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石炭から穀物への積み替え掃除、大変でしたね。日本人がたくさん乗ってる時代、楽しそうです。
お久しぶりです🌊バルクは、郵船の能代丸や先の新地丸クラスがニューキャッスル港から航海してましたね私はコークス荷役経験しまして、小名浜は以前、第一中央汽船の春洋丸が鹿島と行ってましたが環境問題と水族館建設でなくなり、鹿島は八戸丸は今も入り、春洋丸の後継明日春丸も、海外へかなり前に売船と寂しいものです。素晴らしい航海の歴史にただ敬意と尊敬してます。
40年後の船乗りです。40年後の現代では港湾施設の進歩により、荷役は短時間でおわり外地上陸など皆無になっています。それでも睡眠時間を削り外地を1時間でもいいから散策する日々です。 Vancouverを超す夕焼けには今のところ出会ったことがありません。 素晴らしい港であった記憶があります。
ニューキャッスル行きましたよ。ビーチ近くの城壁跡公園に行きませんでしたか? 木材兼用バラ積み船でオーストラリア各地とタスマニアに入港しました。積み荷はボーキサイトでした。
ニューキャッスルは、この船で2回ほど。シーメンス・クラブで日本に電話をしたり、ハンターストリートで映画を見たり、キング・ストリートで買い物をしたり。Fort Scratchleyは歩きではちょっと遠かったのであきらめて、手前のカテドラルパークの売店でアイスクリーム買って食べていました。兼用船は積み替えが大変ですね。車からばら積とか、木材からばら積とか、普段は原油タンカーに乗っていたので、そのような経験はありません。話に聞いただけでも大変だ。
時化に遭わず北米に着いた。ラッキーですね。私のヨットは野島崎沖600キロで大時化に遭い、太平洋横断を断念しました。高価な41フイートの新艇でしたが、残念な結末でした。広島を出発して9日目に神奈川の三崎に入り、その後広島に帰りました。
この時は、台風にも大型低気圧にも合わず、動画の様な状態が続きました。ただ、西航のベーリング海はけっこう時化て、ハッチカバーから水が入り、仁川でハッチカバーを開けたら、穀物の発芽熱で煙が出ていました。野島沖で戻ったのですか、さぞ残念だったと思います。この船も、その前の航海で香港沖で台風エレーンにつかまってしまい、ウインドラスが波で捻じれ、小名浜で溶断・溶接で修理した後でした。41フィートで大時化だとさぞ大変だったと思います。
@@MrBUMI さん 大きなビルがひっくり返ったような波で、たとえ大型船舶であっても大変だろうな、という波でした。風は時折90ノット。風速40メートル以上です。ヨットだから乗り切れた、と思っています。行き帰りに米空母と出会いました。魔の野島沖、と言われ、ボリバア丸にカルフォルニア丸が沈んでいますが、さもあらんと思いました。生きて帰れただけでも幸いでした。
石炭から穀物への積み替え掃除、大変でしたね。日本人がたくさん乗ってる時代、楽しそうです。
お久しぶりです🌊
バルクは、郵船の能代丸や先の新地丸クラスが
ニューキャッスル港から航海してましたね
私はコークス荷役経験しまして、小名浜は以前、第一中央汽船の春洋丸が鹿島と行ってましたが
環境問題と水族館建設でなくなり、鹿島は八戸丸は今も入り、春洋丸の後継明日春丸も、海外へかなり前に売船と寂しいものです。
素晴らしい航海の歴史に
ただ敬意と尊敬してます。
40年後の船乗りです。40年後の現代では港湾施設の進歩により、荷役は短時間でおわり外地上陸など皆無になっています。それでも睡眠時間を削り外地を1時間でもいいから散策する日々です。 Vancouverを超す夕焼けには今のところ出会ったことがありません。 素晴らしい港であった記憶があります。
ニューキャッスル行きましたよ。ビーチ近くの城壁跡公園に行きませんでしたか? 木材兼用バラ積み船でオーストラリア各地とタスマニアに入港しました。積み荷はボーキサイトでした。
ニューキャッスルは、この船で2回ほど。
シーメンス・クラブで日本に電話をしたり、ハンターストリートで映画を見たり、キング・ストリートで買い物をしたり。
Fort Scratchleyは歩きではちょっと遠かったのであきらめて、手前のカテドラルパークの売店でアイスクリーム買って食べていました。
兼用船は積み替えが大変ですね。車からばら積とか、木材からばら積とか、普段は原油タンカーに乗っていたので、そのような経験はありません。話に聞いただけでも大変だ。
時化に遭わず北米に着いた。ラッキーですね。私のヨットは野島崎沖600キロで大時化に遭い、太平洋横断を断念しました。高価な41フイートの新艇でしたが、残念な結末でした。広島を出発して9日目に神奈川の三崎に入り、その後広島に帰りました。
この時は、台風にも大型低気圧にも合わず、動画の様な状態が続きました。ただ、西航のベーリング海はけっこう時化て、ハッチカバーから水が入り、仁川でハッチカバーを開けたら、穀物の発芽熱で煙が出ていました。
野島沖で戻ったのですか、さぞ残念だったと思います。
この船も、その前の航海で香港沖で台風エレーンにつかまってしまい、ウインドラスが波で捻じれ、小名浜で溶断・溶接で修理した後でした。41フィートで大時化だとさぞ大変だったと思います。
@@MrBUMI さん 大きなビルがひっくり返ったような波で、たとえ大型船舶であっても大変だろうな、という波でした。風は時折90ノット。風速40メートル以上です。ヨットだから乗り切れた、と思っています。行き帰りに米空母と出会いました。魔の野島沖、と言われ、ボリバア丸にカルフォルニア丸が沈んでいますが、さもあらんと思いました。生きて帰れただけでも幸いでした。