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つくづく人の声ってすごいなぁと…。
沼尻・東フィルで三善先生ご存命時に演奏したんだけど、努力したり頑張ったところで演奏不可能な、とんでもなく壮絶なことが各奏者に書いてあり、もう絶望しかないっていう日々を過ごし、恐ろしい合唱をずっと聴き続けて知恵熱出した
「三善晃の世界」ですか? あれは全3回通いました。素晴らしい体験でした。
@@うじいえひでお-v9p 多分、そうです。素晴らしいコンサートでした
生で聴いてみたいな
都響がやるみたいですよ!www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3354
このチャンネルおもろいなwこれを聴きに来た人には是非キリンジを、キリンジを聴きに来た人には是非三善晃を聴いて欲しい
この曲は若い頃からよく聴いていました まず音響の美しさ 特に静寂と大音響との対比が素晴らしく、おそらくオーディオ機器との関連性で音響の渦を作って行く、地層のような音響の重層、つまりエドガーバーレーズのような音響の層が気に入っていました 当初は音の厚塗りにマイクを使用したのかと思っていたのですが、この動画では合唱団を分割してオーディオスピーカーのように合唱の厚塗りをしている感を持ちました私はこの作曲家が音の響きに対する鋭敏な感性を持っていること、これはダイナミックレンジの幅があまりにも広く、ワーグナーの楽劇を超えるほどの音の高低の幅があるからです静寂はお教の響きを連想しますが、大伽藍での経典の音読、つまりお経の響きの重層にも聴こえるからです 私が今もなおこの曲を聴くのかと申しますと、人声の層が大伽藍のコーラス、この宗教性に惹かれるからです詩の内容は怨念のようにも感じますが、怨念に終始するのではなく、その芸術性が怨念を凌駕して行く、つまり怨念を乗り越える芸術性の高さに魅力を感じるからです暗い色調に終始しているかのようですが、暗さの対偶でである否定の肯定という哲学的な相剋まで音響が聴衆を導いて行くカタルシスが退廃芸術とは反対の格調の高さであると、その魅力を捉えております
まさに、凄演!何も、言葉が出ない…。歌詞のテキストを見ると、背筋が寒くなり、思わず手を合わせました…。後作の「響紋」の方が、聴き終えてから、わずかに、救われた感がありました…。
画中の演奏は合唱とオーケストラだけど三善せんせーの偉大なる不肖の弟子である新垣隆せんせーがこの曲をピアノ伴奏に編曲してゐたやうに記憶する。
三善晃の作品は合唱曲とオーケストラ曲で全然違う合唱曲は近代フランス音楽の豊潤な和声オーケストラ曲は、悪い意味ではないがヒステリックに炸裂するヴェルディのレクイエムの「怒りの日」よりもヒステリックに炸裂する
Akira Miyoshi - Requiem
レクイエムの逆転的発想だよな
これ聴いた人が死ぬってか?
モーツァルトやヴェルディのレクイエムは生きてる人が鎮魂します。三善のレクイエムはもう生きてない語り手が生きてる人に語りかけるという意味だと思う😀
大学で歌うことになった。練習期間きっつい。技術的にも、精神的にも。
昨日本番でしたか?お疲れさまでした!
@@specialonly1 見に行ったー?
@@specialonly1 舞台上で死ぬかと思いました。ものすごい曲です。
師匠の「時の影」よりも炸裂してる花火工場が爆発したようなオーケストラ凄い
破壊しまくってる
ヤバすぎ、、、
こんなの公開するなよ バカヤロウがよ!! くるってんじゃん
つくづく人の声ってすごいなぁと…。
沼尻・東フィルで三善先生ご存命時に演奏したんだけど、努力したり頑張ったところで演奏不可能な、とんでもなく壮絶なことが各奏者に書いてあり、もう絶望しかないっていう日々を過ごし、恐ろしい合唱をずっと聴き続けて知恵熱出した
「三善晃の世界」ですか? あれは全3回通いました。素晴らしい体験でした。
@@うじいえひでお-v9p 多分、そうです。素晴らしいコンサートでした
生で聴いてみたいな
都響がやるみたいですよ!www.tmso.or.jp/j/concert/detail/detail.php?id=3354
このチャンネルおもろいなw
これを聴きに来た人には是非キリンジを、キリンジを聴きに来た人には是非三善晃を聴いて欲しい
この曲は若い頃からよく聴いていました まず音響の美しさ 特に静寂と大音響との対比が素晴らしく、おそらくオーディオ機器との関連性で音響の渦を作って行く、地層のような音響の重層、つまりエドガーバーレーズのような音響の層が気に入っていました 当初は音の厚塗りにマイクを使用したのかと思っていたのですが、この動画では合唱団を分割してオーディオスピーカーのように合唱の厚塗りをしている感を持ちました
私はこの作曲家が音の響きに対する鋭敏な感性を持っていること、これはダイナミックレンジの幅があまりにも広く、ワーグナーの楽劇を超えるほどの音の高低の幅があるからです
静寂はお教の響きを連想しますが、大伽藍での経典の音読、つまりお経の響きの重層にも聴こえるからです 私が今もなおこの曲を聴くのかと申しますと、人声の層が大伽藍のコーラス、この宗教性に惹かれるからです
詩の内容は怨念のようにも感じますが、怨念に終始するのではなく、その芸術性が怨念を凌駕して行く、つまり怨念を乗り越える芸術性の高さに魅力を感じるからです
暗い色調に終始しているかのようですが、暗さの対偶でである否定の肯定という哲学的な相剋まで音響が聴衆を導いて行くカタルシスが退廃芸術とは反対の格調の高さであると、その魅力を捉えております
まさに、凄演!
何も、言葉が出ない…。
歌詞のテキストを見ると、背筋が寒くなり、思わず手を合わせました…。
後作の「響紋」の方が、聴き終えてから、わずかに、救われた感がありました…。
画中の演奏は合唱とオーケストラだけど三善せんせーの偉大なる不肖の弟子である新垣隆せんせーがこの曲をピアノ伴奏に編曲してゐたやうに記憶する。
三善晃の作品は
合唱曲とオーケストラ曲で全然違う
合唱曲は近代フランス音楽の豊潤な和声
オーケストラ曲は、悪い意味ではないがヒステリックに炸裂する
ヴェルディのレクイエムの「怒りの日」よりもヒステリックに炸裂する
Akira Miyoshi - Requiem
レクイエムの逆転的発想だよな
これ聴いた人が死ぬってか?
モーツァルトやヴェルディのレクイエムは生きてる人が鎮魂します。
三善のレクイエムはもう生きてない語り手が生きてる人に語りかける
という意味だと思う😀
大学で歌うことになった。練習期間きっつい。技術的にも、精神的にも。
昨日本番でしたか?お疲れさまでした!
@@specialonly1 見に行ったー?
@@specialonly1 舞台上で死ぬかと思いました。ものすごい曲です。
師匠の「時の影」よりも炸裂してる
花火工場が爆発したようなオーケストラ
凄い
破壊しまくってる
ヤバすぎ、、、
こんなの公開するなよ バカヤロウがよ!! くるってんじゃん