔まだ現在のルートでないころ
40年くらい前よくドライブしました
北は川下海水浴場辺りから群別
群別旧道を経て幌そして床丹
雄冬岬展望台から岩老更に歩古丹から現在の
増毛町道増毛山道線を通り別苅まで
ほぼ今言われる旧道ですね
今は231も5号線塩谷忍路も229もトンネルで隠された
海岸線の景色があまり見えなくなりました
いつもありがとうございます。
かつての海岸の景色はどんどん失われていますね。トンネルばかり走っていると憂鬱になります(笑
南は旧送毛トンネルが出来て間もない頃で
まだ石狩まで抜ける車の流れもほとんど無い頃でした
よく送毛山道にも遊びに行きました
送毛山道も今とは違うルートでした
と言う事は送毛山道にも旧道が有ると言う事ですね
送毛から山道入口を経て旧送毛トンネル付近へ行く道も有ったんですよ
いやー、ここに防護ネットを貼った人達は本当に凄いですわ。
いゃぁ~北海道の自然は凄いですね、ドローン飛ばして上空からも見てみたいです。
北海道に住んでた友達のところに遊びに行った時,「キレイな物を見せてやる」と言われて留萌の夕焼けを見に行きました.
その途中で通ったあたりの話ですね.
景色は良いですよね。危険との表裏一体。
今月、ここを通りました。こんな経緯があったのを初めて知りました。面白かったです。
わたしも調べるまで知りませんでした。
トンネル入口の巨大擁壁は北海道の方にとっても驚きなのですね。ゾヌさんの動画は大人だけでなく子ども達にも見てほしいです。成長して地質の研究や土木技術発展の道に熱意を持つ子が出てくるように。このチャンネルはつい最近知ったのですが、これからも色々見させていただきます。お気をつけて探索されてください。
それに寄与できれば良いですね
懐かしく拝見いたしました。44年前、高校3年の夏休み、雄冬がまだ陸の孤島時代、浜益へ抜ける古道探索に向かい、途中遭難寸前で引き返し、動画にある渡し船の船長にいいだけ笑われました。当時はトンネル口にある滝の上部を徒渉して今はない灯台に向かう道があり、その途中に地元の人も忘れた導石を発見したときは感動しました。昨今の古道ブームでたまたま資料を見つけましたが、当時のアイヌ民族の開削したルートだったようです。
雄冬山道でしたか。今でも道自体は残っている様ですが、ハードルが高そうですね。
何か、"意地で無理矢理復旧した " 感が漂いますね。将来また崩れる自然の摂理がありそうです。
春先のちょっと信用できない天気の中、お疲れ様でした。
地元の方の希望やそれまでの建設の苦労を考えるとそう簡単に諦めきれるものではなかったのでしょう。一応海上橋や山側トンネル案も検討された様ですが、結局は現ルートの復旧が選ばれました。
3:30凄いな!
作業坑といい徐行の標識といい、んん〜なんか浪漫!!ワクワクします!!オススメから来たのですが、ほかの動画も巡回させていただきますね!!
よろしくです!
あの風景に、ポツンと電柱と標識。
なんか、幻想的ですね。
私もあんなものが残っている事に驚きました。
自分が中1位頃はまだ雄冬で道が無かった記憶があります😊
北海道一周旅行の時に石狩から留萌に行く時に通りました。トンネルの多さと規模のデカさ海沿いの景色の壮大さに圧倒された記憶があります。田舎なのに道路が立派で「また北海道は金かけてもらいやがってw」と思っていましたが、歴史を知れば納得です。途中、「濃昼(ごきびる)」と言う地名が面白かったです。
開発局の資料を読むと沿線の居住人数十数人ってのはよくあるハナシで。まあ物流の関係もあるので道路にはカネ掛けて頂いているのでしょう。あの辺の地名、面白いですよね。
マニア心くすぐられます。
ありがとうございます!
この道を通すことがどれほど大変なこと、そして、地域住民の悲願だったと
いうことを、別の動画で見ましたが、その現場が現在の最新技術で保護されていることがよくわかって勉強になりました。
このまま、あと何年持つのか見ていきたいですね。
地域住民、そして物流の面でも重要なルートですからね。
いつかは更新しなくてはなりませんが、それまで頑張って欲しいものです。
増毛〜雄冬間の雄冬海運は乗る機会はありませんでしたが、運航されていたのは記憶にあります。
開通直後に、豊浜トンネルと同様の岩盤崩落事故が発生していたのは知りませんでした。
豊浜トンネルの場合は、一旦、元の場所で仮復旧した後、崩落現場を山側に迂回するトンネルを掘って前後のトンネルを繋いで1本の長いトンネルにする改良工事が行われましたが、
こちらは崩落現場を地盤改良剤で固めてトンネルを直していて、その後の改良工事で1本の長いトンネルにした際も崩落現場部分は迂回することなく、そのままなのですね。
復旧案には海上橋や山側トンネル案もありましたが、施工性などの面で採用されませんでした。今の技術なら可能なのかもしれませんが、あそこまで切土がされていれば当面は大丈夫かと思います。
トンネル崩落は密閉空間だからこそ怖いですね。
笹子トンネル事故を思い出しました。
当時唯一現場から逃げることができたGC型インプレッサWRX。
水平対向EJ20型エンジン搭載で、当時日本の自主規制値最大である280PS、シンメトリカルAWD、WRCで鍛えられた剛性力を持ったスポーツカーだった為、全力疾走で抜けれたのかもしれませんね。
犠牲に遭った方々、改めてご冥福をお祈りします。
探索中にトンネルが崩れて閉じ込められるのが最低最悪の最期・・
偶然ですが、先週末 浜益 幌のおばあちゃんと話す機会があり、雄冬トンネル再開後に歩いて仕事に通った話しをされトンネル内が怖かったと…
自分は閉所・高所恐怖症で、うp主さんが歩いて現地調査されているのには頭が下がりますm(_ _)m
ドローン全盛の今、これからも無理の無い範囲での迫力ある映像投稿を期待致します(^-^)/
さすがにあの距離を歩いて行くのはさぞや怖かった事でしょう・・
ドローンは他の方におまかせして、私は脚で稼ぐスタイルで行く所存です。
雄冬トンネルの詳しい話をしていただき有難うございます。北海道の中でも秘境にあるトンネルの苦労話、先人の苦労を思い起こさせます。
小生は、昭和48年2月から3月にかけ、観光で訪れた雄冬集落に1週間閉じ込められた経験があります。現在は浜益から増毛まで国道が開通したとはいえ、やっぱり秘境には違いがありません。ゾヌ様の冒険心、探検心に敬意を表します。
小生の希望ですが、出来ましたら道北のオホーツク海に面した斜内桟道(斜内山道)の旧道を訪問できないでしょうか。小生が昭和46年に訪れたこの旧道は「良くこんなところに道と鉄道を通したなあ」と思わずにはいられませんでした。是非ともよろしくお願いします。
陸の孤島、今となってはなかなか経験出来ない体験だったのではないでしょうか。現在は夏場だと本当に気持ちの良い道路です。
斜内山道、かの堀淳一氏の著書で写真を見ました。歩いてみたい場所です。遠くてすぐには行けませんがいずれは。
初めまして。雄冬出身の者です。当時は2月から3月に観光に来られる人はほとんどいませんでした。道路工事も冬は休みでしたので、騒音のない貴重な数か月でした。民宿は進藤さんでしょうか?
父の話によると、冬に来られる方は、進藤さんのアンコウ料理(鍋だけではありません。沢山ありました)を食べにワザワザ(定期船で酔ってでも)来ていたそうです。
いまでこそ、アンコウ料理はどこでも食べることができますが、当時は貴重だったようです。
@@tarataratara2145 様 おはようございます。今となっては、どの民宿であったのか遠い記憶のかなたの出来事となりました。やや高台の港が見えるところでした。また覚えていることは、雄冬丸の中での出来事です。
雄冬丸では、ミシンのセールスマン(ミシンの修理を兼ねて)と同船になりました。会話の中で、セールスマンはなじみの民宿に数日宿泊し営業するので民宿まで同行し、宿泊をお願した次第です。
約1週間何もすることもなく、毎日雄冬の集落内を散策していました。そんな思い出があります。国内で最後に残っていた待時通話(ダイヤルのない電話)の電話を初めて使わせていただきました。この電話を使い明治・大正の時代にタイムスリップした思いでした。
@@user-uo4zw6gz8v 様 返信ありがとうございます。高台の港が見える場所ということは、石川さん(旅館)かもしれません。おそらく右手に港が見えたかと思います。
港が真前に見える場所の民宿は、まだ開業していなかったはずです。
電話に関しては道内最後だったようです。2件1組で契約(理由はわかりません)して「6○○」と「○○」の番号が割り振られていました。受話器を置いたままハンドルを回してから受話器を上げると、郵便局のお姉さんが出て、申し込んが番号に有紐台を使って接続してました。一度だけ受話器を上げてハンドルを回してみたら、留萌の交換手に繋がって怒られたことが有りましたが、何故繋がったのか今でも不明です。
冬に雄冬丸が1週間欠航するのは、短いほうだと記憶しています。2,3週間の欠航はざらに有りました。どうしても増毛に行かなくてはならない時は山越えをすることになります。但し非常に過酷で、子供が生まれたので山越えをして増毛の役場に行ったら、届けるはずの名を忘れてしまい、自分の名から一文字とって適当に届けたエピソードがあるくらいです。
なんだか、変なことばかり書いてしまい申し訳ありません。また機会が御座いましたらよろしくお願いします。
@@tarataratara2145 様 民宿はそのとおりで右手の下に港が見えました。おそらく石川さんだったでしょう。また、電話もそのとおりで、日本で最後に残った待時通話だそうです。初めて戸惑いながらハンドルを回しました。〇〇局の〇〇〇〇番お願いしますと交換手に伝え、しばらくした後、電話がかかり交換台から「繋がりました」と。電話が終わったら、「〇〇円です」と交換台から電話がありました。
もう一つの思い出は、港に掲げられた赤旗のことです。三種類の旗があったことを覚えています。「通常通り出航(白旗??)」と「到着後すぐに出航(赤旗??)」と「時化の為欠航(旗無し??)」とその旗の掲げ方は、もう覚えていません。この旗の掲げ方の違いが分かるでしょうか?いまだに疑問です。
朝食後、民宿を出て、旗を見ることが最初の仕事でした。昭和48年の2月末か3月初旬のことです。50年経過してもこれだけのことを覚えているのは、やっぱり、それだけのことはあったのでしょう?その数年後、仕事で浜益まで行ったことがありますが、その後内地で生活しており、訪れることはかないません・・・
雄冬の陸の孤島は有名でしたからトンネルが開通して間もなく友達と夜中に雄冬に行ったことがあります。その時に真新しいトンネル内の壁に記念としてボールペンで〇〇〇〇年〇〇月〇〇日〇△◎✖参上と書いてきたのですがそれから一月余りで崩落したのには驚きました。もしかして雄冬トンネルが落書きに怒って崩落を起こしたのかも?
あらあらそれは~(汗
でもタイミングが悪ければひょっとしたら巻き込まれていたかもしれませんね。ご無事で何より。
これは凄まじい崩落ですな。それでも道を通すなんて、もはや執念です。
私なら諦めましょうとかほざいているでしょうが、そこをやり抜くのが昔の人はすごいな~と思います。
北海道を海岸沿いに(時計回りで)一週ドライブした時、襟裳岬周辺の険しさも凄かったが、雄冬道路の方がエグいと(個人的には)感じました。
実際にエグさを見せつけられてしまった現場なんですよね。
人が巻き込まれなかっただけマシか・・
これはスゲーの一言しか出ません、
雄冬地区は増毛側も浜益側も道路が無い陸の孤島で有名でしたが、現在は中央バスと沿岸パスが乗り入れので札幌へも直通の特急バスある様です。
私の知人(60代)が子供の頃集落のひとつにキャンプに行ったそうです。小さな漁船が岩にぶつかりそうになりながら進んでめちゃめちゃ怖かったと言ってました。
稚内の友達のとこに遊びに行く経路で雄冬トンネル通りますがいつも変な違和感あるのですが出るんでしょうか?😓
どうなんでしょう
こちらにも こんばら
あ!いきなり マムシ注意 大丈夫でしたか?
海岸線の道作りいかにむずかしいか
よくわかりますね
常に崩落と背中合わせ
デッカイ!コンクリートの壁
アニメに出てきそうな迫力がありますね
これだけ凄いの作らないとむずかしい道だったんですね
マムシ、気配はありませんでしたがあの看板はインパクトがあります。
ですがあの現場のインパクトは当然比べ物にならないぐらい凄まじい。
よく工事をやったなと思いますよホント。
釣りに良さそうなポイントだなと思ったら既にハシゴがあって草
大体チェック済みですね~(笑
あんな消波ブロックだらけの場所で釣りとか
魚は釣れるのかもしれないけど転落したら高確率で人知れず死にそう
しかし毎度思うのは 陸の孤島に最初に住み始めた人って どうしてそんなところに住んだのだろう
確かに。まあ新天地を求めた結果なのでしょう。
豊浜トンネルと違い
被害者がいなかった
それだけが救いですね。
雄冬の滝に「まむし注意」ってあるけど、そんなに北海道はいるんですか
私は見たこと無いですな。
あれ?岩盤が落下して大量に亡くならなかったっけ?
豊浜トンネルと混同してませんか。
不謹慎かもなのですが
幽霊がいると思いますか?
いると思います。
ウーン、いないとは言えませんが、少なくともこれまで探索中に気配を感じた事はありません。
人気(ひとけ)が無い場所だけに、ヒグマとか、出てきそうな感じはしませんでしたか❓😅
ヒグマの気配はありませんでしたが、なにかに食い荒らされた様なシカの無残な死骸がありました。
中華が工事したのかな?w