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この年の暮れ、富士でシューマッハ、ハッキネンと一緒に走り、その走りにブッ飛ぶ土屋さんでしたw
結果が残念でもポジティブ、土屋圭市さん次のレースへの切り替えが素晴らしい✨
90年鈴鹿のF1前座レースで、土屋圭一は5位か6位に入賞した。当時現地でそのレースを見た時に「ドリキンは表彰台もなしかぁ」なんて思っていたが、あのレースが相当な善戦だったことをこのレースダイジェストを見て今更ながら理解した。
後に仲良しになるレーサーかなりいるな
土屋さん今も昔も顔そんなに変わってない
この頃のドリキン尖ってるね。カッコいい!
どの車に乗っても様になる土屋さん
高橋国光に憧れ長男に国光と付けた土屋圭市、その土屋圭市に憧れ息子に圭市と付けたのが元D-1ドライバーの野村謙。
昔から幸運に見放されてるオトコ
土屋さんのおかげで人生の最初の車が2シートのロッドスターになりました(笑)
土屋さんはツーリングカーとは全く違うフォーミュラカーでツーリングカーほどマシンの荷重移動を活かせられなかった。ましてや土屋さんの得意な「ドリフト」をすればチームからそれを怒られ、得意な「ドリフト」は封印されてツーリングカーとフォーミュラカーのドライビングスタイルの違いに苦しんだこともあって、あまり成績を残せなかった。1990年のインターF3リーグで、若き日のミハエル・シューマッハやミカ・ハッキネンを見て「どんなに努力してもフォーミュラではかなわない」と土屋さんはそう言った。土屋さんは怒られる覚悟で雨の仙台ハイランドの予選で「ドリフト」をやってみたらしい。案の定チームからは怒られたが見事にポールポジションを獲得!だか、雨でレースは中止された。↑違ってる所あったら許してください
その話は聞いたことがあります。N2ハチロクの時もドリフト禁止と言われてドライバーとして選ばれなかったと言う話を聞いたことがあります。
ノザエモンX あと、土屋エンジニアリングからグループAに乗った時もドリフト禁止とチームから言われて1年で離脱したとか(鈴木恵一から止められたらしい)
3年やってみて「フォーミュラはつまらない」というのが結論だ。と「A伝説」の高橋国光さんとの対談で言ってましたね。少しでも他車と接触すると、アライメントが狂ってまともに走れなくなる。これでは戦えないとかなんとか
まぁグリップが上がれば上がるほど、ドリフトはロスが大きくなって遅くなるだけですからね。昔はタイヤのグリップや剛性が低かったから通用しただけで、今のタイヤでは基本的に通用しません。谷口さんもドリフトが『速い走り方』と言えたのは国さんやドリキンの頃(バイアス構造のハコ車限定)までと言われてました。今のドリフトはフィギュアスケート、グリップはスピードスケートって例えが的を得てますよね。ましてや空力が絡む車ほど姿勢変化はNGですからね。ドリキンは畑違いの場所だと、やはり悟ったのでしょう
この時土屋選手とバトルした木下隆之選手は後年BMキャスターとして加わりましたね。確か「サーキットの狼」特集号で。また最年長と思われる見崎清志選手がおられたり年齢層が幅広いですね。
土屋さんに2人も子供いたんだ国光くん一人かと思っていた
後のGTレーサーがいる!?
Panasonic F3事務局で全戦帯同してたな、この年。
フォーミュラよりツーリングマシンGTマシンの方がドリキンらしくして好きです
What cars are they driving?
土屋さんって息子いたんだ😮
土屋さん少し男はつらいよのとらさんに似てる。
フォーミュラで速いドライバーは箱車でも速いけど、箱車で速いからと言ってフォーミュラで速いとは限らない。フォーミュラで速いドライバーこそ本当に速いドライバーなんだよなぁ
そうとも言えますが、ホントの箱車(所謂ロールとピッチが激しいドノーマル車)だとフォーミュラ(カート上がり)の人は苦戦します(私がそれでした😅)まぁもちろん才能がある人がフォーミュラで速い訳ですから、箱車でも速い(飲み込みが早い?)とは思いますが、あの特性違いに悩まされる(鈴木亜久里や高木虎之介もそんな感じでしたよね)人もいると思います。。。ただ結局のところ一番大事な『コーナーの最低スピードを見極める力』が備わってますから、そこそこ(パッと乗っても)は速く走らせられますよね。
3台をパス!そしてスピンでわろた
粕谷俊二って名前が。あれベスモでダメダメだったあの人か?別人か?
De motoring 4 15 De shi chan
ドリキンがフォーミュラで活躍出来なかったのは…自身も後年語ってましたが、やっぱり畑違い?ですかね〜(私は逆にカート上がりなんで、ハコ車を速く走らせるのが難しいですけど…)ハコ上がりの人が(逆に)カートで苦労してるのを何人も見てきて思ったのは『フォーミュラ(カート)は滑らせる=無駄』ってのが基本的な考え(進入でスライドさせることも稀にあるけど、特に現代のグリップが高いタイヤでは積極的にグリップさせる方向ですからね。)で、セッティングも弱アンダーなマシン…それを『ロスなく走らせる』のが基本なんです。対して『ハコ車(特にドリフト育ちな方)は進入も脱出も滑らせて(滑らせながら)向きを変えて走る』のが前提にあると思う…ハコ出身の人がカートに乗ると『滑らせながら走る』ことが出来ない(場合により失速・ロスになる)って言います。セッティングもハコ車寄りの人は弱オーバー気味が好きな傾向にあるのは『ここから来てるのかなぁ』って…後年、ARTA NSXで(ドリキンと一緒に走らせていた00年)鈴木亜久里氏は(オーバーな車を好む)ドリキンのセッティングでは怖くて乗れないから、亜久里さんの(フォーミュラ上がりが)好む弱アンダーなセッティングにドリキンが合わせてましたよね。あとカート乗りは基本『ステアリングで車を曲げる』けど、ハコの人は『ブレーキングでの荷重移動』とかを気にする?傾向にあるかなぁ?ハコの方をずっとやってる友達は『車が行きたい方向にステアリングを合わせるんだよ』って言ってたけど、カート上がりの俺には全然理解が出来なかった(笑)自分からすると(ハコの人らが行う)あからさま?な荷重移動がある種恐ろしいって言うか、ロールの量・速度が遅いから瞬間的に?接地感が無くなる感覚がホント怖いんだよなぁ〜多分、ハコの人はその動きのラグに合わせた(ゆっくりとした)動作が出来るんだろうけど、自分はそのラグが怖い…ってことに(自分は向かないことに)気づきましたね。
ハコ車からレースの世界に入ってフォーミュラも速かったレーサーといえば、和田孝夫さんが1番に浮かびます! TSサニーから始まってF3000で優勝しましたし、日本人では走らせるのが難しかったラルトでも速かったみたいですし
カート乗ってましたがドリフト、カウンターステアは駆動力が逃げてしまうので無駄な動きだと思ってました(低速、タイトコーナーはスピン気味にしたほうが早く脱出出来ますが)高速コーナーはニュートラルステアか弱アンダーでクリアしてました
ドリキンはブレーキングドリフトは半端なく速い上にカウンターの戻しは完璧で96年頃発売のスーパードリフトテクニックでは華麗なブレーキングドリフトをしている当時の低いグリップとロールする箱車を、手足のように使う芸術的ドリフトだなしかも箱車でしか成り立たないスゴ技だよな
1コメ
土屋さんはレーシングドライバーとしては3流だからなこればっかりは実力の世界だから仕方ない
外からすみませんルマンの総合2位(夜間のファステスト)、NSXの3連勝、グループA、JTCC、JGTC等の箱レースでは一流と言ってもいいのではないでしょうか?フォーミュラでは相当苦戦してましたし自分がドリキン贔屓なだけかもしれないですが...
何処観てモノ言ってんだアンタ
あ
レースはドライバーだけで戦うわけじゃないし他のスポーツと違い運と言う要素もかなり強い。必ずしもドライバーの腕と成績は比例するもんじゃない。
中野信治さんが自身のF1時代の話をする中で『日本人ドライバーが日本でレースをやる際(自分の世代を含めて)は、上手くなるまで待ってくれていた(それに対しF1では即結果が求められて大変だったと回顧されてました)時代だった』とコメントがありましたから、確かに本人の努力などがあったとはいえ、時代が良かった(今では活躍できたかは難しい)ドライバーだと思います。
結局言い訳が多い。
この年の暮れ、富士でシューマッハ、ハッキネンと一緒に走り、その走りにブッ飛ぶ土屋さんでしたw
結果が残念でもポジティブ、土屋圭市さん
次のレースへの切り替えが素晴らしい✨
90年鈴鹿のF1前座レースで、土屋圭一は5位か6位に入賞した。当時現地でそのレースを見た時に「ドリキンは表彰台もなしかぁ」なんて思っていたが、あのレースが相当な善戦だったことをこのレースダイジェストを見て今更ながら理解した。
後に仲良しになるレーサーかなりいるな
土屋さん今も昔も顔そんなに変わってない
この頃のドリキン尖ってるね。カッコいい!
どの車に乗っても様になる土屋さん
高橋国光に憧れ長男に国光と付けた土屋圭市、その土屋圭市に憧れ息子に圭市と付けたのが元D-1ドライバーの野村謙。
昔から幸運に見放されてるオトコ
土屋さんのおかげで人生の最初の車が2シートのロッドスターになりました(笑)
土屋さんはツーリングカーとは全く違うフォーミュラカーでツーリングカーほどマシンの荷重移動を活かせられなかった。
ましてや土屋さんの得意な「ドリフト」をすればチームからそれを怒られ、得意な「ドリフト」は封印されてツーリングカーとフォーミュラカーのドライビングスタイルの違いに苦しんだこともあって、あまり成績を残せなかった。
1990年のインターF3リーグで、若き日のミハエル・シューマッハやミカ・ハッキネンを見て「どんなに努力してもフォーミュラではかなわない」と土屋さんはそう言った。
土屋さんは怒られる覚悟で雨の仙台ハイランドの予選で「ドリフト」をやってみたらしい。案の定チームからは怒られたが見事にポールポジションを獲得!だか、雨でレースは中止された。
↑違ってる所あったら許してください
その話は聞いたことがあります。N2ハチロクの時もドリフト禁止と言われてドライバーとして選ばれなかったと言う話を聞いたことがあります。
ノザエモンX あと、土屋エンジニアリングからグループAに乗った時もドリフト禁止とチームから言われて1年で離脱したとか(鈴木恵一から止められたらしい)
3年やってみて「フォーミュラはつまらない」というのが結論だ。
と「A伝説」の高橋国光さんとの対談で言ってましたね。
少しでも他車と接触すると、アライメントが狂ってまともに走れなくなる。これでは戦えないとかなんとか
まぁグリップが上がれば上がるほど、ドリフトはロスが大きくなって遅くなるだけですからね。
昔はタイヤのグリップや剛性が低かったから通用しただけで、今のタイヤでは基本的に通用しません。
谷口さんもドリフトが『速い走り方』と言えたのは国さんやドリキンの頃(バイアス構造のハコ車限定)までと言われてました。
今のドリフトはフィギュアスケート、グリップはスピードスケートって例えが的を得てますよね。
ましてや空力が絡む車ほど姿勢変化はNGですからね。
ドリキンは畑違いの場所だと、やはり悟ったのでしょう
この時土屋選手とバトルした木下隆之選手は後年BMキャスターとして加わりましたね。確か「サーキットの狼」特集号で。
また最年長と思われる見崎清志選手がおられたり年齢層が幅広いですね。
土屋さんに2人も子供いたんだ
国光くん一人かと思っていた
後のGTレーサーがいる!?
Panasonic F3事務局で全戦帯同してたな、この年。
フォーミュラよりツーリングマシンGTマシンの方がドリキンらしくして好きです
What cars are they driving?
土屋さんって息子いたんだ😮
土屋さん少し男はつらいよのとらさんに似てる。
フォーミュラで速いドライバーは箱車でも速いけど、箱車で速いからと言ってフォーミュラで速いとは限らない。
フォーミュラで速いドライバーこそ本当に速いドライバーなんだよなぁ
そうとも言えますが、ホントの箱車(所謂ロールとピッチが激しいドノーマル車)だとフォーミュラ(カート上がり)の人は苦戦します(私がそれでした😅)
まぁもちろん才能がある人がフォーミュラで速い訳ですから、箱車でも速い(飲み込みが早い?)とは思いますが、あの特性違いに悩まされる(鈴木亜久里や高木虎之介もそんな感じでしたよね)人もいると思います。。。
ただ結局のところ一番大事な『コーナーの最低スピードを見極める力』が備わってますから、そこそこ(パッと乗っても)は速く走らせられますよね。
3台をパス!そしてスピンでわろた
粕谷俊二って名前が。あれベスモでダメダメだったあの人か?
別人か?
De motoring 4 15 De shi chan
ドリキンがフォーミュラで活躍出来なかったのは…
自身も後年語ってましたが、やっぱり畑違い?ですかね〜
(私は逆にカート上がりなんで、ハコ車を速く走らせるのが難しいですけど…)
ハコ上がりの人が(逆に)カートで苦労してるのを何人も見てきて思ったのは『フォーミュラ(カート)は滑らせる=無駄』ってのが基本的な考え(進入でスライドさせることも稀にあるけど、特に現代のグリップが高いタイヤでは積極的にグリップさせる方向ですからね。)で、セッティングも弱アンダーなマシン…
それを『ロスなく走らせる』のが基本なんです。
対して『ハコ車(特にドリフト育ちな方)は進入も脱出も滑らせて(滑らせながら)向きを変えて走る』のが前提にあると思う…
ハコ出身の人がカートに乗ると『滑らせながら走る』ことが出来ない(場合により失速・ロスになる)って言います。
セッティングもハコ車寄りの人は弱オーバー気味が好きな傾向にあるのは『ここから来てるのかなぁ』って…
後年、ARTA NSXで(ドリキンと一緒に走らせていた00年)鈴木亜久里氏は(オーバーな車を好む)ドリキンのセッティングでは怖くて乗れないから、亜久里さんの(フォーミュラ上がりが)好む弱アンダーなセッティングにドリキンが合わせてましたよね。
あとカート乗りは基本『ステアリングで車を曲げる』けど、ハコの人は『ブレーキングでの荷重移動』とかを気にする?傾向にあるかなぁ?
ハコの方をずっとやってる友達は『車が行きたい方向にステアリングを合わせるんだよ』って言ってたけど、カート上がりの俺には全然理解が出来なかった(笑)
自分からすると(ハコの人らが行う)あからさま?な荷重移動がある種恐ろしいって言うか、ロールの量・速度が遅いから瞬間的に?接地感が無くなる感覚がホント怖いんだよなぁ〜
多分、ハコの人はその動きのラグに合わせた(ゆっくりとした)動作が出来るんだろうけど、自分はそのラグが怖い…ってことに(自分は向かないことに)気づきましたね。
ハコ車からレースの世界に入ってフォーミュラも速かったレーサーといえば、和田孝夫さんが1番に浮かびます! TSサニーから始まってF3000で優勝しましたし、日本人では走らせるのが難しかったラルトでも速かったみたいですし
カート乗ってましたが
ドリフト、カウンターステアは駆動力が逃げてしまうので無駄な動きだと思ってました
(低速、タイトコーナーはスピン気味にしたほうが早く脱出出来ますが)
高速コーナーはニュートラルステアか弱アンダーでクリアしてました
ドリキンはブレーキングドリフトは半端なく速い上にカウンターの戻しは完璧で96年頃発売のスーパードリフトテクニックでは華麗なブレーキングドリフトをしている
当時の低いグリップとロールする箱車を、手足のように使う芸術的ドリフトだな
しかも箱車でしか成り立たないスゴ技だよな
1コメ
土屋さんはレーシングドライバーとしては3流だからな
こればっかりは実力の世界だから仕方ない
外からすみません
ルマンの総合2位(夜間のファステスト)、NSXの3連勝、グループA、JTCC、JGTC等の箱レースでは一流と言ってもいいのではないでしょうか?
フォーミュラでは相当苦戦してましたし自分がドリキン贔屓なだけかもしれないですが...
何処観てモノ言ってんだアンタ
あ
レースはドライバーだけで戦うわけじゃないし他のスポーツと違い運と言う要素もかなり強い。
必ずしもドライバーの腕と成績は比例するもんじゃない。
中野信治さんが自身のF1時代の話をする中で『日本人ドライバーが日本でレースをやる際(自分の世代を含めて)は、上手くなるまで待ってくれていた(それに対しF1では即結果が求められて大変だったと回顧されてました)時代だった』とコメントがありましたから、確かに本人の努力などがあったとはいえ、時代が良かった(今では活躍できたかは難しい)ドライバーだと思います。
結局言い訳が多い。