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7:10 訂正 編集ミスで北と南が逆になってます💦申し訳ありません!北に麹町台地、南に江戸湾です!今回は尺的にカットしちゃいましたが、江戸の町や堀を螺旋状にして住みやすい町+竜脈を作って気を強くしたり色々やってる天海さん!会津に現地調査した時、白虎隊と天海の愛が凄まじかったですね!会津の方々には貴重な資料も送ってくださりめっちゃ勉強になりました!天海の明智光秀説は僕個人としてはロマンあって大好きなので、この説は別の解説でやりたいですね!あと今回はちょっとしか登場しなかったですが、徳川を守れたのは天海さんの力もありますが、崇伝さんの力もかなりデカい!結構やらしい政治をするのでダークヒーロー感あって面白いんですよね!崇伝さんの解説も今年中にはやりたいですね!
突然失礼します!江戸の説明の方角が南北逆になってると思われます!!!
@@ヅラマル さんコメントありがとうございます!先ほど指摘されて気がつきました!最悪なミスです泣
@@非株式会社いつかやる わざわざご返信ありがとうございます!お気になさらないでください!細かいことです!!!これからも動画楽しみに見させていただきます✨✨
明智説や明智血縁者説も色々あるけど謎が謎を呼ぶから面白い。
僕らの本発売されたので是非皆様買ってくれたら嬉しいです!amzn.asia/d/bnCa94h
衛星もなく、ましてや伊能忠敬がほぼ正確な日本地図作る前から、要所要所の位置を捉えてる当時の人達…凄い…
なんとなく胡散臭い坊さんのイメージが強かったからすごい面白かった!戦国時代に活躍したお坊さんシリーズ化してほしい!
猫様の例えわかりやすい。タイムスリップしたくらい当時の人の感覚が想像できました!
天海を特集するとは思わなかったから凄く面白かった
南光坊天海もそうだが安国寺恵瓊に太原雪斎や下間頼廉といいなんであの時代の坊さんはカッコいいんだろうな
土豪のウチは良いけれど、ある程度支配地域を拡大して権威付けをしようと思うと“儀礼”が欠かせません。なので、当時“儀礼に詳しい人物”としてインテリ層に位置づけられていた僧侶が選ばれたのではないかと。また「本山ー末寺」という広域ネットワークを持つ点もあるのかな?と推測します。
怪僧シリーズ最高です!日本の仏教史を学びたいのであわよくばもっと他の怪僧も取り上げてもらえればとリクエストさせていただきます!
金の神輿で家康の亡骸が運ばれた話や、天照に対抗するように「東照」を持ってきた(天皇の権威と同等あるいは上位格)命名の説話など初めて知りました。重厚な知識、知恵、洞察力、経験則からくる直感、そして健康体に恵まれた人物だったのだろうなと想像できました。
明智光秀説を信じてます、春日局も光秀に縁のある人でしたし、その春日局を優遇してきた家康のことを考えるとどうしても光秀かな〜と。生きていることがバレないよう書を書く時は代筆させていたという話、自分も聞いたことあります
天海の教養を総動員した粋な計らいに思わず天を仰ぎましたあとシティーズスカイラインという街づくりSLGの実況で、亡くなった市民を供養するために数珠の形をした街を作った人を思い出しました
漠然と「栄えてなかった江戸にしたのは色々理由がある」と聞き覚えていましたが、江戸の構成から家康自身の神格化まで、天海僧侶が関わっていてものすごく尽力したんだなというのを理解出来ました。まだ大河でもキャストが発表されていないので、ぴろさんのお話を聞いてより一層今後の展開とキャストが楽しみになりました😄 お話を聞いていて個人的にやっぱり朝廷や西国からの独立という鎌倉幕府の遺伝子を、三河産まれである家康はガッチリと体現したかったのかなと感じました。
書で身バレしないように代筆させてたって説も有るので光秀=天海説を信じてます
以前から興味があった人物でしたので、とても興味深く拝見しました。当時の僧侶というのは、単に仏の教えを説き、宗教倫理を広めるだけじゃなく、知識層という側面が強かったんですね。それにしても仏の教えと軍事学ってのは、今では相反するように感じましたが、当時の仏教や僧侶の価値観と現代のそれとはどのくらい異なるもんなんでしょう....?そのあたりも気になりました。次回も楽しみにしています。
当時の政治には宗教的な側面が凄く重要だったんですね!日光東照宮のしかけとかすごく面白いです
興味深い動画でした。崇伝は「黒衣の宰相」というだけあって、武家諸法度の制定や方広寺大仏殿事件(国家安康)などの政治の実務にもかなり係わった印象ですが、天海の方はより宗教的な事物などにコミットしていますよね。私はこの二人に林羅山を含めた三人が秀忠の下で徳川幕府の思想政策の基礎を固めたと考えています。
今回も面白かったです。周りも大変優秀だったんですね。
何重にも重ねた縁起の良さがあまりにすごくて笑いが漏れた…(笑)
この話し とっても面白かったし わかりやすかったです。本購入しました。😊
ありがとうございます!
めちゃくちゃ面白い❗️いつもありがとう❗️
結果的に江戸の平和な時代を長く続ける事に繋がってる、素晴らしい👍宗教思想家
建物一つの配置でも滅茶滅茶考え抜かれていて驚愕凄すぎて変な笑いが出てしまったわ
面白かったですー!天海=光秀の話もなんでその説が出たのか気になりますー🤔次回も楽しみにしてます!
天海の理解が深まっり良かったです。
戦国BASARAの天海👍👍割りかし好きだった金吾とコンビ👍
面白かったです、次回の動画も楽しみにしています。
会津で崇拝されてる話は初めて聞いたわ-。会津またいってみようかな。
13:58 「七つの神社、これを繋げると北斗七星になる」江戸城が死兆星みたいになっててw
大火で江戸城天守(死兆星)が消失したのが江戸幕府長命の一因だったりして。
サクラ大戦のボスのイメージしかなかったので勉強になりました。
天海ってパワーゲームもすごいんですよね・・・・。後輩の以心崇伝も蹴落として、家光にまで影響をあたる不老不死の大僧侶として日光に葬られましたしね・・・。
ごめんなさい。筆跡鑑定では水を差すようなことを言うようですが、『他人ではあるが、極、稀に一致する言葉があり、近親者か、従兄弟的な関わりがある人物の可能性がある』と、光秀と天海の筆跡鑑定ではとある地上波のチャンネルで鑑定士が言っていた筈ですが、、、。あと、南光坊天海が普通の僧侶ではない理由がわかるのは、天海は丸で武将のような鎧を纏い、関ヶ原の戦いに馳せ参じています。これは僧侶としては考えられないことです。普通ならば、僧侶が戦に加わっても、僧侶ならでは武装がある筈なのですが。そう、丸で何らかの遺恨を晴らすように武将に戻って関ヶ原に望んだような感があるのは、私だけでしょうか?
儒教や陰陽道など 幅広い学問が学べるんだゾ!!
滋賀県の坂本のお寺に南光坊天海を大河ドラマに!ってポスター貼ってましたよ。
面白かった😊
農民にとって一番身近な知識人はお坊さんだった。だから全日本人が苗字をつくるときも、お坊さんのもとに名前の相談をしに来る者が続出。
喜多院に天海見に行ったり久能山も行ったけど久能山階段エグすぎて大変だったけどめちゃめちゃ良いところだった
あれっ? と3度見して確かめたのですが、『四神相応』の解説のところ、南北がひっくり返っております。勿体ない。ちなみに、東に青龍が住まう川 南に朱雀が降り立つ池 西に白虎が走る道で、残念ながら北の決まり文句は忘れたのですが、北の玄武が山だそうです。ぐぐっても出てこなかったので、いつか調べて『四神相応』の解説などやっていただけると嬉しいです。
あ、失礼しました。訂正コメントをしておられましたね。ですが、本当にこちらの主さんの地形や土地と絡めた『四神相応』の解説は聞いてみたいので、お気が向いたらでよろしいので、お願い致します。
謎の上から目線で偉そうに言って誠に申し訳無いし優秀で有能な完璧超人の副社長には、まだ及ばないけどピロスケも大成長したなぁ、解説や進行など全てが上手くなったなぁ
副社長が信仰されてる
Thanks!
5:13 の部分でビール吹いた無理だろ、我慢できるかよʬʬʬ
古代の方々ほど思考や思想をダイナミックな場で表現してるよなぁと感じました。家康は戦国時代の申し子の印象が強く、もっとも強かった運は「人との縁」だと考えます。他人との縁に恵まれても、一時の感情や保身から相手を殺してしまうことが多かった時代、家康は他の大名とは違う行動に活路を見出ださざるを得なかったのだと思います。だからたくさんの才能が集まった印象です。江戸はほとんど未開拓だったからこそ、風水を活かし、呪術的な建造物の配置も意のままだったのでは?と、トキメキます。在るものを変えるより、更地に建築していく方がコストも低く出来そうです。天海様もそうですが、皆が戦国乱世の終わりを望み、動いていたことが伺えてやはりこの期間の歴史は胸が熱くなります。
天海は戦前の段階で既に会津出身であることが常識だったらしいけど大正時代から小説の影響だかで言われだしたことだとか…?江戸は元々目黒川等の水運で品川湊が盛んだった+北条にとって伊豆・小田原本拠だと関東遠すぎるし西勢力と国境に近すぎる(現に速攻で囲まれる事態に…)から氏政が隠居地に指名→第二首都として東関東統治・北関東を見据える構想があって、それを引き継ぐ形になった感(そこから岩槻・関宿・本佐倉等佐竹や宇都宮、里見等の勢力の前線に指令出した形跡有)天海は会津に異動した蒲生氏郷+秀次と共に東北仕置することになった時に家康と面識が産まれたのかな?
富士山の件とかもそうなんだけど、なんか懐疑的なんだよな。当時そこまでちゃんと地理を把握してたのかな?
死ぬほど戦やってた時代なんで当然地理は頭に入ってたと思いますよ。当時は無線などもないので日時を指定して戦場に向うために集うというのも離れ業で、最低限地理は頭に入って無いとそもそも軍事行動できませんよ。
天海のバフ掛かりまくりで存続した徳川政権かと思えるぐらいのスピリチュアル布陣!!
三浦按針はありますか?なければお願いします!
足利学校の話が出る「軍配者」シリーズを思い出した。差し詰め天海は「家康の軍配者」だったんやなぁ。軍事担当じゃないけど
天海も優秀だけど、北条玄庵もかなり優秀だと思います、できれば特集やって欲しいです
ほんとに、北条やってほしいです!もっと推されてもいいと思うけど、なかなか推されない。
家康のブレーンは凄い人ばかりだと思います。天海が居なくとも崇伝で代わりは務まったと思います。林羅山もディベートが強くて地動説派のポルトガル人を天動説で論破して相手を混乱させた逸話も有りますよね。
家康の部下は、本多正信以外は武辺者ばかりだった印象でしたが、天海も活躍していたんですね。軽視されがちな「内政官」特集も見てみたいです、地味ですが…
確かに明智光秀ではないよな〜
Dの意志を受け継いでる事は間違いないです🎉
誰かがこの説と混同して南光坊天海=義経説が昔あって、さすがにトキトキ過ぎる😅🎉
それそれ、指にとまらせて。
僕は光秀の息子光慶説を推したいです
わかります♪
龍が如く 見参!では小物っぷりを見せてただけにあんまり好きではなかったけどめちゃカッコいい人だったわけね
久能山の家康の墓が西向きに建てられてるのはこういう意味だったのかな西向きの神社は怖いっていうけどその辺とも繋がりそう
風水的にも、江戸を守る結界を強める為に行った多くの事象は有名ですよね。光秀公が天海であったとしても、それを認める事は絶対にしませんし証拠は残さないでしょうね。日光にある明智平の名前の由来等もネタとしては面白いところなので自分的には、説というよりロマンかなとは思います。顔バレ・筆跡バレをさせない為に家康の後年から活躍した事や、豊臣を意地でも滅ぼしたかった明智と徳川連合を考察するのも楽しいです。
天海・・・・いったい、何ゆきなんだ・・・
主人がやってる信長の野望で、お坊さんの交渉がくると人質を開放しなきゃいけなくなる、お坊さんが厄介だ!と言っていた理由がわかりました。論破されちゃうんですね。お坊さんに。
15:11 これ言われたらもう何も言い返せないw
色んな意見があって面白いです。少し気になったのですが、天海が明智と関係ないとしたら、、、なぜ日光に明智平と言う場所があるのか東照宮に桔梗紋があるがそれはなぜか春日局と会った時に、お久しゅうございます、と言ったのか様々な疑問が生まれてきました。そのあたりはいかがでしょうか?
確か石田三成の長男も出家後100歳前後まで生きたそうですし、当時の坊さんには長寿のジツとか伝わってたんですかね?
〇りすぎ都市伝説味があってぞわっとするほど面白かった。家康が晩年外交僧を重用したきっかけに、関ケ原の戦後処理で外交官のできる部下が井伊直政くらいしかいなく、酷使した結果コロッといってしまったためという話を聞いたことがあります。
天海=明智光秀 説。日光東照宮の建物に明智家の家紋があったり日光の地名に"明智平"という場所があったり。俺は明智光秀説を信じてる🙂
昔の話で東西南北に線を引いて説明するケースが良くあるんだけど、伊能忠敬以前の正確な地図がない時代に本当だったのかなと思ってしまう。正確な地図はなくても、正確な方向はあるって感じなんだろうか
家康の遺体を運ぶ際、富士山の東側で御殿をたてて、少し安置しておいた。その故事が由来の地名が「御殿場」
まさに「テンカイ・コード」!
伊達政宗も最上義光も解説お願いしますかっこいい
家康が江戸幕府開いてなかったら今も都は京なのかなー。と思ったりします。自身を神格化するのは権力者やなとも思います。今の日本文化は江戸にありですな。
余談だけど、蘆名(佐竹)義広の母親は伊達晴宗の娘。伊達政宗は母方の従弟同士。大河ドラマ独眼竜政宗での蘆名義広役は堤真一。
今回は風水というか方角に関する内容が多かったですが、当時の測量技術はどの程度のものだったんでしょうか
まさか天海の話でひろゆきが出てくるとはwでも、外交僧とかって徳川葵三代でも描かれてるし、ディベート能力って意味では本当に天海はひろゆき並に凄かったんだろうなw
地形図の関東平野のだだっ広さ見てると関東が日本の中心になった理由がよくわかるねそれはそうと天海蘆名出身説だと山田風太郎の忍法帖連想するなぁ
鬼武者のせいで左馬介=天海が抜けん笑
天海様ってことは天海祐希が出てきた時は「あぁ?天海様騙ってんじゃねぇよ」とかキレたのか?w
戦国BASARAの天海様大好きだった
ディベート無双の天海と、ひろゆき無双の戦いがみたいな。
葵徳川三代で「まだ生きてるんかい!?」と何度突っ込んだことか
それでも私は明智光秀だと信じている。
天海はガチ。幕府の最高機密がヤバい
家康の右腕っていうと金地院崇伝、二代目秀忠の右腕っていうと南光坊天海って感じがする秀忠って他の諸大名と比較しちゃうとたいして武勇もないし権威付け肝要だったと思うのだけど、そこをうまくやったのが天海
江戸城の四神相応の説明の下りは南北が逆じゃないですかね
あめゆきさん本当だ!!編集ミスしてますね💦ご指摘感謝します!コメントで訂正しておきますね!
@@非株式会社いつかやる とても面白い動画でした山城のようには難しいかも知れませんが平城や平山城の解説も見て見たいです。
天海祐希さんは寛永寺あたりの出身で名前つけたらしい
江戸の町に結界をはった御方は天海さん?
明智光秀だとおもうんよなー。明智が徳川の暗殺をばらして徳川逃げる、明智が謀反。負けたので徳川に匿ってもらう という説が好き。
筆跡まで変えるなんて光秀も努力家だなぁw
一方、明治政府の官軍は、江戸幕府のパワースポットである東叡山寛永寺を焼き払い、西洋文化の博物館にしていまった。鶯谷も近代以降、墓とラブホの駅という不遇な扱いなのは朝廷の思惑があるように思われる。
南光坊天海とヒトラーが同時代だったら都市伝説話で盛り上がりそう
天海和尚はサクラ大戦のボスの一人で出てくる
北に…江戸湾…違う世界線…うっ…頭が…
天海に関する説芦名氏説の問題は曖昧な根拠しかなく、天海周辺の人物を見ても芦名氏とつながっているものは何もない。 例えば、芦名氏家は[丸に三引き両(丸い円に3列)]であるが、天海が使用した家紋は(今日の喜多院あるいは東京上野公園の了大寺図[5]に見られる。)[丸に二引き両(丸丸に2列)]と[三宅輪宝(三宅林坊[6])]である。 芦名氏と明確に異なることがわかる「丸に二引き両(丸い円に2行)」は足利文章だが、同時に美濃国(現岐阜県皆市)の富山氏も使用している。(足利文章と富山家文章は陰影が逆である。)一方、「三宅輪宝(三宅林坊)」は文字通り三河国(現愛知県豊田市の三宅氏一族である。 家門は名前と同じもので、自分の出身地を表す。 自分と全く関係のない文章は書かないのが普通だ。 もし芦名さんなら自分と無関係な文章(それも2種類)を使ったことになる。 だが、天海ほどの高僧が家を詐称するとは思えない。[丸に三引き両] アシナガの文章[丸に二引き両]富山が紋章[丸に二引き両]足利家紋章[三宅輪宝]三宅家紋章[桔梗]明智が文章天海1561年に信濃国で起きた第4次川中島の戦いを参観したという。 これも曖昧だ。 これは小説などから出た説だと思われる。 天海が足利将軍家12代足利義晴の子であり、本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀と同一人物であるという説がある。(墓所の日光に「明智平」という場所があるなど根拠が挙げられることが多い)。 天海と明智光秀が同一人物なら、死ぬ時の年齢は116歳になる。 その当時の平均寿命から見て無理がある。 だが、明智光秀の周辺人物である可能性があり、可能性が高い。それは天海と光秀の筆跡鑑定(2000年8月6日、TBS系「常陸セカイ=伏木ハッケン」で放映)においても示したように、鑑定結果によれば、天海と光秀とは別人であるが、書体が類似した文字がいくつかあり、二人の関係は親子関係のように近い人であると推定された。 光秀の従弟の明智光晴か婿の秀光になり得る。 秀光の場合、山崎の戦いで敗れた後、坂本城で自決したが、遺体を見つけることができず、墓もない。 それから、琵琶湖を馬で渡ったという伝説もある。 また、明智光晴と秀光、そして富山屋晴を同一視する傾向もあるため、天海が明智秀光という説は信憑性が高いといえる。また、天海が亡くなった時に年齢が最高135歳とも言え、光秀と秀光の二人が2代にわたって演じたのではないかという説もある
この坊さんはいろいろなアイデアで徳川政権を支えたので家康としてありがたかったはず。比叡山 → 東叡山寛永寺、本願寺 → 東本願寺、伊勢神宮 → 東照宮ある意味眉唾ものだが、徳川の財力で立派なものを建てれば東日本では通用した。なお、天皇家は毎年東照宮への参拝が義務付けられた(公家が代理)。
言ったらあれか、今の弁護士みたいなもんかw
天海=明智光秀説は否定されていたの知らなかった。
そんな江戸城跡地に皇居があると。
私は明智光秀と信じてる…
その説の方がロマンあっていいですよね!僕も光秀と信じたい!
@@非株式会社いつかやる 光秀の息子とかあり得ますかね?
この動画見てて思い出したけどサクラ大戦にも敵キャラで天海がいたな
蘆名って実在するんだ…
だから、寛永通宝になったのか
つまり北斗の拳か(違う)
イチコメ頂きます(`・ω・´)ゞ
今年の大河でも「神の君」と呼ばれてはりますなぁ。さて宮とつく神社は天皇家縁の神社なのですが、天皇家ではないのに宮がつく神様が二柱おられます。内の一柱は徳川家康公。もう一人は菅原道真公。前者は権力で宮をもぎ取り、後者は怨霊として恐れらて宮を贈られたというw。
天海と言えば谷中の瑞輪寺は家康が天海のために建てた寺だったよなぁだから本堂には徳川宗家の家紋があるし徳川の譜代大名や直臣の家系の墓もあるデカい墓石は大体が大名か旗本本体にその人の経歴が彫られている何で知っているかだって?先祖が徳川直臣で小石川の薬園の側に屋敷があったのだよ
天海の宗教的力は絶大だと思いますよ。信長の焼き討ちで荒廃した比叡山延暦寺を探題執行で再建したりしてますし、それ以前は、川越の喜多院のトップですからね。一番の力を発揮したのは権現と大明神のどちらにを家康の神としての名前にするかですよね。金地院崇伝の大明神がほぼ決まりのところを、秀吉の豊国大明神を引き合いに出して、山王一実神道の権現でひっくり返すなんですけね🎉臨済宗より天台宗が有利になりますよ。😂勿論、後で寛永寺が結果できたのでしょうけど。
山王一実神道を一気に根付かせた力は凄いですよね!比叡山焼き討ちで影響力を失った天台宗をまた台頭させたのも天海の凄さですよね☆この話も面白かったのでとりあげたかったんですけど宗教の細かい説明は初見の方には難しい説明になるので割愛してしまったので、コメントで補足して頂きありがとうございます!
権現とか明神と言う話、現代の人はあまり馴染みが無いと思います。宗教関心を持たないので。
現在の寛永寺には、両大師堂があり、慈恵大師良源と、慈眼大師天海をお祀りしています。毎月3日が縁日で正五九が御開帳になります。
7:10 訂正 編集ミスで北と南が逆になってます💦申し訳ありません!北に麹町台地、南に江戸湾です!
今回は尺的にカットしちゃいましたが、江戸の町や堀を螺旋状にして住みやすい町+竜脈を作って気を強くしたり色々やってる天海さん!
会津に現地調査した時、白虎隊と天海の愛が凄まじかったですね!
会津の方々には貴重な資料も送ってくださりめっちゃ勉強になりました!
天海の明智光秀説は僕個人としてはロマンあって大好きなので、この説は別の解説でやりたいですね!
あと今回はちょっとしか登場しなかったですが、徳川を守れたのは天海さんの力もありますが、崇伝さんの力もかなりデカい!
結構やらしい政治をするのでダークヒーロー感あって面白いんですよね!崇伝さんの解説も今年中にはやりたいですね!
突然失礼します!
江戸の説明の方角が南北逆になってると思われます!!!
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お気になさらないでください!細かいことです!!!
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明智説や明智血縁者説も色々あるけど謎が謎を呼ぶから面白い。
僕らの本発売されたので是非皆様買ってくれたら嬉しいです!
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衛星もなく、ましてや伊能忠敬がほぼ正確な日本地図作る前から、要所要所の位置を捉えてる当時の人達…凄い…
なんとなく胡散臭い坊さんのイメージが強かったからすごい面白かった!戦国時代に活躍したお坊さんシリーズ化してほしい!
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天海を特集するとは思わなかったから凄く面白かった
南光坊天海もそうだが安国寺恵瓊に太原雪斎や下間頼廉といいなんであの時代の坊さんはカッコいいんだろうな
土豪のウチは良いけれど、ある程度支配地域を拡大して権威付けをしようと思うと“儀礼”が欠かせません。
なので、当時“儀礼に詳しい人物”としてインテリ層に位置づけられていた僧侶が選ばれたのではないかと。
また「本山ー末寺」という広域ネットワークを持つ点もあるのかな?と推測します。
怪僧シリーズ最高です!日本の仏教史を学びたいのであわよくばもっと他の怪僧も取り上げてもらえればとリクエストさせていただきます!
金の神輿で家康の亡骸が運ばれた話や、天照に対抗するように「東照」を持ってきた(天皇の権威と同等あるいは上位格)命名の説話など初めて知りました。重厚な知識、知恵、洞察力、経験則からくる直感、そして健康体に恵まれた人物だったのだろうなと想像できました。
明智光秀説を信じてます、春日局も光秀に縁のある人でしたし、その春日局を優遇してきた家康のことを考えるとどうしても光秀かな〜と。生きていることがバレないよう書を書く時は代筆させていたという話、自分も聞いたことあります
天海の教養を総動員した粋な計らいに思わず天を仰ぎました
あとシティーズスカイラインという街づくりSLGの実況で、亡くなった市民を供養するために数珠の形をした街を作った人を思い出しました
漠然と「栄えてなかった江戸にしたのは色々理由がある」と聞き覚えていましたが、江戸の構成から家康自身の神格化まで、天海僧侶が関わっていてものすごく尽力したんだなというのを理解出来ました。まだ大河でもキャストが発表されていないので、ぴろさんのお話を聞いてより一層今後の展開とキャストが楽しみになりました😄 お話を聞いていて個人的にやっぱり朝廷や西国からの独立という鎌倉幕府の遺伝子を、三河産まれである家康はガッチリと体現したかったのかなと感じました。
書で身バレしないように代筆させてたって説も有るので光秀=天海説を信じてます
以前から興味があった人物でしたので、とても興味深く拝見しました。
当時の僧侶というのは、単に仏の教えを説き、宗教倫理を広めるだけじゃなく、知識層という側面が強かったんですね。
それにしても仏の教えと軍事学ってのは、今では相反するように感じましたが、当時の仏教や僧侶の価値観と現代のそれとはどのくらい異なるもんなんでしょう....?
そのあたりも気になりました。
次回も楽しみにしています。
当時の政治には宗教的な側面が凄く重要だったんですね!日光東照宮のしかけとかすごく面白いです
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崇伝は「黒衣の宰相」というだけあって、武家諸法度の制定や方広寺大仏殿事件(国家安康)などの政治の実務にもかなり係わった印象ですが、天海の方はより宗教的な事物などにコミットしていますよね。私はこの二人に林羅山を含めた三人が秀忠の下で徳川幕府の思想政策の基礎を固めたと考えています。
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この話し とっても面白かったし わかりやすかったです。
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大火で江戸城天守(死兆星)が消失したのが江戸幕府長命の一因だったりして。
サクラ大戦のボスのイメージしかなかったので勉強になりました。
天海ってパワーゲームもすごいんですよね・・・・。後輩の以心崇伝も蹴落として、家光にまで影響をあたる不老不死の大僧侶として日光に葬られましたしね・・・。
ごめんなさい。
筆跡鑑定では水を差すようなことを言うようですが、
『他人ではあるが、極、稀に一致する言葉があり、近親者か、従兄弟的な関わりがある人物の可能性がある』と、光秀と天海の筆跡鑑定ではとある地上波のチャンネルで鑑定士が言っていた筈ですが、、、。
あと、南光坊天海が普通の僧侶ではない理由がわかるのは、天海は丸で武将のような鎧を纏い、関ヶ原の戦いに馳せ参じています。
これは僧侶としては考えられないことです。
普通ならば、僧侶が戦に加わっても、僧侶ならでは武装がある筈なのですが。
そう、丸で何らかの遺恨を晴らすように武将に戻って関ヶ原に望んだような感があるのは、私だけでしょうか?
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滋賀県の坂本のお寺に南光坊天海を大河ドラマに!ってポスター貼ってましたよ。
面白かった😊
農民にとって一番身近な知識人はお坊さんだった。
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喜多院に天海見に行ったり久能山も行ったけど久能山階段エグすぎて大変だったけどめちゃめちゃ良いところだった
あれっ? と3度見して確かめたのですが、『四神相応』の解説のところ、南北がひっくり返っております。
勿体ない。
ちなみに、東に青龍が住まう川
南に朱雀が降り立つ池
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ぐぐっても出てこなかったので、いつか調べて『四神相応』の解説などやっていただけると嬉しいです。
あ、失礼しました。訂正コメントをしておられましたね。
ですが、本当にこちらの主さんの地形や土地と絡めた『四神相応』の解説は聞いてみたいので、お気が向いたらでよろしいので、お願い致します。
謎の上から目線で偉そうに言って誠に申し訳無いし
優秀で有能な完璧超人の副社長には、まだ及ばないけど
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副社長が信仰されてる
Thanks!
5:13 の部分でビール吹いた
無理だろ、我慢できるかよʬʬʬ
古代の方々ほど思考や思想をダイナミックな場で表現してるよなぁと感じました。家康は戦国時代の申し子の印象が強く、もっとも強かった運は「人との縁」だと考えます。他人との縁に恵まれても、一時の感情や保身から相手を殺してしまうことが多かった時代、家康は他の大名とは違う行動に活路を見出ださざるを得なかったのだと思います。だからたくさんの才能が集まった印象です。
江戸はほとんど未開拓だったからこそ、風水を活かし、呪術的な建造物の配置も意のままだったのでは?と、トキメキます。在るものを変えるより、更地に建築していく方がコストも低く出来そうです。天海様もそうですが、皆が戦国乱世の終わりを望み、動いていたことが伺えてやはりこの期間の歴史は胸が熱くなります。
天海は戦前の段階で既に会津出身であることが常識だったらしいけど大正時代から小説の影響だかで言われだしたことだとか…?
江戸は元々目黒川等の水運で品川湊が盛んだった+北条にとって伊豆・小田原本拠だと関東遠すぎるし西勢力と国境に近すぎる(現に速攻で囲まれる事態に…)から氏政が隠居地に指名→第二首都として東関東統治・北関東を見据える構想があって、それを引き継ぐ形になった感(そこから岩槻・関宿・本佐倉等佐竹や宇都宮、里見等の勢力の前線に指令出した形跡有)
天海は会津に異動した蒲生氏郷+秀次と共に東北仕置することになった時に家康と面識が産まれたのかな?
富士山の件とかもそうなんだけど、なんか懐疑的なんだよな。
当時そこまでちゃんと地理を把握してたのかな?
死ぬほど戦やってた時代なんで当然地理は頭に入ってたと思いますよ。当時は無線などもないので日時を指定して戦場に向うために集うというのも離れ業で、最低限地理は頭に入って無いとそもそも軍事行動できませんよ。
天海のバフ掛かりまくりで存続した徳川政権かと思えるぐらいのスピリチュアル布陣!!
三浦按針はありますか?なければお願いします!
足利学校の話が出る「軍配者」シリーズを思い出した。
差し詰め天海は「家康の軍配者」だったんやなぁ。軍事担当じゃないけど
天海も優秀だけど、北条玄庵もかなり優秀だと思います、できれば特集やって欲しいです
ほんとに、北条やってほしいです!
もっと推されてもいいと思うけど、なかなか推されない。
家康のブレーンは凄い人ばかりだと思います。天海が居なくとも崇伝で代わりは務まったと思います。
林羅山もディベートが強くて地動説派のポルトガル人を天動説で論破して相手を混乱させた逸話も有りますよね。
家康の部下は、本多正信以外は武辺者ばかりだった印象でしたが、天海も活躍していたんですね。
軽視されがちな「内政官」特集も見てみたいです、地味ですが…
確かに明智光秀ではないよな〜
Dの意志を受け継いでる事は間違いないです🎉
誰かがこの説と混同して南光坊天海=義経説が昔あって、さすがにトキトキ過ぎる😅🎉
それそれ、指にとまらせて。
僕は光秀の息子光慶説を推したいです
わかります♪
龍が如く 見参!では小物っぷりを見せてただけにあんまり好きではなかったけど
めちゃカッコいい人だったわけね
久能山の家康の墓が西向きに建てられてるのはこういう意味だったのかな
西向きの神社は怖いっていうけどその辺とも繋がりそう
風水的にも、江戸を守る結界を強める為に行った多くの事象は有名ですよね。
光秀公が天海であったとしても、それを認める事は絶対にしませんし証拠は残さないでしょうね。日光にある明智平の名前の由来等もネタとしては面白いところなので自分的には、説というよりロマンかなとは思います。
顔バレ・筆跡バレをさせない為に家康の後年から活躍した事や、豊臣を意地でも滅ぼしたかった明智と徳川連合を考察するのも楽しいです。
天海・・・・
いったい、何ゆきなんだ・・・
主人がやってる信長の野望で、お坊さんの交渉がくると人質を開放しなきゃいけなくなる、お坊さんが厄介だ!と言っていた理由がわかりました。
論破されちゃうんですね。お坊さんに。
15:11 これ言われたらもう何も言い返せないw
色んな意見があって面白いです。
少し気になったのですが、天海が明智と関係ないとしたら、、、
なぜ日光に明智平と言う場所があるのか
東照宮に桔梗紋があるがそれはなぜか
春日局と会った時に、お久しゅうございます、と言ったのか様々な疑問が生まれてきました。
そのあたりはいかがでしょうか?
確か石田三成の長男も出家後100歳前後まで生きたそうですし、当時の坊さんには
長寿のジツとか伝わってたんですかね?
〇りすぎ都市伝説味があってぞわっとするほど面白かった。家康が晩年外交僧を重用したきっかけに、関ケ原の戦後処理で外交官のできる部下が井伊直政くらいしかいなく、酷使した結果コロッといってしまったためという話を聞いたことがあります。
天海=明智光秀 説。
日光東照宮の建物に明智家の家紋があったり
日光の地名に"明智平"という場所があったり。
俺は明智光秀説を信じてる🙂
昔の話で東西南北に線を引いて説明するケースが良くあるんだけど、伊能忠敬以前の正確な地図がない時代に本当だったのかなと思ってしまう。
正確な地図はなくても、正確な方向はあるって感じなんだろうか
家康の遺体を運ぶ際、富士山の東側で御殿をたてて、少し安置しておいた。
その故事が由来の地名が「御殿場」
まさに「テンカイ・コード」!
伊達政宗も最上義光も解説お願いしますかっこいい
家康が江戸幕府開いてなかったら今も都は京なのかなー。と思ったりします。自身を神格化するのは権力者やなとも思います。今の日本文化は江戸にありですな。
余談だけど、蘆名(佐竹)義広の母親は伊達晴宗の娘。伊達政宗は母方の従弟同士。大河ドラマ独眼竜政宗での蘆名義広役は堤真一。
今回は風水というか方角に関する内容が多かったですが、当時の測量技術はどの程度のものだったんでしょうか
まさか天海の話でひろゆきが出てくるとはwでも、外交僧とかって徳川葵三代でも描かれてるし、ディベート能力って意味では本当に天海はひろゆき並に凄かったんだろうなw
地形図の関東平野のだだっ広さ見てると関東が日本の中心になった理由がよくわかるね
それはそうと天海蘆名出身説だと山田風太郎の忍法帖連想するなぁ
鬼武者のせいで左馬介=天海が抜けん笑
天海様ってことは天海祐希が出てきた時は「あぁ?天海様騙ってんじゃねぇよ」とかキレたのか?w
戦国BASARAの天海様大好きだった
ディベート無双の天海と、ひろゆき無双の戦いがみたいな。
葵徳川三代で「まだ生きてるんかい!?」と何度突っ込んだことか
それでも私は明智光秀だと信じている。
天海はガチ。幕府の最高機密がヤバい
家康の右腕っていうと金地院崇伝、二代目秀忠の右腕っていうと南光坊天海って感じがする
秀忠って他の諸大名と比較しちゃうとたいして武勇もないし権威付け肝要だったと思うのだけど、そこをうまくやったのが天海
江戸城の四神相応の説明の下りは南北が逆じゃないですかね
あめゆきさん
本当だ!!編集ミスしてますね💦
ご指摘感謝します!コメントで訂正しておきますね!
@@非株式会社いつかやる
とても面白い動画でした山城のようには難しいかも知れませんが平城や平山城の解説も見て見たいです。
天海祐希さんは寛永寺あたりの出身で名前つけたらしい
江戸の町に結界をはった御方は天海さん?
明智光秀だとおもうんよなー。明智が徳川の暗殺をばらして徳川逃げる、明智が謀反。負けたので徳川に匿ってもらう という説が好き。
筆跡まで変えるなんて光秀も努力家だなぁw
一方、明治政府の官軍は、江戸幕府のパワースポットである東叡山寛永寺を焼き払い、西洋文化の博物館にしていまった。鶯谷も近代以降、墓とラブホの駅という不遇な扱いなのは朝廷の思惑があるように思われる。
南光坊天海とヒトラーが同時代だったら都市伝説話で盛り上がりそう
天海和尚はサクラ大戦のボスの一人で出てくる
北に…江戸湾…
違う世界線…
うっ…頭が…
天海に関する説
芦名氏説の問題は曖昧な根拠しかなく、天海周辺の人物を見ても芦名氏とつながっているものは何もない。 例えば、芦名氏家は[丸に三引き両(丸い円に3列)]であるが、天海が使用した家紋は(今日の喜多院あるいは東京上野公園の了大寺図[5]に見られる。)[丸に二引き両(丸丸に2列)]と[三宅輪宝(三宅林坊[6])]である。 芦名氏と明確に異なることがわかる
「丸に二引き両(丸い円に2行)」は足利文章だが、同時に美濃国(現岐阜県皆市)の富山氏も使用している。(足利文章と富山家文章は陰影が逆である。)一方、「三宅輪宝(三宅林坊)」は文字通り三河国(現愛知県豊田市の三宅氏一族である。 家門は名前と同じもので、自分の出身地を表す。 自分と全く関係のない文章は書かないのが普通だ。 もし芦名さんなら自分と無関係な文章(それも2種類)を使ったことになる。 だが、天海ほどの高僧が家を詐称するとは思えない。
[丸に三引き両] アシナガの文章
[丸に二引き両]富山が紋章
[丸に二引き両]足利家紋章
[三宅輪宝]三宅家紋章
[桔梗]明智が文章
天海1561年に信濃国で起きた第4次川中島の戦いを参観したという。 これも曖昧だ。 これは小説などから出た説だと思われる。 天海が足利将軍家12代足利義晴の子であり、本能寺の変で織田信長を殺した明智光秀と同一人物であるという説がある。(墓所の日光に「明智平」という場所があるなど根拠が挙げられることが多い)。 天海と明智光秀が同一人物なら、死ぬ時の年齢は116歳になる。 その当時の平均寿命から見て無理がある。 だが、明智光秀の周辺人物である可能性があり、可能性が高い。
それは天海と光秀の筆跡鑑定(2000年8月6日、TBS系「常陸セカイ=伏木ハッケン」で放映)においても示したように、鑑定結果によれば、天海と光秀とは別人であるが、書体が類似した文字がいくつかあり、二人の関係は親子関係のように近い人であると推定された。 光秀の従弟の明智光晴か婿の秀光になり得る。 秀光の場合、山崎の戦いで敗れた後、坂本城で自決したが、遺体を見つけることができず、墓もない。 それから、琵琶湖を馬で渡ったという伝説もある。 また、明智光晴と秀光、そして富山屋晴を同一視する傾向もあるため、天海が明智秀光という説は信憑性が高いといえる。
また、天海が亡くなった時に年齢が最高135歳とも言え、光秀と秀光の二人が2代にわたって演じたのではないかという説もある
この坊さんはいろいろなアイデアで徳川政権を支えたので家康としてありがたかったはず。
比叡山 → 東叡山寛永寺、本願寺 → 東本願寺、伊勢神宮 → 東照宮
ある意味眉唾ものだが、徳川の財力で立派なものを建てれば東日本では通用した。
なお、天皇家は毎年東照宮への参拝が義務付けられた(公家が代理)。
言ったらあれか、今の弁護士みたいなもんかw
天海=明智光秀説は否定されていたの知らなかった。
そんな江戸城跡地に皇居があると。
私は明智光秀と信じてる…
その説の方がロマンあっていいですよね!
僕も光秀と信じたい!
@@非株式会社いつかやる 光秀の息子とかあり得ますかね?
この動画見てて思い出したけどサクラ大戦にも敵キャラで天海がいたな
蘆名って実在するんだ…
だから、寛永通宝になったのか
つまり北斗の拳か(違う)
イチコメ頂きます(`・ω・´)ゞ
今年の大河でも「神の君」と呼ばれてはりますなぁ。
さて宮とつく神社は天皇家縁の神社なのですが、天皇家ではないのに宮がつく神様が二柱おられます。内の一柱は徳川家康公。もう一人は菅原道真公。
前者は権力で宮をもぎ取り、後者は怨霊として恐れらて宮を贈られたというw。
天海と言えば
谷中の瑞輪寺は
家康が天海のために建てた寺だったよなぁ
だから
本堂には徳川宗家の家紋があるし
徳川の譜代大名や直臣の家系の墓もある
デカい墓石は大体が大名か旗本
本体にその人の経歴が彫られている
何で知っているかだって?
先祖が徳川直臣で
小石川の薬園の側に屋敷があったのだよ
天海の宗教的力は絶大だと思いますよ。
信長の焼き討ちで荒廃した比叡山延暦寺を探題執行で再建したりしてますし、それ以前は、川越の喜多院のトップですからね。
一番の力を発揮したのは権現と大明神のどちらにを家康の神としての名前にするかですよね。
金地院崇伝の大明神がほぼ決まりのところを、秀吉の豊国大明神を引き合いに出して、山王一実神道の権現でひっくり返すなんですけね🎉
臨済宗より天台宗が有利になりますよ。😂
勿論、後で寛永寺が結果できたのでしょうけど。
山王一実神道を一気に根付かせた力は凄いですよね!比叡山焼き討ちで影響力を失った天台宗をまた台頭させたのも天海の凄さですよね☆
この話も面白かったのでとりあげたかったんですけど宗教の細かい説明は初見の方には難しい説明になるので割愛してしまったので、コメントで補足して頂きありがとうございます!
権現とか明神と言う話、現代の人はあまり馴染みが無いと思います。宗教関心を持たないので。
現在の寛永寺には、両大師堂があり、慈恵大師良源と、慈眼大師天海をお祀りしています。毎月3日が縁日で正五九が御開帳になります。