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20世紀の読売って本当に極悪非道だったんだなぁ
いい動画でした。
こういう昔の野球界のこと動画にしてくれるのありがたい
ここに所属したおじいちゃんと話したとこがあります160センチちょいしかなかったけどどでかいホームラン打ったのが嬉しかったと語ってて微笑ましくなりました
締めの言葉が感動的でした。いつも動画楽しみにしてます。これからも頑張って下さい。
そんな背景考えたらパイレーツ時代からのファンにとってはライオンズがジャイアンツに対し日本シリーズ3連覇したのは相当な気持ち良さだったんでしょうね…。
ヤマザキ春の野球祭り・・・ツボにハマりました😁
今でも読売巨人は隙あらば1リーグ復活に動く
すばらしい!さぞや調べるのにご苦労があったことと存じ上げます。この動画を待ちわびておりました。ありがとうございました。
大変勉強になりますし面白いです。
74泊75日って、遠洋漁業かよ。めちゃくちゃおもしろい話をありがとう。
短命球団としては「高橋ユニオンズ」の事は 時々話題になりますが、「西日本パイレーツ」の事は あまり話題にならなかったので、詳しい話しが聞けて、面白かったです。
こういうのは有難い。中々活動期間の短いプロ野球チームは知らない事も多いですし。
江口寿史の「進め パイレーツ」を思い出しました。
オクラホマオカマーズ、という球団もありましたね、あのマンガ
良かったプロ野球の歴史が分かりやすく解説してくれるし、もっと評価されてもいいチャンネルだわ
5:53西日本の打線って、原爆打線の他にも黒いダイヤ打線ってのもあった気がする
同じ年にセ・リーグを制した松竹は水爆打線と呼ばれていましたね。
懐かしい
青田さん金払って退団とかスゲー時代やな
高橋ユニオンズはスタルヒンが居たから話題に上がる事はあるけど西日本パイレーツは1年で西鉄クリッパーズと合併して「西鉄ライオンズ」になったとしか知らなかったありがたいです
亡父から西日本新聞パイレーツの情報を聞いて興味そそそりました。地元では西鉄オンリーでしたが以外でした。
当時のセリーグ会長は、現役の読売新聞副社長(その後代表取締役)でした。公平に対応する訳ないよね。
本当この頃から自分勝手な球団だったね。
その数年前までは職業野球団総裁(今のコミッショナーにあたる)が巨人軍オーナーの正力松太郎だった。まあ、当時は読売なくしては職業野球が成立しない時代だったんだ。正力松太郎はそんな状況でも各球団対等に戦えるようにする種を少しづつ撒いていたんだから許してくれ。
@@鈴木恵一-y8j 『職業野球』という枠組み自体、読売新聞が毎日新聞(都市対抗)と朝日新聞(高校野球)に対抗するために作り出したものだからね。
鈴木龍二は讀賣とは無関係では?このあと昭和59年くらいまでセリーグ会長務めるが。
@@wurry77 鈴木龍二は2リーグ分裂3年目の1952年から会長になったので、この時点では関係ありません。初年度の会長は安田庄司です。
西日本相手に初の完全試合を成し遂げた藤本さんですが、東京から遠く離れた青森に出張した記者はごく僅かで、完全試合の様子を写した写真は一枚もないそうです。
藤本英雄さんは、完全試合の数年前に球場の風呂で小島さんが「俺は変化球まったくダメなんだ」と喋ってたのをたまたま聞いてて、最後の打者として小島さんが出てきた時にそれを思い出して安心したそうです。
概要欄見てから本編見たけど…本編よりこっちの方がインパクト強くて強くて😂
ライオンズの球団史を見ると西日本パイレーツ出て来ますね海賊は山賊になりましたが
1979年~1988年に九州に球団が一つも無かったというのが、今の若いプロ野球ファンからすれば信じられないでしょうね~
物心ついた頃には鷹があったって最初の世代もそろそろアラフォーだもんな。そしてクラウンを知ってる最終世代ももう50を過ぎたしなぁ。
4:32ヤマザキ春の野球祭り?春のパン祭りみたいな名前やけど?ヤマザキ製パンがスポンサーのオープン戦?
西日本パイレーツが1年で消えましたが他球団のではクラウン(現埼玉西武)ライターライオンズも1年で消えた球団でもありましたね。
猿山さるぞうと犬井犬太郎のイメージが強烈過ぎて肝心の主人公の名前が浮かんでこない。なんとか一平www
セネタース、ライオン軍、トンボの話も聞きたいな。
@紫の戦士 詳しく教えて頂きありがとうございます😭
完全試合だっちゅ〰️の😄
藤本英雄さんの完全試合達成については、西日本パイレーツ側は試合前日に大雨降る中で猛練習した後の強硬移動で選手はコンディション最悪、巨人側は先に青森入りしていて「こんな大雨だから明日は中止じゃ♪」とばかりに夜遊びしちゃって寝不足か二日酔い、でどっちもまともじゃなかったという話が本に書かれていたのを読んだ覚えがあります。藤本さんは宿で徹夜麻雀していて寝不足&腰痛だったとか。しかしそのような状態だった故に全身の力が抜けて絶妙な「打たせて取る」ピッチングができたとか。
プロ野球、鉄道(国鉄、南海、阪神、阪急、西武、西鉄、東急、近鉄)、映画(東映、松竹)、食品(大洋、日本ハム、ロッテ)、新聞(読売、中日、毎日、産経、西日本)会社などがいくつかありましたが最近はIT企業が参入。
鉄道だと、名鉄も一時期ドラゴンズに参画していましたね。映画だと大映、食品だとヤクルトもはいるかな。
ライオン(石鹸、洗剤)、トンボもありました。
日本初のプロ野球完全試合、実は写真が一枚も残っていないんだよね。
サンケイアトムズも、短い期間だと思います。
同じ1年でも2軍のみのチームだった山陽クラウンズに関しても詳しく聞きたい。
山陽電鉄(神戸~姫路を結ぶ、阪急阪神グループの私鉄)が母体でしたね。
パイレーツといい、ユニオンズといい一部の有力オーナーの声の大きさに翻弄されてたんだなと両球団とも経営基盤が弱かったってのもあるけど
パイレーツって2人じゃなかったのか
それじゃあ野球できないんだっちゅうのw
代打で監督出てくるの笑う
短命幻チームと言えば高橋ユニオンズは時々話題に成りますが西日本パイレーツは殆んど知らない本当に幻のチームのイメージでした。この動画で初めて知った事ばかりです。今や福岡のチームが日本一へ一番近い時代になり隔世の感が有りますね。西日本パイレーツ・・・名前も人気者に成れそうな良い名前ですし本当に勿体ない気の毒過ぎる惜しい球団だったのですね。
海賊から山賊へ
日比野さんや関口さんといった西鉄の黄金期を支えたメンバーの方が在籍されていたんですよね!
戦前戦後そして2リーグ分立直後は1〜3年で消滅した球団が多かったですね…
一応西日本は×にしにほん〇にしにっぽんです。西日本新聞も西日本鉄道もどっちも「にしにっぽん」なんです。
福岡の西日本はほぼ確定で「にしにっぽん」西日本シティ銀行も持ち株会社の西日本ホールディングスも合併前の西日本銀行も全部「にしにっぽん」です更に言うならテレビ西日本も「にしにっぽん」です。JR西日本=西日本旅客鉄道は「にしにほん」です。福岡にとって「にしにっぽん」と言う概念は非常に大きくて福岡は「にしにっぽん」最大の都市なのです。西日本(にしにほん)だと大阪は勿論場合によっては名古屋も入り福岡は1番ではないです。西日本(にしにっぽん)と言う区切りだと関西地方が入らない考え方であり福岡が一番なのです。日本は(にほん)と(にっぽん)の両方の読み方が有ります。しかし東日本は(ひがしにほん)だけなのです。(ひがしにっぽん)なんて言いません。(にしにほん)と(にしにっぽん)は別の概念なのです。
KONAMIでもさすかに復刻は難しかったか
当時を知る西日本新聞の関係者は「うちの黒歴史」と言ったとか
西日本(にしにほん)新聞ではなく西日本(にしにっぽん)新聞です……。
初の被完全試合は確かに不名誉でしかないが、逆にそれがなければ今日名前すら上がることなく、球史の闇に消えてしまったのでは。現在のCSフォーマットを生かすため球団を増やす構想はありますが、温故知新、こうして歴史を振り返る作業は大事だと思います。
2リーグ分裂直後はなかなかカオスな時代で、赤嶺一派を調べると一本動画ができるかもしれない。今でこそ飛行機移動新幹線移動が可能だから福岡と北海道に同じリーグのチームがあるけど当時は辛かったんだろうなあ。
新幹線がなかった時代とは言え、とんでもないジプシーぶりでしたねえ…。
カープはパイレーツよりも更に10ゲーム下の最下位なんだよなぁ。そんな苦難を乗り越え、今も元気に存続していることにファンとしては感謝しないとね。
一応はジャイアンツ尽力したんだけどなぁ…。
このセパ2リーグ分裂時は球団同士のかけひきが凄い。元々、阪神はパリーグに参加予定だったけど、阪神巨人戦等、阪神球団が集客を考え、土壇場でセリーグに寝返ったらしい。そして、まず巨人が南海の大エース別所を引き抜き、仕返しに、パリーグの毎日が、寝返った阪神から若林、別当、土井垣、呉、本堂、主力メンバーをごっそり引き抜き、泥仕合状態だったらしい。
昔から巨人は身勝手で傲慢で「紳士」とは程遠い球団だったと。www
西日本パイレーツって高橋ユニオンズほど知られてないからこういう動画はありがたい
たしか、もうひとつの記録で、西日本と阪神の試合で史上最短で1時間もかかっていない試合があったとの話を聞いたことがあるが、今では高校野球でも1時間で終了は無理。
所要55分の史上最短試合は確か1リーグ時代だったから、西日本ではないかな。
12:20試合数、何か揃ってなくね?
カープファンですが、…11月に日米野球が控えていて、カープは試合打ちきりになったと言うことだったと思います…
@@いちろーシアトル 説明ありがとうございます!!!ただ、カープ以外も足すと値がちがくなりますね……
日米野球のために試合打ち切りというのは、翌1951年のことです。この1950年は消化試合が一部行われなかったようです。
小島監督は恐らく選手が抑えられて完全試合を達成されるより自分が最後の打者になって選手を守ろうとした優しさじゃないかな?またはケジメをつけるためか。
千葉パイレーツしか知らん犬井さん面白かった
10:43これはお荷物3球団(西日本、広島、国鉄)があまりにも弱く不人気で、興行の引受先が難色を示し始めたため、公式日程を各一週間取り消され、セ・リーグ会長命令として練習を課せられたことによる。(当時のセ・リーグ営業部長 徳永喜男氏の著書より)
この当時は新幹線なんて物はなく移動だけで1日を費やしてしまう時代だよね
だから 国鉄と遠征すると移動が楽だった選手用の車両を一両増結してくれて 当時は客車でしたから出来たことでもそうは言っても増結は三等車宿舎での食事に事欠くほどだったそうですねでも国鉄スワローズは 遠征の時は各地の国鉄官舎に泊って 各地でのもてなしがあったので 食事とかには困らなかったとか
昔、津久見高校の小嶋二八郎監督が入ってたと聞いた事があるね。
後野本喜一郎氏(上尾高校→浦和学院高校監督)もそうですよ。
別のチームだけど水爆打線というのもあったなぁ。
同じ年の松竹ですね。3連覇の頃の西鉄も「流線型打線」以外に「水爆打線」の異名がありました。
なかにし礼さんが少年時代、青森球場でボールボーイをやっていたそうです。
「魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ」という書籍でも、西日本パイレーツについて触れられていた記憶があります。細かい事は忘れてしまいましたが。戦後のプロ野球は球団の手探り感があり、今とは違った面白さがありますね。
さては当時の横浜大洋ホエールズ🐳(現・横浜ベイスターズ)の事だなぁ?
三原さんが巨人を倒して日本一になった時のコメント「巨人を倒して日本シリーズを奪回するということがパリーグの使命だった。それが西鉄ライオンズの手によって達成できて嬉しい。」
思えば昔のプロ野球チームの遠征って大変だったんでしょうね。新幹線や高速道路も無いし、飛行機は高すぎるから使えない?試合が終わったら、すぐに身支度を整えて用具一式を背負って駅へ。夜行列車の固い椅子に何時間も座り、睡眠不足で遠征先へ。さすがにそのまま試合出来ないから、旅館へ入り風呂に浸かり、昼寝をしてから練習をしてから翌日まで就寝。試合をしてから次の遠征先へ移動〜の繰り返しで、肉体的に大変だったのは容易に想像できますね。
西日本パイレーツ。チーム名は悪くない。
「すすめ‼️パイレーツ」全巻持ってましたわ。江口寿史さんは千葉じゃなくて熊本出身なんですよね。「西日本パイレーツ」の存在はご存知だったのかな?
どこかの打線が水爆打線って言われてた気がする
今と違って新幹線や飛行機で簡単に福岡に行ける時代じゃなかったから広島や福岡がホームというのはかなりのハンディだったはず。セとパで分けるよりも、二軍みたいに西日本と東日本で分ける方が当時は合ってたような気がする。
広島の初優勝1975年は、山陽新幹線博多開業の年でしたなそういえば遠征の難易度低下も影響していましょうか
2リーグ分裂時にちゃんとしたフランチャイズ制度を敷いてたらこんなグダグダにならずパイレーツも存在してたかもしれない。あと、大洋ホエールズもスタートのフランチャイズは下関と言われたけど殆ど下関では試合してなさそう。
@@mantmonk パイレーツが地元・福岡で試合した試合数も少なかったそうだセリーグなので主に 関東とその近郊が一番多かったようだ
@@asakazefuji さんプロ野球と鉄道によると広島カープの遠征は山陽新幹線博多開業ではるかに楽になってこれが初優勝最大の要因。とあります。実際山陽新幹線博多開業まで巨人軍の移動は日本一有利で新幹線飛行機顔パスで待ち時間僅少でしたし。当時の広島カープは東海道新幹線開業で山陽本線の特急が増発されて阪神戦だけは条件対等になり、根本監督時代にはその効果が出てましたが、山陽新幹線岡山開業後は又弱くなり博多開業後やっと他球団と条件が対等になって強くなってます。後戦後すぐの巨人軍が異常に強かったのは当時在籍したスタルヒン投手が米軍放出の軍服を着て(軍服風だったとも)MP(ミリタリーポリス。所謂憲兵)の腕章を作って二等車にのうのうと座ったり英語で捲し立てて担ぎ屋から米をたっぷり巻き上げたり座席を全員分確保したりスタルヒン様の威光で米軍からレーションや生肉調達出来た為三等車立ちん坊の他球団より疲労が少なく、米や肉がたらふく食えたから。実際プロ野球選手は肉体労働の最たるもの。腹が減っては戦が出来ぬ!ある意味スタルヒン投手はONや川上哲治なんか目じゃ無い位巨人軍に貢献した。と板東英二氏は著書で書いてます。もっとも近藤貞雄氏だけは自分が死ぬまでスタ公のせいで巨人軍を追われたと怨み骨髄でしたが。
西日本パイレーツの南村外野手は王貞治の前に巨人の背番号「1」を着けてた選手だったのだよね。(因みに、早稲田大学出身)
チャンネル登録させて頂きました。( ゚□゚)!
埼玉西武の直系の西鉄クリッパーズで傍系の西日本パイレーツですね
直系と傍系でえらい違い
非常に詳しくそれも短時間にわかりやすくまとめられていて神動画でした黎明期のプロ野球は高橋ユニオンズの例とかもあって正直メチャクチャだったんですね近々での再編問題は近鉄・オリックスの合併、楽天の誕生がありましたが昔も今も巨人に踊らされてるんですねこの先も巨人の威光ってのは続いていくでしょうかね
南村不可止さんが印象位かな、あとは西鉄ライオンズ補手日比野さん
28イニング4対4の引き分けになった唯一の球団?
あれは大洋と名古屋じゃなかったかな。
南村不可止、平井三郎の引き抜き問題にも取り上げてほしかった。大いに関係あるから
ちなみに、南村選手は西日本入団時は既に32歳でした。巨人に移籍後も黒バットを愛用し、主力の一員として40歳まで現役を続けました。後、昭和34年に王選手が入団する前に背番号1を付けていました。
まとめて下さってありがとうございます西武球団が福岡時代の歴史を粗雑に扱ってきたのもあって、パイレーツの情報を得る機会ってなかなか無いんですよね
近年、ライオンズが西鉄時代のチームロゴを復活させているのは、元オーナーの堤義明氏の影を払拭したい現経営陣の思惑でしょうか?
西鉄は結成当初はクリッパーズ
片や海賊(パイレーツ)、片や帆船(クリッパー)か。繋がりを意識したのかな。
なんかライオンズの歴史が濃すぎる気がする
話はズレますが、ロッテオリオンズが川崎から千葉に移転する時、海にまつわるネーミングになると聞いて、てっきり千葉ロッテパイレーツかと予想していました。マリーンズの千葉初戦で雑誌に載ったのは、いい思い出です。
パイレーツと言えば江口寿史氏の「すすめ!パイレーツ」「西日本パイレーツ」昔こんな球団有ったんですね初めて知りました。
やっぱりこのネタ出ますよね。全巻持っていました。あまりのドタバタの酷さに、本場パイレーツのデーブパーカーから「チーム名を変えてくれ!」って言われていましたよね。
@@星野高志-e7u あれは爆笑しました。千葉の事をメチャクチャに描いてるけど、後に千葉出身の人と話したら「まあ実際あんなもんだよ」と、笑ってました。
なぜ誇張表現ではないとわかった直後に同様の行動を取るのか
この球団が思惑通りセ・リーグで西鉄ライオンズに参入していれば黒い霧事件でのパ・リーグの衰退がなかったら、今のNPBと全然変わっていただろうし、球界の未来を変えた球団なのかもしれない。
福岡の人間なんで両方の企業は知ってるしパイレーツの存在も名前だけは知ってたが創設の流れなんかは初めてしれて勉強になりました。西鉄と合併したのは知ってたがもともとはセ・リーグに残ろうとしたんか。。しかし、当時の遠征はヤバすぎ💧面白かったです。
長い歴史の中でもやはり高橋由伸の60億で親父の横面ひっぱたいたのが一番印象に残ってるねそれでまだ現役やりたいのに無理やり監督しろと言われさからうこともできず
意外と健闘してるのが驚きすすめ!パイレーツの元ネタかと思ったけど、ずいぶんマシな成績だった。
これがすゝめパイレーツの元ネタか
プロ独立リーグの回とプロ野球本拠地事情の回作ってください‼️
よく調べてあるし、最後もうまくまとめましたな🤔
福岡にあった球団ですよね?親会社は西日本新聞(本社は福岡県福岡市)セ・リーグに加盟。同じく福岡県福岡市に本社を置く西日本鉄道株式会社が親会社だった西鉄クリッパーズと合併し西鉄ライオンズとなる。
機会があれば、是非。「西鉄軍(旧:西鉄)」もやって欲しいッ!!
テレ東音楽祭
これは知りませんでしたね。当初はセ・リーグで西鉄との合併目指してたみたいですし。思惑通りに行ってたら、今頃、西武がセ・リーグにいたのかも知れませんね。
名前は聞いたことあるけど、詳しく知らなかった西日本パイレーツ。初めて完全試合をくらったというのもビックリだけど、自分の地元・青森で、というのに驚愕しました。最初から西鉄と組んで球団作って参入する予定が、いざこざでセとパに分裂、再合併もイロイロあったんですねぇ...
Jリーグならしょっちゅうですよ☺️
当時は新幹線もない時代だから、移動が大変だったでしょうね。自宅に何ヶ月も帰れないなんて、妻子持ちの選手は単身赴任状態ですね。
松竹は水爆打線
西日本パイレーツは(まだ一度もテレビで特集された実績がないのであれば)テレビで特集して欲しい
あまり触れられない球団ですよね。
20世紀の読売って本当に極悪非道だったんだなぁ
いい動画でした。
こういう昔の野球界のこと動画にしてくれるのありがたい
ここに所属したおじいちゃんと話したとこがあります
160センチちょいしかなかったけどどでかいホームラン打ったのが嬉しかったと語ってて微笑ましくなりました
締めの言葉が感動的でした。
いつも動画楽しみにしてます。
これからも頑張って下さい。
そんな背景考えたらパイレーツ時代からのファンにとってはライオンズがジャイアンツに対し日本シリーズ3連覇したのは相当な気持ち良さだったんでしょうね…。
ヤマザキ春の野球祭り・・・ツボにハマりました😁
今でも読売巨人は隙あらば1リーグ復活に動く
すばらしい!
さぞや調べるのにご苦労があったことと存じ上げます。
この動画を待ちわびておりました。
ありがとうございました。
大変勉強になりますし面白いです。
74泊75日って、遠洋漁業かよ。めちゃくちゃおもしろい話をありがとう。
短命球団としては「高橋ユニオンズ」の事は 時々話題になりますが、「西日本パイレーツ」の事は あまり話題にならなかったので、詳しい話しが聞けて、面白かったです。
こういうのは有難い。
中々活動期間の短いプロ野球チームは知らない事も多いですし。
江口寿史の「進め パイレーツ」を思い出しました。
オクラホマオカマーズ、という球団もありましたね、あのマンガ
良かった
プロ野球の歴史が分かりやすく解説してくれるし、もっと評価されてもいいチャンネルだわ
5:53
西日本の打線って、原爆打線の他にも黒いダイヤ打線ってのもあった気がする
同じ年にセ・リーグを制した松竹は水爆打線と呼ばれていましたね。
懐かしい
青田さん金払って退団とかスゲー時代やな
高橋ユニオンズはスタルヒンが居たから話題に上がる事はあるけど
西日本パイレーツは1年で西鉄クリッパーズと合併して「西鉄ライオンズ」になったとしか知らなかった
ありがたいです
亡父から西日本新聞パイレーツの情報を聞いて興味そそそりました。
地元では西鉄オンリーでしたが以外でした。
当時のセリーグ会長は、現役の読売新聞副社長(その後代表取締役)でした。
公平に対応する訳ないよね。
本当この頃から自分勝手な球団だったね。
その数年前までは職業野球団総裁(今のコミッショナーにあたる)が巨人軍オーナーの正力松太郎だった。
まあ、当時は読売なくしては職業野球が成立しない時代だったんだ。
正力松太郎はそんな状況でも各球団対等に戦えるようにする種を少しづつ撒いていたんだから許してくれ。
@@鈴木恵一-y8j
『職業野球』という枠組み自体、読売新聞が毎日新聞(都市対抗)と朝日新聞(高校野球)に対抗するために作り出したものだからね。
鈴木龍二は讀賣とは無関係では?このあと昭和59年くらいまでセリーグ会長務めるが。
@@wurry77
鈴木龍二は2リーグ分裂3年目の1952年から会長になったので、この時点では関係ありません。
初年度の会長は安田庄司です。
西日本相手に初の完全試合を成し遂げた藤本さんですが、東京から遠く離れた青森に出張した記者はごく僅かで、完全試合の様子を写した写真は一枚もないそうです。
藤本英雄さんは、完全試合の数年前に球場の風呂で小島さんが
「俺は変化球まったくダメなんだ」と喋ってたのをたまたま聞い
てて、最後の打者として小島さんが出てきた時にそれを思い出して
安心したそうです。
概要欄見てから本編見たけど…本編よりこっちの方がインパクト強くて強くて😂
ライオンズの球団史を見ると西日本パイレーツ出て来ますね
海賊は山賊になりましたが
1979年~1988年に九州に球団が一つも無かったというのが、今の若いプロ野球ファンからすれば信じられないでしょうね~
物心ついた頃には鷹があったって最初の世代もそろそろアラフォーだもんな。
そしてクラウンを知ってる最終世代ももう50を過ぎたしなぁ。
4:32ヤマザキ春の野球祭り?春のパン祭りみたいな名前やけど?ヤマザキ製パンがスポンサーのオープン戦?
西日本パイレーツが1年で消えましたが他球団のではクラウン(現埼玉西武)ライターライオンズも1年で消えた球団でもありましたね。
猿山さるぞうと犬井犬太郎のイメージが強烈過ぎて肝心の主人公の名前が浮かんでこない。なんとか一平www
セネタース、ライオン軍、トンボ
の話も聞きたいな。
@紫の戦士 詳しく教えて頂きありがとうございます😭
完全試合だっちゅ〰️の😄
藤本英雄さんの完全試合達成については、
西日本パイレーツ側は試合前日に大雨降る中で猛練習した後の強硬移動で選手はコンディション最悪、
巨人側は先に青森入りしていて「こんな大雨だから明日は中止じゃ♪」とばかりに夜遊びしちゃって寝不足か二日酔い、
でどっちもまともじゃなかったという話が本に書かれていたのを読んだ覚えがあります。
藤本さんは宿で徹夜麻雀していて寝不足&腰痛だったとか。
しかしそのような状態だった故に全身の力が抜けて絶妙な「打たせて取る」ピッチングができたとか。
プロ野球、鉄道(国鉄、南海、阪神、阪急、西武、西鉄、東急、近鉄)、映画(東映、松竹)、食品(大洋、日本ハム、ロッテ)、新聞(読売、中日、毎日、産経、西日本)会社などがいくつかありましたが最近はIT企業が参入。
鉄道だと、名鉄も一時期ドラゴンズに参画していましたね。
映画だと大映、食品だとヤクルトもはいるかな。
ライオン(石鹸、洗剤)、トンボもありました。
日本初のプロ野球完全試合、実は写真が一枚も残っていないんだよね。
サンケイアトムズも、短い期間だと思います。
同じ1年でも2軍のみのチームだった山陽クラウンズに関しても詳しく聞きたい。
山陽電鉄(神戸~姫路を結ぶ、阪急阪神グループの私鉄)が母体でしたね。
パイレーツといい、ユニオンズといい一部の有力オーナーの声の大きさに翻弄されてたんだなと
両球団とも経営基盤が弱かったってのもあるけど
パイレーツって2人じゃなかったのか
それじゃあ野球できないんだっちゅうのw
代打で監督出てくるの笑う
短命幻チームと言えば高橋ユニオンズは時々話題に成りますが西日本パイレーツは殆んど知らない本当に幻のチームのイメージでした。この動画で初めて知った事ばかりです。今や福岡のチームが日本一へ一番近い時代になり隔世の感が有りますね。西日本パイレーツ・・・名前も人気者に成れそうな良い名前ですし本当に勿体ない気の毒過ぎる惜しい球団だったのですね。
海賊から山賊へ
日比野さんや関口さんといった西鉄の黄金期を支えたメンバーの方が在籍されていたんですよね!
戦前戦後そして2リーグ分立直後は1〜3年で消滅した球団が多かったですね…
一応西日本は×にしにほん〇にしにっぽんです。
西日本新聞も西日本鉄道もどっちも「にしにっぽん」なんです。
福岡の西日本はほぼ確定で「にしにっぽん」
西日本シティ銀行も持ち株会社の西日本ホールディングスも合併前の西日本銀行も全部「にしにっぽん」です
更に言うならテレビ西日本も「にしにっぽん」です。
JR西日本=西日本旅客鉄道は「にしにほん」です。
福岡にとって「にしにっぽん」と言う概念は非常に大きくて福岡は「にしにっぽん」最大の都市なのです。
西日本(にしにほん)だと大阪は勿論場合によっては名古屋も入り福岡は1番ではないです。
西日本(にしにっぽん)と言う区切りだと関西地方が入らない考え方であり福岡が一番なのです。
日本は(にほん)と(にっぽん)の両方の読み方が有ります。
しかし東日本は(ひがしにほん)だけなのです。(ひがしにっぽん)なんて言いません。
(にしにほん)と(にしにっぽん)は別の概念なのです。
KONAMIでもさすかに復刻は難しかったか
当時を知る西日本新聞の関係者は「うちの黒歴史」と言ったとか
西日本(にしにほん)新聞ではなく
西日本(にしにっぽん)新聞です……。
初の被完全試合は確かに不名誉でしかないが、逆にそれがなければ今日名前すら上がることなく、球史の闇に消えてしまったのでは。
現在のCSフォーマットを生かすため球団を増やす構想はありますが、温故知新、こうして歴史を振り返る作業は大事だと思います。
2リーグ分裂直後はなかなかカオスな時代で、赤嶺一派を調べると一本動画ができるかもしれない。
今でこそ飛行機移動新幹線移動が可能だから福岡と北海道に同じリーグのチームがあるけど当時は辛かったんだろうなあ。
新幹線がなかった時代とは言え、とんでもないジプシーぶりでしたねえ…。
カープはパイレーツよりも更に10ゲーム下の最下位なんだよなぁ。
そんな苦難を乗り越え、今も元気に存続していることにファンとしては感謝しないとね。
一応はジャイアンツ尽力したんだけどなぁ…。
このセパ2リーグ分裂時は球団同士のかけひきが凄い。元々、阪神はパリーグに参加予定だったけど、阪神巨人戦等、阪神球団が集客を考え、土壇場でセリーグに寝返ったらしい。そして、まず巨人が南海の大エース別所を引き抜き、仕返しに、パリーグの毎日が、寝返った阪神から若林、別当、土井垣、呉、本堂、主力メンバーをごっそり引き抜き、泥仕合状態だったらしい。
昔から巨人は身勝手で傲慢で「紳士」とは程遠い球団だったと。www
西日本パイレーツって高橋ユニオンズほど知られてないからこういう動画はありがたい
たしか、もうひとつの記録で、西日本と阪神の試合で史上最短で1時間もかかっていない試合があったとの話を聞いたことがあるが、今では高校野球でも1時間で終了は無理。
所要55分の史上最短試合は確か1リーグ時代だったから、西日本ではないかな。
12:20試合数、何か揃ってなくね?
カープファンですが、…11月に日米野球が控えていて、カープは試合打ちきりになったと言うことだったと思います…
@@いちろーシアトル 説明ありがとうございます!!!ただ、カープ以外も足すと値がちがくなりますね……
日米野球のために試合打ち切りというのは、翌1951年のことです。
この1950年は消化試合が一部行われなかったようです。
小島監督は恐らく選手が抑えられて完全試合を達成されるより自分が最後の打者になって選手を守ろうとした優しさじゃないかな?
またはケジメをつけるためか。
千葉パイレーツしか知らん
犬井さん面白かった
10:43
これはお荷物3球団(西日本、広島、国鉄)があまりにも弱く不人気で、
興行の引受先が難色を示し始めたため、公式日程を各一週間取り消され、
セ・リーグ会長命令として練習を課せられたことによる。
(当時のセ・リーグ営業部長 徳永喜男氏の著書より)
この当時は新幹線なんて物はなく移動だけで1日を費やしてしまう時代だよね
だから 国鉄と遠征すると移動が楽だった
選手用の車両を一両増結してくれて 当時は客車でしたから出来たこと
でもそうは言っても増結は三等車
宿舎での食事に事欠くほどだったそうですね
でも国鉄スワローズは 遠征の時は各地の国鉄官舎に泊って 各地でのもてなしがあったので 食事とかには困らなかったとか
昔、津久見高校の小嶋二八郎監督が入ってたと聞いた事があるね。
後野本喜一郎氏(上尾高校→浦和学院高校監督)もそうですよ。
別のチームだけど水爆打線というのもあったなぁ。
同じ年の松竹ですね。
3連覇の頃の西鉄も「流線型打線」以外に「水爆打線」の異名がありました。
なかにし礼さんが少年時代、青森球場でボールボーイをやっていたそうです。
「魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ」という書籍でも、
西日本パイレーツについて触れられていた記憶があります。
細かい事は忘れてしまいましたが。
戦後のプロ野球は球団の手探り感があり、
今とは違った面白さがありますね。
さては当時の横浜大洋ホエールズ🐳(現・横浜ベイスターズ)の事だなぁ?
三原さんが巨人を倒して日本一になった時のコメント「巨人を倒して日本シリーズを奪回するということがパリーグの使命だった。それが西鉄ライオンズの手によって達成できて嬉しい。」
思えば昔のプロ野球チームの遠征って大変だったんでしょうね。
新幹線や高速道路も無いし、飛行機は高すぎるから使えない?
試合が終わったら、すぐに身支度を整えて用具一式を背負って駅へ。夜行列車の固い椅子に何時間も座り、睡眠不足で遠征先へ。さすがにそのまま試合出来ないから、旅館へ入り風呂に浸かり、昼寝をしてから練習をしてから翌日まで就寝。試合をしてから次の遠征先へ移動〜の繰り返しで、肉体的に大変だったのは容易に想像できますね。
西日本パイレーツ。チーム名は悪くない。
「すすめ‼️パイレーツ」全巻持ってましたわ。江口寿史さんは千葉じゃなくて熊本出身なんですよね。「西日本パイレーツ」の存在はご存知だったのかな?
どこかの打線が水爆打線って言われてた気がする
今と違って新幹線や飛行機で簡単に福岡に行ける時代じゃなかったから広島や福岡がホームというのはかなりのハンディだったはず。
セとパで分けるよりも、二軍みたいに西日本と東日本で分ける方が当時は合ってたような気がする。
広島の初優勝1975年は、山陽新幹線博多開業の年でしたなそういえば
遠征の難易度低下も影響していましょうか
2リーグ分裂時にちゃんとしたフランチャイズ制度を敷いてたら
こんなグダグダにならずパイレーツも存在してたかもしれない。
あと、大洋ホエールズもスタートのフランチャイズは下関と言われたけど
殆ど下関では試合してなさそう。
@@mantmonk
パイレーツが地元・福岡で試合した試合数も少なかったそうだ
セリーグなので主に 関東とその近郊が一番多かったようだ
@@asakazefuji さん
プロ野球と鉄道
によると
広島カープの遠征は山陽新幹線博多開業ではるかに楽になってこれが初優勝最大の要因。
とあります。
実際山陽新幹線博多開業まで巨人軍の移動は日本一有利で
新幹線飛行機顔パスで待ち時間僅少
でしたし。
当時の広島カープは東海道新幹線開業で山陽本線の特急が増発されて阪神戦だけは条件対等になり、根本監督時代にはその効果が出てましたが、山陽新幹線岡山開業後は又弱くなり
博多開業後やっと他球団と条件が対等になって強くなってます。
後戦後すぐの巨人軍が異常に強かったのは
当時在籍したスタルヒン投手が米軍放出の軍服を着て(軍服風だったとも)MP(ミリタリーポリス。所謂憲兵)の腕章を作って二等車にのうのうと座ったり
英語で捲し立てて担ぎ屋から米をたっぷり巻き上げたり座席を全員分確保したり
スタルヒン様の威光で米軍からレーションや生肉調達出来た為三等車立ちん坊の他球団より疲労が少なく、米や肉がたらふく食えたから。実際プロ野球選手は肉体労働の最たるもの。腹が減っては戦が出来ぬ!ある意味スタルヒン投手はONや川上哲治なんか目じゃ無い位巨人軍に貢献した。
と板東英二氏は著書で書いてます。
もっとも近藤貞雄氏だけは自分が死ぬまで
スタ公のせいで巨人軍を追われた
と怨み骨髄でしたが。
西日本パイレーツの南村外野手は王貞治の前に巨人の背番号「1」を着けてた選手だったのだよね。(因みに、早稲田大学出身)
チャンネル登録させて頂きました。( ゚□゚)!
埼玉西武の直系の西鉄クリッパーズで傍系の西日本パイレーツですね
直系と傍系でえらい違い
非常に詳しくそれも短時間にわかりやすくまとめられていて神動画でした
黎明期のプロ野球は高橋ユニオンズの例とかもあって正直メチャクチャだったんですね
近々での再編問題は近鉄・オリックスの合併、楽天の誕生がありましたが
昔も今も巨人に踊らされてるんですね
この先も巨人の威光ってのは続いていくでしょうかね
南村不可止さんが印象位かな、あとは
西鉄ライオンズ補手日比野さん
28イニング4対4の引き分けになった唯一の球団?
あれは大洋と名古屋じゃなかったかな。
南村不可止、平井三郎の引き抜き問題にも取り上げてほしかった。大いに関係あるから
ちなみに、南村選手は西日本入団時は既に32歳でした。巨人に移籍後も黒バットを愛用し、主力の一員として40歳まで現役を続けました。後、昭和34年に王選手が入団する前に背番号1を付けていました。
まとめて下さってありがとうございます
西武球団が福岡時代の歴史を粗雑に扱ってきたのもあって、パイレーツの情報を得る機会ってなかなか無いんですよね
近年、ライオンズが西鉄時代のチームロゴを復活させているのは、元オーナーの堤義明氏の影を払拭したい現経営陣の思惑でしょうか?
西鉄は結成当初はクリッパーズ
片や海賊(パイレーツ)、
片や帆船(クリッパー)か。
繋がりを意識したのかな。
なんかライオンズの歴史が濃すぎる気がする
話はズレますが、
ロッテオリオンズが川崎から千葉に移転する時、海にまつわるネーミングになると聞いて、
てっきり千葉ロッテパイレーツかと予想していました。
マリーンズの千葉初戦で雑誌に載ったのは、いい思い出です。
パイレーツと言えば江口寿史氏の「すすめ!パイレーツ」
「西日本パイレーツ」昔こんな球団有ったんですね初めて知りました。
やっぱりこのネタ出ますよね。全巻持っていました。あまりのドタバタの酷さに、本場パイレーツのデーブパーカーから「チーム名を変えてくれ!」って言われていましたよね。
@@星野高志-e7u あれは爆笑しました。千葉の事をメチャクチャに描いてるけど、後に千葉出身の人と話したら「まあ実際あんなもんだよ」と、笑ってました。
なぜ誇張表現ではないとわかった直後に同様の行動を取るのか
この球団が思惑通りセ・リーグで西鉄ライオンズに参入していれば黒い霧事件でのパ・リーグの衰退がなかったら、今のNPBと全然変わっていただろうし、球界の未来を変えた球団なのかもしれない。
福岡の人間なんで両方の企業は知ってるしパイレーツの存在も名前だけは知ってたが創設の流れなんかは初めてしれて勉強になりました。
西鉄と合併したのは知ってたがもともとはセ・リーグに残ろうとしたんか。。
しかし、当時の遠征はヤバすぎ💧
面白かったです。
長い歴史の中でもやはり高橋由伸の60億で親父の横面ひっぱたいたのが一番印象に残ってるねそれでまだ現役やりたいのに無理やり監督しろと言われさからうこともできず
意外と健闘してるのが驚き
すすめ!パイレーツの元ネタかと思ったけど、ずいぶんマシな成績だった。
これがすゝめパイレーツの元ネタか
プロ独立リーグの回とプロ野球本拠地事情の回作ってください‼️
よく調べてあるし、最後もうまくまとめましたな🤔
福岡にあった球団ですよね?
親会社は西日本新聞(本社は福岡県福岡市)セ・リーグに加盟。
同じく福岡県福岡市に本社を置く西日本鉄道株式会社が親会社だった西鉄クリッパーズと合併し西鉄ライオンズとなる。
機会があれば、是非。「西鉄軍(旧:西鉄)」もやって欲しいッ!!
テレ東音楽祭
これは知りませんでしたね。
当初はセ・リーグで西鉄との合併目指してたみたいですし。
思惑通りに行ってたら、今頃、西武がセ・リーグにいたのかも知れませんね。
名前は聞いたことあるけど、詳しく知らなかった西日本パイレーツ。
初めて完全試合をくらったというのもビックリだけど、自分の地元・青森で、というのに驚愕しました。
最初から西鉄と組んで球団作って参入する予定が、いざこざでセとパに分裂、再合併もイロイロあったんですねぇ...
Jリーグならしょっちゅうですよ☺️
当時は新幹線もない時代だから、移動が大変だったでしょうね。自宅に何ヶ月も帰れないなんて、妻子持ちの選手は単身赴任状態ですね。
松竹は水爆打線
西日本パイレーツは(まだ一度もテレビで特集された実績がないのであれば)テレビで特集して欲しい
あまり触れられない球団ですよね。