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いつもご視聴いただき、ありがとうございます!2:47のシーンですが633年の出来事と言っているのですが663年の間違いです!あと壬申の乱も叔父と甥の戦いでした!今回ミス多くて申し訳ありません!いいね・コメントはとても嬉しくて動画を作るモチベーションになります!TOLAND VLOGの最新情報が届く公式アカウントはこちら→ lin.ee/RrJArP6【語り手サムのSNS↓】linkmix.co/6994400【聴き手マサキのTwitter↓】twitter.com/happypunk8【事務局長くどぅのTwitter↓】twitter.com/DesignShaft
いや~ 御先祖が ご迷惑 かけますね~その半身だと思って、日本を守った結果だと思ってください。ふじわらも いんべも、濁音 付いてるから 良しにしましょう わら
失礼します。少しだけですがよろしいでしょうか。不比等は中臣鎌足の息子さんではありません。一応次男として養子に入った形です。この事件の後の中臣鎌足家は男子は寺に出家、娘も各地に散らばっているので、今の中臣鎌足がご先祖様ですという方は、皆様この娘さんの系列の方です。日本には中臣鎌足さんに遡れる方々が10人中3人居ると言われていますが、この場合だと男系ではありません。それほど大きな業を背負って中臣鎌足はここで一旦ハケます。しかし中臣は鎌足だけではない上に、中臣は元々物部から分派してる実行集団なので、この後の歴史にも名前を変えて沢山出てきます。以上です、マウントではなく難しい省略部分の補足だと思ってくだされば幸いです。
睦っちゃんが残した書物やコメントは、一時期よく読み聴いたものです…。それにしてもこの動画は、エンタメの域を遥かに超越しています。よくぞここまで、古代日本の事象を探究し語ろうと試みているのかを顧れば、up主皆さまの役目は日本の歴史に残る偉業かも知れないと、私は感じています。
そう、まさにそれ(-_-;)エンタメの域を越えた内容。1個人の考察で終わらず、早く大きな機関を巻き込んだ考察になった方が良い気がします。勿論先駆者の名も、合わせて語られるべきとも
そんな大袈裟な~って思ったけどマジでそうかもしれんです・・・
織田信長の先祖は忌部氏で天下を統一して忌部氏を再興したいという願いがあったとも言われてますね。日本の歴史は本当におもしろい!次の動画も楽しみにしています!
ただ、時の上流階級で 結婚が繰り返されているので 遺伝子的に 遠い親戚 ばかりですけどね~
聞けば聞くほど元がどういう物語だったか気になる!!燃やさないでよ…。
更新楽しみにしすぎて、イブでもクリスマスでも見てるってなんなん私っ😂あと2回もちろんコンプリートします🎄
もうね・・・私も、イブとか正月よか、週末の配信を楽しみに働いている今日この頃(^o^;)
並ぶ者無しって凄い名前だな実際相応しい名前ではあるが、功罪はでかい彼が闇に葬った一族や神々が痛ましい
葛城一族(古代からの大豪族)と藤原氏の権力闘争が『葛藤』の語源。藤原=「不二原」…二つとない原木(宝木)「不比等」=比べる者なき人物・・・権力を握った藤原氏の後世へのアピールです。
瀬織津姫、玉置神社も1300年前に藤原不比等に御祭神変えられてますね! 次回も楽しみ忌部氏、織田家の深掘り系も見たい
その時の権力者によって歴史が書き換えられるというのはどこの国や時代でも起こることですね🙄先祖の名前を奪ってライバルを蹴落とすとは!笑それで力が無くなるって不思議…ついに最終回が近づいてきた!動画復習しとこう😆でももっと続いて欲しいと思ってしまう笑今日も面白かったです!
壬申の乱は息子同士の戦いではなく、オジとオイの戦いで大海人皇子は 天智天皇の弟という事になってます。
瀬織津姫きたーーっ!!次回が楽しみです✨
歴史は重要ですね。今の日本人は、アメリカに歴史を改ざんされ、誇りを持てなくなっています。
なんと面白い、、、本当に面白い、、、面白いが止まらない、、、感動です😭
私が歴史習ったときは白村江(ハクスキノエ)と読みました!
どちらでも読みますよー
昭和世代は ハクスキノエと習いましたよね😆今は ハクソンコウと言うことが多いですけど😊
どっちでも正解
@@こけこっこ-v2t はい、そうですね☺️
私のところだと、この戦いに行った方や太宰府で待機してた方たちはハクソンコウとか濁点ついてる呼び方してました。この辺から音から訓になるので、その影響だと思います。この戦いで多くの地方豪族の息子たちは亡くなっています。当時の徴兵1万人は今でいう100万人相当です。若い学年が2つまるごと亡くなる感覚です。これにより持統が地方で暗殺されかけることにも繋がってきます。息子や娘を殺された事を恨みに思っていたんですね。ちなみに、この戦いによって現代でいう韓国アレルギーが根付きました。新羅が夜襲をかけ、唐と高句麗(+倭人軍)の戦いは新羅と唐の代理戦争で高句麗+倭人軍が唐と戦っていたのですが、唐はその当時は常識があり、この戦いは不毛だと倭人軍に申し出た為、休戦になっていたところでした。これに不服としたのは新羅です。高句麗の港で休んでいた倭人軍に夜襲をかけたのです。これで得する国は新羅です。夜襲をかけられた倭人軍は唐が攻めてきたと勘違いをし、一度は和睦した唐軍に戦いを挑みますが、この時の戦力差が先の夜襲に寄り大半が海に沈んでいた為、ハクソンコウの戦闘では大敗しました。これが、事の真相です。昔から新羅はそういった国だと認識されていたのですが、この戦いにより倭人側によりいっそう強烈にその民族性を毛嫌いされることになります。
船恵尺という百済人が蘇我の命のもと国士編纂に関わっていたようです。一族で関わっており船氏の仕事は当時「史人(ふひと)」と呼ばれていたらしいです。ライターや著者に相当する呼び名だと思います。船恵尺の実子が道昭和尚だそうです。周防柳さんの『蘇我の娘の古事記(ふることぶみ)』で読みました。藤原不比等も下の名は「ふひと」と読みますよね。記紀執筆の業績に由来する名前ではないでしょうか。
実は私の御先祖様は、忌部氏なんです、こんなところで御先祖様のお話を聞かせてもらえるとは思いませんでした、ありがとうございます😊
日本人が日本の真実を知っても良いレベルまで来たって事ですかね
その忌部氏の末裔が信長だと考えると本能寺の黒幕はやはり
阿波忌部ですよね😊信長ではないですが、他の兄弟の末裔の方が同じクラスに居たので当時の担任がうっかり言ってました(笑)その担任はその後地元の2世議員になったのですが、やはり政治家はこういうの知らないと出来ないんだなと思いました‥‥
有難う御座います❤️瀬織津姫はエジプトの壁画とかにも描かれてますね❤️この地球のドームの役割を担ってくれてる女神様ですね❤️楽しみにしてます❤️
スゴい内容!藤原氏のその後は卜部氏になったと聞きますが、現在の卜部氏一族はどの家系に繋がるのか解説して欲しいです!
私の携帯の待ち受けが瀬織津姫なので次回もすごく楽しみにしてます!
聞けば聞くほど元がどういう物語だったか気になる!!燃やさないでよ〜!
本日も、そ~っと出しますね。我々が蘇我氏と認識する家は、実は武内宿祢系の分家である石川家です。例えば蘇我入鹿は、本当の名前は石川臣林太郎と言いました。現在でも継体天皇を出した北陸蘇我家には石川臣家(記紀の蘇我家)の本当の名が伝えられてるそうです。つまり、武内文書には、まだまだすんごい秘密が公開されないままになってる訳です。626年6月ヤマトの大豪族、石川臣麻古が病に没する。麻古は日本書紀に「蘇我馬子」と書かれた人物でありました。彼の死因は暗殺ではありません。石川臣麻古の父親である稲目は欽明大君に嫁がせた二人の娘からは穴穂部皇子や初瀬部皇子が生まれていました。要は、石川家が嫁がせた娘の方がたくさん子供を産んだわけです。626年に麻古が病に伏した際に彼の回復を祈念して1000人もの人間が出家したとされます。(仏教)それを見た「息長家の田村王」は勢力の強さに戦慄したとさます。石川家が推していたのは、上宮法王(かみつみや法王)(聖徳太子)の子、山背王であり、次期大君候補として圧倒的優位に立っていました。田村王は手を結んでいた中臣家の御食子(鎌足の養子先)を使って暗闘を展開します。神道派の中臣家からしても蘇我家は邪魔な存在であったわけです。その頃は既に忌部は中臣家に抑えこまれていた時代です。そして仏教を好んだと言われる継体大君時代に力をつけた北陸の三国国造家と宗家の石川臣家の、連合との争いが記紀編纂の際の下地でありました。田村王の兄弟である茅淳王の娘であるタカラ姫は「石川臣武蔵」に嫁いでおり、「大海人皇子を産んでいました。」田村王に姪のタカラ姫を嫁がせれば石川家の力は削がれ、息長家の結束は強くなる。中臣家は、ヒボコの系譜の息長に近い系図とも言われ、親戚だった様です。「御食子の計略で石川臣武蔵とタカラ姫は離縁」となり、628年には舒明大君(田村王)が即位した。依然、山瀬王の人気は衰えず、前大君が生前に山背を大兄に指名していた事もあり石川臣麻古の弟、境部摩理勢は大君に逆らって彼こそが後継者との主張を曲げなかった事で誅殺されます。ただ一人残った石川臣雄正(蘇我蝦夷)は641年に、葛城皇子と、御食子の養子である鎌子(鎌足)に豊浦の邸宅で暗殺され、蘇我宗家とも言われた石川臣家はあっけなく滅びました。舒明大君がタカラ姫に生ませた子、葛城皇子は、中大兄となった。記紀においては最後に山背王は、石川臣林太郎(蘇我入鹿)の仕業に見せかけ、乙巳の変は幕を閉じます。記紀編纂時に、鎌足が朝敵を破る英雄譚はこういう偽装により成立しました。しかし、山瀬王と、彼の異母兄弟であり、上宮法王の皇子である日置王は出雲に流れ、木築大社上官家により匿われ、血筋が続くことになりました。それで出雲上官家に歴史が残ったのです。日置王を守る為に三輪氏も出雲に来たようですね。石見国が太田市になったのは三輪氏が関係しているのかもしれません。日置王は、出雲の大社町に日御崎神社を建てました。あの神社は出雲大社より古い神社です。出雲伝承の要点として重要なのは「大海人皇子は、中大兄皇子の異父兄弟」と、蘇我氏が石川家であった事です。中臣家、藤原家が記紀編纂際にヒボコ系の息長家に配慮しなければならなかったのは当然のことと思われます。自慢げに自らのクーデターを書くわけには行きませんから。後の諡号に息長の名前が入りました。舒明はオキナガタラシ云々皇極にはタカラ姫とタラシヒメの名前が入る斉明もタラシヒメが諡号に入ったかと日置臣家は、後に家名を守るため、朝鮮渡来の系図を新たに作り、誤魔化しました。日置氏には二つの系図があり、片方は祇園社執行家の系図であり、高麗系譜になっています。要は、記紀に服属しますというスタンスですが、概要としては「武内宿祢系」の系譜は隠されなければならない情報だったという事です。武内文書や、武内家の母系に当たる物部氏に近い宮下文書がヤバい情報だという事はこういう事情からも察する事が出来ると思われます。記紀最大のタブーは、物部氏と武内家と考えられます。記紀の話をすると、海部氏に育てられていた大海人皇子の乳母が、綾部家の人麿の母親でありました。そして稗田流口伝を継承した母親から、人麿が海部氏を通じて、ワニの家系の柿本家に養子入りした事から古事記編纂に繋がる事になりました稗田阿礼とは、一説には女性的な名であるとも言われますが、人麿の母親の事を投影しているのかもしれませんね。実質、日本書紀の下書きとなった古事記は、稗田流口伝が母体になっています。本来であれば、ウズメ(トヨ)の流れの口伝なので邪馬台国の時代の事も知ってるはずの口伝が稗田流でした。
ちょうど中一息子ちゃんのこの前の社会の中間テスト範囲のところだったのでよけいにおもしろかったです✨学校で習う歴史の裏側でこのようなことが起こってるなんて…中臣鎌足と中大兄皇子は大々的に教科書に登場しますけど、藤原不比等って全然出てこなかったんですよね…「大宝律令」とか「古事記」「日本書紀」は出てくるんですけどね…謎だ😳蘇我入鹿とか馬子とかの本名がものすごく気になります!そして、息子ちゃんの教科書でつい最近「アテルイ」なる人が東北地方にいたみたいで、その人も気になってきました!伏線回収楽しみにしてます😆💕
はくすきえと習いました。はくそんこうも併記されていました。斎王もさいおうではなく、いつきひめと読んでいます。好みですが。今の学校教育では、くだらではなく、ひゃくさいと教えている学校もあると聞きましたが、どうなんでしょうね。当時の読み方を伝承する方が、学術的には正しいと思うのですが。
信長は忌部って飛鳥昭雄が言ってた
セオリツヒメは大祓祝詞に出てきますよ。大祓祝詞は聖徳太子が作ったと言われています。聖徳太子は預言者で在ったとも言われます。
ぷしぱらのぷぴちょさんのラスボス感
壬申の乱というと手塚治虫の「火の鳥太陽編」でも扱われてるね。
フトタマが二十だそうです。フタでありハタ(二十歳はたち)なんです。もちろん秦じゃなくて幡。幡織りの幡。忌部は幡でフトタマであり、天日鷲様。日月神示を読み返すうちになんとなく読めてきました。国常様が十九です。栲、タコ、徳 説く ともつながり、十九の言霊を読みとくと見えてくるものがあります。忌部、レビのメノラーとも関係ありそうです。メノラー(目のウラー)松果体。
古事記ですが、インドのマハーバーラタそっくりですよね。藤原と富士山の関係も知りたいです😹
瀬織津姫、待ってました!
今日、私の父方は七位で中大兄皇子の子孫です、藤原鎌足には三人の娘で息子は居りませんが不比等、錠栄和尚は天皇の息子を養子としました、不比等さんの賢さは天皇の息子で私共の先祖です、墓は奈良の桜井市に在ります。
やはりそこにありますか
藤原不比等の名前自体が偽名っぽい何人かが合わさっての不比等なのではないかなあ。ペンネーム。
このお話の続きは何処にあるのでしょう?
大化の改新で書物を蘇我が全て燃やしたなら、古事記・日本書紀を編纂する時に帝王日嗣・先代旧辞を読んだってとこが矛盾している感じますが、どうなのでしょうか。
忌部氏や物部氏の濁音は、どの様な意味なのでしょうか、氣に成ります。
不比等がアマテラスを男神から女神にしたって飛鳥昭雄が言ってた
続き続き!まだかーーーー
クシナダヒメも濁音があるとゆうことはスサノオの奥さんですしここにもなにか秘密があったりして、、?
配信ありがとうございます❤️私はSNSで日本を立て直したく「イザナミ」を名乗らせて頂いてますが、濁点はいけないのすね😨そしたら、イサナミに書き換えねば😅イザナギが本当はイザナキでイザナミ、イザナキの「キ」とイザナミの「ミ」で日本語の「キミ」が、できたと聞きました。イサナキ&イサナミなんですね😂あらら
名前を奪われた神
カタカムナウタヒでは濁音がないから、何でだろう?と思っていました。
言っていいんかな〜 命狙われたら大変ですよ!気をつけて〜
最近、もしかしたら頭よくなったんじゃないかと思いはじめた🧐
元号は時の支配。法律は臣民の支配。
まあでもイエスとかユダヤとかは隠さないとまずいだろうけどね。男神のままだとばれると思ったのかなあ
というか不比等の妻も蘇我家の人じゃなかったっけ?
フトタマ → フトダマコトタマ → コトダママカタマ → マガダマアカアマハラ → タカマガハライロイロと見えてきますね。でも、濁音も半濁音も言霊であることには変わりない、と私は考えます。なので言霊五十音と、よく言われていますが、私は言霊七十五音を押します。五大母音は、五大父音(父音)並びは、「 あ お う え い 」この言霊の思想は、合気道の始祖と共に、深く関わっています。
@@miyokoZ349 なにその考察!!!完全に知識外からで、心地よい衝撃(笑)清音、濁音などと、言霊を混ぜて考えると……、まあ、沼にハマるでしょう😅
白村江の戦いは663年です!
壬申の乱叔父後の天武天皇と甥天智天皇の皇子の戦いの前と後の歴史大化改新後 中大皇子後の(天智天皇)と中臣鎌足後の(藤原鎌足)朝鮮半島白村江の戦で天智天皇の軍は敗退反撃を怖れ都を大津宮へ この時大石の佐久奈度神社を建立大祓祝詞の中の祓神四柱が御祭神 瀬織津姫様と速開都姫様と気吹戸主様と速佐須良姫様をお祀りされていますが以降 天武天皇が奈良飛鳥へ都を戻し此処から古事記・日本書紀の編纂を命じ亡くなられた後は皇后の天智天皇の皇女である持統天皇が後を引き続き完了これ以降 瀬織津姫様と速開都姫様と気吹戸主様と速佐須良姫様の名は消され出てこなくなり隠された伊勢の式年遷宮はこの時から始まり内宮の別宮瀧祭宮の並宮が元の素型?かな藤原不比等から現在まで永遠と天皇家に公家や公爵 伯爵としての一族の影響力が及んでいる
藤原氏、敵の先祖に濁音付けたはいいけど自分の名前の濁音は取らなかったのね…😅
俺の名字全部俗なるもの
蘇我氏も書物を燃やす時間があったなら、逃げる時間に費やした方が良いと考えなかったのが、最大の疑問。そこまでして、隠したかった秘密?汚点?とは何?(-_-;)
蘇我氏が自らの歴史書を燃やすとは考えられません。蝦夷の館に火をつけて歴史書もろとも燃やしたのは中大兄、鎌足側だと思います
「いんべ」も「ふじわら」も濁音なのは何でなんだろう😳
私も、疑問に思いました。
@@sutemarucat このあたりも答えがあると面白いですよね!
藤原氏は「ふしわらし」だったのかな???
ホツマツタエを示さないと。
資料は記紀しかないが、どれ位真実なのか?これは、魏志倭人伝にも言える。後世の我々は、盲目的に信じてはいけないのではないか?
様々なパーツを繋げれば矛盾が必ずあぶり出されます。逆に妙に同じことばかりが同時に起きてる場合も注意して読解しなければなりませんね。時代が近くなるにつれ一神教感が出てきますが、これは一神教によって多神教の神様を隠したいのだと推測しています。解読難しいですが、頑張りましょう😊
馬鹿ですんません『フジワラ』『インべ』の子孫側の濁音はセーフ扱いなんですか?
白村江のたたかいから天皇中心の国造りや日本神話が編纂されたことはNHKでも放送されましたが、その過程と詳細と謎と秘密がわかりました。NHKでも放送してほしい内容です。
話がめちゃくちゃ面白いのに相槌があまりにも下手過ぎてクスる笑笑
蘇我氏の末裔はどうなったの?
さいきん、ぽちゃった?
和光同仁の御神策です。(•‿•)
では、なんでフシワラでなくフジワラ?自ら濁音なんで?
壬申の乱で勝利した大海人の皇子は天智天皇の弟ですよ❗(* ̄∇ ̄)ノ
藤原のじはどうなの?
しろむやえを、はくそんこうは、やばいで😂ジョージアガイアストーンがアメリカから、高知に移動してる話とかせなあかんわー😂
この時代竹内文書はあったんですか?
70代以上から受け継がれてるので、確実に被ってますね。今、動画にしてるのは、正統竹内文書で口伝てす。文書で残る茨城系竹内文書とは少し違うものです。勿論、元を辿れば同じ所に行きつく可能性はありますが
@@船草諭 返信ありがとうございましたm(__)m
中国共産党みたいやな、、
はくすきのえのたたかいです
はくすきのえというのは朝鮮の発音であり、今はその言葉は使われていません。今ではハクソンコウと読むのが一般的です。
(はくそんこう)も(はくすきのえ)もどっちの読み方もありますよ。
1ー
いつもご視聴いただき、ありがとうございます!2:47のシーンですが633年の出来事と言っているのですが663年の間違いです!
あと壬申の乱も叔父と甥の戦いでした!今回ミス多くて申し訳ありません!
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いや~ 御先祖が ご迷惑 かけますね~
その半身だと思って、日本を守った結果だと思ってください。
ふじわらも いんべも、濁音 付いてるから 良しにしましょう わら
失礼します。
少しだけですがよろしいでしょうか。
不比等は中臣鎌足の息子さんではありません。
一応次男として養子に入った形です。この事件の後の中臣鎌足家は男子は寺に出家、娘も各地に散らばっているので、今の中臣鎌足がご先祖様ですという方は、皆様この娘さんの系列の方です。
日本には中臣鎌足さんに遡れる方々が10人中3人居ると言われていますが、この場合だと男系ではありません。それほど大きな業を背負って中臣鎌足はここで一旦ハケます。
しかし中臣は鎌足だけではない上に、中臣は元々物部から分派してる実行集団なので、この後の歴史にも名前を変えて沢山出てきます。
以上です、マウントではなく難しい省略部分の補足だと思ってくだされば幸いです。
睦っちゃんが残した書物やコメントは、一時期よく読み聴いたものです…。
それにしてもこの動画は、エンタメの域を遥かに超越しています。
よくぞここまで、古代日本の事象を探究し語ろうと試みているのかを顧れば、up主皆さまの役目は日本の歴史に残る偉業かも知れないと、私は感じています。
そう、まさにそれ(-_-;)エンタメの域を越えた内容。1個人の考察で終わらず、早く大きな機関を巻き込んだ考察になった方が良い気がします。勿論先駆者の名も、合わせて語られるべきとも
そんな大袈裟な~って思ったけどマジでそうかもしれんです・・・
織田信長の先祖は忌部氏で天下を統一して忌部氏を再興したいという願いがあったとも言われてますね。
日本の歴史は本当におもしろい!次の動画も楽しみにしています!
ただ、時の上流階級で 結婚が繰り返されているので
遺伝子的に 遠い親戚 ばかりですけどね~
聞けば聞くほど元がどういう物語だったか気になる!!
燃やさないでよ…。
更新楽しみにしすぎて、イブでもクリスマスでも見てるってなんなん私っ😂
あと2回もちろんコンプリートします🎄
もうね・・・私も、イブとか正月よか、週末の配信を楽しみに働いている今日この頃(^o^;)
並ぶ者無しって凄い名前だな
実際相応しい名前ではあるが、功罪はでかい
彼が闇に葬った一族や神々が痛ましい
葛城一族(古代からの大豪族)と藤原氏の権力闘争が『葛藤』の語源。
藤原=「不二原」…二つとない原木(宝木)
「不比等」=比べる者なき人物
・・・権力を握った藤原氏の後世へのアピールです。
瀬織津姫、玉置神社も1300年前に藤原不比等に御祭神変えられてますね! 次回も楽しみ
忌部氏、織田家の深掘り系も見たい
その時の権力者によって歴史が書き換えられるというのはどこの国や時代でも起こることですね🙄
先祖の名前を奪ってライバルを蹴落とすとは!笑
それで力が無くなるって不思議…
ついに最終回が近づいてきた!動画復習しとこう😆
でももっと続いて欲しいと思ってしまう笑
今日も面白かったです!
壬申の乱は息子同士の戦いではなく、
オジとオイの戦いで
大海人皇子は 天智天皇の弟という事になってます。
瀬織津姫きたーーっ!!
次回が楽しみです✨
歴史は重要ですね。
今の日本人は、アメリカに歴史を改ざんされ、誇りを持てなくなっています。
なんと面白い、、、
本当に面白い、、、
面白いが止まらない、、、
感動です😭
私が歴史習ったときは白村江(ハクスキノエ)と読みました!
どちらでも読みますよー
昭和世代は ハクスキノエと習いましたよね😆今は ハクソンコウと言うことが多いですけど😊
どっちでも正解
@@こけこっこ-v2t はい、そうですね☺️
私のところだと、この戦いに行った方や太宰府で待機してた方たちはハクソンコウとか濁点ついてる呼び方してました。
この辺から音から訓になるので、その影響だと思います。この戦いで多くの地方豪族の息子たちは亡くなっています。当時の徴兵1万人は今でいう100万人相当です。若い学年が2つまるごと亡くなる感覚です。これにより持統が地方で暗殺されかけることにも繋がってきます。息子や娘を殺された事を恨みに思っていたんですね。
ちなみに、この戦いによって現代でいう韓国アレルギーが根付きました。新羅が夜襲をかけ、唐と高句麗(+倭人軍)の戦いは新羅と唐の代理戦争で高句麗+倭人軍が唐と戦っていたのですが、唐はその当時は常識があり、この戦いは不毛だと倭人軍に申し出た為、休戦になっていたところでした。これに不服としたのは新羅です。高句麗の港で休んでいた倭人軍に夜襲をかけたのです。これで得する国は新羅です。
夜襲をかけられた倭人軍は唐が攻めてきたと勘違いをし、一度は和睦した唐軍に戦いを挑みますが、この時の戦力差が先の夜襲に寄り大半が海に沈んでいた為、ハクソンコウの戦闘では大敗しました。
これが、事の真相です。
昔から新羅はそういった国だと認識されていたのですが、この戦いにより倭人側によりいっそう強烈にその民族性を毛嫌いされることになります。
船恵尺という百済人が蘇我の命のもと国士編纂に関わっていたようです。一族で関わっており船氏の仕事は当時「史人(ふひと)」と呼ばれていたらしいです。ライターや著者に相当する呼び名だと思います。船恵尺の実子が道昭和尚だそうです。周防柳さんの『蘇我の娘の古事記(ふることぶみ)』で読みました。
藤原不比等も下の名は「ふひと」と読みますよね。記紀執筆の業績に由来する名前ではないでしょうか。
実は私の御先祖様は、忌部氏なんです、こんなところで御先祖様のお話を聞かせてもらえるとは思いませんでした、ありがとうございます😊
日本人が日本の真実を知っても良いレベルまで来たって事ですかね
その忌部氏の末裔が信長だと考えると本能寺の黒幕はやはり
阿波忌部ですよね😊
信長ではないですが、他の兄弟の末裔の方が同じクラスに居たので当時の担任がうっかり言ってました(笑)
その担任はその後地元の2世議員になったのですが、やはり政治家はこういうの知らないと出来ないんだなと思いました‥‥
有難う御座います❤️
瀬織津姫はエジプトの壁画とかにも描かれてますね❤️
この地球のドームの役割を担ってくれてる女神様ですね❤️
楽しみにしてます❤️
スゴい内容!藤原氏のその後は卜部氏になったと聞きますが、現在の卜部氏一族はどの家系に繋がるのか解説して欲しいです!
私の携帯の待ち受けが瀬織津姫なので次回もすごく楽しみにしてます!
聞けば聞くほど元がどういう物語だったか気になる!!
燃やさないでよ〜!
本日も、そ~っと出しますね。我々が蘇我氏と認識する家は、実は武内宿祢系の分家である石川家です。
例えば蘇我入鹿は、本当の名前は石川臣林太郎と言いました。現在でも継体天皇を出した北陸蘇我家には石川臣家(記紀の蘇我家)の本当の名が伝えられてるそうです。つまり、武内文書には、まだまだすんごい秘密が公開されないままになってる訳です。
626年6月ヤマトの大豪族、石川臣麻古が病に没する。
麻古は日本書紀に「蘇我馬子」と書かれた人物でありました。彼の死因は暗殺ではありません。石川臣麻古の父親である稲目は欽明大君に嫁がせた二人の娘からは穴穂部皇子や初瀬部皇子が生まれていました。
要は、石川家が嫁がせた娘の方がたくさん子供を産んだわけです。
626年に麻古が病に伏した際に彼の回復を祈念して1000人もの人間が出家したとされます。(仏教)
それを見た「息長家の田村王」は勢力の強さに戦慄したとさます。
石川家が推していたのは、上宮法王(かみつみや法王)(聖徳太子)の子、山背王であり、次期大君候補として圧倒的優位に立っていました。
田村王は手を結んでいた中臣家の御食子(鎌足の養子先)を使って暗闘を展開します。神道派の中臣家からしても蘇我家は邪魔な存在であったわけです。
その頃は既に忌部は中臣家に抑えこまれていた時代です。
そして仏教を好んだと言われる継体大君時代に力をつけた北陸の三国国造家と宗家の石川臣家の、連合との争いが記紀編纂の際の下地でありました。
田村王の兄弟である茅淳王の娘であるタカラ姫は「石川臣武蔵」に嫁いでおり、「大海人皇子を産んでいました。」
田村王に姪のタカラ姫を嫁がせれば石川家の力は削がれ、息長家の結束は強くなる。
中臣家は、ヒボコの系譜の息長に近い系図とも言われ、親戚だった様です。
「御食子の計略で石川臣武蔵とタカラ姫は離縁」となり、628年には舒明大君(田村王)が即位した。
依然、山瀬王の人気は衰えず、前大君が生前に山背を大兄に指名していた事もあり石川臣麻古の弟、境部摩理勢は大君に逆らって彼こそが後継者との主張を曲げなかった事で誅殺されます。
ただ一人残った石川臣雄正(蘇我蝦夷)は641年に、葛城皇子と、御食子の養子である鎌子(鎌足)に豊浦の邸宅で暗殺され、蘇我宗家とも言われた石川臣家はあっけなく滅びました。
舒明大君がタカラ姫に生ませた子、葛城皇子は、中大兄となった。
記紀においては最後に山背王は、石川臣林太郎(蘇我入鹿)の仕業に見せかけ、乙巳の変は幕を閉じます。記紀編纂時に、鎌足が朝敵を破る英雄譚はこういう偽装により成立しました。
しかし、山瀬王と、彼の異母兄弟であり、上宮法王の皇子である日置王は出雲に流れ、木築大社上官家により匿われ、血筋が続くことになりました。それで出雲上官家に歴史が残ったのです。日置王を守る為に三輪氏も出雲に来たようですね。石見国が太田市になったのは三輪氏が関係しているのかもしれません。
日置王は、出雲の大社町に日御崎神社を建てました。あの神社は出雲大社より古い神社です。
出雲伝承の要点として重要なのは「大海人皇子は、中大兄皇子の異父兄弟」と、蘇我氏が石川家であった事です。
中臣家、藤原家が記紀編纂際にヒボコ系の息長家に配慮しなければならなかったのは当然のことと思われます。自慢げに自らのクーデターを書くわけには行きませんから。
後の諡号に息長の名前が入りました。
舒明はオキナガタラシ云々
皇極にはタカラ姫とタラシヒメの名前が入る
斉明もタラシヒメが諡号に入ったかと
日置臣家は、後に家名を守るため、朝鮮渡来の系図を新たに作り、誤魔化しました。
日置氏には二つの系図があり、片方は祇園社執行家の系図であり、高麗系譜になっています。
要は、記紀に服属しますというスタンスですが、概要としては「武内宿祢系」の系譜は隠されなければならない情報だったという事です。
武内文書や、武内家の母系に当たる物部氏に近い宮下文書がヤバい情報だという事はこういう事情からも察する事が出来ると思われます。
記紀最大のタブーは、物部氏と武内家と考えられます。
記紀の話をすると、海部氏に育てられていた大海人皇子の乳母が、綾部家の人麿の母親でありました。
そして稗田流口伝を継承した母親から、人麿が海部氏を通じて、ワニの家系の柿本家に養子入りした事から古事記編纂に繋がる事になりました
稗田阿礼とは、一説には女性的な名であるとも言われますが、人麿の母親の事を投影しているのかもしれませんね。
実質、日本書紀の下書きとなった古事記は、稗田流口伝が母体になっています。本来であれば、ウズメ(トヨ)の流れの口伝なので邪馬台国の時代の事も知ってるはずの口伝が稗田流でした。
ちょうど中一息子ちゃんのこの前の社会の中間テスト範囲のところだったのでよけいにおもしろかったです✨
学校で習う歴史の裏側でこのようなことが起こってるなんて…
中臣鎌足と中大兄皇子は大々的に教科書に登場しますけど、藤原不比等って全然出てこなかったんですよね…
「大宝律令」とか「古事記」「日本書紀」は出てくるんですけどね…謎だ😳
蘇我入鹿とか馬子とかの本名がものすごく気になります!そして、息子ちゃんの教科書でつい最近「アテルイ」なる人が東北地方にいたみたいで、その人も気になってきました!
伏線回収楽しみにしてます😆💕
はくすきえと習いました。はくそんこうも併記されていました。
斎王もさいおうではなく、いつきひめと読んでいます。好みですが。
今の学校教育では、くだらではなく、ひゃくさいと教えている学校もあると聞きましたが、どうなんでしょうね。
当時の読み方を伝承する方が、学術的には正しいと思うのですが。
信長は忌部って飛鳥昭雄が言ってた
セオリツヒメは大祓祝詞に出てきますよ。大祓祝詞は聖徳太子が作ったと言われています。聖徳太子は預言者で在ったとも言われます。
ぷしぱらのぷぴちょさんのラスボス感
壬申の乱というと手塚治虫の「火の鳥太陽編」でも扱われてるね。
フトタマが二十だそうです。フタでありハタ(二十歳はたち)なんです。もちろん秦じゃなくて幡。幡織りの幡。忌部は幡でフトタマであり、天日鷲様。日月神示を読み返すうちになんとなく読めてきました。国常様が十九です。栲、タコ、徳 説く ともつながり、十九の言霊を読みとくと見えてくるものがあります。忌部、レビのメノラーとも関係ありそうです。メノラー(目のウラー)松果体。
古事記ですが、インドのマハーバーラタそっくりですよね。
藤原と富士山の関係も知りたいです😹
瀬織津姫、待ってました!
今日、私の父方は七位で中大兄皇子の子孫です、藤原鎌足には三人の娘で息子は居りませんが不比等、錠栄和尚は天皇の息子を養子としました、不比等さんの賢さは天皇の息子で私共の先祖です、墓は奈良の桜井市に在ります。
やはりそこにありますか
藤原不比等の名前自体が偽名っぽい
何人かが合わさっての不比等なのではないかなあ。ペンネーム。
このお話の続きは何処にあるのでしょう?
大化の改新で書物を蘇我が全て燃やしたなら、古事記・日本書紀を編纂する時に帝王日嗣・先代旧辞を読んだってとこが矛盾している感じますが、どうなのでしょうか。
忌部氏や物部氏の濁音は、どの様な意味なのでしょうか、
氣に成ります。
不比等がアマテラスを男神から女神にしたって飛鳥昭雄が言ってた
続き続き!まだかーーーー
クシナダヒメも濁音があるとゆうことは
スサノオの奥さんですし
ここにもなにか秘密があったりして、、?
配信ありがとうございます❤️私はSNSで日本を立て直したく「イザナミ」を名乗らせて頂いてますが、濁点はいけないのすね😨そしたら、イサナミに書き換えねば😅
イザナギが本当はイザナキでイザナミ、イザナキの「キ」とイザナミの「ミ」で日本語の「キミ」が、できたと聞きました。イサナキ&イサナミなんですね😂あらら
名前を奪われた神
カタカムナウタヒでは濁音がないから、何でだろう?と思っていました。
言っていいんかな〜 命狙われたら大変ですよ!気をつけて〜
最近、もしかしたら頭よくなったんじゃないかと思いはじめた🧐
元号は時の支配。法律は臣民の支配。
まあでもイエスとかユダヤとかは隠さないとまずいだろうけどね。男神のままだとばれると思ったのかなあ
というか不比等の妻も蘇我家の人じゃなかったっけ?
フトタマ → フトダマ
コトタマ → コトダマ
マカタマ → マガダマ
アカアマハラ → タカマガハラ
イロイロと見えてきますね。
でも、濁音も半濁音も言霊であることには変わりない、と私は考えます。
なので
言霊五十音
と、よく言われていますが、
私は
言霊七十五音
を押します。
五大母音は、
五大父音(父音)
並びは、
「 あ お う え い 」
この言霊の思想は、合気道の始祖と共に、深く関わっています。
@@miyokoZ349
なにその考察!!!
完全に知識外からで、心地よい衝撃(笑)
清音、濁音などと、言霊を混ぜて考えると……、まあ、沼にハマるでしょう😅
白村江の戦いは663年です!
壬申の乱
叔父後の天武天皇と甥天智天皇の皇子の戦いの前と後の歴史
大化改新後 中大皇子後の(天智天皇)と中臣鎌足後の(藤原鎌足)
朝鮮半島白村江の戦で天智天皇の軍は敗退
反撃を怖れ都を大津宮へ
この時大石の佐久奈度神社を建立
大祓祝詞の中の祓神四柱が御祭神 瀬織津姫様と速開都姫様と気吹戸主様と速佐須良姫様を
お祀りされていますが以降
天武天皇が奈良飛鳥へ都を戻し此処から古事記・日本書紀の編纂を命じ亡くなられた後は
皇后の天智天皇の皇女である持統天皇が後を引き続き完了
これ以降 瀬織津姫様と速開都姫様と気吹戸主様と速佐須良姫様の名は
消され出てこなくなり隠された
伊勢の式年遷宮はこの時から始まり内宮の別宮瀧祭宮の並宮が元の素型?かな
藤原不比等から現在まで永遠と天皇家に公家や公爵 伯爵としての
一族の影響力が及んでいる
藤原氏、敵の先祖に濁音付けたはいいけど自分の名前の濁音は取らなかったのね…😅
俺の名字全部俗なるもの
蘇我氏も書物を燃やす時間があったなら、逃げる時間に費やした方が良いと考えなかったのが、最大の疑問。そこまでして、隠したかった秘密?汚点?とは何?(-_-;)
蘇我氏が自らの歴史書を燃やすとは考えられません。
蝦夷の館に火をつけて歴史書もろとも燃やしたのは中大兄、鎌足側だと思います
「いんべ」も「ふじわら」も濁音なのは何でなんだろう😳
私も、疑問に思いました。
@@sutemarucat このあたりも答えがあると面白いですよね!
藤原氏は「ふしわらし」だったのかな???
ホツマツタエを示さないと。
資料は記紀しかないが、どれ位真実なのか?
これは、魏志倭人伝にも言える。
後世の我々は、盲目的に信じてはいけないのではないか?
様々なパーツを繋げれば矛盾が必ずあぶり出されます。逆に妙に同じことばかりが同時に起きてる場合も注意して読解しなければなりませんね。
時代が近くなるにつれ一神教感が出てきますが、これは一神教によって多神教の神様を隠したいのだと推測しています。
解読難しいですが、頑張りましょう😊
馬鹿ですんません
『フジワラ』『インべ』の子孫側の濁音はセーフ扱いなんですか?
白村江のたたかいから天皇中心の国造りや日本神話が編纂されたことはNHKでも放送されましたが、その過程と詳細と謎と秘密がわかりました。NHKでも放送してほしい内容です。
話がめちゃくちゃ面白いのに相槌があまりにも下手過ぎてクスる笑笑
蘇我氏の末裔はどうなったの?
さいきん、ぽちゃった?
和光同仁の御神策です。(•‿•)
では、なんでフシワラでなくフジワラ?
自ら濁音なんで?
壬申の乱で勝利した大海人の皇子は天智天皇の弟ですよ❗(* ̄∇ ̄)ノ
藤原のじはどうなの?
しろむやえを、はくそんこうは、やばいで😂
ジョージアガイアストーンがアメリカから、高知に移動してる話とかせなあかんわー😂
この時代竹内文書はあったんですか?
70代以上から受け継がれてるので、確実に被ってますね。今、動画にしてるのは、正統竹内文書で口伝てす。文書で残る茨城系竹内文書とは少し違うものです。勿論、元を辿れば同じ所に行きつく可能性はありますが
@@船草諭 返信ありがとうございましたm(__)m
中国共産党みたいやな、、
はくすきのえのたたかいです
はくすきのえというのは朝鮮の発音であり、今はその言葉は使われていません。今ではハクソンコウと読むのが一般的です。
(はくそんこう)も(はくすきのえ)もどっちの読み方もありますよ。
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