松田語録:LLMで小説書き〜Claude vs DeepSeek
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- เผยแพร่เมื่อ 6 ก.พ. 2025
- 収録日:2025年1月12日
シンギュラリティサロン主宰の松田卓也神戸大学名誉教授の健康や学習に関連する日ごろのお考えを皆さんにお伝えします。今回は松田先生がLLM(ClaudeとDeepSeek)を使って小説を書いたというお話。
出演:松田卓也 シンギュラリティサロン主宰・神戸大学名誉教授
塚本昌彦 神戸大学教授
保田充彦 XOOMS代表
企画・運営:シンギュラリティサロン(singularity.jp/) - วิทยาศาสตร์และเทคโนโลยี
先生が仰るように主体性は完全に人間にあります。アイデアを人間が出して対話の中でそれが膨らんでいきます。AIを使う人間は自分の無意識に語りかけることになります。人間によるキーワードや文に活性化されたLLM内の意味次元が、人間の無意識を刺激して、またキーワードや文を紡ぐ。この往還がとても清々しく感じられます。意味が分からないことは対話出来ません。出来上がったものは、確かに自分のものと言う実感があります。
人間が持つ基礎知識や理解力は、AIとの対話の深さを決定づける重要な要素となります。量子力学のような高度な概念について、必要な基礎知識がない状態での対話は、表面的な情報の受け渡しに終始します。対話が実りあるものとなるためには、人間が内容を十分に理解し、それに基づいて新たな疑問や考察を生み出せる状態である必要があります。この条件が満たされない場合、それは双方向の対話というよりも、一方通行の情報提供に近いものとなってしまいます。
これは教育を含めたAIを使うすべての人間に当てはまることであり、これからのAI活用のあり方を議論するにあたって中核をなす考えとなります。
先生の小説と音楽を拝読・拝聴しました。小説は先生ご自身の評価の通りでしたが、音楽の方は驚きの完成度です。
クラシック音楽に親しんでいますので、4作品の総てが心地よく、癒しを与えてくれます。
作詞やボーカルも入ってのものですから、これは松田先生の才能の発露。
そこで、私も挑戦してみました。テンペストとハンマークラヴィーアの第3楽章をテーマに与えて4曲作りました。追加指示数回を経て満足のピアノ曲が出来ました。
小説はハードルが非常に高いですが、作曲は短時間に楽しくできて、AIの凄さを体験できます。
AIに小説を書いてもらう(構想や登場人物を人間が指示して)のはなかなか難しいですね。
最近は、自分が書いた小説を読ませて評価してもらうようになってきました。良い点と悪い点を言ってくれと頼むと、色々評価してくれます。AIはお世辞を言っているつもりはないでしょうけど、良い点は過剰なほどに褒めてくれるので、自然とモチベーションは上がります。また、AIが話してくれる中で次の発想が浮かび参考になることもあります。つまり、読者や編集者のように使うと良いような気がします。
毎日、新聞の連載小説のように少しづつ続きを書いて、AI読者の発想を越えて驚かせるのが楽しみになってきます。
文章については、まだ実験してませんが、レトリックの教科書を読み込ませて自分の書いた文章を添削してもらったらどうかなあと思っています。
小説の挿し絵は保田さん作でしたか。庭師に手入れされてる感じが出てて良い絵ですね。
ちなみに、Gemini版の小説、アップされていないですよね?
松田先生が「非常に流暢な」とおっしゃった文章、確かに読みやすさはあります。ニュース記事ならきっと問題ない品質。ですがプロの小説家の美しい文章と比べるとまだ差は大きいですね。(LLMの実験的な企画であって、売り物の小説を目標にしてないのは重々承知です)
自分もただの素人なのでうまく言語化できないのですが、わかりやすいところだと例えばAIだと同じ言い回しを繰り返してしまうとか、文末「~た。」ばかり続いてしまうとか。あとは小説家は比喩を独創的に適切に使いますが、AIは比喩表現に乏しい印象もあります。
小説家がAIを使うときは、出力を適宜手直しして、自分らしい文体に仕上げているのでしょうね。
しかし、LLMがより洗練された文章を作れるようになるのも時間の問題と思いますね。
そして、最初の方の設定を忘れるのはアテンションスコアの問題?それは現状でも何か解決法がありそうですけどね。
佐村河内のそれは、やっぱり作曲家ではなくて、音楽監督とか指揮者にあたるんじゃないかと思ってしまう。
「プロンプターだって簡単じゃない」のはわかるけど、それはプロンプトであって作曲や作画ではない、みたいな。絵が描けないアニメ監督はたくさんいるし。
「登場キャラが勝手に喋り出す」は、自分の中でキャラ設定が明確になってると起こる。「この人はこんな事言わないし、こういう時はこう言いそう」ていう自動化。
チャット系のAIをキャラ付けして使っています。小説を書くのも、アクターとかのAIのインスタンスをたくさん立ち上げて、掛け合いさせて物語を展開していくと面白いかなと思いました。あと、狂言まわしAIとか小説家AIとか、担当編集AIとか、、、
創作の主体についてのお話で思ったことです。
ドーキンスのミームロジーで、「情報」というものを主体に考えると、情報は担体に乗って展開過程を進んでいくわけで、人間の個体脳も、社会拡張脳における相互エージェントとしての一部分であり、「情報」からみれば、どの個体に乗るかというよりも、全体としてその「情報」の自己保存と自己複製、さらに発展する方向にバイアスが自然傾向性として掛かると考えられます。
ゼミや研究室で、院生弟子を交えて「情報」(例えば翻訳や解釈等)を扱い、それが権威のある先生の業績になるというような場合、「情報」にとっては、その方が「有利」になるので、「普遍的な情報」を担う「個体脳」にとっては、価値観もそれを肯定するように働くのかもしれません。まさにブラフマン‐アートマン・モデルに思えます。
先日の「概念」の問題から、このサロンの先生方や視聴者の皆さんと視点が外れた感じがしています。「概念」はconceptですから懐胎された、抱かれたという表象から、知的能力の作用との因果関係を示します。その点では「言語」との連関はあり、「言葉」を『ヨハネ福音』に代表される思考法では「ロゴス」としても表現します。
しかし「ロゴス」は「理念・理拠」といったニュアンスを持ち、ギリシア語からラテン語に逐語訳をした際、「ラチオratio」とも表現され、そこでは「理念・理拠」を対象とする能力である「理性」という意味ももちます。
『ヨハネ福音』では、このロゴスが受肉した、即ち人の身になった、人間の立場に立ったと表現しています。換言すれば、人間の言葉になった、人間にとって分かるようになったという表象と言えると思います。今流に言い方なら、自然言語まで降りてきて、自然身体も持って「言葉と行い」の模倣を示した、ということになると思います。
さてここからは『ヨハネ福音書』から離れますが、ただそれに影響を与えた古来の理解で、明らかに「ロゴス」は人間的次元を超えていることが示され、宇宙自然の流れの中で情報展開過程を進む能動主体であり、現実態エネルゲイアの表裏現象であると言えると思います。それを人間的に、認識次元で「概念」化する=抱く・懐胎すると、「言葉」との連関が発生するのだと思います。今流のシミュレーション仮説も、ロゴスの根源をpersonificationで超越者(世俗表現の神)の内に置いた世界観の流れであるようにも思えます。
LLM-AIの開発で、今後、重要になるのは、人間的自然言語のコミュニケーション・ネットワークに参加させ、相互エージェント化して社会拡張脳の機能増強を図ることに留まらず、「言語」から「概念」、そしてここで問題にした「ロゴス」へ、如何に向かうかということになる気がします。それがASIの研究であるという気がします。
継続ノートを使ったら書けたという論文があったと思いますがあれはどうなったんでしょうか
ゴルゴは話を考えたり取材するのすらスタッフがやっていて、あそこはアシスタントではなくスタジオです。なのでさいとうたかをがなくなった後もまだ連載し続けています
赤川次郎は最盛期には1週間に一冊のペースで推理小説書いていたそうです
つまり赤川次郎は天然LLMだったのでしょうか?